一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

中華街

2008-04-24 20:48:58 | 名所
 



     横浜中華街は安政4年にあのペリー提督が浦賀に
     やってきたときに、当時の幕府が貿易港として
     定めたのが始まりだとか。
     それから華僑として広まってきたのはご存知の
     通り。

     昨今は農薬入りギョウザ問題の風評被害で、客も
     少ないといわれるが、なかなかどうして賑わって
     おりました。

     中華街に人力車、いつからあるのだろう。     
     浅草で人力車が観光客を乗せて走っているのを
     見たことはあるけれど。
     ただ10分乗って千円というのは高いのか安い
     のか、実際に乗っている人はいませんでした。
    

同窓会

2008-04-19 14:40:18 | 雑記




     先週、学生時代の集まりがあり行ってきた。
     場所は横浜の中華街。
     写真はみなとみらい線から近い「朝陽門」で、中華街
     入口となる。

     数十名いる仲間(学部・専攻同じ)の半数が集まって
     大成功とか。
     それにしてもほぼ42年ぶりというのは、懐かしさ
     より怖ろしい!

     食べて飲んで喋りました。
     実感は、それぞれに人生があったこと。
     当たり前だけど。

     翌日はそのなかの一人が私宅にみえて、またお喋り。
     ぐったりと疲れて2~3日ボーっとしてしまいました。
     体が疲れたというのでなく、時間の経過についていけ
     なかったのね、きっと。

春雨

2008-04-14 13:05:10 | 自然
 



     「春に三日の晴れ間なし」というけれど、このところ
     雨が降って気温もひくい。
     しかし万物を生育させ、百穀を潤すこの雨、なくては 
     人間も自然界もたちまち干上がってしまうだろう。

     花のころの暖かさで、気がついたら庭の木の芽も
     すっかり大きくなってしまっている。
     「木の芽」といえば山椒の若芽をいうように、山椒は
     昔から代表的な香辛料。
     だけど今年もついに「木の芽あえ」を食べないでしま
     ったなあ。木の芽みそは田楽に最高なんだけど。

       春雨や小磯の小貝ぬるるほど
                  与謝蕪村


     

花だいこん

2008-04-07 21:15:24 | 自然
   



      「だいこんの花」ならぬ「花だいこん」
      樹木の下草や荒れた土手などにひっそりと咲いて  
      いる。
      そのさり気なさや、「咲かせてもらっています」と
      いうような控え目な態度は、むしろ人の心をとらえず
      にはおかない。

      アブラナ科で、大根の花に似ているからつけられたと
      いうが、むしろ大根の花を見たことのある人は少ない
      のではないか。
      そういえば昔、向田邦子さんの脚本で「だいこんの花」
      というTVドラマがあったような記憶があるが。

      いうまでもなく、「だいこんの花」は大根という立派な
      作物をみのらせるのにひきかえ、「花だいこん」は
      空疎で、花のみである。
       (大根の方は薹(とう)のたった大根畑で見られるー
       鑑賞には適さない)
      「大根の花」と「花だいこん」
      何か、人生を思わすような比較である。

        月おそき畦おくられぬ花だいこん
                    杉田 久女
      
       

願はくは

2008-04-03 08:08:29 | 自然


      桜が一気に満開になってその余りの早さに心配したが、
      やはり自然はどこかで調節するものなのねえ。
      このところの朝晩の冷えで、まだ充分保(も)っている。

      昨日鎌倉の「猫の家」にいったのだが、いく途中、あちこち
      で桜を堪能することができた。日本にはいたるところに
      桜が植わっていることに気づかされるのも、この時期である。
      夜は家の近所で夜桜見物をした。

      それにしても、月の光の下で爛満と咲きみだれる桜を
      見ると、やはり西行の歌を思い出してしまう。

        願はくは花の下にて春死なん
           その如月の望月のころ
                      (山家集)

      西行は平安末期から鎌倉にかけて出家した僧であり、
      歌人でもある人。
      もとは北面の武士であり、肉食、妻帯をつづけたと
      いうが、その胸中やいかに。

      同時に思うのが梶井基次郎の次の一節である。
 
        花の樹の下には屍体(したい)が埋まっているんだよ。