一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

猛暑日

2020-08-29 15:09:40 | 雑記
       もう9月になるというのに
       衰えない夏。

       マスクをして出かけると、
       頭がボワァ~ンとするほど暑い。

       高齢者ばかりかと思ったら、
       宅配業者、郵便配達・新聞配達の人、
       建築現場・道路工事の人等々、
       いやあ、頭が下がる。

       コロナも怖いけど、
       緊急の課題は熱中症対策!

       ニュースによると、
       熱中症によって亡くなった方は、
       案外、室内でのことが多く、
       クーラーを使ってなかったという。
   
       ならば、と家にいるかぎり、
       昼夜 クーラーをつけ、
       ほぼ 100㌫の稼働率。

       これじゃあ、
       東京でのマラソンは無理だわね。

       と思っても、
       来夏、オリンピック、パラリンピック
       が出来るかどうか。

       ※ 夕方 散策する森のなかの
         リョウメンシダ

       

「さんまの歌」

2020-08-23 09:53:39 | 雑記


        秋風が立つと さんまの季節到来。

        「さんまの歌」は佐藤春夫の歌(詩)。

        私は当初、この歌を
        独り者の中年男の悲哀の歌と思い込んで
        いたのだが、さにあらず。

        「あはれ 秋風よ/情(こころ)あらば伝えてよ
         --男ありて/今日の夕餉に ひとり/
         さんまを食らひて/思いにふける と。
         …… …… ……
         さんまさんま /そが上に青き蜜柑の酢を
         したたらせて/
         さんまさんま/さんま苦いか 塩っぱいか」

        実はこの歌、佐藤春夫の恋歌だったのだ。

        その頃、
        谷崎潤一郎と佐藤春夫は 互いに作家として
        認めあう交友関係にあった。

        ところが 春夫が 谷崎と不仲の千代夫人に同情、
        さらに愛情に変わったことから三角関係に。
        当然、絶交状態となる。

        やがて和解するが、
        谷崎は千代を春夫にゆずりわたすという
        「小田原事件」に発展。
        (谷崎は 別の女性と結婚)

        つまり、
        「さんまの歌」は 春夫が千代に向けた
        思慕の歌であったのだ。

        ああ、驚いた!
        「小田原事件」はいまも文学史上にのこる
        大事件なのである。
        
        
   

植木

2020-08-22 08:28:05 | 雑記

       この猛暑のなか、
       植木屋さんに入ってもらった。

       2人で2日間。

       庭の植木が一年もたつと
       無法地帯のごとく伸びて、
       収拾がつかなくなる。
       (マメな人は自分でやるけれど)

       ところが この暑さ、
       おじさんたちは
       「今年の暑さは特別だね」
       といいながら、朝7時からの作業。

       こちらは家のなかにいて、
       クーラーを使っているけれど、
       外はどんどん温度が上昇して、
       日陰などない 晴天下。

       せめてもと思い、
       麦茶やら氷水、塩気のふくんだセンベイなどを
       お出しして涼んでもらうけど、
       焼け石に水、の感。

       それでも 2日間、
       頑張ってくれて
       庭はそれなりに整然としました。

       来年からは、
       真夏に植木仕事の依頼はやめよう。

       と強く思ったのでした。 
       

盛夏

2020-08-19 13:47:35 | 雑記


        はあっ、暑い!

        太陽 全開 パワーアップ。

        朝目がさめて、今日こそは、
        と思うけど、
        太陽の威力衰えない。

        このブログ、
        いきなりユーチューブ登場で仰天された
        かもしれませんが、
        これには訳が……。

        実は、私、動画を撮りはじめて(スマホで)
        携帯では見られるし、
        知り合いに送信もできるのだけど、
        それをパソコンに送って、
        ブログ掲載ができない。

        なぜだろう、
        どうして?
        と、詳しい人に聞いたり、
        自分なりに調べたりしたら、
        やっと訳が。

        つまり、ブログの設定が、
        Gif,Jpgといった静止画のみになっていて、
        動画(Mmp)の掲載はできない、
        となっていることに気づいたのです。

        ……というわけで、
        ついでに あれこれいじっていたら、
        既定のユーチューブがOKであることを発見。

        それで、やってみたという訳。

        あまりの暑さに、私の頭が狂ったわけではありません。

        いや、それもあるかもしれないけど、
        ちょっとした好奇心から出た結果。

        ですので、
        また、興味のあったことをチャレンジして
        みようと思います。

        ああ、それにしても暑い。

        

終戦記念日 その2

2020-08-14 13:32:01 | 雑記
        ある日、島尾は部下に読ませる本を借りに、
        島でたった一つの小学校を訪問。

        そこにいたのがミホで、
        ミホは小学校の先生だった。

        なるべくして二人は恋仲に。

        しかし、
        1945年8月13日、
        島尾にとうとう 出撃命令がくだった。

        ミホは彼が出撃したら自決するつもりで、
        剣をもち、身をきみよめて浜辺で待機。

        しかし、14日の夜の出撃はなく、
        翌15日に持ち越された。
        (特攻戦は夜襲が原則)

        もう、みなさん、お気づきでしょう。

        8月15日は「玉音放送」が流され、
        天皇による詔勅があって、
        敗戦が知らされた日である。

        帝国軍部が いかに混乱していたか、
        想像できるでしょう。

        かくして 島尾は「遂に出発は訪れず」に
        なってしまったのです。

        戦後、島尾とミホは結婚。
        一男一女をもうけますが、
        ちょっとした出来事で、ミホは精神に異常を
        きたす。

        数奇な運命で結ばれた二人ですが、
        その行く末は『死の棘(とげ)』状態になります。

        ここでは、ちょっとした出来事には触れませんが、
        梯(かけはし)久美子著『狂うひと』には
        詳しく記されています。
        これも名著です。
        

終戦記念日

2020-08-14 13:07:55 | 雑記

       8月15日は75回目の終戦記念日。
       今回は
       特攻隊長(海軍)として特異な経験をした、
       島尾敏雄の『出発は遂に出発は訪れず』 
       を紹介いたしましょう。

       1943年、九大卒後、 島尾は海軍に入隊し、 
       当時、もっとも危険とされた魚雷艇を志願。

       赴任先は、なんと
       鹿児島県奄美群島・加計呂麻島(かけろまじま)
       の呑之浦(のみのうら)であった。 
       そこは 魚雷艇の特攻基地だったのだ。

       第18震洋特攻隊長として 180人の部隊を
       率いる島尾。
       きびしい訓練をかさね、出撃命令を待つ日々
       であった。

       島尾は その誠実な人柄ゆえに 島民から
       「隊長さま」と尊敬され、親しまれた。

       (長文になるため 次回にゆずります)

「老活の愉しみ」

2020-08-09 17:17:57 | 読書


      面白い本を読みました。

      『老活の愉しみ』  朝日新書
         帚木蓬生(ははきぎほうせい)著 
     
      世は〈断捨離〉とか 〈終活〉がブーム。
      ことに高齢者になると、やって当たり前の風潮
      である。
   
      だが、アマノジャクの私は、しっくりこない。
      馴染めなかった。

      ところが この本では、
      「終活は死んでからで十分」とのこと。
  
      笑いました。
      そして、なぜか すっきりしたのです。

      著者は61歳のとき、急性骨髄性白血病を発症。
      闘病の際、実践したのが
      「身を忙しくすること」だったというから、驚きました。

      なんでも、傾倒する明治・大正の精神科医の
      教えだという。

      むろん、健康維持があってのこと。
      「普段から 食生活と生活習慣に気をつけ、
      後は、身を忙しくすること」

      つまり、歳をとるということは、
      「正しいものを見抜く力を身につけ、磨き、
      賢く生きること」
      なんですね。

      そうありたい、とつくづく思います。