一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

坂道文化

2017-09-30 08:20:30 | 読書


      このブログに何回も書いたが、
      鎌倉は海と山に面していて坂道が多い。

      平坦なところも無いではないが、
      私も一歩家を出れば、それなりにUP DOWN
      があり、毎日近くの山を好んでウォーキングして
      いる。

      階段だけでも三ケ所にあって、先日数えてみたら
      計200段。
      それに加えて、かなりの坂道を汗をかきながら
      上がったり下ったりしている。

      時々なんでこんな難儀なことをするのか、
      といった迷いも起こるが、
      最近はそれが快感になってきた。

      世には「坂道研究家」といわれる方がいることを
      知って驚いた。

      山野 勝 著 『大江戸坂道探訪』である。
                   (朝日文庫)

      それによると、
      東京には坂道がたくさんあるのだそうだ。

      江戸時代以前の坂道500、
      明治以降に造られた坂道140、
      合計 640。

      同じ所を通らないように全部歩くにはどうするか。
      地図を眺めつつ考えて3時間で歩けるコース。
      全部で48コースできたのだとか。

      江戸時代の名残も多く、
      面白い名前の坂道は結構ある。

      例えば、国会議事堂の西側の「三べ坂」
      周囲に渡辺、阿部、岡部の3大名の屋敷があって、
      3人の「べ」だから「三べ坂」。

      文京区のホテル椿山荘近くの「胸突(むなつき)坂」。
      急坂だから胸を突き出すようにして歩かなければ
      上れない。
      でも、上から見れば「尻こすり坂」。

      途中に団子屋があれば「団子坂」。
      
      等々、面白いエピソードがたくさん載っている。

      つまり、坂道は当時の人々の生活と密接な関係がある
      のですね。

      私の歩くのは名もない坂道ですが、
      あれこれ考えながら歩くのも風情があるもの。
      億劫がらずに足を鍛えるためにも歩かねば。
 
      
      
      

船を出すなら9月

2017-09-24 07:17:56 | 健康
  

       先日、私より8歳年上の友人に2年ぶりに会った。

       彼女は初期のパーキンソン病を患っているものの、
       精神はきわめて健康だ。

       娘一家と暮らしているのだが、
       最新の端末機(iPad)などの操作を孫から
       教えてもらい、ピアノの練習も欠かさない。
      
       月一回、先生に来てもらい、年末には老人ホーム
       などの演奏発表会にも出てその腕を披露している。
       そういう面では私の先輩でもあり、
       見習いたいところだ。

       その友人のやっている健康法は太極拳。
       10年以上にもなろうか。

       私は時々TVでみる太極拳の映像を思い浮かべ
       ながら話を聞いていて、それ以上の興味はない。

       ところが常々、腰が痛いといって、
       「なにをやっても治らないのよね」とぼやく私に、
       「あなた、腰には太極拳がいいわよ」
       と勧めてきた。
       
       そして無料の体験教室があるから、と教えてくれた
       のである。

       そして参加した「初級太極拳教室」ーー
       
       中国ムードたっぷりの音楽に合わせて、ゆるやかな
       動き。
       せっかちな私は最初、とまどったが、
       決して嫌いな雰囲気ではない。

       先生の話だと、
       体幹を鍛えるには太極拳は最適だという。
       
       問題は、
       ただでさえ、目いっぱいで余裕のない日々を
       どう調節して時間をつくるか。

       中島みゆきの歌ではないけれど、

        ♪ 船を出すのなら9月

       なのだ。

       目下、船を出そうか、出すまいか、
       迷っている。

       

         
     

荒れる秋

2017-09-23 10:00:00 | 雑記



      今日23日は秋分の日で祝日。
      なのに昨夜からの雨風で荒れ模様である。

      先週は台風が列島を掛けぬけてあちこちで大雨による
      被害をもたらした。
      みなさんのところは大丈夫だったでしょうか。
      被害にあわれた地方の方々にお見舞いを申し上げます。

      
      国会はにわかに浮上した解散風で大わらわである。
      大義は何か、新党のうごき、野党共闘云々と連日
      TVも報じている。

      何より油断できないのは、北朝鮮の不穏な動きであろう。
      国内が不安定では、不測の事態に対応できない。
      政府にはどんな事態であろうとも、盤石な態勢でのぞんで
      欲しい。
      狭い井戸のなかで与党だ野党だと、もめている場合では
      ないのだ。

      
      さすがにお彼岸となると朝晩は涼しくなって、
      あの賑やかに鳴いていた蝉たちはどうしたのだろう、
      と思ってしまう。

      鳥たちのエサになってしまったのか、はたまた
      朽ちたように樹から堕ちてしまったのか。
      今朝などは虫のすだく音は聞こえても、
      蝉の気配など絶無なのである。

      「あはれ秋風よ」
      と生命あるものの儚(はかな)さを感じずにはいられない。

      ところで
      「女心と秋の空」というけれど、
      あれは「男心と秋の空」ではないかしらん。

      「秋の空と男心は七度変わる」とか
      「夫の心と川の瀬は一夜にして変わる」
      というからねえ。


      ※ 雨風で折れた木の枝が山の散歩道をふさぐ

      

      

      
      

      
      

      
      

現代お墓事情

2017-09-16 06:15:03 | 雑記
    


       もうすぐ秋のお彼岸。

       9月20日が彼岸入りで、
       23日の秋分の日が「中日」、
       彼岸明けは26日である。

       日頃、先祖供養を充分していない私は、
       なんとかこの日前後にお墓参りをしたい
       と思う。

       もともとわが家の菩提寺は熊本にあり、
       亡夫の遺骨もそこのお寺さんに納めて
       まもっていただいたのだが、
       思い切って6年前に改葬した。

       亡夫の係累が絶え、私がお寺さんと
       最低限のお付き合いをさせていただいてきた。
       しかしながら、遠方のため、
       お参りもままならず、それが気になって、
       とうとう決断をしたのだった。

       横浜近くのお墓を購入して、
       (改葬は新しいお墓がないと出来ない)
       熊本から運んだ遺骨は計9個。

       亡夫、その両親、きょうだい、ほか、
       明治生まれのご先祖さまもおられ、
       九州から神奈川くんだりまで運ばれるご先祖
       さまを思うと気の毒になったが、
       仕方がない。

       だから私のお墓参りは、
       そうした先人に対する申し訳なさがあって、
       なかなか複雑なのである。

       ところが
       昨今のお墓事情はちょっと変わってきたこと
       を聞いて驚いている。

       いつかTVでやっていたが、
       都心に近い屋内墓苑や、
       夫と一緒のお墓に入りたくない一人お墓。

       さらに、
       ペットと一緒に入りたい女性が増えてきたらしい。

       時が変われば
       お墓事情も変わる。

       現実に未婚や離婚で「おひとりさま」が増えるなか、
       今後のお墓はどうなるのだろうか。

       ※ 昨日、車で走っていたら、田んぼのふちに
         彼岸花を見つけた。
     
       
       

プレ金、って

2017-09-15 14:02:49 | 雑記



       「プレ金、不調」
       の新聞記事を読んで笑ってしまった。

       プレ金とは、プレミアムフライデーのこと。

       今年2月に、
       政府と経団連など経済界が、
       官民一体で、毎月、月末の金曜日に早めの
       退社を促すよう、制定した。

       消費喚起につなげるためだ。

       ところが実態はーー
   
       月末はサラリーマンは忙しいし、
       「全く浸透していない地域もある」という。

       そうだろうと思う。
       身近に一家の主がプレ金で早く帰ってきた
       な~んて聞いたことがないし、
       プレ金のおかげで家庭団らんができた、
       なんてのも耳にしたことがない。

       だいたい、わが家は、
       その「全く浸透していない家庭の一つ」で、
       そのあおりを食っているのが私だ。

       娘は仕事で年末まで不在、
       そのパートナーも長期出張でいない。

       いきおい、子どもの世話や学校のこと、
       家政全般が私の一人にかかるわけで、
       つまり、何が不満かというと、
       やたら時間を消費するだけで、
       生産的なことを一切できないのがイヤなのだ。

       目下、昼も夜も緊張しっぱなしで
       気の休まるヒマがなく、ストレスがたまる一方
       ……。

       ああ、やめておこう。
       愚痴は身体によくない。

       図書館に行こうと路地を歩いていたら、
       どこからか、金木犀の匂いが漂ってきた。

       季節はうつろいでいる。


       
       

人生は七掛け

2017-09-10 06:52:27 | 人生



       還暦や古稀なんて、ひよっこ。

       ある生命保険(PGF生命)の調査によると、
       今年還暦を迎える男女1000人が、
       「気持ちは46歳、夢もある」
       と答えた人が多かったという。

       「自分の精神年齢は何歳と感じているか」
       という問いには、
         男性 45、9歳
         女性 46、9歳

       肉体年齢は、
         男性 53、5歳
         女性 54、1歳

       と7割の人が
       「還暦を迎える実感がわかない」
       と答えている。

       また、4人中3人が
       「まだまだやりたいこと(夢や目標)がある」
       と回答しており、
       「もう歳だから」とか
       「還暦だから」
       といった世間一般の風潮がいかに時代に
       そぐわないかが分かる。

       一方で、
       「身体能力の低下」や
       「年金制度の崩壊」
       といった老後資金への不安も抱えており、
       定年や子育てを終えてからの長い人生の
       課題も見えてくる。

       この歳になって思うのは、
       老後は急にはやってこない。
       40代、50代をいかに生きるかによって
       60代、70代の人生が決まること。
    
       人生は七掛け、
       古稀を超えた私も、
       上のデータからすれば、
       まだ50代に入ったばかり。

       老け込まないで
       日々、感動することを忘れずに生きたい、
       と切に思う。

  
       ※ 日中はまだ暑い今日の空

       

              

赤トンボ、きみはどこへ行ったやら

2017-09-09 06:49:13 | 自然


        二学期がはじまり学校によっては運動会の練習が
        はじまっている。

        夏休みの宿題から解放されて子どもたちも
        ほっとしていることだろう。
        かつて、我々の世代では男子の間で流行った
        昆虫採集だが、現代ではほとんど見られない
        ようだ。

        生き物の生命云々もあるだろうが、
        肝心の昆虫そのものが少なくなっていることに
        原因があるのかもしれない。

        先年なくなった詩人・加島祥造さんの著書、
        『伊那谷の老子』(朝日文庫)には、
        赤トンボの話が載っている。

        加島さんは東京育ち。
        20数年前、長野県の伊那谷に移住した。
        
        そこで視野いっぱいに広がる赤トンボに驚いた
        という。
        赤トンボ(アキアカネ)は秋の訪れとともに
        山から里に下りてくる。
        
        加島さんの見たのは雌雄連なって下りてくる
        途方もない、トンボの大群だった。

        それにしても思うのは、
        私も数年前、近くの畑から舞い上がるトンボの
        群れだった。

        その畑はたまに通る山路のとばぐちにあって、
        放っておくと、すぐさま雑草が小山のように 
        なってしまうのである。

        たまに、地元のおじいさんが耕しているのを
        見かけるが、
        その年はおじいさんの姿はなくて、
        荒れ放題になっていたのだ。

        そして、湧き上がった赤トンボの大群!!

        夢か幻か。
        私はいまでもあの光景を忘れられない。

        いまではその畑は60代の夫婦が手を入れて
        ピーマンやキャベツが植えられている。
        きっと働き者の農家なのだろう。

        今年は秋になったというのに、
        まだ赤トンボは一匹もみていない。

        赤トンボ、きみはどこへ行ったやら。
        

        ※ 地方に住む知人がトンボの写真を送ってくれた。
          こんな光景もしばらく見ていない。
        
        

        

ゆく夏

2017-09-03 07:31:17 | 雑記



         台風の影響もあり急に秋風が立ちはじめた。

         今朝などは思わず上着を羽織るほど、
         あんなにかしましく鳴いていた蝉はどこへ
         行ったのだろう?

         昨日の夕刻は法師蝉(ツクツクボウシ)が一匹
         鳴いていたけれど、
         耳をつんざくほどの蝉しぐれは、もはや忘却の
         かなたへと消えうせそう。

         「行く夏や何かさみしき思いあり」
                      (岩本セキ)

         そんな風情である。

         この「秋風が立つ」という言葉、
         もともと
         「男女間の愛情が冷める」
         という意味で使ったらしい。

         そういえば佐藤春夫の「秋刀魚の歌」にこんな
         のがあったわねえ。

         「あはれ
          秋風よ
          情(こころ)あらば伝えてよ
          --男ありて
          今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
          さんまを食(くら)ひて
          思いにふける と」

         この詩からはうらぶれた中年男しか浮かばない
         けれど……。

         話は変わって、
         現代の中学生はネットで愛の告白をするのが
         流行っているそうな。

         理由は、ネットだと
         「気持ちが伝えやすい」
         「素直になれる」
         からだとか。

         おまけに
         「断られたら冗談と云える」
         に至っては、
         今どきの子どもの本音といえそう。

         愛の告白は、
         「目と目を合わせてするもの」
         な~んて、古いんでしょうね。


         ※ 公園のブランコにぽつんと忘れ置かれた
           水筒。
           この水筒は無事、持ち主に戻ったのだろうか。
         
         

食べちゃいたいほど、可愛い

2017-09-01 15:37:35 | 読書



         「食べちゃいたいほど、可愛い」

         こんな言葉を何気なく使ったり、ちまたで聞いたり
         するが、これって愛の言葉なの??

         赤松憲雄(のりお)著の『性食考』を読んで
         考えてしまった。

         そもそも氏がこの本を書くようになったのは、
         この言葉を不思議に思ったのが発端だったという。

         氏によれば、
         学問的なアプローチよりも
         「日常生活の中で触れ合った人たちの何気ない
          言葉や、目にした光景がヒントになった」
         ということらしい。

         この本を読んであっと思ったのは、
         グリム童話の「蛙(かえる)の王さま」のくだり。

         あらすじを云うまでもないが、
         黄金のまりを泉に落として困っている姫に、
         カエルが2つの約束を要求する。
      
         まりを拾ってあげる代わりに、
         一緒に飲食すること。
         同じベッドで寝ること。

         私は(いい歳をして)うっかりしていたが、
         「同じベッドで寝る」
         といことは、氏によれば、
         性的な意味が含まれているのだという。

         ストーリーを急げば、
         2つ目の約束の履行をしつこく迫るカエルに対し、
         ついに姫はカエルを壁にたたきつけて殺してしまう。
         その瞬間、
         魔法がとけて、カエルは人間の王子となり、
         姫とめでたく結婚するという話である。

         つまり、
         童話なので、性的なことはぼかされているのだ。

         私は自分のうかつさにアハハ、と笑ってしまった。
         ちょっと考えれば分かりそうなものなのに、
         (かまととぶって)
         文字通りに受けとって深い読みをしてこなかった
         ことに。

         しかも、
         長年、何の疑問もなく、好きな本として身近に
         置いていたのだ。

         ああ、老いて気づく童話の怖さよ。

         アマゾンのキャッチフレーズにもありました。
         「食べちゃいたいほど、可愛い」
         このあられもない愛の言葉は
         ”内なる野性の叫び”なのか。
         さらに、
         「食べる/交わる/殺す」ことに埋もれた不可思議な
         繋がりとは何なのだろうか。


          『性食考』 赤坂憲雄著
                  岩波書店 ¥2916