一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

車谷長吉

2015-05-31 14:07:33 | 読書


     このところ俳優や漫才師の訃報
     が続くが、私は先月(5月17日)
     に亡くなった作家の車谷長吉
     (くるまたにちょうきつ)の死が
     衝撃だった。(69歳)


     車谷は直木賞や三島由紀夫賞
     などをとっているが、
     流行作家というより、寡作で、
     一つ一つ身を削るように書く
     といった印象である。

     すべてがそうだとは言わないが
     私小説が多く、読みながら重苦
     しい気分になるのに、妙に
     存在感を感じさせるのである。

     ひと頃は文芸雑誌に載ると、
     『鹽壺の匙』(しおつぼのさじ)
     など、いちはやく読み、しばらく
     はその余韻から抜けられなかった
     ものだ。
     
     そんな中で異色なのは朝日新聞
     でやっていた「悩みのるつぼ」
     という人生相談であろう。

     あれこれいうより実例をあげた方
     がはやい。

     例えば、教え子の女子高生に没入
     して困っている教師の悩み。

     答)教育者としては駄目だと思う
     が、情動は抑えられない。
     あなたの場合、人生はまだ始まっ
     ていないのです。
     いちど破たんして、職業も名誉も
     家庭も失ってみたら?
     人間はそこではじめて何かが見え
     てくるのです。

     他に、虚弱体質で健康な人に嫉妬
     するという悩みもあった。

     答)他人と比較することの無意味
     さを述べた後、こういう。
     不幸な人はしばしば他人から思い
     やってもらうことを願うが、
     それはほとんど叶えられません。
     ひとりぼっち(孤独)を決意する
     以外に救いの道はないのです。

     なんと見事な回答!
     どれもこれも、こんなことをいわ
     れたら、観念するしかないなあ、
     という気がします。
     
     最終的には車谷はこういいたいの
     でしょう。
     「すべてに阿呆になるのが一番
     よい。あなたは小利口なのです」

     合掌

   



     
      

花には花の

2015-05-30 09:45:17 | 自然


     先日、大通りを避けて横道を
     歩いていたら、
     植木屋さんが剪定をしていた。

     暑い日だったので、
     「暑いですねえ」
     と互いに声をかけて通り過ぎた。


     用を済ませて帰りに通ったら
     刈り取った枝を集めて袋に
     入れる作業をしている。
     
     汗を拭きつつ、
     「ご苦労さま」
     というと、
     「サツキはいま刈り取らないと
     来年、咲かないんですよ」
     という。

     そういえば傍にはまだ咲いてい
     るサツキがあって、ちょっと
     切るにはもったいないな、
     と思ったのでした。

     そしたら
     「サツキは開花終了して間もなく
     新芽が出る。
     翌年の花芽は新しく出た新芽の
     先端につくので、
     新芽が出る前に剪定しなければ
     ならない。
     もし、剪定が遅れると、次の年
     は花が咲かなくなる」
     のだという。

     なるほど、と私は思った。
     花には花の、樹木には樹木の
     剪定の時機があるのだろう。

     その理屈でいえば
     人間も同じではないか。

     三つ子の魂、云々というが、
     しつけをする時機、
     勉強するとぐんと伸びる時機
     があるような気がする。

     では、何もかも遅い私は一体、
     どうすればいいのか。
    
     こういうことって、過ぎ去って
     から気づくものなのねえ。
     実感である。

     ※ 海蔵寺のサツキ
 

     
  

     

ベイブリッジ

2015-05-24 09:32:00 | 名所



    マリンタワーと氷川丸から目を 
    左に移すと長い吊り橋が見えた。
     
    あ、ベイブリッジだ、と思った。

    ベイブリッジが開通したのは
    1984年(平成元)、
    今年はもう平成27年だから
    27年間、一度も通ったことが
    ない。
    おそらくこれからも機会がない
    のではないかと思う。

    そもそもベイブリッジは東京湾
    と横浜港をむすぶため、渋滞を
    緩和する狙いもあって造られた。

    長さ860㍍ 幅40㍍
    中央の最大支間長460㍍

    かつて東京と千葉のウミホタル
    (木更津)を結ぶアクアライン
    が料金が高かったりして不人気
    だったように、
    (たしか現在は安くなったはず)
    ベイブリッジはどうなのだろう。
    渋滞は解消されたのだろうか。

    しかし、このブリッジも問題が
    ないわけではない。
    大型客船が下を通れないのだ。

    そのため、
    英のクィーン・エリザベス号が
    横浜に寄港した際には、
    海面が2㍍下がる干潮を待って
    くぐり抜けたというエピソード
    がある。

    目の前に港があるのに着けない
    のは、客船の乗客にも不満だっ
    たろう。


    ※ 船上から見たベイブリッジ

    

かつては……

2015-05-23 15:44:43 | 名所


     かつては横浜の名所といえば、
     山下公園であり、マリンタワーと
     氷川丸であった。

     私も20代の頃、高いところを
     みれば一度は昇りたくなる習性
     でマリンタワーに昇ったことが
     ある。
     (東京タワーしかり、である)

     氷川丸には二度くらい乗った?
     かなあ。

     マリンタワーは
     1961年(昭和36)建設さ  
     れた。
     地上33階
     106㍍
     はじめて昇ったときは充分高か
     った。

     氷川丸は元々、日本郵船の貨客
     船で、お役目を終えた後、
     1960年(昭和35)年以降
     停留しているので、両者はとも
     に横浜港のシンボルとして
     頑張ってきたのだ。

     それが「みなとみらい」の開発
     以来、忘れ去られたようになって
     いる。

     平成5年に建設された
     ランドマークタワーが、
     地上70階 地下4階
     296、33㍍
     と比較したら、誰がみても前者は
     見劣りするだろう。

     たしかランドマークタワーができ
     たとき、マリンタワー消滅の記事
     もあった。

     だけど、
     高けりゃいいってもんじゃない
     でしょ。

     私はもう高いところに昇る気も
     ないが、いまやマリンタワーが
     ちょうどいい高さのような気が
     する。

     そう思う人も少なくないのだろう。
     この日、どちらも観光客で賑わっ
     ていた。


     ※ 船上からみたマリンタワー
       と氷川丸


     

『蒼氓』こぼれ話

2015-05-17 14:27:32 | Weblog


    『蒼氓』は第一回芥川賞受賞だった
    ことは前回書いたが、
    ちなみに同じく候補に挙がっていた
    のは高見順、太宰治、島木健作らで
    ある。いかにも昭和を代表する作家
    といえる。

    石川達三が実際にに移民船に乗って
    ブラジルに渡ったのは24歳のとき。

    彼は若気の至りから家族移民ならぬ、
    単独移民として950名の移民団の
    一人として乗り込んだ。
    目にしたのは厳しくも悲しい現実
    であった。

    そして、こういっている。
    「これまでこれほど巨大な現実を
    目にしたことはなかった。
    この衝撃を私は書かなければなら
    ないと思った」


    まだ作風も決まってな石川であった
    が、この小説で社会派作家の地位
    を確立した。
    それ以降も現実問題を題材にした
    社会批判の鋭い作品を書き残して
    いる。

    『蒼氓』には、
    家族単位の移民が多いなかで、
    徴兵逃れで移民を決意した弟の孫市
    につきそって渡伯する佐藤夏という
    女性も登場する。
    夏もまた、恋人と別れての決意で
    あった。

    ちなみに「蒼氓」とは
    「富も名誉もない無名の民」
    という意味である。


    ※写真は同じく桟橋に停泊していた
     「ぱしふぃっく びいなす号」
     (大阪の客船)
     にっぽん丸の甲板から撮影
    

『蒼氓』

2015-05-16 14:48:27 | 読書


     ブラジル移民で思い出すのは石川
     達三の『蒼氓』(そうぼう)である。

 
     実際にブラジル移民に同行して書い
     た小説である。

     
     昭和5年、話は神戸の「移民収容所」
     からはじまる。

     そこでの体格検査でパスできなかった
     者、国費で渡航できると無一文でやっ
     てきた無頼派、ひそかに乗船する密航
     の少年、船旅の途中、子供を病気で
     亡くした家族、蚕棚のような船室の
     ベッド……。


     この小説は第一回芥川賞にかがやいた
     のだが、石川はこのように語っている。


     「ほとんどの者が希望をもっていた。
     それは貧乏と苦闘とに疲れたあとの
     捨てバチな色をおびていた。
     それだけに向こうみずな希望であった」

     
     そうだ、捨てバチであろうと何だろう
     と、みんな希望を抱いて大陸に渡った
     のだ。
     しかし、国策で行われた移民にもかか
     わらず、行って見れば密林で、とても
     作物など作れる状態ではない話など、
     ごまんとあった。

     それを切り拓き、石ころを拾いあげ、
     耕した苦闘は、いろんなところで書か
     れている通りである。

     行くも地獄(日本に)残るのも地獄
     のなか、人間の極限状態が描かれて
     いる。

     
     ※ 時代は変わり、豪華客船で世界
      一周をしたり、もちろん南米にも
      行く。
      写真はにっぽん丸の図書室

  

     

     

笠戸丸

2015-05-10 14:11:22 | 歴史


     今日は母の日(らしい)。
     毎日が母の日の私は何ら特別な
     ことはない。
     自分のペースで好き勝手に生きら
     れるのが、私流の「母の日」だと
     思っているので、イベントなど
     なし。
      

     ところで、
     前回の南米移民船について、
     もちろん記憶にはないが
     年代からいって多分、笠戸丸では
     なかったか、と思う。

     笠戸丸が初めて南米に移民を運ん
     だのは明治41年で、そのときは
     160家族781人を乗せて出港
     した。
     (これが第一回南米移民である)

     
     戦後の南米移民の総数は
     のべ24万4500人で、
     うち笠戸丸は昭和27年から48年
     までの21年間に6万2800人を
     運んでいる。

     飛行機なら24時間だが、
     船だと1ヶ月以上、40~50日の
     就航である。
     もちろん運賃が安いので、学生など
     一般客もわずかながら混じっていた
     であろう。

     私の記憶にあるのは船上の家族と
     見送り人とを結ぶ紙テープ、
     泣き声と叫び声の混じるなか、
     やがて船はボーッと汽笛を鳴らして
     ゆっくりと出てゆく。

     そのとき移民家族たちは希望や夢
     より、不安でいっぱいであったろう。
     南米にいって成功した人も少なから
     ずいた。
     だが、ほとんどは苦労して苦労して
     帰るに帰れず、一生を終えたのでは
     なかったかと思われる。

     戦後の高度経済成長にともなって、
     南米移民も廃止された。

     そして、多くの人を送りだし、
     たくさんのドラマを作った桟橋も
     いまや、
     楽しく明るい観光地と化し、
     連休はファミリーやカップルで
     にぎわっていた。


     ※写真は「にっぽん丸」船内の
      プール。
      
     

     
     
     

     
    

横浜・大桟橋

2015-05-09 14:18:14 | 雑記



    連休の1日、
    娘の乗船しているにっぽん丸
     (商船三井客船)
    が横浜港に着いたので
    チビをつれていってきた。
    約一ヶ月半ぶりの逢瀬である。

    天気にもめぐまれ、関内(又は桜木町)
    からタクシーで。
    (昔は駅からよく歩いたものだが)

    横浜・大桟橋が変わったのにびっくりした。
    港には何度も来ているが、桟橋まで来た
    のはン十年ぶりなのである。

    写真はそのにっぽん丸。
    21、930トン 全長166、65㍍
    乗客定員523名 客室202室

    といってもピンとこない。

    私はむしろ昔、この桟橋で南米移民船を
    見送ったことを思い出していた。

    大学1年か2年のときだから昭和37、
    または38年だったと思う。

    サークル(ラテンアメリカ協会)の
    メンバーが何人かブラジルに行くので
    見送りにきたのだった。

    はからずもそれは移民船で、これから
    南米に移民するという家族がたくさん
    乗っていて(というよりもそれが主)
    見送りの人も大ぜいいた。

    見聞を広めるといった、学生の目的
    とは大ちがい。
    移民する家族たちは今生の別れと
    なるかもしれないのだから、
    送る方も送られる方も涙、涙の別れ
    の風景であった。

    物見遊山で横浜港まで出かけた私は
    (友人と一緒だった)
    その光景がショックで、その後
    しばらく(何年も)    
    大桟橋に近づけなかった。

    
    豪華客船のなかで、私はおよそ半世
    紀前の思いにふけっていたのである。        

憲法記念日

2015-05-04 15:56:29 | 歴史

   
  
    昨日5月3日は憲法記念日で
    あった。
 

    現在の憲法ができてから68年。
    その前の明治憲法発布から
    だって、たかだか126年である。

 
    しかし、それぞれに意味は異なり、
    深いものがある。


    大日本帝国憲法、つまり明治憲法
    が発布されたのは明治22年。
    御一新から22年も待たなければ
    ならなかったのである。

    つまり日本の近代化が謳われても
    国民には何ら関係ない。
    国会もひらかれず、選挙権もなか
    った。
    それでいて租税や兵役の義務ばか
    り課せられていた。

    そういう土壌に自由民権運動が
    おこり、すったもんだの末、やっと
    明治憲法ができたのである。
    これはドイツ憲法をもとにしたもの
    で、当時としては画期的なもので
    あった。

    では現在の憲法はーー
    明治憲法を欽定憲法というのに
    対し、
    現在のは民定憲法という。

    大きくいえば、
    欽定憲法は天皇が国民に与えると
    いう形で制定されたもの。

    これに対し、
    民定憲法は太平洋戦争の後、
    GHQの指導のもとに作られた。
    いわゆる、国民が主導して作った
    という意味で、おのずとちがって
    くる。

    
    いつの世も憲法改正の議論が云々
    されるが、
    この点を踏まえて考えねばならな
    いだろう。


    ※出かける途中でみたコイノボリ
    
    
    
    

    

一年に一度

2015-05-03 13:54:02 | 自然



     いい季節だ。
     薫風というのか、外は暑いが家の中に
     いるとほどよい風が入ってきて、
     気持ちいい。

     なのに今朝起きたときから頭痛がして
     葛根湯をのんだ。
     少し治まったようだが、昼にまたぶり
     かえして、また服用した。

     世の中はGWだが、わが家は日常と
     あまり変わりない。
     娘がいないので、チビが学童にいく
     弁当、おやつ、水筒を用意して送り
     出し、夕方までは自分の仕事&用事。

     4、5、6日は人と会うため外出し、
     (半分取材も入っている)
     あっという間に終わりそうだ。

     外を歩いていると他家の垣根のミニ
     バラが美しい。

     毎年この時期になると、黄色いミニ
     バラに目を奪われ、欲しいと思って
     花屋を覗くのだが、手ごろなのが
     ない。
     そのうちに季節が変わってしまう。

     そして、あんなにきれいだったミニ
     バラも朽ちて、無残な色になっている。

     そうしたときに思う。
     木や花など、植物は一年に一度、
     美しい芽を出し、花を咲かせる。



     あとの300日はそのときのため
     にあるようなものだ。

     それがどうだろう。

     人間は毎日楽しいことを求め、
     おいしいものを食べたがり、
     エキサイティングな日々でないと
     生きている実感を感じない。
     この飽くことない渇仰!

     もっと自然に学ばなくてはなら
     ない。
     ナニ、これは私のことです。