一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

上野千鶴子さん(続)

2016-03-26 20:34:39 | 読書

      上野千鶴子さんが主宰するWANについてお話
      します。

      WANとはウィメンズアクションネットワーク
      のこと。

     つまり、
      「女が発信する」
      「女をつなぐ」
      「女が行動する」
      をコンセプトに、情報を発信・交換する場です。

      登録すれば、誰でも自由に発信できます。   
      講演会や集会、勉強会の情報ももりだくさん。
      「映画を語る」や、写真、絵画、音楽
      などを紹介する「アートギャラリー」といった
      コーナーもあります。

      いわば、女性というよりは一人の人間として
      幅広く情報を交換する場といった方がいいかも
      しれません。

      このたび「Book」コーナーに、
      拙著の『評伝 森崎和江』が掲載されました。
      上野千鶴子さんにWANにぴったりと強く勧め
      られたのです。

        
      「ウィメンズアクションネットワーク」→
      「カルチャー」→ 「本」
     
      と進めば見ることができます。
      よろしくお願いします。      
      (すみません。夕べ、リンクをつけようとやって
       みましたがどうしてもできませんでした)


      またご希望の方はユーザー登録もどうぞ。
      無料でできます。
      
      

上野千鶴子さん

2016-03-26 06:21:53 | 読書



     ちょっと間があいてしまったが
     拙著『評伝 森崎和江』に対して、あの
     上野千鶴子さんからお手紙と著書をいただ
     いた。
     
     上野千鶴子さんといえば『おひとりさまの老後』
     といったベストセラーを出され、現在、東京大学
     名誉教授である。
     遥洋子さんという人が『東大で上野千鶴子から
     ケンカを学ぶ』(ちくま文庫)を出されたときは
     余りのインパクトに、私はぶっ飛んだ。

     そんな上野さんからの手紙である。
     私信なので公開するわけにはいかないが、
     ストレートな表現や、終始好意に満ちた文面に、
     いつしか私の構えていたものも取れていた。

     ざっと紹介すると、
     「一読してやられた!」 
     「森崎和江さんを書くのは自分だと思っていたのに」
     「谷川雁さんとの交流がおありとのこと、羨ましく、
      生前の雁さんに会うことができなかったのは悔や
      まれる」
 
     といった衝撃的なもので、「森崎和江」を取り上げ
     た御著『<おんな>の思想』が添えられてあった。

     その本には私も評伝の前章で取り上げた
     『からゆきさん』について、このように書かれている。

     「1976年、森崎は『からゆきさん』で大ブレークする。
      このときに彼女の文体はがらりと変わった。
      帯に推薦文を書いている作家・佐木隆三によれば
      <むつかしい文章を書く森崎さんの肉声が初めて
      聞けた>というほど。
      ……
      肉声が聞こえたのではない、彼女は初めて生理に  
      届く文体を手に入れたのだ。
      そのとき彼女は50歳になろうとしていた」

      
      上野さんによると、
      それまでコアな読者に支えられていた森崎が
      国民作家になった瞬間であった、
      ということになろうか。

      上野さんというと、どうしてもフェミニズムとか
      ジェンダーとかいったことを想像する人も多い
      と思うが、
      そういった言葉が苦手な人にも読める本である。

      
      ※ 上野千鶴子
        <おんな>の思想
           集英社   2013 ¥1500




       

ぼたもちとおはぎ

2016-03-21 07:55:29 | 季節



     今日は春分の日の振り替え休日。
     昨日、桜が二輪咲いたと聞いたが、今朝のニュース
     では今日にも開花宣言があるのではないか、
     といっていた。

     さてお彼岸というと墓参りの時期でもある。
     私は3月のはじめにお参りしてきたが、
     国民の祝日に関する法律によると、なぜか

     春分の日:自然をたたえ生物をいつくしむ
     秋分の日:祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ

     となっている。
     どうしてこんなに異なるのか、分からない。

     もう一つ、日頃から不思議でならないもの。
     「ぼたもち」と「おはぎ」の区別に関して、お店の
     人に 聞いてもいま一つ納得いかなかった。
     そのため、地方によって呼び名が違うのかな、
     と勝手に思っていたのだが、そうでもないらしい。

     現在は下記の説になびいている。

     基本的に同じもので、季節によって呼称が異なる。

     つまり、「ぼたもち」は牡丹の季節である春の彼岸に
     食べるもので、あずき粒を牡丹に見立てたもの。
     一方の「おはぎ」は萩の季節である彼岸に食べ、
     あずき粒を萩の花に見立てたもの。

     どちらもおいしいことに変わりないが。


     ※ 散歩の途中、出会った犬好き。
       歩きながら撮ったので手ブレしてしまったが、
       後で見たら、犬が4匹なのに人間は5人いること
       に気づいた。
     

歩くのが速い人は頭がいい?

2016-03-19 08:08:43 | 雑記


     頭の回転のはやい人は論理的で無駄がない。
     決断力があって情緒にはしらない。
     
     等々いわれるが、ある程度当たっていると思う。
    
     なぜならわが身を思うからで、
     私は優柔不断で、よくいえば慎重でもあるが、
     いつまでも決められない。
     ちっちゃなことでもずっと引きずって、ぐずぐず
     している。
     要するに合理的でないのだ。

     これにくわえ、自説だが、
     頭のいい人は歩くスピードが速い。

     先日、ショッキングなことがあった。

     私はこう見えて、歩くのが大好きで、普段
     車を使う分、歩ける時は極力歩くようにしている。

     夕方、たそがれ時で人の顔もさやかではない
     時刻であった。
     買物帰りでちょっと重たい荷物をリュックで
     背負い、足はスニーカー、両手はあいていた。
     つまり歩く態勢充分である。

     人ひとりがやっと通れそうな細い道、
     背後からスタスタ近づいてくる足音。
     そのリズムからして、てっきり男性だと思った。
     しばらく歩いていたが、どんどん距離は近くなる。
     私は先を譲ろうと思い、道をあけて「どうぞ」
     という体勢をとった。

     そしたらどうだろう。
     「お先に失礼します」
     とひょいと前に出たのは女性であった。
   
     しかも、どう見ても自分より数歳か十位年上
     の人である。
     ショックだった。

     しかもその女性はカジュアルな靴をはいて、
     手には重そうなスーパーの袋を下げている。

     何が違うのだろう。
     ピッチを合わせてみたが、さほど違わない。
     歩幅が大きいのだろう。
     さらにいえば、筋肉だ。
     筋肉がついているか否かによって、歩幅や
     歩くピッチが違ってくるに相違ない。

     しばらく尾(つ)いていこうと思って頑張った
     が、アホらしくてやめた。疲れた。
     スタスタ歩くスピードに尾いていけないので
     ある。

     結果として、前の女性はたちまち姿が見えなく
     なってしまった。

     そして私は、
     またも妄想、迷想?にふけりながら、亀のごとく
     ノタノタ歩くのであった。

     ああ、私の人生はたとえ長生きしたとしても、
     無駄の多いものになるに違いない。
     と今日も嘆息するのである。


     ※ 愛用のスニーカー
       天気が良かったので洗って干した。

     
   
     
     

○○自慢

2016-03-13 07:37:31 | 雑記


     かつては「某国立大出身」だとか会社の部長になった
     とか、夫の学歴や会社での地位を自慢していた奥様
     方が、やがて息子や娘自慢になる。

     それがどうだ、我々シルバー世代になると、孫自慢だ。
     いつも夫や子供、はたまた孫に依存して、自分はどう
     なのかを考えない。
     まあ、家族自慢ができるほど幸せ、と云えるかもしれ
     ないけど、ちょっと恥ずかしい。

     やがて孫も自分の思う通りにならないと悟ると、
     健康自慢がはじまる。
     週に何回ジムに通って体を鍛えているとか、ジョギング
     をしているとか、カラオケでストレスを発散させている
     とか……。

     案外、こういうタイプが早死にすることもあるから
     要注意。

     あ、この逆パターンもあるわね。
     小中学や高校の同窓会などに出席すると、えんえんと
     病気自慢が続いたりして閉口することがある。
     大病を何回したとか、救急車に乗ったことを競うかの
     ように話すのなんて、どうなんだろう。
     
     度をこすと、聞き捨てならなくなる。
     
     
     かといって、
     あまり謙虚すぎるのもスキがないようで油断できない。
     
     私は車に興味がないからあり得ないが、
     ある男性がクルマの薀蓄(うんちく)を調子にのって、
     話しはじめたら、
     相手は「ほう、そうですか。すごいですね」
     などと同調してくれる。
     後で聞いたら、その相手はFⅠレーサーだった、
     なんて赤恥をかいた話も。
     
     このようにその際(きわ)が難しい。
     近況はどうか、と聞かれて、ありのままを話すと
     それが自慢に聞こえたりするから。

     私の場合、容貌とか背が低いとか、その他もろもろ
     コンプレックスがあって、
     そのコードに引っかかると自慢に聞こえて異常に反応
     するところがあるから、
     これは人によって異なるのかもしれない。

     以上、このところ気になるところなり。


     ※ 「ナルシスト」の異名(花言葉)をもつ水仙。
       ギリシャ神話に登場する美少年、ナルキッソス
       に由来するらしい。
     
    

昨日、5年

2016-03-12 14:21:41 | Weblog


       悲しくて寂しくて、やりきれなくてスルーして
       しまったけど、これではいけないと思い、
       書くことにしました。

       昨日、東日本大震災から5年を迎えた。
       朝、今日の一日、一刻も無駄にしてはいけない
       と思い、なるべく忙しそうにしていた。
  
       実をいうと、考えるだけであれこれ思い出して
       しまうので。
  
       朝刊、夕刊をていねいに読んで、現実をかみし
       めた。

       いまだ行方不明の方は2561人。
       その中に同級生の姉夫婦もいる。

       午後14時46分。
       黙祷。

       一日中小雨で寒い日でした。


       ※ 故郷の海辺(震災から半年後撮影)
         家もお墓も森もすべて、津波が
         さらっていった。
         わずかに残る樹木がわびしい。
         この向こう側は太平洋。

保育園落ちたの私だ

2016-03-12 08:09:00 | 雑記


      このブログは世の中にはあまり役には立たない、
      つまり有象無象(うぞうむぞう)を基本として
      いるので、このテーマは書くべきかどうか
      迷った。

      しかし新聞でこの匿名のブログを原文のまま
      読んでからというもの、頭から離れないのである。
      それで、あえて取り上げることにした。

      「昨日見事に保育園落ちたわ」
      「どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」
      「会社やめなくちゃならねーだろ」
      「保育園も増やせないし……少子化なんとか
       したいんだよねーってそんなムシのいい話
       あるかよボケ」
      「不倫したり賄賂受け取ったり……
       国会議員半分位クビにすりゃ財源つくれる
       だろ」
      「まじいい加減にしろ日本」

      この一見、乱暴ともとれる文面に、私は実態を
      見た。
      これは的を射ている。
      
      「一億総活躍社会」とか「少子化問題」とか
      いって大臣までつくりながら、一向に進行しな
      い現実に、とっくに子育てを卒業した私だけど
      じれったくてたまらなかった。

      女性の活躍を期待するといいながら、
      行政の動きの遅さ、鈍さよ。

      私はなにもすべての女性が外に出て働かなくて
      はならない、とはいっていない。
      主婦だって、家族の健康を守り家庭を安泰に
      保つには、十分過ぎるほど仕事がある。

      でも、外に出て働きたい女性はどんどん活躍の場
      を広げてほしい。
      娘たちの世代がそうなら、シルバー世代として
      応援し、できるだけのサポートを惜しまない
      つもりだ。

      だが、個人の力ではどうにもならないことがある。
      そのための国のシステム改善や法整備であり、
      現実に対応すべき行政ではないのか。

      待機児童の問題なんてマンネリ化して、国会議員
      は本当に国民の税金をつかって何をしているのか、
      と問いたい。

      一刻もはやく若いお母さんたちが溌剌と子育て、
      仕事にまい進する姿を見たい。
      私はそう願っているのだ。


      ※ 国会前のデモ風景は新聞写真より
      

ふふふ、の一日

2016-03-05 17:18:25 | 雑記


   
      お雛さまを早く片付けないと婚期が遅れるという。
      だが、もう嫁(ゆ)く当てもない私はもうしばら
      く飾っておくことにした。

      旧暦のひな祭りは4月9日だそうだが、まさか4月
      までは置くつもりはない。
      3月いっぱいくらいは「雛の月」として許される
      のではないか。

      そんな私の「ふふふ、の一日」。

      先日も例の整体にいって「週刊新潮」を手にとって
      ぱらぱらとめくった。
      五木寛之のエッセイ「健康常識に逆らって」を読ん
      で笑いが止まらなくなった。

      一般に不道徳とかちょっとした非行は赤の他人から
      すると痛快でたまらないものだが、
      氏の常識もけた外れに可笑しいものである。
      
      それを氏の文章に添って紹介しよう。

      氏は一日に一食しか食べない。
      午後目をさまし、夕方まで雑事をこなす。
      FAXやら郵便物やら片付けないと、たちまち周囲は
      紙の山となる。
      夕方からは人にも会う。

      夕食はきちんと摂るが、いつしか夜食になっている。
      それからが本業で、深夜に書きはじめて気がついた
      ら朝になっていて、風呂に入って寝るのくりかえし。

      ある日の病院での会話。
      「昨日食べたものをあげてください」「う~む」
      「朝食から順に」「食べていない」
      「昼食は?」「寝ていたから食べない」
      「夕食は?」「夜食だけど覚えていない」

      どうやら認知症の検査だったらしいが、正直に答えた
      だけである。

      一日一食で不自由ではないし、痩せた感じもしない。
      頭は使うが、首から下は右手しか使わない。
      歩数も一万歩どころか、千歩も歩いていないだろう。

      決して健康とはいえないが、不健康ともいえない。
      齢80を過ぎたらどこかしらおかしくなるのは当然で、
      いくつかの不具合はある。
      下肢の慢性的な痛み、前立腺の肥大、そのほか自覚
      症状だけでも5つ6つはある。
      徹底して調べたら20くらいは病気が見つかるだろう。

      これでも出来るだけ病院のお世話にならぬよう、
      努力しているつもりだ。
      その努力は苦しみを耐え忍んでやっているわけでは
      ない。
      食べたいものを必死でこらえているわけでもない。
      
      結果的に一日一食になったが、
      もし食わずに生きられたらカスミを食って生きたいと
      思うほどだ。

      さらに氏の文章はこう続く。
  
      周囲をみると、健康情報に振りまわされて生きている
      人がいかに多いか。
      もはや趣味がこうじて、命より大事な健康、といった風
      情になっていて滑稽である。

      かくいう氏は、そのうち一日無食の仙人になるので
      は? と思うそうだ。

      私はもう、「むふふふ」が止まらない。
      思い出しては笑っているのである。
    

      


      

      
      


 
 

      

鶯よ!

2016-03-05 08:40:48 | 自然

      昔、『鳩よ』という雑誌があったが、今でもあるか
      どうか。
      あえて「鶯よ!」というタイトルにしてみた。

      このところの暖かさでそちこちで鶯が鳴きはじめた。
      この間までチッチッと藪鳴きしていたのに、
      この変わりようは何?! と思ってしまう。

      ほとんどが
      ホー、ケッキョ
      とまだブッキラボウというか、たどたどしいのに
      (私が初鳴きを聞いた)一番手は

      ♪ ホ、ホ、ホ~ホケキョウ

      と鐘三つ鳴らしたくなるような見事さ。

      鳴きはじめてたった2~3日しか経っていない、
      というのに。
      抑揚といい、声色(?)といい申し分のない
      見事さなのである。
      演歌ならコブシがまわっているような。

      すでに円熟の域に到達している鶯の鳴声を聞いて
      人生を思った。
      
      ほとんどがあえぎあえぎ暮らしている中で、
      若くて世に出て成功をおさめる人もいる。
      彼(彼女)らの人生がそれで終わってしまわ
      ないかと心配だ。
      なぜならトップに立てば必ず降りなければ
      ならないからだ。

      山登りにたとえれば登るより下る方が難しい
      とも云われる。
      一方、ほとんどの人は日々、上ることのみを
      考えて生きている。

      「生きるとは何か」
      この齢にして、ふと考えた。

      結論はでない。(この齢にしても)

      生を全うするために生きている、
      そんなことを考える。

      またまた聞こえた。
 
      ♪ ホ、ホ、ホ~ホケキョウ

      あの鶯は「生きるとは?」なんて考えない。
      まさに、いまをときめいて囀っているのだろう。

      ※ 近所の庭のしだれ梅