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アメリカにオベッカする岸田総理大臣

2024-04-15 04:14:34 | Peace Cafe


 岸田総理大臣が米議会上下両院合同会議で演説をする機会を得た。アベ氏に次いで2回目のことだそうだ。いずれの場合も、アメリカが希望している言葉を表明させられる場である。日本を「米国のグローバル・パートナー」と定義した。日本が米国と一緒に自由と民主主義を基調とする国際秩序を守る決意だと、表明した。となっている。 

  その前段で、自分が子供時代アメリカで育って、アメリカの学校に通い、温かくして貰った話をした。この話はアメリカ人には、気に入られた事だろう。本来なら、原爆投下の広島で生まれ、アメリカを恨みに思い育った。アメリカに行って差別を受けた日本人の少年のはずだ。何か私の気分は晴れない話だ。

 日本の代表として話すのだから、日本の譲れないことは明確に伝える必要がある。これではアメリカは日本はすべて言いなりだと思っただけだ。アメリカに大いに日本を前線基地として利用させて貰おうじゃないかと、安心して貰ったと言うだけだ。

 沖縄の米軍基地負担の軽減は、自民党政権の公約である。せめて沖縄の基地は自衛隊基地に置き換えてゆく覚悟がある。今現在その整備を続けている。将来は自国で自国は守る方針である。そのことぐらいはアメリカに言うべきだろう。

 私の場合、フランスへの留学生として、金沢とナンシーの姉妹都市として関係で暖かく迎えて貰った。ナンシーの日仏協会、得にドクターピエルソン氏には感謝をしている。パリの美術学校にも、特にアルベルト・ザバロ先生には感謝しか無い。

 しかし、フランスでは様々な差別を受けた。そのことも忘れたことは無い。そして、今フランスを余り好きな国とは、考えていない。人間にとって差別ほど不愉快なことはない。フランスでは白黒黄色の順位だと言われた事がある。思い出すのも嫌だ。

「国際秩序は今、新たな挑戦に直面している」と懸念を表明。中国の軍事動向を「これまでにない最大の戦略的挑戦」、北朝鮮の核ミサイル開発を「直接的脅威」、ロシアによるウクライナ侵略に関し「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」と指摘した。

 アメリカには国賓として、インド、オオストラリア、韓国、次いで日本と中国を取り巻く国々が招かれている。韓国と日本は特に米国両院議会での演説をする場を得ている。まさに同盟国としての扱いである。前線基地として、防人の誓いの言葉を聞こうと言うのかも知れない。

 アメリカは中国に対して、対抗意識がきわめて強いと言うことなのだろう。韓国も日本も等しく中国との対立を強めさせられている。対立を強めてゆくだけでは待ち受けているのは、戦争になってしまう。強固な同盟国の連帯も良いが、同時に中国と、国際紛争を交渉する札を捜さなければならない。

 日本の役割は、アメリカと中国の間に入り、平和への道を探ることだ。これが日本の使命だ。アメリカには出来ない日本の役割は、中国の良さをアメリカに伝えることだ。アメリカ人はそのことに気づけないが、日本人は親しい人種として、長い歴史の中で、すべてと言えるほど恩恵を受けたのだ。

 そんなきれい事をよく言うよ。と言うことなのだろうが、もう世界は日本国憲法前文冒頭に、「諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し 」と宣言されている精神に、向かう以外に道はないのだ。

 確かに不可能に見える道だろう。困難を極める道だろう。経済的にも様々な苦難が待っているだろう。それでも、戦争へ突き進むよりはよほど良い。アメリカの戦争に巻き込まれることだけは、何としても避けて貰いたい。このまま行く道は、地獄への道だ。

 憲法で示した戦争を再び招かない、決意は全く日本国総理大臣にはない。広島で生まれたことは述べた。広島の原爆被害の悲惨な状況を一言だけでも織り込んで欲しかった。アメリカの議員の皆さんに、是非共一度、広島平和記念資料館に招待したいと申し出て欲しかった。

 そして、日本は同盟国ではあるが、属国では無いという日本独自の方角も示す必要があった。アメリカに追随して、中国に対抗するばかりではないと言うことを示す必要があった。日本人は東アジアの独立国で、中国と友好関係を持つべき国だと言うことを示す必要があった。

 岸田氏の米議会での演説は、どこからどこまでも、アメリカの希望する、対中国の前線基地日本国の姿であった。アメリカはかつて戦争に勝利し占領した日本の姿をそのままに描いている。この現実の認識が日本国総理大臣には無い。

 沖縄に駐留する米軍の治外法権的現状を踏まえて、対等な関係に変えて行く覚悟を示す必要があった。日米地位協定が極めて差別的なものであること。な当職との地位協定と同レベルのものに、変得なければならないことを表明しなければならなかっただろう。

 日本はアメリカと同盟国である。しかし、それは対等な意味での同盟である事を、アメリカの国会議員に認識させる必要があった。この大切な機会を、ただただオベッカで終わらせたのは、以下に日本国が独立していく気概がないと言うことを表明したことになる。

 何故これほどに日本の総理大臣が卑屈で、奴隷根性であるかは、長年の隷属状態で飼い慣らされてしまったのだ。もう、防人の位置づけである事すら抵抗がなくなってしまったのだ。しかし、アメリカはもう世界を始動するような国ではないのだ。

 アメリカはトランプのような異常な人物が、民主的な選挙で選ばれようとしている国なのだ。アメリカは一国主義に成ろうとしている。そのアメリカに従うと言うことは、アメリカに利用される国になるという事だ。日本の保守党には、隷属以外にないようだ。

 中国との関係を日本は大切にすべきだ。アメリカとの距離をすこしづつ広げてゆく事が必要だ。日本が独立国家として、独自に外交が出来る国である事を示さなくてはならない。中国人を敵視していることは、日本の方角を誤ることになる。報道が偏向していて、中国人への誤解がひどいのだ。

 
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207 水彩画 日曜展示

2024-04-14 04:15:43 | 水彩画
207 水彩画 日曜展示







456「のぼたん農園」
2024.4 中判全紙







457「石垣島赤崎」
2024.4 中判全紙









458「岬」
2024.4 12号








459「漁港」
2024.4 12号 和紙







460「島」
2024.4 6号







461「ハイビスカス」
2024.4 3号


 今週は六点になった。最初の二点が時間がかかった。このどちらかを相模原である水彩人展に出そうかと思う。二点出すのだが、一点はもう決めてあるので、この二点のどちらかになると思う。今度小田原に行くときに、持って行って、額装をしておきたいと考えている。

 そのあと、その絵は三軒茶屋にあるキャロットタワーというビルの、ロビーに飾るつもりだ。3ヶ月に一回掛け替えつもりだ。絵を人に見て貰うことが必要かと考えたからだ。名前とバーコードを入れておき、意見を貰えるようにしようかと思っている。

 何しろかなりの数の絵が、誰にも見て貰わないまま、倉庫に積み上げてある。それよりはどこかで人目に触れる機会がある方が良いかと考えた。人に見て貰うことになる前提で絵を描いている方が良いと思うようになった。個展という形は、止めたのでこんな形を考えた。


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好きなことを見付けることが子供の仕事

2024-04-13 04:17:19 | 楽観農園


 父が何度も言ったことは「好きなことを見付けることが子供の仕事だ」と言うことだった。好きなことが見つかれば、どんな努力だって出来るようになる。というのだ。だから好きなことが見つかるまでは、無理に努力をする必要は無い。努力が出来ないのは、まだ好きなことが見つかっていないからだ。こんな風に話した。

 所が、好きなことが結構難しかったのだ。兄は中学生になって写真が好きになった。所が写真など無意味だと言って、決して好きなこととして認めなかった。写真など藝術では無いと決めつけていた。その違いはなんとなくは分ったが、父が言う好きなことは、なかなか難しかったのだ。もちろん遊びが好きでもそれはだめだった。

 子供の頃の好きなことは、まさに遊びだった。日がな一日黄鉄鉱堀をしていれば、満足だった。クワガタムシを捕っていれば、おもしろくて仕方がなかった。どうも父が言う好きなことは、こういうことでは無いらしい。人間が生涯をかけるだけの意味のある、好きなことらしかった。

 父にしてみると、それは学問をすることだった。民俗学研究の生涯を送ることだった。多分父の考えは柳田国男氏の影響下にあった。所が、中国戦線の前線で7年間も無駄にした。そして、戦後東京に戻ってから家族の生活を支えるために、商売に必死だった。柳田先生には民族学を続けられないと伝えにいったそうだ。悲しそうに、ただそうかと言われたと言っていた。

 その悔しい思いが、いつもあって生きていたために、好きな民俗学を出来ない日々が、悔しかったのだろう。子供には学問が好きになって貰いたいと言うことが背景にあった。民俗学ほどおもしろいものはなかったから、誰だって学問が好きなはずだと思っていたのだろう。

 叔父は父に育てられたのだが、育種学の学者になった。兄は和牛の研究者の道に進んだ。大学に残ることは出来ずに、岩手県の役人になって、牛に関わる仕事をした。父の兄は彫刻家であった。父はその家族の面倒も見ていた。そういうことから、絵を描くことが好きと言うことにした気がする。

 ところが、絵を描くことは父は反対した。好きなことが絵である以上仕方がなかった。ただ、芸大に行くことはどうしても認めなかった。ちゃんとした国立大学に行き学問をして、その上でまだ絵が描きたいというのであれば良い。藝術としての絵画はまず人間の成長だ。そのためには先ずは普通の大学生になれというのだ。芸大よりも東大だというのだ。その上でならば、絵を描くことを認めてくれた。

 考えてみると、今の私の絵に対する考えはほとんど父に教えられたことのようだ。それくらい私の考えは、父の影響で、成長したのだろう。だから美術大学で絵を描くつもりは無く、金沢大学では日本の寺子屋教育を研究するつもりだった。生まれた向昌院は寺子屋を開講していた寺だった。

 江戸時代の教育に興味があった。江戸時代社会が安定すると、寺子屋教育が隆盛を極める。本屋は軒並み需要の多い教科書、啓蒙書を製作して販売した。 行商本屋や貸本屋が派生した。江戸時代中期の成年男子の識字率70~80%ある。この時代こんな国は他には無い。識字率が世界一といわれる。その背景に寺子屋があった。 

 寺子屋の研究をしてみたいというのが、大学に行く目的だった。所が学問をする為には2カ国語を学ばなければならない。そもそも英語が嫌いだったぐらいだから、外国語を学ばなければ学者になれないのであれば、学問などやりたくないというのが実際の所だった。

 それで寺子屋に関しては自分なりに学ぶことにして、絵を描く方に流れていった。今思えば、あの当たりが分かれ目だった。父は大学に行くまでは生活の面倒を見た。後は自分でやれと言うことだった。自分でやる以上後のことは自由に生きてくれと言うことだった。

 そして今は、朝起きたら今日一日が楽しくなるような暮らしをしている。こういう状態になれたことは、有難いことだと思う。実際大したことをしているわけでもない。生きてきたほとんどが失敗ばかりである。本来後悔しても良いはずだが、何の後悔もない。

 ダメだったけどそれでいいと思える毎日である。生きると言うことには、成功も失敗も無いと感じている。好きなことをやってきたので、後悔がない。絵を描いていて、絵描きには成れなかったが、それもまた良いと思っている。むしろ農業をしながらの、暮らしで良かったと思える。何も成し遂げたわけでは無いが、これで満足なのだ。

 絵を描くという藝術の世界は、やりがいがある。費やす価値があると思えたのだ。それはやってみて、人生を費やしてしまった今も、そう思える。別段自分の藝術世界が世間に認められたと言うことではないが、そうしたことと関係が無く、藝術の世界の崇高さに触れられたことで満足できる。

 崇高な世界がある事を知り、それに向かっていきている日々という、方角が良い。これがベーゴマが好きだったから、ベーゴマを一生やったとしても、それはさすがにつまらないことになったに違いない。鳥を飼うのも子供の頃から好きで、飼い続けた。世界一の鶏を作る夢だった笹鶏も、残念なことに失敗した。

 それでも、生きる事の楽観である。何とかなるから大丈夫という心境である。先の心配はない。今やることをどこまでやれるかだ。今現在最後の冒険である、「のぼたん農園」の完成に向けて、日々努力している。これがおもしろくて仕方がない。

 毎日あれをやろうかこれをやろうかである。昨日は森林組合で、やらぶと栴檀の苗を100本購入した。早速植えるために、溜め池上部の整備をした。まだ終わっていないが、早く苗がくるまでに苗を植える準備を進めたい。草刈りをして、植え穴を掘り、堆肥を入れておく。

 今苗を植えれば、50年後にはやらぶと、センダンの林が広がっているはずだ。それを思うだけで、わくわくしてくる。これで、のぼたん農園の大枠はできてきたと言うことになる。後は根気よく整備して行くことになる。それを想像するだけで、楽しくて仕方がない。

 色々好きなことをやってきたのだが、その中で、今は次の世の中に役立つことは、自給農の技術を後世に残すことだと思っている。その目的があるから、今やっているのぼたん農園の作業は、すごくやりたい意欲が湧いてくる。身体はだんだん長くは働けなくなっているのだが、コツコツ続けている。

 好きなことが、世の中の役に立ちそうだと言うことが嬉しい。のぼたん農園の作業をすることは、何か有意義なことをやっていて、自分だけのためではないという気持ちになれるのだ。こんなに嬉しいことは無い。と言っても、のぼたん農園の目的が理解されるのは、50年後だろう。

 今年も学校田をやる。ここで稲を作った小学生達が私ぐらいになった頃に、のぼたん農園の意味を分ってくれるかも知れない。ここに在る自給農業の形が、その時代の目標になっているかも知れない。そのくらいの気持ちで日々取り組んでいる。好きなことだから、やりきりたい。

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川勝平太静岡県知事の辞任

2024-04-12 04:35:46 | Peace Cafe


 川勝氏が失言で辞任になった。残念なことだった。右翼報道に狙われていたのだから、用心して欲しかった。川勝氏が早稲田大学の教授だったころに、農文協で企画した座談会でお会いし、話を聞いて頂いたことがある。小さな農家が政府の農政の結果継続できなくなる話をしたが、良く理解してくれた。

 何故政経学部の教授が農業の話のまとめ役なのか分らなかったが、これからは市民が自給農をする時代が来ると言うことを、理解して貰えたと思えた。何を答えてくれたのかは忘れてしまったが、紳士的な立派な方で、反政府の印象は強かった。

 その後静岡県知事になられた。リニアモーターカーの反対で目立っていた。いわゆる報道機関ではまるで工事を止めてしまう、元凶のように書かれることが多かったが、このリニアの中央アルプストンネルは、許されれない、破壊工事だと考えていたので、川勝氏が頑張っているのを応援する気持ちでいた。

 いまや残念なことに報道は大本営発表しか出来ない。批判精神を喪失した。調査報道の能力を失った。だからこのリニアモーターカー工事のとんでもない実態が理解も出来ないのだろう。だから伝えようとしない。この工事は全く現実的では無いような工事なのだ。実際に一日平均1m程度しか進んでいない。

 それは川勝知事とは関係の無い、実現不可能とも言える難工事なのだ。この不可能な工事をごまかすために、川勝氏を取り上げてごまかしてきたのだ。そして、川勝氏を悪者に仕立てるために、失言をことさらに取り上げてきたのだ。足をすくう報道の共同作戦だ。

 多分そういう依頼を受けての報道の忖度報道に違いない。だから川勝氏はどんなに腹が立とうと辞任しては成らない。まさかの辞任報道で、がっかりした。自民党政治家のような、厚顔無恥の粘りは無かった。あの二階氏は「馬鹿野郎」まで発言して、報道はスルーだ。

 森氏など失言のオンパレードだが、パー券キックバック問題では、筆頭の責任者にも関わらず、政倫審にも出ないで済まそうとしている。何故責任者が守られるのかおかしな政党と報道である。犯罪行為として告発すべき責任者が見逃されている。

 川勝知事は学者だから、知性を重んじる人なのだろう。職員に知性在る仕事を期待したい。と言うことだったのだろう。確かにその発言の際に、分りやすい比較として、肉体労働者ではないという意味を持ちだしたのだろう。分りやすい事例が良くは無かった。

 しかし、その通りだと思うのだ。小田原では、農政課の職員が直接道路直しをしたりする肉体労働をする。費用が無いから自分たちで工事をしてしまうと言うのだが、高い給与の市の職員かもしれないが、肉体労働者に較べて運動能力は格段に低い。仕事が農家の半分だ。これも差別発言になるか。

 市の事務職員が肉体労働はやってはならないということだ。多分静岡県でも同じではないか。頭を使って仕事をしろと日ごろから言いたかったのだろう。県の事務職員は頭脳労働者と言うことだろう。それは別段肉体労働者を差別することではないだろう。言い方は良くは無かったのだろうが、趣旨は理解できる。

 百姓の一人として、肉体労働者はとても素晴らしいと思っているから、肉体労働を低くみる考え方自体が間違いだと思う。給与が安い世の中の方が異常だと思う。給与は頭脳でも肉体でも同じだろう。ここに能力差別の問題がある。頭の方が肉体より偉いはずが無い。頭も身体も繋がっている。

 先日、世田谷区の障害福祉課のかたから、障害者差別に対する法律が出来たことの説明を受ける機会があったのだ。石垣市でもそういう説明が進んでいるはずだ。様々な障害者の能力差別がとても気になっている。使える障害者の雇用が優先される。

 この説明を聞いていて、改めて能力差別が根本問題にあると考えた。能力差別に踏み込まずに、障害差別だけを取り上げるために、差別の根源に踏み込んでいない。障害で人間は差別されては成らない。その本質的な意味は人間は能力で差別されてはならないと言うことのはずだ。

 能力を用いて、お金持ちになったのだから、その立場は大切にされてしかるべきだという考え方の世の中である。この考え方が、差別の背景にある。能力がないから、貧乏であるのは仕方がないと言うことになる。障害があるので、能力が阻害されているから、貧乏でも仕方がないとなりかねない。

 日本国憲法第二十五条は、(1)「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 この意味はすべての国民は等しく健康で文化的な最低限の生活を営むべきである。と考えて良いのだと思える。能力があるから贅沢な生活をするなど、馬鹿馬鹿しいことだ。

 誰もが普通に平等に暮らして、生きられればそれでいいのだ。何故金持ちと貧乏人が居るのか。それは能力の違いだから仕方がないと、決めつけて良いものだろうか。みんなが普通に暮らして、好きなことをして生きれば良いのではないか。特権階級が居なくなれば、社会はそれが可能になるはずだ。

 みんなが楽しく暮らす。それが社会の目標ではないのか。障害者差別を問題にする根本に能力差別の問題があることを忘れては成らないと思う。川勝知事辞任のことだった。報道は全く低下したのだ。沖縄の報道はさすがにそうではないが。石垣島でも八重山毎日新聞以外の大手の報道は偏向している。

 特にNHKはひどい。何故かは想像できる。誰かを忖度しているのだ。あらゆる機会にのぼたん農園を取材して欲しいとお願いしているが、一度も来たことすら無い。何故か避けている。報道はしないでもかまわないが、実情の取材はして欲しいとメールを出すのだが、見に来ることすら無い。今度銀行の方々がやる稲刈りの取材に来て欲しい、と嫌みのメールを出してみよう。
 


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紅麹菌、薬と毒は紙一重

2024-04-11 04:16:03 | Peace Cafe


 紅麹菌のサプリメント「紅麹コレステヘルプ」 サプリで5人の死亡が疑われている。70代が3人、90代が1人、年齢不明が1人だったと公表した。また、日本腎臓学会の調査で、患者の初診日は2023年12月以降に集中していることも明らかになった。

   紅麹菌の問題では無く、混入していた何かしらの物質が原因しているらしい。しかし、このサプリ問題が、サプリという製品に伴う危険という、問題の本質に一行進まない点が気がかりだ。サプリは危険なものだ、使っていればすべて止めた方が良い。

 サプリを止めて、紅麹菌のように、薬成分を多く含んでいるものは、薬として扱い、薬としての扱いにして、国の検査体制内に置くべきである。薬であれば、他の薬と同時に服用して良いかも、医師や薬剤師の管轄になり、安全性が一段上がることになる。

 紅麹菌をあえて薬とせず、サプリとして販売するのは、商業主義に基ずく発想である。サプリとして自由販売をして、売れ行きが良かったのだ。コレストロールが下がるサプリとして、むしろ薬では無いから安全だという間違ったシグナルになってしまった。

 薬は仕方がないので飲まざる得ない。病気を治すためだから、少々薬害の問題があっても、はっきりと病気を治す物質と確認されているのだから、がまんして飲むほか無い。それでも薬には必ず、問題点が含まれている。物質で身体の問題点を直すと言うことは、身体に影響があると言うことになる。良い影響だけではないことも確かである。

 薬と毒薬は似ている。今回、紅麹菌の健康被害は最初シトリニンが精製されたのではないかと疑われたが、そうとも限らないとも言われている。まだ疑うべき物質は他にもあるらしい。小林製薬の使っている紅麹菌はシトリニンを精製しないと言う、優秀な選抜個体を選抜した他社が見付けた、紅麹菌を買収して使っている、と書かれていた。

 それでは何が原因かと調べを進めたところ、怪しいのは「プベルル酸」という青カビから発生することがある物質が健康被害の訴えがあった製品のロットで確認されたという。昔家で付いたお餅には青カビが生えた。青カビは良くないから削っていた。削って食べていたが、無くなるわけではないそうだ。その程度食べたからと言って問題は無い。

 青カビはペニシリンを作るから悪いものではないとも言われていた。「プベルル酸」はマラリアの薬として使われているという。つまり、薬でもあるし、毒でもある物質。「プベルル酸」が腎臓を痛めるものだと言うことも分っているわけでは無い。

 まだ本当の原因の特定までは行かないが、「プベルル酸」が検出されたロット以前のものから、健康被害は出ていなかったのだから、やはり「プベルル酸」が原因したと考えることが、一番可能性が高いことになる。しかし、その他のものが動じに精製されていた可能性はまだ残っている。マラリアの薬として使われる量なら、健康被害は無かったと言うことではないだろうか。

 フレミング1928年に青カビからのペニシリンの発見をした。シャーレの中で、青カビ周囲のブドウ球菌が死滅していたのに気付いた。フレミングは「鼻汁に含まれている物質(リゾチーム)で細菌が死滅すること」 をシャーレで確認する。

 パンやお餅に出てくる、毒である青カビが、実は薬にもなるものだったのだ。プベルル酸もやはり、毒でもあり薬でもある。適量であれば薬として利用できる。しかし、量を間違えば死に至る。すべての薬がそ言うものだろう。薬ほどではないと思われる危険が実はサプリにはある。

 普通食事からは取り入れることなど絶対に無いほどの量を、一気に身体に入れてしまうのが、薬やサプリである。身体の問題で必要であるなら、利用するのも止むえない場合も無いとは言えないが、それは医師の指示で判断しなければならない。

 素人療法で、おかしなサプリを使うなどやってはいけないことだ。今回の麹菌サプリ問題は、巧みにサプリから批判がそらされている。想像されるのは、報道機関のお客さんであるサプリ業界へ気を遣っている商業主義である。批判をサプリ全体に向ければ、コマーシャルが取りやめられるからだ。

 薬の場合はお医者さんや薬剤師さんがコントロールしているからまだ良いのだ。コマーシャルだって制限をされている。製薬会社も薬剤への異物の混入に対しても、極めて慎重である。しかし、サプリの場合はこの点が怪しい。国の試験や監視が無いのだ。しかし、外国では薬として扱われるような物質が、栄養食品やら、機能性食品として、売り出されている。

 サプリに対する、監視や検査態勢が甘いと言うことも、よりサプリの危険度を増している。サプリを常用していて、元気が出ると言っていた人が、ガンになった事例を友人で2人いる。薬で元気を出すなど良くないよといつも言っていたのだが、聞く耳が無かった。

 もちろんがんの原因がどこにあったのかは分らないが、私にはどうしても疑われるほど、2人ともサプリを何種類も常用していた。サプリに含まれる物質が、肝臓や腎臓に負担をかけている可能性はある。極端な偏食をしているような状態だ。

 今回は高血圧気味とか、あるいはコレステロール値が高いから、紅麹菌サプリを使っていた人達だ。何故、医師に相談して正式な薬を使わなかったのかと思う。高血圧の薬を常用すると、他に問題があるからいやだったというのかも知れない。それで、サプリならと考えたとしたら大間違いだ。

 サプリの方が危険度が高い。薬ならば、医師がその薬の影響を見てくれている。これはまずいと気付いて、薬を変えるような処置が執られる。医師のチェックがあれば、ひどくなる前に気付けるのだ。サプリに関しては医師は変なサプリを飲んでいるなど気付かず、普通医師に遠慮して、サプリのことなど話さないだろう。

 先ずは食事療法である。多様なものをすこしづつ食べる暮らし。高血圧ならよく言われるように塩分控えめである。そして適度な運動である。そして十分な睡眠をとり、たばこは止める。酒は控えめ。緊張の無いゆっくりとした暮らしをする。生活を改善して高血圧が改善されることは、少なくないはずだ。

 サプリの無料攻撃を避けなければならない。ただより高いものはないのだ。無料サンプル期間ぐらいならば、身体を損なうほどのことは無いだろうが、それでついつい洗脳されかねない。それで血圧が下がれば、サプリの御陰だと思い込まされるだろう。

 サプリを飲むくらいだから、他の対策も合せてやっている。食事を注意していたので、直ってきたのかも知れない。それでもついつい、サプリを飲んで改善したと思い込まされる。それで定期購入は割引があるなどと、追い込んでくるので、常用してみようかと言うことになる。

 サプリは薬と同じような危険がある。サプリを飲むくらいなら医師に相談して薬を飲むことだ。もちろん、薬も飲まないで生活改善がまず第一だ。私はそうしてきた。敷かし、緑内障では眼圧の低下の薬を使っている。この薬も目のまわりを腫らす薬害が伴う。

 あまりにかゆくて腫れるので、医師の指示で、今ひとつの目薬を止めている。そして、副腎皮質ホルモンの塗り薬を使っている。こういうのも常用しない方が良いに決まっている。かゆみがたちどころに直るだけに怖い。敷かし、眼圧を下げなければ、視野がさらに狭くなる。痛し痒しだ。

 
 

 
 
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朝のテレビ小説「虎と翼」のシシヤマザキさん

2024-04-10 04:38:04 | 楽観農園


 今度のNHKの連続小説は「虎と翼」この冒頭のタイトルバックがすごい。シシヤマザキさんというアニメーション作家の作品である。歌も流れるのだが、米津玄師さんが作詞作曲で歌う「さよーならまたいつか!」もわるくない。以前のこの人の作ったパプリカは良かった。合せて踊ったものだが、こんどの歌もまたいい。

 シシヤマザキさんは芸大のアニメーション科を卒業した人と言うことだ。芸大にそういう科ができていたと言うことすら知らなかった。34歳だという。この作品は主に水彩画を使いながら、動画としての新しい表現の映像だ。この新鮮さが素晴らしい。ともかく度肝を抜かれた。

 アニメーションが、絵画を越えている時代と言うことを思い知った。途中に出てくる墨絵もいい。目の表現の変化がまた良い。様々な手法で描く目。眼で見るという意味が、目を見ると言うことで、表わされている。目を描いていて、いつの間にか目が見ている世界が広がって行く。

 水彩の多様な表現が使われる。その処理がまたすばらしい。水彩の意味を水彩画以上に旨く表現している。もしかしたら本当の水彩を使わないのかも知れない。水彩のように見える、パソコン上の表現があるのかも知れない。デジタルで水彩画的な表現が出来るのかも知れない。

  まあ水彩で紙に描いて、パソコンに取り込んだ方がやりやすそうだ。しかし、これは昔の水彩画をかく人間の考えかもしれない。方法が違うからあのようなアニメーションが生まれたと考えた方が良いのだろう。と思うが、セル画画が存在するのか。セルでは水彩は描きにくいので、やはり紙か。

 斬新であり、時代の精神が表現されている。次の世界の表現が模索されている。実に軽やかに時代を超えている。芸術表現というものは、こうしてあるときに時代を超えているという事が分る。この飛躍は決定的なもので、次の時代の希望を感じさせるところが嬉しい。次の時代は結構古ぼけている。

 一見デザイン的な表現だ。つまり動画は説明的要素が強くなるものらしい。起承転結の要素が必要になり、物語化する。アニメの中でマチスと横尾忠則が合併している。アールヌーボー的な物もあるかと思えば、モネの印象派的な光まである。それが、映像として総合されて動いて行く。

 ある意味旧来の表現の真似で出来ているのだが、動画と言う形で利用することで創造に見える。装飾的な表現が、動画であるからこそ際立つ。ある意味当然なことなのだ。表現法に特別なことは無い。その組み合わせをアニメーション化出来たことがすごいのだろう。

 ざんねんな所が一点ある。最後に現実映像に戻るところがしらけている。芸術作品には種明かしなどいらないものだ。世間を少し甘く見たのかも知れない。世間は露骨なものしか見ないと考えているかも知れない。やはりテレビのため少しよそ行きだったか。

 テレビに遠慮の気持ちがあるのかも知れない。タイトルバックという制約から必要なものを考えたかも知れない。この辺の常識的なところが、この人がテレビで使われた理由なのかも知れない。説明をしなければ理解できない人を対象にしない方が良い。

 これほどの才能の人であれば、観客を意識する必要など全く無い。最後に種明かしが無くても、それまでの画面で充分に伝わってくる世界観がある。肝心なことは、ここに確かな映像による世界観の、思想の、哲学の、表現があると言うことで良い。

 日本のアニメはレベルが高いと言われてきたが、あくまで描写映像の範囲で、次の時代の映像美までは実現できていないとおもっていた。甘く見ていたことが恥ずかしい。シシヤマザキ氏はジブリアニメの領域では無いのだ。ジブリは最初のアニメション映画と言われた「白蛇伝」を越えては居ない。

 それはアカデミー賞を受賞した宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるか」でも映像表現としては物足りない。「君たちはどう生きるのか」で唄うのは米津玄師の「地球儀」米津氏はアニメーションに適合する世界観があるのかも知れない。そういえば、ジブリの「いつも何度でも」はよく歌った。

 どうだろうか、この2作品を比べて見ると、映像としてはシシヤマザキ氏の作品がはるかに優れていることが分る。宮崎駿はまだまだ過去の古くさい映画の世界の描写を引きずっているままで、映像としては芸術的表現までは行けない。時代を切り開いていない。古い説明に満ちている。

 それは映画という入場料を払う観客のレベルを反映しているのではないか。あくまで興行収入を意識している理解の範囲の映像なのだ。所が、シシヤマザキ氏の作品はNHKテレビであることが幸いしたのではないだろうか。却って自由に飛躍出来たのでは無いだろうか。

 シシヤマザキ氏のプロフィールによると、何と毎年陶芸作品の個展をしているという。何でもやるし、できる人のようだ。多才で好奇心の強い人と思われる。若い絵画の作家達が、ひどく技巧的になっている気がしていたのだが、こういう人も居たのだ。

 この人のやっているお絵かき教室というものがある。ズーム教室のようだ。月二回で2000円らしい。現在生徒は85名と出ている。こういう姿勢がおもしろい。新しい時代の思想家なのだろう。久しぶりで作品を見せて貰って元気が出てきた。実に嬉しい。まだまだこれから新しい世界を見せてくれる人に違いない。

 このお絵かき教室の目標は、「視野を広げ、思想を深める」というのだからすごい。絵を描く以前の問題に踏み込んでいる。その通りなのだ。芸術は人間に踏み込まなければならない。あなたのお絵かきがつまらないのは、あなたがつまらないからです。と言うことになる。

 この人の才能は半端ではない。次の時代の人にちがいない。間違いなく、次の芸術を生み出す人と考えて良いだろう。あえて言わせて貰えば、もっとダメでもいいじゃん。だめなままの人間が出てきた方が、さらにおもしろい。人間そんなきれい事では無い。

 私だってズーム教室をしてみたいが、古くさくてだめだ。到底及ばない。私が考えるお絵かき教室だ。「すばらしい人間になる為の絵の描き方。」しかし、その教室は素晴らしくない私ではやはり開催できないだろう。あのアニメーションあっての、シシヤマザキさんである。

 毎朝あのアニメーションがしばらく見ることが出来る。きっと一〇〇回ぐらい見れば、あのアニメーションが見えてくるはずだ。そうかユーチューブの映像でスロー再生にしてみるという手があった。展開が早すぎて、ついて行けないというのが、私の感覚の早さだ。若い人にはきっとあの速度が良いのだろう。

 

 
 
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4月7日の「のぼたん農園の稲」

2024-04-09 04:24:50 | 楽観農園


 1番田んぼはひこばえの田んぼ。品種は台光。1月13日に稲刈りをした。その後ひこばえを育てている。肥料不足で弱ったところがあり、追肥を多く入れた。その結果一気に成長して、大きな株は40分ゲツぐらいある状態になっている。

 田んぼ全体に見れば、株のばらつきが大きく、稲の生育をそろえて行くことが今後の課題。原因は田んぼの土壌の問題と肥料不足と見ている。また、稲刈りを遅くしたことが、イネ株の根を弱らせることになった。牛糞堆肥「よみがえり」を入れることで回復をしてきた。

 「よみがえり」の投入時期は、1,稲刈り2週前 2,稲刈り後2週間 3,穂ばらみ期 の三回は必ず行う。稲が弱いようならば、さらに追肥を行う。「よみがえり」はアカウキクサを増やすので、あかうきくさを育てるつもりで、アカウキクサの様子を見ながら行う。

 

 2番田んぼの「ユガフモチ」の出穂が始まっている。生育の良い株は出穂期が遅くなる。石垣島で出穂が早まり、葉が13枚で穂が出てしまう現象は、稲が十二分に育たないためだったようだ。十分に育つためには、土壌が良くならなければならない。稲に適合する気候で栽培しなければならない。

 今回の2番田んぼは40㎝角で植えてある。40㎝角植えにすると、株が悠々と大きくがっしりと育つ。十分に育つために、葉が15枚まで出る株がやっと増えたようだ。1月始めたの田植えが、ゆっくり成長になる事が分った。今回の結果で石垣島の稲作には、12月始めは種。1月始め田植え。5月中下旬稲刈りが。気候的に適合する事が確認できた。

 今後の目標は30㎝角植えでも、十分稲が育つように、豊かな土壌を作ることだと思う。そのためには腐植を増やす努力を、継続して行くこと。「アカウキクサ」をどれだけ多く、継続的に繁殖できるかにかかっているだろう。外から持ち込むことよりも、田んぼで腐植を増やすと言うことが重要である。ただ、ひこばえをやる場合は40㎝角植えの方が優れているのかも知れない。


 3番田んぼは「ミルキーサマー」である。30×40㎝植えで行っている。日照を多く受けるために、南側が40㎝の畝幅がある。これは作業のやりやすさがかなり改善されることだった。草取りや、コロガシが株を傷めること無く出来る。間が広いので作業がはかどる。

 手前の辺りの株は30穂が出てきいる。田んぼ全体がこのくらい穂が出てくれれば、かなりの収量が見込めるはずだ。ミルキーサマーは沖縄の奨励品種になっている。慣行農法の他のたんぼと比較することが出来るが、遜色ない。

 問題は一部に、耕土が浅く、岩盤がすぐ下にある場所がある。ここは生育が極端に悪い。岩盤をすこしづつ砕いて、耕土を深くする必要がある。また、手前付近が特に良いのは、トラックターがこの場所で回転したり、田んぼの外に出るため、田んぼが深くなったためのようだ。


 4番田んぼ。ミルキーサマーで30×40㎝植え。ここはコロガシを頻繁に行った。代掻きを七回行った。「堆肥よみがえり」も一番入れたと思われる。間違いなく一番栽培に熱心な田んぼだった。所が最後に来て少しこぢんまりとしてしまった。

 穂肥も入れたにもかかわらず、穂の大きさは3番田んぼと大きくはかわらなくなった。原因を推測すると、雨がほとんど降らず後半水不足になり、この田んぼは代掻き七回のために、水持ちが極めて良い。その結果ほとんど新しい水を入れなかったことになった。

 土壌に浸透性が無くなり、窒息気味になったのではないか。コロガシで補ったわけだが、やはり水が足りなかったことが一番影響してしまったのでは無いだろうか。この点では申し訳ないことだった。熱心だったために、水持ちを良くした。それで全体としては助かった。そのことで、後半稲に伸びが無かった。


 5番田んぼは不耕起田んぼである。クロマイ2種。うるち2種。餅米1種と植えている。主食栽培と言うよりは興味に従いあれこれやっている。株間は60㎝である。これは、自給農業では行きすぎだと思う。この発想は農家の方が見れば、遊びとみて反感を感じるだろう。

 考え方は私とは違う。のぼたん農園は田んぼごとに任せて、自由に栽培している。有機栽培の範囲であれば、何でも認めたいと考えている。機械は使わず、手作業で足踏み脱穀機で作業をしている。のぼたん農園がめざす、食糧自給のための探求農園と言う意味では、少し違っている。

 のぼたん農園は食糧自給を、生活の中で簡単に行えるかの探究をしている。食糧自給が誰でも簡単にできると言うことが、これからの世界で重要な農業になると考えている。社会がおかしくなってきている中で、自分の生き方を貫くためには、食糧自給は不可欠と考えている。



 6番田んぼは「ミルキーサマー」の40㎝角植えである。この田んぼは平均して30本以上の穂が出ている。株としては一番良く出来た田んぼである。のぼたん農園はまだ3年目に入ったところで、田んぼの土壌ができてはいない。そのために、40㎝角ぐらいでなければ、現状では十分稲が育たないのではないか。

 ひこばえで2回目の稲を作るとさらに大株になる。40本立ちになる可能性もあるだろう。この場合、しっかりとしたイネ株にし無ければ、小さな穂になり、小さな粒のお米になってしまう。十分のお米の収穫をするためには、40㎝角の方が良いのかもしれない。

 今回、ミルキーサマーので30本穂が出た田んぼで、ひこばえの栽培を探求するのはこれからの自給農法には意味がありそうだ。5月後半の稲刈りになると、次は9月半ばぐらいの稲刈りになりそうだ。この場合3回目の稲刈りが、12月になる。するとすぐに次の田植えと言うことになる。ひこばえ株の状態によっては、田植えをしないで、4回目を目指す事も考える必要がある。
 

 7番田んぼ「ミルキーサマー」の30㎝角植えである。一番生育が悪い。今年初めての土壌と言うことがある。また、水がこの田んぼまで十分に行かなかったと言うこともある。まだ土壌が田んぼとは到底言えない、ただの赤土なので、水持ちも肥料分も、微生物も居ない状態である。

 7番田んぼには、水不足の上、条件が悪い田んぼで、申し訳なかったのだが、来年は間違いなく良くなるので、協力して頑張りたいと思う。のぼたん農園はまだ完成を目指して努力しているところである。失敗も当然ある。あらゆる角度から試行錯誤して、自給の農業を探求して行くつもりだ。

 小麦も失敗だった。大豆も1回目の播種は失敗だった。協力して貰っていて申し訳ない気持ちもあるが、挑戦には失敗はつきものである。農業は様々な自然条件に左右される。想定をはずれることもある。失敗を恐れてやらないより、何度でも失敗しながら、自給農業技術を確立するほか無い。

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のぼたん農園のひこばえ栽培

2024-04-08 04:02:31 | 楽観農園


  写真はのぼたん農園一番田んぼの、ひこばえが出穂してきた様子。株は40本立ちになるほど大きく立派に育っている。ひこばえ栽培はやり方によっては、普通の田植え栽培よりも収量を上げられると言うことが証明できたと思う。ひこばえは前のイネ株よりも大きなイネ株になる可能性が高い。

 のぼたん農園の田んぼは、1月6日と13日が田植えだった。種を蒔いたのは12月3日である。そして、1月6日田植えの3番田んぼと4番田んぼでは、3月末が出穂。おおよそ70%の穂が出た日を出穂とする。出穂から45日で稲刈りだとして、5月18日が稲刈りの予定日になる。田んぼでの栽培期間は4ヶ月と12日。

 13日田植えの2番、6番、7番は5月25日が稲刈りの予定になる。この日は沖縄銀行の方達が、稲刈りの応援に来てくれることになっている。このところ、毎日出穂してから、慌ててネット張りをしていた。鴨が食べに来る。何しろこの時期に稲に穂があるのは、間違いなくのぼたん農園だけだろう。島中の鳥にその情報が流れている気がしてきた。

 ネットを張ったまま田んぼに入れるように、高めのネットにしたのだが、単管パイプや25㎜のハウスのパイプが足りないので困った。結局不足した最後の7番田んぼは、低いまま張ることことにせざるえなかった。単管が高くて買えないので、仕方がない。

 4つ角と長い側の中間点の4カ所だけは単管を打たないと風に倒される。これだけは何とか太いものにした。25ミリ管では倒されるのだから、どれだけ風が強いのかと思う。この強風が崎枝の特徴とも言える。風があるから高い湿度でも、稲に病気が出ないとも言える。



 田んぼの上をネットで覆うまでは、風よけに田んぼのまわりにはネットが張ってあったのだ。それが大分風にやられているので、ハウスパイプを打ち直して、単管6カ所をで補強した。そして、パイプの頭をハウスバンドで、マイカー線で、しっかりと結ぶ。そして田んぼの上も、行ったり来たりマイカー線を張る。

 その上に4ミリ角の防鳥ネットの青い強い方を張る。オレンジの方だとすぐ破られるのだ。ここまで徹底しなければ、石垣のどこの田んぼでも穂が出ていないこの時期に稲の収穫をしようと言う、計画は無理なのだ。何しろ野鳥がすさまじいほどの数居る。

 何故、12月始めに種を蒔くことを考えたかと言えば、一つは暑くなる前に稲刈りがしたいという希望がほぼ全員から出た。同時にひこばえは暑いからやりたくないという声も強かった。もしやりたくないと言うことであれば、私がその後を引き継いでやらして貰うつもりでいる。

 正月の早い田植えは、台風が来る前に稲刈りがしたいと言うことでもある。そして、年平均の最低温度状態を見ると、12月の最低気温が13度が数日あるだけだ。これなら、12月でも十分育苗が出来る。小田原の5月頃の気候なのだ。

 しかし、今年12月育苗をしてみて、分ったことは穴あきビニールトンネルをした方が、良かっただろうと言うことだった。防風ネットは日の光を遮りすぎる。そして、低温の日があっても防げる。苗は播種から、五週育苗で5葉期二分ゲツになるのが理想。

 四葉期ぐらいの苗で、五葉期まで成長した苗は少なかった。まだ苗代の場所の土壌が、十分に豊かではないと言うこともあったかもしれない。「ミルキーサマー」と言う品種の特性もあるかも知れない。あまりがっちりした株姿にもならない。同時に苗を作った「ゆがふもち」の方が、生育も早いし、姿も大きかった。


 黄色っぽい株は根が弱ってしまった株。穂を長い間漬けてから稲刈りをすると、根が弱る。最初は病気なのかと思ったが、そうではなく、根が枯れかかり、出てくるひこばえが黄化することが分った。これも徐々に育てると、緑のひこばえが出てきて、穂を付ける。ひこばえをやるならやはり早刈りと稲刈り前の追肥は必要だ。

 来年はどんな品種を作ることが出来るかで、育苗も変るかも知れないが、今年は五種類のお米を作ったので、どの品種が石垣の気候や、ひこばえ農法に適合しているかを調べようかと考えている。現在、ひこばえ農法は「台光」でやっている。

 「台光」は西表島で7カ所で作られているそうだ。台湾から来たお米というのだが、台湾にはそういうお米は無いそうだ。作ってみると不思議なお米で、どうも餅米が交雑しているかのようなお米だった。8月播種。1月13日稲刈りで、現在ひこばえの穂が出はじめている。

 台光はこのまま、稲刈りをして、3回目のひこばえをやろうと考えている。肝心なことはひこばえは肥料不足にならないことだ。台光で一カ所六株ほどかなり元気になった場所があった。それは稲刈り2週間前に堆肥のよみがえりを撒いていたときに、転んで堆肥をぶちまけた場所だった。

 やはり、稲は十分に穂を実らせると、根が弱るようだ。そのために出来れば早めに稲刈りをすることと、稲刈り前に次のひこばえのために肥料を入れることが必要になるようだ。今回の一番田んぼの台光ははばらつきも大きいので、株の状態によらず、5月11日前後に、牛糞堆肥「よみがえり」を入れる。

 そして、5月18日に稲刈りを行う。この稲刈りはできるだけ、高刈りをする。そして、稲刈り後に状態を見ながら、追肥を十分に行う。3番のミルキーサマーは5月4日にはよみがえりを多めに追肥をして、18日に稲刈りをする。ひこばえが元気に育つ農業技術を今年こそ確立する。

 その他ひこばえをやる田んぼがあれば、どこも同じように追肥をして、ひこばえが十分育つようにする。ひこばえをやらない田んぼがあれば、出来れば、その後を私がその田んぼを引き継ぎ、ひこばえ技術の田んぼの管理をして、ひこばえ技術の実験をさせて貰う。

 昨年ひこばえの方が味が良いという結果もあったので、今年はひこばえの味がどうなるかも比較できるようにしたい。籾保存を冷蔵庫でしておいて、それをひこばえのお米と同時に籾すりをして、食べ比べをしてみたい。味がひこばえで良くなるのか、悪くなるのか、あるいは変らないのか。興味がある。

 中国ではひこばえのお米を、漢方米と呼び、差別化して売っている事例がある。夏が暑すぎるためか、クロマイの場合、涼しい時期の二期作の方が色が黒くなると言われている。条件が悪くなる二期作の方が、むしろクロマイの特徴が、ポリフェノールの蓄積が強くなると言うことらしい。

 このミネラルの蓄積が条件によって多くなる現象と漢方米との関連はあるかも知れないと推測している。ひこばえ米の成分分析のようなことが出来ないものかと思う。まだひこばえは分らないことが多いいが、ともかく確かめるべき事が沢山ある。

 昨年は、ひこばえ米は一度田植えで、三回の収穫が出来ることは確認できた。今年は、なんとかひこばえ米の四回収穫までやってみたい。上手く継続できそうなら、インドネシアのように、七回連続収穫まで続けてみたいとも思っている。

 
 

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206 水彩画 日曜展示

2024-04-07 04:25:52 | 水彩画
206 水彩画 日曜展示







449「樹木」
2024.4









450「リンコステリス」
2024.4









451「稲出穂」
2024.4








452「根府川」
2024.4







453「酔仙島」
2024.4







454「のぼたん農園」
2024.4





455「トスカーナ」
2024.4




 田んぼのネット張りの毎日だったのだが、絵は描いていた。一休みするとがぜん絵が描きたくなる。休憩しに車に戻ると、絵を見る。絵を見ると絵が描いてくれと言っている。さっきまで見えていなかったことが、見えて来る。農作業をしていて眼が洗われている。

 農作業をしていると、絵のことを完全に忘れている。絵のあれこれを思い出すことは全くない。只管打農なのだろう。農作業は没頭できる。だから千日回峰行なのだろうが、こっちは食べるものを生産しているのだ。これを食べなければ死ぬのだ。担当を持ち歩いては居なくても、必ずそうなるのが自給農だ。

 絵はどうなのだろう。絵をよく見てみるしかない。これがを描いたのは私のすべてなのだ。この絵を計ってみたところで意味は無い。これからもただただ絵を描いてみるつもりだ。この絵が何かであるなど考えることも無く、描いてゆく。大学の時に一緒に美術をやった友人の坪田さんが死んだ。何か一つ、自分から消えたものがある。

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自民党裏金処分、責任者岸田氏の処分は無し

2024-04-06 03:56:22 | Peace Cafe


 何たることかと思う。パー券キックバックの裏金は、何に使われたのか、説明はあったとは思えない。未だこの腐りきった集金システムに対する、説明責任は誰も果たしていない。政治には金が必要だと言うぐらいが、説明されたに過ぎない。

 一帯そんな金のかかる政治なら止めて欲しいだけだ。お金のかからない政治をして貰いたい。それが国民の願いに違いない。国民は税金から政治にかかる費用を負担したのだ。それだけで足りないのであれば、増やせば良いのだ。裏金よりは公明正大になる。

 自民党議員に対する処分案が公表された。そこには最高責任者である、党総裁岸田氏の処分が無い。処分が重いとか、軽いとかでは無い。何とも気持ちが悪いのだ。これは、岸田氏が敵対勢力を潰そうと言うだけではないか。最初に裏金問題が明るみに出たときに、世間で言われていたとおりの結果である。岸田氏によるアベ派、二階派潰しである。

 こう言うときの責任者の言い訳は、政治資金に関して今後国会でも取り上げて貰い、法律も作りにも邁進し、最大限の努力をすることで、自分の責任者としての責任を果たしたいと考える。こう言い訳を必ずする。そうではない、辞任して責任を取ればそれだけで良いのだ。

 アベ派幹部の五人が監督者であるという理由で、離党勧告などである。直接は何も知らなかったという説明を、岸田氏が認めたらしい。到底信じがたいことだが、監督者としての責任が一番重くあるのは、どう考えても岸田氏である。会社で39名もの処分があれば、当然社長は責任を取らざる得ない。

 しかし、党総裁であり、岸田派の代表であった岸田氏に対しては何も処分がないと言うのでは、社会常識から見ればおかしな処分になる。自民党の処分を決めた人達は党内部の人間で、外部監査委員ではない。客観的判断というよりは、総理大臣の意向に従った処分と言うほかない。

  さらにおかしいのは一番の張本人とみられる、森元総理には電話で岸田氏が確かめたが、何も知らないと言うことで、もう聴取が終わりというのだ。確かに森氏はもう対抗馬では無いから、岸田氏としてはそのままでも良いかもしれないが、この岸田氏のやり方は不自然すぎる。

 岸田氏のこの勢力争いの手法の、何と汚いやり方なのだろうか。長く自民党の議員をやった人なら、パー券キックバックで派閥から金が配られていることを知らないはずがない。こんな足をすくう形で、敵対する勢力を潰すとは信じがたい。確かにアベ派は最悪の政治家集団だったと思う。

 アベ派を潰すことに政治生命をかけたのは一つの判断だ。しかし、それによって自分が有利になるという結果では、最低の人間がやることだ。国民はさすがにそれは許さないだろう。本来であれば、アベ派潰しのために自分も責任を取って、総理大臣を辞めて初めて自民党の再出発であろう。

 どうせ自民党内の処分など世間体だけのものだ。ほとぼりが冷めればみんな復党している。こんな処分で世間をごまかせると考えているのだから甘い。もう自民党議員はだめなのだ。人間が腐りきっている。パー券キックバック方式で出来た裏金を、買収行為に使う汚れた心の人達なのだ。

 その買収行為を政治だと考えているのが自民党の政治家である。ここが間違いの基だ。だから政治にはお金がかかると説明するのだ。お金がかかるのは政治では無く、子分達にお金をばらまかなければ、何も動かないという人間集団だからだ。この親分のためなら、我が身を省みず頑張る。そんな人間は自民党には居ない。

 この腐りきった保守党の世界と連んでいるのが、日本の財界だ。だから、パー券をメカジメ料として自民党に払うのだ。自民党は反社会的組織に成り下がっている。そう考えてみれば、自民党がやっていることは反社勢力と大差が無い気がしてくる。弱いものをいじめて、強きを忖度し、自己利益に邁進している。

 もちろん、安倍晋三氏は最悪の政治家である。何しろ、アメリカの手下になり、反日組織である統一教会まで抱き込むような、恐ろしい人物だったのだ。それは暗殺事件で明るみに出たが、もしあの暗殺が無ければ、今でもアベの鵺は政治を覆っていたはずだ。

 アベの鵺を叩き潰そうというのが、今回のパー券問題での岸田政治の目的だったのかも知れない。それがこれで出来るだろうか。むしろ新しいアベを育てることにならないか。筋の違う利権構造をまた作り出すだけだ。どうせ金をばらまかなければ、選挙が出来ないのだ。

 それにしても、この処分案は気持ちが悪い。パー券キックバックは一円でも500万円以上でも同じである。年100万円くらいならば、処分に当たらないと説明していた。100万円ぐらいたいしたことは無いとは思えない。またどうせその100万円だって自己申告に過ぎない。本人がそういえば、それを都合良く鵜呑みにしているだけだ。

 それならば、あの4000万円超えの二階氏に何故処分が無いのか。引退前に除名すれば良いはずだ。あの年だから、どうせ止めようと考えていたはずだ。政治家の法律に対する正義はそういう物のはずだ。1円でも裏金を隠していれば、いくら本人が気付かないでも同じことだ。もう政治家としてお金を秘書に任せた精神が失格なのだ。もちろんウソだが。

 政治はそんなきれい事では無いと言うのも分らないでは無い。お金でしか動かない世間なのだ。そんな堅いことを言っていたら、世の中回らない。それが大人の社会だと、認めろというのが世間の大半なのだろう。だから、これほど腐った自民党が選挙で勝ってきたのだろう。

 結局の所、日本人はパー券を払う側に回りたい人間が多数派なのだ。これを何とかしなければ、日本は立ち直ることは出来ない。お金にしか価値観を持てない人の国になった。倫理の無い人達の国になった。要領よく金儲けをするための政治家なのだ。悪く目立って金儲けをしようというユーチューバーも政治家も同じだ。

 このだめな国を何とかするのはそれ程難しいことではない。選挙で自民党に入れなければ良いだけのことだ。自民党にはどうせ、おこぼれをねだる人達が投票するだろうが、おこぼれなどどのみち無い人達が、間違って自民党に投票しないことだ。

 野党がどうであると言う前の問題だ。こんな程度の低い金券まみれの政党が、日本の保守政党である事がおかしい。確かに野党ならばましになるとは思わない。野党もひどい。しかし、ここまでひどいことが明らかになった自民党は選挙で負けなければならない。

 また投票で支持されるとなれば、この先どれほどひどい世の中になるかと思うと恐ろしいばかりだ。こんどは、裏金はまずいからと言うわけで、税金からさらにお金を出すようにするだろう。そのお金の使い道は子分どもへの賄賂になる。使い道のごまかし方の指南がされるだけだ。やろうと思えばやれるはずだ。

 問題は精神の問題だ。誰一人正直に裏金作りとその使い道を正直に説明し、止むえないことだったが、その責任を取って自民党を離党するという人間はいなかった。まともな倫理観のある人間は自民党には一人も居なかったのだ。これで次も自民党が選挙で選ばれれば最悪のことになる。

 間違ったことをすれば、国民はさすがに許さないと言うことを、自民党に教えなければならない。このことだけは次の選挙の時に忘れないで居ることだ。自民党がお金で動かない政党にならなければ、日本は立ち直れない。しばらく野党への政権交代である。政権が後退することで、金権を断ち切ることだ。


 
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のぼたん農園のお米と野菜作り

2024-04-05 04:27:50 | 楽観農園

 
 のぼたん農園は100坪の土地で一人の自給を学ぶ農園である。田んぼが2畝畑が1畝で一区画になっている。田んぼは33mの長さで巾が6m。畑は33mの長さで、4mの巾。1区画が33mの長さで巾が10mの面積が330㎡になる。100坪である。自分の力だけで、ここを耕して食糧自給が出来ることを学ぶ場である。

 この100坪で一つの家族の食糧が自給できる姿を実践する農園である。全部で12区画ある。このほかに、果樹園の区画、大きな畑の区画、放牧地、水源の林予定地が広くある。全体で3.6㏊になる。40年前山北で開墾生活で達成した、一人でやる厳しい自給自足生活を、みんなで協働する、楽しい自給生活に変えるものである。

 各田んぼにある畦の畑が、それぞれに野菜を作る場所である。まだ昨年の暮れから畦の畑は始めたところである。今までは田んぼの整備や、大きな畑作り、果樹園作り、放牧地の柵作り、やらなければならない作業が多くて、畦の畑まで手が回らないというのが、実際の所だった。

 3年前初めて石垣島で田んぼを始めた。小田原のやり方を石垣島にそのまま持ってきても出来なかった。また慣行農法の水田をお借りしたのでは、自分流の自然農の田んぼは出来ないと言う事が分った。土壌が違いすぎだった。腐植が無い田んぼだったのだ。腐植のために緑肥を作りたいと貸してくれた方にお願いしたのだが、そんなこと意味が無いのでやらないでくれと拒絶された。

 それで、自分のやりたいようにやれる田んぼを捜す事になった。所がそうした田んぼは結局無かったので、崎枝の小峰先生がやっていた牧場の跡地に田んぼを造成するところからやることにした。昔の崎枝の集落のあった場所で、湧き水のある場所だった。その湧き水の量から、2反の田んぼができると言うことが推測できた。

 水道ぐらいの湧き水の量があれば、2反の田んぼができると言うことは経験的に分っていた。しかも石垣島は雨が多く天水田の歴史がある。これなら、十分10家族が暮らせる自給農園が出来るはずと計画を立てた。ただ、70歳を過ぎているのだから、10年間で完成しなければならない事は分っている。機械力を使い一気に進めることにした。

 これは間違いなく最後の大冒険になる。全力を出し尽くして、一人になってもやる覚悟をした。その大冒険の絵図の参考にしたのは、修学院離宮である。修学院離宮は後水の尾天皇が考えた、日本の模式図だ。私の方角は、自給農業の模式図である。1家族が暮らして行ける模式図を作る。

 実際に参考にしたのは与那国島の天水田の記録である。化石燃料は使わない自給農業である。一切この場所持ち込まない、持ち出さない自給農業である。この冒険には一つの条件がある。10年後に農園が出来たときには、10家族の食料はすべてこの農園でまかなえると言うことである。

 現在、3年目に入ったところである。土木工事的な大きな形作りはほぼ終わった。田んぼは12枚あるが、雨が少ない今年のような例年の3分の1の年で、7枚くらいである。雨が平均雨量まで降れば、10枚まで出来るかと思う。各田んぼが天水田のつもりで、水を少しでまかなえる田んぼにしなければ成らない。

 たんぼの畦は水分もあり、また上から下への水の動きもある場所なので、良い野菜畑になると考えている。実際に他の場所よりも、何もしては居ないのだが、2年間の間に大分土壌が改善されているように思える。土壌にほどよい湿り気がある事で、微生物の活動がおきたのだろう。

 畑は各田んぼに付随して4×33mある。これが個人的に行う畑になる。この畑で1家族の野菜が出来るようにと考えている。全体が棚田になっているので、上の田んぼから、畑には水の流れがある。畑の下の水が動いていると言うことは、これを気の流れという人も居るが、あくまで水が動いていることが良いことだと考えて、田んぼと畦の畑の配置を考えた。

 畑は今年始めたところでまだ半年も経っていない。まだ石出しの途中のような状態である。大きな石が畑からまだ沢山出てくる状態である。腐植が無い。まだ土が悪い。生えてきた草がともかく悪い草ばかりだ。クローバーの緑肥も撒いたが緑肥が育たなかった。石出しを根気よくしながら、徐々に作物を作ってみている。

 先ずは土壌の状態を見る為に色々のものを植えてみた。何とか出来たかなというものは、玉ねぎ、ニンニク、ジャガイモ、トマト、ぐらいである。何故か白クローバーが消えてしまった。沖縄向きと記載のあったとおもろこしは全く出来なかった。肥料分が少なすぎるのだろう。

 まだ悪い草ばかり出てくる。田んぼとの関係がまだ把握できないでいる。田んぼ畦のクローバーは生育した。夏場になると太陽光が強すぎるので、この後は、出来るものが限られている。暑いと良く出来る野菜を探して植えて行くつもりだ。

 「はんだま」金時草。「フウチソウ」ヨモギ。「島らっきょう」。「ウコン」。「ニガウリ」。「島とおがらし」。「モロヘイヤ」。「ショウガ」。「雲南百薬」おかわかめ。「ビーツ」。「クーガ芋」。「長命草」これから植えてみようと思うものだ。夏は青物が少ない。

 最近植えたサツマイモと里芋は今生長しているところ。作りながら、敷き藁をどんどん増やしている。徐々に腐植を増やして行こうと考えている。腐植を増やす事が畑をよくする第一目標。牛糞堆肥の「よみがえり」も少し入れてみた。それだけでは効果があったと言うほどではない。

 農園内の道路の草刈りをするので、その草を畑に入れている。それなら遠くから運ばないで済むので、簡単に腐植を増やせる。高畝敷き藁を作物を作りながら徐々に造成している。キャベツも3本苗を植えてあるが、青虫に食べられて悲惨な状態である。それでも徐々に育っている。

 サトウキビも比較の為に田んぼの畑にも植えたが、これはそれなりに芽を出した。A放牧地の畑には50mで2列サトウキビを植えた。A放牧地の畑は広い畑で、大豆、小麦、玉ねぎ、ジャガイモ、サツマイモ、里芋、サトウキビ、カボチャ、これらは広い方の畑で作るようにしたいと考えている。

 広い畑の方は、全体の畝をトラックターで耕して、そこを区割りして作りたい。まだ大きな畑で大々的に作る作る技術が確立していないが、徐々に技術を確立して大きな畑で、参加者を募集して、野菜作りを区割りをしてやりたいとかんがえている。

 大きな共同圃場での耕作が楽な作物がある。小さな自分用の畑が、作るための都合の良いものもある。いずれにしても、そこまでの農園の体制にはまだ成っていない。畑作に力を入れたいが、その力は今のところ無い。個人的にこなせる範囲で、畑作はすこしづつ試して行きたいと思う。

  
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沖縄県のミサイル基地配備

2024-04-04 04:03:37 | Peace Cafe


 自衛隊はうるま市のゴルフ場跡地にミサイル訓練基地を作ろうとした。しかし、何と驚くことに、今まで基地推進だった自民党県議団や、島尻衆議院議員までもが、木原防衛大臣にゴルフ場跡地の買い入れも辞めるように要請した。

 うるま市のありとあらゆる組織が、このミサイル基地建設に反対をしている。沖縄でもやっと、ミサイル基地かが自分たちが被害者になることが分ってきた。観光で経済を回している沖縄県では、ミサイル基地はマイナスなだけで何も良いことが無い。

 簡単なことで、リゾート地として注目されているうるま市にもし軍事訓練の爆弾の音が鳴り響くようでは、観光の価値が半減である。うるま市としては死活問題だ。このうるま市の基地はまさに日米共同訓練の舞台になる予定だ。対中国のミサイル部隊の中心になると考えなければならない。

 一方で、石垣島ではそのミサイル基地を意気揚々と誘致しているのが、石垣市長である中山氏だ。完全に防衛省に取り込まれてしまった市長である。今回も石垣港の米軍の自由使用を認めてしまった。何故島の住民の命をないがしろにするような市長が現れたのだろうかと思う。何か、防衛省に従わざる得ない弱みでもあるのだろうか。

 さらに驚くことは、この市長が民主的な選挙で選ばれたという事だ。どういう選挙民の意識と構造なのだろうか。3分の1の市民が署名して、自衛隊基地の是非の住民投票を請求した。これを拒否をした。普通であれば、こんな自衛隊の手先の軍国主義の市長には投票はしないだろう。

 ところが、選挙で間違いなく選ばれたのだ。この背景には私のような外部から来たものにはどうも分からない、石垣島の特殊事情がある。市長の家は建築資材の販売をしている。当然島の建設関連業界とは深いつながりがありそうだ。株式投資をしていて損金を出して、税金のない年があるとされた。


 株式投資の闇にかかわって抜け出られなくなっているという事はないのだろうか。これは全くの推測である。東京にマンションを所有しているという噂は良くされる。もし市長が東京主張の際に利用してくれれば、費用が掛からない。という訳でもないのだろう。

 まだ石垣島に旅行者として着ていたころ、市の職員組合労組に自衛隊基地反対の寄付をしに行ったときに、そこにいた人が中山市長を応援しているようなことを言うので驚いたことがある。中山市長は自衛隊基地反対なのだというような意味のことを発言した。あれは今でも何だったのかと思う。

 若い女性の方だったが、市長の言葉に騙されていたのだろうか。市長が自衛隊基地を止めてくれるというのだ。すごくおかしな気分になったものだ。中山市長は初めて市長の施政方針演説が、小田原の加藤市長の文章を丸写ししたものだったことで笑いものになった。

 小田原に住んでいたし、加藤市長は農の会のメンバーだったから、いろいろの意味で笑いたくなった。それでも加藤市長は平和主義者であることは確かだ。加藤市長の受け売りで、本音では自衛隊基地反対なのだ、などと、若い職員に言ってしまったのだろうか。
 
 沖縄本島では自民党迄自衛隊基地建設反対である。なぜ、宮古島、石垣島、与那国島が基地を受け入れたのか。ここに島で暮してゆく苦しさがあるのだと思う。与那国島が一番小さいので、問題が分かりやすいし凝縮されていると思う。

 与那国島は最初情報収集の監視のための自衛隊配備を行うと説明された。それがいったん基地の建設が始まると、人口1625人。ここに自衛隊員とその家族、250人が暮らしている。防衛省は与那国島に地対空誘導弾(ミサイル)部隊の配備を計画していると発表した。
 
 当初はレーダー監視だけの配備だと説明をしていたが、ミサイル基地を作るに決まっている。それは米軍も共用するものだと、普通の人ならそのように想像した。このブログにその様に書いた。しかし、与那国島の人たちは今騙されたと思っている。

 しかし、自衛隊が来て嫌だと思う人は、特に移住者の人は島を去った。島に残った人は自衛隊のあることになじみ、慣れた所だろう。そこに今度はみさいるきちである。たぶんの500人ぐらいの規模で来るだろうから。島の住民の半数以上が自衛隊関係者になる。

 自衛隊が来て人口が増加すると楽しみにしていた与那国島は、自衛隊が来た瞬間は増えたが、その後また減少が始まった。そして、今度はミサイル基地となれば、住民の半分が自衛隊関係者の島になる。こんな危険な対中国の最前線の島では、住民は安心しては暮らせない。

 町役場を立て替えて、住民すべてが入れる地下シェルターを要求している。それくらいはしてくれるかもしれないが、これはもう中国と戦争する最前線の島を受け入れたという事になる。自衛官や米軍が入港できる大きな港の建設もされるかもしれない。その港を台湾からクルーズ船が来てくれると楽しみにしている。

 ところが石垣島ではいまだ、住民の多数がミサイル基地になるとは、市長が言っていない。といまだに信じている人が多いのだ。島の人はどうも市長の言う事を素直に受け取るようだ。あまり人を疑わない人が多いのかもしれない。案外市長も誰かに騙されているだけかもしれない。

 中山市長も、実は岸田総理大臣も大差ないのだ。アメリカに言わされているに過ぎない。岸田氏だって同じ日本人である。沖縄の人だから危険にさらされていいと考える訳でもないだろう。しかし、アメリカに従ういがに道がないと思い込まされている。

 中山市長は自民党政府に従う以外に、石垣島の未来はないと思い込んでいるのだろう。それだけではなく、島民の多数派が、こうした離島が政府からにらまれてしまえば、生活が出来ないと思い込んでいる可能性が高い。石垣島は薩摩藩にも支配され、琉球王朝にも2重支配をされた。

 離島の暮らしは苦しい歴史である。政府と上手くやってゆくためには、基地建設も受け入れる必要がある。と考えている気がする。あれこれ税金を回してくれるのは、ミサイル基地を受け入れるからだと考えているのかもしれない。

 しかし、政府はアメリカの言いなりに、沖縄にミサイル基地を建設し、直接に中国への攻撃を計画している。しかし、この計画は沖縄が最前線の戦場になることを意味している。沖縄の犠牲で、本土を守る。沖縄の犠牲でアメリカの安全を図る。そういう計画である。住民の安全は危険にさらされただけだ。


 
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動禅体操とゆる体操とヨガ 2

2024-04-03 04:12:51 | 暮らし


 動禅体操が乞食禅状態から抜け出るためには、何かが必要な気がしてきている。ヨガのことを考えていたら、ヨガにある目的の要素が煩わしいと言うことになる。ヨガは乞食禅なのだと考えると分りやすい。乞食禅丸出しの私が書くのも何なのだが。別段ヨガに因縁を付けようと言うことではない。

 こういう乞食禅的、欲しい欲しいの浅ましい修行法は、やはり商業主義から生まれたものだろう。ヨガでも、今や禅でもカルチャーセンターである。生徒を集めるためには、先ずは効能の宣伝である。禅を行っても何かを得られるわけではない。本来の禅の修行では只管打坐である。

 ヨガにある効能が先に来る考え方は、インド哲学の要素なのではないだろうか。インド的に言えば、行動するには観念的な裏付けが必要なのだ。呼吸法に様々な尾ひれが付く。この最もらしさが、ヨガ教室が広がっている理由でもあろう。目的を持たないではヨガの世界には入れない。

 ヒーリングヨガとか、ホットヨガいう言葉を聞くと、ちょっと近づきたくはない。ヒーリングヨガとは心を癒やすヨガと言うことらしい。ホットヨガは汗をかくことで様々な効能があるヨガと言うことらしい。私が考える動禅体操とは随分と違う。

 何んの目的も無い。効能も考え無いと言いきれるものにこそ、修行の本質がある。この逆説的な考え方に、生きると言うことの意味が潜んでいる。それが中国にヨガがもたらされて、禅に変わったということだろう。無になること。目的を捨て、達成することすら忘れ、ただ座ると言うことだけがある。

 執着を無くそうという執着すら手放す。何かを目的にすることによる不純が、修行を台無しにすると言う考え方になる。修行に目的を持つと修行が歪んで行く。何かをしようとすること、あらゆる目的を放棄する。ただ、心を無にしているだけの状態を保つ。それが何かになるという事ではない。

 しかし、心が無になるという事でも無い。無になることは悟りではなく。例え無の心境に到達したとしても、無という状態になったと言うだけのことだ。それがどうしたのかと言うことになる。無が偉いのかと言うことになる。無になって何が出来るのかと言うことになる。

 悟りと言う目的すら持たないことが禅の修行。とすれば、仏教の修行が、無になることの訓練であるとすれば、修行の自己矛盾が始めから存在する。座禅といった無意味な行為をひたすら行う修行は、無になることの訓練とみなすことはできる。無になったところで何もないと言う修行の姿。

 無になろうとする訓練である限り、決して無になることはできない。禅は無をも目的化しない。無になろうという意識から抜け出す事を目的にして、矛盾しながら坐禅をする。無になるという理論は、目的論を完全に放棄している。無は目的として設定される限り自己矛盾する。

 何かややこしいことを書いているようだが、禅に於いてこの点が一番重要な分岐点であった。それで私は禅の修行が継続できなかった理由になった。愚かな私にはその無目的の意味を、受け入れることが出来なかった。どこまでも乞食禅だったのだ。

 ヨガから入れば目的のあるヨガにはまったのかも知れないが、禅寺で生まれたと言うことがあった。祖父の黒川賢宗老師は確かに僧侶としての生き方を、見せてくれたと思う。藤垈の集落からも離れた山中の寺で、自給自足の生活をしていたのだ。禅僧が何かを示すとすれば、日々の生き方だけだろう。

 禅の理論はなんの目的も設定しない。禅とは「ただ禅に生きること」である。その一瞬をどれほど深く感じて生きる事ができるか。坐禅の無目的化はそのことを意味している。「あらゆることを手放すこと」でなければ、その時に生ききる事が出来ないと言う事であろう。

 ゆる体操では体操中にあくびが出ることを「良いですねぇー。その状態ですよ。」という。心がたるんでいるような、どうでも良いような状態に成ることを大切にする。身体を緩めることで、心を緩めることに至る。多分ゆる体操の本来の姿なのであろう。緩めた心を意識的に作り、味わうという体操。この考え方はおもしろい。

 日常の緊張をゆる体操で緩めると言うことのようだ。日常を緩めるために、ゆる体操をすると言うことではないようだ。緩んだ日常を目的にすると言うのであればおもしろい。体も心も緩んだ状態を身につければ、日常の暮らしの味わい方が変る。

 緩んだ心の意味とはなんだろう。緩んでいるから事で解放されると言うこともある。緩んでいると言うことと平常心と言うことは違うのだろう。緊迫感の無い状態の日常であれば、だめなだけだろう。言葉で説明すれば、心を緩めて、無限な世界に対して開くと言うことではないか。

 緩んで当たる柔軟性。緩んで心を開いて、楽観して事に当たる。緊張して身構えて事に当たるよりも、優れていそうだ。緩んでいると言うことは、前提条件がないと言うことであり、平明に事に当たれると言うことになるだろう。身体を緩めることで心を緩める。

 動禅体操は緩んで行うことでも無い。緊張はしていないが、頑張る気持ちがいくらかある。頑張る気持ちは悪いわけでもない。健康で働ける身体ののためというような目的を持って、がんばる。動禅体操は気持ちを統一させてゆくものだ。緩めるよりは集中させるという方向だろう。

 しかし、動禅体操も緩めているものもある。スワイショウを100回行えば、身体も頭も緩む。スワイショウも力を入れる動きと、緩める動きを組み合わせると良い。膝を曲げて、腰を低く落とせば、腰の回転に力が必要になる。力を込めて回し、力を緩めて戻す。

 八段錦も、太極拳も、力を入れるところと、力を抜くところを作っている。この緩急の動きが重要になる。心拍数は上がるようであれば、すぐ休む。疲れたらどこのタイミングでも休み、また動きたくなるまで待って動く。心拍数は100よりは上がらない。そのくらいの動きが良い動きになる。

 動禅体操は緩急の体操と言うことになる。緩めるところと、緊張をするところを併せ持つ。そして常に楽なものでなければ成らない。大変だったら、楽になるまで休んで続ける。嫌になる部分や辛い部分がどこにもないのが理想とする動禅体操だ。
 
 楽しいからまたやりたい。気持ちが良いからまたやりたい。そういう気分になれる体操であれば、いつでもやりたくなる。マッサージは誰でも気持ちが良いからやって貰いたくなる。そういう体操に動禅体操が成るのが目標になる。
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心拍数を100より上げない動禅体操

2024-04-02 04:36:21 | 暮らし


 東洋の体操である太極拳は心拍数を上げない運動法である。太極拳は本来体操と言うよりも、精神修養法と考えた方が良いものだったはずだ。オリンピック種目にするなどおかしな事だ。西洋の運動が身体の健康を目指すものであるならば、東洋の運動は精神の健康を目指すものである。

 自分の健康を考えるときに、この2つの方法の採り入れ方を間違えないようにしている。健全な肉体に健全な精神が宿るとするのが、西洋的な考え方である。東洋の肉体に対する考え方は、精神に重きを置き、肉体を消滅させるというような考え方になる。

 不老長寿法になるための断食というような、西洋の医学から見れば不健康極まりない方法が、自然治癒力を高める健康法として取り揚げられている。小田原にも断食道場があったが、それは宗教法人が行っていた。断食は宗教における修行法になる。

 西洋流で言えば、74歳で慎重170㎝の男性であれば、一日何カロリーの食事をするのが良いと言うことになる。健康のための一般論が存在する。しかし、自分の身体健康は全く個人的な特殊解である。一般論は全く無意味なことだ。自分の精神にどんな食事が良いかは、考案しなければならないものだ。

 禅宗の食事が不健康で危険なものだからと言う理由で、アメリカの禅宗の道場で禁止されたことがある。カロリーの少なすぎる食事が健康を害するというのだ。確かに西洋の医学でみれば、禅堂の食事は偏食であり、少なすぎるものに成るだろう。普通の人が真似をすれば、栄養失調になるに違いない。

 食事も修行の一つであって、初めて成り立つものだ。心拍数を上げない暮らしなのだと思う。そもそも、仏教では午前中しか食事を取らない。身体の健康などそもそも、精神の修養のためには問題にもされない。健康のために夕飯も食べたるという薬石などという考え方では、修行は達成できないと考えられてきたのだ。

 西洋の科学的な思考法では、不健康であるはずの禅宗の修行によって、精神的な安定した心境への到達が得られる。それは、孔子の論語にある、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言う考え方に見られるように、東洋の人間の生き方の根底にある精神重視の考え方。

 健康のために生きているのではないと言うことだろう。道を究める為に生きている。道を究める方法が、命を削るものであるとしても、かまわないという考え方。その極限の修行が、千日回峰行のようなものだろう。修行に挫折するときは死ぬときなのだ。

 道を究めることで、不老不死に至る。精神が完成されることで、死ぬことがなくなる。死ぬことがないと言うことは、健康の完成である。精神を極めることが生きて行く目的になる。しかし、千日回峰行をしたから、精神が極められるという精神は何を意味するのだろうか。苦行にはたえられないし、興味も無い。

 苦行より楽行である。やりたいことをやり尽くすことを行とする。そのことが人間や世界に繋がっていなければ嫌だ。苦行をやり遂げて、仙人になり、宗教を開き、信者にその教えを広める。そういう生き方は大嫌いだし、むしろ害があると思っている。 

 宗教というものが人間にとって良いものとはあまり思えないのだ。私自身が曹洞宗の僧侶でありながら、全くこういうことを書くのはおかしいかもしれない。しかし、宗教教団の存在が好ましくないのは、統一教会も曹洞宗もあまり変わりが無いと考えている。

 それよりもやりたいことをやり尽くすことが、世のため人のために繋がっている生き方が好きだ。楽行の先が人様に繋がっていたい。その楽行が健康にも繋がっていると考えている。心の欲するところに従えども矩を踰えず。楽しいと思うことを、精一杯やって居れば、心身健康。

 話ははずれたわけでは無く、心拍数を上げるような厳しい激しい運動は、私には良くないことなのだ。高校生の頃は陸上競技部にいた。弱い選手ではあったが、練習では日本一だと思って、厳しくやっていた。強くは成らなかったが、限界まで練習はした。

 それで、走りすぎて脚を痛めて走ることが出来なくなった。くるぶしが2つになるような瘤が出来た。これ以上走れば歩けなくなるとお医者さんに言われてしまった。身体が弱かったのだろう。それでも走って、ついに歩けなくなり、走ることは断念した。

 走ることを修行だと思ってやっていたから、かなり悔しい結果だった。受け入れるほか無いことだった。つまりだめな奴だと言うことを受け入れるしか無かった。座ることも出来ず、走ることも出来ず、どうなるのだろうかと途方に暮れた。相変わらず絵を描くことは好きだった。それで絵を描くことに逃げ込んだような気分だった。
 
 結局、やり尽くすことなく、やり遂げることはもちろん無く、何の革新も無いまま、曖昧なまま絵を描くことだけは続けてきた。絵を描くことが逃げ場だった。今だって大きくは変らない。自分の中に絵を持ち出すことで安心があるからだ。それが絵を描くこと好きと言うことなのかもしれない。

 心拍数を上げるような運動は、身体に合わない。心拍数を100より上げない、楽な静かな動きが良い。気持ちよく出来ることが最も大切である。自分の身体に聞いて確かめた、最大の心拍数は100までである。それ以上になることは身体にとって良くない。このことは自分の身体で確認して確信している。

 それは農作業がそうだ。心拍数を上げるような動きでは、長く続けることが出来ない。ゆっくり身体になじむように気持ちよく動く。心拍数が100を越えそうになったら、さらにゆっくりと動くか、休むようにする。そうすれば一日中農作業が出来る。

 一日中動いていても、疲れないような動きが理想的な動きである。百姓働きである。昔のお百姓さんはのろのろ動いていた。キビキビ急ぐようなことは無かった。のんびりのんびり空を見上げては、身体を伸ばしていた。百姓働きは休み休みである。

 動禅体操も同じである。これ以上はゆっくりは動けないぐらいゆっくりで合えば理想である。それではゆるすぎると思えば、重心をその分落とすことにする。低く動けば、動きに負荷が強くなる。ゆっくりと低くを目標にして、心拍数が上がったら、体操の途中で動きを止めれば言い。

 止めて、いくらでも休む。休んで動きたくなるのを待って、次の動きを始める。運動が終わっても、心拍数が上がっていない。疲れるどころか、十分休憩を取ったような落ち着いた状態に成るように進める。良い動禅体操の方角は、楽しく自分に合わせてである。

 具体的に書いておけば、74歳の私の場合は、心拍数が100以上になるような運動はしないことだ。農作業をしていても、時々スマートウオッチを見て、どのくらいの動きで心拍数が100になるかを確認する。田植えや稲刈りでもそうだが、100を越える状態では、むしろ身体を痛めることになる。

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石垣島の1,2,3月の小雨

2024-04-01 04:42:50 | 楽観農園


 石垣島の1月2月3月の雨量は記録が残っている限りの最低記録が、1948年の194.9㎜である。それが今年は何と171㎜である。通常の年の3分の1の雨量である。のぼたん農園では、この小雨の中でのイネ作りになった。12月3日播種。1月6日田植えの3番田んぼ4番田んぼが、3月末が出穂になった。

 この極限と言えるような厳しい干ばつ状況の中、のぼたん農園では天水田の田んぼをやっている。これはもう小雨災害と言える状態では無かったのだろうか。のぼたん農園では湧き水と井戸である。湧き水はこれほどの小雨でも水が涸れることがなかった。井戸も湧く量は減ったが、水は湧いている。

 1971年の渇水で稲が枯れたという年の年間雨量が、1113㎜であった。3月からの6ヶ月の合計雨量が203,5㎜だったとある。それでも今年の1月3月よりも多かったぐらいだ。191日間雨が降らなかったと言われているが、記録ではそういうことでも無いようだ。稲も牧草も枯れて、牛が死んだと言われている。

 その小雨の結果、ダムがいくつも造られた。田んぼは耕地整理が進み、水利組合が水の管理をするようになった。田んぼの面積が減少したこともあり、今のところ、耕地整理をした田んぼで水不足と言う状況は全くない。現在石垣島のダムは60%以上の水があるから、何とかなるだろう。

 丁度日本への復帰があった翌年に渇水が起きた。その後ダム建設が進んだのだ。昨年2023年の年間雨量は1455.5㎜で過去5番目の小雨だった。通常の平均雨量は2019㎜が雨量のある島なのだ。それが昨年1年はその75%しか雨量が無かった。つまり、過去最大の渇水の年が、通常の半分の雨量だった。ダムがあるから何とかなっているが、島の水の厳しさは変らない。

 昨年かなりの小雨だったので、それでものぼたん農園の稲作は出来たのだから、大丈夫だと考えていたのだが。それが何と今年はそれどころでは無い渇水である。このままで推移すれば、過去最低の雨量だった、1971年に匹敵するほどの渇水になるのではなかと不安になる。

 今年の1月からの3ヶ月の雨量は通常は400㎜降るはずの雨が、171㎜しか降らないのだ。この渇水をしのぐために、あれこれ対策をしながらの稲作である。4番田んぼは7回も代掻きをして水を漏らないようにした。これは与那国島の天水田の方法に従った。他のたんぼよりも明らかに水持ちが良い。

 来年はどのたんぼもできる限り代掻きや畦塗りをやって、水を漏らないようにしたいと思う。代掻きのやり過ぎで透水性が悪くなると土壌の腐敗が心配になるが、コロガシをやって酸素を供給して行くほかない。代掻きで腐植が消耗すると言うこともあるが、その分アカウキクサの繁茂で補いたい。

 3月5日に畑に蒔いた大豆は未だに2本以外は発芽をしなかった。がっかりである。やはり大豆はたんぼの畦が水があって良い。たんぼの畦の畑もかなり乾いて来ているので、草をできるだけ刈ってきて敷き藁にしている。トマトは地面を這わせてなんとか収穫が出来ている。

 里芋も、田んぼ畦で作っているのはそれなりに良いようだ。土の硬い畦にただ植えた里芋と、耕してよみがえり肥料を入れて、植えて敷き藁をしている里芋と、耕して畝を高くしたものとの3つを比較している。今のところ、里芋はそこそこ出来そうな様子だ。今年耕作していない田んぼだった場所にも里芋を植えるつもりだ。

 これだけの小雨でもサトウキビは芽を出した。特に枯れたと言う株は少ないようだ。サトウキビは初めての経験で心配だが、3つの場所で試してみた。一カ所はA放牧地の畑。何度も耕して、溝を堀りそこに1週間前によみがえり堆肥を入れた。そして植え込んで浅く土をかぶせた。

 もう一カ所はたんぼの畦にも植えてみた。ここは2年間ある程度作物を作っているので状態が良い場所である。田んぼからの水の浸透もある。 そして植え方をもう一つそれは縦に植えてみた。立てて植えたものが最後に植えたにもかかわらず、一番早く芽が出た。

 どんな植え方が良いかを判断して、来年以降に繋げたいと思う。サトウキビはもう少し増やしても良いかと思う。A放牧地は、サトウキビとパイナップルにして、黒糖作りやパイナップルジュース絞りを、楽しめるようにしたい。農園の入り口にあるし、周りに柵もあるし、案外分りやすくて良いかもしれない。

 この少雨傾向の中で、31日に竹の根を植えた。小田原で渡部さんが掘ってくれたものだ。竹は自給農業では必要不可欠な便利なものだ。畑や田んぼで、何かと使う場面がある。どこか小さな竹藪が出来ればと思うのだが、なかなか場所が決められなかった。

 この小雨であまりに乾いているので、ある程度湿気た場所で無ければ根付かないと言うこともあった。この後も雨が少ないと言うことであれば、水がやれるところに植えなければならない。そこで考えたのが、そこならコンクリが両側にあって、やたら増えないという所が良さそうだ。

 機械小屋と道路の間だ。ここならば水道も近い。小屋に当たる風も防げるだろう。道路からの目隠しにも成る。竹が一列に並べば、見栄えも良くなる。良い場所を考えついたものだ。この機会にそこに置いてある。苗木も移動することにした。

 バナナは3本苗がある。溜め池の周囲が良いだろう。バナナは風が当たらず、湿気があるところだと大きくなるようだ。バナナは肥料分のあるところだと大きくなるので、植えてよみがえりを回りに撒く。その他、防風になるハイビスカスがあるが、雨がもう少し降らないことには植えられない。

 こうした異常気象とも言える気候変動は、地球の変化と言える状態にまでなった。もう例年こうだったからと言えるような、農暦に頼っていたのでは難しくなっている。例えば、何故石垣島で12月の苗作りがされてこなかったかと言えば、今よりは寒かったのだ。

 気候が変わり、冬がなくなった。この12月から3月までの間に、13度まで下がった日は3回だけ。そのため保温もなしで、稲の苗作りが露地で出来た。来年は不安もあるので、穴あきトンネルで作るつもりだ。それで安定して12月に苗作りが出来るはずだ。

 このことは、ひこばえ農法に向いた環境に変ったと言うことだろう。通年、稲は枯れることがないから、稲の様子によれば、何回でも収穫を続けるような連続稲作が可能になると言うことになる。サトウキビは12回の連続株出し栽培が行われている。稲でも一部だけでも残して、12回の連続収穫に挑戦してみたいものだ。

 アカウキクサはこの気候変化の中でどうなるか。今のところは順調に、現われては消えるを繰り返している。栽培という意味で安定した再現性が必要であるから、今後もう少し観察をして行かなければならない。気候変動に負けない自給農業の構築である。


 

 
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