一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

とりあえず

2016-04-30 07:50:51 | 雑記


     「病気か」と問われると
     「ノー」
     「元気?」と問われれば
     「いまのところ」
     と答える。

     病気ではないが、すこぶる爽快でもない。
     いわゆる未病っていうやつである。

     腰痛という慢性の疾患をもっているし、
     年中やる気のない、けだるさは襲ってくる。

     前回、被災地と笑いについて書いたが、
     余震が続いているなかで、けだるいなんて
     云っている場合ではないだろう。

     ようやく仮設住宅建設がはじまり、ボランテ
     ィア体制も整いはじめたというが、潤滑に
     ながれるまで不備なことは多いに相違ない。

     私は故郷である東日本震災を思い出して
     新聞やTVのニュースをみるたびに
     胸が締めつけられる思いがする。

     新聞でこんな川柳を読んだ。
  
     「哀しみを知って笑いを深くする」
   
     東日本震災で被災した津田公子さんという
     方の川柳である。

     住まいは津波に流され、避難所に身を寄せ
     いる状況のなかでも、炊事班の女性たちは
     何気ない会話に助けられたそうである。

     「野菜を切ったり、皿を洗ったりする時の
     やりとりで、自然にふっふっと笑えるん
     です。そうだねえって感じで」
     

     私もけだるいなんていっていてはバチが
     当たる。
     とりえず笑って、心身の不調を飛ばさな
     くては。

    
     ※ 先日通りかかった安養寺のつつじ。
      甘い香りにミツバチならずとも引き
      寄せられる。

被災地に笑いは必要か

2016-04-24 06:12:15 | 雑記




      今回の熊本地震でもTVのお笑い番組について
      その是非が問われているようである。

      被災地に「お笑い」は必要か。

      お笑い番組といっても程度問題であろう。
      あまり下品な下ネタなどでは顰蹙をかうで
      あろうし、だからといってお高くとまった
      番組では心に響かない。

      被災地にかぎらず、日常的に「笑い」は潤滑油
      で、病気すら快癒するという説があるくらいで
      ある。 
      だが、その線引きはどこになるのだろう。
      受け手によっても異なるだろうし。


      ここで新聞でみた松村由利子さん(歌人)の
      コラム(うたのスケッチ帳)を紹介したい。
      タイトルは「輪ゴム」

      「輪ゴム」なんて余りにも身近すぎて歌になる
      のかしらと思ったが、あにはからんや不意を
      突かれた。

      「3階の窓から空に向け飛ばす輪ゴム
                神さま僕はここだよ」      
                    (田中ましろ)

      小学校低学年くらいの少年だろうか。
      空に向かって輪ゴムを放ち、「神さま」「僕は
      ここだよ」と呼びかける気持ちが可愛らしい。

      「大正に生まれ昭和を生きた母
           手首に輪ゴムをしていたいつも」
                     (藤島秀憲)

      これは、ひと頃の年代の人なら誰でも記憶に
      あるのではないか。
      昔のお母さんは物を大事にした。この歌をよむ
      と、なぜか白いかっぽう着と共に、水仕事で
      荒れた手まで目に浮かぶ。

      「のびきった輪ゴムのやうな陽(ひ)だまりに
                 父と母とが大根洗ふ」
                     (時田則雄)
 
      「のびきった(輪ゴム)のような陽だまり」
      ですか。なかなか表現できるものではない。
      大根は一本や二本ではない。
      漬物にするために大量な大根であろう。
      それを黙々と洗う老父と老母。
      季節は北国の晩秋。
      私はそんな光景を想像する。
      北風が吹きはじめて寒いけど、暖かい夫婦の
      関係性。

      この昭和の記憶のような「うたのスケッチ帳」
      は、私に生気に満ちあふれる活力を与えてく
      れた。
      もし私が被災地に置かれたとしても、きっと
      このようなコラムから明日を生きる力を得る
      ことだろう、と思った。

           
       
   
  
     

いとしき蜃気楼

2016-04-23 07:28:09 | 雑記


      熊本地震から一週間過ぎ、エコノミー症候群で
      亡くなるひとが出るなど、被害は広がる一方で
      ある。
      地域によってはボランティア態勢が整ったとの
      情報もあるが、豪雨のため行方不明者の捜索も
      滞りがちだ。

      水、食糧、そして体を横にして寝る場所の確保
      など、一日もはやく救援態勢が急がれる。

      
      あれを思い、これを思い、今朝も八重桜の散った
      山路を歩いてきた。
      そしてふと、ある詩を思い出した。


       「さくら」

      今年も生きて
      さくらを見ています

      ひとは生涯に
      何回ぐらいさくらを見るのかしら
      ものごころつくのが十歳ぐらいなら
      どんなに多くても七十回ぐらい
      三十回、四十回のひともざら
      なんという少なさだろう
    
        (中略)

      あでやかとも妖しさとも不気味とも
      捉えかねる花のいろ
      
      さくらふぶきの下をふらっと歩けば
      一瞬
      名僧のごとくわかります
    
      死こそ常態
      生はいとしき蜃気楼

           茨木のり子『おんなのことば』より


            

こんなときですが、

2016-04-17 06:01:34 | 雑記



      今朝の新聞によると、
     震度6強を観測した16日未明の熊本の
     地震で新たに死者が出て、今日現在死者
     が41名にも達したことが分かった。
     南阿蘇村では行方不明者が最大7人いる
     との情報もある。

     まだ余震が続いており、どうぞこれより
     被害が広がらぬよう、余震がおさまって
     被災地のみなさんが安心できるよう、
     水や食糧が滞らないよう、祈るばかりで
     ある。
     
     こんなときですが、今日はペンクラブに
     ついて書かせてもらいます。

      私はペンクラブの会員であるけれども
     まことに不埒(ふらち)な劣等生会員だ。

     最初のころは例会の後の懇親会にいくと
     新聞・雑誌でしか見られない作家の先生方
     に会えるので、それがうれしくて参加して
     いた。

     『ドクトルマンボー』でお馴染みの北杜夫
     のお兄さんの斎藤茂太センセイに会ったとき
     は、太めの体型、白髭の風貌に圧倒され、
     名刺をだす手もふるえたものだ。

     要するに私はミーハー会員だったわけで、
     しばらくするとこんな晴れやかな場所に
     出席するのが恥ずかしくなって、
     足が遠のいていた。

     それからは時折送られてくる例会報告の
     冊子をななめ読みするだけのていたらく
     である。

     先日送られてきた「2月例会報告」は
     会長の浅田次郎氏がインフルエンザに
     罹ってしまったため欠席。
     代わりに副会長の下重暁子さんがこんな
     挨拶をしていた。

     「浅田会長は39度の熱だそうですが、
      高熱が出るということは若い証拠なん
      ですって。
      私は最近、風邪をひいても熱が出ない
      んですよ。
      浅田さんがいかにお若いかという証拠
      です」

     さらに、日本ペンクラブの平均年齢が70歳
     を越えたことに関して、

     「恐ろしいと云うべきか、おめでたいと
      言うべきか……
      若い方にたくさん入会していただかなけれ
      ばいけない。
      若い方と言っても年齢だけが問題ではなく、
      心の若い方に入っていただきたい」

     現在、ペンクラブ会員の平均年齢は70・3歳
     だそうで、これには私も驚く。
     (私が厳正な審査?をうけて正式に会員になった
      のは52歳だった)
     あれから20年も経つのだ。

     でもなあ、人生50年といわれていた時代に
     くらべて現代の50歳はまだヒヨッコ。
     60代、70代、ちょっとは悟りがひらける
     かな、と思ったら、甘い甘い。

     悟りどころか迷いは深まるばかり。
     死ぬことに達観したかと思うと、明日は命が
     惜しくなって、TVの健康番組などを観ている。

     でもちょっと変わったことがある。
     洋服や、文房具などを購(か)うとき、少しは
     考えるようになった。
     あと何年、この服を着られるだろうか、
     この文具はたくさん入ったのではなく、少量のに
     しておこう等々。

     ことに、同年齢の人の訃報を聞くと、少しは
     考える。
     でもなあ、
     人と(その人の使っている)物との帳尻が合う
     なんて、絶対ないだろうね。     
     
          
          

はなもも

2016-04-16 07:35:37 | 雑記
    

    14日に起きた熊本の地震は被害が増加する一方
    にある。
    みなさまの地方は大丈夫でしょうか。
    ご親戚、知人の方など被害に遭われた方はいらっ
    しゃらないでしょうか。
    このたび地震で亡くなられた方、被害に遭われた
    方、および関係者に心からお悔みとお見舞いを
    申しあげます。


    さて今日は、
    一本の桜ならぬ一本のはなももについて。

    家の近くの畑のふちに一本のはなももがある。
    さして大木ではない、周囲は雑木林で、
    畑を耕して野菜をつくっているおじいさんを
    時折見かける程度である。
    
    つまり、ふだんは殺風景なところにぽつんと
    立っているはなもも。

    それが毎年、この季節になるとーー

    帰宅途中、車で急な坂道を昇ってくると、
    桃色の花がぱっと咲いているのに、はっ!
    とする。
    上り坂なので、やや下から見上げる感じになる
    のだが、毎回、意表を突かれて一人であっ!と
    声をあげる。

    この気持ちをどう表現したらいいのだろう。
    「美しい」とか「きれい」「かわいい」といった
    ものだけで表現できないものがある。

    あ、これが佐藤愛子センセイのいう「一本の桜」
    なのだなと思う。
    毎年、この意表を突かれる気持ちは家に帰ると
    日常にまぎれて忘れてしまい、翌日また、
    同じ風景にどきっとするのである。

    この気持ちは私の命がある限り、そしてはなもも
    が咲いている限り、ずっと続くのであろう。
    ならば、「表現したい」欲求に駆られても
    怠け者の私は、あえて放っておくのもいいのかな、
    と思ったりする。


    その愛子センセイは『老い力』の中で、こんなこと
    もおっしゃっている。
    「私の人生は失敗の連続だったが、とにもかくにも
     その都度、全力を出して失敗してきた。
     失敗も全力を出せば満足に変わるのである」


この深いことばに私はまたしても、う~んと唸る
    のである。
    

    

    
    

一本の桜

2016-04-10 08:03:43 | 雑記


   桜はまだ咲いているところもあるが
   木によっては葉桜となったところもある。   

   そんなある日、私は 
   図書館でぱらぱらと本をめくっていた。
   佐藤愛子著『老い力』の末尾でこんな言葉を
   見つけた。

   50年も昔、氏は敗戦の日々を生き延びるため
   農村でお百姓の真似事をしていた。
   甘藷畑のある家の勝手口に一本の桜の木があった。
   とくに枝ぶりがよいというわけでもなく、
   そこに桜があることさえ念頭にない桜の木。

   ある午後のこと、急にあたりが暗くなって
   洗濯物を取り入れようと勝手口を出ると、
   突然遠雷がとどろいた。

   と思うと、薄暗い空に一瞬、稲妻が走った。
   稲妻の黄色が消えた後、ふと見ると遠雷と
   遠雷との間(はざま)の静寂の中、
   桜が静かに盛りの花を咲かせていた。

   「息を呑むほどピンクが鮮やかだったのは、
    背景の空が暗い灰色だからだった。
    その時この美しさを表現したいという
    欲求が生まれたが、どんな言葉でいえば
    いいのか皆目わからずに、私は立ちつく
    していた」

   それが氏の「表現すること」への欲求を
   持った最初だったというが、
   私はこの言葉につよく胸を打たれた。
   
   そうだ、人は表現しようとしたとき
   (文章でも音楽でも絵画でも、はたまた
    他人に語るだけのことでも)
   そこには何か、強い衝撃みたいな力が
   働いているのだ、と。

   そして氏はいうのである。
   「桜は一本、曇天の下で一人で見るに限る」

書評

2016-04-09 08:30:20 | 読書




「日刊ゲンダイ」に拙著『評伝 森崎和江』の書評
    が載り、版元から送ってもらった。
    (2016/4/6)


    森崎和江の生涯を大きく分けると4つに分けられる。

    ① 少女期
    ② 日本にわたってきた18歳~結婚まで
    ③ 詩人・谷川雁と出会い筑豊時代
    ④ 谷川雁と別れ、炭坑の女たちとの出会い

    森崎は当時、日本の植民地であった朝鮮(現、韓国) 
    で生まれ、18歳まで育った。
    感受性豊かな少女期、内地を知らない日本人として
    豊かな生活を享受しながら、貧しい現地の人たちの
    苦しみを知る。

    日本にわたってきたのは大学受験のためである。
    昭和19年。
    まさかそのまま敗戦となり、日本にとどまるとは
    夢にも思わなかったであろう。

    やがて苦しみながら生活していくなかで理解のある
    男性と知り合い、結婚。
    2人の子供にもめぐまれるなか、当時早稲田の学生
    だった弟の自殺に遭う。

    自分には故郷がないという弟の苦しみは、森崎自身
    の苦悩でもあった。
    そこで出会ったのが詩人の谷川雁であった。

    雁は「一緒に本を出そう」「弟の仇をとろう」と
    いってくれた。
    断わっておくが、森崎の夫婦関係はうまくいっていて
    夫には何の不満もなかった。

    だが、決断する。
    ここで生きなおそう!
    
    そうでもしなければ森崎自身が弟の二の舞を踏む
    ほど苦しんでいたのである。

    筑豊の炭坑地帯に住んでからの生活もまた、
    疾風怒濤の連続であった。

    ここで詳しく触れることはしないので、
    是非、本を読んでいただきたい。

    炭坑の女たちの聞き書きをしながら、
    森崎は次第に自分をとりもどし、女とはなにか、
    生きるとはなにか、を考えはじめる。

    この書評はあらためて森崎和江という人物を
    考えさせられるものであった。

   ※ 画面でも読めるように少し大きいサイズにした
      が読みにくい。
      興味のある方は是非、「日刊ゲンダイ」を手に  
      とってください。

北海道新幹線

2016-04-03 06:13:28 | 雑記



     北海道新幹線が一週間前の3月26日に開業した。
     とはいっても、やっと津軽海峡を越えて、
     ほんの北海道の入り口まで行ったところである。
     駅名は新函館北斗、旅情をそそられる名前だ。

     道内を新幹線がめぐるのはまだ先のことであろ
     うが、津軽海峡を越えたことはめでたい。
     これで一応、北海道から九州・鹿児島まで
     新幹線で結ばれたことになる。

     そもそも東海道新幹線が開業したのは1964年
     (昭和39)年のこと。
     10月1日の東京オリンピックにあわせての開業
     だった。
     昔のことをいうと笑われるが、私などはちょうど
     大学2年のときだからよく覚えている。
     
     ついでにいうと、終戦(昭和20)年からわずか
     の期間に日本は復興をとげて、高度経済成長
     まっただ中であった。
     ……であるから、あと4年後に開かれる東京
     オリンピックとはおのずと意味合いが異なって
     くるであろう。

     話をもどすと、あれから52年。

     過疎になやむ北の地にもようやく光が差した
     かに見えるが、光あれば影あり。

     新幹線の開業によって、これまで赤字続きだ
     った幾つかの路線は廃止され、一日乗客数1人
     や0、5人といった無人駅も当然なくなった。

     これにつけて思うのは、洞爺丸沈没事件である。
     青函連絡船洞爺丸が1954年(昭和29)9月26日
     に台風による暴風により沈没したのである。
     
     行方不明者1000人以上という大惨事であった。
     友達のお兄さんも荒れ狂う海にのまれ、帰らぬ
     人となった。

     思えば、この惨事が青函トンネルにつながり、
     今日の北海道新幹線開業につながったとも云える。

     開業にあわせて乗った乗客によると、
     新幹線が海の底を走っているとは思えない静かさ
     と、おおむね好評のようである。

     鎮魂のトンネル、鎮魂の新幹線である。
      

     ※ 写真は新聞掲載からお借りした。 


     
     


     

桜雑感

2016-04-02 10:43:29 | 雑記



      今日、関東は曇りの肌寒い天候で、
      お花見には要注意といったところ。
      明日も同じような気候だという。
      だが物は考えようで、これで満開にちかい桜
      も散り急ぐことはないだろう。

      昨日はうららかな天気に誘われるように
      散歩の足を延ばして高い山のほうを散策した。

      目の前にひろがるのは桜でうす桃色に色づいた
      里山の風景!
      一本の桜もいいが、私はこの里山の風景が
      大好きで、息をのむほど美しい。

      
       さまざまなこと思ひだす 桜かな
                  松尾芭蕉

      
      芭蕉の句ではないが、私も目の前の風景を視野
      にいれながら、来し方行く末を思う。

      小学校時代の写生のことなど思いだすのは齢の
      せいか。
      桜の季節はことに先生が
      「今日の図画は写生だ」
      といって、外に連れだしたものだ。
 
      野山を歩いて写生ポイントを探しているうちに
      あっという間に時間が過ぎてしまい、
      一枚の画も描けずに叱られたり……。
      そういえば、そのまま給食の時間まで帰らない
      男子生徒もいたっけ。
      学校そのものがゆるやかで、のんびりしたもの
      だった。

     
      先日、小学生に聞いたら写生なんてない!
      と即刻云われてしまった。
      現代は生徒を勝手に外に出して野放しにする
      なんて、危険ととられるのだろうか。

      TVのニュースでは各地の桜模様を伝えている。
      
       あの鐘の 上野に似たり 花の雲  
       鼻先の 上野の花も 過にけり
                   小林一茶
 
      目下、私は近場で済ませているが、 
      東京在住の友人が上野の花見風景をメールで
      知らせてくれた。
      
      とにかく人人人ですごかったこと。
      「極東系の外国語が氾濫していて、ここはどこ
       ?!」といった感じだったらしい。
      そして着物美人からも韓国語が聞こえてきた
      のだとか。

      アジアの訪日客が増えて爆買いといった言葉が
      行き交きかっているが、そこまでかツ!と
      私は絶句。
      時代が変われば花見も変わるものです。