中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

石巻の友人から便り。弟たちが来る。

2011年05月04日 16時24分54秒 | 活動日誌

今日の活け花 庭のスミレ

 石巻の友人から便りが届きました。毎号送っていただいている「石巻フォークキャラバン」というグループのニュースで、メンバーの一人田利通さんからです。「石巻フォークキャラバン」はうたごえ喫茶や老人ホームなどでの演奏で、石巻を中心に大活躍しているうたごえの仲間です。

 グループの4人がそれぞれ被災したにも関わらず、支援のお礼と活動を早く再開したいと語るニュースは、心から励まされるものでした。田さんのお宅は、お母さんが水死とのこと。自宅は住めなくなって、親類に身を寄せているとのことです。被災したギター教室の生徒さんのために、ギターが9本も寄せられたといいます。

 このニュースに書かれていたことですが、石巻では火葬が追いつかず、東京都へ600体の遺体を依頼したそうです。痛ましいお話です。

 そろそろ、弟2人が長野に到着します。母の見舞いに来るのですが、先だって、石巻に帰ってきたそうで、お墓の写真を送ってくれました。お寺もやられました。お墓は瓦礫の山、瓦礫の中を墓石の名前をひとつひとつ探して歩いたそうで、「やっと見つけた」と。母の法名は生前にもらったので、墓に赤字で彫ってありましたが、それも見つけたそうです。

お寺がどこかわからず、ナビで探したそうです。

お寺があるのはこの一角ですから。

表向きに倒れていたので、文字がわかりました。

 母は信心深く、お寺がなくなったと聞いたら卒倒してしまいかねませんが、弟たちは、母が自分の法名がわからなくなってはかわいそうと思ったのでしょう。「最高の名前をもらったよ。お寺さんにずいぶん尽くしたから、安くしてもらった」とよく言っていました。

 「あの世の名前をお金で買うの?」と私は鼻で笑っていましたが、それが、母のあの世で幸せに暮らすための、言い換えれば今を安心して生きるための手形みたいなものだったとすれば、探してくれた弟には、感謝しなければと思いました。

 キュウリやナスの苗を買ってきて植えました。布団も干しました。そんなたわいもないことをしながら、被災者のくらしを考え、一瞬、心苦しくなるのです。まだ、行方がつかめない友人、知人がいます。どうやって探したらいいかもわかりません。

 さて、弟たちが来るので、食事の準備にかかることにします。

コメント (2)
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