一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

抗菌ブーム?

2017-03-30 13:02:38 | Weblog



        私はまだ見たことはないのだが、
        最近、一般図書館でも書籍消毒機なるものを設置する
        ところが増えているそうだ。

        書籍消毒機、
        つまり、電子レンジのような扉を開け、機械の庫内に
        本を広げ、立てておく。扉を閉めてボタンを押すと
        庫内が青く光り、本のページが揺れて消毒される仕組み。
        30秒ほどで作業完了するのだとか。

        たしかに、
        公共の物はどんな人が手にしたか分からないし、
        もし行きつけの図書館に備えてあったら、私も使って
        しまうかもしれないのだが……。

        あるアンケート調査によると、
        本の除菌に対して、
        「なるべくいない方がいい」57%
        「必ずしも有害とは限らない」52%
        「気にしても仕方がない」30%
        「衛生上、よくない。除菌したい」10%

        
        では、本でなくてお金ならどうか。
        お金こそ、世間万人の手を経過したものではないか。

        そうなると、ものぐさの私は
        「気にしても仕方がない」
        になるかなあ。

        肌着やまな板、便器、エレベーターのボタン、電車の
        つり革等々、昨今の抗菌ブームは96年の病原性大腸菌
        「O157」集団感染を契機に高まったらしいが、
        全般に生活が豊かになったせいでもあろう。

        しかし、
        この過剰な清潔志向にも問題がある。
        体を守る有益な常在菌をも排除してしまうからだ。

        そもそも赤ちゃんは無菌状態で生まれ、ものを舐める
        ことで腸内に周囲の細菌を取り込んでいくらしい。

        「身の周りの菌=ばい菌=汚い」
        と恐れ、無菌状態にすればするほど腸内細菌を育む
        機会もなくなるのだという。

        そして決定打は、
        「清潔すぎる生活環境が、先進国の子どもに多く
         見られるアレルギー疾患につながる」
        ということ!!


        どうやら菌との適度な共存が重要らしい。
        ちまたに出回っている抗菌加工製品も重篤な病気で 
        免疫力が弱まっている場合に使うのが的確で、
        やたら使用するのは逆効果ということらしい。

 
        ※ いつも行っている最寄りの図書館
   

        

彼岸過ぎまで七雪(ななゆき)

2017-03-29 13:48:00 | Weblog


       新聞で「彼岸過ぎまで七雪」ということわざがある
       ことを初めて知った。

       春の彼岸が過ぎても雪がたびたび降るという意味で
       「彼岸過ぎても七はだれ」
       ともいうのだそうだ。

       「はだれ」というのも初耳だが、
       万葉の時代からある由緒ある言葉で、はらはら降る
       雪のことだとか。

       また新潟県の魚沼地方では
       「彼岸の塗り雪」
       ともいい、汚れて黒ずんだ積雪の上に春の雪が
       積もって美しく雪化粧するさまをいうらしい。

       こんな美しい表現のある春雪だが、
       今回の悲惨な雪崩は一瞬にして身も凍るような事故
       であった。

       栃木県那須町のスキー場で高校生と教師8人の命を
       奪った雪崩による事故。

       太平洋上で発達した低気圧により、夜半から朝の間に
       現場近くでは30㎝以上の積雪があったという。

       その新雪が古い積雪の上を一気に走り下る表層雪崩
       だった。

       亡くなった生徒7人は高校の山岳部員で、どんなにか
       山を愛し、自然が好きで、雪もいとわない、純粋で
       さわやかな青年だったろうと思うと、涙がこみあげて
       止まらなくなる。

       春はおだやかそうでいて、いっぺんに天候が荒れくるう
       ことも珍しくない。
       
       そういえば、
       「彼岸ざくら」
       というのも春の雪模様の荒天をいうのだと、今回知った。

       取り返しのつかない事故で、ご遺族の方々の悲しみを
       思うと胸がつかえるが、
       せめて亡くなった高校生のご冥福を祈りたい。


       ※ かろうじて救助された高校生に「眠るな」と激励
         しながら雪山を降りる救助隊の新聞写真
      
       

       

「聞こえ」の問題

2017-03-26 08:34:00 | 健康


       高齢になると「耳が遠くなって」といった嘆きを
       よく耳にするが、私の場合、どうなんだろう。

       家の固定電話が鳴って受話器をとるのだが、
       先方の声が遠くて聞き取れないことが最近、
       頻繁にある。

       その都度、
       「すみません。電話が遠くてよく聴こえないのですが」
       といって、声のボリュームを上げてもらう。

       それでも聴き取れないことが何回かあった。
       先方様が声を張りあげて努力している息遣いまで
       分かっているのに……だ。

       そういう時は相手の番号を教えてもらって、
       こちらから掛けなおすことにしている。
    
       すると、ちゃんとクリアに聴くことができ、
       難なく要件を果たすことができるのだから、
       この場合、電話器か、または双方のつなぎをする
       接続か何かに問題があるのだろうか。

       もう一つ、
       TVのお笑い番組等で早口でしゃべるMCの話が
       聴き取れない。

       その場合、画面では大笑いしているのに、
       こちらは、かろうじて出る字幕でワンテンポ遅れて
       笑うことになり、間が抜けている感がハンパない。

       こんなことが度重なると、
       いちど耳鼻科を訪ねてみようかと悩んでいる。
 
       だけど、病院は混むしねえ。
       手っ取り早く、メガネ屋で聴力のテストもやって
       いるようだから、時間があるときに寄ってみようか、
       と思っている。

       新聞の川柳にこんなのがあった。

       「会えぬはず渋谷と日比谷の聞き違い」


       ※ 近くのメガネ屋の看板

「ti」 か 「chi」か どっち?

2017-03-25 06:48:29 | 雑記


       2020年から小学5、6年で英語が教科化されること
       にともなって、教育現場では混乱しているのだそうだ。

       いわゆる従来のローマ字式と、英語式の表記が異なる
       ためである。

       私の年代だとたしか小学4年か5年でローマ字を習い、
       中学になって英語を習うようになって、はじめて
       その違いに気づかされた。

       実際には、
       娘たちにはパスポートを取得する段階(小学低学年)
       になって、その必要性を感じ、英語式(ヘボン式)の
       書き方を教えた記憶がある。

       つまり、
       「Utida 」ではなく「Uchida」と書くのだよ、と。

       国際的な身分証明書となるパスポートはヘボン式だし、
       名前や地名なども圧倒的にヘボン式が多い。
       (英語圏ではヘボン式でないと違った読み方をされる)
       

       それでまったく混乱がなかったが、
       現在の教育現場に照らしあわせるとどうか。

       現在は小学3年でローマ字を教えるのだとか。
       そして英語がはじまると混乱する、ということらしい。

       「訓令式とヘボン式の2通りあるから子どもは混乱する。
        学校で教えるローマ字はどちらかに一本化すべきでは
        ないか」
       という考えらしいが、どうだろう。

       う~ん、子どもたちは結構使い分けているので、教師の
       心配しすぎのような気もするが……。

       例にあげるとこうだ。

             訓令式    ヘボン式
         「し」 si         shi
         「じ」 zi         ji 
         「ち」 ti         chi
         「つ」 tu         tsu
         「ふ」 hu         fu
          「しゃ」sya         sha
         「じゃ」zya         ja


       みなさんはこの問題、どうお考えであろうか。





       

ダウン寸前

2017-03-20 13:53:54 | 雑記



        ここ10数年快方に向かって症状があらわれなかった
        花粉症が突然やってきた。
        3~4日はクシャミ、鼻水、咳に悩まされ、喉も痛か
        った。

        その後、激しい頭痛におそわれ、ここ何日かは泣き面
        に蜂の状態である。

        こんな状態が続くと高齢者は肺炎になる危険性がある。
        そう思っても病院に行けない。

        連休中で休診のせいもあるが、
        娘夫婦がそれぞれ仕事で長期間留守のため、家を空け
        られないからだ。
        目下、わが家は高齢者の私とチビの二人。

        ああ、困った、どうしよう。
        買物ついでに薬局に寄って症状に合いそうなものを
        買った。
        「2~3日飲んで治らなかったら病院に行ったほうが
         いいですよ」

        薬剤師はそういうけれど、通院できないから薬を買う
        のだ。

        案の定、一つ、二つ試したが、一向に快くならない。

        でも食欲はあるし、眠れるのが救い。

        そこに望みを託して、
        ちょっとの間でも寝よう!!

        ※ 居並ぶ風邪薬(薬局で)

N女とは?

2017-03-18 14:33:59 | 雑記


        「N女」とは何か。

         歴史好きの「歴女」
         理系の「リケ女」
         山すきな「山ガール」
        とも違う「N女」。

        こんな言葉が生まれたのは3年ほど前のこと。
        定義でいうとこうか。

        『NPO(非営利組織)から営利企業まで社会貢献
        分野で働く女性たち』

        「N女の研究」を昨年出版したノンフィクション作家
        の中村安希さんによるとこうだ。

        「幼稚園から英才教育を受けたお嬢さまではないが、
        成績はよく、公立から大学、就職とエリートの道を
        進みながらも、自分の力を出世や金もうけに使って
        いいのかと、常に葛藤している人たち」

        彼女たちは一度は一般企業に就職して、
        がむしゃらに働いた経験があり、やがて疑問をもつ。

        大卒後、大手総合商社で働いたYさんはこういう。
        「当初は海外の不動産投資にやりがいもありましたが、
        上司をみて、40になってあんな風にはなりたくない、
        結局、富裕層に利益にしかならない偏った資本主義で
        社会にとってどんな価値があるのかと思い、会社を
        辞めました」

        つまり、
        大手企業でずっと「なんぼもうかるか」で動かされて
        きた自分に気づき、ほとほと嫌気(いやけ)がさした。
        そして、「この事業で社会がどう変わるか」という
        視点で物事を見始めた、ということか。
        
        決して
        「人を助けたい」
        といった夢をひけらかさない。
        転職や企画が成功してもそこにとどまらず、
        「一度きりの人生の次の目標」
        を常に考え、かなり先を見ている。

        もちろんNPO法人に移れば、
        これまでのキャリアを捨て、
        おまけに収入がこれまでより大幅に下がる。
      
        それでも、有能な女性ほど、
        社会的価値を求める傾向にあるらしい。

        たしかに、TVなどで見る働く女たちが生き生きと
        輝いているのはこうした女性に多いような気がする。

        しかし、これはほんの一部。
        まだ数少ないから希少でTV番組で取り上げられる
        のかもしれない。

        願わくば、
        女たちも男性と同じく社会で同様に規制なく働いて
        欲しい。
        これこそ男女共同参画なのだから。


        ※ 昨日、早朝の散歩で見た真っ赤な太陽
          巨大なホオズキのようだった。
          スマホでうまく撮れず、知人が送ってくれた。

        
 
        

        
        

みんなが

2017-03-12 06:50:26 | 雑記


        早朝の散歩のときに使った毛糸の手袋をそろそろ
        洗濯してしまおうかと思う季節になった。

        毛糸の手袋、というと子どもの頃を思い出す。

        小学4年生くらいだったか。

        仲良しのE子ちゃんが赤い毛糸で編んだ手袋をしてきた。
        町で評判のお店で買ったという。

        その頃は既製品の手袋を買うなんて発想はなく、
        たいがい母か姉かの手編みが普通だった。

        ところがE子ちゃんの手袋は赤いふわふわした毛糸で
        出来ていて、手作りの野暮ったさはなく、とても
        素敵だった。

        私は欲しくて欲しくてたまらず、E子ちゃんに借りて
        親に見せ、直談判におよんだ。

        「この手袋、みんな持ってるんだ。
         私も欲しい。だから買って!」

        「みんな、って誰?」
        「E子ちゃんにS江ちゃんに……」
        「それから?」
        「うーん、と……」

        私は云いよどんだ。
        だってE子ちゃんしか持っていないのだもの。

        このとき、自分のことながら、
        人間は追いつめられると嘘をつくものだ、ということが
        分かった。

        結局、その手袋は買ってもらったのか否か、
        覚えていないのである。

        ただ、自分が嘘をついて親をだまそうと思ったことしか
        記憶にないのだ。

        「みんなが持っているから買って」
        は子どもの常とう手段。

        今となっては、
        せいぜい1人か2人持っているだけで、「みんなが」という
        人間の心理もさることながら、
        そのことで大人(親)の気持ちを動かそうとする、子ども
        の知恵もおかしい。
        
        手袋くらい、好きなものをためらいなく買える大人に
        なって、かつてのあの切望感がなつかしく思いだされる。
        

        

タクシードライバーの窓から

2017-03-11 07:43:01 | 雑記


       3月11日の今日は3・11東日本震災から
       6年。

       いまだ12万人が避難しているという現実。
       親戚や知人もそのなかに居るし、
       もし避難解除が出てわが家に帰れたとしても
       仕事なし、わが家の畑で獲れた野菜も食べられない。
       こうした実態を聞くにつけ、どうしたら明日につな
       げる希望を持てるのか、途方にくれる。

       せめて話を聞き、一日もはやく平穏な日常がもどる
       ことを祈るばかりである。


       話は変わって、タクシーの話題。
       私はタクシーを利用する方ではないが、それでも
       年に何回か、旅先から帰ったときなど、迷いなく
       タクシーに乗らせてもらう。

       たった何日かでも旅先から帰ったせいか、人恋しく
       運転手さん相手にお天気の話や「景気はどお?」
       なんて、日頃話題にしないようなことをなぜか、
       しゃべってしまうのだ。
       
       でも、
       東京の夜、タクシーに乗ったことはめったない。
       新聞で、あるタクシードライバー歌人を知った。

       T(男性)さんは57歳。
       早大を出てサラリーマンになったが肌があわず、
       33歳のとき縁あってタクシー業界へ。
       ドライバーになって四半世紀。
       現在は認知症を患う母親と二人暮らし。独身。
  
       学生時代にはじめた短歌にはげまされ、深夜の東京
       の街を走らせている。

       「工事中の赤いポールが並ぶ道 
              われも並びぬ物の如くに」
       
       いつしかタクシーは新宿・歌舞伎町へ吸い込まれて
       いく。フロントガラスに残る雨粒がネオンを反射する。

       「冬近し客呼びをする街角の娘たち 
                  上着一枚羽織る」

       街角の女たちも寒さにこらえられず、コートを羽織る。

       「赤信号ふと見れば泣いてゐる隣
                 同じ放送聞いてゐたのか」
       
       車内で聴く深夜放送。
       隣の車の運転手も聴いていたのか、不思議な連帯感。

       「わが仕事この酔ひし人を安全に
                送り届けて忘れられること」

       タクシードライバーは一期一会の仕事。
       おそらく同じ客を乗せることはないだろう。
       そして送り届ければ完了の世界、
       忘れられて終わりの業務である。

       そしてとどめの一句
       「違和感を感じつつ貼る『がんばろう!東北』
                    もっとおれが頑張れ」

       支給されたステッカーを貼りつつ、多少の違和感を
       いだきつつ、
       そうだ、このオレが頑張らなくちゃ、という思い。

       なんだか、これからタクシーに乗るとき、虚心では
       乗れなくなってしまいそうである。
       
                   
       
      

冬の食中毒

2017-03-04 14:44:42 | 雑記


        知人が1月末にノロウィルスにかかり、救急車で
        運ばれて大変な思いをしたと聞いた。

        食中毒といえば湿気が多くて暑いとき、
        食材のいたみやすい梅雨時から夏、と思いがちだが、
        実際は1月から2月にかけてが最も多いのだという。

        その理由ははっきりしていて、
        冬はウィルスによる食中毒が原因だとか。

        逆に細菌によるものは梅雨時の6月が最も多い。

        ところで、この季節においしいカキだが、
        銀座の高級レストランで集団食中毒が発生したと
        いうニュースが流れたと思ったら、
        こんどは宮城県で水揚げされたカキからノロウィルス
        が検出されて出荷が停止されたと新聞で報じていた。

        今年度はすでに昨年のピーク時の倍に達していると
        いうから、油断ができない。

        話は変わるが、
        昔よく聞いた「霍乱」(かくらん)、
        食中毒や下痢の急性症状のときに使っていた。

        ふだん元気な人だと「鬼の霍乱」などという。

        この「霍乱」は夏の季語で、
        そういえば薬売りのことを「毒消売」(どっけしうり」
        などと云った。

        しかし、昨今の状況からすると、
        「霍乱」は冬の季語に変えたほうがよさそうだ。


        ※ 鎌倉のあるところで見たウーパールーパー
          黒いウーパールーパーも同じ水槽に入って泳いで
          いたが、うまく写メで撮れなかった。

       

        

        
        

季節はめぐる 初鳴き

2017-03-03 14:30:26 | 自然


       ついこの間まで藪のなかでチッチッと藪鳴きして
       いたのに、
       3月1日、2日とはっきり聞こえました。

       ホーホッキョ と。

       それも森の別な場所で。
       
       今日3月3日(ひなまつり)はポカポカと暖かい日
       ですが、
       1日、2日は寒くて、氷雨の降る日でした。

       そんな寒い日にホーホケキョ です。

       自然の移り変わりとはどうなっているのでしょう。

       日ごとに日の出は早くなり、  
       日没もおそく、一日が長~くなったと
       人間は考えるけど、
       ウグイスのように、
       ある日、突然 ホーホケキョとは鳴けません。

       鳥たちは知っている。
       樹々(木々)たちも知っています。
       季節の移り変わりを。

       春がきたら鳥たちはさえずり、
       樹々たちも春のそよぎを奏でます。

       人間はその後をつきてゆくだけ。

       鈍(どん)な私もちょっぴり詩人めくのです。


       ※ 姿は見えぬがウグイスの声だけする藪のなか