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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

総裁選で露呈した安倍首相の危険な”思想”

2018年09月01日 | 日本人の歴史認識

     

 自民党内のポスト争いにすぎない総裁選で大騒ぎするメディアの愚についてはすでに書きましたが(8月5日のブログ参照)、8月26日に安倍晋三首相が鹿児島で行った総裁選出馬表明(写真左)とその直前の講演は、見過ごすことができない安倍氏の危険な”思想”と政治姿勢が表れていました。

 第1に、皇国史観と天皇制の政治利用です。

 安倍氏は出馬表明でこう述べました。
 「来年は皇位の継承、日本初のG20サミットが開催され、さらにその先に東京オリンピック・パラリンピックが開催される。まさに日本は大きな歴史の転換点を迎える。…平成の先の時代に向け新たな国づくりを進める、その先頭に立つ決意だ」(写真)

 絶対主義天皇制の大日本帝国憲法と違い、主権在民の現行憲法では天皇にはなんの政治的権限もありません。「内閣の助言と承認」によって憲法に定められた「国事行為」を行うだけです。その天皇が交代(皇位継承)するからといって、日本の政治・社会にはなんの変化もないはずです。あってはなりません。

 それを「歴史の転換点」と言うのは、自民党の改憲草案にある「天皇元首化」と同様の皇国史観であり、それに乗じて自らの政権延命を図ろうとする天皇制の政治利用に他なりません。

 第2に、「薩長藩閥政治」への回帰願望です。

 出馬表明に先立ち安倍氏は鹿児島県鹿屋市内で講演し、「今年が明治維新から150に当たることに触れ『しっかり薩摩(鹿児島県)と長州(山口県)で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい』と述べ」(8月27日付沖縄タイムス=共同電)ました。

 これを「地方重視」のリップサービスと片づけることはできません。なぜなら、明治の「薩長藩閥政治」への憧憬は安倍氏の“歴史・政治思想”の根幹だからです。

 安倍氏は第1次政権時代も含め現在までに施政方針演説と所信表明演説を各7回ずつ行っていますが、その中で、「明治維新」のブレーンだった長州の吉田松陰と、薩長藩閥政治の理論的支柱となった福沢諭吉を、それぞれ2回合わせて4回も引用しています。

 たとえば首相としての初の所信表明演説でこう力説しました。
 「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。吉田松陰は…若い長州藩士に志を持たせる教育を行い、有為な人材を多数輩出しました」(2006年9月29日)

 さらにその翌年の初の施政方針演説ではこうです。
 「福沢諭吉は…困難なことをひるまずに前向きに取り組む心(を強調)、この心こそ、明治維新から近代日本をつくっていったのではないでしょうか」(2007年1月26日)

 このほか、2013年2月28日の施政方針演説で福沢諭吉、2015年2月12日の施政方針演説で吉田松陰を引用しています。

  吉田松陰と福沢諭吉に共通しているのは、天皇主義と朝鮮・中国などアジア蔑視・侵略主義の結合です。福沢諭吉については先に検討たので(2月3日、3月1日のブログ参照)、吉田松陰について概観します。

 松陰は「尊王攘夷」の旗頭でしたが、その思想の根底にあるのは、水戸学の影響を受けた「万世一系」の「国体」論でした。その皇国史観は、周辺諸国・他民族、とくに朝鮮への侵略と一体でした。

 「松陰においては国体論によって朝鮮侵略が理念化され、それは皇国の構想全体のなかで中心的な位置を占めることになった。そして『幽因録』(1854年)ではいち早く、武備をととのえ、蝦夷・カムチャッカなどを奪い、琉球を諭して朝鮮をしたがえ、満州・台湾・ルソンに進取の勢いを示すべきだと、激しい海外雄飛の構想が打ち上げられた」(尹健次氏『日本国民論』筑摩書房)

  この吉田松陰の導きを受け、福沢諭吉の「脱亜論」「帝室論」などの影響を受けた長州・薩摩出身者は、明治天皇と一体となり、朝鮮や琉球(沖縄)などへの侵略の先頭に立ちました。

 「軍人集団をリードしていたのは、明治維新以来の薩摩・長州の出身者であった。軍人集団はこの二つの同郷集団によって支配されていたのである。大山巌、西郷従道、松方正義、黒田清隆、森有礼などは鹿児島県、伊藤博文、山県有朋、井上馨、桂太郎などは山口県の出身であった。…日露戦争の頃になると、これら薩長出身官僚は元老と呼ばれ、明治天皇としきりに接触する一方、閣外から内閣の政治に介入した。…日本軍国主義と天皇制は一体だと書いたが、それに藩閥政治を加える必要がある。…藩閥政府なくして明治天皇制はなく、明治天皇制なくして藩閥政治は存在しえなかった」(星野芳郎氏『日本軍国主義の源流を問う』日本評論社)

  ここに名前があがった以外にも、「征韓論」の西郷隆盛、台湾侵略の大久保利通、朝鮮総督の寺内正毅(長州)も見落とせません。そもそも琉球を侵略したのは薩摩藩で、薩摩はそれによって財力を肥やしました。その琉球侵略を決定づけた「琉球処分」(1879年)で、処分官・松田道之を派遣したのは伊藤博文であり、手紙で松田を激励しアドバイスを与えたのは福沢諭吉でした。

 こうした明治天皇制・藩閥政治の朝鮮、琉球侵略が今日の朝鮮半島、沖縄の現実につながっていることは言うまでもありません。
 その鹿児島での安倍氏の総裁選出馬表明。皇国史観と薩長藩閥政治回帰願望が根っこでつながり、今日の朝鮮半島と沖縄に対する差別・強権姿勢を裏付けているといえるでしょう。


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安倍・麻生両氏の責任回避は祖父譲り

2018年04月19日 | 日本人の歴史認識

     

 財務省の福田事務次官の「辞任」は当然ですが、責任をとってやめるべき筆頭は麻生太郎財務相(副首相)です。

  麻生氏は「福田に人権はないのか」などとセクハラ加害者の福田氏をかばい続け、世論の強い批判の中でこれ以上逃げられないと思うと、官僚(福田氏)の首を斬って、任命権者である自分は何の責任も取らずに逃げ通す。これは佐川国税庁長官のときとまったく同じです。「森友文書」の改ざんでも最大の責任があるのは麻生氏であることは言うまでもありません。

  財務省でこれほど不祥事が続発しているにもかかわらず、その最高責任者(任命権者)である麻生財務相が何の責任もとらず涼しい顔をしているのは極めて異常で醜悪な事態です。

  真っ先に責任をとらねばならない者が部下(官僚)に責任を押し付けて知らん顔をしているといえば、「森友・加計疑惑」の張本人である安倍晋三首相もその典型です。

  この無責任コンビ、安倍氏と麻生氏が親友であり、安倍内閣の「ナンバー1・2」であることは決して偶然ではありません。なぜなら、両氏の無責任は、その「歴史観」、さらに「ルーツ」と無関係ではないからです。

  安倍、麻生両氏が「歴史修正主義者」として日本の朝鮮・中国侵略、植民地政策を擁護・美化し続けていることは周知の事実です。麻生氏は朝鮮植民政策の「創始改名」を公然と擁護したことさえあります(2003年)。

  「森友問題」にも関係が深い改憲右翼団体・「日本会議」を支持する国会議員グループ「日本会議議連」の役員に、安倍、麻生両氏がともに「特別顧問」として名を連ねている(2014年4月現在。俵義文著『日本会議の全貌』花伝社)ことも偶然ではありません。

  こうした両氏の「歴史観」は、その「ルーツ」と無関係ではありません。

  安倍氏の祖父は岸信介元首相。麻生氏の祖父は吉田茂元首相。ともに「元首相の孫」という世襲性も共通しています。

  岸が東条英機内閣の商工大臣として侵略戦争を推進し、A級戦犯「容疑者」として巣鴨プリズンに入獄しながら、アメリカの冷戦戦略によって「釈放」されたことは周知の事実です。
 岸は東条内閣の閣僚になる前から、「満州国総務庁次長」として満州侵略の先頭に立ってきました。

 吉田はどうでしょうか。吉田は「臣・茂」として天皇裕仁に忠実で、戦後アメリカ(GHQ)にも従順に、対米従属のサンフランシスコ体制を築いた人物として知られていますが、戦前・戦中の足跡も見落とすことはできません。

 もともと中国侵略論者であった吉田が、その本領を発揮したのは、中国侵略の端緒を切った田中義一内閣(1927年4月~29年7月)の外務事務次官に就任してからでした。

 陸軍出身の田中義一は、中国侵略を「帝国の天賦の権利」(『帝国国防方針案』)と公言する根っからの侵略主義者。その田中を天皇裕仁が首相に据えたのが1927年4月でした。

 「山東出兵(1927年5月)という中国への軍事介入によって昭和時代の幕が切って落とされ、それが大陸政策の主唱者であった田中義一政権によって断行されたことは象徴的な事件であった。さらに、張作霖爆殺事件(1928年6月)は、日本陸軍による中国東北部の事実上直接支配への第一歩、その延長上に中国東北部の軍事占領という歴史が積み重ねられていった」(纐纈厚山口大名誉教授『侵略戦争』ちくま新書)

 その田中に乞われて外務次官に就任し、田中義一内閣の中国侵略を支えたのが吉田茂だったのです。

  岸信介と吉田茂は、ともに侵略戦争を推進した責任がありながら、なんの責任もとることもなく、逆に首相のイスに座った人物です。そしてともに対米追随のサンフランシスコ体制・日米安保体制を確立する中心になったという点でも共通しています。まさに、侵略戦争・植民政策美化、戦後「戦犯・売国政治」を体現してきたのが岸と吉田でした。

  その二人をともに祖父にもつ安倍、麻生両氏が、現在「首相」と「副首相」であることは偶然ではありません。
 両氏が自らの責任を回避し、権力の座にしがみついている姿は、それぞれの祖父から受け継ぎ学んだものと言えるでしょう。

 そしてそれは、天皇裕仁の戦争責任を不問にし、侵略戦争・植民地政策への無反省を続けている戦後日本の政治・社会を象徴しているとも言えるのではないでしょうか。


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朝鮮・中国侵略と琉球併合と福沢諭吉、そして安倍晋三

2018年02月03日 | 日本人の歴史認識

     

 1日付の琉球新報でジャーナリストの乗松聡子さんが、「明治維新150年」を「日本が近隣諸国を踏みにじって軍事帝国になった歴史を教訓」とする「学びの年」にすべきだと主張しています(「乗松聡子の眼」)。

 それに共鳴し、多くの日本人が今も幻想にとらわれていると思われる問題、学び直す必要がある問題を書きます。福沢諭吉(1835~1901)の実像です。

 福沢は『学問のすすめ』の冒頭の一節から、「平等・民主主義者」であるかのような印象がふりまかれていますが、実態は真逆です。

 「福沢の文明論は、欧米の文明に人間に対するどんな非情が含まれていようと、それを含めて欧米文明にあこがれ、それと近代化に『遅れている』民族(福沢においては朝鮮・中国民族―引用者)に対する強い蔑視感とを両軸として、がっちりと築かれている…。福沢諭吉こそ筋金入りの日本軍国主義者であった」(星野芳郎著『日本軍国主義の源流を問う』日本評論社)

 福沢は、今日のヘイトスピーチ、ヘイトクライムの元祖といえるでしょう。

 それを証明する福沢の具体的な発言・文章は枚挙にいとまがありません。安川寿之輔名古屋大名誉教授が福沢の『全集』(岩波書店)を分析した労作『福沢諭吉のアジア認識』(高文社)から、ごくわずかですが紹介します。

 ★一貫する朝鮮・中国への蔑視・差別

 「支那…東洋の老大朽木を一撃の下に挫折せん」(全集8巻、1882・8・21)

 「朝鮮…妖魔悪鬼の地獄図」(全集10巻、1885・2・26)

 「チャンチャン(中国人に対して福沢が造語した差別語。のちに帝国軍隊が中国侵略に際して使った「チャンコロ」の源といわれる―引用者)…皆殺しにするのは造作もなきこと」(全集14巻、1894・8・7)

 「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」(全集15巻、1895・1・4)

朝鮮・中国侵略を鼓舞

 「我政府は令を陸海軍に伝へ、軍艦陸兵外征服出陣の準備を為さしむ可し。…朝鮮国の幸福を増し文明を進め…」(全集8巻、1882・7・31。朝鮮侵略は朝鮮の文明を進めるものだという侵略「思想」)

 「今度朝鮮の事変(「甲申政変」―引用者)こそ幸いなれ、何卒此一挙に乗じて不調和の宿弊を一洗し去らん」(全集10巻、1885・2・5)

明治政府との緊密な関係

 
こうした福沢の言説は、一「言論人」の勝手な妄言ではなく、明治政府(薩長藩閥政府)との緊密な関係のもとで行われました。明治政府は福沢の言説に従うようにそれを実行に移していきました。

 「一八八〇(明治一三)年一二月末に福沢は、大隈重信邸で伊藤博文井上馨、大隈の三人と面談し、政府首脳から自由民権運動に対抗して、世の安寧維持と国論の指導ために政府の新聞(「官権党新聞」)の発行を依頼された。…この政府の機関紙の発行依頼を諭吉は積極的に引き受けたのである」(安川寿之輔氏『福沢諭吉のアジア認識』)

 安川氏の前掲書にもないことを1つ紹介します。それは、福沢が琉球併合(1879年いわゆる「琉球処分」、写真左)に直接かかわっていたという事実です。

 伊藤博文(当時首相)の命により、武力を背景に琉球を日本に併合するため派遣されたのが処分官・松田道之であることは知られていますが、その松田と親しかったのが福沢です。福沢は松田に何回か書簡を送っていますが、この中に琉球併合について助言したものがあります。

  「此度琉球にて廃藩とあらば、其士民の仰天如何ばかりなるべきや…懇々たる諭告文を御示し…日本政府は琉球を取て自ら利するに非ず、琉球人民を救う厚意なり…筆まめに書竝べ口まめに説諭して先づ彼の人民の心を籠絡する事」(全集17巻、1880・3・4)

 琉球の人民は抵抗するだろうから、併合は琉球人民を救うためだと、文書や口頭で繰り返し宣伝し、「人民の心を籠絡」することが重要だ、というのです。朝鮮・中国に対する侵略「思想」とまったく同じです。

  重要なのは、こうした福沢諭吉の朝鮮・中国・琉球蔑視、侵略「思想」を明確にし追及することは、けっして過去の問題ではなく、まさに今日的な課題だということです。

 安倍首相は今年1月22日の施政方針演説で冒頭、「明治維新150年」に触れ、「国難」を強調て日米軍事同盟の新段階、憲法改定に言及しました。この施政方針演説は第2次安倍内閣発足以降6回目の施政方針演説ですが(ほかに所信表明演説6回)、第1回の施政方針演説(2013・2・28)の冒頭で安倍氏はこう述べました。

 「『強い日本』。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。『一身独立して一国独立する』…一身の独立を唱えた福沢諭吉も…国民も国家も苦楽を共にすべきだと述べています」

 安倍氏が福沢の「思想」に傾倒し継承しようとしていることは明らかです。現にその後安倍政権は、朝鮮・中国敵視政策、沖縄への差別、大軍拡、集団的自衛権行使など、かつて福沢が唱えたことを次々と実行に移しています。

 さらに重大なことは、差別・侵略主義者の福沢が日本の最高額紙幣の肖像画として、すべての日本人、ある在日朝鮮・中国人の懐に納まり、羨望の対象(1万円札として)になっていることです。このことが市民の歴史認識・思想に及ぼし続けている影響はけっして軽視できません。

 

 


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「裏合意」で不当性が強まった「日韓慰安婦合意」

2017年12月28日 | 日本人の歴史認識

     

 日本軍による戦時性奴隷(「慰安婦」)をめぐる「日韓合意」(2015年12月28日)についての韓国の検証結果が27日発表されました。
 この中で見過ごすことができないのは、「合意には非公開部分が存在する」(検証チームによる「報告書要旨」28日付共同配信)ことが暴露されたことです。両国の「国民」には秘密の「非公開合意」すなわち”裏合意”があったというのです。

 しかも、日本(日本国民)にとってとりわけ重大なのは、「こうした方式(非公開ー引用者)は日本の希望により高官協議で決定された」(「報告書の要旨」)ということです。

 日本政府=安倍政権が裏合意で要求したのは、次の3点です。

 「検証チームの報告書によると…記者会見で発表した合意内容のほかに『非公開の合意』があった。日本政府は韓国政府に対し、ソウルの日本大使館前に慰安婦問題を象徴する少女像を建てた『韓国挺身隊問題対策協議会』(挺対協)など支援団体の説得▷第三国での慰安婦関連の像や碑の設置を支援しない▷今後『性奴隷』という表現を使わないーーの3点を要求。韓国側が消極的ながらもおおむね応じた」(28日付朝日新聞)

 そもそも「国民」には秘密の裏合意を申し出ること自体、主権者を無視した安倍政権の強権的姿勢を示すものです。
 しかもその内容が重大です。
 挺対協など「支援団体の説得」も、「像や碑の設置を支援しない」も、「「性奴隷」という表現を使わない」も、いずれも戦時性奴隷という「慰安婦」の実態を隠ぺいするだけでなく、言論・表現の自由、集会・結社の自由を侵害するものです。しかもそれを他国に事実上強要するのですから、内政干渉と言わねばなりません。二重三重に言語道断です。

 裏合意で名指しされた挺対協の尹美香・共同代表が27日、韓国外務省庁舎前で記者会見し、「裏合意が判明し、しかも私たちの行動を制限するものだった」(28日付共同配信)と怒り、「政府は即刻合意を破棄し、日本からの10億円を返還すべきだ」(同)と訴えたのは当然でしょう。

 「日韓合意」はもともと、当事者の被害女性や支援団体の意見をまったく聞かないうえ、日本の法的犯罪性、加害責任、賠償責任に背を向けたきわめて不当なものです。
 しかも、「合意は、日米韓軍事同盟を強化するために日本の戦争犯罪に免罪符を与える措置」(「日韓日本軍『慰安婦』合意無効化と正義の解決のための全国行動」記者会見文ー2016年12月27日)という政治的意味を持っています。

 これに加えて今回明らかになった裏合意。「日韓合意」の不当性は明々白々であり、直ちに廃棄されなければなりません。

 日本のメディアは今回の「報告書」について、「前政権批判」「ガス抜き」などと韓国内部の問題と報じていますが、こうした日本の報道がこの問題に対する「日本国民」の無関心・無責任を助長しているのは明らかです。
 これは韓国(だけ)の問題ではありません。日本が、「日本国民」が問われている問題です。
  


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「軍艦島」地獄の強制労働を隠ぺいする安倍政権

2017年12月09日 | 日本人の歴史認識

     

 「軍艦島の強制労働否定 徴用工巡り 政府、証言公開へ」(8日付沖縄タイムス)

 8日付の地方紙がほぼ同様の見出しで報じた記事(共同配信)。またか、の思いとともに、怒りがこみあげてきます。

 「政府は、世界文化遺産の端島(通称・軍艦島、長崎市)の炭鉱で戦時徴用された朝鮮半島出身者に関し、過酷な強制労働の実態はなかったとする元島民の証言を公開する方向で検討に入った。2019年までに世界遺産の紹介施設を東京都内に開設し、開示したい考え」(8日付共同配信)

 帝国日本が植民地支配していた朝鮮から多くの朝鮮人が強制連行され、軍艦島(写真左)で地獄の強制労働の犠牲になったことは、紛れもない歴史的事実です。それを「朝鮮人もみんな友達だった」などの「証言」によって否定(ないし相殺)しようとする。南京大虐殺をはじめ、政府・自民党が侵略・植民地支配の歴史を隠ぺいする常とう手段です。

 安倍政権のこの動きを、いちはやく予測し、警告を発していたグループがあります。世界遺産登録(2015年7月)の段階から安倍政権を監視している日本と韓国の共同市民グループです(日本=強制動員真相究明ネットワークなど、韓国=民族問題研究所など)。

 同グループは今年7月、「強制労働の現場にしみ込んだ被害者の血と汗、涙の歴史を記録せよ」と題した「共同声明」を発表しました。その中でこう指摘しています。

 「強制労働の実態がきちんと『インフォメーションセンター』(日本政府が設置を約束した紹介施設ー引用者)に反映されるのか、非常に懐疑的である。…今回の日本政府の調査においては、強制労働と捕虜労働などの影と『犠牲者を記憶』するための歴史的事実がきちんと取り上げられなければならない

 「声明」は「懐疑的」にならざるをえない理由として、世界遺産登録当時から安倍政権の閣僚や右翼から「強制労働はなかった」の声が上がったり、安倍首相自身が「わずか50年あまりで産業化をなし遂げた日本」などと“日本スゴイ”を吹聴していたことを挙げています。

 「声明」の不安は的中しました。
 安倍首相の”日本スゴイ”はその後、「世界の中心で輝く日本」(2016年1月22日の施政方針演説)となり、「北朝鮮には対話でなく圧力」(2017年9月20日の国連演説)へとつながっていきました。
 そしてさらにそれは、来年の「明治維新150年キャンペーン」へ連動しようとしています。

 言うまでもなく、この問題は「日韓の外交問題」(だけ)ではありません。日本の私たちが、帝国日本の侵略・植民地支配の歴史に正面から向き合うことができるのかどうか、そして安倍首相の偏狭ナショナリズム・大国主義と対峙することができるのかどうかの問題です。まさに今を生きる日本人自身の問題です。

 「声明」を発表したグループは先月、『「明治日本の産業革命遺産」と強制労働』と題した「世界遺産ガイドブック」を発行しました。その中から、14歳で軍艦島に強制連行された崔璋燮さんの話を紹介し、あらためて強制労働の歴史を共有したいと思います。

 <端島がどんなところか説明もなく、ただ良いところだと騙して、あの手この手で逃亡を防がれ、連行されました。崔さんは、9階の建物の地下に入れられ、原田隊の第2中隊に属し、採炭現場での労働を強いられました。逃走して捕まったものはゴムのチューブで皮膚が剥がれるほど叩かれ、拷問されました。抵抗の余地はなく、刑務所に閉じ込められているのと同じでした。
 「人間の地獄がここだなあと思った」といいます。>


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