

中東カタールの衛星放送局アルジャジーラの記者シリン・アブアクレさん(51)が5月11日、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区で、イスラエル軍の「対テロ」作戦を取材中に銃撃を受け、死亡した。
シリンさんは1971年にエルサレムで生まれ、97年にアルジャジーラに入社。「パレスチナの声」を伝え続けたシリンさんを多くの市民が涙で送った。
紛争地・戦場で取材中に命を落とす記者は希ではないが、市民からこれほど惜しまれるジャーナリストはそう多くないだろう。それはもちろんシリンさんの仕事・人柄によるだろうが、メディアとしてのアルジャジーラへの信頼も無関係ではないだろう。
私は直接アルジャジーラの報道を見ることはないが、ウクライナ情勢についてのアルジャジーラの報道ぶりを、師岡カリーマ・エルサムニーさんがこう書いている。
「BBCなどの一部記者に見られるような、詩的な言葉遣いでやや自己陶酔の気がある勿体ぶった戦争報道に辟易していた私から見ると、アルジャジーラのほうが客観的だ。…「首都キエフ近郊の町でロシアの砲撃」とウクライナ政府が発表すれば、その直後にはアルジャジーラの記者がそこから生中継で真偽を検証する。背景にはまだ遺体が転がっていて、記者は今その場で目撃したことを、震える声で言葉に変えていく」(「世界」臨時増刊所収)
こうした取材がパレスチナでも日常的に行われ、シリンさんはその最前線に立ち続けていたのだろう。政府が決めた「渡航自粛」に唯々諾々と従って現地にも行かず、もっぱらウクライナ政府や米政府の発表を垂れ流す日本のメディアとなんと違うことか。
どんな困難にも勇敢に立ち向かうシリンさんの姿が想像されたが、彼女を慕っていためいのリノさん(27)が語る日常のシリンさんには違う姿があった。リノさんを取材した朝日新聞がこう伝えている。
「リノさんも、シリンさんにあこがれた一人だった。「現地へ足しげく通い、夜には電話で人々の声に耳を傾けていた」。近くで見守るうち、自分もジャーナリストになりたいと考えるようになった。
何度もその気持ちを打ち明けたが、おばであるシリンさんは一度も賛成してくれなかった。「この仕事は危険を避けられない」と繰り返していたという。
「彼女の仕事の話を私がしようとすると嫌がる理由がずっとわからなかった。でも今わかった。できることなら知りたくなかった」
涙を浮かべて話した」(15日の朝日新聞デジタル)
愛するめいがジャーナリストになることにけっして賛成しなかったシリンさん。仕事に命を懸けていた。死の恐怖は常にあったはずだ。それを乗り越えられたのは、恐怖を上回る使命感があったからだろう。
日本のメディアの記者は死を覚悟しながら仕事をする必要はない。今のところない。だが、「死ぬ」ことはある。生きながら、記者としてジャーナリストとしての命脈を断たれることはある。国家権力への有形無形の従属は、ジャーナリストとしての「自死」に等しい。
それはメディアの記者だけではない。フリーのジャーナリストにも「市民」にも、同じ「自死」はある。
シリンさんが死を覚悟しながらジャーナリストとしての生を貫いたように、日本のジャーナリスト、日本人、私にも、それ相応の覚悟が求められているはずだ。