一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

さほど変わりはしないけど

2015-10-30 20:23:14 | 雑記



       TVショッピングって、なぜあのよう
       に効果百倍に見えるのだろう。

       私は超のつくアナログ人間だから物を
       手に取らないで買物をするなんて、
       考えられない。
       
       だけど同時にモノグサだから、目の前
       で実践してくれるのは、説明書を読む
       必要もはぶけて、こんな有り難いこと
       はないとも思うのだ。

       TVショッピングはそういう人間の
       盲点を突いてやってくる。

       まして早朝、起きがけにTVをつける
       と、なぜか民法はTVショッピングを
       やっている。

       本当は天気予報を見たいのだけど、
       巧みな話術に引き込まれて、つい
       うっかり目をやってしまう。

       半年前には髪の毛を乾いたままブロー
       できるというブラシを購った。
       ショ―トヘアでも大丈夫ですよ、と
       ゲストのタレントさんが実践して
       見せてくれたのだ。

       髪の毛に巻きつけて廻すだけで
       ほどよくカールされて、きれい!

       だけど、私の髪はショート過ぎて
       駄目だった。
       1回使っただけで、その後は出番
       なし。

       先日は強固なクルクルワイパーを
       購った。
       それでやると、ウソみたいに床が
       きれいになるのを見せられて。

       それは毎日使っているけど、
       古いシミやこびりついた汚れは
       取れない。

       ああ、あのTV実演でみた映像は
       何だったのだろう。

       マジックを見せられたように不思
       議で、そして、それにうかうか
       乗ってしまった自分が悔しい。

       目下、校正で疲れた目を休める
       ために、ゴシゴシ床みがきを
       やっている。

       ※ 左側の大きいのがTVショッ
         ピング版。
         右側のは前から家にあった
         軽量のやつ。

      
       

中原中也と鎌倉

2015-10-25 16:27:43 | 読書



      鎌倉は中也終焉の地である。

   
      昭和12年2月に寿福寺境内にある
      家に引っ越してきて、
      その年の10月には結核のため
      帰らぬ人となった。
      わずか30歳の短い生涯であった。


      「含羞」(はじらひ)
           『在りし日の歌』所収


        なにゆゑに こころ羞ぢらふ
        秋 風白き日の山かげなりき
        椎の枯葉の落窪に
        幹々は
        いやにおとなび彳(た)ちゑたり
              (中略)

        その日 その幹の隙(ひま)
                睦みし瞳
        姉らしき色 きみはありにし
        あゝ! 過ぎし日の
        仄(ほの))燃えあざやぐをりをりは
        わが心 なにゆゑに
          なにゆゑにかくは羞ぢらふ……
        

        
      私は、わずか30歳で生命の芽を
      もぎとられた中也の若さにたじろ
      いでいる。

      何歳になっても熟さない私自身の
      悔恨もあるが、
      中也が無事、中年以降へと齢を重
      ねていたら、どうだったろうと思
      うからである。

      
      老年を迎えた中也は、どんな詩を
      書いたのだろう。
      

      ※ 『中原中也の鎌倉』
            福島泰樹著 冬花社
        
        
     
 

汚れっちまった悲しみに……

2015-10-24 15:34:37 | 読書



      詩集なんぞを開いてみる気になった
      のは、深まりゆく秋のせいか。
      ご存じ中原中也の詩である。

      
      『山羊の歌』所収       
      「汚れっちまった悲しみに……」より


       汚れっちまった悲しみに
       今日も小雪の降りかかる
       汚れっちまった悲しみに 
       今日も風さえ吹きすぎる

       汚れっちまった悲しみは
       たとへば狐の皮裘(かはぶくろ)
       汚れっちまった悲しみは
       小雪のかかってちぢこまる

       汚れっちまった悲しみは
       なにのぞむなくねがふなく
       汚れっちまった悲しみは
       倦怠(けだい)のうちに
              死を夢む

       汚れっちまった悲しみに
       いたいたしくも
          怖気(おぢけ)づき

       汚れっちまった悲しみに
       なすところもなく日は暮れる
                  ……


      中原中也(明治40~昭和12)
      わずか30歳で逝去。
      15歳から詩作をはじめ、早熟で
      感受性のつよい子だった。


      さて、
      上の詩の「汚れっちまった悲しみ」
      とは何を示すのでしょう。
      17歳で同棲した女優の長谷川靖子
      に去られ、
      (しかも、彼女は中也の友達の小林
       秀雄のところに走った)
      口惜しさや傷心もあったであろうが、
      そんな個別のことをいっているので
      はないと思う。
      
      おそらく、そういった失恋をも含め
      た中也自身の内にうずく、
      「生」の悲しみをいっているのでは
      ないだろうか。

      私の手もとにある資料には、
      「過剰な自意識による生の倦怠の情」
      とある。
      
 


      
     
       
       
      

小倉城

2015-10-21 19:39:56 | 歴史



      まさかここでお城に出会うとは思って
      いなかった。
      小倉の街を歩いていたら突然、天守閣
      が見えるではないか。

      知り合いに案内してもらったのだが、
      「え、お城?」と驚く私に、
      「小倉城だよ」という。

      それまで小倉城の存在を知らなかった。
      しかも立派なお城ではないか。

      調べてみると、小倉城は
      永禄12年(1569)中国地方の
      毛利氏が城を造り、
      慶長7年(1602)細川忠興が今の
      ようなお城にした。

      細川忠興は城下町繁栄策として諸国の
      商人や職人を集めて商工業保護策を
      実施してしている。
      また外国貿易も盛んにし、同時に
      祇園祭も誕生させた。


      細川忠興といえば、正室が細川玉
      (洗礼名・ガラシャ)である。
      ガラシャは戦国時代1,2を争う
      美人であることは歴史でも有名で
      あるが、親は明智光秀であった。

     
      1578年、本能寺の変により
      光秀の娘であるガラシャは夫の
      命令で山奥に幽閉される。
      云うまでもなく、
      光秀は本能寺で信長の寝込みを
      襲った張本人なのだ。

      信長亡き後、台頭したのは秀吉
      である。
      秀吉は何をたくらんだか、ガラ
      シャを家に戻せと云う。
      ガラシャは細川邸にもどされた
      が、夫の忠興は決して人前には
      出さなかった。

      これには色きちがいの秀吉が
      ガラシャに横恋慕して、夫の
      忠興に(妻を)召しだすよう
      迫ったからだ……云々といった
      俗説がいっぱいある。

      ガラシャは唯一の希(のぞみ)
      である教会に行くことも禁じら
      れ、侍女にこっそり行かせて、
      侍女から話を聞くことを楽しみ
      にしていた。

      やがてガラシャは夫が戦に出て
      いる間に人質に取られそうに
      なったとき、お付きの者に命じ
      てわが身に刀を突きささせ、
      さらに死体を見せないよう、
      家に火をつけさせた。

      ガラシャ37歳の死。
      「散りぬべき時知りてこそ
       世の中の 花も花なれ
       人も人なれ」
       
      辞世の句である。


      

    

  
      

松本清張『或る「小倉日記」伝』

2015-10-17 10:18:45 | 読書


     小倉にある松本清張記念館には
     東京から移築した清張の書斎や、
     書物がびっしりと詰まった資料室
     がリアルに再現されていて、
     他の文学館にはない雰囲気を
     かもしだしていた。

     私はここで先に出た森鷗外と
     松本清張が<点と線>で結ばれて
     いる因縁を再認識することと
     なった。

     松本清張の『或る「小倉日記」伝』
     が「三田文学」の掲載されたのは
     1952年。
     翌年、芥川賞を受賞した。

     森鴎外が軍医として小倉に赴任して
     いたことは前々回のブログで触れた。

     清張は、その地元小倉を舞台にした
     小説を書こうと試みた。

     これがつまり、
     鷗外が小倉に赴任していた3年間の
     「小倉日記」を探すことに生涯を
     捧げた男(田上耕作)を主人公と
     して描いた短編小説である。

     それまで清張は朝日新聞西部本社
     に勤務しながら執筆活動をおこな
     っていたが、これを契機に上京し、
     本格的に小説を書き出した作品
     でもあった。

     私は久しぶりに
     この『或る「小倉日記」伝』を
     読みたくなった。


     ※松本清張の書斎(再現)
     

松本清張記念館

2015-10-16 15:50:37 | 読書


      小倉でもう一つ、駆け足で巡ったのが
      「松本清張記念館」である。
      小倉駅から徒歩15分のところにあり、
      大通りには「清張通り」という標識も
      出ている。

      松本清張
        明治42~平成4 83歳歿

      あらためて年号をみると、平成まで
      生存していて長生きだったことに
      驚いた。

      清張というと、清掃、お茶くみ、社員
      の使い走り、印刷所の見習い工……
      と苦労続きの下積み時代のせいか、
      ずっと昔の作家という印象が強かった
      のだが。

      
      だがその作品は斬新で新鮮だった。
      あまり推理小説には興味のない私で
      あったが、『点と線』を読んだのは
      高校生の頃であったろうか。

      料亭「小雪」の女中2人と東京駅に
      13番線プラットホームで見送られ
      ていた機械工具商会を経営する男、
      安田辰男。
      この3人は向いの15番線ホームに、
      同じ「小雪」で働くお時が男性と
      夜行特急列車「あさかぜ」に乗り込む
      ところを見つける。
      その数日後、お時とその男・佐山は
      香椎の海岸で情死体となって発見
      された。
       ………………

      新幹線がばんばん走って夜行寝台列車
      もなくなった現在、成立しないストー
      リーだが、これを読んだときのドキド
      キ感はいまでもはっきりと思いだすこ
      とができる。
      「点と線」というタイトルも意表を
      突いて新鮮だった。

      秋の夜長、昔親しんだ本をめくって
      みるのも酔狂かもしれない。

      ※ 「松本清張記念館」の入口

帰ってきました

2015-10-13 10:40:04 | 雑記


      無事、帰ってきました。

      取材の成果は原稿でお目にかかれ
      るとして、帰りに掛け足で回った
      ところを紹介したい。

      小倉駅から徒歩10分という所に
      ある森鴎外旧居である。

      森鴎外は旧陸軍第12師団軍医部長
      として小倉に赴任。
      この家に明治32年6月から翌33年
      12月まで住んだ。
 
      わずか1年半ばかりであったけれども
      ここでアンデルセンの『即興詩人』を
      翻訳し、短編「鶏」の舞台ともなった
      ところである。

      書斎をはじめ、居間や台所など、明治
      半ばの(恵まれた)生活風景がしのば
      れる。

      鷗外はここから馬に乗ってよく出かけ
      たというが、厩舎は残っていない。

      <鷗外>と<馬>で思いだすのは
      樋口一葉である。

      一葉の作品に敬意を表していた鷗外
      は葬式の当日、陸軍軍医の制服に身
      をつつみ、騎乗姿で葬列に従いたいと
      申し出たが、樋口家から断わられた。

      一葉の葬儀は身内をのぞけば、
      ごく親しい人、数名だけという寂しい
      ものであったから、(一葉の)妹の
      邦子が丁寧にお断りしたのだろう。
      明治29年のことである。

      鷗外といい、一葉といい、明治期の
      先達の作品を改めて読みたいと思う。

      取材旅行と同じく、駆け足のブログ
      となってしまいました。

      ※ (福岡県)小倉にある鷗外旧居

   

      
      

今日の日にさようなら

2015-10-06 16:44:36 | 雑記


      目の前にテーマがあるのだけれど
      さっさと片付けられる日ばかりで
      はない。
      むしろウジウジして、同じテーマ
      を抱えたまま何日も過ごしてしま   
      うことが多い。

      無為に過ごす日々。
      残された時間がどんどん少なくな
      っていくというのに、こんなこと
      でいいのだろうか。

      いいわけないじゃん!
      そう思って時間だけロスしてしまう。

      
      そんな時どうするか。
      何か素敵なことに出会いたくて、
      一つでも「発見」がしたくて、
      関係ない本などぱらぱらめくったり
      する。

      今日は「文学界」のバックナンバー
      (2015年1月号)
      を拾い読みしていた。
      そこからピックアップする。

      イラストレーターの横尾忠則は
      故・高倉健と親しかった。
      携帯電話で話したり、会って一緒に
      「珈琲」(酒ではない)を喫んだり、
      芝居に誘われたり……と親密度は
      濃かった。

      それが昨年の11月18日の早朝、
      高倉健の事務所から突然電話があ
      った。
      オヤ、健さんなら直接携帯で寄こす
      はずだが……不吉な思いは現実に
      変わった。
      健さんの訃報だったのである。

      昼間はマスコミの取材で右往左往し、
      夜になった。

      夜、ベッドに入ってから、ふと電話   
      をしたくなって健さんの携帯番号を
      回した。電話はつながった。
      が急に怖くなって、あわてて切った。

      二度目にかけたら、留守電に切り変
      わった。
      横尾は47年間の親交のお礼をいい、
      最後に「さようなら」と云った。
      声が震えていた。

      受話器を置いて、間もなく電話が
      鳴った。心臓が停まりそうだった。
      健さんが留守電を聞いて掛け直し
      たのではないか。
      電話は鳴りっぱなしである。
      勇気を出して受話器をとった。

      「もしもし横尾ちゃん?美輪です」
      「美輪さん、驚かさないでよ」
      その晩、美輪明宏と一時間半近く
      健さんのことを語りあった。


      バイバイでもない、グッバイでも
      ない「さようなら」。
      こんな別れ方もあるのか、と今日
      一日のの締めくくりとして心に
      残った。

      ※ 週末から来週にかけて九州
       方面に取材に出ます。
       ブログもしばらく「サヨウナラ」
       です。

      

      

      
  
 
      

「ロス」現象

2015-10-04 15:09:24 | 雑記


     一番分かりやすいのが「ペットロス」
     つまり可愛がっていたペットに死な
     れて生きる意欲も喪失すること。

     ほかに「あまちゃんロス」というの
     もあるそうだ。
     NHKの朝ドラ「あまちゃん」の放映終
     了による喪失感をいうのだとか。

     現在のところペットも可愛がらない、
     見続けているドラマもない私は、
     まったく無関係というほかない。

     こんなことを云うと世の中の人から
     可愛くない年寄りと嫌われるかも
     知れないが、
     もう一つ理解できないものに昨今
     話題になった「福山ロス」がある。

     歌手であり人気俳優の福山雅治さん
     が、女優さんと結婚したことによっ
     て、ロス現象が起きているのだそう
     だ。

     理解できないのは元々、福山ファン
     でない、いい年頃の女性がそうだと
     いうから、不思議としかいいようが
     ない。

     新聞によると、NHKの女性アナウン
     サーがニュースで「ショック!」と
     口走ったとか。

     スターの結婚に、熱心なファンがショ
     ックを受けるのはよくある話。
     ところが静かなオフィスで騒然となり、
     「私たち、誰も福山ファンじゃないん
     です。なのに皆ですごいショックを
     受けた。職場の女性社員がはじめて
     一つになれた気がしました」
     とまでいわれているのだとか。

     どうやら、
     「なぜ今さら結婚?」「ずっと独身
     だと信じていた」「今後、何を糧に
     生きていけばいいの」
     という気持ちらしい。

     そして未婚、既婚にかぎらず、
     福山さんは「妄想彼」で、
     恋愛を妄想するだけでホルモンが
     出て、キレイでいられる女子が多い
     のだとか。

     母親世代からすると、娘、息子が
     結婚しないでいるなか、「福山さん
     も独身」と思うだけで、慰められる
     らしいのです。

     それが現実の結婚で、各世代の妄想
     が崩れてしまったということか……。

     「最後の大物独身」
     「国民的独身」
     の結婚によって、年代問わず女性が
     「ロス現象」を起しているこの現実。

     それが理解できない私は、
     結婚適齢期でもなく、適齢期にある
     子供もいない世代、つまりすっかり
     老境に入ってしまった、
     ということでしょうか。


     ※ 英勝寺の萩
     
 
     
     

気が知れない

2015-10-03 18:11:21 | 雑記


      愛猫家または動物愛護の方々から
      とうに顰蹙をかっているだろうが、
      私はウチの猫が好きではない。

      「ウチの」と断ったのは、他家の
      猫なら一向に構わない。
      猫自慢をニコニコして聞く度量は
      持ちあわせているし、猫の写真集
      なんかは好んで見て、可愛い!と
      頬をゆるめる。

      つまり猫に責任があるのではなく、
      私は自分で世話をするのがイヤ
      なのだ。
     
      臭いし、毛は飛ぶし、エサを欲しく
      て足にからまってくるし……
      網戸はボロボロ、カーテンだって
      猫の毛まみれで被害甚大である。
      おまけにわが家の猫(小さい方)
      はベランダを飛びおりて逃亡も
      する。

      私にとっては憎っくき猫なのだが
      家人はそうではないらしい。
      (勤めているので週末しか面倒を
       みない)

      そんな猫に新しいグッズが入った。
      猫タワーというやつで、猫がよじ
      上ったり、爪をといだりするもの
      である。

      古いのがあるのに、新しいのを
      買う必要があるだろうか。
      と思って、私はため息を漏らす。
      かくして猫グッズは増えるばかり、
      現代の猫は物持ちだ。

      
      その猫はちっとも嬉しそうではな
      いし、猫にそんなにお金を使う家
      人の気がしれない。

      ちなみに犬好きと猫好き、どっち
      が多いのだろう。

      犬好きは人と触れあうのが好きで
      聞き上手なのだそうだ。

      猫好きは好奇心や冒険心がつよく、
      孤独好きというが、
      孤独好きというところだけ当たって
      いるような気がする。


      ※ 新しい猫タワーは新品で猫臭が
       しないせいか、まだ馴染んでいな
       いようだ。
       傍らの鞍馬のようなスポーツ用具
       の上で眠る老猫と、下の座布団で
       丸くなる若猫

        (写真ではボロ布が丸まっている
        ようにしか見えない)