一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

100歳人生 生きるヒント

2018-03-18 13:51:48 | 人生


         いろいろ調べていて
         昔の文豪、歌人は早死にだと気づいた。

         石川啄木 26歳
         芥川龍之介  35歳(自殺)
         太宰 治   38歳(自殺)
         夏目漱石   50歳

         「人生50年時代」ですからね。
         自死した芥川、太宰は別としても、
         夏目漱石は長生きだったのかもしれない。

         ところが、今や
         「人生100年時代」だ。

         政府ですら
         「人生100年時代構想」
         を打ち出したのですよ。

         こんなことを思うのも、
         美容院にカットしに行って
         五木寛之著の『百歳人生と生きるヒント』
         を見たから。

         そういえば、
         吉野源三郎さんの
         『君たちはどう生きるか』が
         大人気だそうな。
         (私は読んでいない)

         でも、
         これは、あくまでも人生の前半を生きる人への
         メッセージでしょう。

         我々(私)のような青年期、壮年期をとうに過ぎた
         人間はどう生きればいいの??

         五木氏はこういっています。


         50代 下山の人生歩む覚悟を
         60代 生活をリセットする
         70代 下り途中の丘を楽しむ
            70代こそ黄金期

         そして
         80代 しがらみ捨て自由に
            後退する勇気を持ち
         90代 無尽蔵の記憶に遊ぶ

         どの世代にも通じるのは
         群れに身を置きつつも、周囲に迎合せず
         悠然と生きることだとか。

         ああ、果たして……


         ※ 桜に先んじて満開になった
           遊歩道のユキヤナギ         



         

人生は七掛け

2017-09-10 06:52:27 | 人生



       還暦や古稀なんて、ひよっこ。

       ある生命保険(PGF生命)の調査によると、
       今年還暦を迎える男女1000人が、
       「気持ちは46歳、夢もある」
       と答えた人が多かったという。

       「自分の精神年齢は何歳と感じているか」
       という問いには、
         男性 45、9歳
         女性 46、9歳

       肉体年齢は、
         男性 53、5歳
         女性 54、1歳

       と7割の人が
       「還暦を迎える実感がわかない」
       と答えている。

       また、4人中3人が
       「まだまだやりたいこと(夢や目標)がある」
       と回答しており、
       「もう歳だから」とか
       「還暦だから」
       といった世間一般の風潮がいかに時代に
       そぐわないかが分かる。

       一方で、
       「身体能力の低下」や
       「年金制度の崩壊」
       といった老後資金への不安も抱えており、
       定年や子育てを終えてからの長い人生の
       課題も見えてくる。

       この歳になって思うのは、
       老後は急にはやってこない。
       40代、50代をいかに生きるかによって
       60代、70代の人生が決まること。
    
       人生は七掛け、
       古稀を超えた私も、
       上のデータからすれば、
       まだ50代に入ったばかり。

       老け込まないで
       日々、感動することを忘れずに生きたい、
       と切に思う。

  
       ※ 日中はまだ暑い今日の空

       

              

日野原重明さん

2017-07-23 08:27:00 | 人生



       先日(7/18)、
       聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんの訃報を
       ネットニュースでみて、あっと声を上げた。

       105歳であった。
       
       100歳を超えてなお、診察はもちろん、講演会、
       執筆活動、雑誌取材など、多彩な活躍をしてこられた。

       ちなみに早くから人間ドックの必要性を説き、
       「生活習慣病」という言葉をはじめてつかわれたのも
       先生である。

       なにより最期まで現役で活躍されたこと、
       これほど素晴らしい生き方はめったにあるものではなく、
       後につづく者にとっても大きな指標となるだろう。

       氏の「健康長寿の心得」によると、
       「人生の後半開始の60歳からは腹八分。
        70歳からはやったことのないことを創(はじ)め、
        80歳からはよく歩き、若い人と接する。
        90歳になったら心の赴くままに行動し、
        100歳からは よき友を持ってあるがままに生きる」

       ということだそうだ。

       そうかっ、
       70歳はこれまでやったことのないことを創める年なのか。

       私も70歳で、
       これまでのガラ携をスマートフォンに替え、
       72歳でピアノのレッスンをはじめ、
       73歳で読書会を立ち上げた。

       そして、またぞろ、何かをはじめたくなっている。
       でもなあ、やればいいってもんじゃなくて、
       どれだけ続くか。
       
       継続は力なり、っていうじゃない。

       70代もそれなりに懊悩の年頃なのである。
       
       
        

小さな幸せ、重い内容

2013-05-26 14:05:12 | 人生



     一週間ほど前に見た新聞の投稿がずっと重く胸に
     のしかかっている。(毎日新聞2013,5,20)

     それは「父」という題で、こう始まる。
     「父がまた海外旅行に行ったらしい」
     要約すると、以下のように。

     「離婚して家を出てから、父はよく海外旅行に行くよ
      うになった。
      父に付き添っているのが、再婚相手であることを
      (自分は)知っている。
      それが福島から避難してきた女性であることも」

     この「福島から避難してきた」というところに引っか
     かって、私はもう一度読みなおした。
     それから次に目を走らせた。

    
     「父は小さな診療所で多くの人を助ける仕事をしてい
      て、自慢の父であった。
      小さい頃、のどに魚の骨を詰まらせ泣いたときも
      助けてくれた。
      また、いろいろな所に連れていってくれたり、たく
      さんのことを教えてくれた」

     診療所ということはお医者さん?
     やさしいお父さんだったのだろうな。
     さらに続く。

     「そんな美しい記憶も、父が愛人をつくり家を出ていっ
      たところで途切れてしまった。
      父はいま、海外にいって日本にいては見えないものを
      たくさん見ているのだろう。
      きっとそれは素晴らしいにちがいない」

     このくだりを私は、目を凝らして読んだ。
     そして最後にこう結んでいる。

     「父は、もっと小さいけど大切なものを見ていないよう
      な気がする。
      せめて(自分は)小さいけど大事なものを見つめなが
      ら生きていきたい」

     投稿者は「匿名希望 21歳」とあった。

     う~ん。多分この方は、とても素直で感受性のつよい、
     いいお嬢さんなのだろう。
     父が母以外に好きな女性ができて家を出たことも許せ
     ないし、新しい彼女と再婚したことでさらに深く傷つ
     いたのだろう。
 
     そして、父は遠くの大きな幸福をつかんだが、足元の
     小さな幸せを踏みにじったのではないか。
     そう告発しているようにも聞こえる。

     もしも身近にこういうケースがあったとしても、現在
     の私にアドヴァイスする力はない。
     だが、この父なる男性の立場に立ってみると、これを
     是とする自分がいることにも気づく。

     21歳の娘さんを持つ父親なら、おそらく50歳前後、
     または半ばであろう。
     この年齢になると、自分の行く末、来し方を考えるも
     のだ。
     まして、3・11の震災のこともあった。

     だからといって、何をしてもいいというわけではない。
     子を持つ親なら、いくら好きな人ができたからといって
     子供を傷つけていいということはないはずだ。
     身うちだったら、私もそういってカンカンに怒るに決ま
     っている!

     だが一方で、とうてい信じられない理不尽がときどき
     起こるのが大人であり、
     そもそも、社会全般が不合理なこと、不条理に満ちて
     いるのも現実なのだという思いもある。

     せめて出来ることは、
     このお嬢さんがこの苦悩を乗り越えて、いつかお父さん
     の年齢になったときに、いくらか父親の気持ちも分かる
     なあ、ぐらいの大人になってほしいと祈るばかりです。
     ゆめゆめ、
     潔癖感のあまり、堅い鎧(よろい)を身につけないこと
     を。

     いやいや、このお嬢さんは投稿をした時点ですでに一歩
     踏み出していることでしょう。
     結局は自分で乗り越えなければならないのですから。

     ※ 写真はスーパーの店頭で230円で買ったラッキー
       クローバー。どんどん増える。
      (私にとっての小さな幸せ)     
     
     
     

作家 佐多稲子

2012-10-27 18:44:31 | 人生


     その前に佐多稲子について語らなければならない。
     
     佐多稲子 (1904~1998)
     小学校を中退してキャラメル工場で働く。この体験が
     後にデビュー作となった(24歳)。

     なかなかの苦労人で、料亭の女中や丸善の店員なども
     やり、一度結婚に失敗している。
     その後、カフェの女給となり、そこは「驢馬」という
     同人誌の溜まり場で、窪川鶴次郎や中野重治、堀辰雄
     らが出入りしていた。

     稲子は彼ら文学青年たちによって文学の深淵に触れ、
     創作をはじめる。
     もちろん彼らのマドンナだったのだ。
     稲子のハートを射止めたのは窪川で鶴次郎で、結婚後
     は夫の非合法活動を支えるために、稲子が働いた。
     なのに、たびたびの窪川の不倫で離婚。
      
     なんと佐多稲子というペンネームを使うようになった
     のは離婚後のことだとか。
     (それまでは窪川稲子という本名で書いていた)

     私が彼女の作品で一番好きなのは「水」という短編。
     
     東京に働きに出た幾代という少女が、突然の母親の訃報
     に上野駅のホームで泣き崩れるシーンである。

     「グリーンのセーターに灰色のスカートをはいて、その
      背をこごめ、幾代は自分の膝の上で泣いていた。
      …………
      すぐ頭の上の列車の窓から、けげんな顔で人ののぞく
      のも知っていたが、どうしても涙がとまらず、そこよ
      りほかの場所に行きようもなかった」

     稲子58歳のときの作品である。
     文庫本でわずか数ページの短いものだが、これによって
     私は短編の妙味を知った。素晴らしい小説である。

    (写真は手元にある文庫本。この中に「水」が入っている)
 
     

女優 原泉

2012-10-20 19:06:09 | 人生
 


     原泉(1905-1989)
     
     女優・原泉といってもピンと来ない人が多いかも知れ
     ない。だがこの写真をみれば、ほとんどの人が ああ
     と思うだろう。

     主役をはる女優さんというよりか、見事な老け役で
     名脇役といった印象である。
     いつから老け役になったのか分からないが、私が見た
     ときにはすでにおばあちゃん役が多かった。

     (私が)都庁前すれちがったときは鶴のような細い首
     に渋い和服を召していらして、映画やTVドラマで
     見る上品な老婦人そのもの。
     都会の似合う洗練された女性という感じであった。

     なぜ女優・原泉に興味を持ったのか。多分彼女の夫
     がプロレタリア作家であり評論家の中野重治と知って
     からだと思う。

     そう、二人は同士であり、盟友でもあったのだ。
     そのせいか原泉はきれいで可愛いだけの女優という
     より、もの言う女優、ちゃんと考えをもっている役者
     だと思うようになった。

     さらにいえば、中野重治と作家・佐多稲子の関係で
     ある。
     佐多稲子といえば『キャラメル工場から』がデビュー作
     の実力派作家。
     しかもミーハー的にいうと、理知的な美人だ。

     佐多稲子は中野重治の死後、『夏の栞 中野重治をおく
     る』を書いた。
     これは中野のガン闘病記であると同時に、佐多稲子の
     筆力で恋愛小説につくられている。

     いったいどうなっているのだろう。この三人の関係は?
     いずれも理性のある知識人であるだけに不思議でなら
     なかった。 
     

     
     
     
     
       

命の終(しま)い方

2011-09-01 17:44:51 | 人生


    蝉しぐれのなか、一通の訃報をうけとった。
    田坂昴(たさかこう)さんという作家の娘
    さんから。
    
    ここ7~8年はお互いの都合で交流はなかった
    けれど、一時は出版社に集い、勉強会をしたり、
    野山歩きのようなこともした。
    亨年82歳。

    代表作は『三島由紀夫論』(風濤社)で、生前
    の三島本人から「真の知己を得た思い」との
    書簡をもらったというエピソードの持ち主で
    ある。

    娘さんによると、
    人生のほとんどの時間を読書と執筆に費やし、
    墓碑には自筆で「遊 虚空」と書き、奥さま
    には「君でよかった」という言葉を残された
    とか。

    「遺志により家族で見送り降幕」とあるが、
    娘さんから「万年青年」といわれる田坂さん
    の人生は素晴らしく、幸せなものだったのだ
    ろう。
    生前、家族の話など個人的なことは一度も
    聞いたことがないのに、最後にいただいた
    一枚の葉書で、その人のすべてが分かるよ
    うな気がした。    

    これまで何通もの訃報通知をもらい、こちらも
    出した記憶があるが、こんな爽やかな通知を
    もらったのははじめて。
    それだけでなく、故人の人柄をほうふつとさせ、
    もらった方もなぜかほっとする。

    命の終わり方はむずかしい。
    どんなに理知的な人でも自分の始末はできない
    からだ。
    私信ではあるが、田坂さんのご冥福を祈り、
    少しでも見習いたいと思って、ここに掲載さ
    せていただく。
    
    
    
     
   

   
       

逝きてなお

2010-02-17 08:19:00 | 人生


    先週、立松和平さんが亡くなった。62歳の若さ。
    個人的なつきあいはないけれど、
    代表作の1つである『遠雷』を読んだとき、農民
    文学出身の私は同じ匂いを嗅ぎとった。
    また、拙著の長塚節文学賞作品『紫蘇むらさきの』
    のときの選考委員でもあられ、少なからぬ縁を
    感じている。

    その後、新刊が出るたびにお送りしているのだが、
    立松さんは年中旅をしていて、かわりに奥様が
    「立松は旅から帰ったら読むと思いますよ」という
    やさしいお手紙を下さるのだった。

    そう、立松さんは行動派の作家だった。その点、
    ひきこもりの私は真似しようにもできない。
    知床に山小屋を建てて通いつめ、鉱山開発で荒
    廃した足尾の山に木をうえ、『毒ー風聞・田中
    正造』をものした。
    だが、まだTVに出る前に書かれた初期の作品も
    捨てがたい。
    坪田譲治文学賞をとられた『卵洗い』は地味だが、
    私の最も好きな作品の1つである。

    亡くなったが、まだアフリカかどこかを旅してい  
    て、あるときひょっとTVに出たり、ラジオで
    声を聞くような気がする。
    そういえば、訃報から2~3日後の新聞の川柳欄
    にこんなのがあった。
      逝きてなお立松節は耳の奥

    写真は新・根津美術館のエントランスホールに
    ある仏像。
    立松さんとは関係ないが、どこか風貌が朴訥な
    作家に似ているような気がして掲載した。
     
  

    

人生の採点

2007-01-23 14:09:16 | 人生
去年の暮れだったか、新聞でこんな記事を見ました。

団塊世代450人にこれまでの人生を自己採点してもらったところ、

男性 66.6点
女性 72.7点  (博報堂の調査)
  
という結果。
なんと女性の8割、男性の6割が70点以上をつけ、
「最も幸せだった時代は20代」と答えたそうです。

そういえば同じ年代のシルバー世代が集まると、
「もう一度20代に戻りたいわ」
という話になることも確か。
そうかしら。
へそ曲がりの私はこう言わずにはいられません。
「あの懊悩のはげしい20代なんて、こりごり!!」
20代には、青臭い苦悩や出口の見えない迷いが付き物
だからです。快楽だけの若さ……なんて、無いでしょう。
もっとも私が20代が最も不幸だったというだけの話かも
しれませんが。

で、そちの採点はといわれると、
 51点
かな~。
これは私自身への不満や不足があるからですが、天の神様に
対し、不遜かな?と思うと複雑です。
あるがままに生きているだけで幸せ、という考えもあるからです。



一枚の葉

2007-01-16 18:01:40 | 人生
「一枚の葉」は小倉遊亀(ゆき)さんの言葉というより、彼女が
若い頃、師の安田靱彦(ゆきひこ)氏から受けた教えだそうです。

「一枚の葉が手に入れば、宇宙全体が手に入る」

それ以降、「一枚の葉から宇宙が見える」という思いで画業に
励んだとか。

小倉遊亀さんは2000年7月、105歳で亡くなりましたが、生涯現役
で、作品は東京および京都の国立近代美術館や、滋賀県近代美術館
などに展示されています。

また、
「老いて輝く。60歳台は修行。70台でデビュー」
ともいっておられ、この強靭な肉体、感性豊かな心と頭脳には驚
くばかりです。

せめてこの言葉にあやかって、「一枚の葉」が書けるよう、精進
したいもの。ホームページ、ブログともに未熟な私ですが、これ
からもよろしくお願いします。