一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ラジオ体操は高齢者には危険?

2017-06-25 07:58:58 | 健康


       朝、散歩していると森のなかの広場でラジオ体操
       をしているのを見かける。
       高齢者が10人ほど。

       私はやらない。
       素通りするだけ。
       でも、音楽に合わせて首をまわしたり(歩きながら)
       腕を振ったりする。

       何しろ小・中学校の頃は、事あるごとにやっていた
       (やらされていた)ので自然と体が動いてしまう。
       ラジオ体操は60年以上も親しまれてきた「国民的
       体操」だ。
       

       ところが近年、
       このラジオ体操で膝や腰を痛める高齢者が増えている
       らしい。
       

       えっ、ラジオ体操で?
       と驚いたが、医師が警告するほど深刻な状況だという。
       中には、
       「(ラジオ体操は)意味がないどころか害悪!」
       とまで云いきる専門家がいるというから更に驚く。


       現在、変形性膝関節症で悩んでいる人に関して云えば、
        60代女性ーー40%
        70代女性ーー70%
       このデータもびっくりだが、
       単なる加齢ではなく、
       (現在の高齢者は元気だから)
       中には張り切って運動のし過ぎという人もいるのでは
       ないかしら。

       
       ラジオ体操(第1・第2の放送)がはじまったのは
       1951(昭和26)年のこと。
       この年の平均寿命は 
         男性ーー60、8歳
         女性ーー64、9歳
       と短かった。

       そもそもラジオ体操の中身は、
       「60歳以上の人が毎日行う前提で作られていない」
       に至っては笑ってしまう。

       そういえばTVでみるラジオ体操は
       実に健康的なモデルさんが溌剌とやっていて、
       自分も出来るように思ってしまうわねえ。
       (これは決して悪いことではないと思うけど)

       高齢者は、
       TVのモデルや若い人に合わせて張り切ってやっては
       いけないということだろうか。

       そのうち、高齢者向けの第3、第4の「簡単ラジオ体操」
       が出来るかもしれない。
       (いや、もう出来ている?!)


       ※ 私の部屋から見えるネムノキの花
         余りに大きくなってしまったので、植木屋さんが
         入ったとき思いきって伐ってしまおうかと思った
         が、この梅雨の時期、淡いピンクの花に癒される。
         
       
       
     

       
       
       

気象病

2017-06-24 07:11:48 | 健康


        歌舞伎俳優の妻でフリーアナウンサーの小林麻央
        さんが亡くなって、新聞、TVのニュースなどで
        も報じられている。
        34歳という若さ。

        麻央さんは昨年6月に乳ガンだと公表し、自身の
        ブログで、
        「(ガンの)陰に隠れている自分とお別れしよう
         と決めました」
        と述べ、転移も隠さず書いていて、たくさんの人
        の共感を呼んだ。

        明日の生命は誰も分からない。
        ご冥福を心からお祈り申しあげます。


        さて、梅雨のまっさかり。

        適度に(梅雨の)中休みがあって助かるけれど、
        一昨日の嵐のような天候には参った。

        ちょうど鎌倉の街に行く用事があり、車を運転
        して出かけたのは風雨がピークのとき。

        街に近づくと、
        修学旅行のシーズンなのか、
        地図などを片手に歩く中学生くらいのグループが
        たくさんいた。

        傘は強風でおちょこになる生徒もあちこちに。
        頭にハンカチなど乗せるも気やすめで、制服姿も
        びしょ濡れ。

        それでも若さゆえであろう、
        かえってそんな悪天候に見舞われたのが楽しいのか、
        嬉々として風雨の中を突進してゆく。

        こんな修学旅行もいい想い出になるであろう。
        
        シルバー世代の私はそうはいかない。
        
        新聞によると、
        気圧の変化で体調不良を感じる「気象病」が、
        雨の日が多い梅雨時は天気の変わり目に増えるのだ
        そうだ。

        正式な病名ではないが、ひどい場合は朝、布団から
        起きられないこともある。
        東京のある病院では、「気象病外来」を設けている
        のだとか。

        気象病は自律神経の不調と密接に関係する。
        緊張したときに優位になる交感神経と
        リラックスしたときに優位になる副交感神経。

        このバランスが崩れると体のだるさとか、
        頭痛、めまい、肩こり、うつ病といった症状が
        出てくるのだろう。

        では、どうすればいいのか。

        気象病と関係がふかい自律神経を整えるには、
        睡眠とバランスのとれた食事、適度な運動。
        
        な~んだ、結局はそれに尽きるのだ、
        という思いもする。

 
        ※ お隣からお庭のアジサイのおすそ分け。
          飾り方、写真の撮り方が下手で、 
          せっかくのアジサイが台無し。
          実際は白、青、薄紫、薄ピンクのアジサイ
          が生き生きとして息を飲むほど美しい。
          
    
                
       



        
        

いつの間にか

2017-06-17 08:23:28 | 雑記


     昨日はビニール傘の話をしたが、   
     今日はリュックサックのこと。

     もともとリュック嫌い。
     後ろに背負って必要なものを取り出しにくいし、
     いろいろなグッズを詰め込んでしまうと、
     どこに何があるのか分からない。
     (ショルダーバッグだと一瞬にして識別できる)

     そんな理由でリュックを使用しなかった。
   
     なのに……、
     気がついたら7個も持っていた!

     あんなに嫌いだったのに、一度使ってみたら、
     重い荷物を持つときに重宝だと気づいてからだ。
     

     現実は、
     もちろん1個からはじまったのだが
     より使いやすいもの、使いやすいもの……と
     求めているうちに、いつしか増えていった感じ
     である。     

     7個あっても、それぞれ用途が違う。

     ヨーグルトやパン、キャベツなどの野菜といった
     食材を買うときに使う、いわゆる買い出し用。
     (いちばん大きくて、主に土日に使用)

     読書会用
     (本や資料を運ぶ)

     図書館用
     (本数冊は必至。素材もしっかりしている)

     小さい買物用
     (比較的コンパクトだが、食パンくらい入るもの)

     整体、病院用
     (紙とボールペン常に入っている。
      週刊新潮を読んでメモするため)
     
     散歩用
     (雨が降りそうなとき傘を入れる)

     ちょっとしたお出かけ用
     (最もおしゃれで、そこそこ大きくなくてはならない)

     計7個。
     
     要するに用途によって入れるものも違ってくるので、
     (診察券だったり、図書館カードだったり、
      お財布の大きさもそれぞれ異なる)
     毎回出し入れするのが面倒なのだ。

     
     これじゃ、しばらく断捨離は無理だわねえ。
         
     
     ※ 部屋のあちこちに散乱している7つのリュックを
       集合させた写真
       

梅雨と傘

2017-06-16 15:00:34 | 季節



      新聞に載っていた松村由利子さん(歌人)の
      「うたのスケッチ帳」を読んで、
      ハッとすることがあった。

      本格的な梅雨に入った。
      
      季節の贈りものだから仕方がないが2~3日
      雨が続くと気が滅入りそうになる。
      洗濯物は乾かないし、つい外出もおっくうに。
      だいたい日課としている散歩もままならない。

      なんと罰あたりなやつ!

      農耕民族の我々日本人は梅雨があるからこそ、
      水田を耕し、稲作によっておいしいお米が食べ
      られるというのに、である。

      
      「もうあまり会わなくなったきみの傘も  
          濡(ぬ)らしてますか今日の夕立」
                       小島なお

      これは恋人というより、淡い恋だったのだろう。
      「好きです」と告げることもなく疎遠になった
      相手。
      それでも「きみの傘」に入れてもらったことが
      何度かあったのかもしれない淡い恋。
      「きみ」ではなく、遠回しに「きみの傘」と表現
      するところが切ない。
      
      
      「ビニールの傘を通して空を見ぬ
            われはまひるをさまよえる魚」
                        水上芙季

      雨の日は足元があぶないので、
      私はつい下ばかり見てもくもくと歩いてしまう。
      なのに、この作者は、
      透明な傘を通して空を見上げているのだろうか。
    
      ビニールの傘を雨滴がパタパタと叩く。
      作者は自分を水の中の魚にたとえているのだ。

      なるほど、魚にとっては雨はこんな風に見える
      のかもしれないと。

      味気ないビニール傘だが、こんな効用もあるのだ。

      そうだ、明日からもっと雨を楽しむことにしよう。

      ※ コンビニの傘売り場
        わが家も家人が買ってきたビニール傘が計8本。
        (先日、4本ほど処分した)
        かくいう私も外出先で降られて買ったことが
        2回ある。

       (歌は「うたのスケッチ帳」からお借りしました)
      
       

「コーヒーにレモン」から断捨離へ

2017-06-11 07:38:52 | 雑記


      腰痛予防のため整体に行くと(腰を電気で温めて
      いる間に)受付けの女性が
      「新しい雑誌をもってきますね」
      と必ず声を掛けてくれる。
      
      今のところ整体には月1回しか行っていないので
      週刊誌はどれも(私にとっては)新しいのだが、
      心遣いはありがたい。
      
      私のお目当ては週刊新潮に載っている、五木寛之氏
      のエッセイなのだ。

      『青春の門』で流行作家の仲間入りした氏も
      今年で御年85歳。
      最近は老いを嘆くエッセイが多いのだが、
      またもや吹きだしてしまった。

      氏によると、
      昔好きだった食べ物や飲み物が年齢とともにおいしく
      感じられなくなった。

      ある日の対談中、編集者の残した(紅茶の)レモンを
      コーヒーに入れたら、意外においしいことを発見。
      ちょっと酸味があって、イケるそうだ。

      ならばと思って、カプチーノに高麗人参(顆粒でも
      粉末でもOK)を入れると、これもシナモンと
      ちがった味でイケる。

      さらにエスカレートして、
      ザーサイのお茶漬け。
      これもOKだったそうだ。

      氏はかく思う。
      食は文化。
      「あなたが今日食べたものが明日のあなたの体をつくる」
      と云われるが
      ザーサイのお茶漬けから果たして、どんな体がつく
      られるのか、と。

  
      閑話休題。
      私がものを書きはじめた頃、ある作家と共著で
      「私は私が食べたものです」
      という原稿を書いたことがある。

      「あなたが今日食べたものは明日のあなたの体をつくる」
      が持論で、それが前述のような原稿になったのだ。

      それは幸か不幸か出版されることはなかったが、
      その考えは今でも変わらない。

      しかし、昔の原稿などいまさら引っ張り出すつもりも
      なく……。
      私が週刊誌のエッセイを読んで思いついたのは、
      「押入れの段ボールに入っている原稿を始末しなくちゃ」
      ということだった。

      梅雨の晴れ間に、プチ断捨離をしよう。
   

      ※ 明月院の近くのカフェで
      

最適の時間は?

2017-06-10 07:58:33 | Weblog


      日頃、意識していないけど、
      今日6月10日は「時の記念日」。

      シチズン時計が面白い調査をした。
      
      「仕事に最も集中できる時刻」
      「アイデアがひらめく時刻」
      を聞いたところ、
      午前10時と答えた人が最も多かったそうだ。

      これがなんと20年前の1997年も同じ答え
      だったそうで、「ビジネスに最適な時間」と
      いうことになるか。

      私のようなシルバー世代にビジネスは関係ない
      が、それでも午前9~10時は頭がクリアで
      身体的にも元気な気がする。
      (午後になると、多少だらけてくる)

      ついでにいうと、
      「オフィスの明かりが消える」
      は午後8時が最多。
      午後9時、午後10時の順となる。

      長時間労働の是正など働き方改革が叫ばれるが、
      午後6時や7時の印象はまだまだのようだ。

      最近話題の「プレミアムフライデー」の退社
      時刻は午後6時だから、ここには現実との
      ギャップが見られる。

      仮想世界に関する問いでは、
      「織り姫とひこ星が天の川で出会う」
      のは午前0時。

      「月でウサギが餅をつく」
      も午前0時がトップで、夜型生活のあらわれか。

      気を付けたいのは
      「ゲリラ豪雨が発生する」
      のは午後3時。
   
      「振り込め詐欺の電話がかかってくる」
      は午後2時だそうで(笑)
      用心、用心!!


      ※ 雨の日、アジサイ寺で有名な明月院

      
      

人生はジグソーパズル?

2017-06-04 07:09:08 | Weblog


     新聞にあった心療内科医の海原純子氏のエッセイを
     読んで、なるほどなあと思った。

     私自身、ジグソーパズルはやったことがない。
     子供のころは幸か不幸か、ジグソーパズルはなかった
     からだが、どんなものかは想像できる。
     
     たまにTVなどでタレントがそれにはまっているのを
     みて、よくあんなしんどいことができるなあと、
     あきれるのと同時に感心したりする。
     
     今の私にはとても忍耐力がない。
     でも、子供のときだったら夢中になったかもしれない、
     と思う。

     英語のジグソーとは「糸のこぎり」の意味だとか。

     たくさんの小片を絵の原型の中にはめこんでいく。
     だけど、少なからず隙間ができて、どうしても埋める
     ことができない。
     それが、ふとしたときに、ずっと前に経験したことが
     ヒントになって、小片がその隙間にぴったりはまる、
     のだそうだ。

     海原氏によると、
     そのヒントは「人生の無駄」だと思ったことから
     出るのだという。
     そしてジグソーパズルがぴったりはまった時、
     「あ、あれにはこんな意味があったのか」
     と体で納得するのだとか。

     かく言う私は、
     日々、無駄ばかりしている。
  
     「なぜ、こんなことをしているのだろう」
     と思うなんて日常茶飯事。

     そんなときには、無駄な時間ばかり過ごすことに
     むなしくなって、自己嫌悪におちいる。
     
     よく「人生には無駄がない」とか
     「無駄は大事」とかいう。

     私も心のどこかで
     「できれば無駄はしたくない」
     と思いながら、一方で遠い昔の経験がかてになって
     「あ、あれは無駄ではなかったのだ」
     と実感することも一つや二つはある。

     そうなると、海原氏の言うように、
     「なぜお金にもならず人から褒めてもらえないことを
      しているのだろう」
     と思ったら、
     「それは人生という絵を完成させるため」
     と思えばいいのかもしれない。

      
     ※ わが家の柏葉アジサイ
       昨年は家人が花芽を植木ばさみで伐採してしまって
       一輪も咲かず。
       今年はきれいに咲いてくれました。
     
     
  

     

迷路

2017-06-03 07:18:24 | 雑記


      6月になった。
      関東地方の梅雨入りもまぢか。

      そう思ったら矢も盾もたまらなくなって
      先週末、朝から晴天で暑かったが
      日頃、歩けないところへ足を延ばして
      散策することにした。

      いつも散歩していて、
      この坂を昇ったらどこに行きつくのか、
      ここを曲がったらこの先はどうなっているのだろう、
      といった疑問が山積していたのである。

      (いつもは時間の都合で歩けなかった)

      カマクラは山坂が多い。
      つまりUP,DOWNがはげしくて、息が切れる。
  
      あるところでは坂を昇ったら、こんどは車も通れ
      ないような急な下り坂で、そんなところにも家が
      建っているのに驚いた。

      道の端に人間が一人歩けるくらいの階段がついて
      いるのだが、大雨や雪のときどうするのだろう、
      と心配するほど。

      坂を下ったどんづまりに家が一軒、その上にも
      家があって、周囲は森なのである。
      
      これじゃ、セールスマンも来ないだろう。
      物音といったら小鳥と木々のざわめきくらい。
      
      生活感がないところからすると、別荘か?

      ……にしても、買物に出るのにも不便だろう。

      少し上に行けば、子どももいるらしい人家が並んで
      いて、なぜかほっとした。


      別な道を曲がると、由比ヶ浜と江の島がのぞめる
      高台に出て、ああ、こう道はつながっているのか、
      と妙に感心した。
   
      つながってない道はない、と納得。

      もう一つ。
      ここは〇〇法人といった会社兼保養所みたいな
      高級住宅地なのだが、
      そこで珍しい苗字を見つけた。

      「十時」と書いて「ととき」さん。

      その真向いは「村雨」と書いて「むらさめ」さん。

      目下、「ととき」さんと「むらさめ」さんが私の頭
      の中を席巻している。


      ※ 上を見上げれば、やや濃い緑にかわりつつある
        樹木の梢(こずえ)