一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

千姫こぼれ話

2010-01-26 08:02:14 | 歴史
   

    週に何回か鎌倉通いをしながらお寺巡りとは縁遠い。
    いつも時間に追われているのと、一度足を踏みいれて
    しまうとハマってしまいそうな危険性があるためである。
    (昔、一時のハシカのように鎌倉に入れ込んだことが
    あって、思い出すのがイヤなのだ)
    ところが先日、車で北鎌倉駅前をとおった際、東慶寺の
    前に出て、千姫を思い出した。

    東慶寺といえば「縁切り寺」として有名だが、ここで
    触れるのは豊臣秀頼の娘のこと。

    千姫はご存じのように家康の孫娘で、政略結婚で秀吉
    の後継者である秀頼のところに嫁いだ。
    しかし、慶長5(1600)年の「関ヶ原の戦い」の後、「冬の
    陣」「夏の陣」と続き、豊臣家は崩壊の危機にあった。

    問題は秀吉の側室・淀殿と息子の秀頼のこと。
    ドラマなどでは、大阪落城寸前、淀殿が嫁である千姫
    の袖を膝で押さえて離さなかったとか、千姫を人質
    にして家康と交渉したとか面白おかしく描かれているが、
    ほんというと誰も真実は分からない。
  
    私は千姫を役立たずの嫁とみている。
    淀殿は城が炎上する間際になって、家康への手紙をもた
    せて千姫を逃がした(といわれている)。
    しかし、老獪な家康は孫娘の姿を認めた直後に大阪城に
    とどめを刺し、周知のように淀殿と秀頼母子は城の
    もくずとなって消えた。

    となると、千姫は自分だけが助かり、姑淀殿と夫秀頼
    を見捨てたことになる。    
    政略結婚で豊臣家に入ったのは7歳と幼かったとして
    も、落城のときは20歳近くになっていたはず。
    なのに意見らしい意見をいった気配もなく、助命嘆願
    に動いた様子もない。
    (いくら戦国の世は女の意見など聞き入れられないと
     してもだ)

    もちろん爺やの家康(その時は秀忠の世)が、一枚上手
    だったともいえるが、千姫はその後、ハンサムな本多忠刻
    と再婚してぬくぬくと暮らすのである。

    だが、だがである。
    多分、千姫は戦国の姫に似合わない心やさしい娘だった
    と思いたい。
    夫の秀頼にしたがって豊臣家と運命をともにする考えな
    ど思いもつかず、周囲の流れに身をまかせた結果がそう
    なったということなのだろう。

    千姫と秀頼の間には子供はいなかった。
    千姫は秀頼と側室の間に生まれた女の子を引きとって
    (男の子は家康に殺された)
    育て、後にその子は東慶寺の尼(天秀尼)となった。

    歴史の解釈はむずかしい。
    史実ひとつを取っても、いろいろな見方ができるから
    である。
    だからこそ面白いともいえるのだが。

    写真は東慶寺の老白梅と紅梅。



    

  

    
    

    
    

山の上ホテル

2010-01-19 13:00:25 | 雑記
    


     年々、他人様に話すほどのことでもないが、自分
     の内では結構重要な部分を占めることが多くなって
     いる。
     そんな「言わないこと」「言う必要もないこと」の
     一つに「山の上ホテル」がある。     

     言う必要もないのになぜ言うのかと問われるが、
     先般、ちょっとした会合があって「山の上ホテル」
     に行ったからだ。

     お茶の水駅から歩いてもすぐのホテルは神田の本屋
     街にも近いということもあって、いわば学生の街。
     自分の学区(大学区)ではなくても毎週のように
     出入りして、前の通りをよく歩いている。
     だけど、一度もホテルに入ることはなかった。

     貧窮学生でそんな余裕がなかったこともあるが、
     いわゆるホテルのイメージが大きくて、とても
     恥ずかしくて、ちょっと立ち寄ってみるという
     ような気分になれなかったのである。

     そのイメージとは「文人・作家の出入りする宿」。
     川端康成や三島由紀夫、池波正太郎といった
     流行作家が定宿とし、別名「軟禁の宿」などとも
     称されていた。

     今回、会場が「山の上ホテル」だと知ったとき、
     あっと思った。
     40年以上、あこがれていたひとに逢うような
     気恥ずかしさとともに、ちょっと気負い立たない
     と行けないな、と思ったことも確かである。

     長年、心の奥底にしまっていたそのひとは、
     瀟洒な雰囲気ながら実に落ち着いていた。
     今やホテルは全国画一といってもよく、地方都市
     にいっても東京にいるのと錯覚しそうな、豪華さ
     やきらびやかさに戸惑うことが少なくない。

     こちらが昭和人間だからかもしれないが、「山の上
     ホテル」には成りあがり的なきらびやかさはなく、
     あるのはほどよい心地よさであった。
     そして今回、奥底にしまっていたものをひとつ解禁
     したことにホッとした。
     こんど近くにいったら、わざわざでも立ち寄って、
     じっくりコーヒーでも飲みたい、と思った。

     「山の上ホテル」は本にもなっている。
      常盤新平著
        『山の上ホテル物語』 
                白水ブックス
     
     


     

     
     

進化と変化

2010-01-11 13:26:13 | 雑記
   

   暮れからお正月にかけて多少ドメスティックに
   過ごしたら、手がカサカサでブス度もUP↑した。

   年末には大学で同期だったT氏が66歳で亡くなり、
   ぎりぎりでご家族から喪中欠礼の葉書が。
   T氏は長年、ブラジルを中心に仕事をしていた人で、
   まだ現役でもあった。
    
   年が明けてきた年賀状の中には、趣味ではじめた家
   庭菜園の話や、ペットの写真入りなどに混じって、
   体を壊し自分でやっていた(会計)事務所を閉じる
   とともに来年から新年の挨拶も止めるというのも
   あった。
   年賀状をやめるタイミングはいつなのだろうと常々
   思っているのだが、実際にこんなご挨拶をいただい
   たのははじめてである。

   そんななか、ご夫妻でホーチミン(ベトナム)に移り
   住んで10年になるという友人からのも。
   友人はご主人が向こうに赴任されるのにあたって、
   自分の仕事を辞めてついていったもので、当時は
   その決断にびっくりするとともに、英断に敬意を
   表したという経緯がある。
   そして、
   10年ひと昔とはいうけれど、現地の成長、街中の
   様子、人間もろもろの変化は進化と呼ぶとはいえ、
   すごいものがあると結んでいる。
   旅行者とはちがって、滞在してはじめて気づくこと
   もあるのだろう。

   ひとは変わるようで変わらない。
   しかし、周囲の状況によって変わらなければならない
   こともある。
   年齢を重ねてますます頑固になるきらいがあるが、
   柔軟な変化はしたいものだと、心から思っている。
   

      
   
   
   

明けましておめでとうございます

2010-01-05 17:27:05 | 自然
  

     新年早々、鎌倉の猫一家(娘のところ)が風邪
     をひいて(猫だけは元気)駆り出されている。
     チビを連れての散歩の途次、まるで
       一輪の梅に歩を寄せ神の庭 (井上芙蓉子)
     のように通りに面したお寺の境内に入った。
     
     そういえば初詣もしないままだったな、と思い、
     お賽銭をあげ鐘を鳴らして(いい音だった)
     手を合わせた。
     奥に入るとやはり、陽だまりに白梅が咲いて
     いる。

     白梅といえば真っ先に「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」
     が浮かぶが、まだまだこれからが寒さは本番。
     まだ2分咲きといったところで、この先、
       一輪が一輪さそい梅開く (大山妙子)
     となるのだろう。

     思えば新年にあたって「今年の抱負!」なんて  
     言わなくなってからどのくらいになるだろう。
     年が改まったからといって、今日は昨日の続き、  
     日々精一杯生きることに変わりはないのだから、
     と。
     つまり、しゃかりきになったって出来ないのは
     出来ないのだし、もともと才能も無いのだから
     と、いつの頃からか肩の力を抜くようになって
     いる。

     それでラク~になったことも確かだが、「大志」
     を抱かないのもちょっと寂しい気がしないでも
     ない。せめて、
       白梅や五感の扉とき放つ (三沢蘭)
     といきたいものだとひそかに思う。

     すると、誰かのつぶやきが聞こえてきそう。
       白梅や先づもの捨てて老い支度 (峯桜子)
     分かりましたけどォ、せめて
       白梅のつづくと観れば躓けり (青山丈)
     ぐらいにして欲しい。
     そうならないように気をつけるから。

     ほんというと、
       紅梅に添う白梅の香なるべし (稲畑汀子)
     というのが望み。さらに
       耳打ちは告白のやう梅一輪  (山田禮子)
     な~んていえたらいいなあ。

     今年もよろしくお願いいたします。