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287 水彩画 日曜展示

2025-01-26 04:03:26 | 水彩画
 287 水彩画 日曜展示








657「睡蓮池1」
2025.1 15号







658「睡蓮池2」
2025,1 15号









659「睡蓮池3」
2025,1 15号










660「睡蓮池4」
2025,1 15号








661「睡蓮池5」
2025,1 15号


 睡蓮池を初めて描いてみた。思しいとはずーと思ってみていたのだが、絵にするという所まで内部化できていないと思い、描かないでいた。だから睡蓮を描いた初めての絵から順番に、1番から5番までである。睡蓮池は3つ今あるが、どの池というわけでもない。

 写生で描いているわけではない。よく見て描くという人は多いのだが、絵描く眼で睡蓮池を観たことはない。田んぼをやりながら、草刈りをしながら、いつも見てはいる。日常のものとして、頭に入り込んだらば描けるかと思って待っていた。

 待っていてもそんな気にはならないので、思い切って始めてみた。さてどうなるのか楽しみであったのだが、現在5枚目だが、1枚目よりは睡蓮が見えてきたような気がする。ああ池を見ながら描けば簡単なのに、という気持ちもないではないが、そういうのはもう止めたのだ。





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286 水彩画 日曜展示

2025-01-19 04:16:59 | 水彩画
286 水彩画 日曜展示







652「菜の花」
2025.1 中判全紙










653「とうまた田」
2025.1 中判全紙









654「田の字の田んぼ」
2025.1 中判全紙









655「土が見える。」
2025.1 中判全紙









656「入り江」
2025.1 中判全紙




 難しい一週間だった。なんとか5枚描いたのだが、ギリギリのところだった。絵に集中はしているようだが、絵が進まないそれで無理して進めているところがある。北斎の日々の一枚はこう言う時は何を描いたのだろうか。

 ノボタン農園のため池を描きたいと思っている。描きたいのにそれが描けないで、他のものを描いているらしい。描けなくてもため池を描いてみるべきなのかもしれない。なぜ描けないかといえば、複雑な水面の様子を見ることができない。

 見えないものを描くと、移すことになる。見えるようになるまでまとうと思っていて、描かないでいる。描くことで見えてくることもあるかもしれない。モネの目ではなく、自分の目で睡蓮池を見ることができないのに、描いていいものだろうか。



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285 水彩画 日曜展示

2025-01-12 04:25:33 | 水彩画
285 水彩画 日曜展示






647「おおさと」
2025.1 中判全紙








648「しげみ」 
2025.1 20号








649「きりさめ」
2025.1 8号








650「しま」
2025.1 8号







651「すすき」
2025.1 8号


 昨日の朝は13度まで下がった。石垣島で一番寒い時期ではないだろうか。寒かった性ではなかったのが、絵がなかなか描けなかった。構図が採れなかった。それで絵の前で呆然としている時間が長かった。

 絵は何を描くかが決まれば、すぐに進む。頭の中に絵が出来上がって行く。出来た絵を画面に描いて行くことは、どんどんはかどる。絵は最初の頭の中のものとは、変って行く。実際に描いた物が、絵を導いて進めてくれる。

 何を書くのかが不明瞭な場合は、進めた画面で止まってしまう。昔ならこう言うときは描かなかったのだが、今はそれでも描くことにしている。出てこない何かをひねり出すように描くことにしている。それはちょっと苦しいのだが、無理にでも描いている。

 色々考えなければ成らないことが多くてそれが災いしているようだ。それでも描いた絵を日曜展示で並べてみた。どうだろうか。何か出てきているのだろうか。ダメでもいいのだが、次の方角はこの絵の中にあるのだろうか。


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284 水彩画 日曜展示

2025-01-05 04:15:45 | 水彩画
 284 水彩画 日曜展示







642「アンパルの田んぼ」
2025.1 中判全紙








643「とうまた田」
2025.1 中判全紙








645「宮良川」
2025.1 中判全紙








646「のぼたん農園」
2025.1 中判全紙

 
 今週も精一杯描いていたつもりだったが、4枚しか描けなかった。正月の性にも出来ない。縦型の構図の絵を続けて描いてみたのだが、これで一応は終わろうと思う。それなりに学んだのだと思う。25枚くらい描いたのだろうか。展開は自分の中ではあったと思うのだが、何か成果がと言うほどではない。

 構図というものはないほうが良いと思った。決まったものがなくデタラメなほど、絵を描く面白さが増して来る。予想外のデタラメな構図の方が面白く自分が出てくるような気がする。ただ自分がどう出るのかで非常に苦労をする。この苦労の感じが絵を描くと言うことかも知れないと思った。

 今日からどう書くのかもまるで分らないが、枠を作ることは良いことと思うので、絵の前に座り、引き出されてくるものに従うことになる。縦構図の25枚に意味があれば、どこかで表れることだろう。絵は全く未知数だ。自分という存在に近づいて行くように精一杯やってみるつもりだ。




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283 水彩画 日曜展示

2024-12-29 04:24:32 | 水彩画
 283 水彩画 日曜展示








636「とうまた田」
2024.12 中判全紙









637「とうまた田」
2024.12 中判全紙










638「とうまた田」
2024.12 中判全紙









639「宮良川」
2024.12 中判全紙








640「とうまた田」
2024.12 中判全紙







641「宮良川」
2024.12 中判全紙


  苦労して描いた方の1週間だった気がする。とうまた田はとても面白いのだが、描くとなるといつも分らなくなる。筆が止まる。宮良川はすぐかけるのだが、それでいいのかどうかは疑問が残る。ただとうまた田の絵の先には何かあるような気がして、繰返し描いている。

 とうまた田は以前は英太郎さんの田んぼと題を付けていたのだが、先日いただいた崎枝75年史の中に、とうまたと言う地域の話がのっていた。それでここのたんぼをとうまた松の田んぼと呼んだ方が良いと言うことが分った。とうまたは地名だったのだ。

 田んぼを上から見ている。地面に描かれた不思議な区画が面白い。その田んぼの水面が今は水が張られて光っている。そして雲が写る。木の影が映る。水位が下がって地面が表れたところもある。どの状態も面白いし、心当たりがある。絵を描く合間に、田んぼでコロガシをやっていたので、足のぬめる感触まで分る。絵を描くときは田んぼをやるように。





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百万塔陀羅尼を見に行く。

2024-12-23 04:16:03 | 水彩画




 「百万塔陀羅尼経」現存する世界最古の印刷物と書かれている。印刷年代が明確になっているものとしては、世界最古の印刷物とされている。奈良時代中期に100万の木造の塔を作りその中に、陀羅尼経を木板か、銅板で紙に印刷した。小さな塔の中に収めたものである。

 この文字に衝撃を受けた。素晴らしく強い文字である。写真の2つのものは印刷博物館にあるものと、国立博物館にあるものである。同じ版だと思われるが、国立博物館のものの方がいい。これが100万部刷られたのだ。一枚の版木で1万部ぐらいは刷ったのだろうか。仏教信仰の強さを感じる。

 現存する世界最古の印刷物説は少し疑問を感じる。そもそも紙は紀元前2000年頃にエジプトで生まれた。パピルスによる紙の一種である。パピルスの茎を裂いて縦横に隙間なく貼り合わせ、板状に薄く伸ばしてつくった紙のようなものである。

  その紙にアラビアゴムと墨の粉を混ぜたもので、文字を書き付けている。人の顔なども描かれている。ピラミッドから出土している。それが世界最古の水彩画と言われているものである。水彩画の保存性は桁外れによいものなのだ。しかし、パピルス紙には耐久性と細かな描写に問題があった。

 植物を繊維に戻してすき直すということがされていない紙である。その後ヨーロッパでは、緻密な表現が出来る、羊の皮を石灰水でなめして平滑に仕上げた羊皮紙が用いられるようになる。細密描写までできるようになるが、定着のために乾性油が使われるようになる。


 一方中国で「紙」が発明されたのは、中国の後漢時代105年とされている。木の皮や麻などの植物繊維を砕いて抄いた今の手漉き和紙と同じ物になる。書写のための画期的な材料であることが認められ普及する。現代につながる製紙技法である。現代の紙とほぼ同じである。

 陀羅尼経にはその紙が使われることになる。文字には奈良時代の人間の強さが籠っている。手書きの文字よりも版にされた文字の魅力が詰まっている。作られた思いは鎮魂である。称徳天皇が道鏡を重用したことを不満に思った藤原仲麻呂が、排斥を要求するクーデター(恵美押勝の乱)を引き起こす。双方に大勢の死者が出た。

 これを悼んだ称徳天皇が770年に、供養と平和祈願のために勅願し製作したものが百万塔。6年の歳月をかけて高さ20㎝足らずの小さな三重の塔を、ろくろ回しで、百万基もつくり中に陀羅尼経を納める。地元・奈良のお寺を含む近畿地方の国分寺(10大寺)に、それぞれ10万基ずつ奉納したものが百万塔陀羅尼経である。

 「百万塔陀羅尼経」は、その木造の小さな塔のなかに収められていた教文である。残念なことに、現在残っている塔は法隆寺に安置された分だけである。それでも4万5千基以上あり、陀羅尼経も約2千巻が確認されている。この2千を比較すれば、版木の疑問は解くことができるはずだ。幅5.4㎝ほどの小さな巻紙である。

 陀羅尼経の経文は自心印、根本、相輪、六度の各陀羅尼経がある。そのうち最も長いのは根本陀羅尼経で長さ51.5㎝、最も短い六度陀羅尼経でも長さは27.2㎝ある。そこに1列5文字の経文が整然と印刷されている。これを100万作ったというのだから、天皇が心から国の平安と死んだ人々の追悼の念を抱いていたことが分かる。

 用紙の材料としては麻、黄麻、殻(かじ)の3種類を使っていたと考えられている。問題は版の材質が未確定な点だ。当時の技術レベルから木版を使用していたと考えるのが自然だと思うし、文字を見るとその調子から銅板ではないと見えた。しかし、再現のビデオを見て成るほど銅板なのかとも思えた。

 紙の製法は610年に高句麗を通して日本にも伝えられた。陀羅尼経の紙は日本で作られた紙ではなく、中国か朝鮮から来た紙の可能性が高い。現在ある和紙は、この中国紙を改良したものだ。紙というものは伝わりながら、その民族の感性を反映するものだ。

 西方へは、重要な東西交易路だったシルクロードを通って伝搬してゆき、モロッコを経て、12世紀の中頃にヨーロッパ本土に入りスペイン、フランス、イタリア、さらに15世紀になってドイツ、イギリスまで製法が伝わる。ヨーロッパが紙を知るのは随分遅かったのだ。
 
 中国では墨を塗った仏像に紙を乗せて摺る擦仏という方法を生む。木版印刷の始まりでした。8~9世紀頃(唐代)に、仏の姿が生き生きと描かれている「金剛経」(868年)がつくられているのをはじめ、数多くの仏教経典の作成にこの印刷術が盛んに活用された。

 古いものが残っていないとしても中国で最古の印刷物が出来たのは間違いないことだろう。朝鮮では銅板活字による印刷が生まれ、大量の経典が印刷されている。日本の百万塔陀羅尼はそれを真似て作ったと考えた方が良い。朝鮮の人が招聘されて作った可能性もある。これも印刷博物館に展示されている。

 凸版印刷にある、印刷博物館に行き百万塔陀羅尼経を見せて頂いた。江戸川橋の地下鉄の駅から、10分ほど歩いた。風が冷たかった。なかなか立派な博物館だったが、驚いたことは70歳以上は無料ということだった。500円が無料になるということで、年を取るとありがたいこともある。

 ミュージアムショップもあり、陀羅尼経の写真を写したものが、あるかと思ったがなかった。たくさんのコレクションに関する冊子は出ているにもかかわらず、そこにも一切掲載もされていない。この博物館の学芸員が、興味がないということなのだろう。あぁーわかっちゃない、残念。

 どうしたらいいかと思っていたら、写真撮影は自由ですから、写してくださいということだった。ただ当然暗いし、光線も撮影には不味い角度だった。それでも何もないよりはいいと思い、あれこれ写させてもらった。ともかく私には興味深いものなのだ。

 展示とともに、想定される版の作り方のビデオが見れるようになっている。まず木版を作り、それを砂型で型取りをする。真鍮での鋳造とある。確かに木版をさらに砂型で型を取るところで、2次的なものがさらに複製になり、それが面白い字を作り出している可能性があるか。

 しかもこの場合、木版の版木自体が、印刷物を模したものであるから、何重にも複製である。この複製を繰り返してゆくことで文字が独特なものになり、人為を離れた面白いものになってる可能性がある。筆で描くことで、人の意図の強いものだったものが、何度も繰り返し複製することで、別次元のものに変わってゆく。それが強さになった。注目に値する。

 しかし、のちの世に作られた経文の版木で刷られたものはまるで面白くない。いかにも筆文字をなぞったという所が詰まらないのだ。やはり奈良時代の素朴な文化を反映した、アルカイックスマイルのような魅力が、百万塔陀羅尼文にはある。これがやはりいいのだ。工芸的ではあるが、民藝の魅力に近いものだ。

 実用の美である。100万部印刷するための実用の美が、文化とまだ結びついた時代が飛鳥や奈良と古い時代にはあったということなのだろう。素朴であるが、絶対的信仰心が存在している。奈良の大仏を作ろうとした情熱。同時に百万の教文を収めようという情熱。日本人の信仰心を考えさせるものだ。

 芸術というものの根底にはこうした、絶対的信念のようなものがなければならないのだろう。近代芸術は疑いから入る。悩みから入る。信ずることから入るものの強さを思い出す必要がある。もう一度芸術の原点を考える必要がある。

 百万塔陀羅尼教文からは学ぶところは大きかった。信じて書かなければあの文字は生まれない。悩みはない。ただ立派なものを作り、仏に使えようとしただけだ。そのことがこんないいものを生み出すのだ。間違いなく100万部刷られたのだから、これは目を見張るものだ。

 
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281 水彩画 日曜展示

2024-12-15 03:54:37 | 水彩画
281 水彩画 日曜展示







622「アンパル」
2024.12 中判全紙






623「アンパル」
2024.12









624「アンパル」
2024.12 中判全紙








625「のぼたん農園」
2024.12 中判全紙








626「白水睡蓮」
2024.12 中判全紙









627「やらぶ」
2024.12 中判全紙








628「シーラ原」
2024.12 中判全紙


 今週は1回目の田植えが終わり絵を描く時間が長かった。何とか日々の一枚になった。絵の形は縦型にした。意識したわけではないが、しばらくこの形を描いていなかったこともあって、始めたら面白くなった。縦型の風景画は緊張感が出てきて面白い。

 面白すぎて困ることもある。どう描いても収ってくれる。形の緊張感が自由を与えてくれる気がする。縦の動きを追って行くと自然に収まる。別段良い構図にするとか考えたことも無いので、ただあれこれ描いているだけなのだが。

 もうしばらく同じ縦型のm型の中判全紙でやってみたい。どういうものが自分からでてくるのか楽しみである。どうなるかは分らないが20枚くらいは続けてみたい。果たして出来るだろうか。できれば3週連続になる。そうしたら少し日本の掛け軸型が分るかも知れない。


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281 水彩画 日曜展示

2024-12-08 03:57:58 | 水彩画
281 水彩画 日曜展示






619「宮良川」
2024.12 中判全紙








620「シーラ原」
2024.12 中判全紙







621「やらぶ」
2024.12 中判全紙








622「赤花」



 小田原に行き絵が描けなかった。残念だった。秋の小田原の景色は新鮮だった。戻ってから描いた。田植えが今日なので、その準備をしながら、すこしづつ描いた。このところ身体を酷使して、働き続けていて疲れ気味である。辛いのは今日までだと思う。

 田んぼをやるときは絵を描くように、絵を描くときには田んぼをやるように、これは心掛けている。田んぼと絵は繋がっている。同時に出来ないはずが無い。むしろこの状態が良いはずだと思って絵を描いている。田んぼをやるときに絵のような田んぼをやりたいと思う。

 身体が疲れていると言うことは絵を描くことに良くないとは思わない。絵を描くときには農作業のように身体にまかせて進める。絵は出てくるもので作るものだとは思わない。自分の何かが出てくるのだから、自分に任せるいがいにない。



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280 水彩画 日曜展示

2024-12-01 04:08:09 | 水彩画
280 水彩画 日曜展示







615「のぼたん農園」
2024.11 中判全紙









616「とぅまた田」
2024,11 中判全紙







617「のぼたん農園」
2024.11 中判全紙








618「とぅまた田」
2024.11 中判全紙



 今週は615番の「のぼたん農園」だけが描いた絵だ。ちょぅっと残念なことだ。描けなかった言い訳はいろいろあるが、そんなことは言っても仕方がない。仕方がないので、前から残っていた絵を加えて掲載した。何故残ったのかわからないのだが、記録が絵の裏に書いてない。もしかしたら一度過去に掲載して書き忘れた絵かもしれない。

 絵が変わり始めている気がする。それはいいことだと思ってはいるのだが、絵を描く速度が落ちている。なかなか次の反応ができない時間が長い。考え込んでしまう。無意識で描いて居るので、意識して反応を進めることはない。すると何時間も何もしないでいることがある。

 こういう状態は久しぶりかもしれない。別段絵に苦しんでいるわけではなく、茫然としているような具合だ。小田原に来て描いても同じかどうか、篠窪に行って描いてみたい。何か楽しいような気持ちになってきた。しばらく天気は良さそうなので、寒くはないだろう。

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全国スパー銭湯巡り

2024-11-30 04:44:31 | 水彩画



 日帰り温泉巡りをしたい。今度の写生旅行は日帰り温泉巡りにしたいと思っている。どこに行ってもできる限り日帰り温泉があれば入ることにしている。サウナに入れば、絵を描いた身体と頭が回復するからだ。一ヶ月旅行期間があるとすれば、30の日帰り温泉に泊まれる。

 日本日帰り温泉マップ「ゆるーと」というものがある。そこにサウナがあり、泊まれるかどうかなども調べられることになる。今や日本全国どこに行っても近場に日帰り温泉施設がある。サウナは大抵の所にある。大きな駐車場が有り、車も止めておけるところもある。

 ここで行く気になっ立つ森で、スーパー銭湯を記録しておく。自分用である。行くときにこのページを見れば、次にゆく場所がすぐ探せるようにする。一応は作ったが、この後も時々見ては、それが楽しいのだが、書き換えてよりよいものにして行く。

 まず、福岡に着いたならば福岡港に行き車を受け取る。そのまま糸島にある「伊都の湯どころ」に行く。糸島は朝の連ドラらしいが少し見てあまりにくだらないので、見ていないのでよく分らない。そして次にゆくのが、「玄海海上温泉パレア」加部島など描きたいところが多いので、しばらくいるかもしれない。

 そして平戸。平戸では「平戸タビラ温泉サムソンホテル」がいいようだ。「ハウステンポス温泉」まで行くことになる。それ程の距離はないので大丈夫だろう。そして、島原半島の「YUKULU]稲佐にするか、あるいは「稲佐山温泉ふくの湯」「アークランドスパ」に行く。アークランドスパは宿泊も出来るようだ。

 島原から阿蘇に向かい「七城温泉ドーム」に行く。そこから高森にある「月廻り温泉館」ここからなら阿蘇が存分に描けることだろう。高千穂も描きに行くつもりだ。そこから天草に行く。「スパ・タラソ天草」九重に行く。「九重やまなみ牧場牧場の湯」

 九重から湯布院を通り、別府の「ひょうたん温泉」にゆく。そこから国東半島に行く。「中津スーパー銭湯さくらの湯」からいよいよ九州を出て、下関に。「下関せいりゅう温泉」和布刈山から又描いてみたい。周防大島に向かう。瀬戸内海の景色を描く。

 周防大島では「竜崎温泉千鳥」がある。秋吉台を描いてから、津和野に向かう。「願成寺道の駅温泉」津和野では永明寺に萩野先生をお参りする。日本海沿岸を北上するように浜田に向かう。「湯谷温泉きんたの里」による。出雲市に出る。「白山温泉」に入れて貰う。

 松江では宍道湖を描いて米子にある「おーゆランド」にゆく。ここでは宿泊も出来る。ここから大山に向かい真庭市の蒜山高原にゆく。「蒜山やつか温泉 快湯館 」大山を描いてから、真庭市に向かい醍醐のさくらを描く。

 日本海沿いに進んで、「絶景温泉北前館」ホテルからも描けるかも知れない。そして丹後半島に向かう。伊根の舟屋を又描いてみたい。そして、舞鶴に行く。「高雄光の湯」そして福井に向かい小浜町「若狭おばま濱の湯」にゆく。昔美術部で絵を描いた、若桜町美浜町をまた描きたい。

 勝山に行く。「法恩寺温泉 ささゆり」そのまま白山の方に出る。「はくさん比咩の湯 」白山を描くと言うより、手取川を描きたい。そして、「白山インター満点の湯」ここの4階からは白山が描ける。前もって頼まないとならないだろう。

 内灘にある。「天然温泉 湯来楽内灘店」にも行く。能登には行けないので、そのまま富山に行く。「サウナトロトヤマ」は良さそうなサウナがある。そこから立山方面に「舟橋・立山天然温泉湯めごこち」そこから糸魚川に出て、妙高に向かう。「うみてらす名立」ここから北信五岳を描く。「神の宮温泉かわら亭」

 牟礼に出る。「むれ温泉天狗の館」ここでリンゴの果樹園も描きたい。田ノ原湿原にもいって絵を描きたい。そこから、渋峠ホテル標高2015mにある。泊まって絵を描く。ここでゆっくり描ければすごい。そして浅間方面に下って、草津温泉「大滝の湯」にゆく。軽井沢に向かい浅間山を描く。

 戻るように安曇野に出る。「安曇野シャクナゲの湯」安曇野から御嶽山を描きに開田高原にゆく。「ビュー御岳」が部屋から御嶽山が描ける。塩尻にある「信州健康ランド」、次に八ヶ岳を描く。「八ヶ岳グレイスホテル」八ヶ岳を描く。

 そこから甲府盆地に進み、いつも行く「スパランドホテル内藤」出来れば甲府盆地をじっくり描きたい。これで数えると36になる。これだけでかなり長い旅になりそうだ。小田原に出てから、車を東京港に持って行き送り出す。そして自分は飛行機で帰る。
 
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279 水彩画 日曜展示

2024-11-24 04:08:56 | 水彩画
 279 水彩画 日曜展示








610「鳥海山」
2024.11 二号









611「リンコステルス」
2024.11 二号










612「下田」
2024.11








613「のぼたん農園」
20243.11 中判全紙








614「のぼたん農園」
2024.11 中判全紙



 石垣島も夜の気温が21度まで下がった。冷房を入れなくても寝られるようになった。海の色がいつの間にか変った。あの珊瑚礁のブルーの海はもうない。今週は静かに思い出しながら絵を描いていた。また生きたいと思う場所を描いた。

 のぼたん農園も描いているのだが、見て描いているような見ていないで描いているような。絵だけでのぼたん農園を想像するとしたら、どんな所だと想像するだろうか。全く似つかないもの図柄ではあるのだが、のぼたん農園の空気は感じて貰えるような気がする。

 最近明るい絵が描きたい。また絵が明るくなってきたとも思っている。藝術は人間の救済だと思うようになったからではないか。自分の救済でもあるのだが、絵は見るひとに明るい方角を示すようなものだと思うようになった。私が中川一政の絵を見て、絵を信じて良いと思ったようにだ。
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昔の写生地旅行を計画する

2024-11-22 04:26:07 | 水彩画


 旅行に行きたくて仕方がない。特に台湾に行きたい。つまらないことで台湾に行けない。石垣から台湾航路ができるという話が繰り返し出てきて、楽しみに待っている。石垣ー台北の飛行機が再開されるというので、それもまた待っている。待っていて行けない。別にないと思えば遠回りもできるのだが。

 あったことを考えると、再開されたらぜひとも行こうとついつい思うのだ。それならばその前に、アトリエカーで日本国内を旅行したいとおもうようになった。稲刈りが終わる4月から5月の良い季節に回れればと思う。連休中の込む季節は小田原にいればいいわけだ。

 日本全国車で写生をして歩いていた。描きたいという場所で車を止めて描く、それを繰り返している内に、何度も行く場所が日本全国に30箇所くらいになった。小田原のそばで言えば、下田、三津浜、箱根、篠窪、それ以外の場はだんだん描かなくなった。

 だから九州に写生に行けば、どこと決まっていた。四国なら、瀬戸内海なら、紀伊半島ならば、何度も行くので、その場所は見ないでも描けるようになった。つまり記憶に残った。今男鹿半島のあの場所という風に記憶の風景を描くことが出来る。

 その場所をもう一度行って描いてみたいと思っている。もう行ったのは昔のことだ。行けば記憶とは違うのだろうが、何か新しい発見があるかもしれないと思っている。その旅行のためにアトリエカーを作ったとも言える。あまり先に延ばせない年齢になっている。来年は実行しなければならない。

 予定だけは考えている。車を福岡港まで送る。帰りも福岡かあるいは東京港から石垣までかフェリーでアトリエカーを送るつもりだ。小田原の家に残してあるもので、送りにくいものを車に乗せるぐらいは出来るだろう。もうこんな機会は少ないだろうから、今度小田原に行った時に捜して置くことにする。

 車の輸送料金は5万円ぐらいのようだ。飛行機代は1万円ぐらいであるから、それほど高いわけではない。全国のサウナホテル宿泊の旅である。のぼたん農園のみんなには少し迷惑をかけるが、それも致し方ないことだ。何かを諦めなければ、長く家を空けることはできない。

 まず福岡に着いたならば、海岸沿いに平戸に向かう。唐津から玄海町。この海岸線も何度も描いた場所がある。名護屋城趾から、波戸岬。加部島にも面白い場所があった。浜野浦の棚田も面白い。平戸までの日本海沿岸は面白い場所が沢山あった。

 平戸や島原には一番多く行った。平戸にはここという場所がある。今ならどんな風に見えて、どんな絵を描くのだろう。もう一度見て描く必要がある。阿蘇から高千穂へもゆく。考えれば、もう一度描きたい場所が日本全国にあちこちにある。アトリエカーで移動するなら、かなり自由に絵が描けるはずだ。

 今やらないと、この先アトリエカーでの遠征旅行はだんだん無理になる気がする。運転をして疲れるようでは、アトリエカーで絵を描きながらというわけにもいかないだろう。今のところ車の運転を一日してもまだ大丈夫だ。と言っていつまでできるかには、不安があるのも感じている。

 九州を出たら、今回は山口から日本海側を移動したいと考えている。山口では萩野先生の菩提寺津和野の永明寺にゆく。萩野先生は一番苦しいときに助けてくれた方だ。島根鳥取とゆっくり歩くつもりだ。行きたいところが色々ある。そのまま大仙蒜山高原をまた描きたい。岡山では醍醐の桜を描きたい。

 桜は終わっているのは残念だが、稲の様子が大丈夫なら、3月に出て、4月の稲刈り前に戻るという計画もある。この辺りは田植えをしてから、いつ行けるのかを検討しなければならない。3月に出るというのも悪くないかも知れない。

 天橋立から、丹後半島ももう一度描きに行きたい。今なら雪舟の様に描けるのかもしれない。まあそんなはずもないが、前よりは描けるかもしれない。そして福井も懐かしいところがたくさんある。美術部の合宿でいった、三方五湖も。越前大野や勝山や丸岡城も描けるかどうかは分らないが、行きたい場所だ。

 そして金沢に行きまた懐かしい景色を描きたい。内灘も随分変ってしまったが、もう一度昔を思いだして描きたい。金沢から富山に行き、富山湾を描きたい。富山湾越しに立山が見える景色はもう一度ぜひ描きたい場所だ。北陸へ行くとどこか懐かしい。こうなると感傷旅行のようだ。

 糸魚川から長野に入り、懐かしい妙高山、斑尾山、黒姫山、戸隠山、飯綱山の北信五岳を十分に描きたい。雪が残っている、新緑の頃が良いだろう。そうすると、志賀高原も描きに行かなければ、いつも泊まらせてもらった懐かしい木戸池温泉ホテル。別天地は今どうなっているだろう。

 長野にはもう一度描きたい場所がかなりある。更埴の辺りの杏畑も気になる。小諸からの浅間山も描きたいところだ。桜越に雪の残る浅間山が良かった。小海線に沿って描きたくなるような場所が何カ所かある。そうなると御嶽山を描きにに行きたくなる。

 そして甲府に出て甲府盆地の懐かしい景色。今回は少しゆっくり描きたいものだ。そして小田原に戻る。予定があるわけではないが、四月の月末あたりがいいかと思うが、それでは稲刈りが問題になるか。この辺の計画はもう少し先に、田植えをしてから稲の様子を見て決めたいと思う。

 荷物などは小田原で積み直しをすればいい。小田原から、今度は東北を回りたいと考えているが、それは次の機会にして、今回は東京から帰るのが良いかもしれない。東北も描きたい場所が山ほどある。福島をめぐり、宮城では蔵王は外せない。蔵王に雪が残る景色はぜひともまた描きたい。となると季節が限定されてくる。しかし、これは次回に回した方が良いのかも知れない。

 盛岡の兄のところによる。その前に花巻でイーハトーブに行くつもりだ。それから岩手山を描きたい。宮古から、海岸沿いに、絵を描きに行きたい。昔ずいぶん描いたのだが、描けなかった。そのまま八戸から下北半島へ行く。寂しい景色だったが今行けば描けるだろうか。

 津軽山のリンゴ畑も描きたい。良い場所があるのだ。弘前城のサクラも是非描きたい。そして津軽半島を巡り、秋田に向かう。あの辺りの秋田は実に良い。花の時期の男鹿半島の日本海と山の兼ね合いが見事なのだ。次回は東京発で東北旅行を計画した方が良いようだ。

 
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278 水彩画 日曜展示

2024-11-17 04:48:23 | 水彩画
278 水彩画 日曜展示







605「はたけ」
2024.11 中判全紙







606「早川」
2024.11 10号








607「桂林」
2024.11 12号







608「早川」
2024.11 10号








609「両津港」
2024.11 6号







610「山岳」
2024.11 10号


 絵が描きやすい季節になってきた。緑の色も大分静まってきた。田んぼでは田植えの準備が進んでいる。暑さもいくらか収まり、農作業もいくらか長くやれるようになってきた。それでも一日雨の日もあり、集中して絵を描くことが出来た。

 絵はどこに向かっているのかは分らないが、自分が充実できるところに従おうと思っている。絵が良くなるとか、出来上がるとか言うこととは別に絵をやり尽くしたと感じるとこまで描きたいと思っている。そうすると、途中から絵が手に負えないことになる。

 それでも中途半端な出来上がりよりも、とことんやってダメになったものの方がましだと思う。やらなければいいところだという場面はあるのだが、それでも壊して行くような描き方の方が、自分の充実になる。絵の出来不出来はそもそも関係がない。絵をどれだけ目一杯描けたかである。

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277 水彩画 日曜展示

2024-11-10 04:03:02 | 水彩画
277 水彩画 日曜展示







597「夕闇」
2024.11 中判全紙






598「赤崎」
2024.11 中判全紙








599「名蔵」
2024.11 10号









600「ホテル」
2024.11






601「海の牧場」
2024.11 10号







602「早川」
2024.11 10号







603「忍野」
2024.11







604「ルクサンブル公園」
2024.11 10号


 最初の二点だけが今週描いたものだ。後のものは古い作品である。作品の整理のためモアって今回ここに掲載した。最後のものはフランスにいたときに描いた水彩画だから、25歳頃に描いたものと思われる。その前の忍野の絵は忍野にいる友人のところに行って、乗馬クラブで描かせて貰った。

 早川の絵も随分昔の絵で、小田原に引っ越すよりも前の絵だと思う。40サイコロの絵かも知れない。その前の3点は描いたのは4,5年前のものだと思う。たまたま出てきて、捨てることも無いと思いあえて並べて展示してみた。

 今週は3点のみで、もう一点あったのだが、撮影を失敗してしまい辞海に掲載することにした。並べてみると変ってきていることが分る。良くなっているのか衰退しているのかは、私にはどうでも良いことだが、昔はものまねで絵を描いていたことが分る。そして今週から色が淡くなった。秋に反応したようだ。
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276 水彩画 日曜展示

2024-11-03 04:18:54 | 水彩画
276 水彩画 日曜展示








593「とぅまた田んぼ」
2024.11 中判全紙








594「のぼたん農園」
2024.11 中判全紙








595「ゴムの木」
2024.11 中判全紙







596「屋良部岳」
2024.11 中判全紙


 絵面が粗くなってきている。最近絵面の粗い意味が少し理解できてきた気がしている。絵は丁寧に描けば描くほど勢いが失われる。自分の世界観からも遠のく。自分の心が伝わる荒さがあるようだ。粗いけれど雑なわけではない。この加減が難しい。

 それはマチスや中川一政から学んだことかも知れない。必要な粗さで、それ以外では表現できない世界がそこにあるようだ。まだ本当には分っていないのだが、粗い表現を意識して試してみている。荒さで一番悪い事はヘタウマになることだ。

 粗さが自分の中に入り込む表現になる必要がある。この辺りはもっと沢山やってみなければ見えないような気がしている。ともかくしばらくやれる絵ではやってみようと思う。粗さに自分の腕が慣れなければならない。腕が無意識に粗く描くようにならなければ。

 




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