一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

「光の春」とモデルハウス

2010-02-23 14:18:21 | 雑記
    2月も残すところ1週間、ここ一両日は寒さ
    もやわらいで、冬至のころよりは日脚も伸び、
    目や肌に光の強まりを感じる。
    2月はまさに「光の春」だ。
    
    先日、娘一家に付き添って(こちらは必要に
    迫られて)モデルハウスをみにいった。
    よく私鉄電鉄の窓などから見る光景、
    ハウスメーカーが軒をならべ、旗をひらめ
    かせている一画である。

    どれもこれもメーカー一押しの住宅だが、
    モデルハウスはあくまでもモデル。    
    ペチカも吹き抜けの天井も、ロフトやシス
    テムキッチンも現実味がなく、見ているうち
    に虚しさが増す。
    (私が建築やインテリアに余り興味がない
     せいでもある)

    ふと、人の住んでいない、いわゆる虚構の家
    を見ているうちに、疑似家族を思い出した。
    十数年前のことだろうか、結婚式や葬式など
    に会社の同僚や上司役を派遣するビジネスが
    話題になったのは。

    背景に人のつながりが希薄になったことがあ
    るのだが、それでも社会的に見栄をはる人間
    の愚かさや弱さも感じられ、滑稽ではあるが、
    他人事でもない、とも思った。
    そのうち一時でも家族を装いたい人のために
    妻、子供、両親……派遣というのもあって、
    確かTVドラマにもなったはずだ。
    (はっきりと記憶しているというのは、何と
     なく気になっていたからかもしれない)

    しかし、モデルハウスがモデルでしかない
    ように、家族も理想の家族なんてありはし
    ない。理想は自分でつくるものだからだ。
    1人だろうと家族といようと、人は所詮
    ひとり。
    要はその人の生き方や価値観によるのだろ
    う。
    せいぜい自分の方向性にモチベーションを
    あげて生きたいもの、と春の陽光を浴びて
    並ぶモデルハウス群をみて思った。
    
    

    

    
    
    
    
    

逝きてなお

2010-02-17 08:19:00 | 人生


    先週、立松和平さんが亡くなった。62歳の若さ。
    個人的なつきあいはないけれど、
    代表作の1つである『遠雷』を読んだとき、農民
    文学出身の私は同じ匂いを嗅ぎとった。
    また、拙著の長塚節文学賞作品『紫蘇むらさきの』
    のときの選考委員でもあられ、少なからぬ縁を
    感じている。

    その後、新刊が出るたびにお送りしているのだが、
    立松さんは年中旅をしていて、かわりに奥様が
    「立松は旅から帰ったら読むと思いますよ」という
    やさしいお手紙を下さるのだった。

    そう、立松さんは行動派の作家だった。その点、
    ひきこもりの私は真似しようにもできない。
    知床に山小屋を建てて通いつめ、鉱山開発で荒
    廃した足尾の山に木をうえ、『毒ー風聞・田中
    正造』をものした。
    だが、まだTVに出る前に書かれた初期の作品も
    捨てがたい。
    坪田譲治文学賞をとられた『卵洗い』は地味だが、
    私の最も好きな作品の1つである。

    亡くなったが、まだアフリカかどこかを旅してい  
    て、あるときひょっとTVに出たり、ラジオで
    声を聞くような気がする。
    そういえば、訃報から2~3日後の新聞の川柳欄
    にこんなのがあった。
      逝きてなお立松節は耳の奥

    写真は新・根津美術館のエントランスホールに
    ある仏像。
    立松さんとは関係ないが、どこか風貌が朴訥な
    作家に似ているような気がして掲載した。
     
  

    

平安の恋と携帯メール

2010-02-09 15:08:25 | 読書
    
    昨年暮れだったか『源氏物語』の写本・大沢本に
    標準本と大きく異なる内容が見つかったという
    記事が新聞に載っていた。

    「花宴巻」(はなのえんのまき)で、標準本では、
    20歳の源氏が恋心をよせる朧月夜に車ごしに歌
    を詠みかけると、歌が返ってきたが、それ以上の
    描写がなく、巻が終わる。
    声を確認できた喜びと、政敵の娘のためにどうす
    ることもできない心情が表現されていると今まで
    は解釈されてきた。

    だが、大沢本ではさらに、
    「かろかろしとてやみにけるとや」と続く。
    「軽薄な女だと判断してそれ以上は動こうとは
     しなかった」といった意味か。
    これによると、すぐに返事をする女性は品性に
    欠けると、(源氏が)幻滅したことになる。

    『源氏物語』には紫式部自筆本は現存せず、
    次々と写し返されていくうちに、ちょっと異
    なる写本が生まれた。
    約200年後の鎌倉前期に、藤原定家らが
    それらの写本を集めて54帖に整理。
    それが標準本として最も知られているのだ。
    それに含まれなかった未整理の写本があり、
    大沢本もその一つというわけである。

    それにしても、
    車ごしに歌詠みで声をかける王朝の恋も
    悠長だが、現代のように、
    即メールで❤❤(ハートマーク)を送らな
    ければ相手に伝わらないというのも、忙し
    過ぎる。
    道を歩きながらメールを打っている女の子
    をみて、そう思った。

   
    


    
    

雪の日

2010-02-02 14:51:19 | 雑記
 


    関東地方にも昨夜から今朝にかけて雪が降った。
    この冬はじめての雪、初雪だ。
    子供の頃、雪が降ると世界が一瞬にして変わる
    ような気がしてうれしくてたまらなかった。
    (実は何も変わらないのだけど)
    それがいつからだろう、ちっともうれしくなく
    なったのは。
    今はむしろ明日の交通機関が心配になって、
    それどころではない。   
    雪で喜ぶのは子供と犬だけ、大人になるという
    ことは何とつまらないことだろう。

    「雪の日」といえば樋口一葉である。
    明治24年2月4日の日記ーー

    本郷を出て途中、真砂町あたりから雪になった。
    陣をひろって半井桃水のもとに着いたのは昼過ぎ。
    その日は小説の話をし、なんと桃水がお汁粉を
    つくってご馳走してくれた。
    夕刻になって帰ろうとすると、桃水は
    「泊っていったら」という。
    一葉は、「とんでもない、母に叱られます」と
    「頭をふりて」きかない。
    桃水は「心配しなさんな、私は小田(弟子)の家に
    いって寝るから」
    と笑っていった。
    結局、陣を呼んでもらって帰るのだが、日記には
    このように記している。

     白がいがいたる雪中りんりんたる寒気ををかして
     帰る。中々におもしろし。
     ほり端通り、九段の辺(あたり)、吹きかくる雪
     におもてむけがたくて、頭巾の上に肩かけすっぽり
     かぶりて、折ふし目許(ばかり)さし出すもをかし。

    その日、一葉は『雪の日』という小説を思いついて
    書き「文学界」に発表するのだが、雪の寒さも冷たさ
    もなんのその、高揚感がみなぎっている。
    そのあと、「萩の舎」の中傷で桃水とは絶好しなけれ
    ばならなくなる。
    一葉19歳の思い出。
    
    当時は東京でも大雪が降った。
    (写真)庭の万両にも雪。