一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

メダカ 雑感

2011-06-28 14:33:33 | 雑記
   

     毎朝のようにゴミ出しにいくところ
     (鎌倉山の一画)にある紫陽花が
     いま見ごろである。
     青や紫や桃色の濃いの薄いの、花びら
     も従来の見慣れたものから、最近の新
     種らしいものまで、あきらかに人が
     植えた形跡濃厚である。

     なぜならその傍に
     「木竹を勝手に伐採したり
      開墾してはいけません」
     という立て札が立っているからだ。
     多分、誰かが切り拓いたのを見て、
     (いかにもそんな風である)
     市当局が警告を発したのだろう。

     ここにゴミ出しを始めてから半年
     (半年ごとの輪番制)
     になるのだが、早春の蝋梅にはじま
     って、梅、桜、つつじといった季節
     の花がうまい具合に咲いてくれる。
     例のウグイスの初鳴きを聞いたところ
     だ。

     これが人為でなくて何であろう。
     開墾が先か、立て札が先か、
     その立て札がいかにも時代がかって
     いて、見るたびに笑ってしまう。

     ☆ ☆ ☆ ☆

     ところでメダカだが、
     家の金魚鉢のは2匹が死に1匹だけ
     になってしまった。
     そういえば縁日のヒヨコもすぐ死ぬ
     から飼ってはいけないといわれたも
     のねえ。

     庭の水鉢のはーー
     いつの間にか、子メダカがいっぱい
     生まれて、さらにさらに、その子メ
     ダカを餌にしたのか、
     (餌は毎朝、定期的にやっている)
     見るからにボスのようなジャンボが
     出てきた。

     サル山ではあるまいし。
     メダカの社会も童謡のように牧歌的
     とはいかないようだ。
     

     
     

東でなく西へ

2011-06-22 17:29:37 | 


     九州はここ3週間は週末が大雨で、
     そんな中、急きょ熊本入りした。
(新幹線が止まる中、飛行機がかろう
      じて着陸してくれました)

     こんなときに、未だその思いは抜けない
     のだが、被災地の東日本ではなく、
     西(南)に行くことになったのです。
     昨年の夏、この欄でも報告したと思うが、
     お墓の移転(改葬)のためだ。

     あれ? もう済んだのでは?
     そう、そのつもりでした。
     ところが古い過去帳が見つかって、その中
     には亡夫関係のご先祖様ご一行(6名)が
     いることが分かったのです。

     没年をみると明治のが3名、昭和初期が
     3名という内訳です。
     1つのお墓に4家族が入っていたことは、
     以前にお話した通り。
     
     どうしよう、正直いって悩みました。。
     果たしてそんな古いお骨をいまさら神奈川
     くんだりまで運んで、果たしてご先祖さま
     が喜ばれるだろうか。
     土にかえすといった方法を聞いたことがあ
     るが、もし可能なら、それが自然なやり方
     ではなかろうか、と。

     だっていちばん古いのが明治21年没で
     123年前、最も新しいのでも昭和8年没
     だから78年前になるのです。
     もちろん、私が名前も聞いたことのない大先
     祖様ばかり。

     詳しい方に相談したところ、土にかえすに
     はまた、それなりの手順を踏まなければな
     らないとか。それならばと、先に改葬した
     お骨とともに、この大先祖様にもお引越し
     を願うことになったのです。

     雨の中、100年以上のお骨とご対面!
     明治21年といえば大日本帝国憲法のでき
     る前の年。
     現在、TVで政局劇を毎日のように見せ
     られているが、当時はまだ選挙もなけれ
     ば国会も開かれていなかった。
     (第1回総選挙ーー有産階級のみーーが行
     われて国会が開設されたのは明治23年)

     この大先祖様がどのような生涯を送られた
     のか知る由もないが、まさかご本人も今頃
     堀りおこされることも予想だにしなかった
     だろう。
     しかも6個のお骨のうち、2つが幼児のもの
     で、それは小さな壺に入っているのだった。
     (衛生状態のよくない昔は、乳幼児の死亡率
      も高かった!)     

     住職にはていねいにお経をあげてもらいま
     した。
     このお寺は浄土真宗の古刹で、去年、
     屋根瓦をとりかえたばかり。
     (そういえば○十万円単位の寄付金の要請
      もありました)
   
     住職のありがた~いお話の後、とりかえた
     古い瓦を見せてもらいました。
     なんと慶長6年(1601)で、これまた
     家康が江戸城をひらく2年前。

     なんだか明治を一気に超えて、江戸時代に
     タイムスリップしたような、おかしな気分
     でした。
     (近々、そのお骨の納骨をしなければなり
      ません)

     写真は慶長6年の屋根瓦。
     瓦に年号が刻んである。
     これは何の動物の貌を象ったものでしょうか。


     
     
     

     

     
    

金子みすず 秘話

2011-06-17 14:18:58 | 読書
     

      こだまでせうか

    「遊ぼう」っていふと、
    「遊ぼう」っていふ。

     「馬鹿(ばか)」っていふと、
    「馬鹿」っていふ。

    「もう遊ばない」っていふと、
    「遊ばない」っていふ。

    さうして、あとで
    さみしくなって、

    「ごめんね」っていふと、
    「ごめんね」っていふ。

    こだまでせうか、
    いいえ、誰でも。

   金子みすずが童謡詩人の矢崎節夫(現・みす
   ず記念館館長)によって発掘され、はじめて
   『金子みすず』全集が出たのは1984年。
   矢崎氏らの長年の努力の結果である。

   また今回、実の弟の上山雅輔(劇団若草の
   創始者で本名・正祐)の功績も大きいこと
   を知った。

   正祐は幼くして親戚に養子にやられたため、
   みすずが実の姉だとは知らなかった。
   養父の意向で知らされなかったのだが、
   年頃になって正祐は次第にやさしいみすず
   への思慕を募らせる。
   (みすず展にはそんな正祐の手紙が何点か
    あった)

   実は、みすずの結婚が急がれたのは正祐の
   気持ちを断ち切るためでもあったようだ。
   正祐はその後、勉学のため東京に出るが、
   姉との文通はつづき、みすずの詩作をはげ
   ました。

   みすずは死ぬ前に三冊の手帳を弟に託して
   おり、彼女の詩が散逸しないで残っていた
   のも正祐のお陰なのである。
   正祐はみすずの最大の理解者でもあった。

   (写真は金子家の縁側で、みすずと正祐)
   

   
       

金子みすず 『南京玉』

2011-06-14 14:14:09 | 読書
 

     「大漁」や「わたしと小鳥と鈴と」などは
     教科書にも出てくるし、あまりにも有名な
     ので、別の詩を。

      「つもった雪」
      
      上のゆき
      さむかろな
      つめたい月がさしていて

      下の雪
      重かろな
      何百人ものっていて
     
      中の雪
      さみしかろな
      空も地面(じべた)も
      みえないで      
 

     写真はみすずの遺書の『南京玉』
     昭4年(1929)10月後半から
     翌5年(1930)2月9日まで、
     娘ふさえさんの片言を書き留めた手帳で
     ある。
     
      ブウチャン(ふさえさん)モ象ガ欲シイネ、
      オカアチャン(みすず)ト、ブウチャント、
      象ニノッテユクネ、アシタ

     行間に母の愛がにじみ出ている。
     前回載せたみすずの1人娘の上村ふさえ
     (84)さんは、母の自殺について長い間
      疑問に思っていたらしい。
     どうして一緒に連れていってくれなかったの
     か、と。
     だが、この遺書をみてショックを受け、
     それからは、残りの人生に大きな光となった
     という。

     母娘の愛情はどこにでもあるだろうが、すばら
     しい詩を残した母が、死ぬ間際まで自分
     のことを深く気にかけ、その片鱗を遺稿の形
     で知ったら……
     読んでいるこちらもせつなくなった。

     

     

     

金子みすず

2011-06-11 15:13:32 | 読書


    今日で震災から3ヵ月。
    遠隔地はすっかり元のモードにもどっている
    けれど、行方不明者8000人、身元不明者
    2000人という地元の現実は変わらない。

    そんなこんなで延び々々になっていた旧友3人
    との再会が、やっとかなうことになった。
    どうせなら横浜そごうデパートでやっている
    「金子みすず展」を観ようということになっ
    たのである。

    金子みすずブームは何回かあった(ような気が
    する)が、毎回チャンスを逃していた。
    「大漁」や「わたしと小鳥とすず」など、やさ
    しくも感性ゆたかな詩を残したみすず。

    どんな少女時代を送ったのだろう。
    自殺したと聞くがなぜ? そこにはどんな事情
    があったのだろう……等々、
    分かったようで分からないことばかりであった。
    
    金子みすず
    明36(1903)-昭3(1930)
    主に大正末から昭和初にかけて詩作。    
    雑誌に投稿したことから西条八十に見出される。
    26歳の若さで自死し、今年は没後80年に
    なる。

    みすずは父に早く死に分かれるが、父が下関の
    書店に勤めていたことや、母の再婚相手(養父)
    が書店経営をしていたことから、幼くして本に
    親しみ、独自の感性を養ったようである。
    また学校では成績もよく、先生に当てられて
    よく自作のお話もしていたようだ。
 
    投稿をはじめたのは女学校を卒業して20歳の
    とき、『童話』『婦人画報』など4誌すべてに
    採用されたというから、その才は光っていたの
    だろう。
    当時は八十の他、北原白秋、野口雨情、三木
     露風、若山牧水といった詩人が活躍していた。

    みすず23歳のとき結婚するが、夫は放蕩を理
    由に勤め先をクビになり、自暴自棄になったあ
    げく、妻の詩作や投稿を禁じるようになった。
    (淋病をうつされるということもあったらしい)
    それが原因で夫婦仲もわるくなり、離婚。
 
    詩作を禁じられたこともさることながら、
    やはり3歳になった一人娘のこともあったにちが
    いない。
    最初はみすずが引きとることになっていたの
    だが、後に夫は娘の親権を渡さないと言い
    張った。

    みすずは絶望のあまり、写真館にいって娘に残す
    ポートレイトを撮らせると、その日のうちに
    服毒自殺したのだった。
    今回、その娘さん(といっても現在84歳)も母
    みすずのことを語っておられる。

    幼くして死に別れた母の記憶はなく、他人に聞か
    れるのもイヤだったが、8年前(ということは
    77歳のとき)母の形見の手帳「南京玉」を読ん
    で、母の愛情を深く感じたのだという。
    それは母娘の会話を、みすずが自筆で「象」とい
    う詩にまとめたものであった。

    母の愛を70年以上も経ってしる娘の哀しさ。
    娘への愛を70年も伝えることのできなかった母
    のさびしさ。
    
        
        
 

聞きなし

2011-06-07 11:19:43 | 季節



    ウグイスが2代目、3代目と世代交代するなか、
    5月末ごろからしきりとホトトギスの鳴き声
    が聞こえるようになった。

    このホトトギス、ウグイスの間伸びした鳴き
    声とちがって、かなりけたたましい。
    ここ1週間ほどはあっちでもこっちでも鳴いて
    いて、うるさいくらい。
    早朝3時頃から、夕方暗くなっても鳴いている。

    あのせっかちな鳴き声を
    「(東京)特許許可局、
    「てっぺんかけたか」
    などとと聞きなす人が多いらしいが、
    私の子供の頃はなぜか、
    「おっとぶっちゃけた!」
    といっていた。

    だから洗濯していても掃除機をかけていても、
    「おっとぶっちゃけた!」と口から離れず
    ちょっと滑稽な状態になってしまう。

    ところがこの主、声はすれど姿は見えない。
    通りかかった折、雑木林に目をこらすのだが、
    1度も姿を見たことはない。

    ホトトギスがウグイスの巣に卵を産んで育て
    てもらう托卵性の鳥だと聞いたときは
    ウッソー!と思った。
    何と小ずるい奴!
    その思いは今でも変わらないが、それで自然
    界が成りたっているのだろうから、人間の口
    挟むことではないかッ。

    ということは、ウグイスの多い地は育て親に
    は困らないということ。
    道理で、ウグイスとホトトギスと両方の鳴き
    声が聞こえるはず!と納得した。
    ならば、
    あのはしゃいだような鳴き声は、卵を産み
    落として昼夜関係なく遊びまわっている姿?
 
    ふ~ん、釈然としない。
    
    

    
    

衣替え

2011-06-03 13:03:51 | 季節
   


      衣替えの季節。
      毎年この時期になると、冬物と夏物の衣類
      を前にため息をついてしまう。
      たまさかその気になっていち早く長袖をしま
      うものなら、この間のように梅雨寒がやって
      きて、またまた衣類ケースをひっくり返して
      収拾がつかなくなるからだ。

      季節の変わり目は白黒といったようにはっき
      りとはいかない。
      日本の文化も芸術も文学もそういった土壌に
      成り立っていて、それがまた捨てがたいのだ
      が、実生活ではそれがなかなか大変なので
      ある。

      そういえば1980年代末だったか、ちあき
      なおみの出るCM、昼下がりの日本間で、
      防虫剤を片手にうたうのがあった。

      ♪半年ごとにタンスにゴン。
       春に入れたら秋に買う。
       秋に入れたら春に買う。
       半年ごとにタンスにゴン。
       匂わないのが当たりまえ。

      何度も「半年ごとに~」と浮かれてやって
      いるうちに、いつしか感情のコントロール
      がきかなくなってしゃくりあげ、
      ついには泣き崩れるといったシーン。

      今思うと、あの頃はバブル全盛期、世の中が
      カルチャーセンターだのグルメだのといって
      浮かれていた。
      そんな世相を背景に、自分だけ取り残された
      専業主婦の焦りや孤独を描いていたのではな
      いか。
      そういえば、大人の女性のフリンを扱ったド
      ラマも流行って、主婦層から絶大な支持を得
      た。

      私はというと、ちょうど仕事にのめり込んで
      いた時期で、CMの意図するところを読み
      取る余裕もなく、憂鬱な顔ばかりしていた
      ような気がする。
      そして今、物憂い気分に駆られていることで
      はあまり変わりない。

      半年とはなんと早いのだろう。
      ”半年ごとにタンスにゴン”がこの先、何回
      続けるのか、また続けられるのか、そのスピ
      ードについていけないのである。

      それに、引っ越しでずいぶん整理したはずな
      のに、また物が溜まりそう。
      こんなわが身の愚かさ!!
      危ない、危ない、これはよほど意識して生き
      ていかないと、物ばかりでなく、心の沈殿物
      が山をなすのはあっという間なのだから。