一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

向田邦子 その2

2021-01-10 17:25:35 | 読書
      
      まるまる昭和の人 向田邦子
      エピソードにはこと欠きません。

      猫好きは有名で 常に複数の猫を飼い、
      猫と一緒の写真も多い。

      料理も食べることも大好きで、
      妹の和子さんと共同で小料理屋「ままや」を開店。
      女性が一人でふらっと入れる店を目指したそうです。
      (「ままや」は邦子の死後、平成10年閉店)

      おしゃれで粋な女性、
      男性からはもちろん、女性の目線でも魅力的な
      大人の女性といえるでしょう。

      洋裁も得意で、戦後の物のない時代、
      弟妹のマフラーやセーター、制服まで作った。

      ああ見えて遅筆、乱筆で せっかちとは意外。
      締め切りに押されて切羽詰まると、
      「四」の字を 横棒4本で済ませたとか。

      遺品は母の「鹿児島にお嫁入させましょう」との
      決意で、かごしま文学記念館に寄贈。

      鹿児島は転々としたなかでも、
      ことさら邦子の思い入れの深い土地だったようです。
      飛行機事故の直前、雑誌の企画で鹿児島を訪問し、
      こう書いています。

      「故郷の山や河を持たない東京生まれの私にとって、
       鹿児島は〈故郷もどき〉なのであろう」


      
      
      

      
      

向田邦子

2021-01-10 17:04:22 | 読書

        今年のお正月はコロナ禍のせいもあるけど、
        有名老舗のお節料理が売切れたり、
        子どもの凧揚げが復活したり、
        なんとなく昭和回帰の傾向に。

        昭和といえば 向田邦子ワールド、
        S4~S56 (51歳没)
        昭和に生まれ、昭和に死した作家である。

        台湾旅行中の飛行機墜落事故で死去。
        直木賞をとった翌年のことでもあり、
        聞いたときの衝撃は忘れられない。

        事故直後、
        ラジオやTVでご本人の留守電が流されました。
        「私は台湾旅行中ですので ご用の方は
         ご用件をお話ください」

        父親が生命保険会社の転勤族のため、
        小さい頃から各地を転々。
        そんななか人を見る目が養われたのでしょう。

        「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「眠る盃」
        「阿修羅のごとく」「父の詫び状」「男どき女どき」
        「あ・うん」「思い出トランプ」等々、
        どれ一つとっても人間模様が鮮明に描かれ、
        う~んと うなってしまいます。

        TVドラマ最盛期、どれもこれもドラマになって、
        茶の間のTVにくぎ付けになって観たものです。

        もし生きていれば ことし90歳。
        才能が枯れることなく、まだまだいい作品を
        遺されたことでしょう。
        ほんとに惜しまれます。
         


「にもかかわらず」

2020-12-18 14:31:24 | 読書
       
      ご存じ、諏訪中央病院の医師・鎌田實氏の
      本 『「にもかかわらず」という生き方』
      の紹介です。

      今年も暮れようとしているのに、
      コロナは収まるどころか、
      歳を越すこと 間違いなし。

      著者のなかには 一つの答えがある。
      「にもかかわらず」という生き方。

      これは逆境や 困難をプラスに転換して
      今の時代にぴったりだというのだ。

      氏は 実の父母が育てられなくなって
      養父に引きとられた。
      養父は小学校しか出ておらず、仕事にもめぐまれない。

      養母も心臓病をわずらい 生活は貧窮。
      「にもかかわらず」實少年を育ててくれた。

      小学校のとき 少年は頭がわるく、
      それでも人の2倍勉強すれば 何とかなるだろうと
      思って、中学 高校時代を過ごした。

      氏が作りあげた地方医療も 一筋縄ではいかなかった。
      アルコール依存症、ガン患者、高齢者医療……
      氏は長年 診療をやって 気がついた。

      高齢になっても 若々しい人は
      「よく動く「よく食べる」「好奇心を失わない」
      「自分流」を大切にする、ということ。

      何歳になっても 人は変わることができる。
      超高齢化になって 経済状況もきびしく
      さらに追いうちをかけるような コロナ禍。

      そんな時代だからこそ 
      「にもかかわらず」の生き方をヒントに
      今を生きよう、と呼びかけている。



永井荷風 その4

2020-11-23 15:15:46 | 読書
       永井荷風を続けて書いて
       まだ しっくりいかない、というか、
       胃の腑に落ちない感じがしてならないのだ。

       荷風は高級官吏の父、良家の出の母のもとで
       生まれ、一族はエリートコースを歩む人ばかり。

       そんな環境で、
       なぜ、荷風は あえて芸妓や 私娼と交わり、
       私娼窟に出入りするのか。

       そのあたりを探るべく、「その4」を書いてみよう。

       荷風の唯一の のぞみは戯作者(げさくしゃ)になること。
       戯作とは 江戸後期の通俗作家のこと。

       世の中の気風に従わず、江戸趣味へと赴いていったのは、
       ほんとうの自由人を 目指していたのか。
 
       たしかに、戦中・戦後をとおして、
       政治とは一線を画し、政治的発言も一切していない。

       そして『花火』(大正8)には こう書いている。

       「その頃から 私は煙草入れをさげ、浮世絵を集め、
        三味線を弾きはじめた。
        私は江戸末期の戯作者や 浮世絵師が 浦賀へ
        黒船が来ようが、桜田門外で 大老が暗殺されようが
        そんなことは 下民の与り知ったことではない……
        否、とやかく申すのは 却って 畏れ多いことだと
        すまして 春本や 春画を 描いていた その瞬間の
        胸中をば 呆れるよりは 尊敬しようと思いいたった」

        ここからは 非政治的構えを あえて貫いた 荷風の
        覚悟というか 居直りみたいなものを 感じとること
        ができる。

永井荷風 その3

2020-11-22 10:07:07 | 読書

       戦中、戦後をへて より偏屈になったが、
       73歳で 文化勲章受章。
       「外国文学を紹介し 日本文学界に独自の
        巨歩を 印した」との評価で。

       また 日本藝術会員などの名誉につつまれるも、
       本人は相変わらずの 浅草通い。
       ストリップ劇場の踊り子と 親しむ。

       79歳 さいごの荷風はどうだったのか。
 
       自宅で倒れ 通いのお手伝いさんに発見される。
       常に持っていたボストンバックには、
       土地の権利書 預金通帳 文化勲章など
       全財産が入っていた。

       通帳の預金高は 2334万円 現金 31万円
       生前、吉原遊女の投げ込み寺「浄閑寺」を
       好んで訪れ、
       そこに葬られたいと 記していた。

       ※ 「墨東奇譚」
        いわるゆる 隅田川東岸の物語ではなく、
        東京の向島(現・墨田区)に存在した
        私娼窟・玉ノ井が舞台。
        一人の小説家(モデルは荷風)と娼婦・お雪
        その出会いと別れを季節の移り変わりと共に 
        美しくも 哀れふかく描いている。
        中村光夫はこう評価している。
        「荷風の白鳥の歌といってよい昨品。
         彼の資質、教養、趣味など 渾然たる表現に
         達している」
        映画化され 主人公・芥川比呂志 お雪・山本富士子
        
       

永井荷風 その2

2020-11-22 09:41:00 | 読書

        29歳 フランスから帰国。
        「あめりか物語」「ふらんす物語」で
        風俗壊乱として 発禁処分にあうも、  
        漱石の紹介で 朝日新聞に「深川の唄」連載。

        31歳 森鴎外の推薦で 慶大教授にもなった。
        当時 学生だった佐藤春夫は こう語っている。
        「講義は面白かった。それ以上に雑談は面白かった」

        この頃、両親のすすめで結婚するが、翌年 離縁。
        その後、芸妓を入籍するも、身内との折り合いが
        わるく 破綻。
        以降、女給や娼婦と付きあうも 妻帯はしていない。

        37歳で慶大を辞して、独り暮らし。
        江戸の文学を こよなく愛し、
        一方でフランス文学への造詣もふかめる。
        関係した女性を 「断腸亭日乗」に列記するなど
        独自の境地へ。

        40代後半から 創作の興味は芸者から女給や私娼へ。
        浅草の歓楽街や 玉ノ井の私娼街に 入りびたるなど
        新境地開拓というべきか。

        一方で 朝日新聞に「墨東奇譚」を連載。
        全集による印税もあり、 豪放磊落な生活。

        ※ 「断腸亭日乗」
          38~79歳の死の前日まで 42年間綴った日記。
          自らの住まいを「断腸亭」と名付けたのは、
          腸を病んでいたことと、花の秋海棠(別名・断腸花)
          が好きだったことに由来。
       
          
          
        
        
        

永井荷風

2020-11-22 09:23:34 | 読書


        永井荷風が逝って 今年で60年。
        もう? というべきか、
        まだ60年しか経っていないと思うか、
        人それぞれ。

        今日は この風変りで しかも下町を愛し、
        江戸文化やフランス文学に造詣のふかい
        人となりに迫ってみたい。

        永井荷風(明12~昭34) 79歳没
        高級官吏の父と 良家の母の下に誕生。
        自らも小・中学とエリートコースまっしぐら。
        幼少から 母に連れられ芝居に親しむ。

        15歳くらいから文学にめざめ 
        高校受験に失敗して 軟派の生活に。
        東京外語大中退。

        本人はこう 回顧している。
        「もし この事がなかったら 私は老人に
         なるまで 遊惰の身にはならず 一家の
         主人として ひと並みの生涯を送ったであろう」

        やがてフランス語を習いはじめ
        歌舞伎の座付き作者になったり、
        落語家に弟子入りしたり、
        反骨精神がめばえる。

        24歳、父の意向で 実業家になるべく 渡米。
        その後、やはり父のコネで フランスへ。
        しかし 父の希望する実業家(大使館や 銀行勤め)
        には なじめず、
        西洋文学 オペラ クラシック ざんまい。

        ※ おなじみの 飄々とした 風貌の荷風

沢木耕太郎『檀』

2020-10-28 13:15:44 | 読書

       もう一つ 例をあげよう。 
       沢木耕太郎に『檀』(だん)という著書がある。

       いわずと知れた『火宅の人』で有名な檀一雄の
       ことで、こう始まる。

       「夫の13回忌も過ぎた頃、妻である私のもとを
        訪ねる人がいた」

       つまり、
       一雄の妻・ヨソ子さんの視点で書かれた小説なのである。
       (ヨソ子さんは 女優・檀ふみさんのお母さん)

       これを書くにあたって、
       沢木は一年間、檀家に通い續けて、 
       ヨソ子さんの信頼を得て、
       (浮気された妻の)心情を語ったものである。

       それによると、
       ヨソ子さんは 取材を受けてから はじめて
       『火宅の人』を読み、
       「それは違います。(あなたは)そんなことを
        思っていたのですか」
       と、亡き夫に向かって叫んだという。

       暗くてじめじめした内容かと思いきや、
       カラッとして 爽快感すら感じる作品である。

       現在、福岡県柳川には 檀家の菩提寺とお墓があり、
       取材の際、現地の人に案内されて お参りしてきました。

       廃寺と思われるような お寺さんで、
       古いお墓が多いなか、
       檀家のそれは いちばん立派。
       「檀 一雄 と ヨソ子」の名前が
       並んで記されていました。
       
       
       
        

沢木耕太郎「一瞬の夏」

2020-10-26 09:44:34 | 読書
       私が沢木耕太郎が好きなのは、
       その取材方法で、こういっている。

       「私は 自分で見たもの 直接聞いたことしか
        書かない」

       こういう姿勢だからこそ、真実に迫る、 
       リアルな表現ができるのだろう。

       『一瞬の夏』の例を あげよう。

       カシアス内藤は 有能なボクサーなのだが、
       彼の性格の弱さからか 無残な結果に終わった。

       その内藤が 4年後に復帰するという。

       当時、駆け出しのルポ・ライターであった沢木は、
       何か心騒ぐものがあって、
       プロモーターを買って出て、
       ポケットマネーで資金の援助もした。
      
       ときどき練習現場に顔を出し、
       内藤の仕上がり具合をチェック。

       努力嫌いの内藤は 減量もなかなかうまくいかない
       ようで 苦しんでいた。

       結果を急げば 案の定、 一回戦で KO負け。

       1年間にわたる 著者と内藤の闘いは 終わった。

       沢木は 勝ち戦だけでなく 負け戦もきちんと
       描いた。
       そこには 一ボクサーではない、
       一人の人間の夢と希望や 弱さもあった。 
       

       

        

       

か き く け こ

2020-10-04 15:53:04 | 読書
       序文にならって「老いにカツを入れるため」に、
       坂東眞理子さんの新著を手にとってみました。

       坂東さんによると、
       「肉体は若い頃より 衰えている。
        でも 昔は見えなかったものが見え、
        若い頃には 分からなかったことが
        理解できている」

       まさに 実感です。

       インドでは 人生を、
       「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」
       の四つに分けている。
       (これは五木寛之、桐島洋子両氏もいっている)

       いろいろな解釈があるでしょうが、
       日本では 定年にしばられる60歳くらいまでが
       「家住期」で、仕事や家庭など 生活基盤を
       築く時期。

       そこから80歳までは「林住期」。

       その後、寿命が尽きるまでは「遊行期」で、
       いわば 最後のステージになります。

       私は この「遊行期」の響きが気にいりました。
       せめて 一つくらい 極めた!と思える仕事なり、
       趣味を持ちたいもの( これ 願望)。

       ついでにいえば 人生は「か き く け こ」

       「か」は 感動、学習
       「き」は 機嫌よく
       「く」は 工夫して
       「け」は 健康
       「こ」は 交流、貢献

       こうなると ちょっと危うい。