一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

永井荷風 その4

2020-11-23 15:15:46 | 読書
       永井荷風を続けて書いて
       まだ しっくりいかない、というか、
       胃の腑に落ちない感じがしてならないのだ。

       荷風は高級官吏の父、良家の出の母のもとで
       生まれ、一族はエリートコースを歩む人ばかり。

       そんな環境で、
       なぜ、荷風は あえて芸妓や 私娼と交わり、
       私娼窟に出入りするのか。

       そのあたりを探るべく、「その4」を書いてみよう。

       荷風の唯一の のぞみは戯作者(げさくしゃ)になること。
       戯作とは 江戸後期の通俗作家のこと。

       世の中の気風に従わず、江戸趣味へと赴いていったのは、
       ほんとうの自由人を 目指していたのか。
 
       たしかに、戦中・戦後をとおして、
       政治とは一線を画し、政治的発言も一切していない。

       そして『花火』(大正8)には こう書いている。

       「その頃から 私は煙草入れをさげ、浮世絵を集め、
        三味線を弾きはじめた。
        私は江戸末期の戯作者や 浮世絵師が 浦賀へ
        黒船が来ようが、桜田門外で 大老が暗殺されようが
        そんなことは 下民の与り知ったことではない……
        否、とやかく申すのは 却って 畏れ多いことだと
        すまして 春本や 春画を 描いていた その瞬間の
        胸中をば 呆れるよりは 尊敬しようと思いいたった」

        ここからは 非政治的構えを あえて貫いた 荷風の
        覚悟というか 居直りみたいなものを 感じとること
        ができる。

永井荷風 その3

2020-11-22 10:07:07 | 読書

       戦中、戦後をへて より偏屈になったが、
       73歳で 文化勲章受章。
       「外国文学を紹介し 日本文学界に独自の
        巨歩を 印した」との評価で。

       また 日本藝術会員などの名誉につつまれるも、
       本人は相変わらずの 浅草通い。
       ストリップ劇場の踊り子と 親しむ。

       79歳 さいごの荷風はどうだったのか。
 
       自宅で倒れ 通いのお手伝いさんに発見される。
       常に持っていたボストンバックには、
       土地の権利書 預金通帳 文化勲章など
       全財産が入っていた。

       通帳の預金高は 2334万円 現金 31万円
       生前、吉原遊女の投げ込み寺「浄閑寺」を
       好んで訪れ、
       そこに葬られたいと 記していた。

       ※ 「墨東奇譚」
        いわるゆる 隅田川東岸の物語ではなく、
        東京の向島(現・墨田区)に存在した
        私娼窟・玉ノ井が舞台。
        一人の小説家(モデルは荷風)と娼婦・お雪
        その出会いと別れを季節の移り変わりと共に 
        美しくも 哀れふかく描いている。
        中村光夫はこう評価している。
        「荷風の白鳥の歌といってよい昨品。
         彼の資質、教養、趣味など 渾然たる表現に
         達している」
        映画化され 主人公・芥川比呂志 お雪・山本富士子
        
       

永井荷風 その2

2020-11-22 09:41:00 | 読書

        29歳 フランスから帰国。
        「あめりか物語」「ふらんす物語」で
        風俗壊乱として 発禁処分にあうも、  
        漱石の紹介で 朝日新聞に「深川の唄」連載。

        31歳 森鴎外の推薦で 慶大教授にもなった。
        当時 学生だった佐藤春夫は こう語っている。
        「講義は面白かった。それ以上に雑談は面白かった」

        この頃、両親のすすめで結婚するが、翌年 離縁。
        その後、芸妓を入籍するも、身内との折り合いが
        わるく 破綻。
        以降、女給や娼婦と付きあうも 妻帯はしていない。

        37歳で慶大を辞して、独り暮らし。
        江戸の文学を こよなく愛し、
        一方でフランス文学への造詣もふかめる。
        関係した女性を 「断腸亭日乗」に列記するなど
        独自の境地へ。

        40代後半から 創作の興味は芸者から女給や私娼へ。
        浅草の歓楽街や 玉ノ井の私娼街に 入りびたるなど
        新境地開拓というべきか。

        一方で 朝日新聞に「墨東奇譚」を連載。
        全集による印税もあり、 豪放磊落な生活。

        ※ 「断腸亭日乗」
          38~79歳の死の前日まで 42年間綴った日記。
          自らの住まいを「断腸亭」と名付けたのは、
          腸を病んでいたことと、花の秋海棠(別名・断腸花)
          が好きだったことに由来。
       
          
          
        
        
        

永井荷風

2020-11-22 09:23:34 | 読書


        永井荷風が逝って 今年で60年。
        もう? というべきか、
        まだ60年しか経っていないと思うか、
        人それぞれ。

        今日は この風変りで しかも下町を愛し、
        江戸文化やフランス文学に造詣のふかい
        人となりに迫ってみたい。

        永井荷風(明12~昭34) 79歳没
        高級官吏の父と 良家の母の下に誕生。
        自らも小・中学とエリートコースまっしぐら。
        幼少から 母に連れられ芝居に親しむ。

        15歳くらいから文学にめざめ 
        高校受験に失敗して 軟派の生活に。
        東京外語大中退。

        本人はこう 回顧している。
        「もし この事がなかったら 私は老人に
         なるまで 遊惰の身にはならず 一家の
         主人として ひと並みの生涯を送ったであろう」

        やがてフランス語を習いはじめ
        歌舞伎の座付き作者になったり、
        落語家に弟子入りしたり、
        反骨精神がめばえる。

        24歳、父の意向で 実業家になるべく 渡米。
        その後、やはり父のコネで フランスへ。
        しかし 父の希望する実業家(大使館や 銀行勤め)
        には なじめず、
        西洋文学 オペラ クラシック ざんまい。

        ※ おなじみの 飄々とした 風貌の荷風

ツタの からま~る

2020-11-14 16:03:39 | 雑記

     日一日と 冬のちかづく列島、
     盛岡(岩手県)の知人からは「初雪」の
     知らせが入った。

     関東は 冷え込む日と、
     今日のように まだ小春日和の日があって
     衣服の調節にも 迷う。

     そんななか、コロナのニュース。
 
     先日、やっと インフルエンザの予防接種を
     してきたが、 果たして どうなのか。

     新型コロナウィルスは 初冬に入ってから、
     各地でまたも 感染者数が 大幅に増加し、
     それが年齢関係なく、各世代に蔓延している。

     これは寒くなったことと、
     空気の乾燥が 影響しているのだろうか。

     さらに気になるのが、新聞によると、
     一度 陽性になった人が、
     再び感染するケースが 増えているらしい。
     (これは ウィルスの変異によるものなのか)

     そうなると、
     ワクチンが開発され、接種できたとしても、
     その有効性は どうなるのだろうか。
     
     しつこいコロナウィルスに、
     基本的な 手洗い、マスク、手の消毒くらい
     しか出来ない 現状。

     あとは 自分の免疫力を高めるくらいしか
     ないのだろうか。

     (散策中、高い塀に 紅葉したツタがからまっている
      家を見つけた)
     

11月5日 その3

2020-11-05 09:55:14 | 雑記

      晶子は誰はばかることなく 不倫の道をまっしぐら。

      やがて「みだれ髪」を上梓した晶子は、
      家を出て、鉄幹のもとに走ります。

      付け加えると、
      前妻が家を出た その日、
      鉄幹は晶子を駅に迎えにゆき、家に入れています。

      与謝野家に古くからいる お手伝いの ばあやは
      「旦那さんは おばけのような女を 連れてきた」
      と、前妻に告げたそうです。
      (晶子は 若い時から 髪が豊富で 乱れがち)

      鉄幹は晶子と結婚して 順風満帆。
      全盛期を迎えます。

      しかし、それは長くは続きませんでした。

      なぜなら 海外から新しい文化が入ってきて、
      『明星』のローマン派(唯美主義)はすたれ、
      自然主義的文学の風潮が はじまるのです。

      これまで『明星』の重要メンバーだった
      北原白秋、吉井勇 木下杢太郎らが こぞって脱退。

      これには 尾ひれがついて、 与謝野家を訪れた
      白秋が 便所の落とし紙に 自分らの原稿が
      使われていて 激怒したともいわれています。

      これだけではないでしょうが、
      雑誌を出すたびに 赤字で 与謝野家の家計が
      ひっ迫していたことは事実。
      
      晶子は歌だけでなく 雑誌や新聞の雑文もことわらず
      必死で 家計補助のために働いていたのですが、
      追いつかなかったようです。

      その後、新聞社から前借して、
      落ち武者のように 覇気のなくした鉄幹をフランス留学
      までさせるのですから 晶子は大した女性です。

      一方の 山川登美子は 帰郷して結婚しますが、
      一年で夫に結核で死なれ、日本女子大に入って
      教師をめざす。
      『明星』にも復帰するものの、
      自らも結核におかされ、29歳で夭折。
      悲運の女「ひと」として 伝説で語られています。
     
      

      
      
      

11月5日 その2

2020-11-05 09:39:57 | 雑記
        「白はぎ」(晶子)、「白ユリ」(登美子)と
        呼び合う女2人は 姉妹のような仲。

        しかし それぞれの状況がシビアであったことは
        確か。

        福井県の旧家に生まれ、良家の子女として
        つつましく育った登美子は、このとき
        親から結婚をせまられ、悩んでいました。

        家父長時代にあって、親の命に背くなんて不可能なこと。
        苦悩の末に 目の前にいる師を仰ぎみて、こんな歌をよむ。

        「それとなく 紅き花 みな友にゆづりそむきて
                        泣きて わすれ草つむ」

        なんとなく 心情がよめる歌ですね。

        それに比し、大阪堺の老舗・和菓子店に育った晶子は、
        「清水の祇園を よぎる桜月夜 こよい逢うひと 
                        みな 美しき」
        と詠んだ後で、
        官能的な歌を ストレートに師にぶつけます。

        「春みじかし 何に不滅の命ぞと ちからある乳を
                         手に まぐらせぬ」
        「やわ肌の あつき血汐に ふれもみで 
                    さびしからずや 道を説く君」

        ※ 写真は 山川登美子

11月5日は何の日?

2020-11-05 09:20:57 | 雑記

      霜月になったと思ったら もう5日。

      11月5日は何の日?
     
      どうでもいいことだけど、 実は
      与謝野鉄幹が若い女弟子2人をさそって
      紅葉の京都・粟田山(あわたやま)に
      一泊した日なのです。
 
      称して「粟田山の一夜」
  
      鉄幹27歳、晶子21歳、山川登美子20歳。

      晶子も 登美子も 歌誌『明星』の投稿者で
      すでに異彩をはなっていた存在。

      2人の女性にとって、
      新詩社という結社を興し、『明星』を率いる鉄幹は
      まぶしくて 仰ぎ見る対象でした。

      二番目の妻との間に長男をもうけた鉄幹ですが、
      妻との関係が冷えてきて、クサクサしていた時期。

      では彼に 下心があった?
      三角関係といった 通俗的な表現をするつもりは
      ありませんが、若い弟子を迎えて
      プレイボーイの血が 湧かないはずはありません。

      じゅうぶん 刺激的な夜。
      3人は 夜を徹して恋歌を交わしあいます。