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地場・旬・自給

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まだ石垣島で田んぼが借りられない

2021-05-20 05:18:17 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 田んぼを始める場合、なんといっても一番難しいというのが、田んぼを借りることである。小田原でも田んぼを借りると言うことに一番神経を使ってきた。まして、石垣島という農業の盛んな地域である。なかなか貸してもらえない。

 農家にとって田んぼは他の農地とは少し気持ちが違う。ミカン畑も田んぼも同じように見えるが、貸借と言うことになると違う。主食を作る場と言うことと、貴重な水が使える場所と言うことがあるのだろう。

 石垣島で一度貸してくれることになっていた田んぼが、とつぜん貸せないという話に変わった。びっくりしたがこうしたことは珍しいことではない。農家の方が田んぼを貸すという意味はかなり重いことなのだ。石垣島にはまだそうした田んぼへの思いが残っていると感じた。

 この田んぼに対する特別な意識が残っていると言うことが、田んぼを維持している原動力になっている。すばらしいことだと思う。まだ石垣島の田んぼは大丈夫という証でもある。田んぼを維持している方に、田んぼを守って行くという思いがあると言うことが想像される。

 この間田んぼで作業されている方に色々お話を伺った。すべての方が、私より年齢の上の方か、同年配の方であった。石垣の田んぼ作業は厳しいと言うことを言われていた。暑さがやはり一番大変なようだ。耕作が難しいと言うことも言われていた。

 そのほか色々田んぼに関する情報を得ることが出来た。簡単には借りられるものではないと言うことも言われていた。何故あそこが耕作されずに荒れているのかと伺うと、様々事情があるらしい。地主さんが石垣に居ない事もあるらしい。

 田んぼの貸し借りについて、実情が知りたいと思い、農業委員会に田んぼを貸してくれるところがあるかを聞きに行った。一つわかったことは農業委員会では、簡単によそ者には田んぼを貸さないと言うことになっているようだ。当然と言えば当然である。

 貸したいという話が出たときには、その田んぼの周囲の方に情報を流し、優先して借りられるようにしているらしい。田んぼを耕作される人が集積された方が良いからである。当然の配慮だろう。田んぼは繋がっているから、一部によそからきたものが入るのでは、うまくないというのも当然かと思う。

 石垣島では五反の農地を購入するか、借りなければ、農地の貸借も売買もできないと言う条件になっている。これも普通のことだと思う。最低でもそのくらいやらなければ、農家になると言うことにはならない。農家でない人には農地を使わせないと言うことは、厳密に決まっているようだ。

 この辺は小田原とは少し違っている。耕作放棄地に対する、行政としての深刻さの認識から来ているのではないだろうか。耕作放棄地が限界を超えて増え始めてから、あわてると言うことになるのだろう。まだ石垣ではそれほどでもないと言うことのようだ。

 では現実には石垣島で田んぼは耕作放棄地がないかと言えば、そうでも無い状況がある。地域にもよるが、田んぼで耕作放棄されている場所はそれなりに目立つ。小田原とそうは変わらない状況だと見える。石垣の場合、草地への転用。サトウキビの転用が目立つ。この辺が赤土の流出に繋がっているのだろう。

 みやぎ米屋さんが20ヘクタールの田んぼを借りて耕作されている。貸したい人がいれば借りますという新聞広告を出していた。去年あたりからそれは出していない。20ヘクタール借りたことで田んぼ面積の減少は止まっていた。そして、みやぎ米屋さんが去年から借りることを積極的に行わなくなって、田んぼ面積は減少したと言われていた。

 みやぎ米屋さんはITによる水管理システムの導入。ドローンによる直まき栽培の試みなど、積極的に新しい農業を模索している。そしてお米屋さんとしての販売力もある。生産から販売までの一貫した立派な経営方針がある。今後もさらに広げてくれれば有り難いことだ。

 今後みやぎ米屋さんが20ヘクタールからさらに集積をして行くことになるのかが石垣島における、稲作にとっては一つの鍵になるのかもしれない。石垣島にも大規模化して成果が出る田んぼはある。大規模農業を目指す田んぼとそれ以外の基盤整備されていない田んぼを分けて考えるべきなのかもしれない。

 基盤整備されていない田んぼの場合、面積が小さいことや水管理が難しいためにどうしても、田んぼでなくなる確率が高い。すでにそうした現象は起こり始めているように見える。経営に困難な田んぼから耕作放棄されるのが普通のことである。

 大規模農家にとっては条件の悪い田んぼこそ、市民が耕作する田んぼと言えるのではないか。1人の自給の田んぼが2畝としても、100人の自給であれば、2ヘクタールというそれなりの大きさになる。消して小さな数字ではないとおもう。そうした小さな自給の田んぼの石垣島でのやり方を模索してみたい。

 昨日、EM農法で長年田んぼをやられていた方にお会いした。なんと鶴川のキリスト教の農業伝習施設で学ばれた方だった。アジア学院の前身のものである。ここの初期の立ち上げに関わられた高橋牧師さんが小田原協会におられた。その方とは路上生活接点があった。接点があった。どうも知り合いだったらしい。

 石垣では実に様々な方が農業をされている。この厳しい農業のなかで、実践されてきた力がある。考え方も芯が通っている。ただこの世代の方々がやれるのもあと5年という感じである。次の世代の方は畜産や果樹の方が多い。やはり田んぼの未来は厳しいものがありそうだ。

 石垣では田んぼはやらないと決めてきたことではあったが、何故か田んぼを探している。田んぼを探しながら、やはり田んぼを見る眼が変わった。それは絵にも影響している気がする。かなり距離が近くなったようだ。今日も絵を描きに行き、田んぼの方と話をしてみよう。

 
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シーラ原田んぼの始まりを今見ている。

2021-05-15 04:20:45 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
田んぼ入水口付近。今中干しである。

 田んぼの案内募集は、高梨さんという水彩人のホームページの管理をお願いがしている方に、代行して頂いた。こんな文案でよろしくお願いしますと、朝表示を依頼した。お昼に家に帰ると、すでに10名を超える希望が来ていた。夜には20名を超えていた。

 「自給のための有機農法の田んぼ参加者募集」
1,自分の食べるお米を自分で作って見ませんか。
2,費用はかかった分を人数で割ります。一万円ぐらい。
3,お米50キロが目標。
4,場所は名蔵シーラ原の一番景色の良い田んぼ
5,活動日は10回ぐらい。7月から11月。
6,道具はこちらで用意します。
7,有機のイネ作り33年の笹村出が指導します。
8,希望者はsasamura.ailand@nifty.comに申し込んで下さい。
ーーー以上が掲載して貰った文章である。

 人は集まるとは思っていた。いままで石垣島で接点のある人との話で、米作りには興味があるだろうと思っていた。しかし、これほど一辺に人が集まるとは思っていなかった。やはり、どこでもお米を自給する技術には多くの人が興味を持つ時代になっているのだとと思う。

 是非とも全国で同じような動きを始めて見て貰いたい。有機農業で田んぼをやる技術さえあれば、必ず良い人の集まりになるはずである。有機農業の目指すところを共有できればあとのことは何とかなる。

 子供の居るお母さんが多いようだ。子供に田んぼを体験させたいと言う気持ち。そして安全な食べ物を食べさせたいという気持ち。全く当たり前の事である。皆さんには昨日夕方に返信として、以下の文章を送らせてもらった。

シーラ原の有機の田んぼへ関心を持って頂いた皆さまへ

20名の方に一日目で興味を持って頂きました。
石垣島の希望を感じた一日でした。ありがとうございました。

小田原では今年も一反5畝の田んぼを復田しました。
25日から田植えで小田原に行きます。

名蔵アンパルの会の山崎さんと干川さんの協力で名蔵シーラ原で田んぼを始めることになりました。
石垣島で田んぼが減ってはならないとの思いです。

皆さん色々状況が分からず、お問い合わせと言うところかと思います。
小田原でやっているあしがら農の会方式でやろうと考えています。
もう30年近くやってきた方式です。200名の仲間が居ます。

参加に決まりはありません。可能な限界まで緩やかな関係です。
名簿も作りません。会費もありません。
費用は掛かったものを人数で割って負担するだけです。
誰も儲かりませんし、損もしません。

人数が多ければ、ひとり当たりの負担金は減りますが、分配のお米は減ります。
体力のある人も、体力の無い人も同じです。全部出た人も、休みの多かった人も同じです。
小さな子供さんは大歓迎です。子供の笑い声も参加者の力になると思っています。
理想主義的すぎると怒られますが、自給のための田んぼくらい理想主義でやりたいです。

石垣で初めて試みる方式です。
皆さんのご意見を調整して進めたいと思います。

参加日時を皆さん気にされているようですが。
事前に決めたいのですが、田んぼでは現在、一期作目の稲が生育しているところです。

場所はシーラ原で一番高いところある田んぼです。
バス停から歩いてくることも出来ると思います。

今のところ、一期作のイネの稲刈りがいつになるかすら分かりません。
日程が分かり次第皆さんに連絡をしますが、小田原の稲の生育と、石垣ではまるで違います。
正直決められない感じです。

小田原では事前に一年間の日程を決めてしまいます。

基本は、土日を活動日にします。
ただし、雨などでとつぜんの変更もあります。
と言っても、都合で参加できないのは当たり前のことで、
やれる人がやるだけです。

考え方としては、やれる人がやる。必要な人が貰う。
こういう考え方です。資本主義的ではありません。
自分はすごく働くから、休みの多い人に腹が立つという人は無理かもしれません。
気持ちよく、楽しくやれればそれでいいと思っています。
何か訳の分からない説明ですが、こんな理想を探している自給のための田んぼです。

具体的なことが決まり次第皆さんに連絡をします。
ブログに田んぼのことを書いていますので、そこである程度確認できるかと思います。
地場・旬・自給 (goo.ne.jp) https://blog.goo.ne.jp/sasamuraailand

何でも遠慮無く相談下さい。

笹村 出

と言うことでシーラ原田んぼが始まりそうです。
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石垣島農の会 シーラ原田んぼ計画

2021-05-14 04:18:49 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 絵をいつも描いているところから、海の方を見た景色。田んぼの一番奥から、田んぼを通して海を見ている。まさか絵を描いていた田んぼで耕作することになるとは思わなかった。田んぼと海と空この兼ね合いが描くには難しい場所だ。

 このたんぼ一枚が1反5畝ほどらしい。五段になっている。一段の高さは120センチほどの段差。田んぼの両側に水路がある。西側が排水路である。上部に沢があり、水が少し流れている。出来れば染み出ている山からの水で耕作できればと考えている。石垣島で田んぼをやることになったのだ。

 農業は絶対にやらないつもりで石垣島に来たにもかかわらず、田んぼをやることになった。自分の役割と言うこともすこし意識した。もう新しく何かをやることがあるとは考えていなかったのだが、いくらかでも期待されるものがあるなら、答えるのが役割のように思う。もうひと頑張りしてみようと思う。老骨にむち打ってと言うのかな。

 正直なところ今回の田んぼは冒険である。夜も眠れないほどの不安がある。石垣の気候や土壌が、まるで違うと言うことである。ここで取り組んできた有機農業が可能なのかどうか。考えれば考えるほど、困難な挑戦になる。二期作というのも初めての挑戦になる。どれだけ腐植を戻せるかが課題だろう。たぶん田んぼでも収奪的な物になりやすいのではないだろうか。余裕が出てきたときには、切り株から再生するひこばえ農法も研究したい。

 自給のための有機農業の技術を石垣島での方法を見つけて、伝えたいと思う。自給の技術はこれから価値が出てくる。技術があるかないかが生きるか死ぬかに繋がる。石垣の亜熱帯の気候から来る限界があるのかもしれない。それでも私の考えてきた、自給稲作法で通用するものもあるのではないかと思っている。どこまでやれるか挑戦である。

 農業者としての営農としてはこれからはますます難しくなる。自給のための市民が田んぼの田んぼの担い手になる時代が来る。来なければ田んぼがなくなり、日本が終わる。私が田んぼをやってきた、40年間はそういう農業の流れだった。農業者の平均年齢は私の年齢と同じに推移している。すでに70才を超えている。そんな産業はあるだろうか。

 石垣島の名蔵湾沿いのシーラ原と言うところで田んぼを始めることになった。具体的な計画を立ててみる。場所はシーラ原で一番高い位置にある田んぼである。面積は一反5畝。沢の取つきにあり、沢からの水を引いてくることも可能な場所である。基盤整備もされていて、安定した水も使うことが出来る。ただ、1月頃の通水は出来ないようである。

 シーラ原の一段高いところの奥に水が湧いている。その沢の続きに亜熱帯的な森がありその森に食い込んだような沢を登って行く、段々畑の田んぼの一番上の田んぼである。その沢の田んぼはすべてみやぎ米屋さんが耕作されている。その一番上の田んぼを市民が自給のために行う、有機農業のたんぼとして行う。

 シーラ原は名蔵湾沿いにあり、名蔵アンパルから名蔵湾を崎枝の方向に向かう海岸沿いである。石垣島の観光地であるカピラ湾に向かう車が通る、広く開けた場所である。海沿いには道路がある。そして田んぼがあり、さらにその上の一段高いところにパイナップルとサトウキビの畑が数ヘクタール広がっている。石垣島の穀倉地帯と言うことになる。

 この状態は赤土の流出が防げて良い農耕地の配置だと思う。気になるのは台風の強い風が直接当たりそうな所だ。特に二期作目では台風の遭遇はあると考えなければならない。台風の対策はあるのかないのか。何しろ、田んぼにイネがなかったと言うほどの風が吹くらしい。

 シーラ原は石垣でも一番良いお米が採れるとされているそうだ。海からの風が通り抜けていて、湿気がたまりにくいため、イモチが出にくいそうだ。シーラ原では良く絵を描いていた。絵を描いていてもいつも風が通り抜けていて、夏の炎天下でも暑さをそう感じないですむ田んぼだ。そもそも蚊に刺されることがない。これはイネにとってはウンカが飛んでいってしまうという貴重な場所になる。

 山は尾根続きで於茂登岳まで続いている。石垣島の田んぼとしては深い山に続いている場所ではないのだろうか。白水ダム系の良い水が配管されている。沢に流れてきていて、その水を昔は飲んだそうだ。干川さんが42年前開墾生活を始めた頃には水牛で耕作されたそうだ。

 まず現状で、気がついたことを列挙してみる。
1,奥側の畦が低くなって崩れかけている。土が必要である。
2,一番奥には沢からの水が染み出ている場所があり、高さ的に水路を塩ビ管で越えさえすれば水が採れそうだ。
3,両側の水路は深く三面張りになっていて、水害の対処が出来ている。
4,道路から田んぼへの入り口当たりに4㎡ほど土を入れて平地を作りたい。
5,田んぼの奥側に道具置き場を作りたい。道具を置いて帰りたい。
6,道具は田んぼ線引き、トンボ、25メートルネット、プラステックポール150センチを25本,シャベル、草刈りかま、草刈り機。堆肥置き場、ブルーシート。コンバイン袋。コロガシ2台。タカの凧を準備。
7,水路の掃除。泥などがあれば、畦の補強に使う。
8,田んぼには稲刈り直後に米ぬかあるいはオカラを入れたい。そういう物がない場合はどうするか検討する。田んぼに撒いた後に、荒起こしをして、代掻きをして貰う。
9,代掻きをして、水張り管理を苗作りの間にしておく。
10,苗が出来たところで、田植えをする。もう一度トラックターで代掻き。
11,線引きで線を引いて、田植え。
12,苗床用のぼかし肥を作る。
13,田んぼの面積の正確な把握。
 
 具体的な耕作計画。
7月半ば 
種まき。小田原よりも一週早く生育すると見て。四週間の苗代。
7月中に 
稲刈りが終わり次第に稲わらは刻んで散布できるのか。その上にオカラなどを蒔く。すぐ荒起こし、代掻き。
出来れば田んぼの一部に苗代を作る。苗代以外は水張り管理。
8月始め 
5葉期二分ゲツになったところで、苗取り、もう一回代掻き、線引き、田植え、米ぬか蒔き。
8月半ば 田植え後一週間でコロガシ開始。繰返し転がす。
11月頃稲刈りか。

 
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石垣島自然農田んぼ見学会資料

2021-05-10 04:39:26 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
  石垣島での自然農の田んぼ見学会は30人を越えると思ったが、登録数二三名だそうです。参加者で開催された。コロナ蔓延のなか、気をつけての開催になった。名蔵公民館で一時間ほど話させて貰ったが、以下はその大筋である。田んぼに興味を持ってくれる人がいて、石垣で新しい農の会が生まれることになればと思う。

石垣島自然農田んぼ見学会資料 https://blog.goo.ne.jp/sasamuraailand に掲載




 小田原で田んぼを続けている。あしがら農の会で田んぼをやっている。今年耕作する田んぼが「柿の下田んぼ」という4人の仲間の田んぼだ。一反五畝あまりの田んぼである。ことし新しく耕作放棄地を復田したものだ。
 
作業/日数/参加人数
草刈り    4日 計10名
枯れ木集め  4日 計6名
ユンボ    6日 計24名
トラクター  5日 計10名
水路石組み  3日 計6名
代掻き    3日 計16名

●復田作業日数:25日
●参加延べ人数:72名

 復田の作業である。一人で行えば、72日間かかった作業だったと言うことになる。3月から、5月までの間に行ったものである。この田んぼの責任者は東さんというこれから農業をやってみようかという若い人の挑戦である。

トンボで田んぼを均している。

 私とあと2人のベテランが協力している。あしがら農の会では新しい田んぼが毎年どこかで始まる。33年前山北町の山中で開墾生活を試みた。3年ほどで食料自給の体制を調えることが出来た。田んぼも山の斜面の杉林を切り開いて、田んぼを作った。二畝あまりの田んぼである。ここで100キロのお米を収穫した。


耕運機で代掻きをしている様子。

 あしがら平野の食糧自給を計算してみると、自分のやっている実践を基礎にして、人口と耕作面積を計算してみると、食糧自給ができると言うことが分かった。耕作者がいないから食糧自給が出来ないのだと分かった。

 30年前にもこの先農業者は減少し、農地をになうものが居なくなると予測できた。食糧自給は暮らしに最も重要である。特に主食の田んぼがなくなることはあってはならない。農家が経営として無理ならば、市民が自給のための田んぼをやる必要があると考えて活動を始めた。



 そこから農の会がうまれ、現在200名くらいの人が「田んぼの会」「大豆の会」「お茶の会」「麦の会」「ジャガイモの会」「タマネギの会」「有機農業塾」と活動を続けている。耕作面積は10ヘクタールくらいである。農業者になった人が20名以上いる。


 欠ノ上にある苗代の様子。苗は共同で作っている。

 石垣島の水田を考えると。やはり田んぼの耕作放棄地が増えている。サトウキビやパイナップルへの転作が行われている。このまま行くと田んぼが沖縄本島や最近深刻化している与那国島のように田んぼが失われることになりかねないという危機感がある。


石垣島小学校の学校田田植え直後の様子

 田んぼは東洋4000年の循環農業である。環境維持能力が大きく、生態系の豊かさを支えるものである。ラムサール条約では宮城県の伊豆沼周辺の田んぼはラムサール条約に含まれている。特に冬期湛水が生物多様性の維持に重要だとされている。

 田んぼは生産の場であると同時に、環境調整機能の役割も行う。赤土の流出を沈殿池として防ぐ。大水を防ぎ、地下水の増加に繋がる。多くの生き物を育み、生物の多様性に貢献する。田んぼは生産と自然保護を兼ねた、極めて優秀な農業の場である。


名蔵の冬期湛水の田んぼ

 石垣島の田んぼの中には、冬期湛水を実現している場所がある。もしアンパルに繋がる水田で冬期湛水が行われるのであれば、自然環境の維持には重要な要素になる可能性がある。冬期湛水には環境支払いが行われている地域がある。この補助金を有効に使えば、冬期湛水が増える可能性がある。

 石垣島の田んぼの土壌は、乾くと堅くなるために名蔵湾沿いの田んぼでは通年通水を行っている田んぼが多数存在する。この田んぼに飛来している水鳥の数は多い。一般的に田んぼを通年通水すると硬盤が緩んでしまうことが多いなか、石垣島の土は特殊なものと思われる。土壌の性質は石垣島の田んぼのどこでもが同じではない。

 ただ、畦が畦塗りを為ないでも水漏れをしない田んぼが多数存在する。これは土壌が特殊である証拠である。粒子が細かく浸透性の少ない、固まりやすい土壌が多いのではないかと思われる。

名蔵の冬期湛水の田んぼ

 あしがら農の会での実践では、会費はかかった経費を人数で割る。一万円で120キロのお米の分配が基本である。参加日数は一二回ぐらいである。田植えや稲刈りへのお手伝いさんをすると、2キロのお米がもらえることになっている。

 有機農業で耕作を行い。一反当たり10俵を取る畝取りが目標である。達成している田んぼも多い。周辺の農家の田んぼの平均収量は8俵程度であるから、有機農業で二割の増収をしていることになる。

 農法はそれぞれが選んでいるが、手植えの田んぼがほとんどである。手植えでは広く出来ないと思われるが、農の会では2ヘクタールあまりを手植えしていることになる。一人の手植えは1日二畝程度である。市民の田んぼは機械植えよりも手植えの方が合理性がある。

 技術の要は苗作りで、五葉期二分ゲツの稲を手植えすることが多収に繋がっている。冬期はレンゲを緑肥として栽培をしている。抑草はソバカスを撒き、コロガシを四回行う。

 もし、石垣島でも田んぼをやってみたいという人がいるのであれば、協力したいと考えている。
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イネ苗床の管理の3つの要点

2021-04-29 04:39:28 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 苗床の管理は的確に行う必要がある。苗作りは稲作で一番神経を使うものだろう。苗についてまとめて考えてみる。目標とする良い苗いと考えるものは、滞りない生育をした緑色濃い5葉期2分げつである。

 長いこと黄色い苗しかできないで、苦労してきた。やっと黄色にならない健全な苗が出来るようになり、畝取りが出来るようになった。苗の生育は5葉期で5週間が理想の生育の早さである。それより遅いのであれば、何か成育を疎外している理由がある。

 もちろん黄色い苗であれば、5週間で3葉期程度である。ということは8週間ぐらい苗床において、5葉期になって植えるのか、あるいは3葉期で止まってしまい、田植えをするのかになる。


 播種三日目で発芽した状態。

 自給の為の小さな田んぼのイネ作りは手植えである。3畝までの手植えは一人で一日で出来る。田植え機を使ったとして、機械の準備やら掃除やらを考えれば、同じ一日仕事になる。その上に、一年一度の機械は肝心な時に動かいないかもしれない。小さな田んぼは機械はいらない。

 5葉期2分げつの苗を手植えで行うことは、畝取りするための重要な条件になる。自給の為のイネ作りはイネのもつ力を十分に発揮させるものだ。その一番の要因が苗床における苗作りである。苗半作と言われてきたが、これは江戸時代の苗床でのイネ作り以来のことなのだ。

 まず、保温である。江戸時代はきっと保温に苦労をしたのだろう。田植えは今よりもひと月は遅かった。温度が高くなければ苗は健全に育たない。子供の頃油川のおばあさんの実家の石原家で見た苗床は、常に目の届く家の脇にあった。そして昼間は障子がかぶせてあった。夜はその上から油紙をかけてあった。

 現代では穴あきビニールを掛けている。ビニールを掛けることは保温であるが、それに加えてスズメに食べられることを防いでいる。穴あきビニールの優秀なことは、案外に地表面の温度が高くなり過ぎないことだ。穴から高温の空気は抜けてゆく。

 35度くらいまでだ。トンネルの上部は穴から高温の空気が抜けてくれる。上部の温度は50度を超える。水のある地表面は高温になり過ぎない。重要なことは種のある高さの温度が下がり過ぎず、上がり過ぎないことだ。

 意外に穴あきビニールと脇からの空気で中の温度が調整できる。温度は朝と昼に計測する。重要なことは1週目から、3週目までである。特に気温が高くなる後半ビニールをめくるなど、調整が必要になる。ビニールを外すのは雀が食べなくなった時である。3葉期ぐらいか。


入水口は酸素が混ざるように噴水型にしている。
 
 次が水管理である。発芽までは水をかぶっていても大丈夫だ。発芽してからは水を控えなければならない。水没を避ける。朝・夕と水を入れてすぐに止める。湿りが足りなければ昼間も行う。それ以上は水を入れない。土が濡れていれば、充分である。

 苗の成育の高さに合わせて、水没しない様に水を入れる。私たちの苗床は4畝ある広い苗床なので、高低差がどうしてもある。深くなるところにあわせて水管理する。これが意外に難しい。水没するようなら、水を切ってまた水を入れるを繰り返す。

 苗が2葉期ぐらいになれば、水を張っても沈まなくなる。そこからは水位を保ち、稲の成長に合わせて、水位を上げてゆく。水はわずかに動いていて、十分にある状態が良い。

 3つ目が苗床の土壌管理である。苗床には十分な肥料がなくては良い生育にならない。2,5葉までは種の力で生育する。それ以降は発芽した根が土から肥料を吸収して成育を始める。この時に十分な肥料がなければ、苗は育たない。

 ただし、有機農業では化学肥料のように即効性のある肥料はないので、秋から冬の間に苗床の土づくりを特別に行う。米ぬかやそば糠を1か月おきくらい、田んぼとしては少し多肥になるかという位撒いておく。緑肥がない場合なら、撒くつど耕す。

 苗床の土は細かく耕し、水を入れたならば少し深めの丁寧な代掻きを行う。土を深めに柔らかくして置けば、苗取りの時に楽になる。3畝の田んぼなら、1メートル幅で3メートルになる。できる限り丁寧作業を行い表面を水平にする。

 この「温度、水、土」の3要件を調整することで良い苗が出来る。すべては稲の本来の資質を引き出すことにある。初期こじらせると、イネは十分な生育が出来ず、畝取りは出来ない。イネ本来の力を発揮するためには初期生育がイネの植物として万全な状況が必要である。

 イネの種の播種は1㎡200g~100gで、面積があるなら疎であるほど良い。これで2畝分の1本植えの播種量である。不安もあるのでもう少し広く、もう少し多く種を播いた方が安心。種は出来るだけ均等に播き、その上から燻炭を被せる。さらにぼかし肥を軽く撒いておく。

 今年は久しぶりに直播の実験を行っている。これはもう30年前からやっているやり方である。簡単に言えば、苗床のような状態の田んぼを1畝で始めたのが最初である。田植えをせずに1畝ぐらいだから、種をすじ蒔きにした。


3,3m×3,3mの実験田

 直播用の実験の田んぼである。30センチの幅で線をひき、線に沿って種をまいた。発芽してから、間の苗を取り除いて、30センチ間隔の直播田んぼにする。その取り除いた苗を発芽しなかったところに捕植をしたい。

 畝間、株間、はころがしで除草をした。1畝ぐらいであれば、このやり方でそれほど手をかけずにできた。そして60キロ採ったのだ。これが私の稲作の始めた時の形である。
 
 塩沢という丹沢の不老山の奥で、1反の田んぼをやった。歩いて30分も行かなければならない田んぼだった。1反に筋蒔きをして、同じように株間のあまり苗で周辺の田植えをした。確か糯米を作り、餅つきをしたはずだ。

 やはり、苗床のように土づくりや保温が出来るのはそう広くては無理である。実験の直蒔きの場所も保温は行っていない。鳥にやられない様にネットだけは張ってある。穴あきトンネルの苗床とどのような違いが出るか、楽しみにしている。

 自然農法を目指すのであれば、やはり直蒔きである。イネを移植するというのはやはり自然ではない。出来れば、直播をやりたいと考えていたのだが、最終的に草に負けた。雑草の勢いが強くて、どうしてもイネが負けた。

 あまりに手がかかるので、苗床で苗を作るようになった。それでもいまでも直播をやってみたいという気持ちはある。福岡農法の様な素晴らしいものを自給のイネ作りで実現できたならば、最高である。以下その構想である。

 1メートル幅の苗床を作る。穴あきビニールトンネルの中かに、30センチ畝の筋蒔き3本の苗床を作る。苗床としてもつくる。30㎝間隔で、間に育った苗を間引く。間引いた苗を他の部分に移植する。苗床と直播と不耕起田植えの混合とする。

 苗床の両側に田植えする。田んぼ中央に1mで、両側に3mずつ植えれば、7m幅の田んぼになる。14mの長さであれば、100㎡の田んぼになる。自給の為の小さなイネ作りとしては今より前進形ではないだろうか。

 これは一人でやる場合の話ではあるが、14メートルのトンネルを2本作り、この倍の14mの正方形の田んぼであれば、200㎡の田んぼで120キロを目指すことが出来る。

 苗床に水を入れると同時に田んぼ全体に水を入れ始めれば、苗を作っている間の5週間で苗床の周りは、代掻きをしないでも、不耕起水田としてほぼ田植えが出来る状態になっているかもしれない。それなら草も減るだろう。こうした妄想をしては試してみたくなるのだ。
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新しいく田んぼを作る

2021-04-24 04:06:00 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 柿の下田んぼは2反弱ぐらいのみかんの耕作放棄地であった。たぶんここも60年前くらいには田んぼであった時代があった。そしてみかんに転換した。それが放置栽培になって、その後放棄されていた。理由はこの畑には歩いてしか入れないからである。

 道路がないのであれば、田んぼは難しかったのだろう。トラックターも田植え機も入れないのでは、今の農業としては田んぼは無理だろう。しかしみかんだって道路がないのだから、経営としては大変だったに違いない。それだから最初に放棄されてしまったのだろう。

 そこをなんとか田んぼに戻そうと考えて、お借りした。5枚に分かれている。田んぼにするのは1反5畝である。石垣はだいぶ壊れていた。土地もかなり傾斜をしていた。田んぼに戻すには一苦労する場所のようだ。


 トンボで田んぼを平らにしているところだ。みんなが手伝ってくれて、作業が進んでいる。この田んぼで2畝60坪ぐらいである。これが小さな田んぼイネ作りでのモデル的な大きさになる。すべては機械を使わないで手作業でやろうと思えば出来る大きさ。

 奥に川がある。右側には田んぼがある。この降りてゆく道も新しく作った道である。大変な作業だったと思う。この作業には参加できなかった。一枚上の田んぼは水を入れただけで水はすぐにたまった。これは予想外のことだった。

 60年前のこととは言え、一度田んぼだったという事はそれより前の300年間田んぼであったわけだ。土はそう簡単に移動はしない。田んぼであったところを田んぼに戻すのはまだ楽である。これが一度も田んぼではなかったとこの場合、代掻きをしなければ水は溜まらない。


 右側の水路から臨時に塩ビ管を配管してある。ここだけ独立して水を入れるときの為だ。代掻きをするときには水が沢山いるので、配管を加えた。最終的には水は4枚を順繰りに巡るようになればと考えている。そして高さ順にA→B→C→Ⅾと水が回り、Ⅾからの排水はほとんどないというのが良いと考えている。

 水を入れたのが、21日ごごである。午前中に水路掃除をして、川から水が入るように整備をした。午後水を入れると意外に水持ちが良い。トラックターで何度もアラオコシをしてあったので、水は簡単にたまったようだ。

 しかし、当然というか予想した通り、畔からは水漏れが起きた。それを塞いで歩いて、一日目は終わった。Cまで水が行ったという状態だった。Ⅽは他からも水を入れた。2方向から水が入るので水がたまった。それをトンボで均しているのが最初の写真である。



 欠ノ下ではなく、柿の下田んぼだそうだ。柿の木の下の田んぼ。Aに水が満杯になったところだ。その下がBで奥に少し塩ビ管が見えているのが山側に流れている水路から水を取る塩ビ管だ。水が上手く回るようになったらば、この塩ビ管からの入水はしない方がいいと考えている。

 水が来ない場合を考えて、水は十分にある状態でなければ代かきが出来ない。一日目は水がどこまでたまるかを水漏れ箇所を塞ぎながら調整した。こんなに溜まりやすいとは思わなかった。トンボで均した程度で、何と水はⅭまで水がたまった。


 下の乾いて見えるのがD田んぼ。これで入水量を減らして、一日目を終わり帰った。翌日6時に行ってみると、なんと水があるのはCだけだった。小さく洩れていた穴が広がってすべて水が流れ出てしまった。早朝2時間かけて穴をふさいだ。

 2日目の作業は代掻きである。ところがここでトラブル。トラックターがA田んぼに入った途端にのめり込んで動けなくなった。これには参った。それから、トラクターを上げるのに半日かかる。みかんの根を抜根した穴にはまった。やはりCのように小さな田んぼの手作業には意味がある。

 畔の水漏れの直しを進める。これはかなり大変な作業であった。一つ一つ畔をシャベルで穴を掘り、つき棒で固めながら、土を戻した。上手く治ったところもあるが、治らないままの所もある。それでも何とかDまで水が行った。

 

 これが新しい欠ノ下田んぼの全景である。欠ノ下という名前にになったのは欠ノ上の下の田んぼという事である。欠とは崖を意味している。諏訪の原台地から久野川への南斜面にできた集落が欠ノ上という集落である。

 昔は住宅のある場所の裏側まで田んぼだったのだが、今は農の会がかかわる田んぼが半分以上になった。江戸時代の初期に田んぼが広がっていった地域だと思われる。古い家の伝承では、江戸初期から続いているという家が何件かある。

 



 
 夕方23日の作業が終わったところ。いつかこの景色を描いてみたいと思う。絵を描くという事は、草刈りから始まり、田んぼを作るという作業があって絵になるもとが出来るのだと思う。大変な作業ではあったが、実に楽しい作業であった。

 この楽しさはやったもの以外味わう事が出来ないものだろう。与えられた楽しさではない。自分が生きるための労働である。自分が食べるものを生み出す田んぼが出来る。自給自足を身をもって知るという事になる。大切な体験というのは人間の生き方にかかわることなのだと思う。田んぼを作るという体験は一度はやってみても良い、貴重なものだとおもう。

 今日はいよいよ、柿の下の種まきである。以下根守さんから来た、苗床の配置図である。
(柿の下田んぼ+冨田田んぼ+東田んぼ)
苗床の長さ24m。巾1m。
そのうち14mがはるみ、さとじまんが8.5m、山田錦が1.5m。

・はるみ
乾燥量で3kg→川に浸けて4.2kg。
柿の下A,B,D約1.1反用に2.8kg(苗床)、Eに1.4kg(直播き)する。
袋は分けていないので、目分量で2/3を苗床に播く。
・さとじまん
乾燥量1.2kg→川に浸けて1.7kg。
柿の下C2畝と冨田田んぼ4畝の合計6畝分ちょうどあるので、
これを苗床に播く。
・山田錦
乾燥量0.7kg→川に浸けて1.0kg。
東田んぼ1畝分だと乾燥量0.2kgで足りるので、1/3程度を苗床に播く。

★直播部分については、またあとでまとめて書きたいと思う。
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石垣島で農の会方式の田んぼが始まるかもしれない。

2021-04-19 04:13:49 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 
 竹富島と石垣島の間を帆船がゆく。40人乗りの船だ。



 タイトル「自然農法の水田見学会」と「小さな田んぼのイネ作り勉強会」
講師 笹村出氏(小さな田んぼでイネ作りー農文協)著者
日時 5月9日(日) 
集合 13;30分名蔵公民館
趣旨
前半:石垣島で何十年も継続された自然農法の田んぼがあります。石垣島の自然に即応したすばらしい耕作がされています。自然農法の田んぼの風を感じてみませんか。

後半:自給のためのイネ作りをあしがら平野で30年間、200名で続けています。この活動の話をさせて貰います。イネ作りは野菜より、ずっと簡単です。だからお米は主食になったのです。自然農法の田んぼを冬期湛水すると、田んぼが生物多様性の維持に繋がります。赤土の流出も防ぐことが出来ます。名蔵アンパルに隣接する水田であれば、ラムサール条約の指定地に編入の可能性もあります。

13;30分名蔵公民館→下地さんの水田(名蔵)→中新城さんの水田(新川)→⒖:00頃、結ケアセンターククル(大川)笹村出氏「自給の田んぼ運動」勉強会→終了16:30分頃
参加費 150円、保険料150円(任意)

主催:アンパルの自然を守る会
連絡先 山崎 090-6785-8692
山崎雅毅
アンパルの自然を守る会
090-6785-8692
フェースブック
https://www.facebook.com/anparu.org

 石垣島で農の会方式の田んぼが始まるかもしれない。小さな自給のための田んぼである。石垣島では田んぼを始める事が無いように、決意していたのだが、どうも成り行きで、避けてばかりとは行かないようになってきた。

 石垣島でも自給の田んぼをやられている方はきっといるのだろう。いままでの所では、自給の田んぼかなと言うようなものはまだ見つけてはいない。ただ、自給の田んぼをやってみたいと言われる方には何人かお会いした。関わると、田んぼをやりたく成りそうなので、なんとなく近づかないようにしてきた。

 田んぼをやることは小田原を最後にして、石垣島では始めない決意をしていた。しかし、名蔵アンパルで良く絵を描いている。周辺には素晴らしい田んぼが沢山ある。もったいない放棄された田んぼもかなり存在する。水張りだけでもすれば良いのにと思ってきた。

 名蔵アンパルとは湿地のことである。名蔵湾沿いに一〇キロほど続く、湿地がある。昔は一面マングローブあるいは湖だったのだろうか。その一部は田んぼになっている。水は於茂登岳から流れ出る水が豊富で、田んぼとしての条件は良い場所である。

 アンパルとは網を張るという意味らしい。湿地で漁業をしてきたのだろう。古くから人は住んでいたと思われるが、やはりマラリヤの発生地で、名蔵には住まないで、川平や石垣から通って農業をしてきた人が多かったらしい。

 名蔵アンパルはラムサール条約の協定地である。湿原を守る世界の条約である。湿原の持つ水鳥を主とした生物多様性を大切にする環境運動である。釧路湿原の丹頂鶴。伊豆沼のマガンの飛来地。など日本でも51カ所もあるが湖が多く、琵琶湖などもそうである。

 ラムサール条約の大切なところは、「交流・学習、賢明な利用、保全・再生。」の3つが柱になっているところだ。環境運動に良くある、環境原理主義ではないと言うことになる。環境に望ましい形の農業であれば、むしろ利用が推進されている。ここが世界自然遺産などとは意味が異なる。

 その柱が水田である。宮城県の伊豆沼・内沼は田んぼの溜め池機能として残された沼である。周囲は広く田んぼで囲まれている。その田んぼの中には冬期湛水をするところもあり、田んぼを湿地として生物のために生かしているのだ。

 田んぼが水鳥の餌場になってきたのは、佐渡島のトキ、豊岡のコウノトリなど良い事例だろう。こうした餌場である、田んぼに生き物がいなくなったことがトキが絶滅した理由である。コウノトリは危ういところで、豊岡の有機水田運動で救われたのだ。

 田んぼを湿地として考えるという「賢明な利用」が重要な考え方である。環境原理主義者の中には、一切手つかずの自然こそ尊いものとして、農業利用を毛嫌いする人も少なくない。特に農薬を使うと言うことで、自然の破壊行為と考える人もいる。

 しかし、農薬を最小限に使う稲作であれば、荒れ地にしておくより、総合的に考えれば、田んぼは環境を豊かに育むものである。とくに、冬期湛水を行うことで、水を貯水するようにすれば、生物の多様性を維持する大きな役割を担うことになる。

 田んぼを放棄して、荒れ地に戻る経過を見ていると、乾燥化してしまうことが多い。湿地に戻るのではなく、乾いた荒れ地になって行く。それは水を保持する機能が衰微していることと、水道水などの貯水ダムによって、流入水そのものが減少している事に由来している。

 それ故に農薬を最小限使いながら、行う稲作農業であれば、むしろ放棄するよりも生き物のためになることもある。決して環境をあらすものでないと考えるべきだ。赤土の海への流出を防ぐ機能、地下水を豊富にする機能、洪水を防ぐ機能。など環境に田んぼは大いに役立つものである。

 農業利用という意味では湿原を乾燥させて、サトウキビやパイナップルを作ることが一番問題がある。ラムサール条約流に言えば、これは賢くない利用である。赤土の流出が起こり、珊瑚が死に絶えて行く。湿原なくなることで、多くの生物が生息できなくなっている。

 カンムリワシを守るためにも、水田は重要である。冬期湛水の水田はカエルの生息地である。カエルを増やせば、鳥たちの餌に困ることはない。

 ラムサール条約に言われる、交流・学習を考えれば、自給のための小さな田んぼを行うことは、未来の環境保全をする人を広げて行くという意味で、極めて重要なことになってくる。自分の食べるものを作るというのであれば、農薬を使わないと言うことは普通のことになる。

 そして、小さな自給の田んぼであれば、農薬や化学肥料を使わない有機農業であっても、十分な生産性の上がる田んぼができると言うことを実戦することが出来る。この小さな実践が必ず他の農家にも影響を与えることになる。

 どうすれば雑草が生えないのか。どうすれば、化学肥料を使わないで多収出来るのか、これはその場所で実践して見つけ出す以外に方法はない。田んぼは10枚あれば、一〇種類のやり方がある。石垣島の土壌に見合う方法は石垣島で見つけるいがいにない。

 以上のようなことを石垣島に来て以来考えていた。そして、名蔵アンパルの環境を守る会に出会った。そして、考えをつい話してしまった。そこから話が始まり、石垣島で有機の田んぼをやってきた干川さんと出会うことになる。

 干川さんは四〇年前石垣島に移住されて開墾から初めて、石垣島で有機農業を実現された方である。とても立派な方で、見識がある。他の有機農業者の方を紹介していただいた。石垣島にもすばらしい農業者がおられる。こうした方と出会うと、いよいよ、何もしないではいられないような気分になってきた。

 名蔵アンパルの環境を守る会の事務局長の山崎さんという方から、石垣の塩の専務の東郷さんを紹介していただいた。海が汚れたらよい塩が出来ないという事もあり、環境保全にとても熱心な方で、農地を購入して利用して行くことを考えられている。名蔵アンパルの田んぼを保全して行くと言うことを熱心に考えられている。

 だんだん、形が見えてきたようなところである。次の段階は自給の田んぼに取り組んでみたいという人に呼びかけると言うことになる。これは以前からの感触では、すぐに集まると思われる。今回見学会と自給の田んぼの話を聞いてもらい。一歩前進できるといいと思っている。
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小さな自給のためのイネ作り

2021-03-29 03:58:48 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 この文章は今度石垣島で自給のための小さな田んぼの話をさせて貰うことになりました。その資料をかねて作りました。日程が決まりましたら、又ブログに書きますので、興味のある方はどうぞいらして下さい。

 100㎡の面積で人一人のお米は自給できる。55キロである。機械を使わずに一人の力で可能なことだ。その実践をこのブログ「地場・旬・自給」の小さな田んぼイネ作りのタグの中に、細かく書いてある。もちろん本「小さな田んぼのイネ作り」の中にはさらに細かく書いてある。一人でも多くの方にやってみて貰いたいと思っている。

 10メートル×10メートルの田んぼの中に30c㎡に1本にイネを植える。ほぼ1千本のイネが植えられる。1株のイネに55グラムのお米が実れば良い。これで55キロのお米になり、日本人が今食べている一年のお米の量になる。

 1粒のお米が一杯のご飯になる。それが1000杯のご飯になり、今の日本人のご飯を食べる量になる。

 稲一株をもう少し細かく見て行くと、1粒の種籾で1本の苗が出来る。この苗を30センチ角で植えて行くと、一株は成長しながら分ゲツをして、おおよそ20本の稲穂が出来る。一つの稲穂には120粒のお米が実る。つまり、2400粒のお米が一株から収穫できることになる。

 お米一粒は0.022g 。一つの稲穂は約26グラムある。20の穂があるから50グラム。これはお茶碗一杯の量になる。3倍食べれば、1合に成るが今そんなに食べる日本人はまずいない。一年に1000杯のごはんを食べることが出来る。これが平均的な日本人が食べているご飯の量になる。

 一人で100㎡の田んぼをやるのも良いだろう。家族3人なら、300㎡の田んぼをやることになるだろう。一つの家族が300㎡、100坪の田んぼをやれば、家族3人がお米は収穫できると言うことである。100㎡はほぼ1畝である。300㎡3畝の田んぼと言うことになる。

 この田んぼの周りには土の畦がある。この畦を広めに取ると田んぼの水管理が楽になる。広い畦に大豆を植える。すると、この大豆で、1家族の味噌醤油納豆が作れる。畦くろ豆と言って、一番大豆の作りやすい形である。裏作で小麦を作れば、パンもうどんも食べることが出来るだろう。

 人間は食べ物の自給が出来れば、まずの安心立命が出来る。生き方に余裕が出来る。家族ともども1000㎡の面積で人間は生きて行くことが出来る。今の時代収入がない小さな自給生活であれば、税金もかからない。江戸時代よりも随分楽な暮らしが実現できる。

 1000㎡の面積に家と畑と田んぼで暮らすことは、今の時代何とかなる。私の場合は最初はヨド物置をホームセンターで買って届けて貰って、その中で寝泊まりして開墾生活を始めた。山の中の隣の家もない場所で、駅から歩いて1時間もかかる場所で、車もなく暮らしを始めた。

 最初は水もなかったので、水は駅で汲ませて貰って、担いで山を登った。斜面にブルーシートを貼り、その下に大きなポリバケツを置いて、水を溜めた。こうしてシャベル1本で人間は自給が可能なものかの実証実験を開始した。

 そして、杉の木を一本づつ切り倒し畑と田んぼを作った。周りにあった地境の防風林の檜を切って、3坪の最小限の家をセルフビルドで作ったこともある。そして鶏を飼った。子供の頃から鶏が好きだったのだ。鶏が飼いたくて山の中に暮らしたというのが半分である。

 ほぼ3年目には自給生活が可能であることが見えてきた。意図したことではなかったのだが、卵を売ってくれないかという人が、山の中まで来るようになった。そこで養鶏業で生計を立てることにして、それが可能になったところで学校の教師を辞めた。

 学校を辞めるまでの間は山の中から、週3日だけ東京の世田谷学園の美術の講師として通っていた。東京で2泊だけして学校に務める生活であった。先日なくなった、柔道家の古賀選手や演出家の三谷幸喜さんを教えた事があるはずである。

 自分一人の自給生活が可能なことが分かった。計算してみるとあしがら平野の農地の面積で、そこに暮らしている人が自給できることが分かった。それからは、みんなの自給を考えるようになった。一人で田んぼをやるより、10人でやる方が、楽だし、楽しい。

 一人で働くと自給のためにかかる時間は1日2時間になる。これは10年間毎日記録した実践結果である。しかし、それがみんなでやる自給になると半分の1時間になることが分かった。やってみれば、食糧の自給は難しいことではないのだ。

 それがもう三〇年前になる、あしがら農の会の始まりである。石垣島に引っ越してしまって2年半になるが、私が小田原にいた頃より以上に熱心に盛んに活動を続けている。わたしも今でもいくらか活動に加えて貰っている。

 今年は田んぼ1反5畝を復田している。小田原では耕作放棄地が年々増えている。農業者の平均年齢が70歳である。大規模農家がやれるような農地はまだ良いのだが、中山間地の棚田や導入路のないような田んぼは、荒れるままになっている。こうした、条件不利な農地の担い手が、あしがら農の会のような、自給目的の活動になっている。

 あしがら農の会は「地場・旬・自給」を掲げて活動をしてきた。地域主義である。もしその土地に有機農産物がないとするなら、地元の慣行農業の農産物を食べるべきと考えてきた。そうでなければ、地域の農業が失われ、農地が荒れることになる。それはその場所で暮らすすべての人にとって良くないことになる。

 あしがら農の会からは毎年、新規就農する人が現われる。だから、もう30人以上の人が農家になったと言うことである。最初は自給で始めるとしても次第に、専業農家を目指す人が現われた。こうして、新規就農者と市民の自給農業の合わさる形で活動を続けている。

 延べ人数で200名くらいの人が活動をしている。活動は様々に重複をしている。田んぼの会、大豆の会、麦の会、ジャガイモの会、玉ネギの会、お茶の会、有機農業塾。と様々な会がそれぞれ独立して運営されている。

 田んぼの会では個人田んぼから、20家族もいる田んぼまで色々あるが、苗床で5葉期の分ゲツの始まった稲を1本植えにすることが基本の技術となっている。大きな苗を植えることで、初期から深水に出来る。雑草が抑えられる。大きな太い稲になる。

 コロガシを多く入れることが除草だけでなく田んぼの土をよくして多収に繋がる。ほぼ反収10俵の畝取りを10年は達成している。有機農業では一般の農業よりも収量が低くて当たり前とされるが、そんなことはあるはずがない。有機農業は生物の整理にかなう農業である。収量は多くて当たり前である。

 そのことを実践として示さなければ、有機農業が普及することもない。稲の生理にしたがい、稲の力を生かすことが出来れば、農薬や化学肥料を使う農業よりも、収量は当然多くなる。ただ、手間がかかる。この手間がかかるところをみんなでやる農業は克服できるから、すばらしいのだ。

 五葉期の苗を手植えするのが、稲にとって一番良いのは当然である。しかし、大規模農業ではそういうことが不可能である。深水の方が収量が増えるのは当然のことであるが、畦の管理などこまめな水管理が難しくなるために、やはり大規模農業では難しいことになる。

 5葉期で田植えをすれば、ジャンボタニシの害もほとんどない。同時にカモになぎ倒される被害もなくなる。分ゲツの始まった五葉期の大苗なら、田植えをしたその日に、根付くことになる。

 田んぼの水管理していたときは1日3回も田んぼに行ってしまう。田んぼにテントを張って暮らしていたいぐらいになる。稲一株ごとに名札を付けたいぐらいの気持ちになる。小田原での稲は毎週1枚の葉を出す。田植えをするのは種まきから五週目の5枚目の葉の時である。そして15週で15枚目の止葉となり穂を付ける。

 たぶん石垣ではもっと早く成長するのだろう。6日で一葉ぐらいかもしれない。

 
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耕作放棄されたミカン畑の復田について

2021-02-13 04:02:28 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 耕作放棄地の復田を10カ所やったことがある。どこも、それぞれの条件があり、一様ではなかった。貴重な経験をさせて貰ったと思っている。何とかこのやり方を人にも伝えたいと思うのだが、これだけは一緒にやりながら、考え方を伝えるしかないと思う。

 今回、欠ノ上田んぼの下流域の2反の田んぼの復田をすることになった。是非一緒にやりたいと予定していたのだが、コロナで小田原にはまだ行けないことになり、キャンセルにしてしまった。残念だが仕方がない。

 それは私自身が新しいことを学ぶ機会を失ったと言うことになる。今度やるとすれば、西表島のヤマネコの餌場の田んぼと言うことになる。生かせ経験がきっとあると思っている。計画は2カ所ある。いつ始まることになるのかは決まっていない。

 今加えて貰っている欠ノ上の一町歩あまりの田んぼも、耕作放棄地で荒れ果てた場所になっていた江戸時代初期に作られた田んぼである。山に水路のトンネルを一キロ近く通して、水を確保して田んぼに水を引いた。それほど貴重な場所である。それが田んぼを辞めてミカンの畑になり、そして耕作放棄されて荒れてしまっていた。

 欠ノ上田んぼは政府の政策としての元気回復事業で行われた。地元の建設業の人が、農業分野の技術を習得するという意味の事業であった。経験のない人が復田をやるのだから、田んぼになった後使う私が、細かく計画して、2ヶ月ほどかけて田んぼに戻したものだ。
 
 田んぼに戻して、今も耕作が続いている。耕作をしてみればああすればよかった。こうすれば良かったということが出てきている。失敗の経験を重ねて、次に経験が生かせるようになる。特に昔ながらの自然になじむ方法を考えることが重要である。

 こうした経験を整理して次に生かせれば良いと思うのだが、田んぼは全くそれぞれで、その田んぼの条件に合わせて対応するほかない。だから整理して記録すると言うことは難しいことだと痛感する。やってみなければ分からない部分が余りに多い。やりながら工夫を重ねるほかない。

 田んぼは土壌が異なる。水の入水排水も違う。水路の形状や水量でも田んぼの作りは違ってくる。いくらでも水があるのなら楽なことになるが、そんな田んぼの方が珍しいだろう。平場の田んぼと棚田では又異なる。段差が土手であるか。石積であるか。1メートル以上の段差があると、後々苦労する。

 硬盤があるかないかでも大きく異なる。一反以上の田んぼの場合は機械がどう入るかも計画しなければならない。日照条件も影響してくる。そういうことを整理して、こうすればどこの田んぼにも通用するという方法が分かれば良いのだが、田んぼについてはそれは無理なことだと思う。

 だから一般には大型機械を入れて、コンクリート化してしまう。流れは三面コンクリート張りになる。あるいは地下の塩ビ管にして、蛇口をひねれば、水が出るような方式である。これでは生き物の多様性が維持され、貯水機能のある環境に良い田んぼにはならない。人工的な田んぼは作りたくない。

 今度欠ノ上田んぼを新しく整備することになった。お隣の地主さんがミカンを切ってそのままにしていた田んぼである。農地に入る道がないので、私たちの畑から、道路を作る以外には耕作できない条件の農地である。道路の入り方も、研究が必要である。

 復田の手順を考えてみた。一年目でしかも40年も畑だった場所と思われる。水の湧く場所がありそうだ。地中にどの程度石があるのか、やってみないと分からない部分が多い。
 
 以下私の考える手順です。下に降りる道路造りが後々まで影響すると思うので重要。道路の下に水路が来る。しかもBへの水の取り入れ口も近い。抜根の為にユンボを下の田んぼに下ろすとすると、降りるための道路造りが先になるのか。
 
1,草刈りをして全体の様子を確認する。(完了)
 2,上の畑から、下の田んぼに降りる道を作る。ユンボを農協から借りる。
 3,降りる道の下に水路があるので、水路トンネルを考える必要がある。
 4,ミカンの木の抜根をする。ミカンの枝や根を片付ける。
 5,上からの水路は3系統あるが、どの水も田んぼに入れられるようにしたい。水不足のおそれがある。
 6,水路の取り回しを塩ビ管で出来るか。塩ビのU字型溝でやるのか。
 Bへの水の取り入れは川側の水路を塩ビ管で空中を渡すのが一番か。また、15番の排水を塩ビ管でやはり空中を渡して入れる。中央の水路からAへの水の取り入れ方法はやはり塩ビ管を空中で渡す。道路側の水路からの水はCに入れられるのか。塩ビ管については農政課と話し合い、現物支給して貰う。
 早めに農政課に打診して貰う。同時に、里地里山協議会の田んぼとして、申請したい旨のお願い。正確な田んぼの地番が必要とのこと。
 7,石積の積み直しを行う。ユンボで石を配置しておく。
 8,ユンボでの仕事はまとめて行いたい。前半(抜根と道路)、後半(石積みと畦作り)で2回に分けて借りるのが妥当か。
 9,畦作りを行う。これもユンボで行うが、土をたんぼ内で調達できるように計画を立てる。
 10,一応出来たところで、肥料撒き、荒起こし、水入れ、代掻き。
 11,硬盤のない田んぼなので、浅い荒起こし、浅い代掻きで一年目を行い、慎重に調整をする。一年目は収量よりも、田んぼの安定化を図る。
 
 以上の工事で、一気に行ったとしても、最短7日間になる。10日ぐらい見なければならないのではないか。以上が2反の放棄されたミカン畑を復田する、おおよその計画になる。始めて見ると予想外のことも出てくるだろうと思われる。
 
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田んぼの水漏れ防止工事

2020-12-14 04:03:08 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 舟原で新しくお借りして、黒柳さんに耕作していただいている3反ほどの田んぼの畔の改修工事を行った。この田んぼは地主さんの下田さんが独力で作り上げた田んぼである。この時代に新しく田んぼを整備するという思いはかけがえのないものに思えた。

 その思いを継続する意味でも、この田んぼを立派に維持しなければならないと思っている。そして未来のどなたかにつないで行きたいと思う。今なら何とかあしがら農の会の共同の力で、田んぼの改修工事も出来る。何とか行うことが出来てほっとしている。

 田んぼを作っているときから継続して様子は見ているので、今起きている田んぼからの大量な水漏れの原因は把握している。石垣の裏側に沢山の穴が空いてしまったと想像した。石垣がモルタルの目地止めがないので、石の間から水が漏り始めると、穴はどんどん広がって行く。

 穴は石垣の裏側全体に及んでいると考えなくては成らない。畦ぎわをすべて掘り起こして、固め治さなければならない。そして石垣の畦にかぶせるように土の畦を作ることにした。浅いコンクリート畦だけではあちこちにひびが入り、棚田では水漏れを防ぐことは難しい。

 もう一つの原因は久野の棚田では硬盤ができにくいと言うことがある。田んぼには3,40センチほどの地中に鶴橋で無ければ、歯が立たないような硬い層が出来る。田んぼから畑に変えたときにはこの硬い層が水の浸透性を遮り良い畑にはならない。

 硬盤は土の中の鉄分がさびて鉄板のように固まったもののようだ。ところが久野の田んぼではこの層があるとしても弱い。だから、畦際などではトラックターが潜り込んでしまうことがままある。硬盤ができない土壌であることも、モグラやオケラが簡単に田んぼに穴を空けることになる。田んぼの水漏れをひどくする原因かと想像される。

 石垣自体がすでに弱くなっている。石垣を崩しては困るので注意を要する工事になった。最初に畔際を石垣から30センチほど離れた場所を一mの深さ、幅50センチほどをユンボで穂田さんと、渡部さんに掘ってもらった。すると、石垣から30センチ離れると穴はほとんど無い。穴があるのはここから石垣の間であることが確認できた。

 まず掘った底をタコで土を突き固めていった。たことはケヤキの20センチほどの丸太に二本の柄を付けたものである。持ち上げては戻し土を固める道具である。畦作りの際もタコで突き固めると良い畦になる。

 固めては土を戻し、50センチほどの深さになったところで、石垣側の土をすべてはがして、底を突き固める。そして剥がした部分から石垣の裏側に土を詰め込んでいく。この部分が一番弱くなっているので、穴に土を入れては突き棒で固めながら押し込んで行く。突き棒とは太さ5センチぐらいの杉丸太である。

 土が一定入ったところで、この部分もタコで叩いて、固めてた。その後全体に土を戻しては突き固めた。その上をユンボを傾けて重量を畦際に欠けながら、土をできる限り押し込んで貰った。畦際の上の部分は高い土の畔にした。

 田んぼ耕作中に水漏れが起きた時には、その高畦の土を使って応急処置が出来るようにした。田んぼが始まってから土を持ち込むのでは手に負えないことになる。一から水漏れが起こるだろうという前提で、土畦を高く作る。その畦を崩しながら穴を埋めて、冬の間に畦に土を足してやる。

 今回も大勢の人が駆けつけて協力してくれた。4日間の工事になったが、延べ人数で30人工になった。一日目は土運び。軽トラダンプで40台を超えたと思う。軽トラダンプで無いと田んぼの中には入れない。軽トラダンプはマゴノりさんからお借りした。

 土は奥の傾斜したやはり下田さんの畑から取った。奥の畑は傾斜がきつく今作が大変だった。今回同時に直す事ができて、良くなったと思う。ここにはエン麦を蒔いて、土をよくする予定だ。エン麦の後には又大豆を作る。畑の直しも出来て一挙両得である。このあたりは比較的石の少ない。関東ローム層である。

 田んぼを作るには良い土である。土の粒子が細かく、水漏れがしにくい。肥料分は少ないが、工作しやすい良くなる土だ。ここに堆肥などの腐植質を入れて行けば、良い耕作土になる。それでも本当に良くなるには3年はかかる。3年間は緑肥のすき込みである。

 今回も無事改修工事ができた。棚田を続けることは手入れである。平場の田んぼとは違う。両方でやってきたが、棚田は工夫が面白い。収量が低いわけでは無い。お米は良いものが出来る。良い水が来る。夜いくらか涼しい。

 こうして27年間、農の会で田んぼをやれているという事は、どこかで困ったことがあった時には、お互いに助け合えるという事だと思う。そうした自分のことだけでない人が大勢いたおかげで農の会はここまでこれたのだと思う。

 自分のことで誰でも精一杯である。ところが農の会には自分のこと以上にみんなのことを考えてくれる人がいる。そういう人がいるおかげで維持されているのだとおもう。多くの組織は中心になる人間がいるが、農の会は誰もが一緒である。

 誰もが一緒であるから、誰もがいくらかづつ人のことを考えてくれるようになっているのだろう。お金を払って誰かがやってくれると言うことは無い。自分がやらない限り何も進まない。こうして、自主的に何かをやれる人が育っているのだと思う。農の会から各地に新規就農した人も10名以上いる。

 それぞれの事情があるので、とてもそこまでは出来ないという人が多数だと思う。しかし、農の会のどこかで他の人のために頑張っている人がいるという事は忘れないでほしいと思っている。いつか人のためにもやれるときが来たら、その時は誰かのために頑張って欲しいと思う。

 人間はどうも自分のためよりも、人のための方が頑張れるようだ。今もコロナに対応してくれている医療関係者の方々は、命をかけて頑張ってくれている。どれほどありがたいことかと思う。こうした人がどれだけ居てくれるかが良い社会であるかどうかなのだろう。

 石垣島に居るときも、農の会の活発な活動のメールが入る。私が離れてからの方が、農の会は活発さが増している。離れて良かったと思う。農の会のような活動が全国に生まれれば、日本の農業もなんとかなると思う。

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段々畑の水漏れの改修工事

2020-12-02 04:36:38 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 川沿いの谷間の段々畑はいつも直していなければ水漏れを始める。毎年冬にはどこかの田んぼで改修工事をしてきたようなものだ。一番の原因は田んぼの下に水路がいつの間にかできている。畔際を深く掘るとその穴を発見できる。初めはモグラやオケラの穴が、始まりなのだろう。

 斜面の為に、どうしても高いところから低いところに向って、水がしみるように流れ始める。川に向ってあちこちから水が染み出しているような感じなのだろう。斜面の地下の水が徐々に集まり、田んぼの下に水路のようなものが出来ることがある。

 ネズミやモグラや沢蟹などが穴を空けてその田んぼの下の水路に田んぼから穴が繋がってしまう。すると、田んぼの真ん中からでも水漏れが始まることがある。そうした田んぼの地下水路が徐々に広がり、手が付けられないほどの水漏れになることがある。

 久野は谷間の村で、中央に久野川が流れている。斜面の南斜面に多くの人が住んでいるのだが、その斜面には列状に湧水がある。湧き水は歴史によって染み出る標高が変化しているそうだ。それで集落は湧水の場所に併せて上下に移動して暮らしていたらしい。

 南舟原営農組織という形で、中山間地の補助金を頂いて活動をしているこれで6年目になる。補助金はすべて、田んぼの改修工事に使ってしまう。圃場全体では1.5haくらいである。補助金の対象はそのうちの1ヘクタールぐらいに対してである。土地の条件が田んぼなら補助対象になるという程度の緩やかな傾斜の状態である。

 1.5メートル程度の石積みが、8段ある。関東大震災の時に一度田んぼ全体が崩れたことがあるそうだ。その後、わきを通る道路にバスが通ることになり、拡幅工事が行われた。その時に田んぼの土をだいぶ入れ替えたという事らしい。田んぼの中には地主さんの作られた一本軽トラックが入れるように道路がある。

 石積みは自然石の手積みである。景観的にはとても美しい田んぼなのだが、年々水漏れが起きるようになっている。田んぼの下に水路が出来てしまっているのだと思われる。上半分は亡くなられた下田さんという方が、手作業で作られた田んぼである。下の半分は舟原に越してきてから、お借りして私が管理をしていた田んぼである。下田さんは情熱を持って田んぼの改修を行われていた。

 亡くなられた後も、下田さんが田んぼを精魂込めて作られていた姿が忘れられない。中央を通る道は7年もかけて、段々に軽トラックが通れるように広げた。コンクリートも手打ちで少しづつ前進した。農協に勤められながら、見事に道路を一番奥にあるため池まで進めた。そして、田んぼの田んぼ石積みも積み直したのだ。

 農業者の模範となる立派な姿を目の当たりにしていたので、田んぼを維持しなければ、あしがら農の会として申し訳がないと思い、お借りして引き継ぐことになった。そして一年経過してこの冬に水漏れ箇所の改修工事を行う事になった。水漏れがひどくて直さざる得ない状況なのだ。

 大きくは2か所の石積みで、35mの長さで、高さ1.5メートルの石積みと畔の改修である。石積みには触れない様にして、30㎝離して、石積み沿いに1メートル以上の穴を掘る。そして水道をつぶしながら、土を入れてはタコで叩いた。

 石積みが壊れない程度埋めたならば、また畔際の30センチ幅の畔をユンボで削って、もう一度土を積み直してゆく。こんどは上からユンボで踏み固めてもらう。そして、最後に石垣に沿って土の畔を作る。これは土を運んだだけ幅広で、高さも高く作る。土は軽トラダンプで45杯運んだ。

 穴を埋め戻す時にできるだけ固めたいのだが、押してしまうと石垣が崩れてしまうので気を付けながら、出来る範囲でのことになる。2台のユンボを使うので、一台で外側から押さえながら、やれないかと思っていたが、一台で何とか工事は出来た。できる限り石積みの裏側を固めなければならないので、埋め戻しが終わってから、石積みの外から緩んでいそうな石を押し込んで固めることになるかもしれない。

 奥の大豆畑も急傾斜だったのだが、だいぶ平らになった。これで田んぼの直しと、奥の畑の改善の両方が出来た。今度は耕作がしやすいかと思う。今回できる限りのことをやっておけば、長く農地として使われると思う。

 舟原で一番良い田んぼと畑だ。この耕作地を大事に使わせてもらわなければ、人としての役割が果たせないと思っている。人は長くても100年交代である。農地は何千年でも使う事が出来る。それが里山の手入れを続ける東洋4000年の循環農業なのだと思う。

 時代は様々な形で変化していくのだろう。しばらくは良い方向には進まないようだ。こうした時代には自給を出来る範囲で確保して、心の安定を得ることはとても大事だと考えている。「植木鉢一つの自給から」。これは昔、そらやさんが提唱された、苗の会の考え方だ。

 農の会で苗作りをして、野菜を購入してくれる方々に販売をした。それは食べる人と作る人が、一緒になって農業をして行くという考え方なのだと思う。私はにらの苗を担当して作った。野菜の苗を一つだけでも育ててみる。作ったものを食べてみる。このことで心が変わる。植物の気持ちに寄り添う。植物が寄り添ってくれる。自給は心の問題でもある。

 自給という事は植木鉢一つからでも始められる。ニラなど買えば安いものだ。こう考えることが普通だろう。間違っているわけではない。手間暇かけて自分で作るよりも、経済的合理性がある。しかし、人間の安定は経済合理性だけでは図れない。自分が食べる食べ物を作ってみる。そこにある充実を感じとる。あんしんが広がってくる。

 鉢一つの自給の心が、繋がり合えば、みんなの自給が始まる。その為には農業者も、食べる人も、地域の農業を共に支えて行かなければならない。安い外国の農産物が途絶える日が来るかもしれない。その時の為にも、自分で食べ物を作る安心立命の道を確保する。

 だから、少々耕作不利な田んぼでも大切に維持しなければならない。1ヘクタールの田んぼがあれば、6000キロのお米がとれる。50家族が自給をすることが出来る。棚田を維持することが農家にはもう難しいことなのだと思う。

 水漏れは少し始まった時に手直しをすれば、大ごとにならないで済む。そもそも水漏れを早く発見すること自体が難しい。棚田で2日も見逃していれば、大崩れしてしまい直しも大変なことになる。手がかかるのが棚田の耕作である。農家の人にそれをやれという事は到底無理である。

 しかし、水回りであれば、お年寄りでもできる。田んぼはみんなで協働で力を併せれば、それほど大変でなく耕作できる。それが日本人の集落の原型である。またそういう事が必要な時代が来るのではないか。そう思って頑張って、田んぼの改修工事を続ける。
 
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朝日新聞の無知による米農家潰し

2020-10-22 04:02:39 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


コメの価格が6年ぶりに下落に転じた。農林水産省が先週公表した今年産の9月の業者間の平均取引価格は、60キログラムあたり1万5143円で、前年産を676円(4%)下回った。
 今後も人口減で、国内需要は減る可能性が高い。生産基盤を維持するためには、国際相場と比べて高いコメの価格を引き下げ、輸出拡大などに努めるしかないのではないか。
 今より安い価格でも経営が成り立つコメ農家の育成に、政府は政策の力点を移す必要がある。農地の集約など生産性向上につながる政策に、税金は集中的に投入するべきだ。コメづくりをやめた農地が無秩序に開発されないよう、目配りすることも欠かせない。ーーー朝日新聞社説から
 
 朝日新聞の知性を表しているのが社説であろう。この社説を読むと、あまりの程度の低さに、腹が立つより、悲しくなる。もう日本はダメなのだと考えるほか無い。米の価格を下げて、輸出拡大するなどと、良くも言えたものだ。お前がやってみろと言いたい。

 これでは朝日新聞による米農家の誹謗であり、農業潰しである。社説でこれほど露骨に米農家を責めたことは、米価闘争時代以来ではないだろうか。米農家の問題を議論する事は必要であるが、状況を全く把握できない人間が社説を書くようでは、どれほどか朝日新聞が劣化をしてきたかを示している。

 政府の劣化もひどいが、朝日新聞もひどい。互いに落ちるとこまで落ちてきたようだ。八重山毎日新聞の方が、はるかに見識が高い。生活者の視点を持ちながら、世界を望む思想がある。報道も規模では無い。質の問題である。

 調査報道と言うが、米農家の実情を調査したことのある人であれば、これほど上っ面な提起は出来ないであろう。まず農産物には土地の条件がある。北海道と沖縄では生産費は違う。もちろんベトナムと日本では労賃が違う。米の生産費は努力だけでは解消できないものなのだ。

 米価を決めると言うことはまず、日本の国土での生産費を計算してみなければならない。その生産費に見合うだけの価格にならないのであれば、稲作農家は続けられないのだから、徐々に減少して行くだろう。それは米の消費量の減少と同様な流れでもある。

 日本という国家の方角を大所高所に立って俯瞰すれば、どの程度の稲作が行われることが健全であるのかが出てくる。そして、それだけの面積の稲作の継続をどのようにして、安定的に維持できるかが目標になる。

 又農業者は高度な技術者である。反収自体が倍以上も違うものなのだ。地域差も極めて大きく、気候的影響も大である。こうした高度技術者に相応しい労賃が払われているとは言えない。

 日本の米価が高いというのは米価の背景にある労働費が高いからである。労働費がベトナムの10倍であれば、米価が5倍になるのは、労賃が占める割合が高い一次産業では止むえないことなのだ。加えて、日本の地代の方がやはり10倍は高い。産業として考えれば、日本の稲作農業は国際競争の中では成立できな状況になるのだ。

 朝日社説はやれとの主張なのだから、どうすれば出来るのか、モデルケースを示して貰いたい。もちろんそれを示せる知識が有るわけも無いか。安いほどいいと言う無神経は最低の奴だ。

 日本の米の生産コストが高いことを、単純に米農家の努力不足と決めつけているとすれば、それは無知のせいである。一次産業の生産物はどうしても労賃の占める割合が高い。地域の最低賃金を前提に生産コストは考えなければならないのは農民も生きていかなければならないのだから、当たり前のことだろう。

 しかし、米作農家が急速に減少したのは食べて行けないからである。米農家を今更努力不足となじったところで、そうですかでは止めますと言うだけのことなのだ。文句を言われてまで継続する意味が失われてきているのだ。

 朝日の社説を読んだ、米農家がどれほど悲しみ、苦しみ、そして廃業の選択をするとしたら、朝日新聞は責任を取ってくれるのだろうか。世界の食糧危機は近づいている。その時どんな社説を書くのだろうか。

 また、国内の中でも条件がまるで違うのが稲作である。一ヘクタール一枚の水田と、その100分の1の一畝ぐらいしかない棚田とでは、生産コストはたぶん100倍になるだろう。コストだけの観点で考えれば、中山間地の水田から亡くなるであろう。

 中山間地の水田がなくなると言うことで何が起こるか。もう中山間地そのものがなくなると考えてもいいようだ。ご先祖から伝えられた土地をどう守るかという伝統的な思想によってかろうじて、中山間地の水田は維持されているのが現状である。

 もう、条件不利な中山間地の老人農業は経済とは別の価値観で維持されている。朝日新聞が心配してくれないでも毎年居なくなって行くのだ。何らかの新しい条件を国が考えなければ、地方社会というもの自体が失われて行く。

 確かに、多種多様な農業補助金が存在する。中山間地を守るための方策が様々採られている。それは全く米価とは別の形で、農家を支えなければ成立できないことが明らかなことだからだ。一つの水田が失われると言うことは、100の水田に影響して行く。

 水田は水によって繋がっている。水路が維持できなくなれば、水田は出来ない。水路が水害によって壊されれば、誰かが直さなくてはならない。こういう問題は土砂災害が増加する中、深刻化している。

 私のやっている、小田原久野欠ノ上の田んぼは昨年土砂災害で久野川の崖が崩落した。その崖崩れのまま、臨時の畦を作り一年間耕作をした。ところがなんと神奈川県は一年半が経過して未だに工事の開始すらできないでいる。ここより下流域に暮らしている人にしてみれば、まさにレッドゾーのままに放置されている状態である。

 たぶん日本全国こんな状態なのであろう。神奈川県はまだましなのだと思っている。まっていれば、2,3年の内に直すだろう。しかし、直せないまま放置される場所も無数にあるはずだ。農の会が管理している水路ももう自分たちで直さなければ、そのまま水は来なくなり水田が終わるだろうというところがある。
 
 もう条件不利地域の水田は風前の灯火なのだ。農の会は自給のための組織である。自分が食べるためのお米にはコストはない。だから続けていられるだけなのだ。農家であれば間違いなく無理だ。イノシシの獣害がすごいのだ。

 かなりの費用を掛けて、柵を作らない限り来年は耕作できないという場所がある。この柵を作る費用は、自分たちで出す以外にない。農家なら間違いなく止めざるえないだろう。経済だけで考えれば小田原の稲作は無くなる運命にある。

 農家を潰してしまえば、小田原の農業は終わる。連動して林業も終わる。水田が小田原から無くなれば何が起こるかである。まず水路の維持は出来なくなる。耕作放棄地はさらに広がる。土砂災害も増加する。海は痩せて魚は捕れなくなる。漁業も終わる。

 こうして一次産業を潰してしまって人間は生きて行けるのだろうか。もう危機的状況が迫っている。農業は経済効率だけで考えては成らないと思える。安ければ良いというのであれば、日本の稲作は成立しないのだ。日本から水田が消えるという状況で、さらに追い打ちをかける朝日新聞とはどんな報道機関なのだろうか。
 
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「小さな田んぼのイネ作り」の質問と回答

2020-08-13 04:15:45 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 
 「小さな田んぼでイネ作り」を読んでくれた方から質問があった。山口県の農家の方である。実践されていての疑問である。他の方にもきっと参考になると思うので、質問を公開させて頂き、回答させていただきたいと思う。

1.「田植えの1週間前に緑肥をすき込む」(66ページ)とあり
ますが、生のままですき込んで、緑肥は分解しますか。トラ
ブルはありませんか?また、その目的は、「雑草の抑制」、と
ありますが、なぜ雑草を抑制できるのか、理由を教えてくだ
さい。

 雑草が抑制される科学的な仕組みは分かりません。実践的に分かった技術です。抑制されるのは田植え直前に漉き込んだ方が効果が高くなります。少なくとも田植え一週間以内に漉き込まないと効果が激減します。

 緑肥が漉き込まれて雑草が発芽できなくなるのは、雑草が分解されて行き、分解するときに起こる作用で、何か雑草が発芽できないような事が起きていると思われます。それは当然、田植えされたイネにも影響が出ないとは言えません。

 そのために、植えるイネは五葉期の大苗でないと、根をやられる可能性があります。セルトレーで育てた苗だと、田植えされたイネも雑草に対して抑草効果を起こしている物質が、イネの根も傷めるように思います。

 田んぼは一週間後から、コロガシに入るのですが、これは青草を漉き込んでガスが湧く事も抑えると思われます。コロガシは少なくとも4回入るのでガス抜き効果があるのだと思います。コロガシで草を取ると言うこと以上に土壌をよくすると言うことになります。

 
2.「稲の草丈測定」(79ページ)について、「60cmが初期育
成の一つの確認の高さ。60cmになるのが30日目なのか、
40日目なのか、50日目なのか、ここが重要である。」とあり
ますが、稲の草丈の基準が60cmとしている理由及び所要
日数の重要性の理由について教えてください。


 イネは一週間で1枚の葉が出ます。種を蒔いて、5週目に五葉期になっている必要があります。これより遅い生育場合は必ず何か、問題があります。そのために苗床で種まきをします。トレー蒔きやプラグ蒔きでは7週目で五葉期ということになります。

 この初期の生育の滞りは重要な要素で、最後の収量にまで影響すると思います。それで、一枚ずつ葉が出て、10週目で10枚目の葉が出たときに測定をします。そのときにサトジマンで60センチは超えて居ないと生育が悪いと言うことになります。

 もしかしたら、まだ九葉期というようなこともあり得ます。成れるまでは出てくる葉に油性ペンで番号を振っておくのがいいです。10週目に10葉期で10分ゲツ、葉幅は20ミリと覚えておきます。背丈は60センチ以上。ただし、70センチを越えているのも心配です。倒れる可能性が出てきます。

 つまり10週目に調査するののは13葉期目前後の補肥の調整のためです。
 
3.田んぼ見回り棒でひっかけて草取りをされている(79ペー
ジ)とのことですが、草取り棒の先ははさみになっているの
ではないかと思いますが、はさみで草を切るのでしょうか?

 草取り棒はいろいろ使いますが、先が番線で輪っかになっているものが具合がいいです。それだとイネを痛めず、草を引っかけて引き寄せることが出来ます。
 
4.稲刈りの時期についてですが、稲刈りの1~2週間前lに
落水する旨、本には記載があったと思います。結構幅が
あるのですが、2週間前に落水してしまうと、コメの水分
含有量が少なくなるのではないかと思いますが、そのあた
りいかがでしょうか?

 稲刈り前の水を落とす時期は、確かに遅いほどよいです。私もそうしたいと考えています。しかし、どうしても倒れます。お米は反収10俵を超えると倒れる可能性が高まります。穂が重すぎるわけです。

 そこで地面をどの段階で固めるかと言うことが出てきます。あくまでそれは作業性の問題です。極端に言えば、水があるまま稲刈りをしたこともあります。これは収量的にはとても良いです。手刈りでしかも、刈り取ったイネは手渡しで田んぼの外に出すほどの手間が掛かりました。

 田んぼの干しはすべて作業さえなんとかなるなら、やらない方がイネの生育には好ましいと考えています。実際に収量は上がります。しかし、倒れる可能性が高まります。機会も田んぼに入れなくなります。それは深水でも同じです。深いほどイネには良いです。

 30センチの深さまで試したことがありましたが、よく採れました。しかし、田んぼの土壌が柔らかくなりすぎて困りました。
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田んぼ10葉期、種まき10週目、田植え5週目の写真

2020-07-17 04:32:10 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 毎年、10葉期に定点観測をしている。その時に同じ場所で写真を撮ることにしている。今年の生育状況の判断のためである。この時点で10分ゲツ以上。背丈は60センチ。10葉期の葉の幅は12ミリ。これが標準としている。大体の場合は12分ゲツを超え、背丈も65センチにはなっている。今年はもそうであった。

 今年は7月6日に行った。その写真を整理して掲載しておく。来年のためである。

1番田んぼ

2番田んぼ

3番田んぼ

4番田んぼ

5番田んぼ

6番田んぼ

7番田んぼ

8番田んぼ

9番田んぼ

10番田んぼ

11番田んぼ

12番田んぼ

13番田んぼ

14番田んぼ

15番田んぼ

私と東さんの担当の、5,6,7番田んぼである。草はほぼない。畦周りは白クローバーが生えている。バンカープランツのつもりである。



 種籾の田んぼになる。7番田んぼ。昨年生育が良くなかった。今年も少し遅れている。水のわきがあるためのようだ。5,6,7番田んぼはすべて手作業で行っている。機械を使わないでも田んぼは出来るという小さな田んぼでイネ作りの考え方である。


 手前が7番田んぼで上を見ている。このあたりが悪い場所。


 道路から見ていて、手前が11番田んぼである。15番田んぼは見えていない。11番は土が悪くて昨年は作らなかった。11番田んぼの上にある大きな草は二メートルもあるマコモタケである。

 全体では11番が一番分ゲツが少ない。

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田んぼ観察会

2020-07-08 04:04:50 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」



 例年、田んぼ観察会を行っている。覚えやすいように、苗床播種10週目。田植え5週目が基本的な観察日だ。それぞれの田んぼを比較しながら、今年の出来具合を把握する。イネはあと5週が15枚目の最後の止葉の出る時期になる。ここからイネは性質を変える。

 イネ作りは、5週ずつに生育を分けて考えると考えやすくなる。この後の5週は穂を作る5週である。一本植の株の幼穂形成期はばらついている。これから出てくる分げつにも穂が付いてもらわなければならない。10週目で10分げつ以上あり、この後20分げつに向って分げつを増やしてもらわなければならない。



 観察する要件は
 1、株の背丈 ーーーサトジマンで60㎝が基準。葉の幅は12ミリ。 
 2、分げつの数 ーーー1本植で10本以上、20本あっても悪くない。 
 3、株の堅さ ーーー株全体が手に一杯になる量あり、弾力が強いほど良い。
 4、土壌の深さーーー 田んぼに入り歩きにくいほど深くない方がいい。深い場合は、間断灌水で土を固めてゆく。 
 5、葉色ーーー濃すぎないこと。黄ばんでいないこと。周囲の雑草と同じくらいなら心配ない。田んぼ全体に色ムラがない方がいい。この後どんどん色を増してゆくが、どす黒い色でなければ心配ない。色が濃すぎる場合は、穂肥を控える。
 6、トロトロ層の厚さーーー 土を触って表面のふわふわなところがトロトロ層。これは微生物が作り出している。これが厚い方が良い。トロトロ層より下の深い層の土を取り、匂いを嗅ぎ確認。腐敗臭がしなければいい。 
 7、入水口と水尻の違いーーーこの時期に入水口が遅れているのはそれほど心配はない。生育の違いでその年の水管理の状態の良し悪し、水温などがわかる。
 8、泥のわきの具合ーーー 歩いて泡の出具合と泡の匂いを確認。
 9、コナギの状態ーーー 草があればとる。この時期より遅れると、草取りが大変になる。
 10、虫や病気の有無ーーー ツトムシ、ずい虫、幽霊病、イモチ、たいていの場合はそのままでも収まることが多い。その年の様子を記憶して、どの程度に広がるかがで、対策の有無が判断できる。

 欠ノ上田んぼでは7月6日に行った。おおむね成育は良好であった。悪いところが数か所あったが、水の例年湧いてくる場所である。毎年同じ個所が悪くなる。水口の生育の遅れはそれほどではなかった。今年の水はそれほど冷たくはないのかもしれない。

 今年の成果は、何といっても吉宮田んぼの出来が素晴らしかったことだ。田植えが2週早く。稲葉式でやっている。3回代掻きである。草が全く出ていない。そして、30分げつである。この後これが過繁茂ではなく、良い穂が付けば12俵まで行きそうな状態である。どうなるだろうか。


 私と東さんの担当の、5,6,7番田んぼ。東さんが頑張ってくれて、草はない。生育も例年より良いようだ。10葉期水がそろそろ見えなくなるぐらい葉が出ていればよい。

 





R2.7.6
欠の上田んぼの評価






田んぼの番号草丈の平均分けつの平均その他の状況コメント評価
160cm12本全体的に順調例年他の田んぼより遅れていたが、今年は極めて順調な生育
10点
260cm12本・北側に湧きがあり、生育が遅れている部分がある。(藁が分解されていない。)沸きはそれでも昨年よりは、改善された。
 ・葉色が薄い部分がある。
穂肥を増加する必要がある。ふたみを1袋播いた方がいい。9点
365cm12本・北側中央部に湧きがあり、生育が遅れている部分がある。
 ・全体的に、土が深い
・苗床であったため、もともと肥料が多く入っており、草丈も65cmなので穂肥はなくてもいい。
 ・湧きが少しひどいので1回干した方がいいかもしれない。水位を下げた。
7点
467-68cm11本・土が深く、少し湧いている部分ある。成育は昨年よりムラが減っている。北側部分に草の密集が毎年できる。これは苗床にあったコナギが流れ出て定着したのではないか。苗床の排水にネットが必要。
8点
560cm12本全体的に順調一本植で種取り田んぼ。代掻きのない田んぼの良さが出ている。
道具でやる田んぼとして残したい。
10点
660cm12本葉色が少し薄いかつてない出来の良さである。入水が良くできているためと思われる。
9点
761cm11本北側に湧きがあるところがある。何故か北側の悪い場所は昨年から目立ってきている。
9点
870cm13本葉の幅は12mm・かなり生育が進んでおり、穂肥は抑えた方がいい。10点
960cm12本北側にすこし湧きがあるところがあるが、問題なし。例年1本植で収量も多く、見本的な田んぼになっている。
10点
1060cm9本北側に生育のむらがある。もともと、湧き水がたまるところであり、土の状況も悪いので、一回水を抜いた方がいいかもしれない。分げつも少し足りない。7点
1160cm8本すでに下葉が枯れている箇所がある。・もともと土壌が悪く、湧く田んぼなので何回か入ってガスを抜く必要がある。
・この状況では、穂肥はやらない方がいい。
 ・冬に土を乾燥させる必要がある。
6点
1265cm12本北側に少し生育の悪い所がある。とろとろ層が少なく、茎が少し柔らかい。3本植のため、分げつが確かに多いい。一部に昨年も悪い部分が出来たが、これは下に埋められた、配水管が割れて洩れているという事はないだろうか。
9点
1365cm12本全体的に順調1株、赤枯れ病と思われる株があるので注意が必要。色が他と比べると少し浅い。10点
1465cm10本やや生育が遅れているところがある。マンゲツモチであるから、この程度で十分なのかもしれない。
9点
1568cm11本少し茎が柔らかい。満月糯のベストの状態
柔らかいのはマンゲツモチの特徴かもしれない。
10点
 

 
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