気が向いたとき、あるお寺さんの前を通るのだが、
門前の(掲示板になっている)法話に目を向ける。
「これからが これまでを決める}
ん?
さらっと読んで通り過ぎようとしたとき
はっと思った。
ふつう、
「これまでが これからを決める」
ではないのか。
歩きながら考えた。
これは逆の発想というのだろうか。
気の小さい私は時折、過去の恥ずかしいミスや
失敗を思い出して、いたたまれなくなる。
(それが生きているのも気恥ずかしいような
言動や、失敗、ミスが掃いて捨てるほど
あるのだ)
つまり、消すことの出来ない過去にとらわれて
生き方そのものが委縮して小さくなってしまう
のである。
一般に過去、現在、未来という時間の流れで
物事を考えるのでそうなるのだが、
これを逆転して考えればいいのか。
「これからが これまでを決める}
そうか、なるほど。
人生はパソコンの「削除」や「上書き保存」が
効かない。
ならば、せめて気持ちだけでも
「これからが これまでを決める」
でいきましょう。
……と、一瞬だけでも思ったのでした。
※ 本文とは関係ないがお寺さんの近くに
あった空地が半年前から整地され、
マンション建設がはじまった。
今朝通ったら、すでに鉄骨が組まれ
「入居者募集」の垂れ幕が下がって
いた。
こうして空地も山も崩されていくのねえ。