一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

にわか愛国心

2016-09-25 07:54:11 | 雑記



         リオ・オリンピック&パラリンピックが終わった
         ばかりだが、ふだん<愛国>といった認識など
         全く感じない私でも、にわか愛国心に駆られて
         日本びいきになる。

         メダルの数など、どうでもいいと云いながら、
         日本選手がメダルを獲得すると気焔が上がるし、
         すごくうれしい。

         これが外国に住んで、異国の人に囲まれていた
         らどうであろう。

         同時通訳者の米原万里さん(1950~2006)
         は小学3年~中学2年生までチェコに住んでいて
         ロシア語の学校に通っていた。
         そこにはいろんな国から来た同級生がいて、当然
         異国文化と接する。

         例えば、ギリシャから家族とともに亡命してきた
         リッツァという少女がいた。
         (軍事独裁政権からの弾圧を逃れて両親が東欧各地
          を転々としていたのである)

         リッツァはブカレスト生まれのプラハ育ちのくせ
         に、まだ一度も仰ぎみたこともないギリシャの
         空をことを、
         「それは抜けるように青いのよ」
         と事あるごとに自慢して、はるか遠くを見据える
         ような目つきをしていた。

         それにつられるように、母国を離れて久しい米原
         万里も、地理の教科書に
         「日本はモンスーン気候帯に所在」
         という記述を見つけて、自然と顔がほころぶのを
         抑えきれなかったという。
 
         海遠く雨量が少ないチェコに較べて、高温多湿の
         日本が誇らしくてたまらなかった。
         空中の水分が多いので、呼吸器系も肌も髪も、
         しっとりと息づく感覚を思いおこして懐かしさに
         身震いした、というのである。

         こうしたナショナリズムは一体??

         異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を
         自己たらしめ、他者と隔てているすべてのものを
         確認しようと躍起になる。
         そして、
         自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件その他
         もろもろのものに突然親近感を抱いてしまう。
         
         これは一種の自己保全本能、自己肯定本能のよう   
         なものではないか、と米原さんは書いている。

         もちろん感受性のつよい少女であった米原さん
         だからこそ、こういう考えに至ったのであろうが、
         これは面白い思考過程だと思った。

  
         『心臓に毛が生えている理由(わけ)』
                      米原万里著
                        角川学会出版
         
         
         
         
         

落ち蝉

2016-09-24 08:35:15 | 自然



        何、この雨?
        9月初旬からずーっと雨がつづいている。
        台風が去って普通なら台風一過となるはずなのに
        また雨、雨、雨……。
        
        秋を越して一気に晩秋から初冬になりそうな天候。
        もはや日本は四季から二季になったというような
        声も聞かれるが、この天変地異、やはり何かが
        おかしいのだろうか。

        梅雨寒(ざ)むのような気候に上着を着れば暑く、
        脱げば寒いといった、さっぱりしないこの頃。

        そういえば、ついこの間までやかましいほど鳴いて
        いた蝉鳴が聞こえない。
        この長雨で命尽きてしまったのだろうか。

        今朝、森のなかを散歩していたら歩道に転がって
        いる蝉を何匹か見た。


        「落ち蝉も二三鳴き澄む秋の蝉」
                     稲畑汀子

        死んでいるのかと思ったらジージー力を振りしぼ   
        り転げ回って鳴く蝉。

        
        「落(ち)蝉の蟻にも曳かれずそのまんま」
                     高木伸宣

        かと思うと完全に力尽きて物体と化しているのも
        いて、哀れさを誘う。

        9月はお盆もあって<死者と向き合う月>だという
        話を聞いたことがあるが、何も人間に限ったこと
        ではない。
        昆虫や命をもっている、あらゆるものとの別れの
        季節でもあるのだろう。

        ああ、それにしても秋らしい、からっとした晴天
        が恋しい。
        大きな洗濯物を気持ちよく干したい。
        天高く馬肥ゆる秋!
        そのまんまの秋の季節を元気よく闊歩したい。
        食欲の秋を心から謳歌したい。
        
        
        

別れの手紙

2016-09-18 07:50:55 | 読書



          詩人の茨木のり子さんが亡くなったのは
          2006年2月17日である。享年79。
          ご主人が亡くなってから31年間ひとり暮らし
          だった。
     

          「別れの手紙」は鉛筆書きで記されていた。
          年月日は空欄にしたまま。三ヶ月前に用意されて
          いたもののようである。
          正式な遺言状として完成したのは一ヶ月前。
          この世との別れの時期を察知していたかのように
          茨木は万事、事を済ませていた。

          府中市の葬儀場で密葬が行われた。集まったのは
          甥の宮崎治夫妻、その子どもたち二人、地方から
          やってきたのり子の夫の親戚、茨木のお手伝いを
          していた女性の計、11名であった。

          ひと月後、遺言通り、「別れの手紙」が郵送された。
          (年月日は甥夫妻が記した)
          以下はその「別れの挨拶」である。


          「このたび 私 2006年2月17日
           くも膜下出血にてこの世におさらばすることになり
           ました。これは生前に書き置くものです。
           私の意思で、葬儀、お別れ会は何もいたしません。
           この家も当分の間、無人となりますゆえ、一切
           お送り下さいませんように。返礼の無礼を重ねる
           だけと存知ますので。

           「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い
           出して下さればそれで十分でございます。
           あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな
           おつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸に
           しまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊か
           にして下さいましたことか……。
  
           深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて
           頂きます。
           ありがとうございました」


          いかにも茨木のり子さんらしい、簡素で思いやりに
          満ちた言葉である。
          人はいかに生きて、いかに死んでゆけばいいのか。
          私は深く深く、考えさせられた。


          ※写真は茨木のり子さん愛用のコーヒーカップ
           『茨木のり子の家』
                   平凡社 
  


清冽のひと

2016-09-17 09:14:54 | 読書


        詩人・茨木のり子さんのさいごはこうだった。

        2006年2月某日、かねがね可愛かがってもらって
        いた甥の宮崎治が何度か茨木宅に電話したが応答
        がない。はじめて疑念がかすめた。
        翌日は日曜日。同じく応答なし。

        悪い予感。車で東伏見へ向かった。
        鍵がかかり、呼び鈴にこたえる人は現れない。
        合鍵を預かったいたが、内側からロックされている。
        ただ、電燈の明かりが漏れている。在宅中?
        倒れているのか……? 悪い予感が走った。

        119番に電話をすると、救急車とパトカー、
        レスキュー隊がやってきた。
        隊員がハシゴで二階へのぼり、窓をこじ開けて家に
        入り込み、玄関のインナーロックを外す。

        治は玄関から二階へ駆け上がった。
        寝室に伯母(茨木のり子)はいた。
        普段着のまま掛け布団をかけてベッドに横たわっていた。
        あたかも寝入っているようであったが、すでに息絶えて
        いることが見てとれた。

        これが茨木のり子さんのさいごの状況である。
        さらに文面をなぞると……

        頭部に外傷があった。階段や居間のゴミ箱に血のついた
        ティッシュや郵便物が散乱していた。

        事件性?

        現場は一時緊張したが、遺体を大学病院で解剖した結果、
        死因は脳動脈瘤の破裂によるものであった。
        
        郵便受けから17日の朝刊は抜かれていたが、夕刊以降は
        そのまま残されていた。
        推測できるのは以下のことだった。

        --17日午後の時間帯。
        郵便物を手に階段を上って居間に戻ろうとした際、脳内
        に異変がおきた。痛みをこらえて出血をぬぐい、ベッド
        に横になった。その程度の手当てができる異変であった
        が、その後、脳内に第二次の異変がおきて息絶えた、と。

        茨木は我慢強い人であった。
        最初の異変のとき119番すればできるはずであったが、
        迷惑かけると思ったのか、しなかった。

        甥の宮崎治が驚いたのは、遺書が残されていて、死後の
        処理を託されていたことだった。

        遺体はすぐに荼毘(だび)に付すこと……通夜や葬式や
        偲(しの)ぶ会などは無用……詩碑その他も一切お断り
        するように……死後、日数を経て近しい人々に「別れの
        手紙」を差し上げてほしい……。


        息絶えたとされる2月17日から発見されのは3日後。
        これを一般には孤独死というのかもしれない。
 
        しかし、私は茨木のり子さんの死は自立死(そんな言葉
        があるのかどうか)、または立派な尊厳死のような気が
        する。
        見習いたい、見事なさいごの〆である。


        ※ 『清冽 詩人茨木のり子の肖像』
                 後藤正治著   中央公論社

 

        
        

        

        
        

「倚りかからず」

2016-09-11 07:59:39 | 読書



       昨日、「高齢化社会…」云々の話を書いたが、
       少し明るい話題をひとつ。

       詩人の茨木のり子さん(大正15~平成18)が
       『倚りかからず』という詩集を出したのは73歳
       のときである。

       茨木さんは20歳の学生時代から詩作をはじめ、
       それからコツコツと書きつづけ、生涯詩人を貫いた。

       彼女が一躍脚光を浴びたのは
       平成11年10月16日の朝日新聞「天声人語」でこの
       「倚りかからず」が取りあげられてからである。

       私もこのときはじめて茨木のり子さんという詩人を
       知ったのだった。

       あらためて彼女の詩集を手にとると、
       何気ないことばのなかに深い意味が籠められていて
       ハッとすることが多い。

       こうして考えると人は年齢関係なく、心構えひとつ
       でみずみずしさを保つことができるのではないかと
       考えさせられる。


       「倚りかからず」 
            茨木のり子

         もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
         もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
         もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
         もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない
         ながく生きて心底学んだのはそれぐらい
         じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて
         なに不都合なことやある
         倚りかかるとすれば
         それは椅子の背もたれだけ

 
        ※ 毅然として美しい茨木のり子さんの写真
        
       
       
       
       

高齢化社会 寂しい?

2016-09-10 08:13:19 | Weblog



       十日前くらいの新聞に
       「高齢化社会イメージ<暗い>6割」
       という記事が載っていた。

       やはり、と思いながら、あまり気分のいい
       ニュースではなかった。

       記事によると、
       高齢化社会のイメージを「暗い」「どちらか
       といえば暗い」という高齢者が6割を超え、
       20年前の1・5倍以上に増えたという。
       (博報堂生活総合研究所の調査による)

       その理由として、
       収入の低下や社会保障制度への不安が背景に
       あるとみられる。

       高齢社会のイメージを「暗い」「どちらかと
       いえば暗い」と答えた人は
       1996年=36・4%
       2006年=47・7%
       今年=60・9%
       と一貫して増加。

       一方で「明るい」「どちらかといえば明るい」は
       48・8%→37・1%と減り、
       今年は17・6%だった。

       これをどう見るか。
       20年前だって決して明るくなかったし、むしろ
       近年の方が情報も発達し、高齢者も生き生きと
       暮らしている人が増えてきているような気が
       するのだが。

       飛躍するようだが、
       高齢者に必要なのはなにか。
 
       もちろん一定の収入も大事だし、社会保障制度の
       安定も必要欠くべからずの問題だ。
       しかし、それだけが充たされれば高齢者が幸せか
       というと、そうではないと思う。

       家庭なり社会から必要とされているかどうか、
       それが大事なのではないか。
       さらに云えば仕事なり趣味を持って充足した日々
       を過ごし、精神的に自立していること。

       高齢者だからといって家族や社会に甘えっぱなし
       では、素敵な老人とは云えない。

       ……とまあ、日頃の思いを書かせて思わず書いて
       しまったが、私とて理想どおりに生きているとは、
       とてもとても云えない。

       あらゆることに既視感がつきまとって、何をやって
       も新鮮味が感じられない、つまらないと思うこと
       もしばしば。

       目下は夏の疲れが出たのか眠くてしようがない。
       ならばと、昨夜はいつもより一時間も早く寝て
       今朝なんか二度寝してしまい、もう朝日が昇った
       頃に起きた。

       これでリセットできた、さあ今日から頑張ろうと
       思ったが、エンジンがかからない。
       あ、これが高齢化の実態なのだ、と思い知ったと
       ころである。       
       
       
       

     

日常と非日常

2016-09-04 08:28:24 | 雑記


      宇宙飛行士の山崎直子さんが新聞にこんな
      ことを書いていて強く印象に残った。

      訓練をしていたのは11年間。
      訓練を積めば積むほど、宇宙は特殊な場所
      であった。

      重力に逆らって宇宙に出ることも、そこに
      住むことも多くの技術が必要であるし、
      宇宙に到達して体が浮いたときの感覚や、
      ぽっかりと真上に光る青い地球を眺めた
      ときの感覚は、これこそ非日常の極みで
      あった。

      いくら訓練しているとはいえ、宇宙に跳び
      出すなんて(素人の)私にはそら恐ろしい
      ことに思えるのだが、
      いつしか山崎さんには、それが当たり前に
      なって日常のことと思えるようになったと
      いう。

      指先で壁を押せばすっと進むことも、
      宙返りが普通にできることも、寝袋の中で
      ふわっと浮きながら寝ることも、である。

      彼女自身も、宇宙で生活していちばん意外
      だったことは、
      非日常と思っていた宇宙がだんだん日常に
      なったことであるらしい。

      そして地球にもどると、今度は重力の重さ
      に驚いた。

      頭に漬物石がのっているかのような重さ。
      紙一枚でもずっしりとくる重さ。
      
      一方で、外に降り立ったときのそよ風の
      心地よさ。草や木の香り、土の感触。
      何もかもが愛おしく感じられたという。

      地上から離れ、無重力でかつ人工的な環境
      の宇宙船で過ごした後では、
      目の前のありきたりの景色や香りこそが、
      愛おしくてたまらない、というのである。

      当たり前と思っていたことが当たり前でない。
      
      こういう感覚はなかなか得られないことで、
      宇宙という得がたい体験をした山崎さんだか
      らこそ、説得力がある。

      さて、日々漫然と過ごしている私だが、
      周囲のなんということもない小さな変化に
      目を留めて、気持ちだけでも爽やかに過ごし
      たいと、山崎さんの記事を読んでつくづく
      思った。
      
      すでに稲刈りが始まっている地方もあるよう
      だが、カマクラでは田植えが6月と遅かった
      こともあり、やっと稲に花が咲いたところ。
      やがて実りの秋がきて、
      一面、頭を垂れる稲穂となるのだろう。
      

日本の技術

2016-09-03 07:33:46 | 雑記


  
       年に何回かしか利用しない新幹線だけど、
       乗るたびに驚くのは清掃の人たち。

       列車がホームに入るのを待ちかまえて
       乗客が降りるや否や、てきぱきと仕事を
       こなす。
       それも決して急かすわけでもなく、すべて
       においてスマートなのだ。
       そして清掃を終えるとホームで乗客に
       そろって一礼する、その見事さ。

       ヤフーニュースで知ったのだが、今回、
       このJR東日本のグループ会社(テッセイ)
       がハーバード大経営大学院の必修科目と
       して採用されることになったのだという。

       聞くところによると。
       JR東の新幹線は折り返しの東京駅で
       12分停車するが、乗客の乗降時間を除くと
       清掃に充てられるのは7分間。
       
       この間にテーブルや床、トイレの清掃、
       忘れ物の確保、座席の方向転換などの
       作業を終える。
       テキパキと作業する姿を米CNNなどが
       取り上げ、海外で話題になっていた。

       なんでも最初からこのようなシステムに
       なっていたわけではなく、
       10年前までは従業員の士気もあがらない
       など、問題を抱える企業だったというから
       驚く。

       「きつい」「きたない」「危険」の3K
       職場で離職率も高く、上司は叱責で現場を
       押さえつけるという悪循環に陥っていた。

       それを立てなおしたのがJR東から経営
       企画部長として送り込まれた矢部輝夫さん
       (69歳)。
       矢部さんはまず、頽廃ムードの従業員の
       士気をあげることに全力。
       仕事場を「新幹線劇場」と呼び、雰囲気を
       一新することから始めた。

       夏はアロハシャツ、
       帽子に花飾り、
       といったアイデアも採用し、仲間の良い
       ところを報告してもらい、「どうせ」と
       いった投げやりな態度を一掃し、幹部登用
       にも道を開いた。

       こうしたことが徹底したサービス向上に
       つながったというから、考えさせられる。

       私はどこの職場、企業でも当てはまると
       思う。
       使う方も人間なら、使われる方も人間。
       要は、ソフト面を重視することがハード面
       の向上にもつながるのではないか。

       近年にない爽やかなニュースだった。

       ※ いつか乗った新幹線のホームで
         去りゆく列車に一礼する清掃従業員