一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

すべる話

2011-02-26 21:39:38 | 雑記
     高・大学などの入試シーズン、早いところは
     終わったのであろうか。
     この間、雪の日に足元がすべって、縁起でも
     ないが受験生のことを思ってしまった。
     受験生のいる家庭ではしばらくは「すべる話」
     は禁句だろうから。

     こちら家にこもってばかりではなくて、たまに
     はお上りさんのように東京にもゆく。
     先日、ちょっと会合があっていったのが早稲田
     のリーガロイヤルホテル。
     できて十数年にもなり、その間、母校の早大に
     も行っているのだが、いつもあわただしく帰る
     ばかりで、こんな立派なホテルがあるなんて
     知らなかった。
     しかも隣接した大隈庭園がうまく見えるよう
     な造りになっている!!
     (在学中、大隈庭園がこんなに素晴らしい
      なんて認識は全くなかった)

     時節柄、受験生らしき親子もいて、当の本人
     よりも親の方が緊張していた。
     かつてン十年前、一人で上京して高校の先輩
     の下宿にとめてもらい、翌日入試のために
     満員電車に乗った(はじめて!)者としては
     隔世の感がある。
     現代のホテルの親子とは真逆にあるようなもの
     だったけど、充分楽しかった。
 
     その先輩は兄妹3人が大学生で6畳間に暮らし
     いた。アルバイトをしながらの学生生活、
     それでも志は高く、希望に満ちていることは 
     見ていても分かった。
     現代にあっては、あの清貧ともいうべき
     貧しさは求めても得られないだろう。

     それでいいのだとも思う。
     その時その時で与えられた環境を生かし、
     精一杯頑張るしかないのだから。
     「すべる話」が思わぬ展開になってしまった
     が、それもこれも胸にしまって、あえて口に
     出すこともない。
     要はいかに思い出とうまく付き合うか、それ
     が当面の問題のようである。

     (写真はホテルのロビーにあった花)












     
     
   
     

春財布

2011-02-20 15:48:11 | 雑記
   「春財布」が縁起がいいなんてこと、全く知ら
    なかった。
    そんなことばすらあることも。

    だいたい、この私、物の管理ができない。
    財布においては
    「散歩用」(途中でパンなど買いたくなるので)
    「小外出用」(衝動的買物にも対応できるよう
      お札も何枚か入れて置かなければならない)
    「本格的な外出用」(いちばん余裕のある財布)
    ほかに
    「病院用」(診察券、保険証も入れて)
    「図書館用」(図書カード+帰りの買物のお金)
    といったように分けて、それぞれのバッグに入
    れておかないと、持って出かけることさえ忘れ
    てしまうのだ。
    
    時に、バッグと財布の組み合わせを間違えて
    パニック状態になったことも何度か。
    結果としてロクでもない財布ばかり増えて収拾
    のつかなくなった私を見かねて、家族が買って
    きたのがこれである。
    
    「春財布」とはつまり「張る財布」で、お金が
    たくさん入るという意味なんだって。
    では「春」とは??
    1月~3月の節句までという説と、12月末~
    新年の立春まで、いわゆる旧暦での「春」の
    ことらしい。
    まあ、新しい年度に向けて、気持ちの切り替え
    といった意味なのだろう。

    ところで写真のように、携帯(電話)よりやや
    大きめのガマ口タイプの財布(というより
    ポーチに近い)の使いみちをどうしよう。
    しばらくは銀行のキャッシュカードや量販店の
    ポイントカード入れになりそうだ。
    やはり金運up↑とは縁がなさそうです。
    

雪の東慶寺

2011-02-17 21:29:08 | 名所


     関東南部にも雪が降りました。
     やっぱり一気に春!とはいかないんですね。
     先週の連休は寒かったです。
     外は底冷えして冷蔵庫のよう、そんななか、
     客に付きあって北鎌倉まで足をのばしました。
     (写真は雪の翌日の東慶寺、まだ雪が残って
      いました)

     それでも梅目当てなのか、訪れるひとは多く、
     観光バスもいました。
     
     東慶寺といえば駆け込み寺、別の名を縁切り寺。
     昔、ここに身体を入れれば離婚が成立するとか、
     草履だけでもOKと聞いて、この山門をみると
     つい、戯画か漫画のようなシーンを思いうかべ
     てしまうのです。
 
     女性がほうほうのていで逃げてきて、最後追手
     に追いつかれそうになる。とっさの機転で片方
     の草履をポンと投げ入れる……。

     ハハハ、どこかでそんな映像見たわけではない
     が、目の裏に焼きついているのだから、よほど
     インパクトがつよかったらしい。
     イヤならさっさと別れて別の人生を歩んだ方が
     いいというのは現代の感覚で、三行半がまかり
     通った当時(江戸時代)のこと、女性の身を
     護る、その象徴がこの山門なのだ。
     

     でもなぜ、お寺にそんな力が?というと、
     ここ東慶寺には治外法権的特権のようなものが
     許されたのだという。
     東慶寺はそれだけ女性のために頑張ってきた寺!
     ということになる。
     
     
     

     
    

          

ねずみの奥さん 続き篇

2011-02-11 20:09:19 | 読書

     それからまもなく、ねずみの奥さんには可愛
     い赤んぼがたくさん生まれ、せわしない明け
     暮れが続く。
     ようやく一段落したある日、旦那さんが留守
     のひまに久方ぶりにハトのところにいって
     みると、ハトはしばらく会わないうちにひどく
     憔悴して、まちかねたように奥さんを抱きし
     めキスをしながら、もう来てくれないかと
     思った、と繰り返す。

     巣に帰った奥さんは、先に帰り着いた旦那さ
     んにひどく叱られ、耳をかまれる。
     その晩、ねずみの奥さんは眼がさえて眠れな
     い。そして考えた。
     ハトはあんなところで閉じこめられているべ
     きではない!

     明るい静かな月の夜。奥さんは旦那さんと子
     供たちの眠る巣からそっと抜けだす。そして
     ハトのところに急ぐと、籠の戸の掛金に飛び
     つき、必死でかじりついて戸をあけることに
     成功した。

     籠から脱出したハトは、もはや奥さんには
     目もくれず、つばさを広げる勢いで奥さんを
     ひっくり返らせたなり、明け放しの窓から
     木々の彼方へと飛びさってゆく。

     分かったわ、あれが飛ぶってことなのね。
     でも、これからはもう誰も森や丘や雲の
     ことを語ってくれるひとはいない……。

     夜空を見上げた奥さんの目には星影がまた
     たく。
     するとそれは、奥さんにはそれほど遠くな
     い、不思議でもないように思えてくるのだ
     った。
     星影はハトに教わったのではない。
     未知の境にありながら、奥さんが自分自身
     の目で見つけたものなのだ。
     奥さんの胸にある確かなものがめばえる。
     誇りというか自信といったもの……。

     その晩ねずみの奥さんのしたことは、本人
     のほか誰ひとり知りません。家主のミス・
     ウイルキンソンすらも、どうしてハトが
     逃げだしたのか、ついに分からずじまいで
     した。

     ☆実は、物語はこれでお終いではない。
      次のように続くのだが、これが要るか
      要らないかは意見が別れるところだろう。

     (続)ねずみの奥さんはいまでは大変年を
     とって、走るのもむずかしくなってしまい
     ました。でも、その曾々孫たちからとても
     敬われています。
     このひとは見かけこそあたりまえですが、
     どこかしら他の仲間とはちがうのです。
     たぶんそれは、みんなの知らない何かを
     知っているからでしょう。

     ☆どうでしょう。子供向けだからこんな
     ことをつけ加えたのかも知れないが、
     わたしは無いほうが好き。
     その後どうなったか。それを読者に考え
     させ、余韻を持たせたほうがずっといい
     ような気がするのですが。
    
 

ねずみの奥さん

2011-02-09 02:15:45 | 読書
     これは子供のための本なのだろうか?
     私の貧しい読書遍歴の中でも特に気になって
     いる本。
     ただし、記憶では矢川澄子さんの訳で読んだ
     ような気がするのだが、いくら探しても見つ
     からないので、写真は下記のものを。

      『ねずみ女房』(福音館)
        R・ゴッデン作 石井桃子訳
       
     多少、訳者によってニュアンスが違ってくる
     かもしれないが、記憶にもとづいて記したい
     と思う。     

     主人公は一匹の奥さんねずみ、ごくありふれた
     家ねずみの♀。
     見かけといい、そのいとなみといい、とりたてて  
     他の家ねずみと変わったところはない。
     けれどもたった一点だけ、他のねずみと違うとこ
     ろがある。
     それは、何か足りないという気がしてならない
     ということ。
     それが何であるかは、奥さん自身にも分からない。

     旦那さんねずみは、それにひきかえ、目の前のこと、
     日々のエサのことしか頭にない。
     「何が不足なんだね?」
     時々じっと窓の外を見つめている奥さんに尋ねる。
     「なぜ、チーズのことを考えないんだね?」
     家ねずみにとっては、家の中がすべて。
     窓の外の天地は別世界、未知の彼方なのである。

     ある日、この家に一羽のハトが加わる。
     別世界からやってきて人間の手にとらえられた
     このハトは、狭い鳥籠にとじこめられ、エサさえ
     受け付けない。
     はじめはおそるおそるエサの豆をぬすみに鳥籠に
     出入りするようになった奥さんだが、いつしか
     このハトの身を案ずるようになる。
     ハトにとって奥さんの存在は救いであり、慰めで
     もあった。

     ハトは戸外の山野をのびのびと飛び回る自分た
     ちの生活を語りはじめる。でも、
     「飛ぶって、どういうこと?」
     としか云えない奥さん。
     ハトはあきれて、やって見せようとして籠の枠に
     ぶつかり、再び力なくうなだれる。
     ねずみの奥さんはなぜか、その姿に深く心を動か
     されはじめる。 

     (長くなるので次回に譲ります)     

     
     
         

光の春

2011-02-06 17:13:18 | 季節
    冬来たりなば春遠からじ

    立春以降、いくらか暖かい日が続いている
    が、まだまだ油断できない。
    とはいっても日差しは明るく、光の春と
    いったところであろう。

    (北の地域ではまだドカ雪との格闘が続いて
    いるというのに)、二宮(神奈川)の吾妻山
    公園はごらんのように(1月末で)菜の花が
    満開である。
    鎌倉に蟄居して周囲何キロかをウロチョロして
    いる間に、春はとうに来ていたのだ。
    菜の花といえば、
 
     菜の花や 月は東に 日は西に
                与謝蕪村

    の句がすぐに思い浮かぶ。
    一面の菜の花はいかにも春らしい情景といえる。
    いまではすっかり観賞用となってしまったが、
    かつて菜種油は非情に貴重なものだった。

    江戸時代から明治にかけて照明用の油の多くが
    菜の花のタネ(ナタネ)から採っていたという。
    農民は裏作や農地に菜の花を栽培し、それを油
    問屋に売って手っとり早い現金収入源としたら
    しい。
     
    そういえば樋口一葉も灯火を惜しんで読書や、
    賃稼ぎの縫物をしていたのだった。
    仕立物を仕上げてから机に向かうのだが、
    眠くてちっとも書けないとなげいている。
    才女の一葉にしてこの悩み、いわんや凡人に
    おいてをや。

    

    

     

鎌倉プチ散歩 4

2011-02-02 15:40:49 | 雑記


     ああ、じれったい。
     かゆいところに手が届かない、そんな感じ
     がずっと続いている。
     仏語の意味が分からないのだ。

     この間のTree House の近くの細い小径
     (こみち)にオアシスのようなものを
     見つけた。
     もちろん私が勝手にそう思っているだけなの
     だが。
     家と家の間の、2m幅ほどの小径に導かれた
     テラス。
     (すみません、撮影の仕方が悪くて反射光
      が邪魔になってしまいましたが、奥には
      小さなテーブルと椅子が2つほど)

     おそらく前方にひろがる海をのぞみながら
     コーヒーでも喫み、しばし思索にふけったり、
     親しい友達と談笑するためのものであろう。
     小径には石畳と大きな樹木、真ん中へんに
     小さな噴水(写真では左側)もあって、
     誰もいないのに水が豊富に湧き?出ている。

     そしてテラスの下は、あのTree Houseどころ
     ではない断崖絶壁!
     (ここらあたりは鎌倉山のてっぺんにあたる
      ので、地形的にどうしてもそうなる)

     主は右の家の人か、左の家の人か分からない。
     ちゃんと門があって、それにはこんな表札が。

      「Mon bijoux sage」

     ”わたしの愛すべき賢者”
     ”わたしの大好きな宝石箱”

     なんとなくそんな風に思っているのだが、
     正しい訳は分からない。
     引っ越し以来、仏語はおろか英語の辞書も
     出てこないのだ。
     だれか仏語のわかる人、意味を教えて下さ~い。
     
     こんなじゃ、とても翻訳者にはなれない。
     そのことだけは分かった。