「(米海兵隊は)軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的には沖縄しかない」と、防衛相を辞める前に本音を漏らした森本敏氏が、2日夕方のニュース番組(テレビ朝日系)で、「後藤健二さん殺害」に関して、また本音を吐露しました。「アメリカを批判して日米同盟を分断するようなことがあってはならない」
「人質事件」以降、安倍政権やアメリカを批判することが、あたかも「非国民」といわんばかりの空気が漂っています。きわめて危険なことです。
いまこそ、安倍政権、アメリカ、そして日米軍事同盟の危険な実態を明らかにしなければなりません。
「全ては2003年の米ブッシュ政権のイラク攻撃から始まった」
ジャーナリストの池上彰さんは、後藤さん殺害の背景をこう指摘しました(2日付朝日新聞)。「フセイン政権を倒せば、両派(スンニ派・シーア派)が殺し合うことは当然、予想できたはずだ。・・・その結果、国家が崩壊、内戦が始まり、『イスラム国』の前身だった過激派が組織されていった」
後藤さんと同じく中東など紛争地域で取材を続けているフリージャーナリストの志葉玲さんも、「端的に言えば、イスラム国はイラク戦争が産んだモンスター」だと指摘します(3日付共同配信)。「バグダディ指導者はイラク出身。側近2人も、もともとは旧フセイン政権の軍人である」。
そして、「イラクを占領した米兵はテロ掃討作戦の名目で、地域の男性、ときには女性や未成年まで、テロに関与した証拠もなく拘束。収容所では全裸にしての殴る蹴るの暴行、電気ショックや性的虐待などが繰り返された」。
残虐な行為は「イスラム国」だけではありません。こうしたアメリカによる「イラク占領、拷問が過激派を生んだ」のです。
フセイン政権が「大量破壊兵器」を持っているという真っ赤なウソを口実にアメリカが始めたイラク戦争。日本(自民党・小泉政権)は、イラク・サマワに中東としては初めて自衛隊を派遣し、参戦したのです。この時も自民党政権の言い分は「人道的支援」でした。
しかしその実態はどうだったか。豊下楢彦さんはこう指摘します。
「自衛隊は、本来の任務であるはずの人道復興支援活動を“独断”で越えて、二万四〇〇〇人近い米兵の輸送活動さえ行っていたのである。だからこそ二〇〇八年四月に名古屋高等裁判所は。こうした自衛隊の活動を、イラク特措法違反であるばかりでなく憲法九条一項に違反する、と判決を下したのである」(『集団的自衛権と安全保障』)
「イラク戦争が米国が主導した不正義の戦争であれば、事実上米軍の活動の一翼を担うということは、いわゆるテロリストばかりでなく、イラク現地の人々からすれば、自衛隊が米軍と『一体』と看做されることになるのである」(同)
イラク戦争は日本の「中東政策」「自衛隊海外派兵」の大きな分岐点だったのです。
「今日の集団的自衛権をめぐる議論を展開する大前提として、イラク戦争の総括が不可欠であることは明らかであろう」(豊下氏、同)
ところが、日本(自民党政府)は、この「イラク戦争の総括」を今に至るまで放棄したままなのです。
後藤さんと同じように、中東地域で子どもたちや市民の救援を続けている高遠菜穂子さんが、以前(2013年3月25日)那覇市内で、「憲法9条とイラク戦争」のテーマで行なった講演を思い出しました(写真右)。
高遠さんは、イラク戦争に参戦したオランダやイギリスがその是非をいち早く検証し、参戦が誤りだったという膨大な報告書(例えばオランダは550㌻)を公表したのに対し、「日本はペラ4枚。しかもウソばかりの紙ですまそうとしている」と指摘。「アメリカを支持し参戦した経過、自衛隊派遣の是非、ODAの実態を第3者機関で検証し、公開しなければならない」とし、安倍政権の集団的自衛権行使容認や憲法9条改定に対し、「それがどういう事態を招くか、判断材料がイラク戦争にどっさり入っている。それを知ったうえで議論する必要がある」と力説しました。
そして、こう強調しました。「イラク戦争は日本の戦争です」
豊下さんや高遠さんの指摘・懸念が、大変悲しい形で現実のものとなりました。
「日米軍事同盟」の下でアメリカに追随することが何をもたらすか。私たちは少なくともイラク戦争にさかのぼって検証し、それをもとに、集団的自衛権行使の是非はじめ、これからの日本の進路を考え、選択しなければなりません。
後藤さん、湯川さん、そして多くの市民の犠牲を無駄にしないためにも。
石川文洋さん(報道カメラマン)は講演(5日、福山市内)で、ベトナム戦争を4年間取材した体験から、こう断言しました。
「戦場では米兵は民間人でも見れば撃つ。日本の自衛隊もそう訓練している」
さらに集団的自衛権行使容認の危険性に触れた石川さんは重ねてこう指摘しました。
「戦争になれば自衛隊は相手を殺す。そのための訓練をしている。…フツウの人が軍隊に入れば変わるのです」
自衛隊は軍隊であり、戦争になれば(巻き込まれれば)、自衛隊は軍隊として相手の兵士を殺す。それが戦争であり、軍隊というもの―この当たり前のことを、石川さんの話は改めて強く思い起こさせてくれました。
そしてこの自明なことが、いま、日本では忘れられようとしています。いいえ、忘れさせようとする国家権力の政策が浸透してきています。
御嶽山で警察、消防とともに救助活動を続けている自衛隊員の苦労は並大抵ではありません。ほんとうに頭が下がります。
しかし、あれは本来の自衛隊の姿ではありません。先日、現地の自衛隊責任者がいみじくも言いました。「持てる戦力を最大限に投入する」(写真右)。
彼らにとっては、災害救助の人力・機材も「戦力」なのです。まさに自衛隊は軍隊であり、軍隊の本分は「戦う」ことなのです。
この自衛隊の本質が後景に追いやられ、災害救助活動のたびに、「人を助ける自衛隊」のイメージが作られています。連日テレビにはいかに自衛隊が奮闘しているかが、「自衛隊撮影」の写真によって流されています(写真左)。
こうして自衛隊の誤ったイメージが流布されることは大変危険であり、絶対に軽視することはできません。
それは「人を殺す軍隊」への違和感がなくなること、いいえそれどころか親近感さえ醸成されることになるからです。
こうした動向が、集団的自衛権行使容認による憲法9条空洞化と密接不可分であることはいうまでもありません。
災害救助の使命に燃えて自衛隊に入隊する若者たちが、戦場で人を殺し、殺されることになるのです。
災害救助については、この「日記」でもたびたび言ってきましたが、自衛隊に代わる専門の「災害救助隊」を創設すべきです。
いま軍事費(防衛予算)に投じられている「5兆円」の5分の1でも「災害救助隊」に予算を付ければ、自衛隊員の雇用確保はもちろん、災害対策の機材導入・研究開発に多くの予算を使うことができます。
残った4兆円は、医療や年金、教育に回せます。
石川さんの講演での至言をもうひとつ。
「軍隊は民間人を守らない。それは沖縄戦で明白です」
<気になるニュース>
「海軍グルメフェスタ」の“盛況”
広島県呉、神奈川県横須賀、長崎県佐世保、京都府舞鶴の軍港4市から、「海軍カレー」など海軍ゆかりの料理を集めた「海軍グルメフェスタIN呉」が12日開催され、3万2千人(主催者発表)が集まりまりた。(写真)
参加者の1人は、「呉と舞鶴の肉じゃがは味の濃さに違いがあって興味深かった」と話しています(中国新聞)。
その前日に日米防衛協力指針(ガイドライン)の見直し案が明らかにされ、集団的自衛権行使によって、呉から、横須賀から、佐世保から、舞鶴から、自衛艦が地球のどこまでも出撃することになることを、どれだけの人が知って、カレーや肉じゃがを食べたのでしょうか。
今日(30日)の「花子とアン」(NHK朝ドラ)で、戦時中のラジオ局幹部が豪語しました。「われわれ(ラジオ局)は国民に国策への協力を促す立場にある」。
その言葉が決して過去のことではない、と思わせることが、同日尾道市でありました。
「瀬戸内水軍まつりin尾道」で、航空自衛隊の曲技飛行隊「ブルーインパルス」(青い衝撃)によるアクロバット飛行が行われたのです(写真左はウィキペディアから)。
それ自体、自衛隊の国民浸透戦略の一環として絶対に軽視できません。が、さらに驚くべきことがありました。
地元・尾道市のコミュニティ放送「エフエムおのみち」が、なんとこれを特別番組として生中継したのです。
中継は、まつりのメーン会場などをつなぐ3元中継。「ブルーインパルスを通して航空自衛隊を知っていただき、みなさんに夢と感動を与える」などという、会場に流される観客向けの現役自衛隊パイロットによる解説を約25分間、そのまま放送するという念の入れようです。
「エフエムおのみち」のは、「ラジオを片手に華麗な飛行を楽しんでもらいたい」(28日付中国新聞)、「ブルーインパルスを応援しよう」(当日の放送)とまで言っています。
「エフエムおのみち」だけではありません。
中国新聞が6月に「自衛官になる」と題して海上自衛隊呉教育隊をルポした連載は、あまりにも無批判に自衛隊を賛美するものだと、この「日記」にも書きました。その取材記者の顔写真付き感想記事が、29日付の「オピニオン」欄に載りました。
記事のタイトルは「海自 頼もしき若手たち」。記者は集団的自衛権行使容認の閣議決定や、土砂災害での自衛隊活動にふれ、「多様化する任務とこれから向き合うことになる若い隊員たち。厳しい現実も受け止めながら、成長していくのだろう」とエールを送っています。
集団的自衛権行使容認によって、自衛隊は“戦争をする軍隊”へ本格的に大きく変貌しようとしています。
それだけに隊員確保も含め、政府・防衛省は自衛隊に対する国民の違和感を払拭し、批判をかわすことに躍起になっています。
日本のメディアは今、自衛隊をどう報道するのか、その本質をどう伝えるのか、大きな責務に直面しています。
とりわけ「被爆地・平和都市」広島のメディアの責任は重大です。
しかしその現状は、あまりにもお粗末で、危険なものだと言わざるをえません。
沖縄はどうでしょうか。
沖縄県内で自衛官募集の業務を一部受託実施する市町村が35、全41市町村の85%と過去最高に上っていることが報じられました(沖縄タイムス8月4日付)。
沖縄でも自衛隊の八重山諸島への増強とともに、県民浸透作戦が確実に進行しています。
県内メディアが自衛隊への批判精神を堅持することができるかどうか。米軍基地問題とともに、自衛隊の増強・強化に対する県民の監視・批判が不可欠です。
<気になるニュース>
見過ごせない自衛隊の宇宙進出
「宇宙から画像収集強化 防衛省方針 JAXAと協力推進」(29日付中国新聞、2面2段)。
「防衛省は28日、宇宙からの画像収集能力の強化や、弾道ミサイルの発射や兆候を早期に探知するための技術開発、宇宙監視部隊の創設などを柱とする新たな宇宙開発利用に関する基本方針を決定した」
中国新聞はこう”客観報道”しています。
しかしこれは聞き流すことができない、きわめて重大な動きです。自衛隊が宇宙に進出し、宇宙軍を創るという計画にほかならないのですから。
防衛省の発表を無批判に垂れ流すこうした報道が、防衛省戦略の広報にほかならないことを、メディアは強く自覚すべきです。
広島市安佐南・北区を襲った土石流事故は、大惨事となりました。行方不明者の一刻も早い救出と、復旧が望まれます。
その中で、警察、消防とともに、自衛隊の活動が連日大きく報道されています。現場の自衛隊員の活動には敬意を表します。
しかし、こうした自衛隊の災害救助活動とその報道を見るにつけ、強く感じるものがあります。
偏った自衛隊中心報道・・・1つは、テレビ(特にNHK)の報道が、自衛隊中心に偏っていることです。例えば、上記写真2枚はいずれもテレビ報道からですが、テロップには「自衛隊」の文字が頻繁に出てきます。
実際に救助にあたっているのは、警察1700人、自衛隊650人、消防280人といわれています。自衛隊は全体の約4分の1ですが、まるで自衛隊中心に救助が行われているような印象を与えます。「夜通し救助や捜索」を行っているのはもちろん自衛隊だけではありません。
こうした偏った報道が、自衛隊への誤った印象を与えます。
新たに海上自衛隊呉地方総監に就任した伊藤俊幸海将は新聞のインタビューで、「(災害支援などで)自衛隊反対を叫びにくい時代になった」(中国新聞8月14日付)と豪語していますが、その背景にこうした報道の偏りがあることは明らかです。
武器開発に比べ遅れている災害救助技術・・・救助活動は人海戦術によるところが多いといわれています。私は門外漢ですから、災害救助技術の現状は知りません。ですからあくまでも印象ですが、日本の災害救助の方法・手段の開発は遅れているのではないでしょうか。とりわけ武器開発と比べて。
5兆円を超える日本の軍事費。オスプレイや無人戦闘機を購入したり開発したりする財源・技術があるなら、それを災害救助の技術開発に回すべきです。
自衛隊の災害救助隊への改組は急務・・・災害救助技術の開発と不可分なのが、自衛隊の改組です。
「3・11」にしても今回の災害にしても、被災者が救援活動を行う自衛隊に感謝するのは、警察、消防以外に災害救助にあたる組織が自衛隊しかないからです。
しかし、いうまでもなく自衛隊は軍隊です。「本分」は戦闘・戦争です。その自衛隊が災害救助活動にあたることから、国民の間に自衛隊という軍隊を「支持」し、「反対を叫びにくい」状況がつくられているのです。
これが歴代自民党政権の狡猾なやり方です。
地球温暖化に伴う気象異常は今後ますます進み、災害の多発が懸念されます。
今こそ、憲法違反の軍隊である自衛隊を、災害救助隊に改組すべきです。
それは市民の願いであるとともに、災害救助の使命感に燃えて自衛隊に入隊する多くの隊員の本意に沿うことにもなるでしょう。
<気になるニュース>
異常に高い日本のギャンブル依存症。どうなる「沖縄のカジノ」
中国新聞(21日付)によれば、「ギャンブル依存症の疑いがある人が、国内に500万人以上いる」とする推計を厚生労働省の研究班が初めて発表しました。
「成人の約5%に上り、世界のほとんどの国が1%前後にとどまるのに比べ日本は非常に高い割合と警告している」
「政府はカジノを中心とする統合型リゾート施設の導入に向け、準備作業を加速させているが、(研究班の)樋口代表は『ギャンブルには必ず負の側面がある』と慎重な議論を求めている」
沖縄の仲井真弘多知事は沖縄にカジノを誘致することに躍起になっています。
万一沖縄にカジノができれば、いまでも多いと言われている沖縄のギャンブル依存症はさらに高まり、同時に沖縄の観光は大きく変質していくでしょう。
11月の県知事選では、辺野古新基地とともに、カジノ問題も大きな争点です。
立候補が取りざたされている翁長雄志那覇市長の「カジノ問題」に対する見解・政策を聞きたいものです。
※前回の「日記」で、二松学舎の創設者を「三島中洲」とすべきところを「三島三洲」としてしまい、読者からご指摘を受けました。お詫びするとともに、ご指摘に感謝いたします。
9日午後11時からのNHKEテレ・ETV特集「“戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開」は、貴重なドキュメンタリーでした。
太平洋戦争末期の集団学童疎開で、最後まで取り残された肢体不自由児の都立光明特別支援学校(世田谷区)。
当初校庭に防空壕を掘って避難していましたが、松本保平校長の文字通り献身的活動で長野県への疎開が実現し、寸前のところで大空襲を免れました。
番組は、残されていた貴重なフィルムや当時の生徒の証言をもとに、戦争で障がい者が最も犠牲になること、その中で、教師(松本校長)の子どもたちへの愛情と勇気が、逆境を切り開き、戦後の障がい児教育の礎を築いた(1979年の肢体不自由児の義務教育化など)ことを、感動的に教えてくれました。
集団学童疎開が、決して子どもたちの安全を考えて行われたものではなく、「将来の国防力の培養を図る学童の戦闘配置」(1934年6月閣議決定「学童疎開促進要綱」)に他ならなかったこと、だからこそ「虚弱児等は集団疎開に適さない」とされたことを、私たちは忘れてはなりません。
これが戦争の本質なのです。
戦後、松本校長がテレビ番組で、「戦闘機1機分の予算があれば特別学校が10から15はできる」と語っていたのは、今日にもそっくりあてはまるまさに卓見です。
NHKも8月にはいい番組をやるんだと思いながら(ETV特集はいい番組が多いです)、翌10日午後9時からのNHKスペシャル「60年目の自衛隊」(写真右)にも期待しました。
その期待は見事に裏切られ、NHKに対する幻想は一掃されました。
少しはジャーナリスティックな視点で、今日の自衛隊の実態を追ったのかと思いきや、全編、自衛隊幹部(久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校長や佐世保基地元海将)のインタビューと幹部候補学校の訓練の紹介です。
幹部候補生学校では「史実をもとに戦史授業」が行われているとか、イラク派遣ではいかに現地の人に感謝されたかなど、まさに自衛隊のPRフィルムそのもの。
集団的自衛権行使容認の閣議決定に対しても、「国を守る責務を果たすのみ」という隊員たちの“勇ましい”声を集めています。
実際は逆に、集団的自衛権行使容認で自衛隊員と家族の中に不安が広がり、市民の中から自衛隊の存在を問い直す声が高まりつつある中、NHKが率先してその鎮静化に努めている姿がありありです。
あまりにも対照的な2つの番組でした。
この「明」と「暗」がNHKの姿です。そして、「明」は深夜のEテレで、「暗」はゴールデンタイムに総合テレビで放送するのが、NHKの実態です。
「明」を称賛し、「暗」を批判する視聴者の声を強めねばなりません。
<注目のニュース>
「閣僚の顔見たら抑えられない気持ちに」
「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です」
9日の長崎平和祈念式典で、被爆者の城台(じょうだい)美弥子さん(75)は、「平和のへの誓い」でこう主張しました。
ところが10日付中国新聞によれば、このくだりは当初の原稿にはありませんでした。
「日本が戦争への道に進もうとすることに対し、被爆者の怒りを伝えなければと特別な思いで臨んだ」城台さんが、「会場で安倍晋三首相ら閣僚の顔を見たら、いま言わなければという抑えられない気持ちになった」と、挿入したものです。
城台さんの「抑えられない気持ち」を共有したいと思います。
安倍政権が集団的自衛権行使容認の閣議決定を強行した1日、プロ野球セリーグの首位攻防戦・広島カープ対巨人戦(広島マツダスタジアム)は、異様な雰囲気に包まれました。
試合前に「君が代」を斉唱したのが、海上自衛隊東京音楽隊所属、「海自の歌姫」などと言われる三宅由佳莉3曹。始球式は海自呉音楽隊の道本和生2曹(写真集「国防男子」に登場)でした。
コンコースでは、海自呉基地の3部隊が作った3種類のカレーセットを販売。自衛官制服の試着コーナーもあり。さらに、先着2万人に海自のセーラー服姿の「カープ坊や」をデザインした特製うちわをプレゼント、という念の入れようです(中国新聞より)。
この日は海自呉地方隊創設60周年の記念日。マツダスタジアムはさながら海上自衛隊に占拠されたようでした。
4日には海自呉音楽隊の記念演奏会が呉市内で行われ、公募の市民ら約1600人が招待されました。ここにも三宅3曹が登場しました。
防衛省は1日、全国の18歳を対象にいっせいに「自衛官募集案内」を送付。同時に、アイドルグループAKB48のメンバーが出演する自衛官募集CMを全国放送しました(5日付しんぶん「赤旗」)。
このほか、銀行の新入社員研修を自衛隊基地で行ったり(写真右)、輸送艦の乗組員による「保育所ボランティア」(写真左)など、自衛隊と市民の「交流」が目につきます。
こうした自衛隊の活発な“市民浸透作戦”は、もちろん集団的自衛権行使容認の閣議決定と無関係ではありません。
集団的自衛権行使により、自衛隊が米軍と一体となって武力行使(戦争)するようになれば、自衛官が足りなくなるのは明らかです。そうなれば辞めていく自衛官も当然増えてくるでしょう。
こうした事態を見据えた“自衛官確保作戦”です。
安倍首相は、集団的自衛権行使によって「自衛官の血が流れる」ことをひた隠しにしています。その一方でソフトイメージを振りまいて自衛官をかき集めるのは、国家による大掛かりな就職詐欺と言わねばなりません。
自衛隊の“市民浸透作戦”はおそらく全国で強まっているでしょう。
若者たちが戦場へ送り込まれ、殺されたり、殺したりする事態は、絶対に阻止しなければなりません。
<注目記事>
不気味な歴史の“偶然”・・・「0004年」
山口大学副学長の纐纈(こうけつ)厚さんが、集団的自衛権に関して、「歴史の教訓を生かすとき」という一文を寄稿しています(3日付中国新聞=共同電)
それによれば、「近代日本国家最初の海外派兵であった台湾出兵」が1874年(ちなみにその5年後の1879年が武力による琉球併合)。
1894年が「朝鮮半島の支配権をめぐる日清戦争」。
1904年が「中国東北地方の支配権をめぐる日露戦争」。
1914年が日本が「中国山東半島に侵攻した第一次世界大戦」。
2004年が戦後、自衛隊初の海外派兵であるイラク派遣。
そして、集団的自衛権行使容認の閣議決定が今年2014年。
日本の海外侵攻は、不思議なほど西暦の末尾が「4」(死?)の年に重なっているのです。
纐纈さんは、「偶然か必然か、悩ましい問題を私たちは、いつまで引きずれば、済むのだろうか」と結んでいます。
もう1つ、自衛隊発足(自衛隊法施行)も1954年でした。
中国新聞(備後本社)主催で、同紙のキャラクター名を付けた「びんご・ちゅーピーまつり」という、主に子どもを対象にしたイベントが、15日、福山市内で行われます。
その企画の1つに、なんと「自衛隊73式小型トラック展示」があるのです。(写真左は5月の「ふれあい防衛展」で自衛隊車に乗って記念撮影する母娘)
集団的自衛権行使容認がまさに大きなヤマ場を迎えようとしている時に、新聞社のイベントで自衛隊展示とは!
主催者に問い合わせたところ、今年11回になる同「まつり」で、自衛隊の展示は今回が初めて。「震災などで『働く車』の一環として」という趣旨だといいますが・・・。「ご意見は担当部署に伝えます」
中国新聞と自衛隊の“距離感”で、最近気になったことがもう1つあります。
6月3日から5回にわたって連載された「海自呉地方隊60年 第3部・自衛官になる」(写真右)です。
海上自衛官になるための訓練施設が全国に4カ所あります。そのうちの1つが海上自衛隊呉教育隊(ほかに横須賀、舞鶴、佐世保)。その5カ月間の訓練をレポートしたものです。
連載は、訓練がいかに厳しいか、それに耐える自衛官候補生たちの「使命感」を伝えるだけで、批判的な視点はまったく見られません。
例えば、「近年は『人を助けたい』と入隊するケースが目立つ」としながら、「司令は若者の熱意を喜びつつも『自衛隊の本分はあくまでも国防。命令があれば突っ込まなくてはいけない』とくぎを刺す」。
若者の入隊の動機と自衛隊の軍隊としての本質との間にギャップが生じているにもかかわらず、それを上官の「くぎを刺す」発言で収めてしまっているのです。
最も気になったのは、「呉独自で取り組む、道徳を中心とした『心の教育』」なるものです。いったいどんな「心の教育」が行われているのか。
さらに、5回の連載を通じて「憲法」という言葉が出てきたのは、「集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更」という1カ所だけ。いったい自衛官の卵たちは、「憲法」についてどのような「教育」を受けているのか。
今自衛隊の連載をするなら、こうした点こそ追及すべきではないでしょうか。
被爆地の中心メディアである中国新聞にしてこれです。
安倍政権の日米軍事同盟強化、改憲路線の下、メディアと自衛隊の距離感、自衛隊報道の視点が改めて問われています。
<やっぱりそうだったニュース>
露呈した「与党協議」の狙い、公明党の本質
公明党が集団的自衛権行使容認に踏み切ると報じられています。はじめは多少「条件」を付けても、いったん歯止めをはずしてしまえば政府・自民党の思うつぼです。
この公明党の「陥落」は別に驚きでも失望でもありません。以前述べたように、これが公明党の本質だからです。
あらためて露呈した公明党の犯罪的役割をまとめると、こうなります。
①まるで政府・自民党の暴走に「反対」しているかのようにみせながら、結局政府・自民党の狙い通りに軟着陸させるため、反対世論のガス抜きをする。
②戦争政策を推進する政府・自民党に一貫して協力・加担しておきながら、「平和の党」を装って支持をつなぎとめる。
③政権の一角にしがみつきたい一心で、自民党の絶対多数を支える。
④与党内の意見調整にすぎない「与党協議」がまるで決定の場であるかのように描き、国権の最高機関である国会審議を形骸化させる。
これらは公明党の本質であるとともに、それを助長するメディアの責任であることもいうまでもありません。
このような公明党に、いささかの「期待」もかけることはできません。