一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

谷川雁ふたたび

2010-04-27 20:35:28 | 読書
   詩人、評論家、思想家、はたまた教育運動家、
   サークル活動家といった異名をもつ谷川雁が
   亡くなって15年たつ。
   なのに、いままた再来のように谷川雁が語ら
   れているのはなぜか。

    朝日新聞(2010・2・13)
      「革命詩人のいたずら」
    毎日新聞(2010.2・26)
       「谷川雁再びの息吹」
   といった特集が次々と組まれ、朝日の論説委員
   の河谷史夫氏はこの記事を最後に朝日を卒業
   することを聞いた。

   私が『谷川雁のめがね』を書いたのは12年前。
   いまだに雁さんを消化しきれないでいる私には、
   いままたブームのように騒がれているのが正直
   いって分からない。

   そんな折、沖縄のさる人から『谷川雁のめがね』
   の書評を書いたので感想を聞かせて欲しいと
   いったメールが届いた。
   ますます私の谷川雁は混迷をふかめている。   
   興味のある方は下記を検索して読んでください。
   
    http://d.hatena.ne.jp/i-otodoke/20100419
   
   リンクがつけられなくてすみません。
   検索が面倒な人は
   「内田聖子 谷川雁のめがね 脈」
    でも書評が出ます。
   写真は雁さん晩年の著作
    『北がなければ日本は三角』  
   

春のとまどい

2010-04-18 14:57:25 | 季節
   

 
    「ウインド・イン・マーチ」
    「レイン・イン・エイプリル」
    つまり「風の3月」「雨の4月」というのだそうだ。
    また桜の季節の雨を「桜雨」ということも、新聞で
    知った。(朝日新聞「天声人語」)

    ところが今年の4月は桜雨どころか異常な冷え込みで、
    41年ぶりの「最もおそい雪」となった。
    自然の気まぐれというか、お天気博士の倉嶋厚さんの
    本によると、ドイツの童謡にこんな詩があるという。
    
    「4月よ、4月はいったい自分でどうしたらよいのか
    分からないでいるのだ」
 
    まるで、思春期の少年少女のような……。
    大人の扉ならぬ「季節の扉」をなかなか開けられない、
    といったような。

    それでハタと思った。
    ン十年前に思春期を卒(お)えたはずだが、いまだに
    私はこの季節が苦手なのである。
    花が咲き、若芽が出て、ものみな萌え出ずる季節なの
    に……みんなが自然を謳歌しているように見えて、
    声高にいえないものがあった。

    多分にアレルギー性にもよるのだろうけれど、不安定
    の原因の核は、この「とまどい」にあるのだ。
    人も季節もどんどん移ろいゆくとまどい。
    それに充分対応しきれないとまどい。
    
    世の中はすっかり春の装いなのに、まだ綿入れの
    ちゃんちゃんこ(?)を脱ぎすてられないような、
    そんなとまどい。
    だから、庭の雑草を取っていても、雑草とは?
    と考えて一向にはかどらず、日常生活全般にキレが
    ない感じなのである。
    要するに、すべてに決断できないのが春なのだ。
    
    この間、ふと気づいた。
    子供のころ、花と葉が同時に出るヤマザクラが
    嫌いで、どうして大人はあんな桜を愛でるのだろう
    と不思議でならなかった。
    ところがいつの間にか、あの潔さが好きになって
    いて、今ではむしろ、ソメイヨシノよりヤマザクラ
    に軍配をあげる。

    いかにも「見てみて!」といったソメイヨシノの
    華やかさ、可憐さがうっとうしくさえ思えてきた
    のだから、この変化は何?
    人に媚を売っているような、といったら言い
    過ぎだろうか。
    加齢は桜の好みも変えるらしい。
    
    自然の営みはよくしたもので、いずれ暖かくなり、
    やがて新緑の季節をむかえるだろう。
    問題は「私の春」をいつ脱却するか、である。
    (写真は雪をかぶったヤマザクラ)


    

    
    
    
    

    
 
    
    
    

指先の「きれい」

2010-04-11 14:21:17 | 雑記

    よくTVで若い女性タレントが爪にデコデコ
    の飾り付けをしているのをみる。
    ネイルアートという言葉を聞いても「ふ~ん」
    としか思わなかった。
    まるでデコレーションケーキみたいに派手派手
    な爪をみて、「重くないのだろうか」とか、
    「手を洗うときはどうするのだろう」と場違い
    な想像をするのがせきのやま。

    若いタレントでなくても、いい歳をした女性が
    「エステ」と「ネイルサロン」に行くのが
    最大の癒し、とかいうのを雑誌などで読むこ
    とがある。
    日頃、おしゃれにも世間にも疎い私はへえ~
    と驚くばかりなのだ。

    でも見ました、見ました、なまネイルアートを。
    このところ仕事関係で数回会った女性の設計士
    が、きれいな爪をしていました。
    30半ば~40歳手前くらいのキャリアウーマン
    というのでしょうか。
    服装やお化粧などもふつう、指先も同じくらいに
    気を配っている、という感じなのである。

    その爪がですね、全部を同じ模様(?)にしない
    で、真ん中の3本にパラパラとデコレーションを
    ほどこしたら、残り2本はただ色をつけるだけ。
    それも花模様だったり、砂をまきちらしたような
    ものだったり……。
    つまり、指10本でバランスをとっている感じ
    なのですよ。

    ちょっとしたカルチャーショックをうけた私の
    感想は、
    「いやらしくなくきれい!」
    そして毎回ちがうアートをほどこしてくる彼女
    に聞きたくても聞けないでいる。
    「それって、付け爪?」
    いつしか、次はどんな模様かしら?とひそかに
    期待している私なのだ。

    
    

    
    
    

こつなぎ事件

2010-04-03 14:52:54 | Weblog
   鼻がつまり声が出ないといっているうちに桜
   も満開になってしまった。
   前回、多少前のめりになって急いでしまった
   が、まず、映画
   「こつなぎ 山を巡る百年物語」とは何か、
   について書かなければならない。

   里山の入会(いりあい)権をめぐり、大正6
   (1917)から半世紀も続いた「小繋事件」
   を取材したものである。
   場所は岩手県一戸町・小繋集落。
   
   入会権とは炭焼きや食料採取など、住民が
   生活のために利用する権利のこと。
   カメラマンだった菊地周さんは撮影や監督、
   文代さんはプロデューサーとして食や農を
   題材に記録映画を制作してきた。
  
   村の住民も賛成派と反対派に二分されて
   闘ってきたが、文代さんはいう。
   「それを支えたのは女性たち。山に入り、
   木を切り、山菜を摘み、子供を育てた。
   その視点で映画を作りたかった」
   そして、
   「夫の遺志を継いだというより、私も集落
   に通って山で暮らす人々の姿を学び続けて
   きた」
   とも。

   はじめて菊地夫妻にお目にかかったとき、
   闘う人?といった印象はさらさらなく、
   おだやかで素敵なカップルにしか見えなか
   ったのだが、こんな烈しい一面を秘めて
   おられたとは……。
   (一晩語り合う時間があったのに、ついぞ
   ご本人たちの口から直接聞くことはなかった)

   そして今回、その気持ちを持続して形にあら
   わされる、その勁い精神力にも驚かされた。
   あのときの文代さんの年齢をとっくに超え
   ている私だが、日ごろのいい加減さに
   身が縮まる思いがする。

   今日まで、安易さを求め、楽な方へ楽な方
   へと流れてきた。
   つまるところ、年齢とは若いときの積み重
   ねなのだろう。
   このことを重々知らされた。
   では明日からどうすればいいか。
   ~なんて思っている限り、変革はありえ
   ない。
   本気で思ったら、今日いまからでも変える
   はずだから。