「森友・安倍昭恵問題」の本質は何か。それを籠池泰典理事長(当時)自身が吐露した言葉が、先日明らかになりました。
籠池氏が昭恵氏付きの政府職員(谷査恵子氏)に宛てた「手紙」(2015年10月26日の消印、3日の参院予算委員会理事懇談会で政府が公表)で述べた言葉です。「手紙」は谷氏を経由して昭恵氏に行った陳情に他なりません。
「安倍総理が掲げている政策を促進するために、学校の用地が半値で借りられたらありがたい」
どういう意味でしょうか。「学校の用地」が安倍首相の「政策促進」とどう関係するのでしょうか。答えは籠池氏が開校する予定だった小学校(瑞穂の國記念小学院)の「教育理念」「教育の要」にあります。そこにはこう記されていました。
「天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ。伊勢神宮・天照大御神外八百万神を通して日本人の原心(神ながらの心)、日本の国柄(神ながらの道)を感じる」「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)。道徳心を育て、教養人を育成」(森友学園HPより)
籠池氏はこういう小学校をつくることが安倍首相の「政策を促進する」ことになると確信していたのです。なぜか。
この「手紙」の51日前の2015年9月5日、昭恵氏は同学園の塚本幼稚園で講演しました。そして、「こちらの教育方針はたいへん、主人(安倍首相)も素晴らしいというふうに思っていて…」と森友学園の「教育方針」を絶賛したのです。これを聴いた籠池氏が、森友学園の「教育方針」を実践する小学校を造ることが安倍首相の「政策を促進する」と確信したのも無理はありません。
森友学園・籠池氏と昭恵氏・安倍首相を結び付けたものは、「教育勅語」を基本にした「皇国思想教育」「道徳教育」でした。だから籠池氏はその実践のために昭恵氏(実質は安倍首相)に「用地が半値で借りられたらありがたい」と要請したのです。結果、その通りになりました。これが「森友・昭恵問題」の本質です。
その後「教育勅語」をめぐって相次いだ安倍政権の言動(稲田朋美防衛相の賛美発言、教材化を否定しない閣議決定など)は、それを証明しています。
日本のメディアはなかなかこの本質に目を向けようとしませんが、外国のメディア・記者はいち早くその核心を見抜いています。
例えば、イギリスのフィナンシャルタイムズは「森友学園スキャンダル」は「安倍首相と右派のつながりを国民に気付かせた」「右派と安倍政権の親密さが問題」と報じました(写真)。
「外国人記者は見たプラス」(BSTBS、2日放送)では、外国人記者たちは異口同音に「森友学園問題の本質は思想教育」だとし、「イギリスでもし思想教育があったら首相は辞めている」(ロイター記者)、「フィナンシャルタイムズの記事に賛成。日本が右へ傾いている気がする」(韓国記者)、「(塚本幼稚園の教育は)文化大革命時の中国よりひどい」(中国記者)など相次いで日本の異常さを指摘しました。
「外」から見ると「森友・昭恵問題」の本質が鮮明にわかるようです。
安倍昭恵氏と籠池泰典氏夫人・諄子氏のメールが、24日自民党によって公表され、各紙は25日付でその「詳報」を報じました。しかし、重要な部分がどの新聞にも載っていません。それを報じたのは(私が見た限り)、日本テレビのニュース(「日テレニュース24」23日未明放送)だけでした。同ニュースから抜粋します(太字に注目)。
<今月8日のメール>
諄子氏 (小学校の)認可をください。
昭恵氏 私もマスコミに追いかけられてびっくりしています。神様はすべてご覧になっています。
諄子氏 認可のために3億5000万円足りません。
昭恵氏 祈ります。私も修行。来月、私の親しい人が教育勅語の本を出します。今はそういう時なのでしょう。
このどさくさの中でも諄子氏に「教育勅語の本」の話を持ち出した昭恵氏。「今はそういう時」とはどういう意味でしょうか。
籠池氏は証人喚問(23日)で、「昭恵夫人にも私どもの教育理念を深くご理解いただいている」とあらためて述べました。森友学園・籠池氏の「教育理念」の柱は教育勅語です。
昭恵氏そして安倍首相と森友・籠池氏の関係で追及しなければならない核心は、その「教育理念」=教育勅語への賛美(裏腹の関係としての公教育の否定)です。上記の昭恵氏のメールはそのことをあらためて示しています。
「日テレニュース24」でもう1つ注目された「スクープビデオ」(28日放送)があります。2014年4月に昭恵氏が塚本幼稚園を訪れた時のもようです。
園児たちの前で籠池氏に紹介された昭恵氏。園児たちと次のようなやりとりがありました。
昭恵氏 安倍総理大臣、本当に知ってる?みんな
園児たち はい。
昭恵氏 どんな人ですか?
園児たち えらい人。
昭恵氏 えらい人?他には?
園児たち 日本を守っている人。
昭恵氏 日本を守っている人? ありがとう。
籠池氏 安倍総理大臣を応援してあげてくださいよ!
園児たち はい。
昭恵氏 じゃあさ、じゃあおうちに帰って安倍総理大臣に伝えます。
園児たち ぼくたち私たちもがんばりますので、昭恵夫人もがんばってください。
昭恵氏 (涙をぬぐいながら)もう感動しちゃいました。
塚本幼稚園の運動会(2015年)で「安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!」「安保法制国会通過よかったです」などと園児たちに叫ばせたことが「特異な政治教育」として問題になりましたが、この運動会は上記の昭恵氏の訪問の翌年です。園児たちに「安倍首相がんばれ」と言わせるきっかけをつくったのは昭恵氏ではありませんか。
念のために繰り返せば、この14年4月の塚本幼稚園訪問も、翌15年9月の同幼稚園での講演も、けっして昭恵氏の「私的行動」ではありません。2人の政府官僚(昭恵氏が言う「秘書」)が常に同席し、「首相の公務を補助する活動」(土生栄二内閣審議官、8日の衆院経済産業委員会答弁)として行われたれっきとした「公務」です。
安倍昭恵氏の証人喚問はますます避けて通れません。
籠池泰典・森友学園理事長の証人喚問(23日)は一連の疑惑をますます深めるもので、真相究明は引き続き重要です。
しかし、この日の喚問の核心は、安倍首相(政府)や昭恵夫人も否定できない(どころか自ら告白している)重大な事実が明らかになったことです。
それは、籠池氏が読み上げ、官邸もあわててコピーを流した「昭恵夫人付き」の政府官僚・谷査恵子氏(経産省から出向)の「ファクス」と、昭恵氏が同日フェイスブックで流した「コメント」です。
「コメント」の中で昭恵氏は、谷氏を何度も「秘書」と呼んでいます。谷氏がまさに昭恵氏の「秘書」として活動していたことが「ファクス」に示されています。そして昭恵氏は、「私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日(2015年9月5日の塚本幼稚園の講演ー引用者)も、そのようなことを行っていない」と明言しました。
政府官僚が2人(いずれも経産省からの出向)「秘書」として常駐(ほかにも外務省から3人が非常駐)する昭恵氏は「私人」ではなくれっきとした「公人」であり、塚本幼稚園での講演も「秘書」(政府官僚)同席のもとで行われた「公務」(土生栄二内閣審議官は8日の衆院経済産業委員会で「首相の公務を補助する活動」と表現)でした。昭恵氏の「コメント」はそのことを自ら認めたものにほかなりません。
ここで2015年9月5日の塚本幼稚園における講演を振り返ってみる必要があります。この中で昭恵氏は、「こちらの教育方針はたいへん、主人も素晴らしいと思っていて…この幼稚園でやっていることはほんとうに素晴らしいのですけれど、それが普通の公立の学校に入った途端に揺らいでしまう」と述べました(詳しくは2月28日のブログ参照http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/m/201702)。
塚本幼稚園(森友学園)の「教育方針」とは 「天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ。…教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)」(HPの「教育理念」より)です。昭恵氏は開校予定だった小学校の「名誉校長」としての「あいさつ」(HP上、のちに削除)で、同校を「優れた道徳教育を基として」いると賛美しました。
すなわち昭恵氏は、「教育勅語」に基づく「道徳教育」を賛美し、それは「主人」(安倍首相)も同意見だとする一方、「普通の公立学校」の教育(教育基本法に基づく公教育)を否定したのです。これが昭恵氏の私的見解ではなく、「公人」の「公務」として、「首相の公務を補助する活動」として表明されたのです。昭恵氏と官邸の「連絡調整」役として派遣されている2人の政府官僚(「秘書」)もこれを問題にすることはありませんでした。
ここに「森友問題」、というより「安倍昭恵問題」の核心があります。
ところが、23日の証人喚問でこの点を追及した議員(政党)は1人もいませんでした。きわめて憂慮すべきことです。ちなみに、国会の証人喚問のあと籠池氏は外国特派員協会へも行きましたが、そこでは「教育勅語」をはじめ「教育方針」の問題がさかんに質問されたといいます。
ところで、各メディアが籠池氏の発言と安倍首相らの答弁との「食い違い」報道に集中した24日、来年度から「教科」に”格上げ”される「道徳」の教科書検定のニュースが流れました。
この中で、「我が国の郷土の文化と生活に親しみ愛着を持つこと」という学習指導要領に基づいて、「パン屋」が「和菓子屋」に書き改められたという笑うに笑えない事実が報じられました。
「道徳」を教科にすること自体、「内面の評価」になるとして戦後避けて来たルールです。それを撤廃したうえ、初年度の教科書からこうした検定(検閲)が行われたことはきわめて重大です。
こうした「道徳教育」にかんする動向と安倍首相や昭恵氏の森友学園の教育への賛美はけっして無関係ではありません。この2つのニュースが同時に流れたのはきわめて象徴的です(しかし両者の関係を突いた報道は見当たりません)。
安倍首相を追及し、森友学園の「教育方針」とりわけ「教育勅語」に対する見解を明らかにする必要があります。そして「教育勅語」・国家主義的「道徳教育」を否定させ、憲法と教育基本法の尊重を明言させねばなりません。
それこそが「森友学園・安倍昭恵問題」の中心課題ではないでしょうか。
籠池泰典氏の相次ぐ言動によって、「森友学園問題」の本質がますます曖昧になろうとしています。
安倍首相は「核心は公有地の払下げ・認可問題」(17日の衆院外務委員会)とさかんに強調していますが、それも本当の「核心」から目をそらすものです。
この問題の核心は、繰り返しますが、安倍昭恵氏の塚本幼稚園での講演や「瑞穂の國小学院の名誉校長」(のち辞任)としての「あいさつ」、あるいは稲田防衛相の国会答弁などで表面化した、安倍政権の教育勅語(それに基づく籠池氏の「教育」)賛美にあります。
その背景には、今回の「森友学園劇」に登場する主な役者が、すべて1本の糸でつながっている実態があります。その糸とは、安倍政権と深い関係にある改憲団体・「日本会議」です。「日本会議」こそ今回の問題の陰の主役と言えるでしょう。
稲田防衛相と籠池氏の関係も、元をたどれば「日本会議」に行きつきます。
15日、外国特派員協会での講演をドタキャンした籠池氏は、都内のマンションに菅野完氏(写真右)を訪れるという奇妙な行動をとりました。その菅野氏は、昨年5月に著した『日本会議の研究』で、稲田氏と籠池氏の以前からの関係を指摘しています。
それによれば、稲田氏は2012年に「第6回東京靖国一日見真会」なるもので講演し、「生長の家の経典、『生命の實相』」を絶賛。一方、森友学園が運営する塚本幼稚園はかつて(2003年)「生長の家原理主義運動」が主催する講演会の会場になり、籠池氏が「連絡先」となったことがあります。
菅野氏は、 「『安倍後継の最有力候補』稲田朋美…園児に戦時歌謡を歌わせる『塚本幼稚園』をつなぐ『生長の家原理主義運動』という一本の線が浮かび上がってきた」(『日本会議の研究』)と書いています。
「生長の家」は思想的にも人脈的にも「日本会議」の源流となった宗教団体。籠池氏は現在「日本会議大阪」の運営委員。菅野氏は、稲田氏と籠池氏は「生長の家原理主義運動」という「同じ志を持つインナーサークル」だったとしています。
こうして「安倍内閣を支配する日本会議」という視点から両者の関係を追及した菅野氏が、いま籠池氏のスポークスマン的役割を果たしているのはなぜなのか、きわめて奇異です。
「日本会議」は1997年5月30日、「元号法制化実現をはじめ、御在位60年や御即位などの皇室敬慕の奉祝運動、歴史教科書の編纂事業…戦後日本の再建を願ってきた我らが国民運動の結晶」(「設立趣意書」)として設立。「皇室を敬愛するさまざまな国民運動…新憲法制定の世論喚起につとめ(る)」(「「日本会議がめざすもの」)と公言する改憲団体です。
国会では「日本会議」設立の前日(97年5月29日)に、「日本会議を全面的にバックアップし連携する目的で」(俵義文氏『日本会議の全貌』)、日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)がつくられました。
現在の安倍内閣(第3次安倍第2次改造)の20人の閣僚のうち、実に16人(80%)が日本会議議連のメンバーです。
同議連の役員をみると、現在の安倍内閣の主要閣僚のうち、安倍晋三首相と麻生太郎副首相・財務相が特別顧問、菅義偉官房長官、高市早苗総務相が副会長、加藤勝信一億総活躍相が副幹事長、稲田防衛相が政策審議副会長と、軒並み要職に就いています。会長は「森友学園」のHPにあいさつ文を寄せた平沼赳夫氏。あの鴻池祥肇参院議員も顧問に名を連ねています(2014年4月現在、俵氏の前掲書を参照)。
安倍政権と「日本会議」のこうした深い関係が、籠池氏の推進する「教育勅語を基本とする教育」に対する賛美の背景です。それは日本国憲法と教育基本法を否定し、天皇を「元首」とする改憲につながります。これこそが「森友・安倍昭恵問題」の核心です。
森友学園問題で明るみに出た核心的問題は、安倍政権の教育勅語賛美です。
それは「個人の思想問題」や「時代錯誤」ではありません。いま安倍・自民党がやろうとしている重大な政策と直結しているまさに今日的な政治的危機です。
「森友学園」とのかかわりで明らかになった安倍政権の教育勅語賛美をあらためて確認しておきましょう。
安倍昭恵夫人は「首相の公務を補助する活動」(政府答弁)の一環として行った塚本幼稚園での講演(2015年9月)で、「こちらの教育方針はたいへん、主人も素晴らしいと思っていて」と述べました。安倍首相自身、国会で「(籠池)先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている」(2月17日の衆院予算委員会)と答弁しました。
籠池泰典理事長・塚本幼稚園の「教育方針」の根幹が教育勅語があることは周知の事実です。塚本幼稚園の「教育内容」のトップにも、「毎朝の朝礼において、教育勅語の朗唱、国歌゛君が代”を斉唱」と明記しています(同幼稚園のHP)。
安倍首相夫妻が森友学園(籠池氏)の「教育方針」を賛美することは、教育勅語を賛美しているに等しいのです。
安倍夫妻だけではありません。稲田朋美防衛相は国会で、教育勅語の「核の部分は今も大切なもの」(8日の参院予算委員会)と臆面もなく答弁しました。
稲田氏のほかにも、麻生太郎副首相・財務相はじめ、質問されれば教育勅語を賛美するのが確実な閣僚は安倍政権にひしめいています。
教育勅語とは何か。その本質は籠池氏や稲田氏が言う「親孝行」や「道義国家」などではありません。
教育勅語は天皇主権の大日本帝国憲法が制定された翌年(1890年)に、その教育版として明治天皇の言葉(勅語)で発せられました。その本質は「国家神道の聖典」(村上重良氏『天皇制国家と宗教』講談社文庫)です。だから、「教育勅語の成立によって、学校では天皇による聖なる『教』が絶大な威力を発揮することになった」(島薗進氏『国家神道と日本人』岩波新書)のです。
教育勅語の核心部分は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」です。戦前の文部省はこれをこう訳しました。「万一危急の大事が起こったならば、大儀に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」(10日付朝日新聞社説より)。
まさに、「天皇を頂点とする国家をめざし、軍国主義教育の根拠となったのが教育勅語」(同「朝日」社説)であり、それは、「『八紘一宇』の侵略主義の思想的原点」(村上重良氏、前掲書)だったのです。
この教育勅語をいま安倍政権が賛美する政治的意味はどこにあるでしょうか。2つ具体例を挙げます。
1つは、安倍政権(厚労省、文科省)が2月14日に公表した保育所の運営方針と幼稚園の・教育要領(2018年度から)で、3歳以上の幼児を対象に、「国旗」と「国歌」に「親しむ」と初めて明記したことです。これから保育所や幼稚園でも「日の丸」を掲揚し、「君が代」を歌わせようというわけです。
塚本幼稚園とどこが違うのでしょうか。塚本幼稚園(森友学園)は安倍政権が目指す「教育」を先取りしているだけではありませんか。安倍氏が「素晴らしい」と絶賛するはずです。
もう1つは、安倍首相が任期中に是が非でも手を着けようとしている憲法改定です。
自民党の改憲草案(2012年4月27日決定)の「前文」は、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって…」と始まり、第1条で「天皇は、日本国の元首」と明記しています。まさに「我が皇祖皇宗国を肇むる…」(教育勅語の冒頭)の皇国史観に基づく改憲案にほかなりません。
「森友問題」で図らずも明るみに出た安倍政権の教育勅語賛美は絶対に過小評価できません。それは戦争法(安保法制)と車の両輪となって、歴史を80年前に引き戻すものです。
「森友学園」をめぐる問題が連日注目を集めています。確かに「国有地払下げ」疑惑は徹底的に追及する必要があります。しかし、問題をそこ限定したり、まして籠池泰典理事長夫妻の特異で異常な言動に焦点を当てるなら、重大な核心問題を逃してしまうことになります。
追及しなければならない核心的な問題は、安倍晋三首相夫人の昭恵氏と森友学園・籠池理事長との関係、とりわけ森友学園が運営する塚本幼稚園での昭恵氏の3度にわたる講演内容と安倍政権の関係です。
昭恵氏の塚本幼稚園での講演がなぜそれほど重大なのか。それはこのかんの国会等での政府答弁(その変転)に表れています。
安倍政権は7日、昭恵氏の講演に関する質問主意書に対する「答弁書」を閣議決定しました。その中で、昭恵氏が塚本幼稚園で行った講演(2014年12月、15年9月)には「政府職員が同行」していたことを認めました。しかし講演自体は昭恵氏の「私的活動」だとし、首相夫人が「公的存在」かどうかについては回答を避けました。
これに先立ち、3日の衆院国土交通委員会で土生栄二内閣審議官は、政府職員が昭恵氏に同行したのは「私的活動」だと答弁しました。
ところが、8日になって政府の答弁(見解)が一転しました。
菅義偉官房長官は同日の記者会見で、「昭恵夫人が学校法人『森友学園』の運営する幼稚園で講演した際の政府職員の同行を『公務』だったと明らかにした。『私的行為』とした政府見解を訂正した」(9日付中国新聞=共同)のです。
同行した政府職員は「公務」。では昭恵氏の講演はどうなのか。土生内閣審議官は8日の衆院経済産業委員会でこう答弁しました(写真左)。
「(土生審議官は)同行は夫人による『首相の公務を補助する活動』の連絡調整のためであり、公務として適切だったと強調した」(9日付中国新聞=共同)
昭恵氏の講演は「首相の公務を補助する活動」だった。これが政府の公式見解です。
「首相の公務を補助する活動」が「私的活動」でないことは明らかです。並みの「公務」とは比較にならないほど重要な「公的活動」と言えるでしょう。
安倍首相が国会答弁で昭恵氏を「私人」と公言したり、「答弁書」が講演を「私的活動」としたことが誤りであることは明白です。
さらに重要なのは、同行した政府職員の任務である「連絡調整」とは何かということです。
この点について、野上浩太郎官房副長官は参院予算委員会で、「夫人が首相公邸でインタビューを受けた際、政府職員が公務で同席した例を紹介」し、こう答弁しました。
「首相の公務遂行を補助する活動について誤解があれば訂正できるよう同席し、メモを取ることがある」(9日付中国新聞=共同)
「首相夫人」が「首相の公務を補助」する際に「誤解」があれば「訂正」する(させる)。それが夫人に同行する政府職員の仕事だというのです。
政府職員が同行した昭恵氏の講演に「訂正」はあったでしょうか。ありません。ということは、昭恵氏の講演内容は、「首相の公務の補助」として問題はなかった、と政府が判断したということです。
昭恵氏は講演でなんと言ったでしょうか。
「こちらの教育方針はたいへん、主人も素晴らしいと思っていて…この幼稚園でやっていることはほんとうに素晴らしいのですけれど、それが普通の公立の学校に入った途端に揺らいでしまう」(2月28日のブログ参照)。
「こちらの教育方針」の根幹が「教育勅語」であることは明らかです。昭恵氏は講演で事実上「教育勅語」を礼賛し、その一方で公教育を否定したのです。この講演を同行した政府職員は訂正せずに「首相の公務の補助」として是認し、それを政府は「適切だった」(土生審議官の衆院経済産業委員会での答弁)と追認しました。
これはきわめて重大です。これが追及しなければならない「安倍昭恵問題」の核心です。
いま「教育勅語」を賛美することの重大な意味については次回書きます。
★★ 9日のブログで、「挑発しているのは北朝鮮ではなく米韓」と書きましたが、その後、「海上自衛隊の護衛艦『さみだれ』『さざなみ』が今月7日~10日に東シナ海で米原子力空母『カールビンソン』などと共同訓練。『カールビンソン』が米韓合同軍事演習に合流する機会を捉えて通信訓練などを行った。米空母と海自の訓練は異例」(11日朝のNHKニュース)という報道がありました。「挑発しているのは北朝鮮ではなく日米韓」に訂正します。
安倍晋三首相は1日の参院予算委員会で、妻の昭恵氏と森友学園(籠池泰典理事長)の関係を追及され、「私は公人ですが、妻は私人なんですよ。妻をまるで犯罪者扱いして、そんなことやるのは極めて不愉快。本当に私は不愉快ですよ」と開き直りました。(写真左)
昭恵氏を「私人」とすることで追及をかわそうという狙いですが、それは通用しません。
「首相夫人」はもちろん公務員ではありませんが、だからといって「私人」でもありません。なぜなら、しばしば首相と行動を共にし、あるいは時には「首相の代理」として、公人中の公人としての活動を行っているからです。
その典型が「外交」です。「首相夫人」は多くの場合、首相の外遊に同行し「首脳外交」をサポートします。先日もトランプ大統領就任後初の公式訪米に同行したばかりです(写真中)。
こうした外遊の旅費や宿泊費は、もちろん公費から支出されています(「国家公務員の旅費に関する法律」などの援用)。「首相夫人」に対する公費の支出は、その行動は公的なもの、すなわち「公人」とみなしているからにほかなりません。
もちろん、天皇や首相にも「私的活動」があるように、「首相夫人」の行動が常に「公人」とみなされるわけではありません。では、問題の森友学園との関係における昭恵氏の言動はどうでしょうか。
昭恵氏が「名誉校長」に就任していた「瑞穂の國小學院」(4月開校予定)のHPには昭恵氏の「あいさつ」が掲載されていましたが、国会で追及される中、2月23日に突然削除されました。その「あいさつ」の肩書は、「安倍晋三内閣総理大臣夫人」でした。(写真右)
また、昭恵氏は塚本幼稚園(籠池園長)で講演を行いましたが(2015年9月5日)、その中で、「こちらの教育方針はたいへん、主人も素晴らしいというふうに思っていて」「主人が…『もし名前(「安倍晋三記念小學院」-引用者)を付けていただけるのであれば、総理大臣を辞めてからにしていただきたい』と…」など、「総理大臣夫人」として安倍首相の意向を代弁していました。(2月28日のブログ参照)
この時の講演は、塚本幼稚園PTA収支決算書の「社会教育費」の項目に、他の3つの催しとともに「40万円支出」したと記録されていますが、その表記は「9/5首相夫人安倍昭恵先生」です。
園児たちに「教育勅語」を唱和させた塚本幼稚園の卒園式(2016年3月16日)で、籠池氏は昭恵氏が同幼稚園を訪れたときのもようをこう語っています。
「内閣総理大臣夫人の安倍昭恵先生がお越しになったとき(2014年4月)、あの歌(園児たちの歌)を聴いて涙ぐんでいらっしゃいました。為政者の妻としての、傍らから見ている夫に対する心、それが表れてきたんではないかなというふうに思っております」(民放のニュース映像より)
籠池氏が昭恵氏を一貫して「首相夫人」という「公人」として扱い、それによって広告塔にしていたことは明らかです。
昭恵氏や安倍氏は、籠池氏の昭恵氏に対するこうした扱い・意図を知っていながら訂正を申し入れることもなく歓迎していました。結果、HPには「安倍昭恵先生 安倍晋三内閣総理大臣夫人」の「あいさつ」が約1年半にわたってHPのトップを飾ったのです。
「首相夫人」は「私人」とは言えないという一般論だけでなく、とりわけ森友学園との関係において、昭恵氏は「私人」だという安倍首相の言い逃れは通用しません。
卒園式で「教育勅語」を唱和させ、運動会で「安倍首相がんばれ」「安保法制国会通過よかったです」と「宣誓」させ、中国や韓国へのヘイトを公然と文章にするような森友学園・塚本幼稚園を「素晴らしい」と絶賛する「安倍首相夫人」、そして安倍首相。その責任は免れず、憲法・教育基本法に照らして徹底的に追及する必要があります。
※次回のブログは明日書き、明後日は休みます。
安倍晋三首相の妻・昭恵氏は、森友学園(籠池泰典理事長=日本会議大阪運営委員)が4月に開校する予定の小学校(瑞穂の國小學院)の名誉校長に就任していましたが、国会やメディアの追及を受けて辞任しました(24日)。
その昭恵氏が、名誉校長就任直後の2015年9月に、同学園が経営する塚本幼稚園(大阪市、籠池園長)で講演した映像(テレビ東京系列独占)があります。
5分余のものですが、昭恵氏の講演部分と、そのあとにあいさつした籠池氏の話の一部を、映像から起こして紹介します(写真はいずれも同映像から)
◆安倍昭恵氏
籠池園長、副園長のほんとうに熱い熱い思いを何度も聞かせていただいて、この「瑞穂の國記念小學院」で何か私もお役に立てればいいなと…。
こちらの教育方針はたいへん、主人(安倍首相)も素晴らしいというふうに思っていて、(籠池)先生からは「安倍晋三記念小学校」という名前にしたいと、当初は言っていただいていたのですけれど、主人が「総理大臣というのはいつもいつもいいわけではなくて、ときには批判にさらされているときもある。もし名前を付けていただけるのであれば、総理大臣を辞めてからにしていただきたい」と…。
この幼稚園でやっていることはほんとうに素晴らしいのですけれど、それがこの幼稚園が終わってしまって普通の公立の学校に行くと、普通の公立の学校の教育を受ける。せっかくここ(塚本幼稚園)で芯ができたものがまた(公立)学校に入った途端に揺らいでしまう。
◆籠池泰典氏
いま、安倍昭恵先生に「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長になっていただいたことを報告します。拍手してください。
「瑞穂の國安倍晋三記念小學院」と銘打たせていただく予定でございましたけれど、いま名誉校長(昭恵氏)におっしゃっていただいた趣旨で、「瑞穂の國記念小學院」という名前におさまっております。
瑞穂の國、日本の國を支えていく人材づくりを目指してまいりました。
天皇陛下から申しますと、悪い人もいい人も赤子です。みな(天皇の)子どもなんです。みなさん方の子どもさんは選ばれた子ともたちです。
短い抜粋ですが、重大なことがいくつも含まれています。
①昭恵氏は籠池氏と繰り返し接触し、新しい小学校の開設に自ら役に立ちたいと考えていた(たんなる名前貸しではない)。
②昭恵氏とともに安倍首相も籠池氏の「教育方針」を「素晴らしい」と賛美していた。
③「安倍晋三小学校」という名称を全面的に拒否したわけではなく、首相を「辞めてから」にしてほしいと伝えていた。
④昭恵氏は塚本幼稚園の教育を絶賛し、公立学校ではそこでできた「芯」が「揺らいでしまう」と、教育基本法に基づく公教育を否定していた。
⑤籠池氏の「教育方針」とは園児を「天皇の赤子」とみなし「瑞穂の國を支える人材」をつくること。
塚本幼稚園は園児に「教育勅語」を日常的に唱和させるほか、運動会で「安倍首相がんばれ」「安保法制、国会通過よかったです」などと叫ばせていたことが問題になっています。
「天皇の赤子」発言は、戦前の「教育勅語」を「教育」の中心に据えるという森友学園(籠池氏)の皇国史観をはっきり示しています。
安倍首相と昭恵氏は、こうした籠池氏の「教育方針」を「素晴らしい」と絶賛していたのです。憲法(その教育版としての教育基本法)尊重擁護義務(憲法第99条)がある公人中の公人である首相、および首相夫人としての責任・資格があらためて問われます。
学校法人「森友学園」(大阪府豊中市、籠池泰典理事長=日本会議大阪運営委員)が4月に新設する小学校(瑞穂の國記念小學院)の予定地(国有地)が、評価額の14%で払い下げられた(評価額9億5600万円、取得額1億3400万円)問題が国会で追及されています。
この小学校の「名誉校長」が安倍晋三首相の妻・昭恵氏であることから、破格の国有地払い下げの背景に安倍氏や昭恵氏も絡んだ政治的圧力があったのではないかという疑惑です。
疑惑は徹底的に追及される必要があります。しかし、同時に強調しなければならないのは、たとえ土地払い下げに不正はなかったとしても、見逃せない重大な問題があることです。それは、、「首相の妻」である安倍昭恵氏がこの小学校の名誉校長であること自体が、憲法や戦後民主主義に照らして絶対に許されることではないということです。
籠池氏はメディアのインタビューで、昭恵氏に名誉校長就任を依頼したのは、「教育的な事項で賛同していただいている」からだと述べています。(写真中)。
また昭恵氏も、同小学校のHPで、同校が「優れた道徳教育を基として」いることを評価しているとして同校に期待しています。(写真右)
両氏が認めている通り、昭恵氏が名誉校長に就任したのは、同校の「教育事項」とりわけ「道徳教育」を評価しているからです。
ではその「道徳教育」はどのようなものでしょうか。
同校のHPにある「教育理念」の中の「教育の要」は、「天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ」などとともに、こう記しています。「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)」
さらに、「各教科の目標」の中の「特別活動」の項には、「海上自衛隊・陸上自衛隊見学」などとともに、「道徳(教育勅語)」と明記しています。
この小学校の「教育理念」とりわけ「道徳教育」の中心は教育勅語なのです。
森友学園が運営している幼稚園(塚本幼稚園、大阪市内)ではすでに園児に教育勅語を唱和させています。
昭恵氏が同校のこうした「教育理念」「道徳教育」を評価して名誉校長に就任したということは、昭恵氏自身が教育勅語を評価・賛美していることにほかなりません。
教育勅語は、天皇主権の大日本帝国憲法制定の翌年(1890年)に、明治天皇の言葉として発せられた、「国家神道の聖典」(村上重良氏『天皇制国家と宗教』講談社文庫)というべきものです。「我が皇祖皇宗」から始まり、非常事態に際しては「義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」として、「道徳を天皇と国のためにすべて捧げる行為に収斂し…『八紘一宇』の侵略主義の思想的原点」(村上氏、同)となったものです。
だから戦後いちはやく教育勅語は廃止され、代わって国民主権の日本国憲法施行の年(1947年)、教育基本法が制定されました。「教育基本法はあえて異例の前文をおき、『憲法の精神を徹底』するとともに、『他の教育法令の根拠法』となるべき性格をもたせた」(中村政則氏『戦後史』岩波新書)のです。「憲法と教育基本法は一体不可分のものという理念があった」(同)からです。
天皇主権の大日本帝国憲法と一体の教育勅語。その歴史的教訓から、国民主権の日本国憲法と一体不可分で制定されたのが教育基本法です。
教育勅語の賛美・教育現場への導入は、たんなる時代錯誤ではなく、国民主権の日本国憲法を蹂躙し、天皇主権の大日本帝国憲法に引き戻そうとする改憲策動と一体です。
「総理の妻」はけっして私人ではなく、外交などで首相と行動を共にする公人とみなされています(そのことの良しあしは別として)。現に森友学園(日本会議関係法人)はHPで昭恵氏を「安倍晋三内閣総理大臣夫人」と紹介し、その公的立場・肩書を最大限利用しています。
教育勅語の賛美・復活は絶対に許されません。
「首相の妻」である安倍昭恵氏は名誉校長を直ちに辞任すべきです。
舛添要一都知事の辞職(15日)は、低劣な男のお粗末な結末、と冷笑するだけではすまないでしょう。
なによりも、2年半前に舛添氏を知事選に担ぎ出した(写真中)、安倍首相の責任が問われなければなりません。安倍氏は第1次安倍内閣で舛添氏を厚生大臣に任命(2007年)した当人でもあります。安倍氏がこの間、舛添問題について口を閉ざして語ろうとしなかったのは、舛添氏に負けず劣らぬ厚顔無恥と言うべきです。
舛添氏の類まれな公私混同、セコい公金の私物化を許した構造的問題が、政治資金規正法の大ザルぶりにあることは周知の事実です。その抜本改正も避けて通れません。
同時にしかし、「舛添問題」から私たち有権者がくむべき教訓は、もっとほかにあるのではないでしょうか。
そもそも、舛添氏はなぜ都知事になったのでしょう。立候補した時の彼の政策は何だったでしょうか。おそらくほとんどの人は記憶にないのではないでしょうか。もともと彼に政策と呼べるものはなかったからです。
それは、対立候補の宇都宮元日弁連会長や細川元首相が「脱原発」を掲げたのに対し、それを阻止するために安倍・自民党が「知名度」で勝てる候補として擁立したのが舛添氏だったからです。彼は政策ではなくテレビ番組などで名を売った「知名度」で都知事になったのです。ここに「舛添問題」の最大の問題があるのではないでしょうか。
舛添氏に始まったことではありません。前知事の猪瀬直樹氏(2012年12月~2013年12月)も、前々知事の石原慎太郎氏(1999年4月~2012年10月)も、自民・公明は政策は二の次三の次で、「知名度」で「著名人」を担ぎ出して都知事にすえました。結果、首都・東京は政策もビジョンもないまま、妄言・パフォーマンス・スキャンダルに明けくれているのです。
自民党は、「ポスト舛添」の知事選でも、懲りもせず「知名度」で候補者を立てようとしています。人気グループ「嵐」の桜井翔さんの父親の総務事務次官や、橋下徹前大阪市長、東国原前宮崎県知事らの名が上がっているのにはあきれます。
「舛添問題」から有権者がくむべき最大の教訓は、選挙を「知名度」による「人気投票」にするのではなく、具体的政策とビジョンを競う合う政策本位の選挙にすることではないでしょうか。そのための有権者自身の意識改革ではないでしょうか。
それは「選挙共闘」にも言えることです。自民・公明の候補に「勝てる候補」として「はじめに共闘ありき」というのは本末転倒でしょう。「共闘」は政策の一致があってはじめて可能です。「野党共闘」を追求するなら、候補者の人選の前に政策の一致点、共通政策の確認から始めるべきです。
その際、首都・東京の知事選であれば、少なくとも、
①戦争法(安保法制)廃止、集団的自衛権反対、横田基地はじめ米軍基地の大幅縮小・撤去、日米地位協定の抜本改定
②原発再稼働を認めず、すべての原発の廃止をめざす
この2つが「政策協定」の柱になるべきです。