一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ライネケ狐 2

2008-09-28 10:07:43 | 芸術
  

      不勉強で私も今回はじめて知ったのですが、
      「ライネケ狐」は明治時代にすでに翻訳さ 
      れていた。
      現在は、上田真而子さんの新訳「きつねの
      ライネケ」(岩波文庫)が手に入りやすい
      とか。
        

      この作品は絵ではなく、スペースデザインと
      いう範疇に入る。    
      1辺が1㍍弱の四角形で、知った人の受け売り
      によると、金属(ブロンズ)の粉に樹脂を
      混ぜたものを筆で描いたのちに固める手法。

      ゲーテは「ライネケ狐」を韻文の叙事詩にして
      いて、芥川龍之介は、
      「ゲーテはこれを書いただけでも十分に偉大
      だ」とベタ褒めしたそうだ。

      

ライネケ狐 1

2008-09-25 08:10:04 | 芸術
        ライネケ狐 (Reineke Fuchs)
        福音館の絵本「はるかぜとぷう」でお馴染みの
        小野かおるさんの作品である。
        解説によると、
        「狡知にたけたライネケ狐が数々の悪事の末、
        悪知恵をはたらかせて立身出世する物語」
        なのだそうだ。       

        ドイツやフランスなど、ヨーロッパに広く伝
        わる寓話で、フランスでは”ルナール”とい
        う名で親しまれているそうだ。
        昔からお年寄りが子供たちにそういって聞かせ
        てきたのだろう。
        そういえば、イソップ童話の「すっぱいブドウ」
        など、狐が中心の教訓的な童話が多い。
        同じイソップ童話の「オオカミとキツネ」は、
        強くて大きな狐がみんなから”ライオン”と
        呼ばれるのを真にうけて、失敗する話だ。

        
        日本でも、オオカミは怖い存在だが、狐はいつ
        もちょっと間抜けで小ズルイ役回りになっている。
        子供のころ、動物園でみた狐にがっかりしたも
        のだ。童話に出てくるような狡知さなど、全く
        感じられなかったからだ。
        (タヌキとほとんど変わらない動物に見えた)
        

        しかし、そんな狐だが、小野かおるさんの手
        にかかると、悪賢さでキリキリする滑稽さ
        も残っていて、実にチャーミング。
        作品からは動物、否、昔から語られてきた
        寓話への愛情が伝わってくる。
 
        前2回4点ずつ、「新制作展」のスペースデザ
        イン部門に出品して、今回が完結編だという。
        (全部で12枚)

     

進化する美術館

2008-09-22 16:26:04 | 芸術
  

     台風接近のニュースを気にしながら、先日、六本木の
     国立新美術館に行ってきた。
     「新制作展」で、出品作は絵画、彫刻、スペース
     デザインの各種。
     今回が72回目で、その名の通り「その時代の美術界 
     に新風を送る」ものだという。

     実は、私、何の予備知識もなく出かけた。
     案内してくれた知人(この人は各方面の造詣に深い人
     なのだが)と2人、絵や彫刻の前で首を傾げながらも、
     いくつかの作品に共感をもつことができた。
     しかし分からないなりにも、どの作品にも共通したエネ
     ルギーに興味をそそられずにはいられない。
     この発想はどこからくるのだろう。
     意図するものは?
     作者はなぜ、このテーマに惹かれたのか、等々。

     ゆきつくところは、作者の中に、この作品を創らな
     ければならない必然があったのだろう、ということ。
     そしてそれは、分野がちがっても、例えば文学の
     世界でも同じであることに気づいた。
     自分の内部の必然性なくして、単なる興味、手先だけ
     を駆使した作品など、とても人を感動させることは
     できないのだろう。

     ともあれ、上野の杜の美術館とはちょっと趣のちがう
     ゆったりしたスペースは落ち着く。
     (昨年1月のオープンで、六本木ヒルズの高層建築
     も近くにあるが、隣は青山墓地で「森の中の美術館」に
     ふさわしい)
     次回からいくつか、その写真だけでも載せることにします。
      

     
     
     
     
    
     

一葉紀行こぼれ話 その(3)

2008-09-17 18:21:58 | 
     「秋の日はつるべ落とし」というけれど、このところ
     すとんと日が落ちる。
     5時半ごろから薄暗くなりはじめ、6時にはもう真っ暗!
     あのぎんぎんした真夏の太陽と、うるさいほど鳴いていた
     蝉はいったいどこにいってしまったのだろう。
     毎年のことながら、季節の移り変わりの早さ、有為転変に
     驚くばかり。
     草むらですだく虫の音がいっそう心にしみ、がらにもなく
     人生を考えたりする。

     「一怒一老一笑一若」
     国宝・大善寺の柱に書いてあった警鐘?
     「いちど怒ると一つ歳をとり、いっぺん笑うと一つ若くなる」
     のだそうだ。
     なるほどねえ、そういえば、明るく元気に生きた人は痴呆症
    (認知症)になっても明るく元気にぼける、っていうものね。
     狭量、わがままな私は、暗くインインメツメツした老人に
     なるしかないのかも。
          

一葉紀行こぼれ話 その(2)

2008-09-15 16:35:19 | 
     曼珠沙華というと毒々しいまでに真っ赤な花
     を思い浮かべるが、国宝の大善寺でピンクの
     花を見た。
     今まで紅、白、黄色のは見たことあるけど、
     ピンクのははじめて。
     「えっ、ちがうんじゃない」「ユリの一種?」
     などと連れといい合って帰ってきたが、葉っぱが
     なく、茎だけにょきにょき出て花が咲いているのは、
     どう見ても曼珠沙華なのだ。
     今回、インターネットで調べたら、ピンクのも
     ありました、ありました。

     曼珠沙華とは梵語(インドの古い言葉)で
     「赤い花」という意味だとか。
     ヒガンバナともいうが、個人的には曼珠沙華と
     いうのが好き。
     狐花ともいわれ、これもかわいらしい。

     でも日本では昔から、死人花とか、地獄花、幽霊花
     などといわれ、むしろ忌み嫌われてきた。
     そういえば子供の頃、よく墓場に咲いていて、
     あまりきれいなので摘んで帰って叱られたものだ。
     それが近頃は園芸種がさかんになって、
     個人の庭先に好んで植える人もいるのだから、
     花事情も変わりました。
 
     ところで、韓国では「相思華」ともいうそうです。
     葉と花が別々なので、「葉は花を想い、花は葉を
     想う」のだとか。
     ウーン、これもいい。
     
     
  
      



一葉紀行こぼれ話 その(1)

2008-09-13 16:28:19 | 
     旧高野家の薬草園に一輪だけ咲いていた
     甘草(カンゾウ)の花。
     甘味料や調味料として使われる一方、薬用に
     なくてなならないもので、めったに咲かない
     貴重なものだという。

     現在ではほとんど輸入で、その3分の2が食品
     の甘味料として使われ、残り3分の1が薬用に。
     それもほとんど漢方薬の原料とされ、これがなけ
     れば、大半の漢方薬は成立しないんだとか。
     江戸時代、幕府によって保護されたのもむべなる
     かな、である。

     そういえば、薬草園にあったハーブのようなもの
     (名前は忘れた)をかじってみたら、その甘いこ
     と甘いこと、甘味料そのものでした。

      P.S.)このブログを見た方からお知らせがありました。
     上記の植物はステヴィアという名前であるということ。
     砂糖の200倍の甘味で、その割にカロリーが少ない
     ので、糖尿病や高血圧の治療に使われるのだとか。
     ありがとうございました。


    

一葉紀行9

2008-09-11 08:40:53 | 


     「ゆきあい」とは艶っぽい男女の仲をいうのかと
     思っていたら、本来は二つの季節が行き交う空を
     「ゆきあいの空」ということからきたらしい。
     ここ数日、たしかに季節が変わりました。日中の
     陽射しはつよいけど、風はすっかり秋のそれ。

     一葉紀行の宿は知人を通しての画家T氏のアトリエ
     でした。
     山梨県の山あいのM村、塩山からさらに高地の
     大菩薩峠に近いところ。標高は600㍍で、谷
     から吹く風は肌に心地よく、近くの温泉もGood。

     民家風のアトリエにはコレクションの骨董品が
     ぎっしり、それらの話を聞かせてもらいながら
     氏の料理に舌つづみをうった(料理の腕前はなか
     なかのもの)。
     夜、静まりかえった家の戸をコツ、コツと叩く物   
     音がする。何とカブトムシがぶつかる音だそうな。
     そういえば、翌早朝、散歩に出たら、道路に立派な
     カブトムシがいました。
     連れて帰ろうかと一瞬、思ったけど、果たして?
     帰りにまだいたら、ということに賭けて散歩を続け
     たら、何と帰りは別の道を通って見事、忘れてし
     まいました。
     あのカブトムシは無事、山に帰ったでしょうか。
     
     

     
     
     

一葉紀行8

2008-09-07 20:17:48 | 
     早くしないと夏が終わりそうだけど、まだまだ
     一葉紀行が続きます。
 
     甲州市勝沼にある国宝・大善寺を訪ねた。
     何が国宝かというと、右手に葡萄をもち、左手で
     結縁した薬師如来と、日光・月光菩薩の薬師三尊像
     (いずれも奈良時代に作られた)
     の安置されている薬師堂がそうなのだという。
     
     そういえば、周囲が葡萄畑にかこまれている大善寺
     は別名、葡萄薬師ともいわれる。
     そして、境内の奥にあった観音様の美人なこと!!
     京都ならいざしらず、甲州の果樹園に囲まれた地で 
     国宝寺院に出会うとは思わなかったから、神妙な
     面持ちで手を合わせましたァ。
      ナニ、苦しいときの神仏頼みは昔から、デス。
  

一葉紀行7

2008-09-01 09:35:42 | 

     今日から9月。残暑はきびしいけれど、蝉の
     鳴き声も心なし元気がないように聞こえる。
     もうちょっと突っ込めば、あの蝉は子孫を
     残すのに成功したのだろうか、と思わぬでも
     ない。余計なことかァ。

     写真は甲州の桃畑、ゆいいつ私のデジカメで
     きれいに撮れた写真である。
     (他のは同行した知人の撮ってくれたもの)

     しかし、一面の桃畑は見事でしたァ。
     形といい色といい、可愛いらしくて何度みても
     飽きません。
     その愛らしさ、魅力は、どうしても24歳という
     若さで亡くなった一葉と重なってしまいます。
     また、甘草屋敷にいらした遠縁のH氏からいただ
     いた桃が甘くて瑞々しくておいしかったことも
     あり、その思いが一段と深まりました。

     桃とブドウは少し高度が違うらしく、ちょっと
     外れると、こんどは一面、ブドウ畑。
     実りの秋もいいけれど、花の季節にはもう桃源郷
     そのものでしょう。