一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ガラコンサート

2020-01-11 09:59:03 | 芸術



           昨年のことになるが、
           暮れも押しつまった29日に
           コンサートに行った。

           「ファンタスティック・ガラコンサート」
                  於・神奈川県民ホール

           「ガラ」とは「祝祭」といった意味。

           それにふさわしく、
           オーケストラの演奏にくわえて
           オペラあり、バレイありで、盛沢山。

           指揮者は、かの有名な松尾葉子さん。
           2時間半の演奏をすべて指揮するのだから、
           エネルギッシュで、かつユーモラスで、
           そのタフさにも感嘆した。

           私のお目当ては、
           プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の一曲、
           「誰も寝てはならぬ」
           である。

           カラフ王子が歌うアリアは切々として、
           堂々としていた。

           それにくわえれば、
           オーケストラの第一バイオリン奏者の演奏の
           素晴らしいこと!!
           
           (後でチラシでみると、
            「首席コンサートマスターの石田泰尚」さん
            とある)

           ほかのテノール、バリトン、ソプラノの歌手、
           それに男女のバレエダンサーも、
           みなさんそれぞれの世界の第一人者。

           日頃からみなさん、どれだけ精進努力して
           (幼いころから)
           さらに摂生もしてコンサートにのぞんでおられるか、
           人生老いやすく、
           芸術のみちはけわしい。

     

           だけど、そんなことを微塵もみせない、
           華麗なコンサート。

           満席の客席からは惜しみない拍手がおくられ、
           私も心から堪能させていただいた。
        
           あれから年をまたいで10日以上たった今でも、
           まだあの感動がふつふつと沸いてくる。

           
                      

雪の日

2018-01-24 12:53:12 | 芸術


        22日(月)の昼ごろから降り始めた雪は
        あれよあれよという間に積もって
        一面、こんもりとした雪景色に。

        いやあ、焦りました。

        出かけなければならない所があったので。

        車で行けるかな~。

        歩くにしても、
        しきりと降る雪に臆してしまって
        ふんぎりがつかない。
        風も出てきたし……。

        というのも、
        いま乗っている車、
        スタッドレスタイヤにしていないのです。

        前の車は用心してスタッドレスタイヤにしたら、
        一度も雪に遭わなかったので~。

        そんなこんな思っている間にも、どんどん降り
        積もってくる。

        えいやっと、車で出かけました。

        ああ、怖かった。

        大通りは全く心配なかったのですが、
        車があまり通らない路地が危ない。
        とくに家の近所が。

        そろりそろり運転して、
        なんとかわが家にたどり着きホッ!

        恐怖が倍増したのは夜になってTVのニュースを
        みてからでした。

        都心では、
        スリップして動けなくなくなったり
        車と車が衝突する事故が続出。

        
        翌朝、雪はやんでるし、どうしようか?
        と思いつつ、いつものウォーキングに出ようと
        したら100㍍もしないうちに引き返しました。

        長靴の足がスポッスポッと雪にめりこんで
        進まない。

        その時点で万歩計は150歩。
        
        いくらなんでも日中、家の中を歩いて少しは
        歩数をかせぎましたが、
        いやはや、笑ってしまいました。

        そして今日(水)、
        昨日の挽回をすべく、
        地元の図書館と買物にちょっと遠回りしたら
        お昼時点で 13713歩。

        でもなんだか具合が悪いのです。

        風邪でもひいたのかな?

        薬を飲んで様子をみましょう。

        夕方から鎌倉の街まで行く用事があるので
        なんとかもってほしい。
  

        ※ 車窓から撮ったので ちょっとぼけた写真
          
  

ボッティチェリ

2015-04-18 15:14:38 | 芸術


     いま渋谷で「ボッティチェリ展」をやって
     いる。
     とても時間をとって観る余裕はないのだ
     が、先日出かけた折に渋谷を通ったの
     で、 あえて途中下車して寄ってみた。

          
     15世紀、花の都フィレンツェでは銀行
     家であったメディチ家の支援をうけ、
     芸術家たちが数々の名作を生み出した。

     ルネサンス期の芸術の誕生には、地中海
     貿易と金融業によって財をなしたフィレ
     ンツェおよび、メディチ家の資金力が不
     可欠だったのである。

     メディチ家の寵愛をうけたボッテチェリ
     (1445-1510)
     に代表されるフィレンツェ・ルネサンス
     はフィレンツェ金融業の繁栄が生み出し
     た代表的な文化遺産といえよう。

     解説を読みながら名画をみて、思った。
     巨大な財閥がスポンサーとなって芸術の
     ルネサンス期をつくったのだとしたら、
     現代のような時代は、後世に残る芸術
     など生み出すことはないのだろうか。
     

     ちなみにボッティチェリとは「小さな
     樽(たる)」を意味するのだそうだ。
     お兄さんが太っていたため、弟につい
     たあだ名だったとか。

     ※ 写真は「聖母子と二人の天使」
      「ボッティチェリとルネサンス展」は
      渋谷Bunkamuraザ・ミュージ
     アムにて6月28日まで
      

球体関節人形

2014-06-21 18:37:13 | 芸術



       横浜そごう美術館で、かねがね気に
       なっていた四谷シモンの人形展を
       観てきた。

       四谷シモンは1944年生まれだか
       ら、ほとんど同世代である。
       この年代の人(男性)が人形に興味
       をもったのはなぜなのか、
       そのあたりを探りたかったこともあ
       るが、
       目下、私のテーマである渋谷龍彦が
       シモンの人形をこよなく愛していた
       からだ。

       資料によれば、
       シモンはタンゴの楽師である父と、
       ダンサーである母のもとに生まれ、
       仕事で留守がちな両親が寂しくない
       ように人形を与えたのが最初だと
       いう。

       一時、役者などもやったが、人形は
       12歳のときにすでに作っていたら  
       しい。
       その後、試行錯誤して球体関節人形
       にたどり着いた。

       球体関節人形とは、
       関節に球体を用いることによって、
       手足などを自由に動かせる人形。
       日本ではドイツの人形作家ハンス・
       ベルメールなどによって紹介され、
       四谷シモンらによって広められた。

       とはいっても、女の子が人形遊びを
       するような可愛らしいものではなく、
       どちらかというと、大人が愛玩する
       ような人形がほとんどだ。
       (写真のは最も愛らしい人形)

       しかし、渋澤龍彦だけでなく、
       演劇の唐十郎、画家の金子国義、
       写真家の篠山紀信らのファンが多く、
       何か惹きつけるものがあるのだろう。

       中には機械が(わざと)丸見えの
       グロテスクな人形がいくつかあって、
       私はいまいち、分からないのだが、
       下記のことばをみたとき、
       ふっとシモンという人形作家を少し
       理解できた感じがした。

    
       「もし僕に哲学的、宗教的なものが
       あるとしたら、人形を作ることでしか
       あらわせない」

       シモンにとって人形を作ることは
       生きることなのだ。
       
     

       
       

愛は霧のかなたに

2014-04-12 17:06:04 | 芸術


     新たな万能細胞「STAP」細胞」の論文
     に不正があったとされる問題で、理研の
     小保方晴子さんが反論会見をひらくなど、
     何かと話題になっている。

     私はこの問題に対して何ら語る材料を
     持ちあわせていないが、
     若い女性研究者の芽がこれで折れてしま
     うことがないよう、願うばかりである。

     ふと、いつかDVDで観たアメリカ映画、
     「愛は霧のかなたに」を思い出した。

     アフリカの奥地でマウンテンゴリラの
     保護に半生を捧げた女性学者ダイアン・
     フォッシーの実話を映画化したもので
     ある。

     マウンテンゴリラが絶滅の危機にさらさ  
     れていることに危惧を抱いたダイアンは、
     婚約者をのこし、単身、中央アフリカに
     渡る。
     しかし、同行するはずだった動物学者は
     他の地域にいってしまい、ダイアンは
     自ら現地ガイドをやとい、調査を開始
     する。

     いくつかの困難を乗り越え、ようやく
     ゴリラの生態をつかみ、彼らとの交信
     もできるようになったのだが……。

     ある日、密漁者によってボスゴリラまで
     殺される事件が起きる。
     ダイアンはゴリラを思う余り、密漁者の
     テントに火を放つなど、
     徹底した攻撃に出た。

     こうした過激なやり方が現地の人に
     受け入れられるはずもない。
     ついに、
     ダイアンは18年過ごした小屋で、
     何者かに惨殺されるという悲惨な姿で
     発見された。

     ”森の思索者”ゴリラに魅せられた
     若き女性学者の死、
     非業な最期といったいい方でいい切
     れるものではない。

     ダイアンを殺したのは何者だったのか、
     真相もまた霧の中である。
     

2014-02-01 20:48:52 | 芸術


     時々風邪をひいたり、漢方でいく湘南鎌倉
     病院の廊下(通路)にはいくつかの絵が掛
     けられている。

    
     最初は通りすがりに(何しろ病院なので
     観賞する余裕はない)ちらっと見るだけ
     だったのだが、それにしても……
     普段病院やホテルなどで見る絵とは異色
     だなあ、と思っていた。

     よくよく見ると、若手の絵描きさんの絵
     で、いずれもそれなりの賞を獲った、
     いわゆるセミプロという人たちの作品
     なのである。

     以来、病院にいって長い待ち時間の間、
     作者のプロフィールをみながら、絵を
     眺めるのが楽しみになった。

     共通していえるのは、功成り名を遂げた
     画家とはちがって、軽みがあるというこ
     と。
     軽みとは、いい意味での洒脱さで、
     これは立派な画家の描いた絵には決して
     ないものなのだ。

     小心者の私は、大画伯の描いた絵を前
     にすると、どうも気持が委縮してしま
     って、うっかりどこがいいの?なんて
     とても云えなくなります。
     こっちのセンスが疑われるような気が
     してしまって……。

     その点、セミプロとはいえ新人の絵は
     らく~に楽しめます。
     いやあ、どれもこれもいいのです。

     なかでもピカ一は、
     藤山昇代さんという娘さんの犬の絵。
     タイトルは
     「犬(ともだち)」

     プロフィールの写真によると、藤山
     さんは肢体が不自由で、尚且つ、
     他にも障害を持つ女性だとか。
     しかし、単色の色づかいといい、犬の
     構図といい、いくら見ても飽きない。
     過去には(他の作品でも)数々の賞に
     輝いている。

     大胆でシンプル。
     タイトルもいいですね。

     
     
     ※ 写真は館内の照明のため、
     尻尾のところに光が入ってしまいました。
     鼻のところにあるのも「非常口」の照明
     が映ってしまったのです。
     何回撮っても上手くいきません。
     (実際の絵はもっと素敵です)
    
  

かぐや姫の物語

2014-01-23 14:50:19 | 芸術


     1月に入ってジブリ作品「かぐや姫の物語」
     の映画をみた。

     ゆるやかな音楽とわらべ歌ではじまったが、
     最初から「姫の犯した罪と罰」という副題
     が気になった。

     ある日、翁は竹を取りにいって光る竹から
     愛らしい赤ん坊を見つけた。
     抱いて帰ると、媼も大喜び。
     「でもどうやって育てるの」
     あらら不思議、もう年寄りの部類に入る媼
     の胸がウ、ウ、ウとうずき乳が出始めた。
    (一説には乳母を見つけたという説もあるが)

     かぐや姫はたった3ヵ月で美しい娘に成長
     した。
     その間、翁が竹やぶにいくたびに小判が
     ざっくざっく入り、いちやく金持ちになっ
     た一家は都に引越すことに。

     すると娘の噂を聞きつけた男どもが次々と
     現れ、いずれも吾こそは娘の婿にふさわし
     いと求婚をはじめた。

     嫁になどなる気のないかぐや姫は5人の男
     に無理難題を吹きかける。
     ここらあたりはご承知だと思うので省くが、
     なんと男たちは娘に提示された無理難題を
     手にするために一人残らず死んでしまう。

     「姫の犯した罪」とは何か。
     欲望をむき出しにした男たちを死にやった
     ことだろうか。
     そうではあるまい。

     もう一つ、帝から求婚されていたのです。
     入内すれば翁(父)も官位を受けるという
     もので、これを拒めばどういうことになる
     でしょう。

     姫は憂鬱でした。
     あかるい秋の夜、もろもろの思いに心囚わ
     れ、ぼんやり縁先に立ち……。
     姫は何年というものほとんど外出していま
     せんでした。家の外には美しい姫を一目
     見ようとする輩がうろついているからです。

     あまりの気持ちのよさに垣根の萩の花に
     ふらふらと近づいたところで、
     姫はふと袂をとらえられ、抱きすくめ
     られていました。
     
     目の前には人の顔、それも男の顔が迫って
     いた。思わず片手で顔を蔽いましたが、
     そのときはじめて、自分の胸がはげしく
     高鳴っているのに気づいたのです。

     
     その場は目をつむって消えうせるという術
     をつかって難なく逃げおおせたのですが、
     そう、姫の「罪」とは男女の性愛を(意識
     だけでも)知ったことでしょう。

     かぐや姫は悟りました。
     こんどの満月の晩に月に帰らなければなら
     ないことを。

     思えば、地上にあった20年ちかい年月の
     うち、翁、媼とともに幸せだったのは、
     最初の3ヵ月にすぎません。
     成人したとたん受難がはじまりました。
     
     かぐや姫はこの世の富や欲望、男女の性愛
     といった問題に直面するために人間界に
     堕されたにちがいありません。
     これこそ、姫の「罰」というのでしょう。

     最後のシーン、月から迎えにきて涙を流す
     姫。使者のもってきた羽衣をかければ
     姫の地上での記憶も失くなってしまうので
     す。

     音楽とゆったりしたわらべ歌がながれ、
     このシーンでは涙が出ました。
     観てすぐよりもしばらく経ってからいろ
     いろ考えさせられるアニメ映画です。
     
     

     

長江哀歌(エレジー)

2013-10-15 17:23:26 | 芸術


     亡くなった山崎豊子さんの骨太い小説のこと
     を考えていたら、いつかみた中国の「長江
     哀歌」という映画を思い出した。

     2006年ベネチア国際映画祭でグランプリ
     を獲った作品。
     ダム建設により水没する古都の人々を描いた
     人間ドラマだ。

     長江・三峡。
     炭鉱夫の男は16年ぶりに故郷に帰ってきた。
     だが街は三峡ダムの水底に沈み、知った人は
     誰もいない。
     男は古い建物の解体作業をしながら、妻子を
     探しはじめる。

     一方、三峡を悲しみの目で眺める女性がいた。
     その名はシェン・ホン。彼女は三峡の工場に
     働きに出て2年間音信普通の夫を探しに山西省
     からやってきたのだ。

     いつくかのつてを頼りに探し訪ねると、夫は
     ある女性と親しくなっていた。
     シェン・ホンは好きな人ができたから離婚して
     欲しいと嘘をついて一人で帰る。

     さて、炭鉱夫の男は妻と再会できたが、妻は
     兄の借金3万元をかたに取られ、逃げように
     も逃げられないでいた。
     
     炭鉱夫はそのお金をつくるために炭鉱にもど
     ることを決意して港に向かう。
     そのシーンで映画は終わる。

     どこにでもあるようなドラマだが、長江とい
     う背景が壮大で、三峡で働く労働者は荒っぽ
     い反面、非常に情にもろく、人間的で面白い。

     このドラマティックでスケールの大きさは、
     山崎豊子さんの描く小説につながるとも
     思った。

     

     

シェルブールの雨傘

2013-05-05 18:11:50 | 芸術


    ゴールデンウィークもいよいよ終盤となった。
    これまでは客を案内したり、出かけて人と会うこと
    が多かったのだが、そろそろ元に戻さなければなら
    ないと思い、今日はあえて一人行動をすることにした。
    

    鎌倉に出ていくつかの用を足し、最後に川喜多かしこ
    映画記念館で「シェルブールの雨傘」を。
    (チケットは前もって買っておいた)

    近頃はとんと聞かないが、ひところ毎日のように聞
    いた(ような気がする)哀切な音楽である。

    1963年、フランス映画
    場面はシェルブールという港町。
    16歳のジェンヌヴィエーブ(カトリーヌ・ドヌーブ
    主演)と20歳のギイの悲恋物語である。

    ジェンヌは傘店の一人娘なのだが、母親は自動車整備
    士で低賃金労働者のギイを快く思っていない。
    そんなある日、ギイに召集令状がきて、最後の夜、
    若い男女は結ばれる。

    一人シェルブールに残された娘は彼からの手紙を心
    待ちにするのだが、それもだんだん間遠になって、
    食べ物も喉を通らなくなる。
    この時の母親の娘にかける言葉が傑作なのだ
    「恋で死ぬのは映画の中だけよ」

    病院にいって精神安定剤と栄養剤をもらってくれば、
    「疲れただけでは死なないわ」
    さらに彼から手紙が来ないのをいいことに、
    「きっと彼はあなたのことなんか忘れたのよ」
    などと、追い打ちをかけるのである。

    ところが笑いごとではなくなった。
    娘が妊娠していることに気づいたのだ。

    折りも折り、
    傘店の経営がうまくいかなくて、宝石商のカサールに
    買ってもらうことに。
    カサールは美しいジェンヌにたちまち恋をして、結婚
    を申し込む。
    お腹の子は「いっしょに私たちの子として育てましょう」
    といって。

    やがてアルジェリア戦争を経て除隊したギイは、真っ先
    にシェルブールの町へ。
    傘店には張り紙がしてあった。
    「閉店しました」

    自暴自棄となったギイは元の自動車工場で働きはじめる
    ものの、店主と喧嘩して飛びだし、娼婦と寝たり転落す
    る一方であった。
    そんな自堕落な生活をおくる彼を救ったのは、下宿して
    いた宿の娘さんだった。

    娘さんの母親が亡くなったのを機に、二人は結婚。
    二人の間には男の子が生まれ、なけなしのお金で買った
    ガソリンスタンドの経営も順調に。

    さらに年月を経て、
    雪の日、一台の黒塗りの車がスタンドへすべり込んで
    くる。
    「ガソリンはスーパー? 普通の?」
    ギイは、すぐにジェンヌだと分かった。
    彼女の横にはわが子である女の子。

    ジェンヌの方も、彼が幸せな家庭を築いていることを瞬時
    に理解した。
    最後の二人の会話。
    「しあわせ?」
    「ウィ、トレビアン」
    黒塗りの車は雪の中に消えていった。

    悲恋物語のはずだが、日本映画の演歌調といった湿っぽ
    さはない。
    ナレーションはなく、すべて会話がミュージカル仕立て。
    そのためか、悲恋というより、シャレたコメディー映画に
    思えてならなかった。

    これを20代、30代に観たらどうだったろう。
    あいにくシルバー世代となってしまった私は、ずいぶん
    笑わせてもらったのである。

    映画だから云えることなのだが、真面目になればなるほど
    人間って滑稽な面が出てくるのですよね。

    
    

    
    

    

  

    
    


    
    

    

Roman Holiday

2012-05-10 18:21:51 | 芸術


     いわずと知れた「ローマの休日」である。
     連休の1日、Holidayらしきものと思って、鎌倉の街に
     出たついでにふらっと寄ってみたのだった。
     雪の下にある川喜多かしこ夫妻の記念館にはミニ映画館
     があり、内外の名画をやっている。
     (有名な映画はすぐいっぱいになる)

     これは20代のときに一度みていて、正直いまさら、と
     いう気がしないでもなかった。
     チケットを買った時点でもまだ迷っていて、何故なのか
     自分の気持ちに問うてみると、若き日にもどって一瞬で  
     もあの青臭い日々がよみがえるかと思うと、いまさら
     ご免!という感じなのだった。

     ところが、やはりみてみないと分からないものである。
     20代にみたときは、ある小国の王女とアメリカの新聞
     記者とのあり得ない恋物語にばかり視点がいって、
     切なさがつよく印象に残っていた。
  
     そして40年以上経った今、まぎれもなくコメディー映画
     であった。それも上質の。
     アン王女の一晩のアバンチュールもコメディーだし、国か
     らの使いから逃げまわるところなんか、それ以外の何もの
     でもない。
     それに最後の王女記者会見も……。
     (互いに素性が分かった後でも、周囲に気づかれないエス
     プリの効いた会話)

     ようやく追跡からのがれて記者の安アパートに帰った2人
     は、ふと惹かれあって…………。
     そのときのセリフがふるっている。

     王女「料理がしたくなったわ」
     記者「(このアパートには)キッチンないよ」
     王女「不便でしょ」
     記者「ままならないのが人生さ」
       …… ……
     記者「引っ越そうか。キッチンのあるところへ」
     王女「そうね」

     引っ越すなんてあり得ないし、アバンチュールもそろそろ
     終わりに近づいていることを知っている2人の会話である。
     
     この場面でこのセリフ。
     「ままならないのが人生さ」
     このセリフのツボにはまるあたり、やはりこちらの年齢の
     せいかも知れないけれど。