一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

高瀬舟

2011-10-28 21:36:16 | 読書


 
      高瀬川といえば森鴎外の短編小説『高瀬舟』。
      『高瀬舟』はこんな出だしではじまる。

       「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟
        である」

      江戸時代、島流しにされる罪人は高瀬舟に
      乗って大阪まで護送された。
      護送する同心にとって、いつもやりきれない
      思いをするのだが、今回の罪人はこれまでと
      ちょっと違った。

      弟殺しの罪で捕まった罪人はいままでの貧しい
      暮らしと決別できると顔をほころばせ、遠島を
      いい渡された時にもらう二百文をふところに、
      しみじみと幸せを感じるというのだ。

      弟殺しについても、重病の弟が自分に迷惑を
      かけまいと、自ら剃刀で自殺を図ったが死に
      きれずに苦しんでいた。
      そこで弟の頼みもあって傷口の剃刀を抜いて
      やったら、そのまま死んでしまったのだと
      いうのである。

      二百文というのは僅少な額でしかない。
      それでも罪人はいまだかつてない幸福感につ
      つまれている。
      幸せとは銭の多少ではないのか。
      同心はわが身とくらべ、罪人の欲のなさ、足
      るを知っていることに、驚異すら感じるのだ
      った。
      
      軍医で作家でもある鴎外はこの小説で、
      安楽死の問題と人の幸福とは何か、といった
      テーマを投げかけている。
      
      高瀬舟は基本的には物資を運搬したのだが、
      こうした島流しの罪人や稲荷の初詣客もはこ
      んだのである。
      
      (写真は新潮文庫より)
       
      

高瀬川と坂本龍馬

2011-10-24 21:30:57 | 歴史
   


     高瀬川沿いの木屋町通りには、幕末を駆け
     ぬけた志士たちの隠れ家等があり、暗殺の
     場や居住していたことを示す碑が数多く立
     つ。

     坂本龍馬の海援隊屯所跡というのもあり、
     龍馬がおりょうに逢うために、この高瀬
     川を利用したとも考えられる。

     現地にいってハッと息をのんだのは、
     川沿いに江戸時代そのままの京町屋が
     残っていることであった。

     というより、条例により手を入れてはい
     けないそうです。
     現在も小料理屋として使っていて、
     粋(いき)といえば粋だが、実際に使う
     には不便この上ないのだとか。
 
     しかし見る分には風情があります。
     まるで映画をみているような錯覚におち
     いってしまいました。

     (写真の柵の向こう、舟の停泊所のように
     なっている川沿の京町屋。手前は高瀬舟)

     

     

     

     

高瀬川

2011-10-21 21:49:18 | 歴史
  

    京都にいったのは10月の初めだった。
    京都は木屋町二条下ルの高瀬川をこの
    目でみるために。
    まだ汗ばむほどで、川は写真のように
    さらさら流れていた。 

    高瀬川は江戸初期から大正末期までの
    約300年間、京都・伏見間の大事な
    水運だった。
    木材や食料品、生活物資をはこぶため
    の。
   
    荷物の上げ下ろしや舟の方向を変える
    船溜所(ふなだまりじょ)を「舟入」
    という。
    二条から四条にかけて、9つの舟入が
    あったが、現在はスタート地点である
    「一之舟入」のみ残されている。

    川の水深はせいぜい50~60㎝と浅
    く、普通の船では走れない。
    そこで舟底が浅くて平らな高瀬舟が用
    いられた。
    多いときで一日150隻もが上下往来し、
    大阪からの物資を運びいれていたという。

    近くには長州藩や加賀藩があったから
    最盛時にはたくさんの食料品やお酒など
    が運びこまれていたであろう。

    (写真は「一之舟入」にある高瀬舟。
     観光用だが舟には米俵やお酒が)


    

 
    
    
     

隣は何をする人ぞ

2011-10-15 21:18:14 | 健康


     おどろいた。
     65歳以上の年寄りの体力が向上している
     のだという。
     
     しかもこの調査は初めてではなく、文部科
     学省によると、98年からやっていて、
     調査以降ずっと右肩上がりに増加している
     のだ。
     健康意識が高まり、運動する高齢者が多く
     なったことが背景にあるらしい。

     そういえば、電車に乗れば早朝から山装備
     の熟年が多いし、先日たまたま用事で乗っ
     た東海道・山陽新幹線も出張のビジネスマ
     ンに負けず劣らず、旅行にいく中高年が
     多かった。

     これに引きかえ、この私!
     足腰ばかりでなく、このところ全体的に
     体力の衰えを感じる。
     最近とみに感じるのは、歩くスピードが
     遅くなったこと。
     あんなに逃げ足(?)の速かった私が、
     どんどんどんどん追い抜かれて、先日なん
     か私より年配と思われる女性にみるみる
     引き離されてショックだった!!

     一時、自分の健康のことしか頭になく、そ
     のためなら何でもする人のことを健康オタ
     クなんて呼んでいたが、そうとばかりいっ
     ていられなくなったようだ。

     そういえば昔(30年以上も前)、年下の
     友人の住むアパートにいったら、隣の部屋
     から奇妙な雰囲気(?)が伝わってくる
     ので気味悪くなったことを思い出す。

     「何?」というと、
     「夫婦で太極拳だかヨガだかやってんのよ」
     友人はそういって笑った。
     (太極拳とヨガでは大違い!)
     体操だけでなく、夫婦喧嘩も派手にやるら
     しい。
     
     その友人は郷里に帰ってしまったが、あの
     夫婦は元気ならば80代。
     高齢者の体力増進に貢献したのだろうか。
          
     昔の安いアパートは壁が薄く、声もつつ抜
     けだった。
     近年の気密性の高いマンションは隣人を
     意識することもない。隣の存在をも消して
     しまう。
     ちょっと人の気配を感じる方が芭蕉の句も
     生きるのかもしれない。

       秋深し 隣は何をする人ぞ 
     
     (写真は今月初めに調べ物があっていった
      京都・高瀬川のヒガンバナ)
     
     
     

青山霊園

2011-10-10 21:38:04 | 名所



     金木犀がはじめて匂った日、青山霊園を訪
     れた。
     わざわざ行ったのではなく、夜には上野の
     文化会館でコンサートの誘いを受けていた
     ので、その前の時間を利用して寄ったのだ。

     前々から、ある人の墓地を探していて青山
     霊園にあることは分かっていたのだが、な
     かなかチャンスがなくて、いまになったの
     である。

     今回は前もって管理事務所で調べていった
     ので迷わず探しあてることができた。
     以前、吉野霊園でさる人の墓地を探し歩
     いて、とうとう見つからずに帰ってきたこ
     とがあるだけに、徒労に終わらずほっとし
     た。

     この霊園はいわばブランド墓地とでもいう
     べきか、著名人が多く埋葬されている。
     ちょっと挙げただけでも尾崎紅葉、国木田
     独歩、志賀直哉、宮本百合子、芝木好子、
     …………
     最近ではペンクラブの会合でおなじみだっ
     た斎藤茂太氏も!!
  
     こうして赤の他人がお参りすることができ
     るのも、お墓のあるお陰。
     一時、亡夫のお墓の改葬で大変な思いを
     して、お墓そのものに懐疑的になったバチ
     当たりの私はちょっと考えてしまった。
   
     しかし、ここは立派なお墓ばかりである。
     維持管理するご遺族は大変だろうと同情
     しないでもない。
     実際その日、高枝ハサミで墓地の周囲の
     植木を伐採しているご夫婦もいた。
     (なかには、墓石が見えないほど草がお
      い茂っているところも)

     人は死して何を残すか。
     功なり名をとげた人はそうはいかないか
     もしれないが、平凡な人生であったなら
     いっそのこと、戒名も立派な墓石もいら
     ない。
     石ころひとつでいいような気がするの
     だが、どうだろう。

     霊園を出る私の鼻孔を金木犀の香りが
     くすぐった。霊園には金木犀が似合う。
     (まさか、よそ様のお墓を写すわけにも
      いかないので金木犀だけにした)

    

     

     

         

魚か人か

2011-10-05 21:37:13 | 雑記


    実をいうと、私は大の水族館好き。
    どのくらい好きかというと、一人でも
    行ける。
    というか、一人でいっても退屈しない。
    それくらい好きということ。

    とはいっても数年前に伊勢の水族館に
    行って以来で、江の島水族館は30数
    年ぶりだ。

    巨大水槽には大小さまざまな魚!
    お腹の顔(口とエラ?)に愛嬌のある
    エイには笑ってしまったし、サメはや
    んちゃ坊主みたいに縦横無尽に泳ぎま
    わっていたし、ウツボはまあ海底にな
    まけもののように寝そべっていたかと
    思うと、時々は大儀そうに泳ぐのです。

    どれもこれも見ていて飽きないのだが、
    最も惹きつけられたのは、意外にも
    マイワシの大群だった。
    小魚が群れをなして上へ下へ、まるで
    巨大な魚のように泳ぐのはちょっと
    感動的!!

    小さいものの知恵というか。
    集団であるかぎり、よほどでないと他
    の魚に襲われることはないだろうし、
    行動もしやすいのだろう。

    だから決して群れを離れない。
    でも、うっかり者のイワシが隣の集団
    にまちがえてまぎれこむ、なんてない
    のだろうか。
    そんなとき、疎外されたり、いじめに
    あったりしないのだろうか。

    巨大水槽の中、大きな魚、ユニークな
    魚類にまじって、あまりにも平凡で小さ
    なマイワシに、身も心も卑小な私は
    すっかり感情移入してしまっていた。

    写真は友人が撮った巨大水槽の魚たち。
    (左端にいるのが友人)
    どうやって撮ったのか、こちらが携帯電
    話でチャカチャカやっている間に、こん  
    な面白いアングルのができていたのだ。

    友人はこの写真に
    「見ているのか魚に見られているのか」
    というコメントをつけている。
 
    (私の携帯写真はほぼ全滅だった)
    

    
    

江の島今昔

2011-10-01 21:49:54 | 名所



 
      高橋由一といえば「鮭の絵」を思い出す。
      荒縄でしばってぶら下がった鮭が半身こそげて
      いるやつ。
      なぜか一度見ると忘れられない存在感がある。

      ところがこれは、神奈川近代美術館(鶴岡八
      幡宮の一郭)にある高橋由一の「江の島図」。

      なぜこの絵を思い出したかというと、先日、
      友人と江の島にいったからだ。

      目的は水族館だったのだが、歩き疲れて
      (結構、夢中になって見るもんね)
      江の島を全貌できるカフェに入ってしばしお喋
      りした。
      そのとき、ちょうど我々の坐った窓際の位置が
      この「江の島図」と同じ角度だったのである。

      その日は日曜だったので家族連れや若者の
      グループもいた。年配者もいて、老いも若き
      もって感じだった。
      この絵と同じ!!
  
      東京からさほど遠くない観光スポットとして、
      江戸時代から親しまれてきたのだろう。
      この絵をよく見ると、荷物を運ぶ旅姿の人々に
      混じって、着物の尻をからげたような行商人や、
      洋装の紳士、それに坊さんらしき人も。
      
      そういえば島に渡る大橋が架けられたのは明治
      24年とか。
      それまでは砂洲を歩いて渡ったのだという。

      島があれば多少の水でもじゃぶじゃぶ漕いで
      渡ってみたくなるのが人間の心理。
      我々は大橋を渡らなかったけど
      (水族館は大橋の手まえにある)
      ちょっと長居して美しいサンセットを見られて
      ラッキーだった。 

      秋の日はつるべ落とし。
      気がつけば島の灯台がともり、そちこちのイル
      ミネーションがまぶしいほど。
      江戸時代は照明なんてないから、観光の後は
      お喋りなんかしないで、さっさと帰ったので
      あろう。