本来なら「京都紀行」の続きに入るべきもの。
だが、忙しくてブログ更新ができないまま、間のび
してしまっため、追加で載せることに。
哲学の道は銀閣寺から永観堂をこえ、南禅寺まで約
1.5キロの散歩道である。
なんと新島襄のお墓のある若王子(にゃくおうじ)は
南禅寺のそばであった。いつかは歩いてみたいと思っ
ていた道なので、これ幸いと歩きだしたのである。
つまり、普通の観光コースを逆にたどったというわけ。
哲学の道は哲学者・西田幾太郎(1870-1945)
が好んで散策し、思索にふけったところからつけられ
たという。
哲学などという学問からほど遠く、日頃から俗にまみ
れた私だが、疎水に沿って青葉のみずみずしい道を歩
くと、
桜のときはさぞ美しいだろう、
紅葉の華やぎはいかに、
と思わずにはいられない。
ところがだ、
散策する人の8~9割が外国の人。
バックパックや自転車を繰る若者、地図を片手に歩く
カップル、小さい子を背負った夫婦等々。
日本人は5~6人のグループを組んだ修学旅行生と
私のようなオバさんたちである。
もちろん、6月という観光シーズンとはかけ離れた
時期のせいでもあるが。
いまや日本文化の象徴である京都は外国の観光客
に制覇された感じすらした。
もっとも日本人は海外の文化遺産を訪ねているの
だろうが。
して、道を尋ねられました。
「永観堂はどこ?」
「南禅寺は?」
1人の青年はタイの人、もう1人は英国の女性。
あ~、京都にくる前に、忘れかけた英語を勉強
してくるんだった。