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日本は農民の国であった。

2023-12-15 04:24:59 | 暮らし
 
 叢生栽培のバナナ。草が風よけになっているので強い風でも倒れない。

 昔の日本人がどんな人達であったのかという話になると、武士の話がいつも出てくる。あるいは江戸の町民の話になる。本当は9割が農民だったのだから、農民の中に日本人はあったはずだ。農民がどのような人間であったのかが分からなければ、本当の日本人というものはよく分からないままになる。

 武士という支配者。商人という流通経済の担い手の視点。これは明治以降の富国強兵から生まれたゆがみである。商人という経済と軍人という武士の2つの流れ。しかし、実際の生きている大半の日本人は、明治の歴史教育からないがしろにされた、百姓だったのだ。差別語ではあるが、百姓の方がしっくりする。

 百姓はみじめで貧困で無学で、歴史から忘れたいようなものだったのか。明治以降の義務教育によって、そう思い込まされ、ないがしろにされてきただけではないか。普通の大半の百姓の歴史であったはずではないか。学校教育の歴史の教科書は権力者の歴史だけである。

 奈良平安の貴族社会。鎌倉時代に起こる武士の時代。その時の庶民はどんな暮らし方をしていて、どういう人達であったのか。2つの時代で違うのか違わないのか。そういうことはいちばんたいせつなことのはずなのに、あえて歴史教育から取り除かれてきた。

 大日本帝国の富国強兵の洗脳である。歴史から庶民の存在を除いてしまったのだ。真実の日本人の暮らしは、常民の暮らしの歴史なのだ。と柳田民俗学は主張した。膨大の庶民の暮らしを聞き取ることで、日本人の中に脈々と受け継がれてきた、民俗がかろうじて記録され、残された。

 西欧ではすでに常民の暮らしの伝承が薄れてしまった時代になってから、民俗学がと言う視点が学問として確立する。そのため西欧の民俗学は、近代化されない民族の中に入っていって人間を探るという方向になる。エスノロジー民族学である。民俗学はフォークロアー。

 しかし、日本は江戸時代という長い鎖国時代があり、民俗を残したまま近代化されたという、特殊な歴史をたどっていた。柳田民俗学はかろうじて残されていた民俗を聞き書きを重ねて採取する。その膨大な資料は今でも成城大学に残されている。

 そのことは私の父笹村浩もその聞き書きをして歩いた一人だったので、良く聞かされていたことだ。水曜会というものが柳田先生のところで開かれ、宮本常一氏とはそこでいつも顔を合せていたそうだ。柳田先生の指示でどこそこの誰に会ってこのことを聞いてこいと指示されるそうだ。

 父は戦後生活に追われ、学問から離れざる得なかったのだが、民俗学の歴史観の重要性をいつも話していた。学問は捨てたが柳田先生の教えで自分は生きていると言っていた。その思いは私の中にも伝わり、歴史は何年に関ヶ原の戦いがあったなどと言うようなものではないと考えるようになった。

 大半の日本人が行っていた、農業の暮らしの中にこそ、人間らしい生き方がある。いつか百姓のような暮らしをしてみたいという思いを抱いていた。そこにある百姓像は、類い希な体力があり、知恵に満ちているうえに、自然に対する培われた観察力がある。ご先祖を敬い、子孫に大きな愛情を注ぐ。

 今日やること、明日やることが見えている安定した暮らしである。深い伝承的な信仰と言えるような信念に支えられたものである。それは日本教というような、すべての所作にまで現われる、身体からにじみ出てくるまでに、体言化された、確立された思想のある生き方である。

 そうした武士ではない、日本人らしい百姓の暮らしがあったのだ。縄文時代から始まった、1万年近い農耕文化によって、ゆっくりと出来あがったものに違いない。植物を育てて、収穫して食べるという、暮らしの中から生み出されてきた確信がある生き方だ。

 そこには自然の摂理に従い生きる、人間の本来の生き方がある。農本主義といえるものだ。ただし、儒学者が主張した農本主義ではなく、百姓が自然に向かい合い、体得した農本主義だと想像する。農業の日々が日本人を作り上げたのだと思う。

 民俗学によって、明治時代の富国強兵のための洗脳教育によって、変貌させられた日本のみじめな百姓像を捨てることが出来た。今でもテレビでは相変わらずの武士道であるが。日本の農民が重税で困窮させられたのは明治時代以降なのだ。その農民を従わせるための、江戸時代の歪んだ百姓像が作られたのだ。

 世界は3回目の文明的な転換期を迎えている。最初が農耕文明が始まり暮らしが激変する。その日暮らしではない、食料の蓄積。次が産業革命で経済規模の劇的な変化。体力をはるかに越えた機械が登場する。そして今起きている人類の文明的転換は情報革命。人間の脳を越えた機械が登場している。

 未だ先行きの定まらない混沌とした時代である。人間が機械に翻弄されてしまうのか。上手く利用できるのか。人間のための科学が問われているのだと思う。人間が人間を越えた力を得たときに、どのようにコントロールできるかが問われている。

 未知の能力を得た人間が、その力を生かすためには、どうすれば良いのか。次の時代の生き方を確立するために何をすれば良いのか。人間が幸せな日々を送るためにはどうすれば良いかである。頭脳を越えた機械も、身体を越えた機械も、上手く使いこなして幸せな日々を送ることができるかである。

 まず、立ち止まり考える必要はある。果たして進歩し続ける科学的成果が人間を幸せに出来るのかである。人間は身体を使い、感性を使い、食べるものを作り生きてゆくという、社会を形成した原点を忘れてはならないのではないだろうか。

 植物のゆっくりした成長と自分の命の波動が伝わる。それが百姓ではないか。この感性を育てる中で、人間がそだって行く。その育まれた感性や思考能力が、産業革命を生む。そして多くの人間が農耕から離れ、機械産業の中で作られる。その結果科学が人間のためんを見失うことになる。

 コンピュターが食糧自給の方法を教えてくれたとしても、自分の手で種を蒔かなければ、植物は生まれない。蒔いた種が芽を出す。この不思議はどれだけ時代が変化しても不変だ。芽が出た作物は実りを向かえ、次の種を作る。この循環の中に人間を織り込むことが、大切なのではないか。

 人間に出来ることは手入れである。自然を大きく改変することなく、どのように自分の命を織り込んでゆくことが出来るか。どれだけ時代が変貌しようとも、このことだけは変わることが無いだろう。人間は自然を改変しすぎて、危ういところまできてしまったのだ。もう一度原点に戻る必要がある。


 
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