一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

節分

2017-01-29 10:59:34 | 季節
  


       時節柄、スーパーの店頭には節分の豆や鬼のお面が
       ならび、恵方巻きの宣伝がでかでかとなされている。

       わが家はこの時期、家族が(仕事の都合で)そろわない
       ので、豆まきはしばらくやっていない。
       私が自分のお腹にまく(食べる)だけである。

       昔、節分の豆が余ってご飯に入れて炊いたら、固くて
       評判が悪かった。
       (私はおいしいと思ったのだけれど)

       このように雑食の私はわが胃(ぶくろ)を大事にしない。
  
       「飲食を少なくして胃を養い、言を少なくして気を
        養うべし」

       江戸時代の本草(ほんそう)学者、貝原益軒の
       「養生訓」である。

       
      なるほど、「気」は無駄な言葉と一緒に口から出て
       いくらしい。

       さすがの私も高齢者の域に達して、暴飲暴食はでき
       なくなったが、ちかごろ怖いのは口から出る禍である。
       やはり養生訓にもあった。

       「古人、禍は口よりいで、病は口より入るといえり」

       私個人のことはさておき、
       最近気になるのは米国の新大統領、トランプ氏の発言
       である。

       前大統領のオバマ氏は、
       「多様性がこの国の弱みではなく強みだ」
       といって、多くの知識人をうならせたが、
       トランプ氏はどうだ。

       氏がほえるほど社会は亀裂を深め、アメリカという
       超大国の行く末がちょっと心配になる。
       同盟を強調する日本だって、この先、どうなるかと
       気が気ではない。

       アメリカには恵方巻きはないだろうから、
       どっちの方向を向いて巻きずしをたべようと、
       知ったこっちゃないといったところだろうが。

血圧気になる?

2017-01-28 13:31:20 | 健康


      これまで血圧はほとんど気にしなかった。
      
      110--70と(数値が)正常だったこともある。
      昔は100--60と、むしろ低血圧気味だったのだが。

      それが、このところ年齢のせいもあるのだろうが、
      ちょっと風邪気味で病院にいっても必ず血圧の数値を
      聞かれ、またはその場で計ったりされるようになった。
      (今までもあったのかもしれないが、あまり意識して
      いないこともあって気にしていなかったのである)

      そして、この間、病院で計ったら、なんと
      150--110
      あって、仰天してしまった。

      医師に聞いたら、「寒いので上がったのでしょう」
      と云われたけど、それにしても高すぎる。

      血圧は朝と晩というように、一日のなかでもずいぶん
      違うということは聞いていたけれど、
      気温によってこれほど上がったりするのかと、
      あらためてびっくり。

      そういえば、
      親友の一人に「冬が嫌い、夏大好き」と云う人がいる。
      理由は血圧が高くて降圧剤をのんでいるのだけど、
      夏が血圧が安定して体調もいいのだという。

      夏の暑さに弱い私は、これにも驚いたのだが。


      こんなことを思い出したのは昨日の夕刊に、
      「住宅断熱で血圧低下」
      という記事があったからだ。

      やはり、
      冬の朝は寒くて血圧が高くなり、高齢者ほど
      上昇幅が大きい。
      さらに(高齢者)は寒いと活動量が減り、足腰が弱く
      なるといったリスクも伴うらしい。

      そして、住宅に断熱材を使用し、室温をちょっと
      上げたところ、
      ほとんどの人が起床時の血圧の低下がみられた。

      この結果にもえっ!という感じだが、
      自分の血圧が気温によってこれほど影響するのかと、
      リアルに驚かされた。

      それからは薬局に寄った際など、
      血圧計を見つけると、すぐさま腕と突っ込んで
      計るようになった。
      (最近の薬局にはほぼ血圧計測器が置いてある)
      
       
      
      
      

週刊誌ななめ読み

2017-01-21 18:18:23 | 雑記


        週刊誌には日頃、まったくご縁がないが、
        唯一目にするのは月一回、整体に行ったときだけ。

        それも待ち時間の10分ほど。

        「週刊新潮」に載っている、五木寛之氏のエッセイ
        を好んで読む。

        昨日行った整体では氏のエッセイにこんなのがあった。

        「秋田犬」の読み方について。

        私もそうだが、氏もまた「あきたけん」と読んでいた。
        ところが正しくは「あきたいぬ」と呼ぶのだそうで、
        驚いたという話。

        だって、北前船は「きたまえぶね」と云うではないか。
        「きたまえせん」では気分が出ない。
        まったくもって同感である。

        そのような内容だった。
        ななめ読み(走り読み)でメモしているわけではない
        ので正確ではないかもしれないが。

        ここからは氏のエッセイとは離れるが、
        
        土佐犬、柴犬、紀州犬
        はどうか。

        正解は「とさいぬ」「しばいぬ」「きしゅういぬ」。
        
        甲斐犬だけ「かいけん」だそうだ。
        やっぱり「かいいぬ」じゃ、おかしいのかな。


        では、
        「松坂牛」はどうだろう。

        いつかTVでやっていたが松坂牛は
        三重県と松坂牛協議会のブランドで「まつさかうし」
        と云う。

        ではでは、
        米沢牛、前沢牛、信州牛はいかに。

        それぞれ「よねざわぎゅう」
        「まえさわぎゅう」
        「しんしゅうぎゅう」
        と呼ぶのだとか。

        ああ、ややこしい。
        (ただし、地方や人によっては諸説あるだろうが)

     
        ※ 近所の紅梅(日当たりがよくて4分咲き)

金子みすずの世界

2017-01-20 19:45:04 | 読書


       昨日、今日の寒さ。

       明け方、雪が降ったらしく起きたら車の上がまっ白
       だった。
 
       雪国の人には笑われるけど、関東などの首都圏では
       雪になると交通網は乱れるし、人もすべったりして
       けが人続出である。

       幸い、昼間は小雨がぱらつく程度で雪にはならなかった
       が、まるで冷蔵庫の中にいるような寒さに、いまいち
       気焔があがらない。

       こんな寒い日、
       必要があって金子みすずの詩集を読んでいる。

 
       金子みすずは明治36年生まれ。
       女学校を卒業したころ、雑誌「赤い鳥」に投稿した
       ことから西條八十に見いだされた。
 
       しかし私生活では気のそまぬ結婚を強いられ、女児を
       もうけたものの、夫から性病をうつされ、さらに
       執筆を禁じられる。

       思いあまったみすずは離婚したが、夫が明日、娘を
       引き取りにゆくという前日、写真館にいって一枚の
       写真を遺したまま、26歳で自殺。

       死後、20年近くたって、金子みすずは矢崎節夫と
       いう詩人によって再発見(発掘)された。

       いま、我々がみすずの詩に触れることができるのは
       そのおかげである。


        「つもった雪」
        
         上の雪 さむかろな
         つめたい月がさしていて

         下の雪 重かろな
         何百人ものせていて

         中の雪 さみしかろな
         空も地面(じべた)もみえないで


※ 『金子みすず名詩集』 彩図社

下へ下へ根を

2017-01-14 17:42:43 | 雑記


         今日、友人から携帯に電話が入った。
         共通の知人が暮れに入院してまだ連絡が取れない
         状態だという。
   
         ちょっと急ぎの用事があり、メールをしておいた
         ら、夕べ知人の息子さんから電話があったという
         のだ。

         その知人からは年賀状もきていたので、
         そんな事態になっているとは知らなかった。

         寒波襲来のこの時期、知人の容体が気になる。

         日々、生きている(生かされている)我々は
         決していいことばかりではない。
         楽しいこと、嬉しいこともあるけれども、
         それと同等の、否、それ以上の悲しみや苦しみ
         も享受しなければならない。

         まして病と闘っておられる方は、わが身の不運に
         嘆くこともあるだろう。
  
         そんなとき、ふとしたことばに救われたり励まさ
         れたりする。
         

         昨年末、12月30日に89歳で他界された
         渡辺和子さんのご本もその一つである。
         
         『置かれた場所で咲きなさい』

         シスターの渡辺さんはこの本のなかで、
         我々に深いことばをのこされている。

         「苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。
          置かれたところこそが、
          今のあなたの居場所です」
       
         「置かれた場所で咲きなさい」

         しかし、
         咲かそうと思っても出来ないことがあります。
         そんな時はどうしたらいいのか。

         渡辺さんはこう云われます。

         「どうしても咲けない時もあります。
          そんな日は下へ下へと根を降ろします」

        
         なんと深いことば。
         「下へ下へと根を降ろす」
 
         どうしても上を向いて花を咲かすことの出来ない
         時は、根っこを地面深く張らせれば、いつしか
         きれいな花が咲くでしょう。

         そう云っているような気がします。


遠野物語

2017-01-13 19:17:00 | 雑記



        明日明後日の15~16日はセンター試験なのに
        今冬いちばんの寒波襲来で、太平洋側でも雪に
        なるところが多いという。
   
        受験生のみなさんが心配である。
        どうぞ、悪天候で交通機関などの混乱がないよう
        に!!

        さて、職場も学校もはじまって正月気分は抜けた?
        が、旧暦ではこれからがお正月本番。
        田舎なら今でも、小正月、または女正月といって、
        独特の祝いをやるところがあるかもしれない。


        そんなことを考えていたら、10数年も前に
        訪れた柳田國男の「遠野物語」を思い出した。

        「遠野物語」は柳田國男が明治43年に発表した
        岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した
        説話集である。

        
        天狗や河童、座敷童子(わらし)など妖怪にまつわ
        るものから山人、マヨヒガ、神隠しといった伝説
        など多岐にわたる。
  
        小正月行事として、
        家の神とも養蚕の神ともいわれるオシラサマや
        オクナイサマという木像に衣を着せたり、おしろい
        を塗ったりして祭ったのもあった。

        面白いのは
        (私の記憶だが)
        そういったオシラサマやオクナイサマが農作業が
        忙しくなると山や田んぼからやってきて手伝いに
        来ることだった。

        そして、私が訪れた当時はまだ語り部のおばあさん
        がいて、観光客に昔話を語って聞かせた。
        (泊った遠野駅前のホテルには昔話を吹き込んだ
         カセットテープもあった)

        よく昔話の結句(語り納めのことば)として使われ
        る「どんとはれ」は、
        「どんと」は「すべて」
        「はれ」は「はらい=祓い」
        つまり、お話のおしまいにその場(または聞く者の
        精神のうち)に漂っている言霊(ことだま)を
        「すべて祓う」ためのことばだそうです。


        ※「遠野物語」記念館の「昔話蔵」
         
        

        

新年早々

2017-01-09 16:44:52 | 雑記


        新年早々ですが、
        冷蔵庫が壊れました。

        一週間ほど前からちょっと??とは思っていた
        のです。
        あれ、野菜のいたみが早い…といった。
      
        それでも鈍(にぶ)い私は、さほど危機感は感じて
        いませんでした。
        一応、まだ冷気は残っていたので。

        庫内のランプが消え、かすかなアラーム(警告音)
        が聞こえたのは一昨日。
        (それも聞こえるか聞こえないくらいの)
       
        あれ? 何の音だろう。
        しばし耳をすまし、あちこち探ったのですが分からず。
        あっ、冷蔵庫だ!と思ったのは一時間くらい経ってから。

        あわてて冷凍庫を開けてみると、やはり……。
        これ以上はいいません。

        たしか冷蔵庫の消費期限は12~3年。
        (お店では10年と云います)
        この冷蔵庫、引っ越し前から使っているから、それ以上
        になるはず。

        ああ、とうとう。

        そうと決まったら走るしかありません。
        家電量販店へ。

        いっぱい並んでいるので目移りします。
        優先順位はサイズ。
  
        私の部屋の冷蔵庫置き場所は決まっていますので
        従来の大きさを超えてはNG。
 
        それに、昨日買物していっぱい詰めたばかりです。
        ですから可能なかぎり早く配送してもらわなければ
        なりません。
        (そのためには店舗に在庫があるものに限る)

        サイズと迅速な配送。
        この二つを最優先に絞りました。

        思えば家人たちは大型冷蔵庫を使っています。
        今回はあくまでも私個人用。
    
        常識的に考えれば高齢者一人の冷蔵庫なんて、
        小さくていいはずです。

        ところが…、
        冷蔵庫って、大きければ大きいほど、いくらでも
        詰めてしまうもの。
        (これまでも、常に満杯状態に入っていました)

        かくして、
        従来とほとんど変わらない
        (むしろちょっとサイズアップした)
        ものに決定しました。
        多少、やましい思いはありましたが。

        新しい冷蔵庫は明日着きます。
        それまでいくつかの食品は家人の冷蔵庫に預かって
        もらっていますが、ほとんどのものは残ったまま。

        明日、新品が届いたら急ぎ入れ替えなくちゃ。
        それまで持つかどうか……。
        

        ※ 急ぎ駆けつけた家電量販店の冷蔵庫売り場
        
        
        
    
        

高齢者「75歳から」

2017-01-06 18:45:39 | 雑記


       今朝の新聞からーー
       高齢者「75歳から」という記事があった。

       65歳はまだ若い。
       医師や大学教授などでつくる専門家グループ
       (日本老年学会)
       は「65歳以上」とされている高齢者の定義を
       「75歳以上」に見直すべきだとする提言を
       発表したのだという。

       医療の進歩や生活環境、栄養状態の改善など
       により、65歳以上の体の状態や知的能力は
       以前より5~10歳ほど若返っているという
       結果が得られた。

       これにより、
       「准高齢者」65~74歳
       「高齢者」 75~89歳
       「超高齢者」 90歳以上
       と定義つけることにしたのだという。

       もちろん個人差はあろうし、ほんとうに疾患を
       もって苦しんでいる方もおられるであろうが、
       私は、おおむねこの考えに賛成である。
      
       すぐ(口ぐせのように)「年だから…」といって
       齢のせいにするのは私は好きではない。

       いくつになっても、たとえどこか具合が悪くても
       生きているかぎり、少しでも社会とつながってい
       たいものだ。
       最終目標は生涯現役だが、そこまでいかなくても
       日々、小さなよろこびを見つけ、
       仕事やボランテイァ等々、自分を啓発する世界を
       もっていたいとつくづく思う。

       放っておけば年々頑固になりそう、
       そこをちょっと我慢して、いろいろな人や情報に
       接して、できるだけ柔軟な考えをもちたいものだ。

       もちろん、日頃の自分に危うさを感じるからこそ、
       そう思うのでありますが…。

       
       

めでたさも

2017-01-03 18:29:55 | 雑記


       謹んで、
       明けましておめでとうございます。
       本年もよろしくお願い申しあげます。

       
       みなさんはどのような新年を迎えられたで
       しょうか。
       

       わが家は仕事で家に居ないものもいて、
       新年は家族そろってから、ということになって
       います。

       それに、
       暮れにインフルエンザにかかった私ですが、
       とうにインフルエンザ菌は去ってくれたものの、
       咳が回復せず、夕べなどは何回も咳で起きてしま
       いました。

       それでも雪国の方々には申し訳ないほど関東地方は
       好天に恵まれ、まずまずは清々しい正月でした。

       ここは一茶ばりに、

        めでたさも中くらいなり おらが春
 
       といったところでしょう。
       一茶57歳のときの句です。


       一茶は3歳で母親を亡くし、若くして奉公に。
       成人して結婚してからは4人の子どもも夭折し、
       奥様にも死なれてしまいます。
       その後は継母、異母弟との間に遺産相続問題が
       おこるなど、決して幸せな一生ではありません
       でしたが、
       上の句は、わが身の不幸をうたったものでは
       ありません。

       何事にも達観した一茶です。
       「新春を迎えて目出度いのであるが、そんなに
       目出度いかといえばそうでもない。
       幸せでもないけれど、不幸でもない。
       そんな中途半端が、まあ自分にはお似合いなの
       だなあ~」
       といったところでしょうか。

       まあ、私の好みの解釈ですけれど。


       ※ 久しぶりに見た凧揚げ(近くの公園で)