goo blog サービス終了のお知らせ 

地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

南京市鳥インフルエンザの経過

2007-12-18 05:07:07 | 自然養鶏
今年、中国の鎮江市に行って、鳥インフルエンザの実験をしているのが、中国だと実感した。同じ江蘇省の南京市で、人人感染が起きたようだ。報道がされている。11月24日、南京市の24才の男性が発熱し、11月27日に、左下肺炎で入院したところ、急激に症状が悪化し、12月2日に死亡した。中国衛生当局の検査でもH5N1感染が確認された。ところが、この死亡した24才の男性の父親である陸偉さん52才が、12月3日の晩に発熱し、肺炎で南京市第二醫院に入院した。12月6日の中国当局の検査でも、H5N1が検出された。その後の報道を待っていたが、感染の広がりはなく、濃厚接触者の観察も解除された。これが本当に人人感染かは、不明のままだが、病気をされた方には申し訳ないが、鳥インフルエンザが、どのような病気であるかの一端は見える。死ぬのはいつも若い人だ。免疫の問題だと思う。

「人人感染は常にありえるが、大流行するようなタイプの病気ではない。」これが私の見方だ。インドネシアは中国以上の蔓延状態にある。昨年の死者合計が75名今年は45名。世界全体でも、今年は減少に向かっている。いままでの感染者総数が340人で、死亡者数が208人となっている。この病気を意図的に大げさに流そうと言う、力が働いていることに注意する必要が在る。一つは、国外にいる中国反政府運動家。もう一つは製薬会社とそれに関係する、日本の厚生省および、WHO関係者。全ては推測的発言だが、一応はその可能性を疑っておいた方が、正確に状況判断が出来る。中国反政府運動には、宗教的なものと、政治的なものがあるが、中国政府の発表は疑わしいと、早速発言している。確かに疑わしいのかもしれないが、嘘である証拠もない。WHOは人人感染が起きたと判断し、その場合の大流行の危機の方を強調している。呼応するように厚生省は、一貫してインフルエンザワクチンの生産体制の強化と、タミフルの備蓄を行う、図式。

現代人の病気に対する恐怖感。ここを衝いて煽る。何でも抗菌グッズにすれば売れるという様な、日本人のおかしな衛生観念が背景にある。洗脳されてしまったともいえる。すでに、タミフルの備蓄に疑問を挟める空気ではなくなっている。日本での、養鶏に対するワクチンの強制すら遠くない気がする。この病気は少なくとも現状では、何もなく消え去る可能性の方がはるかに大きい。毎年今頃になると、朝鮮半島では発生が伝えられ、日本への波及が起こる。今年が山場だと思う、もしこの冬の発生がなければ、この地域では収まる可能性が高い。現状においてはすでに、問題核心部分は野鳥の中で起きていることだ。大規模薬漬け養鶏場で起きた、ウイルスの変異が発端であった可能性は高いが、その後はこれが野鳥に広がり、感染と免疫が計られているはずだ。これが何処で収束するか、時間が掛かると思う。もう養鶏場の中の問題ではないのだ。

中国では、鶏は日本的な観点で言えば、大半の小規模養鶏場や農家の庭先養鶏は野放し状態だ。それでいいはずだ。それであっても感染はきわめて限定的なものだ。大規模の養鶏場では、2005年から政府の責任でワクチンが接種された。所がワクチンはまだ完全な段階ではない。同時に不法ワクチンも出回っているらしい。不活化ワクチンは、(1)一定期間発症と死亡を防ぐことが可能で、(2)ウイルスの増殖及び排泄ウイルス量を減少させる効果はあるが、感染及び排泄を阻止することはできない、あるいは阻止可能期間が5ヶ月以下、であると言える。(3)遺伝子組み換え生ワクチンについてはその効果、強弱が異なるが、やはり完全なものではない。また、遺伝子組み換えのため、使用が規制されている。と言うのが衛生研の考えだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

免疫の生命スーパーシステム

2007-12-07 06:10:19 | 自然養鶏
本屋さんで免疫学と見ると、つい買ってしまう。流行のようで、医学書の範囲でなく、一般書の平積みに置かれたりしているのだ。結果、読んで居る時はわかったようなのだが、理解出来ている訳ではない。いつも鳥インフルエンザの事が頭にあるから、「ウイルスの突然変異のメカニズム」を理解したいという、野望があるのだ。突然とつく位いで、そのメカニズムは学問的にも未解明。免疫学がそもそも、20世紀後半の学問で、今解明の速度が素晴しく速いらしい。やはり、免疫学というと多田富雄先生『免疫の意味論』といことになる。理解できたわけではないが、何か真実の学問を感じる。そういう感じが好きなだけかもしれない。先生は新作能の作家でもあり、詩人でもある。だから、分かり易くは心がけておられるようだが、哲学的思考が多く。同じ言葉でも、利用の幅が広いように感じる。

免疫を理解するには、健康というような狭い観点ではいけないと言う事。免疫はきわめて哲学的。スーパー生命システムと書かれている。新たな解の構造を書かれている。先端数学の解が、先端だから正しいかどうかが、すぐには専門家にもわからない。そんな難しさと、似てはいるが、非なるもの。人間解明の根源にいたろうとするような、深淵が広がり始めるのだ。言われる「ありよう」は理解できるのだが、余りに広がっていて、それが自分の日々の暮らしから出てくる生命観と、刷り合わせられないような感じになる。人間の解明はまだ入り口にある、今までの人類の哲学的蓄積が、ある意味証明されながら、新たな異なる上層に立つような感じだ。その何処までも、実用学でありながら、旧来の経験的な蓄積を裏切るような仕組みが、まさにスーパー生命システムの発想に在る。

エイズでも、鳥インフルエンザでも人間が引き起こした、病気だ。猿や鳥の体内で静かに調和をしていた、ウイルスを人間が無理やり引きづり出した。この辺にウイルスの変異の何かがある。新たなウイルスが免疫のワクに落ち着いて収まるには、それなりの時間がかかる。その時間が、免疫の仕組み。時間を短縮しようと言うのが、ワクチンのシステム。所が、ワクチンと免疫の関係には未解明がある。ここからは理解が十分でないので、書く能力がないが、ワクチンの是非などと言う事は、まだ誰にもわかっていないという事。インフルエンザには、ワクチン注射が有効である。そういう実証的データーがある。しかし、その方法も、100年と言う人間の生きる過程で、マイナスになるやも知れない。

鳥インフルエンザワクチンが次々に認可されている。しかし、使うべきでないとする学者の考えが、今のところ勝っている。使うべきでないと言う発想には、まだワクチンの性能が不充分だ。と言う根拠と、ワクチン使用による、清浄国認定除外の輸出入の利害も絡む。茨城の不正ワクチン使用疑惑、事件。はうやむやに終わったが、鶏からの人間への感染例が、大量に出た。こちらは確認がされた。その感染の姿が、又予想外の、鶏との接触が極めて薄い人まで、感染が広がっていた。人人の二次感染も考えられるようだ。何故か。不正ワクチン化されたらしいウイルスは、実害のない、弱毒タイプの株に基づいていた。こうした、無害のウイルスの感染と言う事は、人間は繰り返し体験していることではないだろうか。そうして、免疫の仕組みを強化してゆく。自然界に無数に存在するウイルスとのかかわりの濃度。この減少が、免疫システムの構築を弱めているのではないか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地鶏の放し飼い

2007-11-26 03:53:36 | 自然養鶏
比内地鶏やみやざき地頭鶏の名を語った、食品偽装が相変わらず、問題化している。今更と言う内容で、本質から外れては居る。吉兆での居直りが、目に余るものがあって、但馬牛と佐賀牛を偽装したと言う事で、佐賀の畜産農家が怒っているという。吉兆の良くないのは、下の者がやったことだと、会社の幹部が居直っている点だ。もし本当にそうだとすれば、アルバイトが勝手に日付を変えてしまえるような管理体制と言う事で、食品販売をする基本のシステムが出来ていない。今に至れば、世間で販売されている大半の食品が「あやしい」と言う事が見えてきたと思う。食は自己責任。饅頭が古かろうが、お腹が痛くなったという人が居ないのだから、私にとってはどうでもいい。製造年月日から、賞味期限に変えたのも、外圧によっているそうだ。当時はもっともらしい理由が言われたが、予想通り、食べる人の判断力が鈍った。

国際基準とか、グローバリズムとか、まるで倫理のように唱えられるが、各国の利害のない混ぜに成った所産だ。日本が日本流を通せないのは、日本の工業製品の輸出為に、日本人の暮らしがゆがめられている。と言う事だ。「そんなことを言ったって日本人の豊かな暮らしは、企業なくしてどう維持できるの。」こんな風に思う人が多い。これが大間違いのもと。本質的に考えれば、豊かな暮らしとは脆弱な暮らしではない。豊かさとは、その根源まで把握されていることだ。素性のわからないものを食べ、素性の良く判らない、もしかしたら、どこかの誰かが泣いているような、お金で暮らすのは、すこしも豊かじゃない。

地鶏の放し飼いの規定だ。先ず、放し飼いは飼育の上で、大変だと言う事がある。だから、放し飼いを平飼いと言い換えた。自然養鶏を自然卵養鶏と言い換えたセンスだ。似ているけど、本質的には全く違う。「平飼い」は檻に閉じ込めたケイジ飼いではありません。と言う点ではいいように聞こえるが、実は平らな床にぎしぎし押し込めて、その床が三段とか言うのもあるのだ。「放し飼いなど意味がない。」有機農業研究会では言い切った。わざわざ農水に放し飼いは不要の、請願書まで出している。日本の有機農業者のレベルはその程度のものだ。鶏には放し飼いが必要だ。本当に鶏を飼えば、すぐ判るはずだ。それが判りたくないから、あれこれごまかす。それぐらい、放し飼いは大変なことなのだ。

しかし、地鶏の規定での放し飼いは何と、1㎡に10羽以下の事と成っている。何足ることか。これじゃ放し飼いにはならない。放し飼いとは緑豊かな自然への放牧の事だ。こんな当たり前の事が、理解されない。鶏が健康に育つ、為の放し飼いは草一本ない、ほこりの立つような炎天下へ放すことではない。基準などいつもそうなのだ。放しているとは名ばかりの、屋根がない。というだけの過密。放牧地は常に草があるように、4区画程度に分ける。1坪1羽がせいぜいの所。その程度にしなければ、放しても意味がない。意味がないから、放し飼いは無駄だ。等との暴論が出てくる。大切に鶏を飼った事がないから、その辺の事がわからないのだ。

放し飼いをしても、一回目の放し飼いはいいが、二回目以降は糞の上だ。というのが農水の議論。常に新鮮な土壌に出さなければ、意味がない。だから放し飼いは大変だし工夫が居る。土地の高い日本では無理だとまで、農水では議論されている。とんでもない事だ。日本の消費者は土地が高いからまがい物でいいという議論だ。と言っても、比内地鶏の場合、ケイジ飼いのほうが肉がやわらかくおいしいといわれる。こんな意見が出ている。消費者が鶏の味がわからないから、ブロイラーを利用した、ごまかしが出来る。こんな情勢の中で、放し飼いをしてきた。1羽1500円だ。おいしいといってくれる人は居ないわけではないが、確かに売れない。私は売れなくてもいいのだが、本当におかしなことだとは思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農水:食品偽装対策本部を設置

2007-10-29 05:39:34 | 自然養鶏
比内鶏の偽装事件の全貌が見えてきた。従業員15名の会社だ。赤福や白い恋人とは事件の大きさが違うが、私にとっては養鶏の事だから、他人事ではない。こうした、食品偽装事件は内部の者は、大体の所知っている話だ。ミートホープのときも、内部告発が何度もありながら、担当部署がぼやぼやしていた。今全国で、食品偽装の内部告発が、激増している。4倍あるそうだ。月に2000件。担当の職員がやはり2000人。なかなか処理しきれないらしい。比内鶏の件で言えば、以前からこう言う事だろうと言う事は、私は指摘した事もあるし、養鶏関係者なら想像のつく話だ。ミートホープの社長が、思わず漏らした「安いものばかり求める。消費者が悪い。」本音は比内鶏にもそのまま当てはまる。比内鶏は会社名で、比内地鶏が商品名。こういう場合、商品名「あきた比内鶏」はあり得る。

今回の副産物が3つあった。最初は比内鶏がおいしいかどうか、ブロイラーとの食味テストが、テレビなどで何件かあったそうだ。判別付かず。長年の主張が、やっと認められたような気がする。「鶏種で鶏肉の味はさして違わない。」10円の年寄産卵鶏を「おいしい、さすが、比内鶏は違う」など、エセグルメの方はご苦労さん。鶏肉の味は育て方で違ってくる。特に、餌。あるいは放し飼い。食べる年齢での食味の違いはある。これが2番目の副産物。今回は廃鶏と呼ばれる産卵率の下がった鶏が、充分肉として、食べることができる。こう言う事も確認された。ミートホープの社長は、刑に服した後は自分の食肉の技術を生かして、ボランティアをしたい。こう言われているそうだ。そんなボランティアはあるのかどうか。と思うが、この廃鶏をおいしく食べる技術があるなら、これは業界注目の技術だ。硬い肉を柔らかくする方法。果実酵素を利用して、パイナップルとかマンゴーとか。やったことはないのでわからないが、高価なものだ。戴いてあるのだが、こっこ牧場が食べるのを諦めたので、使わずにある。本当に柔らかくする技術はあるらしい。所がこれが食品加工には使えない、化学薬品らしい。だから、焼肉屋などで「安くて、柔らかくて、おいしい」などと言うのは、要注意。

3つ目が賞味期限切れ問題。これがお腹が痛くなって事件化したというならともかく、何処でも問題が起きていない。これだけ食品偽装が蔓延化していて、今見えているのは氷山の一角にもかかわらず。賞味期限切れで、食中毒は起きていない。要するに食べれるものを廃棄している。日本の食糧輸入の半分は捨てるためだそうだ。家庭の冷蔵庫から捨てられるものが、一番多いい。賞味期限切れ。これは本来、生産年月日だったもの。消費者が食品の賞味期限を決める能力が無くなった為に出来た。のか。

中国の肉まんテレビは衝撃的だった。日本でもああいうテレビを作ったらいい。創作の方が本質を表わす事がある。食べ物は本来、自分で作るもの。それを他人にお願いするのだから、よほど他人を信頼が出来ない限り、危険は付きまとう。中国と言う国や中国人との間に、信頼関係がなければ、中国の食品は食べられない。それは国内でも同じで、食品偽装はあると誰もが内心考えている事件だ。その後、輸入うなぎが国産になる話は、途切れたが。国産うなぎと書かれていても、本当かな。こう思っているだろう。食品は本来工業製品とは、違う。大体の工業製品は無くても暮せるが、食べものが無ければ暮せない。日々生きると言う事の根本だ。日本全体が、食べ物を疎かにしてきた。まだまだ、根が深いと考えなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秀明自然農法ネットワーク

2007-10-28 06:05:43 | 自然養鶏
初めてこういう組織があることを知った。昨日、そこの組織の一員である。高橋経久さんという方が尋ねて見えた。見学をしたいと言う事で、東京の方に用事があるついでと言う事で、金曜日でも見てもらった。帰えられてから、置かれたパンフレットでその方が秀明自然農法と言うところの方だと知った。岡田茂吉氏の系列のようだ。宗教ゆえか、様々に分流があり、ちょっとの違いが大きな違いと言う事で、岡田系列間の交流は閉じている。部外者には、一緒にやればいいのにと思う。私はMOA小田原産地支部の一員だ。総会ぐらいしか出ないが、部外者もいたほうがいいと考えて止めない。化学物質を使わない農業を方向とすれば、志にそう違いがない以上。違いを掘り起こすより、協力地点を捜した方が良い。

秀明という組織は無肥料無農薬という、岡田流の原則論にこだわって則っているようだ。それで、鶏を飼うというのは整合性があるのかどうか。鶏糞は、当然畑に入れない。田んぼにも入れない。それはもったいないこと。自然農法成田生産組合というところに見学に行った時も、鶏は沢山飼っているが、鶏糞は自分たちは使わず、他所の人に上げると言われていた。ここにはどうも糞というものを不浄な物という、思想があるらしい。これは地球循環からしたら、間違った考え方だと、自然界の循環の中に存在し、何万年も循環してきた、排泄物だ。不浄も清浄もない。偏在する事で、おかしくなることはあるにしても、不浄呼ばわりは可哀想だ。鶏糞を一貫して利用する農業を続けてきたが、問題が出たようなことはない。

そもそも畑という耕作が、自然の偏在の形の一形態だ。こうした偏在は自然界にも、様々ある。鶏糞だけで出来た島さえある。自給自足循環体系の中にはどうしても、鶏が必要だ。だから飼う。鶏を飼うけど、その排泄物は使わないと言う体系は、どこか怪しくないか。その不浄はどう循環するのか。餌にも動物質の蛋白は使わない。聞かなかったけれどそういう考え方に違いない。これも自然を観察すれば間違った見方であることに気付かないといけない。鶏は昆虫を食べて、蛋白質を賄う。そうしなければ、自分達の羽根を食べ始める。毎日卵を産むと言う事は身を削る事になる。それでもオカラ等の植物蛋白で蛋白を補えないか。など、妄想する人はかなり多いい。無理だ。人間と違う。菜食主義者が卵を食べるから、菜食の鶏の卵と言う考えになるようだが、鶏がこれではたまらない。鶏には菜食主義はない。そんな狭い視野の鶏は世界中に1羽もいない。食べれるものは何でも食べるのだ。

秀明の高橋氏は、特に鶏種の作出に興味をもたれていた。作出を考える時大きな方向性が大切になる。自然をどう考えるか。本来、鶏は赤色野鶏と言う年に15個程度しか産卵しない生き物だ。人間の都合で、毎日産卵するように改良してきた。そのことで、自然状態の赤色野鶏とは異なる生態になった。毎日卵を産むためには、その栄養分に見合うだけ食べなくてはならない。そんなことで本来のいい卵を産めるのか。ここに問題が生じる。つまり妥協地点の捜し方が、農業だ。人間の生業だ。自然と冠する類で、畜産を行うと、矛盾が噴出する。それは一応仕方がないにしても、養鶏にかかわる人間の思想に、つらい影響が生じる。

人間は好きにすれば良い。本人の意思だ。しかし、鶏の菜食主義は可哀想だから止して欲しい。人間の食べ物の為に、動物におかしなことをするのはフォアグラ生産となんら変わらない。動物虐待だ。菜食主義の鶏は、孵化率が低い。卵に力がない。死籠りになるはずだ。そんなことはないという人がいるなら、ぜひ試して欲しい。菜食鶏が産んだ卵で90%~80%を超える孵化率を実現できたら、私も反省し、考え方を改める。いずれにしても自然という名を冠する以上、自然を偏見なく見て欲しい。都合のいいところだけを自然から抜き出さない事だ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みやざき地頭鶏

2007-10-24 05:27:25 | 自然養鶏
宮崎県では東国原知事効果もあって、「みやざき地頭鶏(じとっこ)」が好調なようだ。小林市のホームページには放し飼いをしている様子がある。その他、百姓村には放し飼いの動画もあった。若干写真が不自然な所があるが、確かに放し飼いをしているようだ。中には450日飼育して、というさつま知覧鶏と言うものもある。どれも平仮名で命名する所が、最近の傾向だ。30万羽から、50万羽に増やすと言うから、これはすごい事だ。一般に4ヶ月~5ヶ月の飼育らしい。24戸の農家が現在携わっている。20年には新たな種鶏場が2軒加わり50戸体制で50万羽を予定している。

高知県特産の「土佐ジロー」もその定着には涙ぐましい努力があった。その顛末が、土佐ジロー20歳 スーパーブランド鶏物語(高知新聞社)で紹介され、第22回農業ジャーナリスト賞を受賞している。このコピーを読ませていただいたが、実に面白い。鶏の交配をしてきた者として興味が尽きなかった。たぶん同じような事が、みやざき地頭鶏にもあったのだと思う。特に種鶏場の経営と言う事がこの事業の鍵になるようだ。雛の生産を万の単位で安定した品質のものを出してゆく事は、大変な苦労が必要なはず。宮崎県ではその種鶏場が2軒増えると言うからすごい。全国的に見れば、減少傾向。養鶏が業として成立する為には総合的なもので、種鶏の確立、雛の生産体制。生肉センター。農家規模での養鶏にはそれを統括する指導力が必要。

みやざき地頭鶏は先ず短脚でない地頭鶏の雄とプリマスの雌とを交配する。そこでできたF1種にロードアイランドレットをかけて作る。F2品種を実用ビナとして頒布しているようだ。これを放し飼いをしているところもあるようだ。5ヶ月近い飼育と言うのは長い方だろう。地頭鶏の本来の特徴は短脚にある。その固定した根拠は、農家の庭先に放しても、畑を掘り返しにくいと言う事にあったらしい。確か荷解きに短脚の鶏は生まれる。その鶏はバランスが悪く、動きも鈍い。そんな偶然から固定が始まったのだろう。地頭鶏がおいしいかどうか。薩摩地鶏がおいしいと言う話もよく聞く。私は全て眉唾と思っている。大きく分けて、油が乗る品種と、油が乗らない品種がある。名古屋種などは油が乗る。薩摩地鶏系は油は乗りにくい。本来、闘鶏用の品種だ。

油の乗らない品種は今の時勢では好まれないだろう。その意味ではこの放牧地の規模では、肉質を浴するための効果が少ないと思われる。放牧地は忽ち、ほこりを立てる砂原になっているはず。フランスのプレノアールの放し飼い飼養では、確か100㎡1羽が基準ではなかったかと思う。日本では1坪30羽でゆったりなどとんでもない事が通用している。日本では肉の文化が浅く、まだ肉の味を本当の意味では理解していない。そんなもの理解する必要もないのかもしれないが、本当の鶏肉はおいしいものだ。宮崎県もこのチャンスを生かすべく。よりおいしい肉質を目指しがんばってもらいたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比内鶏の偽装と赤福

2007-10-21 06:07:49 | 自然養鶏
比内鶏の偽装事件が起きた。と言うか、以前も地鶏肉の事で書いたことがあるが。日本鶏にかかわってきたものとしては、馬鹿げた事件だ。秋田県の特産で、「日本三大地鶏」の一つとして知られる比内地鶏で、加工商品として出荷した薫製の肉や卵に、比内地鶏でない鶏を使用した疑いがあるとして、秋田県は20日、同県大館市の食肉加工会社「比内鶏」(藤原誠一社長)を景品表示法などに触れるとして立ち入り調査した。同社は偽装を認めているという。(朝日新聞)以前書いたことだが、この機会にもう一度整理したい。地鶏というものは日本農林規格で既定されている。簡単に言うと、片親が在来種なら、良いとなっている。在来種とは明治時代までに日本で導入成立定着したものとなっている。横班プリマスロック。コーチン。ロードアイランドレッドも在来種だ。つまりこれらが片親の交配は全て、地鶏肉となる。おかしな事だ。

本来地鶏といえば、日本古来の鶏のように感じる。あるいは、農家の庭先に放し飼いされた鶏のように感じる。その錯覚を利用して、様々な地鶏が登場した。ほぼでたらめと言ってよい。プリマスと、ロードの交配を地鶏というのだから、何だっていいと言える。ケイジ飼いも入れろと業者は圧力をかけている。本来、天然記念物の比内鶏は雄3000グラム雌2300グラム。特徴ある三枚冠。笹毛は黒状線在り。頭は体系に比して小さく、足は黄脚でほそい。とスタンダードでは成っている。しかし、そんな鶏は随分捜したが、見つからなかった。それで飼育をやめた。何処の畜産試験場でも、5キロはあるような鶏を飼っているのが現状だ。肉が美味と言うのが特徴で、きりたんぽにすると、胡麻粒状の油が浮くとされる。そんなものも見た事がない。

鶏肉には鍋用のものと、焼き様のものがある。しかし、鶏肉を食べて判別が付く人がいるだろうか。私は不可能と考えている。散々多種類食べての結論だ。鶏の飼い方で鶏肉の味は決まる。特に放し飼いと餌。と言っても、養殖うなぎの方がうまいと言う、柔らか信仰の現代の消費者からすれば、私のところの笹鶏は鶏肉ではない。ともかく比内鶏の名前が一人歩きしているにすぎない。そうした、地鶏信仰に便乗して、全国の畜産試験場が、様々悪乗りしている。中には土佐ジローや、東京シャモのような立派な作出もある。消費者の浅はかさに付け込むように、地鶏肉の名をつけたことが間違いの始まりだ。消費者に押されて作った農林規格がより問題を複雑化した。

赤福だ。饅頭屋さんが、あんこの再利用をするのは当たり前の事だ。ものを大切にする食べ方で、江戸時代以来の素晴しい文化だ。それを悪用した、赤福は確かに悪い。しかしケーキと違い、無駄なく再利用できる食文化がある。あった。今の法では違法なのだろう。家でやる分には構わない。変な添加物を加えるより、よほど素晴しい食文化のはずだった。消費者と生産者の距離が離れるに従って、法律と言うものが、登場する。すると、ずるがしこい奴がかいくぐる事になる。そして、金儲けの為に法を悪用する。本来、食は自己管理されるものだ。自分が食べるものは自分の目で確認するだけの努力が要る。トレサビりティーとかいって、生産者に任せているからおかしくなる。食を国に、つまり法にお任せきってしまうと。比内地鶏がまた現れることになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

養鶏場の見学

2007-08-31 05:47:29 | 自然養鶏
火曜日の午後は、見学の日にしている。色々の方が、来てくれる。今週はブラジル人の男性と、日本人の女性の方が、二人できてくれた。鴨川の方で、農的な暮らしをしているそうだ。とても暖かい印象の方達で、気持ちの良い一日になった。作っている、蜂蜜をお土産にくれた。20箱ミツバチを飼っているそうだ。ミツバチはやって見たいと思いながら、ついに手がけられない一つだ。地元久野の養蜂家宮川さんに止められたことが一番だが、躊躇している間に、10年以上が経ってしまった。やはりやりたいと思ったときに、すぐに始めないと何もできないうちに終わってしまう。見学に見えたと行っても、養鶏を見てもらうと言う事もあるが、むしろ、話を色々聞かせてもらうことが多いい。これが大抵は実に面白いんだ。今の時代に自然養鶏に関心を持つ人というのは、自分の生き方を持っている。

ブラジルの奥地で暮す小さな家族に可能な養鶏の形を、捜したいと言われる。これは面白いと思って、あれこれ方法を話した。生活から出るごみも全く違う。何をエサにするか。色々な木の実や草の実があるらしい。それは、現地で捜せば、きっと面白いことになるに違いない。いずれにしても、試行錯誤してみることだろう。アマゾンの奥の小さな集落の、輪のように広がる集落形態の話があった。中央に広場があり、それを取り囲むように、建物がある。その周りに、畑がある。そして、その更に周辺には果樹のようなものが植えられる。そして、ジャアングルに成る。家畜を飼うと言う習慣がない。そこに鶏が加わるとどうなるか。小さな集落が崩壊し、街へ出るそうだ。そしてスラムに住むようになる。世界共通の暮らしの崩壊現象。アマゾンへ行って試してみたいぐらいだが。蜂を飼う事も出来ないのだから、無理なことだ。

日本人の女性は金沢出身の方だと言うので、先週は同窓会で金沢に行ったと言う話になったら、何と大学の後輩の方だった。更に親近感を深めた。私の本を購入したのが、宇都宮書店と言う金沢の本屋さんだったそうだ。私もよく行った本屋さんだ。びっしりとポルトガル語が書き込まれていて、こんなに苦労して読んでくださったと思うと、嬉しくなる。言葉をこれで覚えたと言われる。普通に日本語を話される。すごい事だ。説明しがたいブラジルの話になると、2人でポルトガル語で話される。ポルトガル語を話される日本人と言うのもすごい。「百+1」農場と言うから、この+1が奥が深そうだ。ブラジルの話を聞いていても、文化人類学をされているのかと思った。

見学を続けているお陰で、素晴しい出会いが、今までも何度もあった。何百人との出会いをいただけた。自然養鶏の嘘偽りのない姿を見てもらいたい。ささやかなものではあるが、こうしたやり方で、養鶏をやることが可能なのだ。と言う実際を見てもらいたい。業として始めて20年になるが、それでも今だ、不可能だと言う人が居る。自分の目で見ていても、その考えを捨てようとしない。そう、有機農業を業として行う事も不可能だと決め付ける人が、相変わらず多数派だ。特殊解だと言うのだ。そうじゃなくて、むしろ自分の暮らしとしては、ずっと楽だから、自然養鶏をやっているんです。有機農業をやっているんです、と言う事を知ってもらいたい。それには、有機農業の技を、誰にでも可能などこでも応用が効く、再現可能「技術」にする事が大切だと思う。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イセ食品グループ会長伊勢彦信

2007-08-07 07:33:49 | 自然養鶏
今朝は珍しく朝寝坊した。昨夜カンブリア宮殿というテレビを遅くまで見て、興奮した為だ。幾つか自分にかかわることがあった。それよりも番組冒頭、放し飼いの鶏の卵は、イセ食品の卵より良くない。こう仕掛けられて、つい怒りで乗せられてしまった。この会長なかなかのエンターテイナーだ。一箇所に200万羽鶏を飼うという、私の考えで行けば、鳥インフルエンザ発生の総元締めのような人間だ。現実、茨城の農場では、鳥インフルエンザワクチンの不法使用の疑いで、散々調査をされた人間だ。それを、まるで他人事のように、鳥インフルエンザはシベリアで何年かに1回活性化する病気だ、などと白々しく発言していた。何故強毒化したのかに言及しないでどうする。茨城の事件の結末を見てみれば、ウインドレス鶏舎ばかりで広がり、その飼われている鶏の不健康が目立った。にもかかわらず、ウインドレス鶏舎の衛生の安全性を強調していた。トンでもないことだ。

しかし、画面は嘘をつけない、会長が鶏舎に入って撮影の間中、鳥がバタついて、すごい。めったに入らない証拠。フンほこりがやたら舞い上がっていた。他所の養鶏を批判しない。これは大切なことだが、昨夜のテレビはちょっと見逃してはいけないぐらい、悪質なデマを平気で流していた。テレビ局というものが、コマーシャルをくれる資本に弱いかの典型的な番組だ。公共の電波を使ってこういう放送が問題だ。司会をしている、村上龍という人も、まるで自分の視点を示せず、金持ちの前ではすぐ平伏してしまう、弱い感じがよく出ていた。

小学生の時ラジオから、日本の鶏が世界記録を作った。1年365個の卵を産んだ。こう流れた。これが、鶏少年だった私を刺激し、鶏改良を生涯の目標にしようと決意した、第1歩だった。何とそれをやったのは伊勢氏の父親だそうだ。50年経って知った。伊勢氏はそんな父親の元で、やっていた種鶏場に見切りをつけて、採卵養鶏業に入った。アイデアが優れていたというより、アメリカ方式をいち早く取り入れた。経営手腕は確かにいいのだろう。補助金を貰ったことはないと自慢していた。私と同じだ。絵が好きだというのも同じだが、伊勢氏は絵のコレクターでは相当有名だ。私は描くほうが好きなのだから、この違いが結局養鶏場の性格の、大きな違いにつながるのだろう。イセ食品の作る卵が素晴しい、と力説しているが、たいした卵を生産している訳ではない。当然のことだ。200万羽と成れば、自ずとその限界がある。卵を1個売ると、1円20銭利益が出る。との事だ。日本にはほぼ人口だけ鶏が居るのだから、毎日1億円市場か。このうちの1割ぐらいはイセ食品が占めているのだろう。

ますます、食べ物は自己責任の意識を持たないといけない。伊勢氏にすれば、放し飼いの卵は危険な卵だそうだ。私はウインドレスの卵は気味が悪くて食べたくない。お互い様だろう。どちらも違法でなければいいが、政府は当然のようにイセ食品についていて、放し飼いを禁止しようとする。こうした、デマのようなテレビもそれに一役買う。アメリカ人が、卵を食べなくなった為に、元気がなくなった。と面白おかしく言っていたが、卵は日に1個で充分だ。本来それ以上食べるのは偏食だ。5個も毎日食べたら、伊勢氏のようになるのか。イセ食品のような、巨大企業は更に大きくなるには、国民の嗜好まで変えなくては成らない。それは、まるでアメリカが戦後日本の食糧不足を通して、日本人の嗜好を変えて言ったのと同じだ。卵が優秀な食品の一つとは考えるが、あくまで節度を持って食べたときの事だ。
コメント (34)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥インフルエンザ緊急的中国の状況報告

2007-06-05 04:50:52 | 自然養鶏
中国では、5月26日兵士の鳥インフルエンザ感染が報道された 5月19日湖南省益陽市でアヒルの集団感染もあった。感染の拡大を防ぐ為に、閉鎖、淘汰を続けているようだ。中国に同行した2人の方が、繰り返し感染は野鳥に原因しない。と言われていた。そのように発言する、自然卵養鶏の関係者も居る。そんなことを言って貰っても、科学的事実は事実で、鳥インフルエンザは野鳥による感染がその中心である。人人感染もあれば、飼料感染、ネズミの因る感染。ゴキブリによる感染。感染の原因は一概には言えないが、鳥による感染がない、という事はありえない。ワクチンで対応すると言うのが、中国の方針となったようだ。発生が頻繁である事、国の状況でワクチン以外での対応が難しい場合、緊急的にワクチンで抑える事は、過去行われたことだから、今の中国の状況はそれに当るかもしれない。

何故、鳥からの感染を否定するのか。それは鶏の放し飼いが出来ないからだろう。あるいは、合鴨農法が白い目で見られるからだろう。切実な状況であるが、致し方のないことである。自分たちが蒔いた種だ。この病気の主たる原因は、大規模養鶏場にある。大規模養鶏場の飼育鶏は極めて、ひ弱な鶏だ。薬で管理されているから、めったな事では発病しないが、ワクチン等のない病気が起これば、たちまちに蔓延することになる。これは茨城で起きた弱毒のインフルエンザの事例でもよく分かったことだ。この発端は不法ワクチンではないかといわれているが、その2次感染、および広がり方は、恐ろしい勢いであり、人への感染も多数確認された。そしてその養鶏場は、ウインドレス鶏舎が殆どであった。わずかな病原菌でも、ウインドレスでの感染は早い。ところが、近辺の放し飼いの養鶏には発生がなかった。

この弱毒のウイルスは鶏に大きな害を与えることはない。かつての小羽数の養鶏では、ウイルスが変異するほどの感染の繰り返しは、起きなかった。ところが、30万羽のウインドレスと言う事になれば、そこでは、天文学的感染の連鎖が起こり、ウイルスが強毒に変異する可能性が高まる。怖いのはこれだ。この強毒化したウイルスは自然界にはなかったウイルスだ。その為に自然の野鳥でも、影響は受けるほどだ。自然界がこのウイルスに対応できる為には、まだ時間が必要だと思う。更に新しい感染症を生み出す前に。大規模畜産を止める以外解決の道はない。

今中国で取りうる方法は、ワクチンしかないかもしれない。現在あるワクチンは不完全な物だ。感染の完全予防は出来ない。ワクチン使用後36週は食肉利用できない。だから、日本では禁止している。それでも緊急避難的には致し方ないことだ。今回のワクチン対応は中国の衛生局の試金石になるかもしれない。朝市に於いて、農家が自分で捌いた、生の豚肉を、街の朝市で売っている。豚のほうも病気が出ているらしい。その脇で、生きた鶏が販売されている。魚も隣で捌いている。放し飼いのアヒル、鶏は幾らでもいる。この状況で鳥インフルエンザがどうなるか。実験を見ているようなものだ。2003年の発生以来この状況を続けてきて、25名の感染15名死亡と言うのは、大方の予測より少ない。鶏の感染事例も爆発的という訳でもない。中国のアヒルや鶏は耐性があるのか。たぶん、鳥インフルエンザウイルスの性質が、まだ判明していない部分がある。いずれにしても中国での成り行きを見ていることが、今後の判断には一番のようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国江蘇省鎮江市

2007-05-26 05:22:15 | 自然養鶏
中国に行くことにした。中国江蘇省鎮江市というところだ。飛行機も嫌いだし。家の毎日の事に追われている。全てをカヨ子さんがやらなければならない。それは無理なほどの仕事だ。又、それは他の人に頼めるような事でもない。困った。普通の事なら決意できなかった。私の父は7年間中国に軍人としていた。中国語も普通に話せたそうだ。軍人としては珍しく。中国人に接していたのだと思う。それは民俗学の学徒としての生き方だったようだ。中国人の人間としての本当のところを誰よりも詳しいといつも言っていた。それは柳田先生に学んだ姿勢で、中国の事を知ろうとしたからだ。と言っていた。もちろん軍人としての日々の、細かな日常は分からないが。精一杯柳田先生の弟子である誇りを持って生きようとしたようだ。敗戦の後、関係した中国の人にこの後、猛烈なインフレが起こるから、全ての金銭を、物に変える様に伝えて分かれた、と言っていた。会いに行きたい、友人や先生がいる。と話していた。不思議な兵隊だったと思う。

日本の過去行った無残な事を考えると、私が出来る事が、頼まれるような事がいくらかでもあるなら、断る事はできないと思った。しかも、今回の依頼は、中国の農家の人に直接自然養鶏を伝えて欲しいと言う依頼だった。中国の現状に対する認識は、報道の一般の範囲にとどまる。特に農業の実情に関して、殆どしらない。以前、中国に行った時は、趣味で鶏を飼う事は禁じられていた。鶏を見たかったのだが、全く出来なかった。北京動物園に、尾長鶏がいたのを子供の頃見た、等と中国の人から言われた。今は、そのいなくなっていたはずの趣味の中国鶏が、かなりの数出てきている。金魚の切手まで批判の対象になった。にもかかわらず、今は何千種と言う金魚が消えていなかった事がわかっている。中国の人の暮らし、と情報の乖離。ある中国人画家に筆の事を尋ねた。中国にはいい筆があるはずだ。いい紙があるはずだと考えて捜したのだ。ところが何と私は銀座の鳩居堂の筆だ。と言われ見せられた。しかし、実際には筆は中国にすごいものがあった。

鶏の事はどこへ言っても同じだと思っている。いい卵とは何か。食べ物はどうあるべきか。そんなことはどこでも同じ事だ。私が伝えることは、毎日やっている普通の事を普通に伝えることだけだろう。特別の事をやっているわけでもないし。誰でも出来る事だ。このことが中国の経済の中でどうなるのかと言う事は、考えれば怖い事だが、それもまた基本は同じだと思っている。人間が日々生きる。ものを食べる。それはどこへ行っても、「地場・旬・自給」が大原則だ。その私なりのやり方を伝えたいと思う。人は、100坪の土地があれば生きることが出来る。そんなことは中国では当たり前かもしれないが、気候的に違うのかもしれない。しかし、伝えられる事はアレンジしないほうがいい。そうした自給的な暮らしに鶏が合理的なこと。

鎮江市との間では、日中の農業共同計画が進んできたようだ。私の役割は実践的技術を伝えるという段階のようだ。どうも、計画では自然養鶏が実践できるように、度々行くことになる。しかし、それは現実として無理な事なので、一回で全てが伝わるように、して来たいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強制換羽の是非

2007-04-29 06:13:15 | 自然養鶏
笹鶏の孵化はお陰さまで順調に進んできた。今年は雛鶏の孵化に集中できず、不安の中で進んだ。だから、今年は私がやったというより、カヨ子さんが殆どを行った。一番難しい、育雛舎の床も最後の物は初めて私がやらなかった。何とか無事切り抜けたのは、幸運だった。今年は何故か、ネズミが大量に発生していて、ヒヨコが初めてやられた。可哀想な事をした。何とか穴を塞いでしのいできたが、簡単な事ではない。どうも周辺の環境バランスが崩れているように感じられる。暖冬の結果なのか。餌の問題なのか。観察を強める必要がある。そうしたことに関連するのか。カラスの100羽ほどの群れが現われて、周囲をいつもうろついている。ヒヨコが狙われたと言う事もないのだが、ネズミを食べているのか、餌もないところで、地面に降りている。

自然卵通信に名越さんの考えとして、強制換羽の有効性が書かれていた。以前から、これは危険なことだから、止めるように私は主張してきたので、名越さんが、強制換羽を評価している事は、全く意外だった。自然養鶏は行う者の個性によってそれぞれに総合的な形で出来上がっているので、単純に他の人の考えや、方法を取り入れないほうがいい。先ず自分なりに咀嚼して、可能性があると感じた時は、先ず実験と観察から始めなければならない。強制換羽とは、産卵期間を延ばす為にできた技術だ。例えば、産卵を始めて、13週目で産卵が落ちて来た場合。そこで餌を1週間ほど与えない。体重を20%から30%落とす。すると鶏は羽を抜け換わらせる。卵輸管という器官の萎縮が起こると、と養鶏書には書いてある。その後産卵を再開し、又、若鶏のような卵を産むようになる。という技術である。

鶏にとって何が、好ましい事はどんな事なのか考える時は、野鶏の自然の状態を想像して見る。鶏が1週間も餌を食べない事があるだろうか。あるぞ!なるほど、ヒヨコを孵化する時はそのくらい絶食する。どうもこれと関連している、のではないか。就巣性が産卵鶏は取り除かれている。本来、産卵を春先行い、鶏は巣につく。そして、絶食して雛を孵化する。これが自然の雌鶏の姿だ。これを再現してやるとするなら。このことは合理性がある。しかし、私のところの笹鶏のように、就巣性が少しあり、休卵期間が存在する場合は、又違う要素を考慮しなくてはならないだろう。鶏の持つ産卵のサイクルにあわせて管理を考える必要があるのだろう。巣についた鶏の別飼いは今も行っている。餌をやらずに、1週間ほど置く。これはいい方法かもしれない。試して見る必要がある。

しかし、鶏本来の習性を取り除いた品種改良を行った結果から、取り除かれた絶食期間を、もう一度、人工的に再現してやるというのは、なにやら不思議な方法とも言える。強制換羽を動物愛護団体が、動物虐待だと指摘するので、これを切り抜けるために、食べてはいるが、身に付かない餌と言うのも、開発されている。普通に食べているようだが、栄養にならない餌だ。飼料中のナトリウムレベルを下げ、亜鉛やヨウ素を上げる餌だそうだ。こうなると、流行のダイエット食のようで、なにやら、人間の姿がダブってくる。20%から30%ダイエットさせる技術。80キロの人が、60キロぐらいになるなら、そんなものか。だとすると、すでに痩せこけている、我が家の鶏には、やはり強制換羽は不要な技術だろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中日農業先進実用技術普及会

2007-04-06 05:47:08 | 自然養鶏
昨日農文協より、中国江蘇省鎮江市「中日農業先進実用技術普及会」ご参加のお願いというものが、届いた。全く予想しなかった事なので、ビックリした。中国には行ったことがある。もう20年も前になると思うが、春日部洋先生と、絵を描きに行った。桂林へ漓江を描きに行った。2週間ほどの旅行だった。独特の景観で、なるほど水墨画と言うものが、こういうところから出て来ているのか。と言う事は良く分かった。この時は、春日部先生のお陰で、随分好待遇で、ホテルでは一番良く見える部屋で、描かせてもらえた。あのホテルのあの部屋で描きたいとか。あの家の屋根の上で描きたいとか、我儘邦題でご迷惑をかけた。ともかく筆を、山ほど買い込んできた。1本10円くらいで、山猫の筆とか、何とかヤギのひげの筆とかが買えた。今も大切にしている。向こうで、お会いした水墨の大家の方に、どんな筆をお使いですか。こうお聞きした。銀座の鳩居堂のものです。そう言われて、見せてくれた。

今回のものは、自然養鶏技術の講演と言う事らしい。私のやっている事が役に立つならば、是非とも行きたいと思っている。今まで、海外の方では、タイの山岳民族の方。韓国の方。インドネシアの方。などが見えたことがある。しかし、そのときも感じたのは、各国おかれた状況が違いすぎて、もし私がタイで養鶏をするなら、きっと随分違った養鶏になるだろうと。自然養鶏は、その地域地域での状況に応じるところが特徴だから当然だ。例えば、食品残渣はどの国でも出るだろうが、内容は違う。この違う物をどう使えばいいのか。この辺りは、慎重に考えなければ、とんでもないことになる。飼料の基本と成るもの、例えばおからのサイレージは不可欠と考えている。乳酸菌の増殖だ。これに変わるサイレージ向きの廃棄物が条件良くあるのかどうか。

好気醗酵には米糠とか、フスマとかが、格安に手に入らなければ成らない。その上で、害にならない、例えば、鰹節のような良質の蛋白があるのか。緑餌についてはどうなんだろう。草はふんだんに生える気候なのか。放し飼いにする資材は大丈夫か。具体的に考えても、それは様々だけれど、背景になる考え方のほうは、通じ合うのだろうか。地場、旬、自給の精神とか言っても、これはどうなんだろう。技術はその裏付けになる、考え方が通っていないと、おかしなことになる。日本に押し付けられた、有機JASの規定など、日本の農業を良くしているとは、とても思えない。中国という国は大きくて多様で、考え方も能力の種類も共通な感じが余りしなかった。経済的な状況の違い、これも大きく養鶏に影響する。タイではケミと言って化学肥料を使ったと言う事で、付加価値が感じられるという話があった。子供の頃よく言っていた、金肥というのだろう。

それでも、役に立つなら協力したい気持ちは山々だ。古代以来日本の文化技術あらゆる物を、中国から学んだ。今は、経済進出という形で、日本資本の工場がかなりあるのだろう。これはよくないことだと考えているが、20年前も大歓迎と、中国政府の人は言っていた。庶民はどうだろう。いずれにしても、中国という国が、これからの世界の命運を握っているようなものだ。中国人が、アメリカ人と同じような暮らしをするようになれば、世界に食料はなくなる。今その道を着々と進んでいる。卵とか、飼料とか、現物の持ち込みは可能なのだろうか。農文協で作ってくれたビデオは持ってゆく必要があるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うかたま

2007-03-31 07:00:33 | 自然養鶏
「うかたま」農文協の雑誌だ。午後に取材にみえた。以前、営業で見えた女性が、今度は取材に見えた。以前営業に見えたときも、大変熱心な人で、実は驚いてたので印象に残っていた。農文協では、聞いた事も無いので解らないが、たぶん、入社すると新人を全て、全国の農家の基に派遣し、農家というものを体感してもらおうと考えているのだと、想像している。だから、若い人が、農業なんて何にも知りそうも無い若者達が、「現代農業を定期購読しませんか。」などと全国を歩いているのだと思う。これは雑誌作りの原点として、とっても大切な精神だと思う。農文協の出す、雑誌を読んでいて、そう思っているのだが、間違った想像だろうか。農家の現実を知るには、営業で歩くと言うところがいい。私もくず米をお願いしながら、農家を歩いて、あしがら地域の農家の事を知った。

「うかたま」は農文協初の若い女性向きの雑誌だ。これがいい内容なのだ。いい歳をした親父だけれど、ちょっと読んでしまう。食農教育もいいし、農文協の雑誌はレベルが高い。内容が濃い。しかし、売れるというのは又別だから心配はしていた。大き目の本屋さんに行って、売れてそうな雑誌を眺めて見ると、装丁だ。内容というより、活字の組み方や、並べ方だ。独特のなんていえばいいだろう、今風のデザインだ。これはもう別世界なのだ。紙質も凝ってる。紙は興味があるので、色々チェックはしてるが、ページでの使い分けセンスが思い切って違う。字体も進歩した。使える字体が加速度的に増加した。一字一字活字をデザインした時代とどうも違う仕組みで、字体が新しく作れるようだ。百姓関係がダサイ。という訳じゃないけど、ダイジョウブカイな。じつはJAの出している「家の光」と言う雑誌も女性向に変貌している。びっくり、おしゃれな本なのだ。

農文協とは出会いが良かったのだ。大昔渋谷で画廊をやられていた。詩人の和田敏文さんが農文協から、彫刻家木内克の本を出した。へぇー農文協から何でという話で、農文協の事を知った。おもしろい出版社だとおもう。思想があるのだ。思想があるのは、経営上大体にまずいものだろうが、続いているので、上手くやっているのだろう。現代農業の内容も随分変貌してきている。以前は農薬会社の雑誌か、といいたくなる時もあった。最近は、これで大丈夫かと心配になるぐらい、市民感覚だ。プロ農家の読者は減ってるんじゃないかな。プロ農家はそもそも本読んでる暇無いかな。

そうだ「うかたま」はなんだろうと前から思っていたので、お聞きした。どうも「食魂」ということらしい。難しい名前を付けたものだ。「浮かれたこころ」とか、「ふかふか卵ご飯」とかの方がまだ連想が近い。うかが「うく」から来ていて食すと言う事らしい。お米を食べると言う事が魂に結び付いた行為という。柳田民俗学そのもののような、まさに言霊でありがたいが、相当力が入った言葉だけに、心配は大きい。心配のもう一つは種切れだ。家の光も、内容が繰り返しが多い。今風のアプローチとなると、意外に間口が狭くなる。ファッション誌がオピニオンリーダーであるように、食に関する新しい、若々しい接近の仕方が生まれて、食の新たな展望が開かれる事を期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クマ鷹の鳥インフルエンザ

2007-03-21 07:14:16 | 自然養鶏
3月に入れば、一応収まったと思って安心していた。やはり今回のウイルスも韓国からの、渡り鳥あるいは、迷い鳥による感染が、原因の発端だった事はほぼ特定できたと思う。更に3月に入り、韓国でまた再発があった。これは厭な情報だと思っていた。どうも、韓国での自然の動物の感染が濃密に成ると、暖かくなったからと言って安心は出来ないなど考えていた。そこに驚くべきニュースが発表された。

熊本県相良村で発見された野生のクマタカから、鳥インフルエンザウイルスが検出された。クマタカはメスの成鳥。今年1月4日、同村の林道で衰弱した状態で発見された。これが未発表だった。ほぼ収束されたと見られる、2ヶ月以上たった今になって、環境省は公表した。この卑劣なやり方に、実は全てが見えて来る。この事実の重要性を理解していない訳ではない。一方で、野鳥を幾ら調査しても、糞からも、ウイルスの検出が出来ない。こう言いつづけたのだ。クマ鷹の感染は、実は重要な事実を推測できる材料だった。これを隠していたとは、養鶏をするものを欺く、許しがたい欺瞞だ。

クマタカの生態は、解明されているわけではないようだ。鷹という名称だが、れっきとした鷲らしい。どんな物を食べているかといえば、肉食だ。ネズミや、ウサギや他の鳥を食べる。渡りもするようなことを書いてもあるが、一定範囲の縄張りを持ち、定住しているとする考えの方が普通だろう。韓国から飛ばされてきた。野鳥を直接食べたか、間接的にそれを食べて感染したネズミでも食べたか、と推測される。今回の事は自然界での感染の姿を良く表わしている。1月4日と言うと、11日宮崎県清武町の養鶏場で発生した事例と、ほぼ同一の原因と考えられるほど重要な情報だ。韓国から飛ばされるとすれば、暮れから正月にかけて、前回の事例とほぼ同様に思われる。問題は日本の自然界に常住しているのかどうか。これが大きな分かれ目だが、1月に解っていた情報を隠した為、もう3ヶ月以上もたった今、熊本相良村を調べたところで、手遅れだろう。

日本の自然界に強毒ウイルスが常在しているとは思いたくないが、無いとは言えない。これによって、今後の対応は変わってくる。今思えば、今回の発生はクマタカから始まった訳だ。この情報を隠して、その後の対応を養鶏場に強制したのは、違法行為だ。この時点では、韓国から帰国した人からの感染や、飼料からの感染、出入りの車の問題。そうした消毒と、混乱した対応を取ったことになる。もしこれが、熊本のクマタカの事例が出ていれば、野鳥あるいは、ネズミによる感染の拡大を集中的に対応出来た。更に、自然界に常在するかどうかの調査を、すぐ行うべきだった。相良村から、清武町まで100キロぐらいか。関連が深いと考える事ができる。自然の詳しい調査が行われる必要がある。自然界に常在しているかどうかは、今後の重要な判断材料になる。と言っても自然界の調査など不可能ともいえる、地道で長期的な展望の必要な作業になるだろう。学問の重要性はこうした状況で切実に成る。野鳥の渡りの状況が把握されていない。クマタカほど貴重な野鳥の生態すら明確にはつかめていない。自然に対する学問、直接お金にならない学問はまだ、まだ、情報不足だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする