逝ってしまった富森さんをしのんで、昨年送っていただいた詩集を改めて開きました。
一遍一遍が胸を打つ。富森さんの人間性がにじみ出た表現の、こころの琴線に深く触れてくる気高い思想が、私の心を一瞬止める。そして外の世界から隔離した自分を見つめている。
富森さんが横浜に行く2年前の2005年の詩「5月のある日に」は、最後の2行にこころが留まり、障がい者となってもなお、がんばり続けた富森さんの心情に思いをはせました。
富森さんが力を尽くした法曹界でのたたかい、衆議院選挙でのたたかいが礎となって、参議院選挙をはじめとする選挙戦での勝利の数々の「春」の兆しがやってきました。
詩に託した願い通り、如月ではなく花咲来始めた5月に逝ったのだと、私は考えたいと思いました。政治の春を見て死にたいという、それが言いたかったのでは・・・そんな風にも思えてきました。
自然の5月はつかの間の春、しかし、我々の作り出す春は、長くありたい。
憲法にもうたわれてあるように、それは国民の絶え間ない努力なくしてはありえないですね。
5月のある日に
それは5月のある日
アルプスのふもとにいた
緑に燃えた木々は果てしなく
微笑むように風に揺らいでいた
長い冬と雄平の日々から解き放たれ
自由が自然の懐の豊かさが身に浸みる
私は何時間も風の中に立ち尽くし
子供たちを老人を男や女たちを見ていた
風の中で一人一人が自分を生きていた
歓声が野いっぱいを包み込み谺していた
それは5月のある日
何気ないこの平和のただ中で
腹黒い悪だくみが雲間をかい潜り
この国を危険極まる彼方へ誘おうとする
老いさらばえ手も足も萎えたこの身には
今更駆けることも歩くことさえ叶わない
せめてこの屈辱に耐え
再び栄光の日の到来を待ちたい
それは5月のある日
遅く短い束の間の春
願わくば花の下にて春死なん
その如月ならぬ望
2014年 中央法律事務所50周年記念祝賀会で富森さんと
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