自民党内のポスト争いにすぎない総裁選で大騒ぎするメディアの愚についてはすでに書きましたが(8月5日のブログ参照)、8月26日に安倍晋三首相が鹿児島で行った総裁選出馬表明(写真左)とその直前の講演は、見過ごすことができない安倍氏の危険な”思想”と政治姿勢が表れていました。
第1に、皇国史観と天皇制の政治利用です。
安倍氏は出馬表明でこう述べました。
「来年は皇位の継承、日本初のG20サミットが開催され、さらにその先に東京オリンピック・パラリンピックが開催される。まさに日本は大きな歴史の転換点を迎える。…平成の先の時代に向け新たな国づくりを進める、その先頭に立つ決意だ」(写真)
絶対主義天皇制の大日本帝国憲法と違い、主権在民の現行憲法では天皇にはなんの政治的権限もありません。「内閣の助言と承認」によって憲法に定められた「国事行為」を行うだけです。その天皇が交代(皇位継承)するからといって、日本の政治・社会にはなんの変化もないはずです。あってはなりません。
それを「歴史の転換点」と言うのは、自民党の改憲草案にある「天皇元首化」と同様の皇国史観であり、それに乗じて自らの政権延命を図ろうとする天皇制の政治利用に他なりません。
第2に、「薩長藩閥政治」への回帰願望です。
出馬表明に先立ち安倍氏は鹿児島県鹿屋市内で講演し、「今年が明治維新から150年に当たることに触れ『しっかり薩摩(鹿児島県)と長州(山口県)で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい』と述べ」(8月27日付沖縄タイムス=共同電)ました。
これを「地方重視」のリップサービスと片づけることはできません。なぜなら、明治の「薩長藩閥政治」への憧憬は安倍氏の“歴史・政治思想”の根幹だからです。
安倍氏は第1次政権時代も含め現在までに施政方針演説と所信表明演説を各7回ずつ行っていますが、その中で、「明治維新」のブレーンだった長州の吉田松陰と、薩長藩閥政治の理論的支柱となった福沢諭吉を、それぞれ2回合わせて4回も引用しています。
たとえば首相としての初の所信表明演説でこう力説しました。
「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。吉田松陰は…若い長州藩士に志を持たせる教育を行い、有為な人材を多数輩出しました」(2006年9月29日)
さらにその翌年の初の施政方針演説ではこうです。
「福沢諭吉は…困難なことをひるまずに前向きに取り組む心(を強調)、この心こそ、明治維新から近代日本をつくっていったのではないでしょうか」(2007年1月26日)
このほか、2013年2月28日の施政方針演説で福沢諭吉、2015年2月12日の施政方針演説で吉田松陰を引用しています。
吉田松陰と福沢諭吉に共通しているのは、天皇主義と朝鮮・中国などアジア蔑視・侵略主義の結合です。福沢諭吉については先に検討たので(2月3日、3月1日のブログ参照)、吉田松陰について概観します。
松陰は「尊王攘夷」の旗頭でしたが、その思想の根底にあるのは、水戸学の影響を受けた「万世一系」の「国体」論でした。その皇国史観は、周辺諸国・他民族、とくに朝鮮への侵略と一体でした。
「松陰においては国体論によって朝鮮侵略が理念化され、それは皇国の構想全体のなかで中心的な位置を占めることになった。そして『幽因録』(1854年)ではいち早く、武備をととのえ、蝦夷・カムチャッカなどを奪い、琉球を諭して朝鮮をしたがえ、満州・台湾・ルソンに進取の勢いを示すべきだと、激しい海外雄飛の構想が打ち上げられた」(尹健次氏『日本国民論』筑摩書房)
この吉田松陰の導きを受け、福沢諭吉の「脱亜論」「帝室論」などの影響を受けた長州・薩摩出身者は、明治天皇と一体となり、朝鮮や琉球(沖縄)などへの侵略の先頭に立ちました。
「軍人集団をリードしていたのは、明治維新以来の薩摩・長州の出身者であった。軍人集団はこの二つの同郷集団によって支配されていたのである。大山巌、西郷従道、松方正義、黒田清隆、森有礼などは鹿児島県、伊藤博文、山県有朋、井上馨、桂太郎などは山口県の出身であった。…日露戦争の頃になると、これら薩長出身官僚は元老と呼ばれ、明治天皇としきりに接触する一方、閣外から内閣の政治に介入した。…日本軍国主義と天皇制は一体だと書いたが、それに藩閥政治を加える必要がある。…藩閥政府なくして明治天皇制はなく、明治天皇制なくして藩閥政治は存在しえなかった」(星野芳郎氏『日本軍国主義の源流を問う』日本評論社)
ここに名前があがった以外にも、「征韓論」の西郷隆盛、台湾侵略の大久保利通、朝鮮総督の寺内正毅(長州)も見落とせません。そもそも琉球を侵略したのは薩摩藩で、薩摩はそれによって財力を肥やしました。その琉球侵略を決定づけた「琉球処分」(1879年)で、処分官・松田道之を派遣したのは伊藤博文であり、手紙で松田を激励しアドバイスを与えたのは福沢諭吉でした。
こうした明治天皇制・藩閥政治の朝鮮、琉球侵略が今日の朝鮮半島、沖縄の現実につながっていることは言うまでもありません。
その鹿児島での安倍氏の総裁選出馬表明。皇国史観と薩長藩閥政治回帰願望が根っこでつながり、今日の朝鮮半島と沖縄に対する差別・強権姿勢を裏付けているといえるでしょう。