一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

沢木耕太郎『檀』

2020-10-28 13:15:44 | 読書

       もう一つ 例をあげよう。 
       沢木耕太郎に『檀』(だん)という著書がある。

       いわずと知れた『火宅の人』で有名な檀一雄の
       ことで、こう始まる。

       「夫の13回忌も過ぎた頃、妻である私のもとを
        訪ねる人がいた」

       つまり、
       一雄の妻・ヨソ子さんの視点で書かれた小説なのである。
       (ヨソ子さんは 女優・檀ふみさんのお母さん)

       これを書くにあたって、
       沢木は一年間、檀家に通い續けて、 
       ヨソ子さんの信頼を得て、
       (浮気された妻の)心情を語ったものである。

       それによると、
       ヨソ子さんは 取材を受けてから はじめて
       『火宅の人』を読み、
       「それは違います。(あなたは)そんなことを
        思っていたのですか」
       と、亡き夫に向かって叫んだという。

       暗くてじめじめした内容かと思いきや、
       カラッとして 爽快感すら感じる作品である。

       現在、福岡県柳川には 檀家の菩提寺とお墓があり、
       取材の際、現地の人に案内されて お参りしてきました。

       廃寺と思われるような お寺さんで、
       古いお墓が多いなか、
       檀家のそれは いちばん立派。
       「檀 一雄 と ヨソ子」の名前が
       並んで記されていました。
       
       
       
        

沢木耕太郎「一瞬の夏」

2020-10-26 09:44:34 | 読書
       私が沢木耕太郎が好きなのは、
       その取材方法で、こういっている。

       「私は 自分で見たもの 直接聞いたことしか
        書かない」

       こういう姿勢だからこそ、真実に迫る、 
       リアルな表現ができるのだろう。

       『一瞬の夏』の例を あげよう。

       カシアス内藤は 有能なボクサーなのだが、
       彼の性格の弱さからか 無残な結果に終わった。

       その内藤が 4年後に復帰するという。

       当時、駆け出しのルポ・ライターであった沢木は、
       何か心騒ぐものがあって、
       プロモーターを買って出て、
       ポケットマネーで資金の援助もした。
      
       ときどき練習現場に顔を出し、
       内藤の仕上がり具合をチェック。

       努力嫌いの内藤は 減量もなかなかうまくいかない
       ようで 苦しんでいた。

       結果を急げば 案の定、 一回戦で KO負け。

       1年間にわたる 著者と内藤の闘いは 終わった。

       沢木は 勝ち戦だけでなく 負け戦もきちんと
       描いた。
       そこには 一ボクサーではない、
       一人の人間の夢と希望や 弱さもあった。 
       

       

        

       

「深夜特急」その2

2020-10-25 11:27:15 | 

      吹きあげられるような エネルギーと狂気。
      沢木の旅は 身も心も 自由。

      現在、コロナ禍もあるけれど、
      もはや バックパック一つ背負って
      異国を一人で歩くなんて叶わなくなった いま、
      なおさら 「深夜特急」は輝きを増すのである。

      そしていま、73歳になった沢木は 
      こう云いきるのである。

      「一人で生きていける」と 「一人で旅ができる」
      とは おなじこと。
      「旅も 人生も 深めるなら 一人」と。

「深夜特急」

2020-10-25 11:13:01 | 


       1980年代から90年にかけて、
       まだネットなんか無い時代、
       バックパッカーのバイブルとなった
       沢木耕太郎の『深夜特急』は
       いまも 広い世代に 読み継がれている。

       アルバイト代をためて買った 
       格安航空券を握りしめて、
       ユーラシア大陸を横断。

       乾いた風のなかを疾走する長距離バスに乗り、
       雨に降られ、異国の言葉や 風習のあふれる
       路地裏の匂いを嗅ぎ、
       現地の人々のなかに溶け込んでいく。

       たとえば 
       第3巻の「インド・ネパール」編ではこう書いている。

       「風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。
        そうやって〈私〉は やっとインドに着いた。
        カルカッタでは路上で突然 物乞いに足首をつかまれ、
        ブッダガヤでは最下層の子供たちとの共同生活。
        ベナレスでは 街中で日々 演じられる生と死の
        ドラマを見せられ、
        やがて、〈私〉は一つずつ自由になっていった」
       

「ビルマの竪琴」 その2

2020-10-18 10:39:04 | 雑記

        やがて 水島を探しまわって 
        森の中を歩く隊員の前に、
        一人の青年僧が あらわれる。

        彼は インコを肩にのせ 
        立派な ビルマの僧侶になっていた。

        水島に ちがいない。
        そう確信した隊員たちは 口々に叫ぶ。

        「ミズシマ、 一緒に日本に帰ろう」

        だが、青年僧はかたく口を閉じたまま、
        森の奥に消えていった。

        隊員たちの唄う「埴生の宿」
        こらえきれなくなったのか、
        青年僧も 竪琴をかき鳴らす。

        私がこの映画をみたのは 学生の時。
        このシーンで 嗚咽をこらえきれませんでした。

        これが実話だと聞き、
        さらに衝撃は大きくなったのです。

        ※ 作者の竹山道雄さんは ドイツ文学者
         水島のモデルと同じ部隊にいた 元・教え子
         から この話を聞いたそうです。


ビルマの竪琴

2020-10-18 10:27:06 | Weblog

         ちょっと、昔づいているんじゃないの?
         と云われそうだが、
         忘れられない映画を もう一つ。

         「ビルマの竪琴」
         ときは昭和20年 部隊はビルマ(現・ミャンマー)

         ビルマ戦線の日本軍は 英軍に攻められ、
         苦難の撤退を 強いられていた。

         そんな逃避行のさなか、
         井上隊長(映画・三国連太郎)率いる部隊は、
         士気を鼓舞するため 音楽を奏でる。
         (これは 敵を油断させるためでもあった)

         水島上等兵(安井昌二)が 竪琴を弾き、
         歌は 「埴生の宿」

         間もなく敗戦を知った彼らは 投降するが、
         水島は まだ抵抗を続ける日本軍を説得するため
         出かけて、 そのまま帰ってこなかった。

         そう、水島は 日本兵の霊をなぐさめるため、
         僧侶になって、ビルマに独り、
         残る決意をしたのだ。

「二十四の瞳」その2

2020-10-11 17:23:58 | 雑記


        学校に復職した先生は、
        かつての教え子の子どもたちがいて、
        その名前を呼ぶたびに涙が止まらなくなる。
  
        それからは 
        「泣きむし先生」と呼ばれるようになった。

        後年、同窓会がひらかれて、
        戦争で失明した 磯吉(田村高廣)も出席。

        磯吉は 一年生のときの写真をいだき、
        指差しながら 全員の位置を 間違いなく
        示すのであった。

        戦争を描かずして、
        非戦を訴える 不朽の名作といえるでしょう。

        映画の舞台となった 分教場は残っていて、
        「教育の原点」とされ、
        全国の教育関係者が訪れるそうです。

        

二十四の瞳

2020-10-11 17:11:05 | 雑記
    

        加齢のせいか、昔のことを思いだします。

        「二十四の瞳」という映画。
        舞台は瀬戸内海べりの寒村・小豆島。

        女学校出たての女教師(高峰秀子)は
        洋服姿で自転車を乗りまわすので、
        「ハイカラな おなご先生」と
        村人から 揶揄されます。

        唯一の味方は 子どもたちで、
        村の古い慣習に苦しめられながらも、
        良き教師になろうと頑張る 大石先生。

        ある日、子どもたちの いたずらによる
        落とし穴に落ち、足を負傷して、町の病院に入院。

        先生に会いたい一心で 子どもたちは
        遠い道のりを 歩いて見舞いに行こうとする。

        田舎道を 町まで 泣きながら 歩くシーン。
        (私も 幼いながら このシーンには号泣しました)

        やがて戦争がはじまり、 
        かつての生徒の半数は出征します。
        女の子たちも 生活にあえぐ日々。

        先生の夫も 戦死しました。

        (原作は 壷井栄著「二十四の瞳」)

        

金木犀

2020-10-09 11:10:15 | 雑記

       路地を歩いていると、
       どこからともなく 漂ってくる あの匂い。

       そう 金木犀だ。

       もう そんな季節になったのか、
       懐かしい人が訪ねてきたような、
       一瞬、ドキドキする 匂い。

       そういえば 
       織田作之助の短編に こんなのがあった。
       以下 「秋の暈(かさ)」から 抜粋。

       「誰がそうしたのか、
        秋の下に 心をつけて 愁と読ませる。
        かつて 極めて孤独な時季が私にもあった。
        ある夜、暗い道を下駄をカラコロ鳴らして
        歩いていると、
        いきなり暗がりに 木犀の匂いが閃いた。
        私は なんということもなしに 胸を温めた。
        雨あがりの 道だった」

       そして 主人公の「私」は 翌日 金木犀を
       一枝 手折ってきて アパートの部屋に
       飾るのである。

       織田作之助、通称・オダサクは、
       今回調べたら 33歳で他界という若死にだった。

       でも 織田作之助賞という 権威のある文学賞が
       現在も存在している。
        
      

か き く け こ

2020-10-04 15:53:04 | 読書
       序文にならって「老いにカツを入れるため」に、
       坂東眞理子さんの新著を手にとってみました。

       坂東さんによると、
       「肉体は若い頃より 衰えている。
        でも 昔は見えなかったものが見え、
        若い頃には 分からなかったことが
        理解できている」

       まさに 実感です。

       インドでは 人生を、
       「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」
       の四つに分けている。
       (これは五木寛之、桐島洋子両氏もいっている)

       いろいろな解釈があるでしょうが、
       日本では 定年にしばられる60歳くらいまでが
       「家住期」で、仕事や家庭など 生活基盤を
       築く時期。

       そこから80歳までは「林住期」。

       その後、寿命が尽きるまでは「遊行期」で、
       いわば 最後のステージになります。

       私は この「遊行期」の響きが気にいりました。
       せめて 一つくらい 極めた!と思える仕事なり、
       趣味を持ちたいもの( これ 願望)。

       ついでにいえば 人生は「か き く け こ」

       「か」は 感動、学習
       「き」は 機嫌よく
       「く」は 工夫して
       「け」は 健康
       「こ」は 交流、貢献

       こうなると ちょっと危うい。