あ、だめだ。荷風が出たらもう少し浅草に付き合わ
ねばならない。
慶大教授(後に辞職)にして、文化勲章受賞者、日本
芸術会員でありながら、遊女やストリッパーをこよな
く愛し、浅草や玉の井に通いつめた。
小説「墨東綺譚」は、老境に入った作家の「わたくし」
が玉の井(墨田区東向島にあった私娼街)の娼婦「お雪」
に心を癒される物語である。
「……玉の井に行く時には、素性が知られないように変
装をする。古ぼけた服を着、下駄をはき、髪にくしを入
れない。窮屈な日常から一時に逃れ、玉の井という別世
界へ姿をくらます……」
自ら高等遊民と称して、戦争や金儲けなど俗っぽいこと
を嫌い、変人、畸人扱いされた荷風。
下町の場末で踊り子たちと語らっている時が、最も心や
すらぐ時であった。
さいごは知人が医者を紹介しても取り合わず、1959
年4月30日、自宅で遺体で見つかった。
全財産を持ち歩いていたという噂通り、傍らのボストン
バッグには2334万円の預金通帳と現金31万円が
入っていた。