一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

(創作)四字熟語

2017-12-24 07:13:57 | 雑記


      (創作)四字熟語をみていると、
      今年はどんな年だったかが、よ~く分かる。

      あまりにも月日の過ぎることが速くて、
      え、あれは今年だったかしら……
      なんてことが幾つもある。

      例えば、
      「棋聡天才」(奇想天外)
      最年少プロの藤井聡太四段が
      将棋界最多の29連勝を達成したのは
      まだ記憶に新しい。

      「政変霹靂」(青天霹靂)
      衆院解散、野党の離合集散など政界が
      目まぐるしく動いたのもまだ、つい
      この間の感じ。

      「九九八新」(緊急発進)
      陸上男子100㍍で桐生選手が日本人
      初の9秒台を記録した。
      あ、そうでした、そうでした。

      「荷労困配」(疲労困憊)
      人手不足で表面化した宅配業界の現状。
      それは宅配のお兄ちゃんが来るたびに
      感じている。

      「蟻来迷惑」(有難迷惑)
      つよい毒をもつヒアリが各地で見つかり
      大騒ぎ。
      これは完全に忘れてましたァ。

      
      さて、
      今年も残すところ数日となったが、
      私はまだぐずぐずの状態。

      というのも年明け1月10日締切の原稿が
      まだ見通しがつかず「疲労困憊」している
      からです。
      
      早くに着手すればいいものを、
      日常の煩雑さに振り回されて、なかなか
      創作の気分になれなかった。

      あ、これは言い訳。

      というわけで、大掃除もままならず、
      私の机周りは目も当てられないほどとっ散らかって
      います。

      とりあえず、ご挨拶のみ。

      メリークリスマス!
      そして良いお年をお迎えください。
   

カボチャとゆず湯

2017-12-23 07:42:59 | 雑記


       昨日12月22日は冬至。
       一年で最も昼が短く、夜が長い日ですね。

       そういえば暗くなるのが早くなりました。
       というのも、太陽の昇る高さが一年で最も
       低くなる日で、必然的に日没も早くなる
       ということだそうです。

       夕べはカボチャを食べて、
       ゆず湯に入りましたが、いったいそれはなぜ?

       古代中国では、
       冬至の日を一年のはじまり、
       太陽の復活の日とされて、
       おめでたい日なんですって。
  
       さらに、今は新月で、夜は真っ暗。

       新月と冬至が重なると「朔旦冬至」と呼んで
       月と太陽の両方が復活する日として、
       19年に一度起こる現象で、
       非常におめでたいことらしいのです。

       ついでにいうと、
       冬至にカボチャを食べるのは……。

       一年で最も太陽の力が弱まる日だからこそ、
       以後は再び太陽の力が増すよう、
       「一陽来復」を願って
       「ん」のつくものを食べる風習ができたのだとか。

       例えば、
       れんこん、だいこん、にんじん、ぎんなん、
       かんてん、うどん(うんどん)……
    
       みんな、おいしいものばかり。
       ではカボチャは?
    
       カボチャは「南瓜」と書くので
       「ん」が2つも付いている!

       それでは、ゆず湯の由来は?

       運を呼びこむ前に体を浄(きよ)めるのだ
       そうです。

       ゆず湯に入って、邪気を払うってことらしい。

       夕べ入ったゆず湯で、まだ体がぽかぽかしています。

       邪気を払って、あと8日間がんばらねば。

       

       
       
       

AIか、人間か

2017-12-17 07:08:01 | 雑記



       最近とみに、
       「AIか、生身の人間か」
       といったことが話題になるが、
       私は絶対に「生身の人間」派である。

       それは私がIT機器弱者であることからして、
       どうも機械のやることが信用できないことにある。
 
       そんなことを云うと、
       ある人は
       「いや、今や、人間よりコンピューターの方が
        間違いは少ないし、人間の方がもっとミスが多い」
       などと堂々と云う。

       それに、生身の人間なら、
       応対の仕方とか、ちょっとしたことが気になるが、
       コンピューターなら余計な気遣いをしなくてよい、
       のだそうだ。

       そうかなあ、
       私は釈然としない。

       そんなある日、新聞で、
       「次世代コンビニ、無人化」
       というニュースを見た。

       なんでも人手不足を補うために、
       レジを無人化するのだという。

       え、そんなこと出来るの?と驚くが、
       どうやらこういうことらしい。
       「スマホに専用アプリをインストールした客しか
        入店できない仕組みで、
        客はアプリ画面を出入り口にかざして入店する。
        客は商品のバーコードをアプリで読み込んで
        電子決済するため、レジを通す必要がない」

       結果として、
       限られた店員は商品陳列や清掃などに専念でき、
       負担軽減にもなる、というのだが……。

       恐ろしいことになったと、私は思ったら、
       「買い物客の少ない深夜0時~5時」
       に限っての話。

       そもそも、
       振り込みや、外出の際、コーヒーを飲むためにしか
       コンビニを利用しない私。

       そんなに影響ないかっ。
       

       ※ コンビニのおでんはいつもおいしそう



年末の便り

2017-12-16 07:58:58 | 雑記
 


       毎年恒例のことながら、
       年末にあたり今年も喪中のご挨拶の葉書が何通か
        届いている。

       102歳のご母堂を送られたとか、
       99歳の義父を10年以上の介護の果てに送られた
       とか、
       世の中は長寿なのだな、とつくづく思った。


       その中でも2つのお便りが心に響いて、
       なかなか頭から離れない。

       1つは昔の仕事仲間であった女性の友人から。

       「8月半ばから体調がすぐれなかった主人が
        あっという間に逝ってしまいました」
       というもの。

       友人は私とほぼ同年代で、ご主人もまだ70代
       であったろう。

       何年も闘病して死を迎える人が多いなか、
       「あっという間に逝ってしまった」という
       言葉が強烈な印象で、
       友人の心痛が思いやられる。

       それだけでなく、友人は
       「これを機に今後、年賀のご挨拶を欠礼させて
        いただきます」
       というのだ。

       しかも、その葉書は印刷ではなく
       色を抑えた筆ペンで書かれていたのでした。


       もう1つは小・中学校の同級生から。
    
       彼女は埼玉県在住で、子どもたちも成人して
       ご主人と2人暮らし。

       ふつうの年末の挨拶と思っていたら違っていた。

       なんと思い切って田舎にUターンしたというのだ。

       田舎といっても、東日本で被災し、いまだ復興も
       充分でない福島県の南相馬市だ。
       そのなかでも最も打撃が大きい小高区に。

       どんな心境があったのか、
       詳しくは書いてないが、
       買物は不便で、車で30分も行かなければならない
       と現状が綴られてあった。

       人それぞれの人生。

       そう思いながらも、感慨深い年末ではある。



       ※ 鎌倉山ロータリーにある、丸ポスト
       
       

  

冬季うつ

2017-12-10 07:31:01 | 雑記


      今年の冬至は12月22日。
      
      すっかり日の暮れるのが早くなった。
      日によっては午後4時ごろになると早くも薄暗く
      なって焦る。
      太陽の喪失を予感して、洗濯物を早く取り込み、
      時計をみて、まだ4時じゃないのと独り言を云ったり。

      家にいる時はいいが、外出した日なんぞ、
      気まで急いてせかせかしてしまう。

      この季節は冬季うつになる人が多いそうだ。
      なかには気分が落ち込んで、日常生活が送れない
      ほどになる人もいるというから、馬鹿にできない。

      症状は過眠や過食などにあらわれ、
      一般的な不眠や拒食とは逆なのだという。

      しかし、過眠や過食は冬眠前の動物と同じで、
      人間も間違いなく(哺乳)動物なのだから、
      これは自然のことなのかもしれない。

      だけど、
      現代人は季節を問わず、さらには時間をも問わず、
      働かなくてはならないのだから、つらい。

      こんな時、どうするか。

      天気のいい日は外に出て、太陽の光を浴びるのが
      いいのだとか。

      ああ、やっぱり部屋に閉じこもってばかりでは
      ダメなのね。

      ぐうたらで引きこもり大好きの私は、
      認識をあらためなくてはならないようだ。

      ※ すっかり冬枯れした庭のモミジ
        風が吹けば一日にして葉っぱも落ちて
        しまうだろう。
      

      
      

キリギリスの死

2017-12-09 07:50:39 | 雑記



      洗濯物のタオルにでも付いてきたのか、
      夕刻、カーペットにキリギリスがひっそりと息づいて
      いた。

      私はティッシュでそっとつかんで外に出してやった。
      こどもの頃からあまりキリギリスが好きでなかったし、
      何といっても、あの姿は自然の中にいるのが似合って
      いると思ったから。

      ところが翌朝、新聞をとるためポストを覗いたら、
      その足元にある植木鉢によじ登って、
      そのまんまキリギリスは死んでいた。

      即座に私は、
      夕べ一晩、キリギリスに暖かい部屋を提供すれば
      よかったのかな、と考えた。
     
      しかし、キリギリスは遅かれ早かれ死を迎える運命
      にあったのだろう。
      ニンゲンの感傷なんて、自然界の生き物には通じ
      ないのだ。

      私は瞬間、「アリとキリギリス」の話を思い出した。
    
      アリは暑い夏でもせっせと働き、
      キリギリスは夏の間中、歌をうたっていた。
      やがて冬がきて、食べ物のなくなったキリギリスは
      アリに食べ物をめぐんでくれるよう頼むが、
      こう逆襲される。
      「キリギリスさん、あなたは夏中、歌をうたって
       楽しんでいたのでしょ。
       冬になったら今度は愉快に踊っていればいいじゃ
       ないですか」

      ご存じのように、
      教訓めいたイソップの寓話である。

      ここまできて、やっと私は気づいた。
      ああ、あれは秋に美しい音で鳴くキリギリスであって、
      カマキリではないことに。
      キリギリスとカマキリを混同していたのだ。


      しかし、である。
      昆虫はほとんどワンシーズンで子孫を残すと
      死にいたる。
      蝉しかり、秋の虫たちも。

      だから、キリギリスの死を目の当たりにしたって、
      ニンゲンの憐憫や感傷なんて必要ないのだ。

      だが、玄関を出ると、鉢につかまって死んでいる
      キリギリスが目に止まって仕様がない。
      
      家族にも云っていない。
      キリギリスはあのままにしている。
      
      
    

      


      
      
  

ああ、大掃除

2017-12-03 07:25:43 | 雑記


       年末が近づくと、
       「また大掃除の季節か……」
       と憂鬱になる。

       というのも、私は片付けられない女だからだ。

       机の上は2台のパソコン、
       さらに、左右、前後……本と資料が山のように
       なっており、無理して片付けようものなら、
       どこに何があるのか、分からなくなる。

       汚いなら汚いなりに、
       (言い訳だが)
       だいたい資料の在りどころを把握しており、
       いったん切り崩したら、その瞬間から
       頭が混乱して落ち着かなくなる。

       つまり、
       机上の乱雑=精神の安定
       であって、これは譲れないのだ。

       では、机以外はどうかというと、
       これまた他人様には見せられない散らかりよう。

       私だって、
       きれいに片付いた部屋で気持ちよく暮らしたい、
       という願望はあるのだが。
       いつの間にか、衣類、紙袋、バッグやリュックが
       我がもの顔に存在感を主張している。

       意を決して、
       部屋だけは何とかしようと立ちあがったはいいが、
       新聞でこんな記事を見た。

       「高齢者は師走の掃除危険!!」

       ああ、なんということ。

       椅子や脚立に乗っての転落。
       重いものを運んだりの腰痛。
       電気コード、カーペット、掃除機にぶつかっての転倒。

       等々で、骨折になりかねない。

       ヘタすれば寝たきりになって、それが引きがねとなり
       認知症にまっしぐら……
       なんてことも。

       ではどうすればいいのか、
       大掃除ではなく、
       日頃の「こまめな片付け、掃除」がいいのだというが、
       それが出来ないから悩んでいるのだ。

       
       ※ あまりにひどい机周りなので、
         斜めに撮った写真
       

       

あの日

2017-12-02 16:04:18 | 雑記


      「退位19年4月30日」
      「5月1日即位・改元」

      新聞で大きな見出しをみて、
      ああ、いよいよ、と思った。

      現・天皇陛下が生前退位され、
      皇太子が新・天皇に即位されるのである。

      平成になって今年で29年、
      退位の年は足かけ31年になるはずだ。

      誰しも年月の経つことの早さに感慨深いものが
      あるだろう。

      私は、「あの日」を思い出した。

      あの日、昭和天皇崩御の日、
      私は新宿にいた。

      街中が明かりをセーブし、
      喫茶店はどこもレクイエムを流していた。
      (よく曲が間に合ったと思うが、天皇はその幾日
       も前から危篤状態であったから、
       業界でもそのような準備をしていたのだろうか)

      そして、
      「昭和」が終わって新しい元号に変わる日、
      私はこれまた趣味の仲間と有楽町にいた。

      昼食をとるため中華風の居酒屋に入ると、
      なにやらあわただしい。
      聞くと、改元されたらしい。

      隣のテーブルの人が「へいせい」と教えてくれた。

      「へいせい?」

      私はいま思ってもアホだが、
      「平静」という漢字しか思いつかなかった。

      店から出て号外をもらって、
      ようやく「平成」と書くのだと分かった。

      それからは「平成」生まれの人に会うたびに
      驚嘆し、
      今や、その平成元年生まれの人も29歳なのだ。

      思えば、
      私も年をとったものだ。  
      「昭和」「平成」と生きてきて、
      新しい元号を迎えるのだから。
      (2年後まで無事生きられますよう、祈りつつ)


      ※25年ぶりに開かれた皇室会議
       (新聞写真をお借りしました)