
沖縄・うるま市の教師、宜野座由子さんは2004年に韓国「ナヌムの家」(写真)で李玉善ハルモニに出会い、翌年ハルモニを沖縄に招いて証言集会を開きました。
ハルモニの死去にあたり、宜野座さんは沖縄タイムスに「性奴隷の歴史継承を決意」と題して投稿しています(6月13日付「論壇」)。
この中で、2002年に初めて「ナヌムの家」を訪れたときの衝撃を述懐しています。
「今までの沖縄戦の学びで、一度も「慰安所」のことを聞いたことがなかった。朝鮮から強制的に連れてこられた女性たちが沖縄戦において「慰安婦」とされてきた事実は、沖縄戦の学びの中で欠落していたのだ。さらに弱い立場に立たされた朝鮮人「慰安婦」の視点で沖縄戦を捉え直す必要を強く感じた」
そしてこう決意します。
「ハルモニの言葉を胸に刻み、ハルモニの歴史がゆがめられたり消されたりすることがないよう、今度は私が語り部となり平和を創っていきたい」
「沖縄戦の学び」の中で「慰安婦」が欠落していた―。驚きの指摘です。今はどうなのでしょうか?
琉球新報は先に文化面で「歴史修正と沖縄戦―西田発言を問う」と題した連載をしました。その中で沖縄・名桜大学准教授の玉城福子さんが、「共感共苦の境界線」(文化人類学者・米山リサ氏)をテーマに、こう書いています。
「もし(西田昌司)議員の発言が日本軍「慰安婦」問題を否定する発言だった場合、今回のような抗議の拡がりがあっただろうかと考えてしまう。歴史修正主義による「慰安婦」の歴史への攻撃とひめゆり学徒の歴史への攻撃に対して湧き上がる私たちの感情が異なるとしたらなぜだろうか」
「「慰安婦」被害にあった女性のみならず、障害者、病者などのマイノリティ(少数者)は、戦争の際により大きなしわ寄せを受けるが、その経験は表に出づらい。…よく知らない者へ共感を持つことは難しい。つまり、共感の対象は無限に広がっているのではなく。境界線が存在するのだ。米山はこれを「共感共苦の境界線」と呼んだ」(6月3日付琉球新報)
玉城さんは2023年に沖縄における平和教育をテーマに小学校教師にインタビュー調査をしました。その結果は、「日本軍「慰安婦」、朝鮮人、障害者、ハンセン病者の沖縄戦体験を取り上げている先生はほとんどおらず、利用できる資料や映像について知らない人が大半」(同)でした。
玉城さんはこう強調します。
「歴史修正主義との闘いにおいて、共感共苦の境界線の限界を常に意識する必要がある。私たちはもっと多くの沖縄戦の経験を聴かねばならない。
多様な沖縄戦の体験者の声には、戦争をする国にさせないということに加え、私たちの日常の中にある暴力、すなわち性暴力被害者、障害者や病者への偏見を解体する力が秘められている」(同)
「沖縄戦の学び」の中で「慰安婦(所)」が欠落していた(している)のはなぜなのか。その根源を究明する必要があります。玉城さんが指摘する「日常の中にある暴力」とは「日常の中にある差別」と同義でしょう。
宜野座さん、玉城さんの指摘は、今後の沖縄における「平和教育」への提言であると同時に、それ以上に、「本土」で沖縄戦をどう教え、どう学ぶかについての問題提起にほかなりません。