一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

冬がくるまえに

2011-11-29 18:15:41 | 読書


     ♪ 冬がくるまえに~ 
          
     という歌があったわねえ。

     何の脈絡もなく突然口から出たメロディーに
     あわてふためいたけど、その間にもどんどん
     日が経って、ついに本格的な冬になってしま
     いました。

     気をとりなおし、仕切りなおして、
     もう一度、米原万理にもどりたい。
     前回(7月はじめ?)、米原万理の本でとり
     あげたのはたしか、
     『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』と
     『ガセネッタ&シモネッタ』
     だった。
     (印象としては数冊あったたような気がす
     るのだが、あまりにもエピソードが多くて、
     冊数としては2冊だけだった)

     今回はとり残した分、
     『不実な美女か貞淑な醜女(ぶす)か』を
     紹介したい。

     あの通訳の緊張の場では、訳すべき言語が突
     然出てこない瞬間的失語症が多いのだとか。
     そういうときのテクニック?として、
     とっさに反対のことばでいい表すらしい。

     例えば「ささやく」→「小声でいう」
       「舅(しゅうと)」→「夫または妻の父」
       「輸出」→「輸入にあらず」

     なんでもいいからとにかく訳せ!というのに
     は笑ってしまった。

     氏の友人にいたっては、(鳥の)羽毛の買い
     付けの場で、「羽毛」というロシア語が出て
     こなくて「鶏のスーツ」とやってしまった。
     相手の公団代表はあわてるどころかプッと
     吹き出して「鶏のドレスでしょ」といい替え、
     無事、商談はまとまったとか。

     しかし、そもそもことばとは自分の感情や思
     考を整理したり、他人に伝えるためのもの。
     それが長時間(時には同じ人に2週間はりつ
     いて通訳したこともある)、脳が他人の意思
     や思想、感情に占領されたりすると、
     脳が悲鳴をあげ、そこで妄想するのは殺意
     だというから、またまた笑ってしまった。   

     
     
     
     

比嘉加津夫といふひと(3)

2011-11-23 19:36:48 | 読書


     夏頃から観たいと思っていた映画が公開され、
     それが今週金曜日までだと分かって、この間
     重い腰をあげ銀座までいってきた。

     そのことに今回は触れないが、銀座四丁目の
     交差点はいつも通りというか、日曜の午後と
     あって”歩行者天国”になってはいたが、
     Xmasソングがエンドレスで流れていて、耳に
     こびりつということもなかった。
     
     震災の影響で自粛しているのか。
     不景気のせいなのか。
     (多分デパートなどの店内にはあるのだろう
      が、過度な飾り付けで客の心を惑わすよう
      なものはなかった)

     そういえば震災直後、イベントの自粛云々の
     ことで賛否両論があった。
     あれは結局、どうしたろう。
     やるにしろ、やらないにしろ、みんなの納得
     いった結論が出たのだろうか。

     このことについても「比嘉加津夫というひと」
     は「脈」のあとがきでこういっている。
   
     「過剰な消費に疑問符が投げつけられる(結果
      として出てくる)自粛ムード……。
      それはそれとして理解できないでもないが、
      一方、過剰な自粛ムードも問題である。
      被災地では地元の人々が自発的に『桜まつり』
      を催した。
      沖縄でも終戦直後、人々の心を癒し潤いを与
      えたのは『ウチナーの芸能』であった」

      さらに比嘉氏は続ける。
      「本来、人は笑いとか明るさ、ハレを求めて
      いるものなのだ。
      そして感じるのは、各人がそれぞれの分野で
      それぞれの営みをするしか方法はないのでは
      ないかということである。
      大事なことは、如何なる場合でも自分の目の
      前にこそあるのだから」

      これは事の本質をいい当てている。
      自粛だろうとそうでなかろうと、人は苦しい
      時ほど、腹の底から沸きおこる笑いとか、明
      るさとか、ハレの心を求めているものなのだ。

      逆説的だけど、苦しい時の”笑い”、つらい
      時の突き抜けたような”明るさ”、それこそ
      究極のものではなかろうか。
      そういえばこんなことも聞いたことがある。
      あんまり苦しくてあとは”笑う”しかなかっ
      たわ、と。
       
      こんな含蓄のあることば、若い時は分から
      なかったけれど、最近では実感として解る
      ようになりました。
      ああ、だから人間は生きてみないと分から
      ないものなんだわ、って。

      そして結論は比嘉氏がいうように、
      人はそれぞれの分野でそれぞれの営みをす
      るしかないのだろう。

      そのことばはすとんと胃の腑に落ちた。
     


     

     

     

比嘉加津夫といふひと(2)

2011-11-19 20:01:26 | Weblog


     一昨日あたりから血の気が通うように
     なって、ようやく人心地ついた感じが
     する。
     まだ咳は出るし、全身にだるさが残って
     いて意欲がもう一つ出ないが、昔風に
     いえば床上げ(古い!!)しなければな
     らない。ずっと寝ていたわけではないが。

    ∞  ∞  ∞  ∞  ∞  ∞  ∞  
 
     だいぶ間があいてしまった。
     「比嘉加津夫といふひと」に戻らなくて
     はならない。

     今回『Myaku』と『脈』が送られてきて、
     前者が比嘉加津夫の書評誌で、後者が
     仲間とやっている同人誌だということが
     分かった。

     このような地味な雑誌を出すパワーはど
     こからくるのだろう。
     そしてそれを持続するエネルギーは?
     
     どう考えても頭が下がるばかりだが、
     今回『脈』の編集後記を読んだとき、
     1つの雑誌を立ち上げ、それを持続させ
     る人の根幹にあるものを感じたような気が
     して、妙に納得した。

     ぐだぐだいう前にその一部を抜粋しよう。

     「2011年3月11日、東日本を襲った突如の   
     大地震、大津波、それに関連した原発災
     害は人間の知力をはるかに超えていて多
     大な恐怖を与えた。…………
     街や村が破壊された様をテレビで見ている
     と、あの戦争の結末をいやがおうにも思い
     浮かべた人は多かったのではなかろうか。
     ヒロシマばかりでなく、フクシマも今後、
     原子力でやられた街というレッテルを貼ら
     れることになる。
     原因は一方が戦争、一方が地震・津波に
     よるものだとしても、わざわいはいずれも
     人のもてる知力のいたらなさがもたらした
     人災にほかならない」

     3・11から8カ月、なかなか大所高所に立
     って物事を論じることができない人が多い
     なか、遠く沖縄にいて(沖縄にいるから
     こそ)、きちっと戦争と今回の原発事故
     とをおなじレベルで論じていることに
     はっとさせられたのである。

     今回(自分の反省も含めてだが)、
     被災者はもちろん、関係者はどうしても
     足元ばかり見つめて、物事の本質を見失い
     がちだということが実感として分かった。

     それに(決して悪気ではないのだが)、
     直接東北の関係者でもなければ、ちょっと
     ボランティアをすればもう済んだような
     気がして、
     (それでもやらないよりはマシ!)
     あとは口をつぐんでしまうのが通常のケー
     スだということも分かった。
     (現実に気持ちがあってもその方法、手段
      が分からないのだろう)
     
      そんな中、黙々とやることやって、さらに
     ときには大局的な地点に立って物事を考え
      ることの大事さ、難しさも身にしみて感じた。
     (決して非難しているわけではありません。
      もしそのように取られたら私の言葉の
      足りなさのせいですのでご勘弁を)

     戦争も原発事故も風化させてはいけない。
     忘れてもいけない。
     でも日常は忙しくてそればっかり考えてい
     るわけにはいかない。
     それに、声高に叫べばいいというもので
     はなかろう。

     そうだ、人はそれぞれの表現の仕方でやる
     しかないのだ(という結論に達した)。
     物書きは口先をペンに替えて。     
     
     

     
     
     
      

途中経過

2011-11-14 21:05:25 | 雑記


     だいたい他人の病気の話ほどつまらない
     ものはないが、あまり長くなれば途中経過
     報告をしなければならない。
     ブログで公表しているものだから、あちこち
     から(といっても3人くらい)
     お見舞いのメールやお手紙を頂戴した。

     私もはやくすっきりしたいのだが、風邪前線
     が居座ってはかばかしくない。
     先日、一向に回復しないのにしびれを切らし
     て、再び病院にいった。

     先生(前回とは別の担当者)が「おかしいね
     え」といって胸と背中に聴診器を当てたりす
     るのだが、前回同様異常はなく、しばしカル
     テを眺めた揚句、こういった。
     「もう少しつよい薬にしましょう」

     かくして抗生物質が増えて、毎回、食べるよ
     うに薬を飲んでいる。
     最近は薬のせいか、何を食べても味がしない
     から、食べる楽しみもなくなった。
     その間、大事な会合が2つほどあって、やむ
     なくキャンセル。
     
     身体も気分もすっきりせず、くさっていたら、
     ラジオから「かりゆし58」のこんな歌が
     聞こえてきた。

      ♪ もうすぐ今日が終わる
          やり残したことはないかい
        親友と語り合ったかい
          燃えるような恋をしたかい ♪

     「燃えるような恋」はともかく、
     日々、やり残したことばかり!!
     
     病院の帰りに見たら(行く時気づかなかった)
     例の田んぼには「はさ掛け」がしてあった。
     案山子も心なしやせ細ったように見える。
     

暫(しばらく)

2011-11-08 18:34:51 | 雑記


      鬼のかく乱ではないがひどい風邪をひいて
      しまった。
      頭痛、悪寒、喉のいたみ、発熱、吐き気と
      すべてそろったような風邪。

      それでも市販の薬で治そうと3~4日様子
      をみていたがひどくなる一方なので、今日
      とうとう病院にいく破目に。

      薬もいっぱいもらってきました。
      感染症の治療薬、喉のいたみを抑える薬、
      痰の切れをよくする薬、せきどめ、下熱剤、
      胃薬、それにうがい薬の計7種類。
      飲むのも大変だァ。

      というわけで、何もかもしばらく休止。
      あったかくして寝るのがいちばんと医者
      にいわれたので、これ幸いと惰眠をむさ
      ぼることにします。

      「しばらく」といえば歌舞伎十八番の「暫」。
      悪党が善良なる男女を捕まえて打ち首に
      しようとしたとき、主役の善玉が「暫」
      といって現れて、助ける話である。

      この単純明瞭さ。
      それだけに常に人気演目の一つなのだ
      とか。

      そういえば現在歌舞伎座は改造中(今年
      から3年間)だと思うが、隣にあった
      「暫」という喫茶店はどうしたろうか。
      最近、都心にいく機会がない。

      歌舞伎役者のようにここで見えを切るこ
      とはできないが、しばらくお休みなさい。
      

      
    

比嘉加津夫といふひと (1)

2011-11-05 20:29:14 | 読書



    山口健二の突然の訪問を<いたち臭い
    ものがやってきた>といったのは谷川
    雁だが、
    (「権力止揚の回廊
        ーー自立学校をめぐって」)
    私も昨年の春、同じような経験をした。

    ただし、<いたち臭いもの>ではなく、
    上質の毛皮をもった本物の<いたち>
    だったかもしれない。

    なにしろほぼ忘れかけていた旧著の
    『谷川雁のめがね』の書評を書いたか
    ら感想を聞かせてくれ、というような
    要件だった。
    しかも、メールで突然!
    (メールはいつも突然だが)

    私は早鐘をうったような胸の動揺を抑
    えきれず、明記してあったアドレスを
    クリックした。

    それは『脈』という書評誌を出してい
    る比嘉加津夫といふひとで、
    谷川雁について私なんかよりずっと
    詳しい人であった。

    比嘉加津夫ってWHO?
    どうしてラボのことにそんなに詳しい?
    どうやら友人の情報によると、
    比嘉氏とは沖縄在住で、筋金入りの詩人
    らしい。しかもそこらのへなちょこ(失礼!)
    とちがい、大先輩だとか。

    私はワケあって12年間『谷川雁のめがね』
    を封印してきた。
    (それは今度の新刊をお読みになれば
    お分かりでしょう。
    または雁研機関誌「雲よ」5号にも記載)

    おまけにこれまたワケありで、
    ここ数年、私は神経を病んでいた。
    (ふふふ、インチキくさい物書きほど
    こんなことを好んでいいたがる)

    ともあれ、それがはじまりだった。
    封印をといて読みなおし、改めて書きな
    おさなければならないと強い決意をいだい
    たのは。

    それが今回の、
    『新刊 谷川雁のめがね』
    と相成った次第。
  
    ああ、やっぱり<まがいもののいたち>
    ではなく本物だった。
    そして今日、その本物のいたちさんから
    写真のような雑誌が送られてきた。
    (『Myaku』9号 2011年11月)
     「吉本隆明という像」 
     「谷川雁という像」
     バーチャル・インタビュー
     「島尾敏男との関係」)
    
    
    補)比嘉氏の書評は、
     「内田聖子 谷川雁のめがね 上下」
     を検索して下さいますよう。
     (リンクつけられなくてすみません)

  
    

     

ご挨拶

2011-11-01 15:35:13 | 読書


    この度、『新版 谷川雁のめがね』を
    刊行いたしました。
 
    3・11東日本大地震が起こったのは、
    この稿の脱稿直後だった。

    奇しくも福島第一原発一号機の設置が   
    はじまったのは、谷川雁のラボ創設と
    同じ1966年である。

    かつて、「壊滅の敗軍のしんがり」
   (吉本隆明)と評されて国のエネルギー
    政策に立ち向かった谷川雁は何という
    だろう。

    谷川雁が示唆したものは……?
    谷川雁とはいったい……?

    今回は、3・11震災により、刊行に
    対する感慨も特別なものとなった。

    私の故郷の(福島県)南相馬市をはじ
    め、被災した東日本にたいし、全国の
    みなさまから温かい励ましやご支援を
    いただき、誠にありがとうございまし
    た。
    この場を借りてお礼を申しあげます。

    私もみなさまの熱い志に応えるべく、
    引き続き本の売り上げを図書館等に寄
    付させていただく所存です。
    ご理解いただければ幸いです。 

    尚、本書は今日、11月1日発売です。
    どうぞよろしくお願い致します。