一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

三十数年ぶりの運動会

2014-09-28 12:00:29 | 雑記


      昨日はうちの新一年生の運動会だった。
      
      小学校の運動会なんて何年ぶりか、
      数えると三十数年ぶりである。

      基本的に私は土日は自分のことオンリー、
      集中的に仕事をしたいので、家の者の
      行事には参加しないのだが、
      ついに行ってしまった。
      午前、午後とも。
      (途中、昼食に家に帰った)

      多分、齢を重ねたせいであろう。
      子どもたちが力一杯やっている姿に
      じ~んとくるものがあった。

      一般的なことをいっても仕様がないので、
      ここは自分の懐古趣味をちょっと許して
      もらいたい。

      とろくて常にぼんやりしている私は、
      運動会が大嫌いだった。
      個人種目も、団体競技も。

      小学2年くらいではなかったか。
      徒競争で必死に走って、ゴール寸前に
      「あ、着いた」と思って足をゆるめた。

      運動で競争する気持の全くない私は、
      ゴールテープの前でうろうろ。
      その間に何人かに抜かれて、4~5番に
      なっていた。
      テープを切るまで走りきる、ということ
      を知らなかったのだ。
      (あのときの感覚をよくおぼえている)。

      他にもある。
      これも1年か2年生のときの記憶。
      団体競技で、ダルマの張りぼてみたいな
      ものをかぶらせられ、男女手をつないで
      走る。
      旗のところを回ってきて、次のカップル
      に渡す。

      早く終わった組が勝ちなのだが、
      当日、誰かが休んで、私は嫌いな男の子
      と組まされた。
      観客には誰がかぶっているか分からない
      のだが、私には大いに不満だった。

      あのときの違和感!!
      先生はきっと人数さえあえばいいと思った
      であろうが、私は練習のときの組み合わせ
      と違って、小さいなりに理不尽なものを
      感じたのだった。

      もちろん先生に異議申し立てする心得など
      あるはずもなく、じっと耐えた(笑)。
      それで、「大人はいいかげん」という不信
      感をいまだに持っているのだ。

      このように運動会には悔しいこと、悲しい
      思い出しかないのだが、最後に名誉挽回を
      一つ。

      中学生になったら、ちょっとずるくなった。

      
      「借り物競走」というのがある。
      借り物はいろいろ。
      ヨーイドン!で走って、、所定の位置にある
      紙を拾い、それに書いてあるものを借りて
      ゴールまで走る競争である。

   
      それは新1年生だったり、バケツだったり、
      人気者の○○先生だったり、用務員さんだ
      ったり……

      私は自分の番がくるまで、さっと見当を
      つけておいた。
      (だいたい借り物は予想がつく)

      ヨーイドン!
      私の拾った紙には「校長先生」と書いて
      あった。
      最初から当たりをつけておいたので、
      さっと校長先生のところへ。
      もちろん一等賞になった。

      後にも先にもそれっきり。
      大学に入って「体育」が選択科目にある
      のに驚いて、受験したことすら後悔した。

      以来、私の運動嫌いは続いており、
      昨日の運動会は子どもたちの姿に感涙す
      る一方、
      とんでもないことを思い出させたのだった。
      
  

      

    


国語世論調査

2014-09-27 16:14:30 | 雑記



       「国語世論調査」(国語に関する世論調査)
       というものがあるということも初めて
       知ったが、
       案外、自分も何の違和感もなく、最近の
       若者言葉を使っていることにも驚いた。

       つまり、「名詞+する」という語。

       例を上げたほうが早い。

       「チンする」なんてすっかり生活になじん
       でいる。
       「サボる」はずっと昔(学生時代)から日常
       的に使っているし、
       「パニクる」(パニックになる)も同様。

       「事故る」は自分ではあまり使わないが、
       友達は車を運転していて大事故になり、
       「事故っちゃった」といっていた。

       「愚痴る」なんて、いまでこそ云わないよ
       うにしているが、私の専売特許だった。

       「告(こく)る」(告白する)はさすが、
       今は縁がないわね。

       「お茶する」はなぜかあまり好きではない。
       「お茶にする?」といった風に使う。

       意味すら分からないのがあった。
       「きょどる」(挙動不審な態度をとる)
       「タクる」(タクシーに乗る)
       「ディスる」(馬鹿にする。軽蔑する)
       つまり、リスペクトの反対のディスリスペクト
       ということか。

       さいごの三語は最近の言葉?
       それとも若者の間では常識なのだろうか。

       言葉は生きもの、というべきか、時代ととも
       に変わるらしい。
       そういえば「チン」(電子レンジにかけること)
       が広辞苑に入ったということで驚いたのは、
       四半世紀も前のことになる。

       言葉の変化(進化)よりも、四半世紀という
       年月の経過に今度は目をむいてしまう。


       ※ 何日か前に歩いた散歩道で。
        ドングリが雨で青いまま落下していた。
        これからは日に日に色づいていくだろう。

       
       
       

帰路

2014-09-21 14:41:33 | 



      9月某日、
      帰路につきました。

      夕方の航空券を予約していたのですが、
      なぜか、離陸が30分も遅れました。
      お天気もよく、なんら事故もなかった
      はずですが、搭乗したまま待たされた
      のです。


      普通、遅れる理由が流されるはず。
      どこか調子が悪くて点検中とか、
      向かうはずの空港の天気がよくない
      とか。
      

      あれ、おかしい?
      もうとうに離陸していると思ったら、
      まだ福岡空港にいたのだ。
      
      

      どうやら、私の方が乗ってすぐ爆睡
      したらしい。
      その間にアナウンス(?)があったの
      だろう。

      ま、それでも無事に離陸して、
      乗ってから2時間以上かけて羽田に
      到着しました。


      ところが、そこでハプニング!
      「お客さまのなかで急病人が出たので
      その方を優先しますので、一般のお客
      さまは、いましばらくお待ちください」

      機内は満席で、200人も乗っていたで
      あろうか。比較的、後部席にいた私から
      は何もみえない。
      いそいで荷物を上の棚から下ろそうとす
      る乗客を制して、アナウンス。

      「車椅子が通りますので、通路をあける
      よう、ご協力をお願いします」

      「いましばらくお待ちください。
      救急隊員が参りますので、みなさまは
      お席でお待ちください」

      かれこれ20分くらいかかったであろうか。
      その間、乗客はじっと待った。
      誰も不服をいうものはいなかった。

      
      私はふと、ハイジャックに遭ったときの
      (遭ったことはないが)
      ことを思い出した。

      ようやく
      「みなさま、お急ぎのところ大変ご迷惑
      をおかけしました。
      急病人は無事、救急隊員の方に引き渡す
      ことができました。
      みなさまにはこれからお降りいただきます」
      とのアナウンスで、
      みな一斉に乗降扉へ。

      
      帰宅したのは深夜。
      予定より2時間ちかく遅れました。

      帰ってからメールのチェック等々で、
      まだ落ち着かない。

      お会いした方、お話を聞かせて下さった方、
      資料を提供して下さった方……
      たくさんのお世話になった方々を思い浮か
      べて、まだ荷物の整理もできていないの
      です。


      ※ 写真は門司港あたり?
         
     

      

      
      

行ってきました

2014-09-20 16:38:23 | 


      出かけるまで波乱含みだったが、
     (会うべき人が体調が悪く会えないなど)
      とにもかくにも行ってきました。

      早朝の羽田空港は連休のため、乗客で
      びっしりです。
      用心のため早めに出かけたため、少し
      余裕ができ、待合室のマッサージ機で
      緊張をほぐすことに。

      200円を投入し、リモコンらしき
      もので「おまかせ全身マッサージ」を
      えらんだのだが、なんとお粗末。
      肩甲骨のあたりと、脚のふくらはぎを
      (左右に)もみもみするだけで、
      ちっとも気持よくない。
      
      「これって、全身?!」
      ちょっとがっかりして機内へ。

      羽田ーー福岡間は約1時間50分の
      フライト。
      でも、早起き(3時半起床)したので
      ちょうどいい眠りの時間でした。

      福岡空港から地下鉄で博多駅へ。
      そこで人と待ち合わせて、
      1日のスケジュール確認をすることに
      なっています。

      その日は2組の取材をすることになって
      います。
      緊張の高まる往路でした。

     ※ 富士山は見えません。
       雲の上に出ると、宇宙を感じます。
      

夏草や……

2014-09-14 14:07:05 | 雑記


     夏草や、とくれば
       ……兵(つわもの)どもが夢の跡
     となる。
     つまり、  
     「夏草や兵どもが夢の跡」
     という松尾芭蕉の句である。

     毎年、盛夏が去った後、周囲にはびこ
     る雑草をみて、ついこの句が口をつい
     て出る。

     私がいつも坐っている部屋の窓の下は
     ちょうど死角(?)になっていて、
     家人も草取りをしない。
     私もついうっかりと忘れてしまって、
     荒れ放題だ。

     いつもパソコンを閉じて立ちあがり、
     ふと西側の窓からのぞくと、その死角
     のところに一か所、雑草がはびこって
     いるのが目に入る。
     (昨年、バラを二株植えたのだが、
     すっかり駆逐されてしまった)

     雑草をみたときだけ
     「あ、草取りしなくちゃ」と思うけど、
     日常生活にもどると、またまた忘れて
     しまう。

     前置きが長くなったが、
     芭蕉は奥の細道の道中、平泉(岩手県)
     でこの句を詠んだ。

     平泉は奥州藤原氏が繁栄を築いた地
     である。
     兄の源頼朝に追われた義経は、藤原
     秀衡のもとに身を寄せる。
     しかし秀衡の次男・泰衡に襲われ、
     わずか30年の生涯を閉じた。

     これは芭蕉が訪れる500年前のこと
     である。
     雑草がはびこる景観に、思わずこんな
     名句が出るあたり、さすが芭蕉である。

     一方の私は、わがテリトリーの雑草を
     前に、自分のものぐさにあきれるばかり。

     明日から取材のため九州方面に行く。
     なので、雑草はより一層、わがもの顔
     にはびこることになるでしょう。

     ※ 窓から撮った雑草
      (写真に撮るヒマがあったら草を
       取れ!)
     

桜田門外の変

2014-09-13 16:04:41 | 歴史



       出水美術館は帝国劇場の9階にある。
       展示品を観終わって出たら、皇居に
       面した大きなガラス窓から、目の前
       に「桜田門」がみえてびっくりした。

       桜田門といえば、教科書に出ていた
       「桜田門外の変」。
       学生のときは何度読んでもピンと
       こなかった。
       その後、大河ドラマなどでもみたが
       理解度はいまひとつ。

       私が好きなのは、故人となった吉村
       昭の「桜田門外ノ変」である。
       ここでおさらいをしてみよう。

       安政7年(1860)3月3日、
       江戸城桜田門外で水戸藩から脱藩した
       浪士らが彦根藩を襲撃し、大老・井伊
       直弼を暗殺した事件である。

       井伊は将軍継嗣問題と修好通商条約の
       締結という二つの課題に直面していた。
       
       病弱で世子が見込めない第13代将軍・
       家定の後継をめぐって、南紀派と一橋派
       が争っていたのである。

  
       一橋派は21歳の徳川慶喜を推し、
       南紀派は12歳の徳川慶福を推挙し、
       慶福が養子として認められた。

       これは大老(井伊直弼)派を満足させた
       が、朝廷はこれに反対だった。

       さらに日米修好通商条約が朝廷の許可を
       得ないまま結んでしまった井伊直弼に
       対し、水戸藩士たちが遂に刃を抜いた
       というわけである。

       ともあれ、今から150年前の話である。
       幕府の後継者をめぐる問題は、諸藩の
       かけひきも含めて大問題であったのだ。
       

       ※ 井出美術館からみた桜田門

あばれ蚊

2014-09-07 14:58:30 | 雑記



       昨日書いた「デング熱」が今日の朝刊
       では東京7区に広がって、新宿御苑も
       閉鎖したという。

       あまり過剰に反応するのもいけないが、
       世界的に「エボラ出血熱」や「中東呼
       吸器症候群」(MERS)の脅威が注目され
       ているときだけに、早目の鎮静化が
       望まれる。

       かくいう私は昔から蚊に好かれる体質
       で、お墓参りなど、何人かでいっても
       いち早く刺されて、ひどい目にあう。

       そういえばこんな句があった。

       「あばれ蚊に数珠(じゅず)をふりふり
               回向(えこう)かな」
                  小林一茶  

 
       お坊さんがお経を読みながら、数珠で
       蚊を追う姿が想像できる。

       秋のお彼岸頃になっても、ヤブ蚊は
       元気で、私などは集中的に襲われる
       ので油断できない。

       新聞のコラムによると、
       歳時記の「秋の蚊」には「ヒトスジシマ
       カ」などの種名を記したものもあるそう
       だ。

       
       さて、
       デング熱を媒介するヒトスジシマカは、
       冬までには死滅するというのだが、
       ここ鎌倉も11月まで蚊がいるので、まだ
       まだ気を許せない。


       ※ 有楽町でみた2階建ての東京観光バス。 
         車体には「東京ビューバス」と書いて
         あって、短い間に三台も見かけた。
         皇居の方に向かう一台は外人さんで
         いっぱいだった。        

デング熱

2014-09-06 15:33:30 | 雑記


      毎日のようにニュースで報じられている
      デング熱。

      代々木公園の八割が閉鎖され、それが
      新宿の中央公園までひろがり、こんど
      新たに横浜の海の公園でも発生し、
      公園が一部閉鎖されたというニュースを
      聞いた。

      そもそもデング熱、って何?

      デング熱に感染した蚊に刺されたこと
      によって生じるウィルス感染症で、
      熱帯病の一つ。

      2014年現在、予防ワクチンや治療薬は
      ない。

      あまりに奇妙な名前に私は最初、
      えっ、「天狗ねつ?」と思ったくらい
      だが、語源はこういうことらしい。

      英語の「ダンディ」にあたるスペイン
      語の「デングエロ」からきている。
      強烈に痛む背中をかばうあまり、
      背筋を伸ばした歩き方が「ダンディ」
      に見えてしまうことからこう呼ばれる
      ようになった、
      という、ウソのようなほんとの話。

      1780年代にアメリカで大流行し、
      日本では戦中、戦後、外地からもど
      った帰還兵によってウィルスが侵入
      し、そのときは数十万人もの感染
      者が出た。

      それからとんと聞かなかったデング熱
      がどうして今頃になって発生したのか、
      今後の検証を待つしかない。

      ※この間行った有楽町の国際フォーラム
       の中庭
       ちょっとした憩いの場であった。