リオ・オリンピック&パラリンピックが終わった
ばかりだが、ふだん<愛国>といった認識など
全く感じない私でも、にわか愛国心に駆られて
日本びいきになる。
メダルの数など、どうでもいいと云いながら、
日本選手がメダルを獲得すると気焔が上がるし、
すごくうれしい。
これが外国に住んで、異国の人に囲まれていた
らどうであろう。
同時通訳者の米原万里さん(1950~2006)
は小学3年~中学2年生までチェコに住んでいて
ロシア語の学校に通っていた。
そこにはいろんな国から来た同級生がいて、当然
異国文化と接する。
例えば、ギリシャから家族とともに亡命してきた
リッツァという少女がいた。
(軍事独裁政権からの弾圧を逃れて両親が東欧各地
を転々としていたのである)
リッツァはブカレスト生まれのプラハ育ちのくせ
に、まだ一度も仰ぎみたこともないギリシャの
空をことを、
「それは抜けるように青いのよ」
と事あるごとに自慢して、はるか遠くを見据える
ような目つきをしていた。
それにつられるように、母国を離れて久しい米原
万里も、地理の教科書に
「日本はモンスーン気候帯に所在」
という記述を見つけて、自然と顔がほころぶのを
抑えきれなかったという。
海遠く雨量が少ないチェコに較べて、高温多湿の
日本が誇らしくてたまらなかった。
空中の水分が多いので、呼吸器系も肌も髪も、
しっとりと息づく感覚を思いおこして懐かしさに
身震いした、というのである。
こうしたナショナリズムは一体??
異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を
自己たらしめ、他者と隔てているすべてのものを
確認しようと躍起になる。
そして、
自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件その他
もろもろのものに突然親近感を抱いてしまう。
これは一種の自己保全本能、自己肯定本能のよう
なものではないか、と米原さんは書いている。
もちろん感受性のつよい少女であった米原さん
だからこそ、こういう考えに至ったのであろうが、
これは面白い思考過程だと思った。
『心臓に毛が生えている理由(わけ)』
米原万里著
角川学会出版