一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

「深夜特急」その2

2020-10-25 11:27:15 | 

      吹きあげられるような エネルギーと狂気。
      沢木の旅は 身も心も 自由。

      現在、コロナ禍もあるけれど、
      もはや バックパック一つ背負って
      異国を一人で歩くなんて叶わなくなった いま、
      なおさら 「深夜特急」は輝きを増すのである。

      そしていま、73歳になった沢木は 
      こう云いきるのである。

      「一人で生きていける」と 「一人で旅ができる」
      とは おなじこと。
      「旅も 人生も 深めるなら 一人」と。

「深夜特急」

2020-10-25 11:13:01 | 


       1980年代から90年にかけて、
       まだネットなんか無い時代、
       バックパッカーのバイブルとなった
       沢木耕太郎の『深夜特急』は
       いまも 広い世代に 読み継がれている。

       アルバイト代をためて買った 
       格安航空券を握りしめて、
       ユーラシア大陸を横断。

       乾いた風のなかを疾走する長距離バスに乗り、
       雨に降られ、異国の言葉や 風習のあふれる
       路地裏の匂いを嗅ぎ、
       現地の人々のなかに溶け込んでいく。

       たとえば 
       第3巻の「インド・ネパール」編ではこう書いている。

       「風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。
        そうやって〈私〉は やっとインドに着いた。
        カルカッタでは路上で突然 物乞いに足首をつかまれ、
        ブッダガヤでは最下層の子供たちとの共同生活。
        ベナレスでは 街中で日々 演じられる生と死の
        ドラマを見せられ、
        やがて、〈私〉は一つずつ自由になっていった」
       

ところ変われば

2016-12-24 10:32:50 | 


        今日はクリスマス・イヴ。

        わが家はそれどころではないのだが、
        クリスマスにふさわしい話題を。

        「フランダースの犬」の物語は今の季節に最終章を
        迎え、クリスマスに終わる。

        子どもたちが幼稚園か小学低学年の頃、TVアニメ
        を見て、親である私も涙をさそわれたものだ。

        貧しい祖父と二人で暮らすネロは、同郷のルーベンス
        にあこがれ、画家への道を夢みていた。
        しかし、アロアと遊ぶことを禁じられ、おじいさんは
        亡くなり、放火の疑いをかけられて仕事も失い、
        住んでいた小屋を追い出され、すべての望みを託した
        絵のコンクールにも落選。
        
        ついにはルーベンスの絵の前で、愛犬のパトラッシュ
        と共に力尽きる。
        ネロの最期のことばは
        「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ……。
         なんだかとても眠いんだ……パトラッシュ……」
        というものだった。

        そして、パトラッシュが寄り添うと天使たちが舞い
        降り、ネロと愛犬の魂を天国へ誘(いざな)う。

        このシーンは今でも思い出すと涙が出る。


        原作は英国の作家ウィーダで1872年に書いたもの。

      
        ところが、所変われば品変わる。
        米国ではこの悲劇がハッピーエンドに変わるのだとか。

        日本では「他人の悲しみに共感する能力」や「感動的
        な自己犠牲」が尊ばれ、悲劇的な結末が好まれる。

        一方、「厳しい状況から抜けだして幸運をつかむことや
        自己実現の大切さ」を重んじる米国では、
        ネロが裕福な家庭に引きとられ、幸せに暮らすという
        映画になったそうだ。

        果たして……
        悲劇かハッピーエンドか、
        子ども向け云々をいう前に、文学作品としての価値は
        どうか。
        意見が分かれるところである。

        ※ 家にあった絵本より


        

        
        

~暑さかな

2015-08-08 14:54:01 | 


     何よりも食事、睡眠を最優先に
     している。
     そのせいか熱中症も大過なくおさ
     まってくれているが、
     周囲にはクーラーのかけすぎか
     夏風邪で医者にいったり、
     体調を崩している人が多い。

     決して決して油断なさるな、とい
     う感じである。
     所要で鎌倉の街に出て大仏さまの
     横を通ったら、この暑さにもかか
     わらず観光客がたくさんいた。

     そういえば正岡子規が「暑」に
     関する句を詠んだのは明治26年
     のこと。

     「大仏を見つめかねたる暑さかな」

     実際の大仏さまも熱にとろけそう
     だった。
     子規には他にも「暑い」句がある。

     「裸身(はだかみ)の壁にひっつく   
                暑さかな」
     「上野から見下ろす町の暑さかな」


     やせ馬が尻を並べても、馬車が道
     をふさいでいても、道に瓜(うり)
     の皮が散らかっていても、海士
     (あま)の家で干魚がにおっても
     感じたのは「暑さ」であった。

     病身の子規は
     「腹痛に寝られぬ夜半(よなか)
              の暑さかな」
  
     とも詠んでいるから、よほど身体に
     こたえたのだろう。

     
     さぞかしこの年は暑かったのだろう
     と思いきや、観測記録では最高気温
     が34・4度。
     今でいう猛暑日は一日もなかった。     


     いまや35度を超える猛暑日は
     当たり前、東京だけでも連続10日
     くらいになるのではないだろうか。

     2~3日前のニュースだけでも熱中
     症で入院となったのは4000人以
     上。
     すでに25人が亡くなっている。

     いやはや何をしても何を見ても
     命がけの「暑さかな」である。

     ※ 散歩中に見たねむの木

     

帰路

2014-09-21 14:41:33 | 



      9月某日、
      帰路につきました。

      夕方の航空券を予約していたのですが、
      なぜか、離陸が30分も遅れました。
      お天気もよく、なんら事故もなかった
      はずですが、搭乗したまま待たされた
      のです。


      普通、遅れる理由が流されるはず。
      どこか調子が悪くて点検中とか、
      向かうはずの空港の天気がよくない
      とか。
      

      あれ、おかしい?
      もうとうに離陸していると思ったら、
      まだ福岡空港にいたのだ。
      
      

      どうやら、私の方が乗ってすぐ爆睡
      したらしい。
      その間にアナウンス(?)があったの
      だろう。

      ま、それでも無事に離陸して、
      乗ってから2時間以上かけて羽田に
      到着しました。


      ところが、そこでハプニング!
      「お客さまのなかで急病人が出たので
      その方を優先しますので、一般のお客
      さまは、いましばらくお待ちください」

      機内は満席で、200人も乗っていたで
      あろうか。比較的、後部席にいた私から
      は何もみえない。
      いそいで荷物を上の棚から下ろそうとす
      る乗客を制して、アナウンス。

      「車椅子が通りますので、通路をあける
      よう、ご協力をお願いします」

      「いましばらくお待ちください。
      救急隊員が参りますので、みなさまは
      お席でお待ちください」

      かれこれ20分くらいかかったであろうか。
      その間、乗客はじっと待った。
      誰も不服をいうものはいなかった。

      
      私はふと、ハイジャックに遭ったときの
      (遭ったことはないが)
      ことを思い出した。

      ようやく
      「みなさま、お急ぎのところ大変ご迷惑
      をおかけしました。
      急病人は無事、救急隊員の方に引き渡す
      ことができました。
      みなさまにはこれからお降りいただきます」
      とのアナウンスで、
      みな一斉に乗降扉へ。

      
      帰宅したのは深夜。
      予定より2時間ちかく遅れました。

      帰ってからメールのチェック等々で、
      まだ落ち着かない。

      お会いした方、お話を聞かせて下さった方、
      資料を提供して下さった方……
      たくさんのお世話になった方々を思い浮か
      べて、まだ荷物の整理もできていないの
      です。


      ※ 写真は門司港あたり?
         
     

      

      
      

行ってきました

2014-09-20 16:38:23 | 


      出かけるまで波乱含みだったが、
     (会うべき人が体調が悪く会えないなど)
      とにもかくにも行ってきました。

      早朝の羽田空港は連休のため、乗客で
      びっしりです。
      用心のため早めに出かけたため、少し
      余裕ができ、待合室のマッサージ機で
      緊張をほぐすことに。

      200円を投入し、リモコンらしき
      もので「おまかせ全身マッサージ」を
      えらんだのだが、なんとお粗末。
      肩甲骨のあたりと、脚のふくらはぎを
      (左右に)もみもみするだけで、
      ちっとも気持よくない。
      
      「これって、全身?!」
      ちょっとがっかりして機内へ。

      羽田ーー福岡間は約1時間50分の
      フライト。
      でも、早起き(3時半起床)したので
      ちょうどいい眠りの時間でした。

      福岡空港から地下鉄で博多駅へ。
      そこで人と待ち合わせて、
      1日のスケジュール確認をすることに
      なっています。

      その日は2組の取材をすることになって
      います。
      緊張の高まる往路でした。

     ※ 富士山は見えません。
       雲の上に出ると、宇宙を感じます。
      

トンネルを抜けると

2012-12-08 17:37:06 | 


      福島に行ったのは新橋の会合の翌朝。
      場所が中華料理店だったので、前日の昼から
      飲んだ紹興酒が心配だったが、
      (少し控えめに飲んだこともあって)
      なんとかクリアした。

      以前にも書いたが、常磐線なら直通のところが
      鉄路が3・11以来封鎖されたままなので、
      東北新幹線で福島までいって、そこから高速
      バスに乗るという迂回方法をとらなければな
      らない。

      新幹線だと東京駅から福島駅まで1時間半。
      そこから南相馬市までバスで2時間なのだが、
      どうしてもバス発車までかなりの待ち時間が
      出る。(バスは1日4往復)

      ま、ロスというか、近頃はそれを逆手にとって
      コーヒーを飲みながら本を読むことにしている
      のだが。

      東北新幹線は山間地帯を走るのでトンネルも
      多い。
      東京駅を出発して1時間、郡山の手まえから
      もう雪景色になって、福島到着の頃は真っ白に。

      現地の人は慣れているから平気な顔をしている
      が、すっかり軟弱になってしまった私は首をす
      くめて、すべらないよう転ばないよう、へっぺ
      リ腰(これって標準語?)で歩く始末。

      コートの襟を立ててバス待ちしていたら、同じ
      年代の女性がいらして、埼玉の避難先から相馬
      の家に行くところだという。
      「避難先はどこ?」
      と聞かれて、とっさに言葉が出なかった。

      相馬は太平洋に面しているので、さすがに山側
      の福島ほどではなかったが、今冬初の降雪で
      日陰には白いものが残っていた。

      で、肝心の取材は、 
      中央図書館で詩人の若松丈太郎さんにお目にか
      かり、有意義なお話をうかがい、貴重な資料も
      たくさんいただいてきました。

      本は東京にいても手に入るのだが、関連資料や
      それにいたるまでの経緯、エピソード、苦労話
      等はやはり直接お会いしないと得られない。
   
      書く上で、そういったものが案外生きるので、
      労を惜しんではいけないということでしょうか。
      いつも横着で安易な道ばかり選んでいる私は
      反省しきりなのです。  

      
      目下はそれの整理、いただいた資料に読みふけ
      っているところです。

      (写真は高速バスからみた福島市街の雪景色)
      
      
      

      

      

      
      
      

      

こんな時、読書

2012-11-04 19:35:52 | 
     

     10月末、郷里の福島(南相馬市)で不幸があり、
     急きょ帰郷した。(人の死はいつも急である)

     震災前なら迷うことなく上野から常磐線に乗るのだが、
     復興の見通しは皆無なので、さあ困った。
     結局、東北新幹線で福島駅まで行き、そこから川俣ー
     飯館ー相馬ー(南相馬市)原町に入ることに。
     
     列車が福島駅に近づくと見えるパノラマの光景。
     奥羽山脈に囲まれた福島盆地が一目瞭然である。
     私が最も好きな新幹線ビュースポットなのだ。

     しかし今回はそれに見とれている場合ではない。
     南相馬市に行くバスは1日4本。
     約一時間余のバスの待ち時間がある。
     (あらかじめバスの時刻は調べてあったのだが、
      東京駅で早めの新幹線に乗ったため)

     
     駅前のカフェでコーヒーを飲みながら文庫本を
     1冊読破。
     こういったツナギの時間がいつもより読書に集
     中できるのはなぜだろう。
     ぽっと降りた駅……
     知った人のいない駅……
     さしあたって何もすることのない駅……

     (新幹線の窓から撮ったため少しブレている)
     
     

ひびき灘(玄界灘の一角)

2012-07-28 18:54:03 | 



      まだ原稿は完了とまではいかないのですが、
      (細かいところのチェックや編集者との突き合わ
      せ、森崎さんとの最終確認が残っている)
      途中経過ということで報告させていただきます。
      

      九州一帯を襲った大雨で延期にはなったけど、
      (7月半ばという時期もあって)
      心配した飛行機もなんとか取れて、ぶじ福岡へ。
      スタッフも1人同行したので、お互いのスケジュ
      ール調整に難航したのです。
 
      福岡空港からはいったん博多駅に出て鹿児島本線
      に乗り、最寄りの駅に。
      そこからタクシーでお宅へ。
      やっと、やっと森崎和江さんに会うことができました。

      駅から電話すると、なんと森崎さんは家の前に出て
      待っていてくれたのです。
      そのままタクシーで国民宿舎「ひびき」へ。
      
      昼食を食べながらさっそく取材を開始しようとし
      たら、
      (何しろこちらは聞きたいことがたくさんある!)
      森崎さんが「もうはじめるのォ」。

      そうですか、そうですかというわけで、彼女の話
      を聞いていると、どれもこれも得難い(取材対象に
      なる)お話ばかりです。

      この国民宿舎「ひびき」は玄界灘の「響(ひびき)灘」
      に面していて、歴代(笑)森崎さんを取材する編集者
      や記者たちはここに泊って記事を書かれるようなの
      です。
      
      壱岐、対馬も近い真っ青な海を目の前にして、テーブル
      にはビールと玄界灘でとれた魚介の刺身。
      遊びできたならどんなにいいか。

      仕事を忘れてはいけません。
      森崎さんは、当時日本の植民地だった朝鮮で生まれ、
      17歳まで育っている。
      福岡に引き揚げてきてからの話だけでもういっぱい。

      谷川雁との出会いは場所をうつして、聞きましょう。
      ということで、こんどは森崎さんのお宅に移動しました。

      写真はその途中、車の中からみた「ひびき灘」。
      
      
          
      
      

会津は雪だった

2012-04-09 21:28:32 | 


      ある会合があって会津若松までいってきた。
      関東はあたたかな陽気で、桜はほぼ満開に
      ちかく、花見日和である。

      まずは東北新幹線で郡山へ、そこから磐越
      西線に乗りかえて終点の会津若松へ。
  
      スムーズにいくはずが新幹線のダイヤが変
      わっていたのか(調べてチケットを取った
      のは3月末)
      東京を出発するのが10分遅いぶん到着も
      遅れて、磐越西線は出た後でした。
      次の列車は1時間20分後。

      会合の時間までに見たいものもあるので、
      ここで時間のロスはしたくない。
      聞いたら直通のバスがあるというので、列車
      の切符(通して買ってしまった)は無駄にな
      るけど、急遽変更してバス乗り場へ。

      すでに新幹線に乗っている頃からアヤシク
      なった天気は、ますますどんよりとして、
      何だか福島に入るのを拒否されるような、
      または諌められたような感じだった。

      高速バスは1時間20分の工程。
      途中眠くなって(朝4時起きだったので)
      うつらうつらして起きたら、周囲は写真のよう
      な雪景色になっていました。
      ちょうど猪苗代を経過すぎるところだったみた
      いです。
      このあたりでも猪苗代付近は標高がたかく、気温
      も低いのだろう。
      (ちなみに帰りに乗った磐越西線でも、やはり
       「猪苗代駅」付近はこんな雪景色だった)

      さすがに(会津若松)市中にはいったら、これほ
      どの雪はなかったけど、雪の切片が舞っていた。
      関東はぽかぽか陽気で花見だ、花見だとうかれて
      いるというのに、
      (個人的にうかれているのではない、
       そういう雰囲気だった)
      こちらはまだ蕾もふくらんでいない。
      
      それにしっかり着こんできた冬のコートでも寒い。
      常日頃、被災地にあれこれ思いを馳せているつもり
      だが、机上の空論をしていたのかもしれない。
      改めて避難している人たちの厳しさを思った。