地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

田んぼの神様のお祭り

2021-12-18 04:18:48 | 楽観農園


 崎枝の楽観農園の事ばかり考えているので、崎枝の水神様のことを書きたい。井戸には神様がいるということは、よく言われることである。水が暮らしの生命線である。水の無い所に人が住み始めると言うことは無い。人は水を見付けてその近くに暮らし始める。

 石垣島でも同じことだったに違いない。崎枝半島には山からの湧水があるところが何カ所もあった。今はいくつかの理由で湧き水が涸れてしまったところの方が多くなっている。水道が来るようになって湧き水の尊さが薄れてきたと言うことがあると想像している。ほんの些細なことで水は涸れてしまう。
 
 水道が各家庭まで来たと言うことは、崎枝でもみんなの記憶にある。それほど昔のことではない。電気が来たと言うことも記憶されている。今の市営水道が来る前には崎枝では簡易水道が利用されていたという話だ。その簡易水道の水源も現状では水が乏しくなったと言うことらしい。

 山の中腹に道路が出来て、その下には水が来なくなると言うこともある。意外に遠くの山の造成が行われて、水が切れると言うこともある。もちろん山の伐採がされてと言うこともあるし、山の手入れがされなくなってと言うこともある。すべては山の神様、水神様の祟りと言うことだろう。それは海の豊かさも失われると言うことになる。

 よほど用心深く水を守らなければ、水は来なくなる。現代のような大きすぎる土木工事の力を人間が持つと、思わぬところで巡り巡り水が止まってしまう。その関連は直接的では無いことも多く、よく見えないことが多いのだが、水神様の祟りと言うほか言いようが無い。

 石垣島ではカーの(井戸)神様と言うことがよく言われる。井戸は神様から授けられたもので、永遠に守らなければならないものとなっている。私の家にも古い井戸のあとがあるが、そのまま触らずに残されている。何かをするときにはマースを捧げてお祈りをする。

 楽観農園をやろうと決意した理由は湧水があったからだ。その湧水とは崎枝に人が暮らし始めたときから、利用されてきた井戸である。崎枝の皆さんがこの牧場の話をすると、必ずあの場所には井戸があると言うことを言われていた。

 つまり、神様のいる場所だと言うことである。神様のおられる場所だから、あだやおろそかにしてはならないと私に暗に言われていたのだ。強い思いがある場所なのだ。井戸と言うから、なんとなくつるべのある掘り抜き井戸があり、井戸の枠のようなものあるのかと想像していた。

 昨日夕方国仲さんが見えたので、井戸のことを詳しく聞かせて貰った。まず井戸の場所が想像していたところでは無かった。溜め池の右奥であった。そこには月桃の茂みがある。なんとなく違う場所だと言うことは感じていたので、その当たりだけは草刈りをしないでいた。

 そのままにしておこうと思っている。たぶん石が積まれていてその間から、水が湧いているのだと想像するが、わざわざ、月桃をどけて見るまでも無いと思う。見えないと言うことこそ意味がある。見ようなことをすれば、水神様が不愉快に思って水を止めてしまうかもしれない。

 そういういわゆる迷信のような信仰心など全くない人間であるが、この水神様だけは大切に思う。正しい思いがあると思う。田んぼが出来るか、出来ないかのすべてを司っているのが田んぼの水神さまである。もし水が止まれば、どれだけ努力をしたところで田んぼは出来ない。祈る気持ちである。国仲先生もマース(塩)を供えてから仕事を始めた。

 私も今日は塩を持って行こうと思う。感謝の気持ちとこれからの無事と継続のお願いである。水神様ではあるが、田の神さーでもある。子供の頃の藤垈ではサクガミ様と呼んでいた記憶がある。田んぼを始める前にはサグガミ様にお祈りをしてから始めるのが習わしであった。ここでもそういうことをやるのは良いことだと思う。イネの浸種もこの井戸の水でやることにしよう。

 そのことは楽観農園でも行いたいと思う。楽観農園は宗教的ではありたくないが、田の神さんだけはお祭りしたい。それは水の湧いているカー(井戸)の場所以外にはない。農園の守り神様である。カーの前には溜め池が出来た。すでに基本の形は作られた。あとは守り神を形にするかどうかである。

 溜め池は現在予定の半分位の面積である。水が漏れるようになっては困るので、徐々に広げるのだそうだ。排水口に5メートルの塩ビ官を入れた。この5メートルの長さが一杯にある5メートルのダムを造った。これなら水圧で漏れることは無いだろう。

 乾いた泥と、溜め池に溜まっていた泥とを交互に重ねていった。時々鎮圧をしては土を入れて、1mぐらいのダムになった。まだ上を歩くと緩くぶよぶよする。この土が乾いてしっかりするまでは水は溜めないのだそうだ。塩ビ管の排水溝も現在は流れるままである。

 一月ぐらいして、土が安定したところで水を増やす。その頃から、本田の準備も始まることになる。1月後半から本田の準備に入れば、2月半ばには田植えが出来るだろう。先ずは苗床だけを先行させて準備をすることになる。

 夕方になってから、いよいよ苗床の予定地を掘り始めてくれた。60センチくらいの厚さで表土がある。表土は草と混ぜながら掘った部分の上側の脇に積んでいった。あとで作土として戻すためだ。33mの長さでほった後に水を入れることになる。そこまでは今年中に出来ないと、苗が作れないことになる。

 33mの長さの均平をとると言うことはなかなか難しい事だろう。バケツとホースで水位を出す予定だ。いずれにしても相当の水土工事になる。ユンボだよりで、福永先生の作業を見ているばかりで、何に一つ出来ることが無い。情けないが仕方がない。目に焼き付けておくぐらいしか能が無い。

 福仲先生の作業速度を見ると、一日やれば、5m幅で33m長さの苗床予定地は掘られるのではないかと思う。20日にはまたきてくれるということなので、20日には石拾い、均平を出せるかもしれない。少なくとも苗床は来週中の完成があるかもしれない。

 次の作業は米ぬかを入れて、コロバシャ作業になる。土はよいとは言えない。やはり腐食が少ない感じだ。牛が草を食べ尽くしていたからなのか。その前のパイナップル畑の時代の問題なのかはまだ分からない。いずれにしても十分な腐食を加えて、苗代作りをやることだと思う。

 今回は苗は十分な肥料分は無いわけだから、油かす液肥料を作るつもりだ。苗に薄めた液肥をかけて生育を補助しようと思う。油かすの良いものが手に入らない場合は、現代農業の一月号に出ていた光合成細菌の液肥料研究の必要があるかもしれない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 崎枝楽観農園にユンボが入った。 | トップ | 第87回 水彩画 日曜展示 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

楽観農園」カテゴリの最新記事