一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

暖炉

2015-01-31 12:04:13 | 雑記


  チビのインフルエンザ騒ぎで
  (病院の診察を受けた時点では
  陽性ではなかったが、
  いま考えるとインフルエンザで
  はなかったか、と思われる)
  5日ほど買物にも行けなかった。

  今朝がた図書館にも寄って買物
  もすました帰途、石や建材置き場
  でめずらしい光景を見た。
  異国の男性が薪割りをしていた
  のだ。
  薪は「自由にお持ちください」
  と張り紙がしてある。
 

  聞くとノルウェーの方で三十代
  半ば。一瞬、教会ででも使うの
  かと思ったが、
  「家で使う。暖炉で」
  という。
  はるばる逗子から来たのだという。
  

  それにしても見事な斧さばき(?)
  には感心した。
  日本の都会ではほとんど見られなく
  なったが、祖国ではまだ暖炉に馴染
  んでおられるのだろう。


  そういえば森村誠一の『人間の天敵』
  のラストシーンには暖炉が出てくる。

  ホテルマン椎津の妻が、別のホテル
  の駐車場で死体となって発見された。
  妻は不倫をしていたのか。
  相手は誰か?

  
  人間の底知れぬ情念が引きおこす
  犯罪と、思わぬ人間関係……
  一つの偶然によって真相が暴かれる
  のだが、
  この場合、指一本でON,OFFの
  操作ができるエアコンより、 
  暖炉の方がよりミステリーにふさわ
  しいのだろう。

  昨日とはうってかわって晴れたが、
  風は冷たい。
  帰途を急ぎながら、そんなことを
  思った。

  

人は三度死ぬ?

2015-01-25 13:44:10 | 雑記

  私は特別な宗教も哲学も持たない
  から、人の肉体が死んだときが
  すなわち「死」だと思っていた。

  ところがある人の話だと、
  人間は三回死ぬのだという。

  一回目はつまり肉体の死。
  二回目は彼または彼女が生きて
  いたことを記憶し、思いを寄せ
  る人の死。
  三回目は、その全てが歴史と
  ともに忘れ去られるとき。

  人間の一生は短くとも、生きた
  時間、スピリッツ、関わった
  多くの人の記憶などはその後、 
  何十年、何百年も続くことが
  当たり前である。

  中でもそれが極めて多く、長く
  続く人が歴史に名を残すという
  ことなのでしょう。

  な~るほど。
  とすると、織田信長も豊臣秀吉
  もまだ死んでいない。人々の心
  に生きているということになる。

  身近な人でも、亡くなった両親
  や、親戚の叔父さんなど、
  私のなかでまだ生きている人は
  たくさんいる。
  
  物故者を思い出したり、懐かし
  く思ったりすることは決して
  恥ずかしいことではないのだ。

  そうかそうかと、私はにわかに
  納得したのでした。

  ※ 陽だまりのスイセン
  
 

宮尾登美子

2015-01-24 15:25:28 | 読書


  暮に作家の宮尾登美子さんが亡くな
  って(12月30日)
  あれよあれよという間に1月もあと
  一週間になってしまった。

  88歳。老衰。

  これを新聞でみて、あれ、いまでも
  「老衰」という死に方(?)がある
  のかと、驚いた。
  というか、なんのかんのというより
  「老衰」で死ぬのがいいなあ、と
  思っていたからである。

  余談はさておいて、
  いまさら言うまでもないが、
  宮尾登美子というと、その出自。

  高知の遊郭で芸妓紹介状をいとなむ
  父のもとに生まれ、
  その生業が原因で女学校も不合格
  になった。

  若い頃の私はこんなこともエッセイ
  で読んで衝撃的だった。

  そして何といってもデビュー作。

  書いても書いても芽が出ず、
  『櫂』を自費出版したのが46歳
  のときである。
  これは小さい頃から劣等感を抱い
  ていた生家の職業について書いた
  ものであった。

  これが駄目だったら筆を折ろう、
  と思ったという。

  結局、これが出世作となり、
  53歳のときには『一絃の琴』で
  直木賞に輝いた。

  晩年、こういっていたという。
  「一生懸命、沢山の作品を書いた
  から、もう書くことがないのよ」

  まさに氏のような人に許される
  ことばであろう。
  
  
  

50年前のはがき

2015-01-18 11:06:39 | 雑記
 

  暮に、
  「<こないだ>と五十年まえの
             話する」
  
  というシルバー川柳を載せたばか
  りなのに、
  まさにこのままそっくりの事態と
  なった。

  ある会合で、友人からこんなのが
  あったよ、と見せられたのが
  私が50年前に友人に出した葉書。

  もちろん記憶にない。

  文面をみると、
  長野県に滞在している友人に出した
  もので、
  後半はこんなことを書いている。

  「現在、複雑な心境です。……
   結局は卒業後、田舎に帰ってしま
   うかもしれません。
   (春休みで)帰省しますが、3月
   の末には東京に戻るつもりです。
   ……」

  消印をみると、昭和40年となって
  いるから、大学3年のとき。
  下宿は武蔵野市の「青木方」となっ
  ていて、これはよく覚えている。
  (下宿は4年間で4回変わった。
   1年ごとに引越していたことになる)

  そして内容は、というと
  あの頃、卒業後田舎に帰るか、東京
  で就職するかで悩んでいた。
  だけど、それをこんな形で人に話すな
  んて……。

  それはすっかり忘れていた。

  あれからも、東京に残ったことは
  正解だったのだろうか、と考える
  ことがしばしばあったのだ。

  否、いまでもそう思う。

  それは、これから何年あるか分から
  ない晩年(もう晩年だといわれるか
  もしれないが)、 
  の生き方にかかってくるのだろう。

  
  
  
  
   

冬眠とリス

2015-01-17 15:24:54 | 雑記


  冬眠とは一部の哺乳類や爬虫類
  など、
  活動を停止し、体温を低下させ
  て食料の少ない冬を過ごすこと。

  というのはよく分かるが、
  同じリスでもシマリスは冬眠する
  のに、このところ自宅周辺で
  よくリスを見かける。

  林の中を散歩していても
  2~3匹(?)が梢をスルスル
  と走り回ったり、
  隣の家の垣根をのぼったり、
  先日は私の部屋の窓から
  隣家の庭の柑橘類をむさぼって
  いるのを見た。

  冬は山にエサがなくなるからなあ
  と思っていたが、
  あの可愛らしい姿でギャァギャァ
  と鋭く鳴くのには驚く。

  でもシマリスは冬眠するのに
  なぜ……?
  鎌倉にいるのはタイワンリスだか
  らだろうか。
  

  科学的なことは分からないが、
  シマリスの場合、
  冬眠すると寿命が4~5倍延びる
  という。
  冬眠中に細胞の若返りがおこるの
  だそうだ。

  「子がひとりゆく冬眠の森の中」  
            飯田龍太

  静かな森の地面の下の生命を
  感じさせる。
  童話の一場面のような句。

 
  ※ リスは動きが早くてなかなか
    写真が撮れない。
    知人が送ってくれた一枚。
    
  

自分の感受性くらい

2015-01-12 17:54:03 | 読書


  先日街に出たついでに本屋に寄って
  『清冽 詩人茨木のり子の肖像』を
  買った。

  本屋で本を買うなんて久しぶり。

  街の本屋さんががばたばた閉店する
  ニュースに心をいためている。
  だが、
  時間的な問題や、わざわざ足を運ぶ
  手間ヒマを思うとなあ。
  それで居ながらにして注文できる
  ネットに頼ってしまうことになる
  のです。

  最近はそれすら面倒で、
  (ネット注文だと、途中で操作が
   分からなくなるーー笑)
  出版社に直接電話して、買うのが
  手っとり早いことを知った!

  新刊はもとより、
  先日は10年以上も前のが版元に
  残っていて、それはそれで感動で
  あった。(古いからといって割引
  にならず、ですが)


  茨木のり子にもどると
  (1926~2006)
  15歳で日米開戦となり、
  19歳で終戦を経験した。

  「わたしが一番きれいだったとき」
  「倚りかからず」
  といった有名な詩があるが、
  ここでは下記のものを挙げておく。


  「自分の感受性くらい」

   ぱさぱさに乾いてゆく心を
   ひとのせいにはするな
   みずからの水やりを怠っておいて

   気難しくなってきたのを
   友人のせいにするな
   しなやかさを失ったのは
          どちらなのか

   苛立つのを
   近親のせいにするな
   なにもかも下手だったのは わたし

   初心 消えかかるのを
   暮らしのせいにするな
   そもそもが
      ひよわな志しにすぎなかった

   駄目なことの一切を
   時代のせいにするな
   わずかに光る尊厳の放棄

   自分の感受性くらい
   自分で守れ
   ばかものよ


   ※上記の本は後藤正治著
        中央公論新社刊 

  
  

おくれて届いた賀状

2015-01-10 15:14:25 | 雑記

  昨日、ある人から遅れて年賀状が
  届いた。

  その人はなんと、
  去年の暮れ12月23日に他界さ
  れたOさん(男性)。享年87歳。

  亡くなる2日前に書いたのを、
  ご長男が亡父のかわりに出してく
  れたのである。

  
  人生の幕を閉じるのにあまりにも
  素晴らしいので、全文掲げさせて
  いただく。

  「皆様お健やかに新しい年を迎え
  られた事と存じます。
  私も人並みに年を重ね、今年満
  87歳をむかえます。
  寄る歳波には勝てず、後は天に
  任せるのみ、
  残された人生を有意義に……
  との思いとうらはらに、
  手押し車を杖代わりの毎日です。
  もう少しあなたと話したいもの
  です。
  意見を聞きたいものです。
  私一人の考えではソコマデです。
  折があったらお立ち寄りください。
  あなたと語りたい」

  
  Oさんは福岡在住で、自宅に文庫
  をひらき、お元気な頃は年に一回
  上京して、本を買っていく。

  在野の文化人、ここに在り、
  という方だった。

  私が会ったのは20年以上も前
  であったろうか。
  やはり、神保町の本屋街であった。

  以降、何度もお誘いいただいたが、
  なかなか文庫をお訪ねすることが
  できず、この日を迎えた。

  心よりご冥福を祈りたい。
  合掌。

  ※新しいプリンターに四苦八苦。
   スキャンができず、携帯写真
   になりました。
 

  
  

おめでとうござます

2015-01-04 20:14:44 | 雑記
 

  2015年が明けた。
  
  こちらは暮も正月もなし。  
  今朝5時に目覚ましをかけて起きた
  のが5時半。なかなか起きられない。

  机に向かってふと顔を上げたら
  息をのむほどの朝焼けだった。
  あまりの美しさに拝みたくなるほど。
  時計をみると6時半。

  数分続いたであろうか。
  次に顔を上げたときには一面、雲で
  おおわれていた。
  (昼間は晴れたが)

  
  一般に夕焼けの翌日は晴れ、
  朝焼けは雨の兆候、
  というけれど、今朝のはそんなこと
  は吹き飛ばすほどの見事な朝焼け
  であった。

  おめでとう、といいながら、
  その口が乾かないうちに、何が
  おめでたいのかと思ってしまう
  ひねくれ者の私であるが、
  まあ、今日まで無事生きてこれ
  たことは第一のおめでたいこと
  なのかも知れぬ。

  「今はもう生存報告年賀状」
  
  新聞の川柳欄を読んで、うなづく。

  「昨日まで普通のことに初がつき」
  「正月も昨日の次で明日の前」

  これはシルバー川柳ならぬ一般の
  方の作だ。

  去年の「閉じ」も
  今年の「初め」も
  借り物の川柳とは……?!

  昨年も今年もたいして変わらない
  ということ。

  本年もよろしくお願いします。