一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ポンペイ展 その2

2010-05-23 18:12:24 | 歴史
     降り注ぐ火山灰はわずか1日足らずで5セ
     ンチにも達したそうだ。
     一瞬にして死の街と化したポンペイ。
     焼いたままのパンやテーブルの上に並ぶ
     食器や食事、コイン、クリーニング屋の
     ような職業、壁には落書きのラテン語も
     そのまま……。
     まさに奇跡、都市伝説のような話である。
     
     それにしても、なぜこれほど多くの絵画や
     美術品がさほど劣化せずに美しいまま遺さ
     れていたのだろう。
     それは、
     火山灰に乾燥剤として用いられるシリカ
     ゲルに似た成分があり、それが湿気を吸収
     してくれたのだとか。

     当時、ポンペイはローマの植民地である。
     港に着いたローマへの荷物を近くのアッピア
     街道に運ぶための重要な拠点となり、商業都
     市として栄えた。
     またぶどうの産地でもあり、ワインを運ぶた
     めの壺も多数出土されている。
     上下水道が整備され、きれいな水が町中に
     送られ、ポンペイがとても活気のある都市で
     あったことが分かる。

     現在、ポンペイは世界遺産に指定されている。
     前回登場していただいた友人の話によると、
     2~3回行ったことがあるが、いつも混んで
     いたという。
     世界中の人々がこの奇跡のような街の検証を
     しに集まってゆくのだろう。      

     (写真は秘儀荘へ行く途中のヴェスヴィオ火山)

ポンペイ展

2010-05-16 14:31:23 | 歴史
  
     この間、誘われて横浜美術館でやっている
     ポンペイ展を観てきた。
     「ポンペイ展」
       世界遺産 古代ローマの奇跡
     とある。

     およそ2000年前の西暦79年8月24日、
     ヴェスヴィオ山の大噴火によってナポリ湾
     沿岸の都市ポンペイは、一昼夜にして火山
     灰に埋もれてしまった。
     その後ポンペイは忘れ去られ、復興されるこ
     とはなかったが、18世紀のある日、
     ポンペイの隣町で偶然に古代の建築物の
     一部が出てきたことをきっかけに、発掘調査
     がはじまり、古代都市ポンペイのありし日
     の姿が明らかになったというのである。

     2000年も眠っていた都市ポンペイ。
     その人々の暮らしはどうだったかというと、
     現代のハイテク顔負けといってもいいくらい
     の文明的な暮らしなのに驚いた。
     風光明美な地に別荘をもち、壁を埋めつくす
     フレスコ画や豪華な調度品で中庭付きの邸宅
     を飾り、お客を招き、優雅な暮らしを競い
     合っていたというのだ。

     ただし、これはごく一部の富裕層(貴族)
     の話。
     労働は奴隷にまかせ、家の下働きは召使い
     を使って、である。
     (奴隷をつないでおく鉄鎖も陳列してあった)

      「人々(金持ち)は吐くために食べ、食べる
      ために吐く」といったのだとか。
     (これはいただけない)

     奴隷解放が叫ばれてから(南北戦争の
     ときだから)、たかだか200年しか
     経っていない。
     この2000年の間に人間は進歩したのか。
     奴隷制度はなくなったけれど、いま火山で
     埋もれてしまっても、遺すべき建造物や
     遺跡はあるかしら、とふと思ってしまった。
     もっとも、この情報が発達した今日では
     ただちに救助隊が駆けつけ、何千年も埋もれ
     たまま眠り続けるなんてことはないだろう
     けれど。

     それにしても、こうした古代文明展を間の
     あたりにするときの高揚感。
     学生時代はほとんどといっていいくらい
     (観ないと遅れる感じがして)
     足をはこんだものだったが、いつしか生活
     に追われて(笑)遠のいてしまっている。
     
     友人に古代オリエント史を専門とする人が
     いるが、多分、彼女はそういう学生時代か
     らの興味や好奇心を持続した結果が、現在
     につながっているのだろう。
     ”ローマは一日にしてならず”
     学者も一日にしてならず、である。
     彼女と私の分岐点はすでに学生時代にあっ
     たのだ。
     久しぶりに味わったドキドキ感が、思わぬ
     方向に飛んでしまった。
     (友人のことは昨年12月にシリーズで
      載っています)
  
     
     


        
     
         
     
 

女が新聞を替えるとき

2010-05-05 17:38:29 | 雑記

     こんなタイトルにして、『女が職場を去る日』
     という本があったなあ、と思った。
     60数年馴染んできた朝日新聞を、この5月から
     読売に替えた。
     さほどの理由があるわけではない。
     ただスポーツ記事が多すぎることや、週末に
     特別篇のように1週間分のTV欄が組まれて
     いることにここ2~3年へきえきしていたので
     ある。

     さて次の新聞を何にするか、毎日と日経は娘
     のところで読めるし、となると読売しかない。
     他の新聞も試しに1週間ずつ取ってみたのだ
     が、いまいちしっくりしなかった。
     そこにアルバイトの学生が読売の勧誘にきた
     ので、じゃあということになったのだ。

     10年前だったらこうはならなかっただろう。
     生まれたときから慣れている新聞を替えるな
     んて!と、まるで貞操を捨てるくらいに思って
     いたのだから。
     この10年に何があったか、歳をとったとしか
     いいようがないのだが、こんなに簡単に替えて
     しまった自分にあきれてもいる。
     
     その読売も上の不満は朝日と全く変わりなし。
     それでも悔しいから新聞に載っていた俳句を
     ひとつ。

       子雀(こすずめ)は まこと子の顔
                     大きな目
                 (作者・飴山實)

     電線に雀が止まっている。巣立ったばかり
     の子雀に、親雀が飛び方を教えているような
     光景はよく見られる。ちょっと見ただけでは
     どれが親でどれが子か分からないが、子雀は
     大きな丸い目をしている。人間も同じ。
     (という解説がついていた)

     そういえば新入学、新社会人もようやく1ヵ月
     が過ぎ、自分で歩きはじめる季節でもある。
     5月病なんてないことを祈る。

     冒頭の『女が職場を去る日』
      (新潮社 沖藤典子著)
     は、親の介護のためにそれまでキャリアを積ん
     できた仕事を辞める話だった。
     こちらは新聞を替えるようにはいかない。