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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「闘いの島」済州島④ 「歴史のないところに、人間の存在はない」

2017年11月14日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

      


 日本は「4・3事件」とけっして無関係ではありません。そもそも、日本の植民地支配がなければ、アメリカによる朝鮮支配戦略も、「4・3」もなかったでしょう。

 それだけではありません。「4・3」と日本にはこんな関係もあった、とチェ・ソンヒさんが教えてくれました。
 「なぜチェジュだけがアメリカが仕組んだ南の単独選挙(1948年8月)に抵抗することができたのか。その理由の1つは、たたかいを指導した人たちの多くが、大阪から帰ってきた知識人だったことです」

 「1923年に君が代丸で多くの済州人が大阪へ向かって以来、日本への移住がさかんに行われ、1930年代にはチェジュ島の人口約20万人に対し日本にチェジュ島出身者が約5万人もいたほどです」。国立済州大学校在日済州人センター(写真左)の金泰植(キム・テシク)専任研究員(写真中)が説明してくれました。「チェジュと日本とのつながりには百年近い歴史があるのです」
 チェジュの名産となっているみかんも、60年代に在日済州人が寄贈した苗木から広まったもの。みかんの前から道路、電気、水道。学校など生活基盤の多岐にわたって在日済州人からの支援が行われてきました。
 そうした在日済州人への恩返しの1つとして造られたのが済州大学校在日済州人センターです。道民協会の推薦を受けた学生には特別な奨学金が支給されるのもその一環。在日済州人の配偶者と子どももセンターでは在日済州人と定義しています。

 解放(1945・8・15)後、移住者が多かった大阪からインテリ層がチェジュに戻り、「4・3」のたたかいの中心になりました。日本の植民地からの解放が、すぐに祖国のたたかいに力を与えたのです。

 帝国日本軍が行った南京爆撃の出撃基地・アルトゥル飛行場については先に述べましたが、2014年、「南京大虐殺77年追悼式」がチェジュ島で行われています。本来日本で行われてしかるべき追悼式がなぜチェジュで行われたのでしょうか。
 追悼式と同時に行われた「アルトゥル飛行場から南京を見つめる」と題したシンポジウムの資料にこう記されていました。

 「南京大虐殺追悼式を済州で開く理由は、この間出会うことのなかった済州と南京の苦しみが出会うための必然的な過程であるためです。済州での追悼式を通し、済州が南京爆撃に利用された島であり、また現在も中国をけん制するため軍事化の道を歩もうとしている島として、済州が南京の過去と現在、そして未来まですべてつながっていることに気づく時間としたいと思う」

 追悼式に出席したチェさんはこう振り返ります。「島という場所がどのように国境を越え、犠牲者という立場を越えて、主体的に行動していけるかについて考える機会になった」。

 チェさんはまた、ベトナム戦争にも無関心ではいられないと言います。韓国軍がアメリカ軍の指揮の下でベトナム民衆を殺戮した戦争です。「戦争の加害責任に主体的に向き合うことによって、これから私たちが進むべき道が見えてきます

 南京大虐殺の事実さえ消し去ろうとする政府を持つ日本と、植民地支配の被害者だったにもかかわらず南京爆撃の「加害責任」に向き合おうとしているチェジュの人々。なんという落差でしょうか。ベトナム戦争にも日本はアメリカに追随して事実上参戦しています。

  別れ際にチェさんが言いました。「韓国も日本も巨大な怪物のお腹の中でたたかっている。お互いの力だけでは勝てない。韓国の市民と日本の市民の力を合わせよう。若者の力を信じよう」。何度も繰り返しました、「力を合わせよう」と。

 カンジョン基地の近くには基地建設に反対した当時の看板がそのまま残されています。その中に、『火山島』の作者・金石範氏の言葉を記したものがありました(写真右)。

 「記憶が抹殺されたところには、歴史がない。歴史がないところには、人間の存在がない

 植民地支配、東アジア・太平洋戦争、戦後の分断、「4・3」、朝鮮戦争…朝鮮半島の苦悩の現代史はそのまま日本の現代史です。私たち日本人はその歴史から、加害の歴史から目をそむけることは許されません。歴史に正面から向き合う。そうでなければ「人間としての存在」はない。それを胸に刻んだチェジュの旅でした。

<チェジュレポートは今回で一応終わりとし、次回は別のテーマで、明日書きます。>

  

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