一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

雨後のきのこ

2016-06-30 10:02:29 | 自然


      北原白秋の
    
       ♪ 雨が降ります 雨が降る
 
      ではないけど3~4日降った後、今朝は曇り空
      なのでいつもの散歩コースを歩いてみた。

      そしたら、
      大きなきのこ!!

      何というきのこだろう。
      坂道の路肩に出ていた。

      一雨ごとに大きくなるきのこ。
      その生命力にあやかりたい。

      明日から九州方面に出かけます。

      主目的は筑豊・川筋読書会で拙著の
      『評伝 森崎和江』がテーマとなる読書会
      なのですが、レポーターは2人いて、
      活発な議論が期待できそうです。

      せっかく九州に行くのだからと、
      その後は北原白秋や壇一雄ゆかりの地を
      訪れる予定です。

      豪雨が続いている九州ですが、
      果たして天候はどうなのでしょうか。
      

最新式はいや~よ

2016-06-26 06:49:19 | 雑記




      かねがね脱水がうまくいかず、気になっていた
      洗濯機をようやく替えた。

      前のは全面がひらくドラム式だったのだが、
      旧来のタテ型がいいと云い張った。
      ほぼ毎日洗濯するのは私なのだから。

      だいたい我が家の若者はハイテクが好き。
      冷蔵庫をはじめ炊飯器等々、最新式の家電にこだ
      わって、そのため都心の大型ショップに出かける
      ことも。

      一方の私は旧式のシンプル派である。
      最新式の家電は繊細すぎて、操作が面倒だったり、
      ちょっとしたことで稼働しなくなる……
      というのが私の経験からくる持論だ。

      ところが配送してきたおじさんによると、
      タテ型の洗濯機ながら、これも最新式だという。
      
      まったくもう……と思ったが、
      買ってしまったものは仕様がない。

      なんせ新品だからいまのところ
      (使いはじめて5日目)
      は快調だが、これだっていつどう変貌するか
      分からない。
      毎朝、ちょっと緊張して洗濯機を回している。


      そういえば昔、「日曜はだめよ」というギリシャ
      の白黒映画があった。
      たしか日本語版では
        ♪ 日曜はいやよ
         (ネヴァー・オン・サンデー)
      という題で西田佐知子が歌っていたのではないか。

      映画は娼婦イリアと、ギリシャ研究家のアメリカ人
      旅行者ホーマーとの恋物語である。

      イリアはあばずれだが、美しい心の持ち主。
      ホーマーは彼女の生き様に古代ギリシャの退廃的な
      ものを感じとり、道徳的な方向に向かうよう腐心
      する。

      理想主義者のホーマーはことあるごとに現実的な
      イリアと衝突し、
      やがて、彼の求める結果が得られないと知るや、
      自ら伝えようとした道徳や規範を破ってしまう。

      そんなストーリーだったような気がする。

      映画も最新のはよく分からないのだが、
      旧いのはよく覚えている。
      
      
      

ひとのあかし

2016-06-25 07:06:49 | 読書


       私の故郷・福島県南相馬に若松丈太郎さんと
       いう詩人がおられる。

       4年ほど前、ある雑誌に原稿を書くため取材
       をさせてもらった。
       そのとき分かったのだが、若松さんは私の
       母校(高校)の国語教師だったという。
       (むろん時期がずれて私は教わっていない
        のだが)

       その若松さんが先日(2016.6.18)
       NHK・Eテレで詩人で翻訳者のアーサー・
       ビナード氏と対談をしておられた。

       題して「こころの時代<ひとのあかし>」

       若松さんはフクシマで起きた原発事故を
       18年も前に見通して詩にしていた。
       そのことを声高に語らない。
       居丈高になって自説を振りかざしたりしない
       ところがいい。
       
       番組をみていて分かったのだが、
       若松さんは岩手県の高校生のとき、金子光晴
       の「鮫」の中の「オットセイ」という詩を
       読んで感銘を受けた。

       みな同じ方向を向いて泳いでいる中で、
       一匹だけ違った方をみて泳いでいるオットセイ
       の話である。

       時は太平洋戦争の真っただ中。
       若松少年には群れているオットセイが戦争に
       なびいている帝国軍に見えた。

       これからしても若松少年の感性はたしかである。
       そして2011.3.11の震災。

       若松さんは知り合いの酪農家が自殺したことを
       新聞で知った。
       その時に書いた詩である。

     
       「ひとは作物を栽培することを覚えた
        ひとは生きものを飼育することを覚えた
        作物の栽培も
        生きものの飼育も
        ひとがひとであることのあかしだ

        あるとき以降
        耕作地があるのに作物を栽培できない
        家畜がいるのに飼育できない
        魚がいるのに漁ができない
        ということになったら

        ひとはひとであるとは言えない

        のではないか」

        
       番組を見終わって私は、
       ああ、いま故郷のフクシマを思う気持ちは
       こういうことだったのだと深く頷いた。


       『ひとのあかし』
           若松丈太郎(詩)
           アーサー・ビナード(英訳)
                      清流出版
 

       
  
       
 

画家は長生き?

2016-06-19 06:54:21 | Weblog



      ある雑誌で日野原重明さんによるこんな記事
      を見つけた。

      「寿命の長さからみた職業別のライフスタイル」
      によると、宗教家がいちばん長生きで、実業家、
      政治家、医師とつづき、小説家は詩人に次ぐ
      短命だそうだ。

      そりゃ、一昔前のことでしょう、
      と突っ込みたくなった。

      かつて小説家は運動もせず、不規則な生活を
      送り、自分の内面と向き合い、締切に追われ、 
      命を削る日々であったろうしね、って。

      現代は物書きといえどジムに通い、マラソン
      をしたりして筋肉を鍛えている人も少なく
      ないのだから。

      たしかに上記はちょっと古いデータではある。
      だから現代には即さないかもしれないが、
      どうもイメージとしては小説家は分が悪い
      ようだ。

      私も常々、画家は長寿が多いのを不思議に
      思っていた。

      知っているだけでも東山魁夷(90)、小倉
      遊亀(103)、辻永{ひさし90)、福沢
      一郎(94)、橋本明治(86)、東郷青児
      (80)、横山大観(89)……
      といずれも負けず劣らずの長命だ。

      日野原先生の話によると、
      画家は小説家に比して食事や飲食など節制
      している。
      また締切に追われることもなく、ストレスも
      少なく、展覧会などの季節をゴールと決めて
      いる。
      さらに画材を探しての山野歩きや旅もよく、
      小品でも制作をつづけることを励みにして
      いる人が多い、
      そうである。

      そういえばいつかTVでみた横山大観は
      晩年、近くの山にスケッチに行き、
      何枚か描いた後、
      「もう一枚描きたい」
      とお付きの人に所望されていた。
      その姿は鷹揚というか、ゆったりしたオーラ
      があって強く印象に残っている。

      物書きのはしくれにも入らない私など、
      年中バタバタしていて、余裕など欠片もない。
      ゆったりと思索にふけるのは夢のまた夢。
      これでも少しは落ち着いて生活したいと
      思っているのである。
      


      ※ 昨日外出して帰りが遅くなった。
        空をみると、春先のような朧月夜。
        田植えの終わった水田にもぼんやり
        した月が映っていた。
        (スマホで撮ったのだが下方の水田
        に映っている月が見えるでしょうか)
        
    

      
      
      

現代の若者と「殿様顔」

2016-06-18 06:59:54 | 雑記


      おそらく私が年とったせいだと思うが、
      TVでみるタレントのみならず、街中で
      見かける若者がおしなべてカッコいい。
      脚が長くハンサムで細面のすずやかな
      顔。
      暑苦しい顔にはめったにお目にかからない。
      すべてがジャニーズ系(たとえが古い!)
      に見えるのは、やはりこちらの目が甘く、
      つまり衰えたせいだろう。

      
      ところが、
      こういった若者を「殿様顔」といい、
      上品だがアゴが細く、これがいわゆる草食
      系につながるというのである。

      戦後、食生活の変化で日本人のアゴが急激
      に退化したことはよく云われること。
      これは現代に限ったことではなく、
      昔の殿様にもあったことだそうだ。

      戦国時代の武将でも元気旺盛なのは
      初代からせいぜい3代目まで。
      4代目以降は野性味がなくなり、体力気力
      ともに半減していったというのだ。

      徳川将軍も初代・家康のころは麦飯を
      ムシャムシャ食べよく咀嚼していた。
      幕末の14代将軍・家茂は白米ばかり食べ
      て脚気になり、21歳の若さで死んだ。

      なかで典型的な「殿様顔」とされるのが
      教科書でおなじみの松平容保(かたもり)。
      写真で見ても、いかにも体が弱そうである。
      
      事実、容保は大事なところでよく病気に
      なった。
      長州藩が京都御所に乱入した「禁門の変」
      のときも病気で、よろいを着ると、
      足元がふらついて歩けなかったとか。

      現代の若者にもどると、
      女性でも小顔になりたい願望がつよく
      そのために美容整形する人もいるらしい。
      そのうち街中は「殿様顔」「お姫さま顔」の
      若者であふれかえるかもしれない。

      しかし、
      いまさら煮干しをかじり、粗食に耐えよと
      いってもねえ。
      
      ※ 古い教科書に載っていた松平容保の写真

梅雨の中休み

2016-06-12 08:45:22 | 雑記


     昨日、今日晴れわたっている。
     梅雨の中休みか、強い日差しのなか歩くと
     暑い。
     これから長い梅雨と本格的な夏到来を思うと
     気も萎えてくる。

     古いファイルを整理しようと出してみたら
     新聞記事の切り抜きがいっぱい。
     読み始めたら面白くて止められなくなった。

     「生まれかわったら男か女か」

     文部科学省系の国民調査によると、
     過去50年、男性は昔も今も
     「生まれかわったら男性に」
     が8割以上で、変わらない。
     
     ところが女性は全く違う。
     
     60年代後半まで「男性に」が多かったのに
     次第に減って、年齢に関係なく「女性に」が
     増え続けている。

     ただし、これは06年、つまり10年前の
     データである。

     「男女どちらに楽しみが多いと思うか」

     これも70年代までは男女とも「男性が多い」
     だったのに、次第に逆転して今は完全に女性
     の方に軍配があがっている。
     どうやら女性の方が楽しみが多いらしい。

     では、現代はどうだろう。
     きちんと調査をしてみないと分からないが、
     やはり女性の方が人生を娯(たの)しんで
     いるような気がする。

     付け加えておくが、
     一方で「生まれかわっても断固として男性」
     という殿方もなおかつ多いであろう。

     「生きるのは娯しむのが目的やない。
      いろいろ我慢しとるんや」
     そんな男の意地を感じる。
  
     古い新聞記事に仕事を中断して、あれこれ
     考えた。

     ※ 梅雨の中休み、昨日午後の空
       (知人が写メを送ってくれた)
     
     

ワープロ時代を入れると

2016-06-11 07:18:55 | 雑記



      最初は原稿用紙に手書きで書いていた。
     活字にする機種(媒体)を使うようになってか
     らかれこれ20年になろうか。

     その3~4年はワープロ時代(懐かしい!)。
     ワープロが急に製造中止になると聞き(ちょう
     ど使っていたのが調子悪くなったこともあり)
     急きょ、パソコンに替えた。
     (あのときは新しい機種についていけなくて
      大変だった!!)
     
     だからパソコン歴はわずか10数年なのである。

     それが……
     たかがPC、されどPCなのである。

     「パソコン嫌いのパソコン依存症」をもって
     自認する私。

     年に何回かヘソを曲げるパソコンに振りまわ
     されている。
     いつも診て(あえて「診て」を使う)もらって
     いるパソコン教室は金曜から月曜日の夕まで
     休みになる。

     したがって金曜の夜などに不調になるともう
     お手上げ!!
     イライラ、ジリジリとひたすら週明けを待た
     なくてはならない。

     その間、あっちをいじり、こっちをいじりして
     いるから、ますます分からなくなり、時間の
     ロスと徒労感ばかりが残る。

     先日もパソコン教室に駆けこんでメモ書きした
     数点を解決してきたばかりなのに、一ヶ月も
     しないうちに、またもやおかしくなってきた。

     スキャンがうまくいかない。
     この写真は5月2~7日にわたって連載された
     「<あなた>と出会う
          <森崎和江の詩情>」
                 (西日本新聞)
     
     新聞記者がわざわざ鎌倉まで来てくれて取材
     を受けたものである。

     私の『評伝 森崎和江』に関連した内容だが 
     また別の広がりもみえて、私には新しい発見
     があって面白かった。

     スキャンにもどると、ようやく何とか出来る
     ようにはなったが、必要な部分がうまく切り
     取れない。
     大きさもうまく調節できないのである。

     メールにいたってはバージョンアップされた
     機能にいまだついていけない。
     ほんのちょっと前まで、こんなもの(メール)
     がなくても、ちゃんと友人たちとの連絡も
     やっていたのに……とつい思ってしまう。

     便利なものを使いこなせず不便をかこつ、
     昨今の私なのである。
     

     

     
 
     

梅雨入りまぢか

2016-06-05 07:25:49 | 自然


      今朝のニュースでは4日、九州、四国、中国、
      近畿、東海地方がすでに梅雨入りしたといって
      いた。
      関東も昨日まで埃が舞うほど乾燥していたのに、
      今朝は一転して小雨模様である。
      このまま梅雨入りとなるかもしれない。

      梅雨とは、文字通り
      梅の実の熟す時期の雨、ということ。

      そういえば梅雨(つゆ)を「ばいう」とも読む
      し、「入梅」ともいうわねえ。

      歳時記には
      「此の月 淫雨(いんう)降る
            これを梅雨と名づく」とある。

      淫雨とは恐れ入るが、中国では「黴雨」とも
      いって「黴(かび)」の字を使うあたり、
      心情的には理解できる。

      私にとっても、この時期を上手に乗り越えたい
      ところ。

      スーパーや八百屋さんの店頭で青梅を見かける
      と立ち止まって見入ってしまう。
      
      梅酒を作っても家には飲む人はいない。
      では、シロップはどうか。
      甘い飲み物はどうも。
      梅干しにいたっては減塩に心がけている昨今、
      減塩梅干しを作る自信もない。
      (きっとカビをはやす)

      ……とあれこれ迷って、結局は見るだけで
      その場を立ち去る。

      つまり面倒なことは一切したくない私。
      それでも青梅には充分心を惹かれて、また
      青梅を見ずにはいられないのだ。

      
      ※ 近所のご主人が庭の梅を大事そうに
        もいでおられた。
        お願いして写真を撮らせてもらった。

      

子どもの可能性

2016-06-04 14:22:36 | 雑記



       東京都知事の桝添さん問題やタレント不倫の
       ニュースばかりでうんざりするなか、
       北海道の山林で行方不明になった男の子の
       ことは気になって仕方がなかった。

       手がかりがつかめず捜査も縮小するという日、
       無事発見というネットニュースをみて、
       思わずワァ!と声をあげてしまった。
       
       救出されたのは6日目。
       自衛隊駒ヶ岳演習場の施設内で。

       寒さと空腹と孤独に耐えた7歳の男児、
       どんなにか心細かったであろう。
       山の中、真っ暗な夜、一人で過ごす子どもの
       恐怖感は想像以上である。

       新聞などの報道によると、自衛隊施設で水道
       だけが使えたこと、マットレスにくるまって
       雨と寒さを防げたことなど、偶然が重なって
       の無事救出だったらしい。

       だが私はこの男の子の生命力に感心した。
       おそらく我慢づよく、知恵のある子どもなの
       だろう。
       
              
       そして、子どもは本来、こういった勁(つよ)
       さを隠しもっているのではないかと思う。
       大人など考えも及ばない可能性を、
       どんな子どもでも秘めているのではないかとも。
       大人はつい、自分より下の未熟な者として軽く
       扱ってしまうけれど。

       これまでの足取りなどは分かってきているけ
       れど、窮地におちいいったときの子どもの
       心理状態などはこれから少しずつ解明されて
       いくだろう。

       本当に近頃にないうれしさと、いい齢をした
       大人が教えられるニュースであった。


       ※ 外出のとき急いで公園を突っ切ることが
         ある。
         子どものいない時間帯、人気(ひとけ)の
         ない遊具にはなぜか、胸を突かれる。