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地場・旬・自給

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2019年の自給の為の小さな田んぼのまとめ。

2019-10-14 04:27:40 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 
 コンテナに干しにしたイネは、米粒は良く乾く。茎が乾きにくい。茎がハーベスターに巻き込まれないように、脱穀するのがコツである。お米は1週間で15%を切っていた。干している間に豪雨台風が来たにもかかわらずである。

 今年の田んぼが終わった。寂しい気持ちになる。祭りの後の寂しさだろう。今年の場合、石垣に帰るという事があるので一層さみしい気持ちになる。いつも精一杯の田んぼなのだが、今年は手作業の田んぼをやり遂げたという事が素晴らしかった。

 こんな喜びを持てるという日が来るとは思わなかった。大げさではない。一人で山北の山の中で始めた時にはまさかこうしてみんなで田んぼをやれることなど想像も出来なかった。みんなでやる自給の田んぼのすばらしさを再確認できた一年であった。

 20数年前に山北の塩沢で手作業の田んぼをやったことがある。そこでの田んぼはあまりうまくはゆかなかった。まだ技術的に未熟だったことがある。手作業で田んぼをやるという事は、機械でやることに比べて田んぼ力が必要という事になる。



 台風で家の中にしまった。廊下から部屋まで稲でいっぱいになった。

 今回の久野欠ノ上の手作業の田んぼは3畝である。300㎡である。小さい田んぼと言っても、自給の田んぼとしては最大の大きさである。上手く作れば、180キロまでは取れる。今年は160キロだった。この減少は10キロが天候で、あと10キロが、私が夏の間居なかったことだろうと思う。イネもさみしかったのだ。

 来年は手作業の田んぼを5番、6番、7番にする。併せても、2畝ぐらいの小さな田んぼである。一人の自給であれば、田んぼは100㎡で良い。狭い方が、良い稲作になる。みずまわりだって草取りだって、徹底できる。広い方が良いという事がないのが、自給の田んぼである。

 今回手作業の課題が整理できた。田んぼはやってみなければわからないものだと改めて思った。例えば、田起こしはシャベルでやったのだが、田起こしようの道具を使えば、だいぶ楽になりそうだ。田起こしがこんなに力仕事だとは考えていなかった。

 田起こしをして、土を天地返ししたのは良かった。田んぼの土の良さがよみがえったようなきがした。代掻きはみんなで足でかき回した位であったが、線を引くことも普通にできた。田植えも何の問題もなかった。

 草取りやコロガシは田んぼが硬いので、作業が楽だった。驚いたことに、9月に田んぼに戻ってくると、田んぼが深くゆるゆるになっていたことだ。こんなに緩いという事は驚きであった。田んぼは代掻きなどしなくとも、忽ち微生物が耕して深くしてしまう。

 
 籾摺り機は運転音に注意しなければならない。おかしくなってから対応するのでは手間がかかる。おかしな音がしたら、すぐ投入を止めることが第一である。

 田んぼがともかく深すぎた。田んぼは浅いほど良いと思う。15枚が連続している田んぼなので、間断灌水が難しいのだ。一枚の水を切ると切りたくない下の田んぼに水が行かない。下の田んぼに水を満杯にしようとすると、上の田んぼが冷えてしまう。

 この厄介な水管理を、田んぼの状態を細かく見ながら行わなければならない。確かに深水管理や間断灌水は言葉でいうほど簡単なことではない。観察力を伴わないと、良かれと考える努力がおかしな方向に進む事になる。

 その意味もあり、来年は浅水管理にする。浅水管理であれば、技術力の影響が小さいのではないか。と考えた。誰にでもできるという意味では、浅水管理のようだ。これもやってみなければわからないが、来年の課題である。



 籾袋は籾摺りの順番を待つ間も外に並べて干しておく。籾摺りした玄米も袋ごと外で干す。短時間でも干すことは品質を上げる。

 それにしても今年の田んぼは充実していた。私が少し離れることで、皆のかかわりが深くなった。それぞれに自分の田んぼだという意識が深まったと思う。

 どういう偶然か、最後の籾摺り日に長野からわざわざ、来年の田んぼに入れて欲しいという人が来てくれた。この方は来年は長野からわざわざ小田原に越してくるので、参加したいという事だった。作業に追われていてゆっくり話すことも出来なかったのだが、全国に自給の田んぼをやってみたいという人がいる。

 日本にはまだこう言う人がいるから大丈夫だ。田んぼには人間を育てる力もある。一人でやれる。じゃみんなでやろう。これだと思っている。力のある人は周りの人のために、一人でやり切れない人は感謝しながらみんなの助けを借りる。

 伝統的な稲作はそういうものだったのだと思う。そうして集落共同体というものが生まれた。その共同体が日本人というものを作り出した。稲作を生活基盤とすることで、自分と全体という関係を学んだのだと思う。

 確かにそれは土地に縛り付けられた、封建社会である。戻れという訳には行かない。日本人が明治期いち早く西欧に追いつくことが出来たのは、江戸時代に培われた人間の力である。その人間力は田んぼを通して生まれた、共同体の力だと思う。
 
 日本人は戦後の個人主義というもので、一人でやり切ることを重んずるようになった。それは個人というものが自立するという意味で大切なことではあったと思うが、他人をないがしろにしても自分が勝ちぬけばいいという、拝金主義が蔓延することになってしまった。

 拝金主義が全体の一部であった時代が、日本の高度成長期を産んだのかもしれないが、拝金主義だけになってみると、人間力が衰退してしまったことを痛感せざる得ない。弱者にとっては実に暮らしにくい社会になってしまった。

 小さな田んぼは人間の復興ではないだろうか。どうすれば人間が田んぼで育つのか。結局のところ、人は人の影響で育つ。世話になることで、世話をすることのできる人間になる。一人の努力を見ていてくれる人がいることが大切なのだろう。

 少なくとも私という人間が自分の絵を描くことが出来るようになってきたのは田んぼをやってきたおかげである。今年の田んぼでつくづくみんなのお陰で田んぼが出来たのだという事がわかる。一人であれば、到底小田原で田んぼをやれない。

 来年もぜひ小田原で田んぼをやりたい。今はその願いでいっぱいである。来年に備えて元気で日々を送るつもりだ。
 

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19号台風前に脱穀作業が進む

2019-10-12 03:28:50 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 10月12日の3時である。台風が心配で目が覚めてしまった。雨が降り始めている。まだそれほど強い雨ではないが、時折雨音が強くなり、止むことはない。19号台風が近づいている。小田原にまっすぐに向っている。今日の夕方の6時ごろに上陸の予報である。過去最悪の台風と言われている。

 欠ノ上田んぼの脱穀を10日に行った。モミの乾燥度は17%平均だった。もう少し下げたかったが、11日は雨になる予報で、そのあと台風である。やらざる得なかった。ハザガケが倒されるのは明らかである。その前の脱穀してしまわなければ、どうにもならない。

 10日は3人参加できればやるというつもりだった。一部だけでも脱穀して救いたいという思いだった。丹精をして育て上げたお米をここで諦める訳には行かない。平日である。参加したくとも参加できない人が多いいはずである。3人は大丈夫だろう。

 9日の3時から渡部さんとハーベスターの運搬を行った。ハーベスターもだいぶ古いもので、いつ壊れても不思議がない状態である。前日調子を見なければ、成らない。朝一番から作業が出来るように、田んぼに運び込びこみ、ブルーシートでカバーはかけておく。

 10日は7時半には田んぼに向った。無事エンジンを始動させて、早速作業を始める。その頃には徐々に人が集まり始めた。6人を超えて2班に分かれて作業が出来るようになった。仕事を休んで駆けつけてくれる人もいる。いよいよ作業に力が入る。

 ハーベスターの調子はいまいちである。なんとかかんとか調整しながら、注意深くゆっくりと作業をする。壊したら時間がかかるし、エンジンの音を聞きながら、だましだまし運転するほかない。それでも何とか12番一枚が、1時間ぐらいで終わる。

 その頃にはもう一台のグループが9番を終わる。この調子で進めば何とか今日終わるかもしれないという見通しが立つ。人数もなんと10人になっていた。みんなの思いの重さを感じる。この思いを仇やおろそかには出来ない。

 幸いのことに乾燥した晴天が2日間続いた。これで、一気に乾燥が進んでくれていた。すべての作業が綱渡り状態である。何か一つ欠けたらば、脱穀は進まなかっただろう。午後になり一台が不調になったヨコの送りが詰まるようになった。結局これは治らなかった。

 昼休み直前に、一台のハーベスターが突然止まった。なんと、ベルトの切断である。気にしていたのだが、エンジンからくる見えにくい場所のベルトだった。すぐに小島商会に買いに行く。昼休みの間に戻ることが出来て、中断なく作業が再開できた。

 なんとかかんとかところがもう一台が、1番田んぼを始めた所でとまった。今考えてみると、藁の乾きが悪かったのだ。一番は入水口で、藁が青かったのだ。その上、日陰の田んぼだ。機械の不調と考えて苦労した。

 それでも10番を残してすべてを終えることができた。暗くなって作業を終えたのは5時30分。それから機械小屋までコンテナやら、ハーベスターを運んで作業終わりは6時を過ぎていた。

 10番の手作業田んぼのイネは10番はコンテナ乾燥なので、軸がまだ乾いていない。作業を持ち越すことにして、家の方に運んだ。台風でやられない様に家の廊下に運び込んだ。

 ブラック農業である。働き続けてやっと脱穀が終えることができた。確かに疲れた。疲れることは付かれたが、何とか持ちこたえた。後に疲れが残るかと思ったのだが、翌朝は普通になっていた。

 家じゅうが畳を入れ替えた時の匂いになった。畳の匂いというのは、稲わらの匂いであって、イグサの匂いではないのだ。稲わらの匂いに包まれて眠ることができた。何という充実であろうか。こんな贅沢な時間を過ごすことが出来るのは、田んぼをやっているお陰だ。

 一年食べるお米が家の中にまで来た。そう思いながら藁の香りを味わうと、格別のものがある。田んぼは良いものだ。身体全体に藁の匂いがしみ込んできた。ブラック農業ではなく、やはり充実農業だ。精一杯働くことが出来た喜びの方が大きい。この充実感は他のことで得られるものではない。

 花梨酒を飲んで眠ろうと思って、器に注いだものが朝8分目残したままであった。酒を飲み干すことすらできずに眠ってしまったのだ。たぶんこんなに疲れたのは、久しぶりのことだった。フィットビットを確認すると16000歩だった。

 翌日には身体は普通である。筋肉痛もない。肩こりもない。こうして、残り5回の稲作の内の1回も終わろうとしている。あと4回はやらせてもらえるかもしれない。有難いことである。相撲取りの記者会見のように、丈夫な体に産んでくれた親に感謝することにしよう。

 お米は13日に籾摺りの予定である。籾袋の様子からすると、減収は確かである。止む得ないことである。7月から8月初めにかけての日照不足が影響をしている。分げつ不足である。それでも健闘したと思う。こころよりイネに感謝したい。


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小さな田んぼのコンテナイネ刈り。

2019-10-07 04:33:28 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 自給の為の田んぼは機械を使わないで出来る。これを実際に経験してもらうために、300㎡だけ、手作業で進めた。昨日はその田んぼの稲刈りであった。全体の稲刈りがほぼ午前中で終わったので、大勢で取り組むことができた。

 改めて書いておくが一人であれば、100㎡の田んぼがあれば60キロのお米がとれて、現代人の食べる量としては自給できるという面積である。



 3畝(300㎡)の手作業田んぼも稲刈りが簡単に終わった。9名で1時間半かかった。一人でやれば、13時間半という事になる。2人で1日仕事というところがちょうどだろうか。こんな家族での稲刈りはきっと楽しいことだろう。

  刈り取った稲はみかんコンテナに入れて、生け花のように立ててある。これが楽な方式である。イネは短めに刈る。1畝ぶんで10箱コンテナがあれば、充分である。3畝で27箱だった。

 やり方は難しいことはない。刈るのはのこぎりガマである。葉先にギザギザがある。100円ショップでもある安いものだが、5,6年は使える。普通の鎌では刈りにくくて無理だが、この安い鎌が優れモノである。

 タテに倒したコンテナに短めに切った稲を詰め込んでゆく。短くするのは立ててから倒れない為である。かなり詰め込んで一杯になったらコンテナを立てるというものである。結ぶという作業を省略するやり方である。

 コンテナは慣れないと立てにくいであろう。広げてバランスを取れば、上手くたつのでコツを覚える。立てたらば花を生けたように広げると倒れにくくなる。ハザガケの棹と同じくらい風で倒されるが、コンテナの場合、簡単に立てれば済む。



 一か所にまとめておいて、雨の日はブルーシートをかければ、安心で早く乾く。乾燥は天候に寄るが1週間で乾くことが多い。水分計で言えば、15%なのだが、水分計がなばあいは、玄米をつぶしてみて、今年のものと比較すれば、大体の様子がわかる。

 この後の作業は脱穀である。これはどうしても手作業という事になると、足踏み脱穀機という事になるが、これはハーベスターでやることにする。台風が迫っている。田んぼ全体の作業を一日で終わらせたいので。

 脱穀が終わったらお米はモミガラに入った状態になる。このもみ殻を取る作業が籾摺りである。この作業は機械がなければ、大変な作業になる。江戸時代も大いに工夫されたが、それほど効率の良い機械はない。




 ここで、一人でやった場合作業の時間を集計できるので楽しみだ。
1、田起こしーーー24時間
2、苗作り―――5時間
3、代掻き―――12時間
4、苗取り―――2時間
5、線引き―――2時間
6、田植え―――10時間
7、コロガシーーー20時間
8、草取りーーー10時間
9、イネの倒れたところをひもで縛る。---10時間
10、稲刈り―――24時間
11、脱穀---1時間
12、籾摺り―――1時間
13、水回り、その他の作業 (畔管理など)―――毎朝の作業になるので計測を別に考えなければならない。 

 作業時間は121時間という事になりました。1日4時間働くとすれば、30日間田んぼ作業をすれば可能という事になる。田んぼに稲がある間、日曜日に半日作業すれば可能という事になる。それと、毎朝の水回りである。

 予想通り、誰にでも可能なことだ。





2019年の作業の経過を再掲する。
2月 3日   溝掘り、畦直し。10番はしなかった。
3月24日   もみ洗い。 久野川上流に種籾を浸種しておいた。これはお願いした。(1時間)
4月21日   苗所作り。これもお願いした。(2時間)
4月27日   種籾播種 苗床は同じ欠ノ上の3番田んぼ。2時間
       緑肥の状態によっては、ボカシ肥料をまく。
カッコつきの時間は全体の作業時間想像して10分の一にして、一応表示した。一人でやればどうなのだろうか。
この後の予定
5月25日26日 畦直し 荒起こし
5月31日   代掻き 畦塗り 
6月 1日2日  線引き、田植え
6月8日    転がし。

★苗床の最終結果として、10mに700グラム播くのが最善であることがわかる。欠ノ上田んぼは60mで、4.2キロが適正量。2019年度は120株のサトジマンを種籾として収穫した。よくできているので、手作業の田んぼのものにした。

 

 
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田んぼは稲刈りが近づいてきた。

2019-09-25 04:30:03 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」



 田んぼは15号台風でなぎ倒されたが、2週間経過して何とか持ちこたえている。根元が折れていなければ、結構立ち上がってくれる。倒れたところは、みんなが縛ってくれた。今年は7月がひどい日照不足で、やきもきしていた。やはり分げつは少ない。

 一度は一週間ほど生育が遅れた。葉の数一枚が一週間と数えて、10枚目が11週目に出た。ここにきて生育は例年に追いついている。毎年、気象が極端化するようで、難しい栽培になっている。


 これから厳しい気候になればなるほど、苗を十分に作ることがより重要になりそうだ。苗が良くなかった仲間の田んぼが今年は収穫できるかどうかの状態になっている。欠ノ上田んぼの苗は過去最高の出来だった。良い苗を一本で植えたので、あの日照不足にも耐えたともいえる。イモチや縞葉枯れ病が出なかったのは、一本植の健全な苗のおかげもある。

 イネが倒れた原因は2つある。一つは7月の日照不足で株が徒長気味であること。そして2つ目は土壌が緩くなり過ぎたこと。深水の結果もある。長年深水を続けてきて、土壌が緩くなる傾向が出てきている。土壌が少しづつ変わるのかもしれない。来年は浅水に変えたほうがいいだろう。



 深水の主な理由は雑草対策である。雑草がここまで減少したのだから、来年浅水で試してみても、草がそれほど出ない可能性も高いのではないか。少なくともヒエが無くなったので、挑戦してみる価値はある。

 倒れた稲には3,4本で麻ひもで結わえて立ててある。これで2週間維持している。収穫まで十分に実りを進めそうだ。倒れた稲はそのままでも起き上がることが多い。慌てて、起こしてしまうとかえって根本が痛むことがある。又緩んだ田んぼに入れば、さらに倒すことにもなる。その状況次第なのだが、結わえて立ち上げる作業は最小限にした方がいい。

 分げつが少なく、徒長気味の稲株になっている。そこに大きな穂が付けば、当然倒れる。倒れるくらい実のらなければ、到底収量が物足りないものになる。今年は畝取りは無理かもしれないと思う。私が石垣に越してしまい、水管理になれているものが出来なかったのだから、仕方がない。来年は解決するだろう。

 稲刈りは予定通り、10月5日と6日である。後9日。稲刈りは遅い方がいいと考えている。全体に穂から緑が消えてからである。穂の色も、黄色からだんだん色を深めてゆく、充実した茶色が出て来てからが良い。穂の葉柄もすべてが黄色になる。

 ここまで待てば、遅れて出た穂のお米も食べれるところまで実る。今は選別して、食べることのできるお米までくず米にしてしまうが、自給の田んぼでは、無駄にするお米はない。刈り遅れると味が悪くなるというが、そんな経験はない。田んぼで立ったまま、ハザガケをしていると思えば同じことである。

 玄米が15%以下の水分量になるまで田んぼにおいて、そのままハーベスターで脱穀した経験も何度かあるが、味が悪いなどという事はなかった。味が早く悪くなるのはよほど早く根が枯れてしまうからではないだろうか。

  田んぼ管理はとても良くできている。草はほとんどない。穂の大きさも十分である。粒張りもどんどん良くなってきている。これは穂肥の効果だと思う。

 水を切っても、雨が降るので田んぼが乾くところまでは行っていない。それでもやっと今日あたりから田んぼがひび割れてきている。水口の遅れている田んぼだけは少しまだ水が欲しいのかと思う。何故か上の田んぼからの水漏れで、水口田んぼが乾かない。上の田んぼが水を切れば、乾いて来るから丁度良いかもしれない。

 この後雨が降っても水が田んぼに溜まるようなことはまずい。雨がさっと流れ出るように、溝切をしなければならない。


 

 


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棚田を守り、瑞穂の国を守る生き方をつなげる

2019-08-23 04:09:08 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 日本では美しい農地が失われて行く。理由ははっきりしている。経済合理性のないものは、日本ではあらゆる分野で成立しない。しかもその経済合理性は、今だけの経済合理性である。どこか国の政策には焦りのようなものがあり、未来を見据えたことができなくなっている。

 国家100年の大計というが、50年先の日本は人口5000万人の国になっている。日本の山河は荒れ果てたものになっている可能性が高い。世界全体が食糧不足に陥っているのは間違いが無い。50年先日本人は体を使って農業を行えているだろうか。今日生まれた人たちが、50歳になってどんな暮らしをしているのだろうか。

 50年先の日本は、好きなことをどれだけ自由にやれているだろうか。好きなことがカジノやゲームというような、国になっていないだろうか。人間はひたすらに生きると言うことが大切だとおもうが、そのうち込めるものが、健全なものではなくなり始めているような気がしてならない。

 健全とは建設的で、創造的なと言う意味なのだが。日本人全体が受け身で、消費的なものだけに反応するという人間になっていないだろうか。田んぼを楽しむような事ができる人間は、どれだけいるだろうかとおもうと、心配になるところだ。

 こんな国にしてしまった事については、私にも責任がある。次の世代の方々には申し訳の無い限りである。なんとか美しい田んぼを一日でも長く、続けたいと思う。あと5年である。この間に少しでも次の人につなげたいと思う。



 農地でも、工場と同じような合理性が求められて、美しいと言うことはほとんど考慮されない。畑はまっすぐに植えた方がいいと言うことだけで、定規で引いたような形を合理性があると考えてしまう。絵に描いて美しい農地は、その土地の起伏に応じて、複雑だが自然の合理性で区切られている。

 お百姓が手作業で農地をつくれば、いつの間にか自然に応じたものになる。水の流れを合理的に作ろうとすれば、起伏が生かされた美しいものになる。ブルドーザーが行う整地ではこの美しさは失われる。



 この微妙な丸さは私が手作業で作り出した丸さだ。ここは植木畑であった。そして放棄されていた。なんとも言えない良い田んぼになったものだ。人間の手作業というものはそういうものだと思う。

 江戸時代の農地の美しさはお百姓さんの暮らしから生み出された美意識である。美しい暮らしに誇りがある。農地にごみがあるようなことを我慢できない美意識で百姓の暮らしは維持されていた。日々働く場が美しいものであると言うことは、作る作物にも影響していた。

 日本の農業の四季の姿は、里山景観を素晴らしいものとして育んだ。棚田が世界遺産になり、棚田を保全する法律もできている。湿地にはラムサール条約があり、田んぼも湿地として登録されている。

 しかし、棚田と湿地を守れば日本が守れる状態ではないような所まで来ている。むしろごく普通の農地を守らなければ、日本全体が荒れ果ててしまう所まで来ている。福島の原発事故で放棄された田畑はたちまちに、見るも無惨なものになっていた。

 農村の景観を守ると言うことは、水田を守ると言うことである。このことを意識する必要がある。実際に水田を止めた沖縄本島の景観を見てつくづく水田の豊かさと、美しさを再確認した。もう棚田の保全というように限定して済むような状況では無い。

 お米が余るから、水田は減少して行く。大規模な水田ができる分だけ、小さな水田が止めて行く。美しい田んぼから失われて行っている。このままで行けば、お米の消費は今後も年々減少するだろう。どうやってお米を食べる人を減らさないかである。

 パン屋さんには悪いが、学校給食はすべて米飯給食にする。子供の頃からお米を食べる習慣を身に付ける必要がある。そして全国の学校で学校田を必須科目にする。自分で作ればお米のおいしさを知ることができる。都会の学校は地方の田んぼのある学校と姉妹校になり、交流をしながら、学校田を行う。

 これが国家100年の大計である。

 農地法を変えて、都市近郊の水田に関しては誰もが耕作できるようにする。農家は水回りなどの管理を請け負う。市民が行う田んぼの水管理を地元の農家が行う。そうすれば、市民田んぼが増えて、小さな田んぼが維持されることになる。

 田んぼを行うと言うことは、暮らしの基本が固まると言うことだ。食べ物が確保できれば、後の生き方はかなり自由度が高まる。収入が少なくとも、安心して生きて行ける。そうした自給市民を増やすことは国の安定にもつながる。

 山本七平、イザヤベンダサンが書いた、日本教というものがあるとすれば、それは稲作に始まるものに違いない。日本人の所作から、信仰、文化すべてが稲作に影響されている。この日本人の骨格をなしていたものが崩れ去ろうとしている。

 瑞穂の国を守ることができるとしたら、経済とは離れることのできる自給のための田んぼだ。それは普通に勤務しながらも可能な稲作だ。そうした稲作を奨励するためには、農地法を変えなければならない。

 まだ今のところはやりたい人は居る。やれる条件もある。にもかかわらず、条件不利な美しい田んぼが刻々失われている。始めるためには様々な壁があるかもしれない。しかし、始めてみればそれほど難しいことで無いことが分かってもらえると思う。

 協力できることがあれば、何でもさせてもらう。瑞穂の国のためなので、全く遠慮はいらない。小田原の田んぼであれば、相談に乗ることができる。

 今年の稲刈りは10月初めになる。体験してみたいと言う人は参加することができる。メールであれば、私のホームページから申し込んでもらえばいい。このブログのコメント欄に連絡を入れて貰ってもいい。
 
 生身の人間として、自然の中にどこまでも入り込んで行く素晴らしさ。人間が生きるというギリギリのところで、自給としての農と向き合うこと。いつの時代でもそこから始めれる事ができれば、大丈夫だと思う。

 50年先の若者が、私と同じように荒れ果てた昔農地だった、日本の自然に立ち向かうことがあるかもしれない。そのときに、私の書き残した、自然養鶏の本と小さな田んぼの本は必ず役立つはずだ。そういうつもりで書いた。実際にシャベルだけでやってみた実践記録だ。

 私の取り組んだときには、そういう実践例を記録したものがなかった。そのために全くの手探りだった。私にはそれでも子供の頃山梨の山村で目にした、自給自足の暮らしがあった。50年先に日本の若者が参考になるものであればと思っている。

 個人的な計画としては、野菜や小麦や大豆などの経験も本にして残したかったのだが。そこまではできなかった。

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小田原生活の13日間

2019-07-17 04:03:57 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 小田原には13日間いた。田んぼの水回りに通った。オロオロ悪天候を心配するばかりだったが。心配したところで始まらないのだが、「小さな田んぼのイネ作り」を書いた年にこの悪天候とは試練である。この悪天候でも収穫が出来たという事になれば。

 小田原にいて、農業にかかわれるという事は嬉しいことだ。自分が入って作業していい農地がある。身体が喜んでいる。田んぼに草が生えていると、取りたくなるが、他所の田んぼの草を取る訳にもいかない。小田原の家を訪ねてみえた農家の方が、話しながらついつい草取りをされている方がいる。小田原の家はいつも草だらけだったからだ。根っからのお百姓は身体の反応で、草を見ると手が出るのだ。

 田んぼに向うとついつい、百姓に戻る。自然に対して、百姓として向かい合える。何か手入れの必要はないかという眼で見る。絵を描くうえで大切なことだ。それは生きるという上でも大切なことになる。視点がある。自分の位置が確認できる。何のために自分はここにいるのかが、確認できる。

 小田原に戻りそのまま、24時間開いているスーパーに行った。13日分の食料品を購入した。13000円弱くらい買った。それが帰る日になりほぼ無くなった。不思議なほど計算通り、食べきった。つまり1日1000円の食費だった。外食は少なかったが、何度かはあった。食事はかなり熱心に作った。無くなるように食べた。少し食べ過ぎの嫌いはある。飲み過ぎもある。

 余分の食料品を買わない。大切にあるものを食べなければならない。これがうまく行ったので、気分が良い。何しろ、その後買い物というのを一度もしなかった。時間をすべて、農業のことに集中したかったので、予定通りことが進んだ満足感がある。

7月16日朝の大豆畑、本葉が出始めている。

 今回の農作業は田んぼと大豆の播種である。大豆の播種は昨年大失敗をした。理由が良く分からなかった。その為に、今年こそ成功させたいと、思っていた。ほとんどを太田さんが心配してくれたのだが、ほぼ90%の発芽になった。今までにない状態である。

 
まったく、鳥獣害がなかった。鷲のお陰か。

 7月7日に播種した。これは以前から私の考えと一緒である。大豆は七夕、小麦は11月11日とわかりやすく決めてきた。7日が良かったかどうかは分からないが、今年は7日から発芽までの間、一度も25度を超えなかった。強い雨もなかった。と言って乾くほど乾燥もしなかった。昨年は播種後強い雨があり、その後酷暑が続いた。これで大豆が腐ってトロケタというのが、ほぼ分かった。

 7月16日現在で、本葉が出始めている。本葉が出てくれれば、一安心である。大豆の厚い双葉はおいしいらしく、鳥に食べられてしまう事がある。双葉が無くなればもう駄目だ。今年もほんの一部三国上の畑で食べられている。その後広がらないから、何とか大丈夫なのではないだろうか。

 今度来るのは9月17日である。それまでいろいろ作業はあるのだが、おまかせするほかない。最後の草取りぐらいは参加できるかもしれない。収穫が10月の何処かであるのだろうから、その時は参加させてもらいたい。

 味噌づくりは多分、参加できない。1月味噌づくりが私の身体には無理だった。石垣の気候から、小田原の気候への変化について行けなかった。来年も無理だろうと思う。家の方でやれればやるつもりで、石垣に大豆を少し持って帰るという方法もあるか。

7月16日の小さな田んぼ3畝。分げつが12,3というところか。

 イネはともかく日照不足である。この後の天候次第なのだが、1週間は遅れている。一日も早い梅雨明けを期待するほかないが、このまま冷夏になると、かなり苦しいことになるだろう。覚悟はしておかなければならない。

 ただ、苗が良かったので、良い苗がどれほどの力を見せてくれるかには興味がある。苗8分なら、どんな天気であろうとも8割の出来でなければおかしい。苗が特に良かったのが、糯米である。糯米は自分たちのものもあるが、吉宮さんにいただいた、キジュモチ。舟原田んぼから頂いた、マンゲツモチ。どちらも良い苗であった。

 今のところこの良い苗が、やはり順調な生育を見せている。ほとんど遅れがない。すでに、20分げつを超えてきたものもある。良い苗を良い田んぼに植えるという事が、天候の不順に耐える一番であることは間違えのない事のようだ。

 
 

 

 
 
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「小さな田んぼのイネ作り」 ⑩ 10週目の観察

2019-07-07 04:36:29 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 田んぼは7月6日に種まき10週目。田植え5週目に入った。イネは10葉期に入っていなければならない。また、分げつは10平均になっていなければならない。この日に例年定点観測をする。

 同じ場所で写真を撮り、過去のものと比較する。10株の分げつを数えて、平均分けつ数を出す。これが10以上であれば、順調な生育として良い。10以下であれば、何か改善点があるという事である。その年すぐに改善できないことかもしれないが、原因を考える必要がある。

 今年の10番田んぼは10段階の9の出来である。分げつ数が少し取れていない。最高の出来とは言えない。理由は田植え以降の日照不足である。
 
 梅雨が長引くと収量にも影響が出る可能性が出てきている。他所の田んぼも久野周辺の田んぼを見るところ、生育はは今一つに見える。

 株を握ってみると、それなりの堅さにはなっている。日照さえ回復すれば、一気に分げつが増加してくると思われる。この時期の株の堅さを必ず確認する。触らないと稲の状態は分からない。葉の厚さや茎の太さが充分あれば、弾力のある感触。これを覚えて、例年の状態を記憶する。もし柔かいようであれば、何か成育に問題が起きている。

 今年の場合であれば、日照不足が一番影響して、硬さの点でも10段階で9の判断である。

 田んぼに入り土壌の状態を確認する。歩いて見て、泡がどの程度である。泡は必ず出る。この泡の匂いを嗅ぐ。田植え5週でどぶ臭いのでは、どじょうの発酵状態が悪い。根も十分に生育していないと見なければならない。泡がほぼ無臭になっていてほしい。

 土壌は漉き込んだ腐植質が分解が進み土壌になじんできている。手で表土を触ってみて、ぬるっとしたすべすべの感触が欲しい。これが微生物が作り出した、トロトロ層である。田んぼの水を土に障らず動かしてみるとすぐ舞い上がるような軽さである。

 トロトロ層がより多く形成されるような土壌にしなければならない。腐植になる、緑肥の漉き込み、藁をたい肥化して土壌に戻す。これを繰り返して行けば、腐植の増加が起こり、微生物の量も増加し、トロトロ層の増加が起きる。年月がかかることだ。

 10週目の観察の結果、大きな問題がなければ、12週目か、13週目に穂肥を与えることになる。10週目で12分げつを超えるような過繁茂になっていれば、穂肥は当てる必要がない。また、8分げつ以下の状態であり、土壌に問題がある時には、穂肥を与えることはできない。

 もし土壌が臭い不安があれば、干しを早めに一度入れる。一度乾かして、ガス抜きをして、改善がみられることもある。そして、その後は間断灌水にして行く。間断灌水とは、一度入水を止め、ほぼ水が無くなるのを待ち、再度水を入れる。これを繰り返してゆくこと。

 一般には12週から13週目の穂肥を与えた後、間断灌水に入る。間断灌水は稲に水位の変化で、穂を作るように合図することでもある。イネは長江中流域の河畔の植物である。水位の増加に反応し発芽し、水位の変化の減少で実をつける。

 ただし、イネの花が咲く時期だけは水が欲しいので、乾かし過ぎないように注意が必要である。

以下欠ノ上田んぼ全体の状態である。2番、15番、が最高の状態。1、3、が入水口の田んぼで現状いま一つ。平均で8,5ぐらいの出来。少し遅れ気味と言える。天候の回復を願うばかりである。

 
1番田んぼ7

2番田んぼ11

3番田んぼ7


4番田んぼ8
5番田んぼ10


6番田んぼかな 10 

7番田んぼ10


8番田んぼ10


9番田んぼ10


10番田んぼ9



12番田んぼ9


14番田んぼ8

 入水口付近の生育が今一つである。



15番田んぼ11
  今年初めて田んぼにした。大豆の後田んぼになった。糯米の喜寿糯と、マンゲツモチであった。とても良い出来である。この後の生育が楽しみである。
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小さな田んぼのイネ作り ⑩

2019-06-22 04:35:05 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 6月19日の様子を東さんが写真付きで送ってくれた。素晴らしい田んぼになっている。自給のための田んぼは美しくなければならない。美しい場所で気持ちの良い作業をしなければ、自給に関わる喜びというものが分からないだろう。



 田植えから、2週間半である。2,5枚の葉が増えていて欲しい。種まきから8週目で8葉期になっていてもらいたい。田植えからここまでは田んぼに根付く事ができているかが重要な所である。たいていの場合は、移植される負担で、一度停滞する。良い苗で、それなりの土壌あれば、停滞をかなり克服する。 



 田植え後の田んぼで、よく確認しなければならないのが、コナギの発芽を止められたかどうかである。東さんからの報告では、コナギはほぼ無いと言うことだ。水面には、田んぼ面から剥がれて浮いたような皮膜が漂っている。これもコナギの発芽を抑えてくれる。浮き草が漂っている。浮き草も増えれば、雑草の発芽を抑える。藻が発生すれば、雑草の発芽の抑制になる。こうした田んぼで増えるもや浮き草も土壌の腐食量の増加になるので貴重なものだ。


雲の映り込みが美しい。この時期の田んぼが一番描きたくなる。田んぼの願いのようなものが映り込む雲に現れている。幼稚園から聞こえる歓声のようなものだ。イネが田んぼという枠の中に取り込まれ、水というものに守られ。大きく育つための力をいま蓄えている。


 補植も6月一杯行う事ができる。6月中に補植した株はそれなりの大きさにまでは育つ。この写真の田んぼは14番田んぼ、小板屋さん管理の田んぼだ。こんな風に浮き草や浮いた皮膜も悪い状態では無い。一段上の田んぼの畦にあるのは、岡本さんの畦大豆である。整列したように並んでいる。
 
 自給のたんぼでは畦に何かを作った方が良い。大豆を巻くなら、7月に入ってからだ。枝豆で食べるならもう播いても良いだろう。




 ここのイネは2本植えである。冬も水の湧く場所があった。ッ早くから水のある場所にはコナギの発芽が目立つ。6番も同様のことが起きている。水とコナギの関係は検証が必要だ。

 7月に入いり、田植え5週目を迎えれば、イネは10葉期となり、開帳型になる。それまでは、週に一枚葉は増えて、7,8,9枚と葉は前の葉よりめざましく大きくなり、垂れ下がるような葉に変わってゆく。


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「小さな田んぼのイネ作り」 コロガシ ⑨

2019-06-13 04:26:00 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
田植え1週間で、コロガシを行った。田植え直後の田んぼは水位を深くできない。急に深くすると浮き苗がでる。少しずつ深くして1週間たてば、八センチまで水位を上げることができる。八センチあれば、ヒエは発芽できない。そしてコロガシの一回目である。5人で1時間ほどの作業だった。一人ならコロガシ5時間。それを4回だから、20時間かかることになる。その後30分程度で補植を行った。ここまで順調な生育である。五,五葉期で田植えを行い、いくらかの停滞を見て、六葉期になっている。イネは活着すると葉先につゆが付くようになる。露が宿れば一安心である。コロガシは田植え1週間前後に行う。このときうまくいっていれば、コナギはまだでていない。上手くゆくとはコナギの種は田んぼに水を入れたときにスタートを切る。だから田植え前ギリギリまで水を入れない。水を入れるのは田植え前の一週間以内である。代掻きは苗の生長を見ながら、5,5葉苗になるタイミングを見ながら決める。順調な生育であれば、種まき5週間後である。種まき4週間目までに荒起こしを丁寧に行い終わる。そしてここで水を入れる。水を入れて3,4日たてばざっと代掻きをする。このあたりはできるだけ素早く作業を進めなければならないだろう。田植えができる状態になれば、大丈夫なので、それほど丁寧な代掻きは必要がない。その分荒起こしは可能な限り丁寧に行っておく。

東さん撮影の写真、不思議な調子で面白いさざ波の水面。一本植えのさらっとした田んぼ。

田植え前には線引きをする。30センチ角の正方形の線である。線引きは慣れないと曲がる。比較的良いやり方は、田んぼの中央部を決め、向かいの対岸に目印の旗を立てる。この旗をめがけてまっすぐに進む。その後左右に線を見ながら広げてゆく。縦方向が終われば、今度は横方向でおなじことをする。このとき正確に線を引くことは、コロガシ作業に影響をしてくる。おかしな線であるとコロガシの時に、田車で苗を巻き込んでしまう。線引きの時には水がわずかにあるくらいがやりやすい。きっちりとした線が引かれていれば、子供でも田植えができる。線の交点に植えてゆく。この辺は前回書いたことである。水が来るとコナギが発芽を始めるが、田植えが終わりすぐにそばかすを撒く。すると、そばかすが沈殿して地表で発芽を抑制してくれる。だから、上手くゆけば田植え1週間後、つまり水を入れてから2週間後でもコナギの発芽は見られないはずだ。コロガシ前後は苗数を数えやすい。苗数にもし三〇センチ角植えなら〇,九を掛けたものが正確な面積になる。いびつな田んぼの時はこのやり方で正確な面積を出しておく。田んぼの端に植えたものがあれば、二分の1本である。


根守さん撮影のコナギの発芽

田植え1週間後に田車によるコロガシを入れる。主目的は土壌の発酵を良い方向に進めるためである。堆肥を作るときの切り返しと同じ意味である。土壌を攪拌して酸素を入れてやる。すると根が窒息気味になっていたものが、一気に活性化する。翌日には稲株はシャキッと立ち上がっている。土壌の中には大量の緑肥がすき込まれている。これがすでに腐植を始めている。田んぼを歩けば、あぶくが出てくる。このあぶくの匂いを嗅いでみる。臭いからいけないではなく、臭さの違いを確認すること。ドブの腐った悪臭に近ければ危険。このときにはクン炭を撒いて、よくかき回してやる。多分土壌もユルユルにっているはずだ。ある意味この腐敗している状態で出てくる何かで、雑草の発芽は抑制されるようだ。ここを転がしてやることで、苗に害のない、良い発酵土壌に進んでゆく。だから、苗は5,5葉期の苗でなければ耐えきれない。雑草は発芽しても地表のそばかすの発酵でとろけてしまうこともある。1週間後には田んぼの地表には大量のミジンコが動き回っている。これが様々な小動物のエサになる。斯うして田んぼの地表にはとろとろ層が形成されてゆく。この形成されるトロトロ層はとても大切である。コナギの種を覆い尽くしコナギの種の発芽を抑制する。コロガシはできるだけ深水で行う。水尻は排水をしない。コロガシは前後にコロガシながらできるだけ深く土壌を攪拌する。このとき水の濁りが続き翌朝にやっと田んぼ面が見えるくらいだと良い。

田んぼの土壌は腐植質が多ければ多いほど良い。良い土壌とは腐植の多い土壌のことである。肥料分や粘土分やミネラルバランスも意味がないわけではないが、腐植質の量は絶対的なものだ。田んぼを耕せば腐植は減少する。トラックターの登場以来、土壌は耕されすぎである。耕されて、腐食物質が極端に減少している。これが土壌の砂漠化の主たる原因である。農薬や化学肥料よりも、悪影響は大きい。トラックターを使わない耕作は環境的にも素晴らしいものだ。畦に生えた草などは田んぼの中に刈り込んでやった方が田んぼの土壌はよくなる。東洋4000年の永続農業である。肥料は田んぼの中で自然に生産されてゆく。永続性のある伝統稲作である。手で耕すのであれば、腐植の減少はそれほど多くない。稲わらの田んぼへの戻し、緑肥のすき込みで補われる量の腐食物質の量で田んぼにおける腐植質は減少が起きない。むしろ増大してゆく。伝統稲作が、地球環境を守る大きな意味を示している。自給のための田んぼが環境破壊につながるのでは、充実感がなくなる。





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「小さな田んぼのイネ作り」 田植えが終わってやること ⑧

2019-06-03 04:12:10 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
田植えは6月1日は3時までと2日は午前中だった。参加者は一日目が36人。2日目が26人と言う位だった。出入りがあるので正確な人数は把握できない。田植えが初めてという人も10人くらいは居たのではないか。子供も連日10人はいたと思う。何とか田植えが出来れば、子供がいてくれることはうれしいことだ。この先手で植える田植えを見たこともない子供ばかりになるはずだ。もうそうなっているのかもしれない。自分が食べる主食のお米が自分の手で作ることが出来る。という事だけでも記憶にとどめて欲しい。小さな田んぼの3畝は、20人が横に並んで30分ほどで終わった。一人なら10時間という事になる。足踏み代掻きが終わり田植えまでの間、水を少しづつ入れていた。土の状態は、トラックターで代掻きをした田んぼよりもむしろ植えやすかった。私は植え方の説明やら水回りでなかなか田植えが出来なかった。それでも小さな田んぼでは、心して、ゆっくりと田植えを味わった。田植えをするときには、自然というものに自分がなるような気持ちになっている。


田植え前の状態。線がきれいにひかれている。線引きはやってもらった。一人でやった場合、2時間というところか。わずかに水がある。このくらいでなければ、線が引けない。

田植えが終わってすぐにやることが、①ソバカス撒きである。昼ご飯を食べている間に、田んぼに水を張り、午後ソバカス撒きを行った。ソバカスは3つの役割で草を抑えてくれる。一つは水面に浮遊して、地表への光りを遮ってくれる。光が発芽した芽を一気に成長させるので、光が少なければかなり草は減る。田んぼに沈んでも同じ被膜効果が続く。昔田んぼに墨汁を流す抑草法があったが同じ効果である。②もう一つは地表に沈殿して被膜を作り、第二発酵をする。その為には事前に発酵土壌になっていなければ効果が薄い。冬の間の土壌管理には同じソバカスを使う。緑肥による腐植の混入など、綜合的な効果で土壌が発酵型になる。発酵による発生物で種の発芽が抑えられる。そして、発芽した草もとろけていったり、成長しなかったりする。③そして、ソバカスを餌にする生き物の大量発生である。ミジンコが大量に発生する。ミジンコで水が濁って見えるほど出ることもある。次にミジンコを食べる様々な水生昆虫が現れる。オタマジャクシやヤゴ、ゲンゴロウ、ホウネンエビなどが発生する。嫌気性ではない、水の浸透性の良い、手作業の田んぼではイトミミズは現れない。



イネは良い状態の田植えが終われば、翌朝には根付いて、葉先に露を付けている。残念ながら、今年は翌朝露が付いて居なかった。10番田んぼはまだ今朝の状態を見ていないが、それでも5,5葉期の2つの分げつのある、がっしりした良い苗であれば間違いがない。田植えの際に苗が一度乾かされているとかなり弱るので注意が必要である。田植えは慣れれば、水のある最良の状態で出来るのだが、初めての人が沢山いる、子供たちにも田植えをやってもらうたんぼである。田うえは、水を抜いて行っている。その為に浮き苗が多く出るのは止む得ないと思っている。深植えも多いいことだろう。田植えが終わればすぐ水を入れる。水を入れたらば、水は温める。水尻からこぼさない。この時田んぼは浅くしておく。浅くして置けば、上手く植えてなくても、浮き苗にならない。水温が暖かいという事が、順調な活着に大切な条件である。私たちの田んぼは水取りが連続しているために、水が流れでいるので、深くせざる得ない場所もある。今年は、水路にくる水の量が大きく変化をした。その為に微調整がおかしくなり、大変苦労をしたうえに、浮き苗も多かった。申し訳ない。


田植えのが終わり、ソバカスが撒かれている。畔は白クローバーが生えている。クローバー畔は美しい。管理も楽である。歩くときも気持ちが良い。

苗が活着したら、コロガシである。おおよそ1週間後である。9日の午後からコロガシを行う予定だ。コロガシは土壌の活性化と、草を抑えるために行う。緑肥を大量に漉き込んである土壌は腐敗方向に進む。土壌を攪拌してやることで、酸素を送り込みよい発酵方向に進めてやる。田んぼのタテ浸透を抑える、一般の稲作法とこの点が違う。田んぼのタテ浸透を抑える稲作法は、トラックターが登場してからできたものだ。その点伝統稲作は田んぼのタテ浸透を逆手に取り利用しなければならない。タテ浸透で酸素を含んだ水が田んぼの土の中に入ってゆくことで、イネが良く育つという考え方をしている。だから、大苗でなければならないことになる。今年は冷夏ではないかという声も聴く。私の予測では、寒いという事は考えられないのだが。

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「小さな田んぼのイネ作り」 田植えで注意すること ⑦

2019-06-01 04:03:04 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
6月1日、2日と田植えである。良い田植えをするためには事前準備が重要である。先ずは体調を整えることだ。この大切な日体調が悪くてというのでは、どうにもならない。それは、お昼のお弁当だって同じくらい大切だ。昔はごちそう係が早朝から起きて準備をした。田植えは一年の一番の記念行事のようなものである。ゆったりと味わってやらなければ良い田植えは出来ない。できるだけたくさんの人に楽しんでもらわなければならない。昨日は上野さんと杉山さんが田んぼの畑の花壇の整備をしていた。この心意気である。25人来るとして、25人の人が陽だまりガーデンに座れるように、テーブルとイスも並べた。

昨日午後代掻きをして、すぐ水を抜いた苗床田んぼ。一晩では水が抜けきらない。田植え日は明るくなったら、すぐに田んぼの調整をしておかないとならない。

田植えには田んぼに線が引かれていなくてはならない。15番田んぼと14番田んぼと1番田んぼにはすでに線を引いた。みんなが集まりやるぞという時に、線を引き終わるのでは、気分がそがれてします。紐を張って行うというところが良くあるが、このやり方にすると一番遅い人に併せるほかなくなる。しかも両側に紐を操作する人が必要になる。数人でやるとすれば、田んぼに線を引くほかない。大勢の場合でも、自分の速度で田植えをするには線がある方が良い。線引き道具は本に出ているので確認してもらいたい。線は30㎝角の正方形のマス目のように引く。大きな櫛状の線引きを作る。線引きは技術が必要だが、遠くに目標を置いて、一気に引く。理想を言えば、脚で線を踏まないで引くこと。この交点に稲を植えてゆく。その結果、植えた稲の本数を調べれば、田んぼの面積が正確に出ることになる。1本のイネが占める面積が、30×30㎝で0,9㎡という事になるから、3333本で3畝という事になる。正確に線が引いてあれば、田植えが終われば、数えてみることだ。1株のイネで54グラムのお米が取れれば、畝取りの稲作という事になる。1つの株に22本の穂があれば畝取りである。一つの穂に120粒が実れば畝取りである。1粒の玄米の重さが0.02グラム以上あれば、畝取りである。


すでに、1番、14番、15番は線が引いてある。今日は2番、12番、9番、7番、8番、10番と田植えを進める。植えてすぐ水を入れられる順番を考えておかなければならない。

何故田植えの時から、こうした目標を明確にするかと言えば、最高に元気な株からとれるお米が、最高の品質のお米になるだからだ。生命力のあるお米というような、曖昧な目標がある。力のあるお米とか、美味しいお米とかいうのも同様に曖昧である。有機農業で栽培して、万作にしてこそ良いお米になる。勢いのないイネに実るお米の種子では、次の世代を最高のイネにする力はない。次世代に命を繋ぐのが、種子の役割である。自然の摂理に従う、有機農業による種子は生命力が強いから、何十年も死んでしまうことなく生きている。江戸時代の塗り壁の中から出てきたイネの種子を播種して発芽したくらいだ。有機農業で、最高の活力を示した稲の種子こそ、本当の生命力の強いイネになる。6俵ぐらいしか取れない、稲作の種子と10俵とれる稲の種子とで、較べてみればわかるはずだ。だから、良いお米を作ろうと思えば、畝取りを目標にしなければならない。自然の摂理に従う元気な活力のある稲が、畝取りにならない訳がない。畝取りにならないのであれば、生育を阻害する要因がどこかにある。そこに合理的理由があれば、それはそれでよいが、探求心不足であれば自給の稲作とは言えない。



田植えは苗床に稲の苗があった時と同じように植えるのが、一番である。苗取りの時に、どのように稲が生えているかを観察して、それと同じような状態に植えるのが理想である。深すぎず、浅すぎず。深いと分げつはしにくくなる。浅いと浮き苗が増える。よくできた稲は20センチの根がある。この長い根がイネが地中深く入り、浮き上がりを止める。そして、株元はちょうど地面と同じになり、次に分げつしてくる株の邪魔をしない。これは難しい目標であるが、極力そのつもりで植えてゆく。初めての人はどちらかと言えば、深くなる。深くしないと、しっかりと植えられないからだ。線を引かれた地面にわずかに水がきている状態が植えやす。土壌に粘りがあれば、根に指を添えて地面に差し込んみ抜いた時には土壌が株元に戻り、根をしっかりと支えてくれれば一番良い状態である。もし土が戻らないようなら、指で両側から摘まんで根を地中にしっかりと止めてやる。間違っても深くならないようにする。良くある悪い植え方は、棒で穴を空け、そこに苗の根を落とし込んでいた。水を入れたとたんにすべてが浮いた。何故そんなことをしたかと言えば、土に触りたくないからだそうだ。子供は田植えはさせてもらえなかった。それぐらい難しいし、後々影響する作業だからだ。


田植えは水口側から植え始めて、植え終わればすぐ水が来るようにする。そうすれば、水が濁らず線が見えやすい。田植えは終わり次第すぐに水を入れる。いつまでも水を入れなければ、苗は弱ってしまう。しかも植えたとたんに水が来るので、株痛みがない。田んぼ全体に水が充分に廻れば、そばかすを撒くことが出来る。ここから先は次回。





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「小さな田んぼのイネ作り」 苗取り ⑥

2019-05-31 04:39:39 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
この文章は私の書いた「ちいさな田んぼイネ作り」という本の実際の所を、分かりやすく実践してみてもらおうという事だ。この本は5月30日に農文協から、発売になった。自給の為の稲作法である。実践をしながら、確認してもらうための田んぼである。文章でわかりにくい部分があれば、小田原の田んぼで確認してもらえるようにしている。本の捕捉になるような事も書いている。ただやはり本を買っていただき、読んでもらえるとありがたい。欠ノ上観音堂から南の方を見おろせば、旗の立っている3畝の田んぼである。



田植えの直前に、苗取りを行う。苗は5,5葉期の両側に分げつが出始めていて、3本になった苗が理想である。苗取りはただ苗を抜けばいい訳ではない。苗は慎重に扱わなければならない、丁寧な作業になる。何故かと言えば、本来稲は移植されるようなものではない。栽培の都合で、苗床で苗が作られている。それを本田に移植するわけだから、その影響で成長が滞ることを最小限にしなければならない。5,5葉期の苗を移植するのは、一番移植の影響を受けにくいからである。勢いのある成長のスタートに立っているのが5,5葉期頃である。一番勢いがある時期だ。田植えした苗が、1週間後に6葉期になっているような滞りのない苗取りをしなければならない。苗の最も大切な部分は、株の根元である。葉っぱや根の先がちぎれても影響はほぼない。しかし、株の根元を痛めてしまえば、この先の成長に大きな影響があると思って間違いない。


 
株の根元には新しい根が出てくるもとになる細胞がある。そして、新しい分ケツを育てる細胞もある。この重要部分を揺さぶったり、押しつぶしたりすれば大きな障害になりかねない。根の半分より先は切れてしまっても構わない。葉っぱの3分の1は切れてしまっても構わない。根本、株基が重要なのだ。何があってもこの根本だけは大切に扱わなければならない。機械植えの田植えでは、わざわざ葉や根を切る場合もある。だからといって苗はぞんざいな扱いでも大丈夫だと考えてはならない。田植えをして翌朝活着していなければ、苗取りに問題があったと考える必要がある。活着のしるしは朝の葉先の露である。1週間後に6,5葉期になっていなければ、苗取りが粗雑だったことが原因している可能性が高い。1か月後の9葉期に分げつが20本を超えないようならば、この苗取りに原因することが、多々あると考えなければならない。機械植えの田植えの場合、一度停滞してから成長を再開する。しかし、丁寧な苗取りを行えば移植の影響が全くないような成長になる。根の土を洗う事はしてはならない。野菜の苗を植え付けるときに、わざわざ根の土を洗う人は居ないだろう。
 
苗取りは小さな田んぼ(3畝)であれば、早朝から苗取りを2時間かけて行えるはずだ。そして、引き続きその日一杯で田植えをする。田植えに関しては改めて書く。田植えの2日前から、水を抜いておくことを忘れないようにしなければならない。田んぼはアラオコシをして、代掻きをして、その後水を満杯に貼っておく。水のある間に、均しをして、畔塗をする。畔塗は、田んぼの側面に土を塗りつけることだ。土を塗れば水漏れが少なくなる。水の洩れない田んぼであれば、薄い畔塗でも構わない。畔巾が1メートル以上あれば、水はまず漏れないので、畔塗は行わなくても大丈夫だ。均しは水を数日張っておいて、土が柔らかくなったところで、トンボ(トンボとは土均しのT字型の道具である。野球などのグランド整備のものと同じである。)で土の凸凹を均してゆく。全体としては、入水口よりわずかに排水口が低いように均す。3畝ならば、1㎝の高低差に収まるようにという人がいるくらい微妙だ。入水口を止めて、排水口を開ければ、田んぼのすべての水が抜ける状態が理想である。これは水を張った時にしかわからないから、代掻き後に、水位を見ながら丁寧に行う。
 
つまり、1日に田植えをするのであれば、30日か、31日には水をすべて抜く。一度水を抜くのは、田んぼに田植えの目安になる線を引くためだ。線引きは難しいもので、良い土の状態でなければ、かなり引きにくい。土にはたくさんの緑肥が混ざっている。その緑肥を引っ張ってしまい、線が見えないということも起こる。田植え当日に水を抜いたのでは、地面がトロトロで、線が見えない。苗取りを理想的に行うためには、苗床の代掻きを深く十分に耕し、充分に代掻きをしておくことが大切である。柔らかい苗床であれば、苗を痛めることなく、苗取りをすることが出来る。苗をとった後大切なことは、苗を乾かさないことだ。水があれば必ず水のあるところに苗は配置する。田んぼの均しに5時間かかった。苗取りに2時間。
 
 
 
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「小さな田んぼのイネ作り」 代掻き ⑤

2019-05-27 04:55:59 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
代掻きをした。アラオコシが終われば水を入れて、田んぼを水で満杯にする。この時が一番水が一番必要な時になる。地域全体で田んぼの水が必要なる。川の水もぐんと減ってしまう。手順を考えて上手く水を溜めなければならない。アラオコシをした土の塊を徐々に水が濡らしてゆく。初めはなかなか水が溜まらないはずだ。田んぼの周囲を足で踏みながら、穴を埋めてゆく。水を追いながら、穴を埋めれば田んぼ全体に水が広がる。冬の間に、モグラやネズミや沢蟹が畔に穴を空けている。これを塞がないと田んぼには水が溜まらない。周囲の畔際から、代掻きをして行けばいい。スコップでアラオコシをした土の塊も、水で濡れれば、簡単に崩れるようになる。田靴を履いて、土を崩しながら、ぐちゃぐちゃと練りながら、平らにしてゆく。鍬を持ちながら、土を砕き、平らにする。この時田んぼ全体が平らになるように、土を移動させる。普通田んぼの中央が高くなることが多いいはずだ。全体としては、入水口から、排水口に向い、わずかに入水口が高い方がいい。水を止めれば、忽ちに田んぼの水が無くなるという状態が良い代掻きである。

翌朝5時、水が満杯になった田んぼ。

機械で代掻きをすれば、土はシャーベット状になり、トロトロになる。一見細かくて良い代掻きに見える。一般にはタテ浸透が少なくなり、田んぼはよくできると言われるが、考え方を変えて、タテ浸透があるから、良い田んぼになるという耕作が、小さな田んぼの特徴である。シャベルと足でやる代掻きはかなり荒いものになる。この荒さを生かした田んぼ耕作にしなければならない。タテ浸透が大きいという事は、水が沢山必要という事になる。しかし、田んぼの水利が良くなっている。その上田んぼが減少している状況下、水が足りないという事は、まずないだろう。穴をふさぎ、充分に水がある中で代掻きをして行けば作業も楽だ。田んぼも平らになる。代掻き作業をしながら、石を拾い、外に出す。石は出来るだけない方が良いので、どんな作業の時でも気が付いたら田んぼから外に出した方が良い。

朝の苗床

田んぼに緑肥があまりに多く繁茂してくれた時には、アラオコシの前に刈り取った草を一度外に出しておくのも良い。ナイロンカッターのかりばらい機があれば、草は粉々に砕けるので、粉々に砕いておけば、アラオコシ以降の作業は楽になる。刈払い機も使わないで鎌で刈るという事であれば、一度持ち出しておいて、田植え後に草を田んぼに戻すと、水中敷き藁状態になり、雑草が出ることを抑えてくれる。この敷き藁抑草は手間がかかるが、とても良い田んぼになるので、例えば、周囲にススキでもある田んぼなら、全体に敷き詰めてやる手間をかければ、素晴らしい田んぼになる。冬の間に緑肥が充分に育たなければ、大切な腐植不足になる。畔に生えた草は必ず田んぼに入れる。野菜の残渣も田んぼに入れても良い、ジャガイモを入れると草が出ないといって、目の出てしまったジャガイモを大量に田んぼに入れる人もいる。これは本当かどうか経験がないのでわからないが。腐植を増やす意味でも、田面に日に当てないという意味でも、植物残滓を田んぼに入れてゆくことは良いことである。

田んぼ全景

足踏み代かきは子供でもできる。昨日は小さな子供が4人来て、田んぼで遊んだ。10人での代掻きになった。子供がいると作業がはかどる。大人が働く姿は、子供には良いものである。子供が遊ぶ姿は大人には良いものである。楽しい作業にならなければ、自給の田んぼをやる意味がない。農家の親父に、お前たちは田んぼで笑っていて不謹慎だと怒鳴られたことがある。笑いのないような田んぼだから、子供がやらないのだ。そうは言い返さなかったが、自給の田んぼは楽しいから良いのだ。代掻きは3畝の田んぼで12時間である。大勢でやったので、私一人でやった場合の時間を割り出した。私の方がまだ早いようでもあるが、一人でやれば疲れてしまうだろう。12時間というところが良いところである。代掻きが終われば、水をためておく。水柄待ったところで、トンボで均しをするのが次の作業になる。

代掻きを始める前の田んぼ。




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「小さな田んぼのイネ作り」 アラオコシ ④

2019-05-26 04:28:51 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
26日、4時30分の水の溜まり始めた田んぼの写真。
田んぼの準備を始めた。田んぼの直接の作業はアラオコシから始まる。5月22日から25日までの4日間行った。ギリギリまでアラオコシは遅らせるためには3つの理由がある。一つは田んぼに水が入ると、雑草が発芽を始めるからだ。もう一つは緑肥の種が、結実するのを待っている。もう一つはミツバチが可愛そうだから。1日3時間手作業でアラオコシをした。このかん、渡部さん、太田さん、杉山さんが手伝ってくれた。私は半分の1畝半の作業をしたという事になる。25日に水を入れ始めた。連日の作業で翌朝腕が張っていたが、痛いというほどではない。この田んぼは手作業でどのくらいの時間がかかるものかの確認をして行く。アラオコシはなかなかの肉体労働である。昔の屈強の青年は田んぼのアラオコシを一日1反を深くやったと書かれている。信じがたいものがある。オリンピック選手のことで、普通の人のことは歴史に残らない。普通の人はその半分の5畝くらいではなかったのか。私が全体の半分アラオコシしたので、1畝半のアラオコシで、12時間であった。少し衰えに驚いた。昔の70歳ならば、年寄りも良いところで、たぶんアラオコシは出来なかっただろう。アラオコシが出来なくなった時が田んぼ引退の時だと思っている。予定では5日間を見ていたが、5日間一人でやったとして、2畝が限界だった。このくらいが、自給田んぼにはちょうどよいのかもしれない。田んぼ全体のトラックターによるアラオコシは27日までに終わる。終わったところで水を入れる。29日、30日が代掻きになる。苗取りが、30日31日になる。そして、田植えが6月1日2日だ。



苗は例年と同様に順調である。苗が順調に生育するという事が、畝取りへの道である。手前がサトジマンで、奥が喜寿糯。順調で当たり前のことなので、真剣に管理している。1日3回は見に行く。今年は7つのほとんどの田んぼの苗が、直播になっている。セルトレーより直播の方が合理性があるという事が徐々に浸透してきた。良い苗なら、1本植が出来るから、播種量を減らしても収量は減らない。良い苗とは何度も書いているが、5,5葉期で両側に分げつのある苗である。しかも、それを5週間で作らなければならない。イネは種まきから出穂まで、15枚の葉をほぼ1週間に一枚出してゆく。この速度が稲の成長の順調な速度なのだ。苗はすくすくと停滞のない成長速度が必要になる。週一枚よりも遅い苗は何か改善すべき問題点がある。イネの種を直播にしてみればわかることである。最適な環境で直播にすれば、イネの生理が1週間に一枚という事が確認できる。現在4週目で4葉期である。わずかに分げつが見える。



アラオコシを手作業でやるのは、利点もある。やりながら、石やガラスを取り出すことが出来る。とんでもないことだが、田んぼにごみを投げ入れる人がいるので、結構ガラスがある。ガラスを拾う気持ちの情けないこと。道路の脇の田んぼなので、車の窓から飲み終わった瓶や缶を放り投げる人間が居るのだ。高い崖の下なので、そのビンが割れて田んぼに入る。ひどい話だが、現実にあることなのだ。田んぼに対する、敬意のようなものが失われるている。昔なら、そんな罰当たりのことはできなかったのだろう。アラオコシをしながら、土の中の様子を見ることが出来る。土の中は意外に複雑である。鉄分の錆びたような赤い部分と粘土分の塊のようなところが入り組んでいる。水が湧いてくるところもあれば、乾いたところもある。草の根の深さもわかる。この田んぼは去年稲刈りが終わりそのまま、レンゲを蒔いた。秋起こしをしなかった。レンゲはそれなりに覆ったのだが、冬の雑草もサンゴ草やセリ、カラスムギ、ネズミ麦、雀の鉄砲、などが混ざっている。



作業の途中の様子。レンゲの花を長く残した理由がもう一つあった。田んぼで飼っている、ミツバチが可愛そうだからだ。アラオコシを始めて、4日目。蜂が分蜂をした。レンゲが無くなったので怒ったという訳ではない。レンゲの種取りをすればもっと良いのだが、これは意外に大変なので、一度で懲りた。レンゲの草部分も枯れてきている。相当な腐植分がある。レンゲが一番腐植量が多くなる冬の緑肥だ。花盛りがレンゲを刈る適期とする考えもあるようだが、それではまずミツバチが可愛そうだろう。そんな馬鹿なことをした人は江戸時代には居なかったはずだ。田んぼで重要なことは腐植量の増加であって、窒素分は心配いらない。雑草の根は起こすのが大変だった。レンゲはそれほどでもない。レンゲは根が細かく浅い。腐植量は結構ある。地中にはオケラがいる。ミミズだって、アメンボだって、、苗床には居た。やなせたかしさんは凄かったな。などと思いながらアラオコシを続けた。


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小さな田んぼのイネ作り 苗代管理 保温折衷苗代 ③

2019-05-16 04:09:16 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
川で浸種をして、冷蔵庫に保存してあった種を4月27日に播種した。16日が経過した。2、5葉期になっているから、順調だと思う。基本一週間で一枚の葉が出ると考えてよい。それより遅いという事は最高の苗になるための条件の何かが欠けている。6つの田んぼの共同苗代であるが、甲乙つけがたい成長である。いつも3葉期までは差が大きくは出ない。早生品種の方が成長が早い傾向がある。一葉目は葉というにはまだ頼りないものだ。2葉目の葉がしっかりした葉であれば、まずは第一段階は無事通り抜けたという事になる。しっかりしたというのはなぎなたのような葉が色濃く、大きく伸びて、弾力があること。この段階の苗は種籾の能力を表している。充実した種籾で播種されれば、良い苗になる。不十分な種籾であれば、徒長したような弱弱しい2葉になっているはずだ。今回、農協から購入した、もち米が良くない。苗床の最終結果として、10mに700グラム播くのが最善であることがわかる。欠ノ上田んぼは60mで、4.2キロが適正量。



2週目からは常時水がある状態にする。これは3週目からでもいいのだが、私は2週目からは水を張るようにしている。その時の外気の温度が上がり過ぎるようなら、早めに常時湛水にした方が安全である。この時初めて田んぼに水が溜まり、思わぬところで水漏れが起きているので、気お付けなければならない。湛水するまでは苗代に日に一度水を入れてはすぐ止めてしまう。苗に水やりをしているような管理をおこなう。朝一度水を張り、入水を止める。当然、一時間ほどで水は亡くなる。徐々入水量を増やしながら、2週目になれば常時水がある状態でも良くなる。水没したらイネは枯れてしまうので、水位は浅く地表を覆うように管理を注意深く行う。排水口に板を置いて、高さを調整する。水があることでトンネル内の温度はそれほどの高温にならない。今まで一番高い時で、35度であった。昼間30度まで気温が上がるような季節なので、そうした日は水位を高くしておき、流し水管理にすると安全である。



こちらは余った種をまいた、別の場所。捨てるくらいなら、こういう場所に播いてどうなるかを比較している。種はついつい不安で多く播きがちだ。多く播けばよい苗にはならない。この場所はアラオコシだけで種をまき、ビニールトンネルで覆ってある。こちらは代掻きはしてないので、湛水状態までは持って行けないので、水は辛いことになる。雑草もこの通り生えている。それでも、苗は湿気た地面であれば、充分成育をしてゆく。案外良い苗が出来るかもしれない。こういう実験栽培が面白い。もしかしたら何か発見があるかもしれない。こっちの方が良い苗になるはずだという人もいた。


苗代の播種量としては、箱苗で言えば20グラム播き以下にする。一本の苗の占める面積が広ければ広いほど良い苗にはなる。10グラム播きの面積が取れればその方が良い苗になる。いよいよ広げれば、ただし、3葉期までは播種量と苗の成長は関係がない。播く量が少ないと、少し不安な感じになるが、3葉期を過ぎると一気に成長してくる。3葉期からは根の力で生育を始める。



小田原の久野川から入れている水は、早朝の入水温度が14,7度。天候で大きく水温は変わるので、慣れるまでは毎日測定をした方がいい。水温の測定を続けるとその年の気候の傾向が見えてくる。その時の苗床の水が、17,8度。さむひだでも昼間はビニールトンネル内の水温が27度まで上がった。暖かい日では35度。この変化を水の力で緩和してやる。苗を作るという事は不安に満ちたものだ。。5週間で、5,5葉期になること。分げつが左右に2本ある苗が目標である。そんな苗が出来ればその年の稲は豊作になる道筋が付いたと言える。18日がビニールをとる。3週目という事になる。





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