


日本のメディアは「8・15終戦神話」によってこの日の前後に「戦争特集」を組みます(「8月ジャーナリズム」)。しかし、日本人が本当に忘れてならない記念日は「8・14」の方です。
韓国では文在寅(ムン・ジェイン)前政権が2017年に法律で「8・14」を「国家記念日のメモリアルデー」に指定しました。「8・14」は何があった日でしょうか。
日本軍「慰安婦」(戦時性奴隷)の被害者・金学順(キム・ハクスン)さんがソウルで記者会見し、初めて実名で名乗り出て日本政府を告発した日、それが1991年の8月14日です(写真左)。
キム・ハクスンさんの告発を契機に、韓国、中国、フィリピン、台湾、東チモール、マレーシア、インドネシア、オランダ、そして日本から性奴隷の被害者が相次いで名乗り出ました。
33年目のこの日も、韓国では政府主催の記念式典が開催され、「元慰安婦」の李溶沫(イ・ヨンス)さんが出席しました(写真中=15日付沖縄タイムス=共同)。
また支援団体の「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」などは同日、「平和の少女像」があるソウルの日本大使館付近で通常より大規模な「水曜集会」を開催しました。
キム・ハクスンさんはなぜ告発に踏み切ったのでしょうか。
「1990年ごろ、日本政府が「慰安婦」を連れ歩いたのは民間業者だと言っているというニュースを聞いて、私がここに生きているのに、なんでこんなことを言うのか、日本の政府はウソを言っていると思いました。私はそれを許すことができませんでした。私はとにかく日本政府に事実を認めさせなければいけないと思いました。
私はこの時、朝鮮を植民地として支配をし、日本が起こした戦争に朝鮮人を引っ張っていき、巻き込んでおきながら、その責任をとらないということは、私は許されないと思いました」(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動のチラシより)
キム・ハクスンさんは91年12月、日本政府を相手に裁判を起こします。その時の記者会見ではこう述べています。
「一生、涙のなかで生きてきました。こんなことを金で補償できるでしょうか。私を17歳のときに戻してください」(『「慰安婦」問題と未来の責任』大月書店2017年より)
キム・ハクスンの訴えは日本政府に届いたでしょうか。逆です。日本政府はその後も歴史の事実を否定し続け、安倍晋三元首相に至っては2015年、朴槿恵(パク・クネ)大統領(当時)との間で「日韓合意」を交わし、後世にわたってこの問題にフタをしようとしました。安倍元首相の下でその「日韓合意」を非公開で交わしたのが当時の外相、現首相の岸田文雄氏です。「合意」では「平和の少女像」を設置しないとする密約があったと言われています。
岸田氏は就任以来、韓国やドイツの市民団体がベルリンに設置した「平和の少女像」(写真右)を撤去させる圧力をかけ続け、ついにベルリン当局に撤去を約束させました(7月24日のブログ参照)。
これは、朝鮮人強制連行・強制労働の事実を隠ぺいしたまま「佐渡島金山」をユネスコ世界遺産に登録させたことと並んで、岸田政権の歴史的汚点の1つです。
日本政府に戦時性奴隷の事実を認めさせ、被害者・遺族に謝罪させ、補償させなければなりません。33年前のキム・ハクスンさんの訴えを受け止めて声を上げなければならないのは、私たち日本人市民です。
だから日本人は「8・14」を忘れてはならないのです。