一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

挽夏

2013-08-31 17:39:46 | 季節


     8月最終日の今日、台風が接近しているせいか、
     フェーン現象のような猛暑。

     午前中、図書館にいったら中学生らしい男の子
     たちが宿題の仕上げをやっていた。

     ああ、そうだった。夏休みの終わりというのは
     何となく不安……。
     明日から(現実には明後日の月曜)から会う
     級友や、またはじまる新学期のことなんかを
     思って。

     そして帰途にはカーラジオからユーミンの歌が。

      ♪ ゆく夏に名残る 暑さは
        夕焼けを吸って 燃え立つ葉鶏頭
        秋風の心細さは コスモス
        
     なるほど葉鶏頭とコスモスねえ。
     いっぺんに子供のころ見た庭がよみがえる。

      ♪ 何もかも 捨てたい恋があったのに
        不安な恋があったのに 
        いつかしら 時のどこかへ置き去り 
    
     あらら、ちょっぴり大人の切ない恋の歌?    

     さあ夏は終わった、
     恋という古着も脱ぎすてて、
     新しい季節にふさわしいものを見つけよう、
     というのか。
 

     捨てたい恋も拾いたい恋もない!! 
     私は、思わずつぶやいてフフフ……。

     どうやら、私には新聞に載っていた下記の川柳
     (万能川柳欄)がふさわしいようだ。

       ファイティングポーズとってる
               セミのヌケガラ

      ※ 写真は近くの公園で                   

狂乱の夏

2013-08-25 17:21:18 | 雑記


     私はもともとメンドクサガリでワガママだから、これ
     までずいぶん人に迷惑をかけてきたし、出来ないも
     のは出来ないと、かなり開きなおってきた面がある。

     しかし、最近やっと、これからは意識して方向転換を
     しないとヤバいと思うようになった。

     つまり、メカ(家電はじめ機械一般)に弱いから
     出来ない、とか、
     年齢のせいにするのは止めようと。

     はからずも前回のもらい事故の続きのようになったが、
     相手の女性のいうことを聞いて、立場が逆転したら
     同じことをいっただろうと、ぞっとしたのである。
     (ブログではかなり省略して書いているが、
      いわゆるオンナの愚痴そのものが展開されて、
      自分の姿を見る思いがしたのだ)

     以上、自分への戒めとして。

        ∞  ∞  ∞  ∞  ∞
      
     お昼頃いったんはやんだ雨がまた降りだして、梅雨時
     のような天気になった。

     おかげで少しは気温が下がったが、このまま秋を迎え
     るわけではないだろう。
     もう一度ゆり戻しがあって、残暑というやつが来るに   
     相違ない。

     そういえばお盆の真っ最中、またも両目の周囲が
     真っ赤にただれ(炎症をおこして)、ニホンザルの
     ようになった。
     
     毎年、季節の変わり目や真夏の紫外線で皮膚にトラブル
     を起こす。
     だからそれなりに気をつけてはいるのだが、猛暑のなか、
     異常に汗をかき、それを無造作にタオルで拭いたせい
     なのか?

     あいにく、いつもいく皮膚科はお盆やすみ。
     鎌倉総合病院に聞いたらやっているという。
     かゆみもあるのでお盆明けまで待てないので、出かけ
     ました。

     8:10に受け付けして、待つこと3時間半。
     名前を呼ばれたのが11:40。

     どうやら(お盆のため)1人の医師で対応している
     らしい。
     患者がさほど多くはなく、皮膚科だから1人の患者に
     そう長い時間かかるわけではないのだが、
     いやあ、待ちました。

     診断は「皮膚が弱いためのカブレ?」ということで、
     その時間3分。
   
     さあ、終わった!と勇んで会計だけ(ここでも待つ)
     済ませて車でダッシュ。
     処方箋をもらわないで来たことに気づいたのは家に
     帰ってから。
     (処方箋は会計を済ませた時点で出る)

     夕方、再び病院にいって処方箋をもらい、それを院外の
     薬局に持っていき、やっと塗り薬を手に。

     ああ、なんというロス、無駄な時間。
     しかも、こんなことは(私の場合)めずらしくないのです。
     不注意? 集中力の無さ?
     多分、両方でしょう。
     すべて自分が悪いので、誰のせいでもありません。

     疲れました。
     他にも書けないこと、書かないこともあって、
     あれもこれも狂乱の夏でした。

     
     ※ 知人が送ってくれたハスの実の写真。
      今頃になるとハス池ではきれいな花とともに、
      こんなユーモラスなハスの実の光景が見られる。

       
     
     
     

     
     
  
     

当たり年

2013-08-24 18:01:30 | 雑記


     あんまり暑くて書く気もしなかったが、
     8月初日、車をぶつけられた。

     その日、朝から出かけていた。用事がすみ、
     最寄りのスーパーで買物をすませ、さあ帰ろうと
     駐車場に降りたときのこと。
     まさに自分の車に大型の白い車がガチャンとぶつ
     かるのを見てしまった。
     白い車は横のあいているスペースに入れようとして
     いた。

     落ち着け落ち着け!!
     こういうときどうするんだっけ?

     半年前にぶつけられたばかりだった。
     そのときはあまりに動揺して、どうしていいか
     分からず、お互いの住所を確認して帰ってきたの
     だった。

     いかにも自分の無知をさらすようで恥ずかしいが、
     どんな小さな事故でも110番して現認して
     もらうものらしい。
     むしろ、そうしなければならないとのこと。

     しかし、そのときは急いでいたこともあり
     (だいたい事故のときはお互い急いでいる)
     保険会社だけ確認すればいいと思ったのである。

     案の条、相手の男性が、こちらの車のへこみは
     (その時は前のバンパーも外れた)
     自分のせいではないと言いだし、かなり面倒なこと
     になった。

 
     車をディーラーに持っていって専門家に診てもらい、
     写真も撮って、完全に向こうの責任があることを
     証明してもらった。
     その間、何回か相手の保険会社とのやりとりもあり、
     ずいぶん不愉快な思いもした。

     さて、今回は相手のドライバー(年輩女性)が降り
     てくるのを待ち、事の経過をはなす。
     (なんと、ぶつけたのに気づかなかった)

     私「警察を呼びましょう」
     相手「いや、そんな大げさなことにしないで」
     私「いえ、こういうときはちゃんと診てもらって
      はっきりさせた方が後でスッキリするし」
     相手「急いでいるから」
     私「急いでいるのはお互い様」
     相手「主人に叱られる」
     私「でもここではっきりさせないと面倒なことに
      なるの。きちんと検証してもらえば後はお互い
      の保険会社だけのやりとりですむから」

     こんなやり取りを何回もやって、ようやく携帯で
     110番しました。
     「事故ですか。怪我はありませんか」
     第一声はこれ。
     考えてみれは人身事故ではなく、車の破損だけです
     んだのはラッキーなこと。

     こちらの居場所を告げて待つこと30分。
     「遅いわね。何で来るのかしら。この間、買物して
      こようかな」
     「駄目です」ときっぱり。
     「怪我がなかったことに感謝して、これを機にお互い
      いい勉強をしたと思って……」
     私は自分にいい聞かせるつもりで繰り返しいいました。

     昼食用に買ったお刺身が気にもなったのですが。
     まあ、大事故でなくて良かった!

     「遅いわね、何で来るのかしら」
     「大した事故ではないからバイクで来るんじゃない?」
     「近くだから車で買物しなくてもいいのだけど、つい
      乗っちゃうのよね。もう、車、止めようかしら」
     「いや、高齢化するほど車があった方が行動範囲は広が
      るから……その分、気をつけて乗らなきゃね」

     会話を長々と書いたのは、相手の女性をみて、自分の
     姿を見るような気がしたからです。
     つまり、運転技術もあるとはいえず、車の知識もなし。
     事故にたいしての認識も同じだなあ、とつくづく日頃の
     自分を反省したのでした。

     やがて来たのはパトカーで、びっくり仰天。
     「うわあ、パトカーだあ」

     ともに悲鳴といえない声を上げてしまいました。
     2人の警官がお互いの事情を聞き、見れば私の車より
     相手の車の方が破損が大きいのです。
     それにこちらの車の赤い塗料が白い車体についていて、
     ことの真相は明らか。

     10分ほどで検証は終わりました。
     ご苦労さま。
     お互い気をつけましょうと、握手して別れました。

     後日、相手の保険会社から連絡あり、100%相手さま
     の非ということで一件落着。

     こんなことを知人にいったら、
     「よく当てられるわねえ。宝くじでも買ったら」
     といわれてしまいました。

     でも、小心者の私、本当に当たったらどうしようと
     怖くて買いませ~ん。

     車もまだ修理に出していないのです。
     何もかも、涼しくなってから。
     ああ、涼風が待たれます。

ちぢんだ

2013-08-21 16:53:31 | 健康


      今年も8月のお盆前に健康診断を受けた。
      7月が誕生月にあたるので、毎年この盛夏に受診
      することにしているのである。


      血圧は最高112、最低70で、一時の90~60
      という低血圧だったことを思えば、まあ良好。

      
      驚いたのは身長。ちぢんだ、ちぢんだ。
      かつて(といっても20代の頃)152、5㎝
      あったものが、なんと150、7㎝。
      2㎝ちかく縮んだことになる。

      体重は年齢と共に、ころころ肥えていた頃より
      減ったわけで、まあ見た眼にも貧相になったこと
      を認めざるを得ません。


      次にバリウムを飲んでレントゲン台に乗りました。
      胃のさまざまな形の投影をするために、
      「横向いて」「仰向けになって」「右肩上げて」
      などと指示どおり動きます。

 
      こういった機器は年々改良され、検査方法もより
      精密になっているのでしょう。
      
      毎年のことなのでさほど緊張しませんでしたが、
      「右向いて」「左向いて」「うつぶせになって」
      などと動いた後に、回転する段になって、      
      「なるべく速く回って下さい」と技師にいわれた
      ときにはあせりました。
      (こんなこ云われたのも初めて)


      また、台に乗ったまま逆さ吊りのようにされるの
      ですが、
      (実際には逆さではないが、感覚的にはそう感じる)
      日頃、握力の無さを痛感しているので、そのまま
      すべり落ちそうになるので、ビビりました。

      昨年感じなかったのに、今年ビビったということは
      それだけ体力が無くなったということ。
      握力というより筋肉の問題でしょう。

      他に血液、大腸がん、マンモグラフィー、子宮体がん、
      子宮けいがん等々受けて、くたくたになって帰って
      きました。
      健康診断は、健康で体力がなければとても受けられま
      せん、そう実感した日でした。

      結果は1~2ヶ月後、通知が来ることになっています。

      ※ 写真は八幡宮のハス池
               

68回目の終戦記念日

2013-08-15 19:25:57 | 自然


     ホーチミンに住む友人から「猛暑見舞い」のお便り
     が届いた。
     どうやら日本の異常気象は世界にも聞こえている
     らしい。

     日本で連日のようのニュースに流れる熱中症は、
     ベトナムではほとんど聞かれないという。
     日本以上に暑いと思うのだが、いまや逆転して
     しまったようだ。

     なぜだろう。
     この5月にアンコールワットを訪れた家人の話では、
     ベトナムとカンボジアの高温と湿度はやはり半端じゃ
     ないといっていたのに。

     もしかしたら日本人の体質が暑さに弱い?
     けさのTVによると、日本人と東南アジアの人とでは
     汗腺がちがうといっていたが、そんなこともあるので
     はないか。

     体の構造と食べ物。
     友人の話だと、ベトナムでは道路に無料の飲料水が
     置かれ、果物も唐辛子塩をつけて食べるのだという。
     つまり、暑さに対する備えも常時できているのかだ
     ろう。
     お便りには、
     「時には虹が出て、トンボの乱舞するホーチミンよ
      り」
     とあって考えさせられた。
     (彼女の住むのは都会なのである)

     
     この盛夏、今日は68回目の終戦記念日を迎えた。
 
     私も子どもの頃から奥座敷に飾ってある2人の叔父
     さんの写真をみて育った。
     19歳と21歳のりりしい姿。

     この若さで、誰が好き好んで戦地にいって死ぬであ
     ろうか。
     それが日本全国、どこの家でも息子や父親を戦地に
     とられ、あまねく受けた戦争の哀しみなのだ。

     木立ちをぬけると、つんざくような蝉の鳴き声、
     それは戦争であたら若い生命を失った若者の唸り
     にも重なって聞こえる。

     今まさにお盆なのだ。
      

脱皮

2013-08-12 18:26:49 | 自然
  

     とうとう四万十川市では今日41℃を記録し、甲府
     でも2日連続で40℃超えだという。
     東京都心でも最低気温が30℃を下回らない超熱帯
     夜になったとか。

     息も絶え絶えである。
     庭の草花もしおれ、「わたし、もう駄目です~」と
     私の代弁をしているようだ。

     元気なのは蝉!
     郵便物を出したついでに近くの公園に寄ってみると、
     樹の幹には蝉がブローチのようについている。
     1本の樹に4~5匹。隣の樹にも同じくらい。

     下草には抜け殻がべったりついているから、生まれ
     たばかりの蝉なのだろう。
     8割がアブラゼミで、あとはミンミンゼミ、法師ゼミ
     など。

     昔を思い出して、手で捕まえようと、そーっと近づい
     てはみるのだが、さっと逃げられる。
     今や、私には蝉を捕まえる敏捷さはない。
     いや、本気で捕まえる気があるのかどうか。

     ふーっ、暑づーっ!
     意欲減退、食欲減退と人間が嘆いているのに、
     蝉はひと夏の生を謳歌すべく、あらん限りの声を出し
     て鳴いている。

     鳴くのはオスで、メスは鳴かない。
     いわゆる求愛行動なのだが、
     それも「おヒマなら来てよネ♪」というのではなく、
     「来て来て来て!!ゼッタイ来て~」と必死なのだ。

     そういえば「8日目のセミ」という小説がありました。
     (角田光代原作)
     ふつう7日で死ぬといわれている蝉が、8日目に生きて
     見る違う世界……
     「母性」をテーマにしたサスペンスです。

     なんだが、あまりの暑さに、まだ真夏の夢をみているよ
     うな気分です。
     蝉のように脱皮というわけにはいきません。
     
          



     
     
     
 
 

キャリアウーマン

2013-08-10 05:08:12 | 読書


     清少納言も紫式部も立派なキャリアウーマンでした。

     二人とも受領(今の県知事といったところ)の娘で、
     貴族としては中流もしくはそれ以下の階級です。

     
     清少納言が出仕したのは28歳で、10年ばかりの
     結婚生活に破れた後です。
     紫式部も2年ほどで夫に死なれたコブ付きの出戻り
     娘、宮廷に出たとき30歳を過ぎていました。


     当時としては、すでに姥桜(うばざくら)です。
     この二人のキャリアウーマンがバツ一で、決して若く
     ない出発だったというところに注目したいですね。

     
     女房の仕事は日常の雑用から、学問や和歌の手ほどき、
     手紙の代筆といった重要な仕事が待っています。
     お后のサロンは女の園でもありますが、お客は上達目
     (かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと)など、
     超一流の男性ばかりですからね。
     女房の教養もそれに匹敵するものでなくてはならない
     のです。
     

     
     若くて可愛いばかりの女の子では、サロンの格も下が
     ろうというものです。
     二人とも頭脳をかわれた家庭教師役だったのですね。

     しかもこの二人、
     現代でいうITを使いこなしているのです。

     清少納言はいわば『枕草子』というブログに毎日の生
     活を綴っており、折り折りに出る漢詩の素養は女主人の
     定子をよろこばせています。
     定子はそれを、夫である一条天皇が来たときに話して
     聞かせたりして、雰囲気づくりにも一役かっているの
     ですから鼻高々だったでしょう。

     紫式部もまた『紫式部日記』を残しており、これはブロ
     グというより、HPのようなもの。
     中宮の彰子が出産の日、父親である道長がじっとしてい
     られず、女郎花(おみなえし)の枝を折って式部の部屋
     を訪れるなど、
     かの(藤原)道長もふつうの親だったのですね。

     また『紫式部日記』には『源氏物語』を書いたという記述
     があり、そこではじめて『源氏物語』の筆者は紫式部だと
     いうことが分かるのです。

     しかし、紫式部もなかなか隅におけません。
     この日記に清少納言や和泉式部、赤染衛門(あかぞめ
     えもん)などの悪口を書いているのですから。

     (我田引水ですみませんが、
      拙書の『清少納言 紫式部 イヌ派女VSネコ派女』
      にはこういったエピソードがたくさん載っています)

     いずれにしても宮廷文化栄えた1000年前、
     清少納言も紫式部も遅咲きのキャリアウーマンで、
     さらに嫉妬やねたみもする普通の女性であったことに、
     私のような凡人はほっとするのですが。

     二人とも女主人の動向で変わるのですから、
     晩年は分かりません。

     清少納言は定子が亡くなった後、宮廷を去り、零落した
     ことは確かなようです。
     (これも『紫式部日記』に書いてある)

     紫式部は『源氏物語』を書きあげた後、前夫との娘が宮廷
     に出ると交代に下がったようですが、記述がないので分か
     りません。

     いずれにしても女性が40歳そこそこで亡くなる時代です。
     平均寿命が86歳(女性)という今日、
     私たちもまだまだ頑張らなくてはいけませんね。


     ※ 画像は紫式部ですが、
       清少納言とほとんど変わらない。
      髪が長くてうりざね顔、目は細く、下ぶくれ。
      これが平安女性の美人の条件だったようです。
      こういった画像は江戸時代になって絵師によって描かれ
      たもので、誰も実物を見た人はいないのですから仕方な
      いです。
 
     
     
     

権謀うず巻く

2013-08-04 06:57:51 | 読書


     清少納言と紫式部、
     お互い、ライバル関係にあるサロンの女房として、
     比較される運命にあるのは仕方がないであろう。
     その陰には多くの政敵の蹴落としがひそんでいる
     のだから。

     平安時代は摂関政治で、
     (昔、日本史で習いましたね)
     幼い天皇に代わって藤原一族が政治をおこなって
     いた。

     定子が結婚したのは一条天皇12歳、定子16歳
     のとき。これは数えですから、実際にはこれより
     一つ若いと考えていいでしょう。

     定子の父が中関白(なかのかんぱく)の藤原道隆
     です。
     道隆が幼い天皇に代わって外戚政治をしていたのだ。

     道隆は陽気で明るく、定子サロンはそのとき絶頂期
     にあった。
     『枕草子』にも日々、一条天皇を盛り立てようと
     女房たちが定子を囲んで節季ごとの行事を工夫する
     といったエピソードが出てきます。

     しかし道隆は長子の伊周(これちか)を若くして
     登用するなど、身内の出世を急ぎ過ぎました。
     これが反感をかって、やがて台頭するのが道長です。

     実は道隆と道長は同母の兄弟。
     実の兄弟で、ライバルでもあったのです。
     周囲のお付きの者をも巻きこんで、血で血をながす
     政争もありました。

     
     ですから定子と彰子は従姉妹になります。
     蝶よ花よと育てられたかと思いきや、幼いときから
     政争を目の当たりにして、高貴な世界もなかなか大変
     です。     

     清少納言も紫式部も、この権謀うず巻く様をつぶさ
     に見ていたことでしょう。
     これまた、ぼんやりした女性では務まりません。

     いわば、『枕草子』は御簾の外のノンフィクションで、
     『源氏物語』は御簾のなかのフィクションともいえます。
     事実とつくりごと、両方を読んではじめて宮廷文化
     が見えてくるのかもしれません。

     ※ 写真は「『源氏物語』絵巻より。
       さしずめお姫さまたちの生活はこんな感じだった
       でしょう。
    
     
     
     


     

     
     

     

ほととぎす声待つほどは

2013-08-03 07:44:40 | 読書


    紫式部には夏が好きだったという記述はない。
    「夏」の季語で、こんな和歌があるだけです。

      ほととぎす声待つほどは片岡の
          杜のしづくに立ちや濡れまし
                   (新古今191)

    上賀茂神社に参詣した折、時鳥(ホトトギス)が鳴
    くだろうといった曙、片岡の梢が(朝露に濡れて)
    面白く見えたので興に乗って詠んだ歌だそうです。

    さしずめ、
    時鳥の声を待っている間は、片岡の森の梢の下に
    立って朝露の雫に濡れていようか、といったところ
    でしょうか。

    平安女性らしい気品のある和歌といえばそれまだが、
    この教科書に出てくるような行儀よさは、
    現代の感覚からしたら、まどろっこしい。
    清少納言のように物事をスパッスパッといい切って、
    しかもリズム感がある方が心地よいと思う人は多い
    でしょう。

    しかし、だからこそ紫式部は冗長とした『源氏物語』
    を書いたともいえるのだ。
    『源氏物語』は400字詰め原稿用紙にして2400枚
    にもなる超大河小説で、登場人物は述べ500人に
    もなる。

    そもそも『源氏物語』はどうしてできたのか。

    時の御堂関白・藤原道長は娘の彰子を一条天皇に嫁が
    せることに成功はしたが、天皇が皇后の定子のところ
    にばかり入りびたっているのに、やきもきしていた。
    (第二夫人の彰子は中宮という存在)

    ある日、物を書く女性がいると聞いて、馳せ参ずる。
    それが紫式部で、式部は夫に死なれて実家に舞いもど
    って実父と暮らしていた。
    今でいう、引きこもりだったのです。

    つまり、紫式部を見出して引っ張り出したのが道長
    だったというわけ。
    道長は、夜な夜なくどいて『源氏物語』を書かせた
    といわれています。

    道長は当代きってのモテ男でしたし、数限りない浮名
    も流しています。
    式部にこれでもか、これでもかというほど、様々な
    艶話を聞かせたに相違ありません。

    道長と式部は男女の関係にあったという人もいますが、
    確かな史実はない。
    でも、どうでしょう。
    あれほどの艶話をするには、それなりの関係があった
    と思っても不思議ではないのです。

    それはともかく、道長はひらめいたでしょう。
    一方の定子皇后のサロンには清少納言という筆の立つ
    女房がいるらしい。
    ここは一つ、紫式部に『源氏物語』を書かせて、一条
    天皇の目をこちらに向けさせよう!!

    現に、紫式部が物語を一つ書きあげるとすぐ、女房
    たちの手によって書き写されて、
    (当時はコピー機なんてありませんから)
    一条天皇の目にも入って、天皇が褒めたたえたという
    史実があります。

    もちろんその間、道長は式部に真っ白な紙も贈りとど
    けています。当時は、上等な紙は中国から到来したも
    のしかなく、非常に貴重なものでした。

    やがて、彰子にも男の子が生まれ、道長は有頂天に
    なったことはいうまでもありません。

    こうして真夏の夜の夢のような話は尽きません。


    ※ 映像はいつか訪れた京都の廬山寺の「紫式部邸址」
      手元にあった絵ハガキより。